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祝CD化!「ブンガ・ダリア」 イダ・ライラ [東南アジア]

Ida Laila.JPG

やーっと聴くことができました、イダ・ライラの「ブンガ・ダリア」。
マレイシアのレーベルがCD化してくれたおかげです。
はぁ~、聴くまでに四半世紀もかかってしまいました。
いわずと知れたダンドゥットの名曲。はじめて日本に紹介されたダンドゥットの曲でしたね。
あれはイダ・ライラじゃなくて、ス・ウディアのヴァージョンだったけか。
スネークマンショーが81年に取り上げて有名になったんでした。

80年代にインドネシア音楽がブームになった時、ぼくはカセットを買わない主義だったので、
ダンドゥットやジャイポンガンはじめインドネシア音楽の美味しいところを、
ほとんど聞かずじまいで過ごしてしまいました。

インドネシアのカセットに面白い音楽が山ほどあることはわかっていました。
でも、カセットにまで手を伸ばしたらキリがありません。
どこかで一線を引いておかないと、自分の好奇心と懐具合のバランスも保てなくなってしまいます。
シングルやSPに手を出さないのと同じく、カセットも買わないようにしていたんです。
だいいち、長年の保存に耐えないような粗悪テープなんて、とても買う気になれませんって。

80年代後半はアフリカやアラブ、アジアなどの国々が次々とLP生産を止め、
カセットへと移行していた時期でした。カセットを買わないなんていっていると、
そのうち全く音楽が聴けなくなってしまうかもという危機感も感じていましたが、
やがてすぐにCD時代がやってきて、CD化されたものだけを聴いていました。
もちろんCDで聴けるなんてのは、氷山の一角にすぎませんが、
それだけに選りすぐれた良質のものが聴け、ハズレを買わずにすむともいえたのです。

このCDは、イダ・ライラがスラバヤのダンドゥット・グループ、
O・M・アワラと共に活動していた時代の録音のようです。
表紙のイダと一緒に写っている男性が、O・M・アワラのリーダー、S・アフマディでしょう。
イダ・ライラのか細い歌声は可憐そのもの。時おりすすり泣くような声で歌います。
歌唱力は???ですが、「守ってあげたい」男心をくすぐる声というんでしょうか。
勘違い男が殺到しそうなメランコリックな歌声は、たしかに魅力的です。

ヴァイオリンやスリンが優雅な響きを奏でるノスタルジックなサウンドもたまりません。
レトロな味わいすらするシンセサイザーの音色も、ゆったりとしたメロディによく似合います。
のんびりとした70年代らしい抒情的なダンドゥットを楽しめるアルバムです。

Ida Laila "LAGU PILIHAN AWARA" Spring Classics KKCD805
コメント(6) 

コメント 6

ペイ爺

〉スネークマンショーが81年に取り上げて有名になったんでした。
同じアルバム“死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!”に収録されていたHOLGER CZUKAY の“PERSIAN LOVE”も某飲料メーカーのCMソングに使われたりして、有名になりましたよね。

SU'UDIAH の“BUNGA DAHLIA”と異母兄弟の様なイメージが、自分の中で、いつの間にか出来ちゃいました。このアルバム、それくらい何回も聴きました。

MUSIC MAGAZINEに、坂本龍一とCZUKAYの対談なんかも掲載されていましたっけ。

このアルバムには未収録ですけれど、CZUKAY の“How Much Are They?”は、某バイク・メーカーのTV CMに使われました。
広告も表現する力が強く、カッコ良かった。

今から思うと牧歌的なイイ時代でしたよねえ。

by ペイ爺 (2010-03-25 16:30) 

bunboni

牧歌的なイイ時代???でしたか??? 
バブルへ突き進んでいく80年代の浮かれまくった時代のムードが、
ぼくは厭で厭でたまらなかったので、
その認識は、ぼくとはだいぶ違うみたいです。
by bunboni (2010-03-25 20:35) 

ペイ爺

〉バブルへ突き進んでいく80年代の浮かれまくった時代のムードが、
〉ぼくは厭で厭でたまらなかったので、
自分も、80年代後半のあのバブル時代は“No!”です。
「80年代の浮かれまくった時代のムード」も嫌悪している方だと思います。

ただ、80年代の初め頃、特にスネークマンショーの2作品が出た81年は、帝王Milesが久々に復活して日本に来たり、何だか面白い文化が、いろいろ出て来て、今だったら、絶対NGって規制されるような表現が何となく許されていた、寛容な雰囲気があったのではないかな?って思います。

受容する側にも、洒落っ気があって、「牧歌的なイイ時代」っていうのは、呑気過ぎるかもしれませんが、特に日本では、今程、ギスギスした変な切迫感がなかったんじゃないかなあ、と思った次第です。

瀧口修造の言う余白、というか…。文化の「糊代」みたいな部分…。

こういう雰囲気って、空気みたいなもんですから、カチっとしてなくて、とりとめがないのですけれど、新しく、面白い文化がincubateされる上で結構大事なFactorではないかなって思っています。

Pixinguinhaが居た20世紀初頭や、第二次大戦後のBoris VianやBud Powell、Dexter Gordonが活躍したParisにも似たような雰囲気が横溢していたのではないでしょうか?

by ペイ爺 (2010-03-29 14:11) 

bunboni

なるほど…、ペイ爺さんのおっしゃる「牧歌的」の意味がようやくわかりました。
ぼくは80年代バブルの嫌悪感が強すぎて、ネガティヴに見すぎてしまうんですけど、
確かに80年代初め頃の寛容な雰囲気は、あの当時の「いい面」でした。
まさにあの時代の空気がなかったら、世界のあらゆる音楽を等価に聴こうとする
「ワールド・ミュージック」的姿勢も、世間に生まれなかったとぼくも思います。
by bunboni (2010-03-29 20:43) 

石田まさたか

ツイッターで「イダ・ライラのこと書いてたら、デティ・クルニアの訃報を知った」というかたがいたので、ふと「イダ・ライラ」で検索したら、ここにきてしまいました。さすがですね。
by 石田まさたか (2010-04-24 02:02) 

bunboni

デティ、癌だったそうですね。残念です。
by bunboni (2010-04-24 08:30) 

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