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新宿DUG 1977年1月7日 トム・ウェイツ [北アメリカ]

Tom Waits.JPG

1977年にトム・ウェイツが初来日した時の回顧録が、
今月号の『レコード・コレクターズ』に載っています。
書いているのは、当時トム・ウェイツを日本に招聘したトムス・キャビン代表の麻田浩さん。
新宿のジャズ喫茶DUGの2階で行われた記者会見の写真に、
思わず、あっ、と小さく声を上げてしまいました。
なぜなら、その場にぼくは、居合わせていたからです。

当時高校3年生だったぼくは、熱狂的なトム・ウェイツ・ファンでした。
「酔いどれ詩人トム・ウェイツ」に憧れるあまり、夜中家を抜け出し、
新宿のゴールデン街を徘徊しては、大人の仲間入り気分で夜遊びし、
始発で家に帰ってくるという一時期を過ごしたものです。
今思えば赤面ものじゃすまない、穴があったら入りたい出来事がてんこ盛りですけど、
背伸びしまくってたガキ相手に、よくまあ周りの大人たちが付き合ってくれたものと思います。
みなさま、その節はお世話になりました、って、遅すぎるんですけれども。

そんなだから、トム・ウェイツ来日のニュースは、飛び上がらんばかりの喜びでした。
どうやって許可をもらったんだか、もう忘れましたが、記者会見にも忍び込んだんですね。
記者会見といっても、なんせ会場が新宿のDUGですから、こじんまりとしたものです。
でもそんな狭い場所だからこそ、トム・ウェイツをすぐ目の前にして、いやあ緊張しました。

記者会見が終わったあと、デビュー・アルバムの“CLOSING TIME”にサインしてもらおうと、
心臓バクバクもので、トムにレコードとペンを差し出したんですが、
トムはサインできる場所がピアノの鍵盤の白い部分しかないと思ったのか、
鍵盤のところにペンをあてたんですね。
「あっ」と思ったんですけど、インクがホワイトであることにトムが気付き、
おおっとみたいな感じで、慌ててペンを持ち上げた仕草を、いまでもよく覚えています。
先にホワイト・ペンであることを言っとけって話なんですけどね…。
それからトムはおもむろに左上にペンを置き、
まるで老人のように、よろよろと震えるような筆跡で、サインを入れました。

Autograph.jpg

ぼくはアガリまくって、トムにひとっことも喋ることができず、
でも、お礼を言わなくちゃと思って、すぐ脇にいた司会兼通訳の小林克也さんに、
「ありがとうと言っていただけますか」とお願いすると、
「Thank youくらい言えるだろう」と叱られちゃいました。ごもっとも…です。
どんだけアガってたんだ、て話ですが、憧れの人を前に舞い上がってたんですっ!

あとにもさきにも、一人のアーティストに、あんなミーハーな入れ込み方をしたのは、
トム・ウェイツただ一人だけですね。
ところが、そのうなされていた熱も、記者会見翌日のコンサートであっけなく冷めてしまうのでした。

1月8日の久保講堂でのステージ。予想以上にトムの声が荒れているのにも驚きましたが、
トムの酔いどれ芝居をシーンと聴いているっていうのも、ひどく居心地の悪いものでした。
言葉の壁があるため、ライヴ盤“NIGHTHAWKS AT THE DINER”のように、
トムのジョークに嬌声を上げられないのは仕方ないとしても、
なんだかヘタな芝居を、神妙に観させられているような気分になってしまったんですね。

そのうえウンザリだったのが、連れてきたメンバーの「ど」がつくヘタクソぶり。
特に、ロクにフォービートも刻めないドラムスには、イライラしっぱなしでした。
エンディングをたびたび間違えたり、あんだけひどいドラマーは他に記憶がありません。
ライヴ盤では、あのビル・グッドウィンがドラムスを務めていたっていうのに、
なんでこんなイモ・ドラマーを連れてきたんだと、ぼくは怒りに震えていました。
考えてみればあのライヴ盤では、
サポート・ピアニストに名手マイク・メルヴォインも付いていたわけで、
トム・ウェイツの虚構世界を演じるには、それ相応のジャズ・ミュージシャンが必要だったのです。
このオソマツなメンツは、その任にあらずでした。

とうとうガマンできず、ぼくはコンサートの途中で席を立ち、会場を後にしました。
地下鉄へ向かう帰り道、なんだかわけも分からず、涙がこみ上げてきたのが忘れられません。
2日目のチケットも買ってあったんですけど、もちろん行かずじまい。
憧れから幻滅への転落は、ぼくにとってあまりにショックでした。

[LP] Tom Waits "CLOSING TIME"  Asylum SD5061 (1973)
コメント(7) 

コメント 7

poi

はじめまして、
Tom Waitsは、特に 
Closing TimeとEarly Years1と2が
お気に入りです。
あ、あとセカンドアルバムもはずせません。
ついついうれしくなって、
コメントさせてもらいました。
grape fruits moon

toms traubert blues
は、大のお気に入りです。
by poi (2011-05-22 22:01) 

NewbornEyes

はじめまして
あの晩の久保講堂には私もいました。そんなにひどかったですか。サンディエゴ・セレナーデでのフランク・ヴィカーリの染み入るようなサックスが記憶に残っています。彼の他に、ベース:フィッツ・ジェンキンス、ドラムス:チップ・ホワイトのツアーバンド “ノクターナル・エミッションズ”(アルバム ”スモール・チェインジ”にも参加)面々だったと思います。
by NewbornEyes (2013-11-04 00:42) 

初めまして

初めまして。
私は、中学1年からとにかく、とにかくトムを愛する36歳です。
LPからライブ映像から雑誌、とにかくあらゆる物を集めています。
これから先も同じです。
それでも、世に出て関連するものの、ごく一部にすぎません。
生で観たことも、まだありません。
だから、あなたが羨ましくて仕方がありません。
突然ですが、そのサイン入りのLPをお売り頂けないでしょうか。
今でも変わらずトムを愛しているなら、仕方のない事ですが、もし熱が冷めているなら、ご検討頂けないでしょうか。
金額に糸目はつけません。
無礼ですみません。

中村 龍一
by 初めまして (2015-03-24 21:07) 

bunboni

はじめまして。
ぼくも十代のころは熱狂的なファンだったので、ご同慶の至りです。
初期のトムは今でも変わらず好きです。
サインLPは大切にしているものなので、
おゆずりするわけにはいきません。申し訳ありません。
でも、いつの日か、遺品となった時には、
あなたのような熱心な方に差し上げたいな、なんて思います。
by bunboni (2015-03-24 22:10) 

yacopi

もう昔のことで記憶が定かではないのですが、1977年以前に、大塚まさじらが、大阪にトムを呼んだはずです。私は行けなかったのですが、友人が聴きに行きました。まだ、small chengeの発表の前だったので無名でした。その頃、慶応での日本人女性と交際していたはずです。
by yacopi (2015-04-04 15:13) 

bunboni

大塚まさじは『遠い昔ぼくは・・・』で、トム・ウェイツそっくりさん、やってましたもんね。
日本人の彼女はたしか、それが歌とアルバム・タイトルにもなったんでしたっけ。その頃はもうトム・ウェィツに興味を失っていたので、ぼくも記憶が定かじゃないですが。
by bunboni (2015-04-04 15:34) 

yacopi

私も、トムウエイツに興味を持っていたのは、デビューアルバムから
1980年くらいまでですね。関東よりも関西の一部の人たちに熱狂的なファンができました。それが、1974-74年くらいでした。
ワンフロムザハートくらいからメジャーになりすぎて急速に興味を失いました。コッポラや立花隆などのインテリ層に受け始めてつまらなくなりました。
73年から77年頃までに声質が急速に変化し、このままでは、廃人になるんじゃないかと、友人と心配しました。
今も第一線でやっているのは逆に驚きです。

クロージング・タイム Closing Time (1973年)
The Heart of Saturday Night (1974年)
スモール・チェンジ Small Change (1976年)
Foreign Affairs (1977年)
Blue Valentine (1978年)
Heart attack and Vine (1980年)
by yacopi (2015-04-04 19:33) 

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