SSブログ

ピシンギーニャが聞いたジャズ パリ1922年 [ブラジル]

ブラジル音楽の父.jpg

来月のレコード・コンサートの選曲に向けて、ショーロの歴史をおさらいしようと思って、
ビスコイト・フィーノが8年前に出したショーロの15枚組ボックスやらなんやらを聴き始めたら、
歴史のおさらいどころでなくなって、またまた古いショーロに聴き惚れています。

15枚組ボックス“MEMÓRIAS MUSICAIS”には、20世紀初頭の機械録音時代の蝋管から、
電気録音時代の40年代のSPまで、幅広い音源が収録されていますが、
どうしてもピシンギーニャの3枚に集中して聴いてしまうんですよね。
すると次に、ピシンギーニャが30年代前半にオーケストラでブラジル独自のジャズを目指した、
グルーポ・ダ・グァルダ・ヴェーリャ名義の録音が聴きたくなって、
ライスの『ブラジル音楽の父』に手が伸びます。
何度聴いても、32年録音の“Ainda Me Recordo”にはドキドキしますねえ。
グルーポ・ダ・グァルダ・ヴェーリャの録音をこれだけまとめて復刻したアルバムはブラジルにもなく、
このライス盤は、世界に誇るピシンギーニャの決定版です。

ところで、ピシンギーニャがグルーポ・ダ・グァルダ・ヴェーリャで、
意欲あふれるアフロ・ブラジリアン・ミュージックをクリエイトしたのは、
1922年オス・オイト・バトゥータスとともにパリに6ヶ月滞在し、
ジャズと出会ったことがきっかけだったと言われています。
若きピシンギーニャがパリで触発されたジャズとは、いったいどんなものだったのでしょうか。

それは現在のジャズとはかなりかけ離れた、ジャズ誕生以前のダンスバンド・ミュージックで、
軍楽隊を発祥とするマーチ・バンド(ブラスバンド)とラグタイムが結びついた、
シンコペイテッド・ミュージックだったはずです。
アメリカ生まれのその騒々しい音楽は、第一次大戦直後にパリへ渡り、
ホット・ジャズと称され、人々に熱狂的に迎えられました。

ニュー・ヨークのジム・ユーロップ楽団が1918年にパリを巡業し、
翌19年には、ウィル・マリオン・クック率いる
サザン・シンコペイテッド・オーケストラもヨーロッパへ渡っています。
サザン・シンコペイテッド・オーケストラのメンバーだった
クラリネット奏者シドニー・ベシェのプレイはパリっ子たちを感動させ、
指揮者エルネスト・アンセルメにヨーロッパで初のジャズ評論を書かせたといわれています。
詩人ジャン・コクトーも1919年に「ジャズ・バンド」と題する一文を残し、
ジャズの熱狂を記していますね。

すなわちピシンギーニャが1922年に聞いたジャズとは、
まだジャズには到達していないダンス音楽であり、未発達段階のジャズだったわけです。
しかし当時「ジャズ」は、享楽の時代を象徴するキーワードとなっており、
マス・メディアの発達と大量消費時代が到来した「ジャズ・エイジ」が、すでに喧伝されていました。
F・スコット・フィッツジェラルドが『ジャズ・エイジの物語』を出版したのは、まさしく1922年です。
そしてヨーロッパ、特にパリにおいては、黒人芸術が大爆発する寸前の年でした。
ジョセフィン・ベイカーがパリで初公演を行い、アールデコが始まる1925年を、
あと3年で迎えようとしていたタイミングだったのです。

10~20年代のパリとニュー・ヨークは、「ダダ」を合言葉に、
多くの芸術家たちが活発な交流を繰り広げていた時代でした。
マルセル・デュシャン、パブロ・ピカソ、フェルナン・レジェ、
フランシス・ピカビアなどフランスの前衛芸術家たちが、
ジャズをはじめ、新時代のアメリカの映画や広告、工業製品に魅せられていたように、
ピシンギーニャもパリで同じ体験をしたのでしょう。
ジャズ・エイジを体験したジャンゴ・ラインハルトが、
のちにアメリカにはない独自のジャズを生み出したように、
ブラジルに帰国したピシンギーニャは、アフロ・ブラジリアン・ジャズと呼ぶにふさわしい
オーケストラによるショーロを完成させたのです。

ピシンギーニャ 「ブラジル音楽の父」 ライス BSR-5007
コメント(2) 

コメント 2

ペイ爺

以前、いーぐるの掲示板で、bunboniさんは「ジャズより古い歴史を持つブラジルの音楽、ショーロからサンバの誕生、発展などのテーマでもやってみたい、などと後藤さんにも昨夜お話をしたりしました。」と書かれていたので、次回のテーマを「ショーロ」を中心としたプラジルの音楽と想定し(笑)、20年前からの愛聴盤「ショーロの夕べ」などを繰り返して聴いていました。

その後、ライスから出ている、“Pixinguinha E Benedicto Lacerda” 、Rosaの“Poeta da Vila”も購入して、良く聴いています。

ショーロはヨーロッパからの移民が作った音楽だそうですが(坂本龍馬の時代ですよね(笑))、遅れて似たような発生をしたと言われるJAZZにPixinguinhaは強い影響を受けたのですね。

何しろ、演奏する楽器をフルートから、サックスに変えたのもその影響からでは、と言われているようですから。その時代の写真が残っていますね。

「ブラジル音楽の父」という呼称から、モダン・ジャズの父と言うか、源流と言われる、Lester Young を連想してしまいました(笑)我田引水かな…(笑)

4月17日に向けてもっと「予習」しなくちゃっ!♪

by ペイ爺 (2010-03-18 11:02) 

bunboni

う、う、そんなに予習されてしまうと、当日の質疑応答タイムがコワイっ!(^_^;)
by bunboni (2010-03-18 12:30) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。