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グルーミーなアフリカン・ラップ ヤオボビー [西アフリカ]

YaoBobby  Histoires d'un Continet.JPG

ヒップ・ホップが苦手とはいえ、音楽的な説得力のあるアフリカン・ラップは気になります。
今度はトーゴという小国から、注目の作品が登場しました。
96年、トーゴ初のラップ・クルー、ジャンタ・カンを結成したヤオボビーの初のソロ作です。
ソロ・デビューといってもジャンタ・カンを脱退したわけではなく、
ジャンタ・カンの活動は継続中とのこと。
本作はヤオボビーの個人的な体験をもとにした、きわめてパーソナルな作品となっています。

トラック・メイキングで印象的なのがコラを大きくフィーチャーしていることで、
最初聴いた時は少し違和感をおぼえました。
ロメ出身のエヴェ人のヤオボビーは、コラとは無縁の文化に育った人のはずだからです。
トーゴはグリオがコラを演奏するマンデ文化圏じゃありませからね。
自身のルーツであるエヴェの楽器ではなく、コラを使う理由といえば、
アフリカのサウンド・イメージとしての効用しか考えられず、
それってステレオタイプなんじゃないの?という疑問を感じたというわけです。

しかしアルバムを聴き進めるうちに、
個人的な体験を自身のルーツで彩るとテーマに広がりがなく、
みずからの体験をアフリカ共通の社会問題として捉えてもらうには、
よりユニヴァーサルなサウンド・イメージが必要と
ヤオボビーが考えたのではないかと思えるようになりました。
なぜなら、コラの音色に借り物的なよそよそしさがなかったからです。

91年、トーゴで民主化運動が巻き起こり、デモやストライキで首都ロメは騒然となりました。
エヤデマ大統領(当時)はしかたなく多党制に移行しますが、
暫定政権発足後も、エヤデマ支持派がクーデターを起すなど混乱は続き、
ロメ市民は、デモやストライキを鎮圧する兵士たちの暴力の恐怖にさらされる毎日が続きました。

そんなさなか、ヤオボビーの両親はわが子を守るため、彼を隣国のガーナへ送る決心をします。
92年、まだ13歳のヤオボビーは、わずかばかりの金を持たされ、
父の運転する車でトーゴ=ガーナ国境沿いまで連れて行かれ、車を降ろされました。
置き去りにされたヤオボビーは、その後サティマジャ難民キャンプで3ヶ月をすごし、
市場で薬味を売りながらバス代を稼ぎ、ガーナの首都アクラに暮らす姉のところへと身を寄せます。
結局、ヤオボビーはトーゴへ再び戻るまで半年間の亡命生活を体験することになりますが、
トーゴ帰国後、将来に絶望したヤオボビーは学校へ再び戻ろうとはしませんでした。
そのことを今も悔いるヤオボビーは、トーゴの人口の半分が18歳以下である若い世代に向け、
けっして希望を失ってはいけないというメッセージと、教育の重要性を訴えています。

ヤオボビーがラップする八百長の選挙、腐敗、暴力というアフリカの政・官・民の社会問題は、
個人的な体験を通しているからこそ、単なる批評的な態度ではない説得力があり、
アルバム全体を覆う深い哀しみのトーンは、ストレイトな怒りよりも胸に迫ります。

YaoBobby "HISTOIRES D’UN CONTINENT" Les Changeurs/RFI no number (2011)
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