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スラック・キー・ギターの革命児 アッタ・アイザックス [太平洋・オセアニア]

Atta Isaacs THE LEGENDARY.JPG

柔らかにスウィングする、アッタ・アイザックスのスラック・キー・ギターが大好きです。
こういう独特なリズム感のスラック・キー・ギターを弾くのは、
アッタのほかにいませんでした。
で、そこに噛み付いたのが、亡くなられた中村とうようさん。
4年前、オーマガトキがアッタのゆいいつのソロ作“ATTA” を紙ジャケCD化した時、
アッタのリズム感を「ジャズっぽい4ビート」と厳しく批判し、
「こんなリズムでスラック・キーやることに意味があるんだろうか」(*1)
とまで酷評したのには、思いっきりムッとしたもんでした。

とうようさんはかつてスラック・キー・ギターについて、
「アマチュア的な素朴な楽しみ方をすべきなのだ」(*2)と語っていたくらいなので、
スラック・キー・ギターをジャズぽくするなどは、邪道と感じたんでしょう。
とうようさんはおそらくスラック・キー・ギターにハワイ音楽のルネサンスを見出し、
伝統回帰のオーセンティシティを評価していたのだろうと思われます。
スラック・キー・ギターにジャズ的要素が介入するのは、
ハワイ音楽のオーセンティシティを汚されるような不快感を持ったんでしょうね。

戦前のハワイ音楽は、ソル・ホオピイやアンディ・アイオーナをはじめ、
スウィング・ジャズの強い影響下にありました。
戦後になると、ラジオの人気番組「ハワイ・コールズ」が巻き起こした観光ブームで、
伝統ハワイ音楽を歪める、ジャズ風に崩した通俗的な演奏がはびこります。
それゆえにとうようさんは、
ハワイ音楽の「ジャズっぽさ」に敏感となっていたのかもしれません。
かつて、ブルースを民俗音楽とみる立場から、
B・B・キングを迎合的で卑屈な芸人根性と批判した
とうようさんらしい視点ともいえますが、
伝統を前進させようとする音楽家の試みを否定するのは、明らかに間違ってますね。

アッタは、戦前のハワイ音楽家のように、
ジャズ風に崩した演奏をしていたわけではありません。
本土迎合的な態度のハワイ音楽家がジャズの衣を借りたのに対し、
アッタがジャズのイディオムを取り入れたのは、
スラック・キー・ギターを革新しようとしたミュージシャンシップゆえでした。
独自のCメジャー・チューニングを開発したのもアッタの研究心の賜物で、
そのミュージシャンシップが、ジャズのイディオムを取り入れることに、
彼を向かわせたのでした。
アッタが生み出したスウィンギーでジャズのコード進行を取り入れたギター・スタイルは、
伝統ハワイ音楽の味わいを輝かせ、戦前のハワイのミュージシャンの演奏とは
レヴェルの異なる、斬新さを獲得していました。
いわばアッタは、スラック・キーが土臭い素朴さばかりでないことを証明してみせたのです。

そんなアッタの仕事を集大成した2CDがリリースされました。
ディスク1はアッタの71年のソロ作“ATTA” をストレイトCD化したもので、
ディスク2にはサウンズ・オヴ・ハワイへ残した5曲と、ギャビー・パヒヌイと共演した
69年作“TWO SLACK KEY GUITARS” の4曲が収録されています。
全曲60分に満たないので、2枚組にする必要はなかったかもしれませんけれども。

プロデュースは、スラック・キー・ギターに惚れ抜いて、
ダンシング・キャット・レーベルを興したジョージ・ウィンストン。
24ページに及ぶライナーには、
スラック・キー・ギターの新たなスタイルを模索したアッタの仕事ぶりが、
丁寧に解説されています。

“ATTA” 所収の“Hualalai” のなめらかなリズム感なんて、いつ聞いても最高ですね。
とうようさんが嫌悪した4ビートの“How'd You Do?” や“Mele Li'i” も、
アッタの代表的名演です。
“ATTA” を愛顧するのはなにもぼくばかりでなく、
かつて深沢美樹さんが「マイ・フェヴァリット・ハワイアン20」にあげて激賞し、
「『ハウドゥ・ユードゥ』は何度コピーしようとしたことか」と
コメントされていました(*3)。

そんな深沢さんが、とうようさんの酷評に
「スラックキーの本質を衝く重い言葉だ」と迎合したのには、
心底がっかりさせられたもんです。(*4)深沢さんは先の評で“ATTA” の魅力について、
「このレコードが放つ色香というか、ハワイの空気というか、ジャケットも含めて、
それがそのままパッケージされていることに驚いたのだ。それはぼくが
スラック・キー・ギターにノックアウトされた瞬間だったかも知れない」とまで書き、
その愛情あふれる文にぼくはとても共感していただけに、
とうようさんへのすり寄りぶりにはむかっ腹が立ちました。

ジャズを取り入れたアッタのスラック・キー・ギターが、
とうようさんのいう無意味なものかどうか、
みなさんの耳でぜひ確かめてみてください。

*1 『ミュージック・マガジン』 2008年9月号 173ページ
*2 『ハワイ音楽パラダイス』 山内雄喜・サンディー著 北沢図書出版 1997 47・48ページ
*3 『サウンズオブアロハ ハワイアンミュージックガイド』 ブルース・インターアクションズ 1999 147ページ
*4 『レコード・コレクターズ』 2008年10月号 33ページ

Atta Isaacs "THE LEGENDARY ATTA ISAACS : INNOVATIVE SLACK KEY MASTER" Tradewinds/Hana Ola/Cord International HOCD2015
コメント(2) 

コメント 2

深沢美樹

 こんにちわ萩原さん、深沢です。いつも読ませて頂いています。今回は、とうようさんと私に対しての厳しいご意見ですね。これは反論ではありませんが、少し認識不足があるのではないかな、と思ったので書いておきます。
 とうようさんは最初からアッタを批判していたわけではありません。2008年にマガジンで酷評したずっと以前にアッタとギャビーの共演作 "Two Slack/key Guitars" を「名手ふたりの泉のごとく湧き出る名演」と大絶賛していたことをご存知なかったでいょうか。いま、その評がどこで書かれていたのか失念していて申し訳ないのですが、とうようさんはオーマガトキのCDにいきなり噛み付いて酷評したのではありません。いままで自分でも絶賛していたのに、酷評に転じたのですから、あのときは正直ぼくも驚きました。しかし、その時ぼくは怒りを感じる前に、どうしてこのように評価が変わったのか、という疑問のほうが大きかったです。色々考えましたが、とうようさんはスラッキーの本質は良い意味でのアマチュアリズム、ピュアな感覚にある、という論に次第に重きを置くようになったのだな、と思い当たりました。例えば淡々と弾かれるサニー・チリンワースの『サニー・ソロ』を絶賛していたのをご存知だと思いますが、このアルバムとアタのソロ・アルバムは確かに方向性は違いますね。どちらが、いいとか悪いとか言いたいのではありません。とうようさんは、サニーのアルバムに滲み出ている、そのような感覚を次第に高く評価していったということです。
 アッタのアルバムはぼくは今でも大好きなアルバムです。しかしアッタのアルバムに「ジャズっぽい4ビート」と厳しく批判し、「こんなリズムでスラック・キーやることに意味があるんだろうか」という問いは、ぼくには重く響きました。とうようさん自身も当初は"Two Slack/key Guitars" を激賞していたのに、そのように変化した訳です。つまり、それだけ真剣にスラッキーの本質を考えていたのだと思います。それはしっかりと受け止めさせてもらいましたので、コレクターズの評でぼくは「スラッキーの本質を衝く重い言葉だ」と書いたのです。それを迎合と受け止められたのであれば、ぼくにはもう何も言う事はありません。ひとつだけ言わせて頂ければ、ぼくのコレクターズの評では、とうようさんの言葉は「アッタの音楽を全面否定する言葉ではない」と書き、とうようさんの言うスラッキーの「本質を掴んだ上で、アッタのようなスタイルも楽しめばいい」、と書いています。アッタのアルバムはぼくも好きなアルバムである事に変わりはありません。同時に『ピュア・ギャビー』や『サニー・ソロ』も大好きです。萩原さんにとってスラッキーの本質とはどんなものなのでしょうか。
by 深沢美樹 (2012-06-17 13:41) 

bunboni

深沢さん、やぶからぼうな批判をしてしまったにもかかわらず、
丁寧なコメントをいただきありがとうございました。
とうようさんが“TWO SLACK KEY GUITARS” を高く評価していて、
その後のとうようさんの評価に変遷があったことは、今回お教えいただくまで知りませんでした。

ぼくはあれほど“ATTA” を評価していた深沢さんだからこそ、
“ATTA” 擁護派の反論をきっちり書いてもらえるものと、
期待しすぎてしまったのかもしれません。
それが「重い言葉だ」に収斂されてしまうのは、ナットクがいかなかったんですね。
真っ向から「そりゃ違うでしょ、とうようさん」と言ってほしかったんです。
それにしても「迎合」という言葉は強すぎましたね。ごめんなさい。

「本質」という問いは、ぼくにはなじめない考え方で、ひとつのスタイルが本質で、
他のスタイルは本質でないと考えるようなものになってしまう危険をはらんでいると思います。
音楽家はそれぞれ自分のスタイルを深めながら前進するもので、
その結果生み出されるスタイルの違いに、妙味があるんじゃないでしょうか。
「本質」を「伝統」と言い換えることもできますよね。
本質にせよ、伝統にせよ、それらを狭く規定して、
その枠に収まらなきゃダメみたいな考え方は、ぼくは賛成できないのです。
by bunboni (2012-06-17 14:33) 

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