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ソウルフルなヨルバ・ミンストレル トゥンジ・オイェラナ [西アフリカ]

Tunji Oyelana  A NIGERIAN RETROSPECTIVE 1966-1979.JPG

サウンドウェイからリリースされた、ナイジェリアのトゥンジ・オイェラナの初となる単独リイシュー作。

トゥンジ・オイェラナって誰と思ったら、サウンドウェイの70年代ナイジェリア音楽のコンピレーション
“AFROBABY” “NIGERIA SPECIAL!” “NIGERIA SPECIAL VOLUME 2” や、
オネスト・ジョンズの“LONDON IS THE PLACE FOR ME 2” に1曲ずつ入っていた人。
アフロ・ロック/ソウル系のコンピレに1曲入っている程度の人じゃ、記憶になんか残んないよ、
そもそもB・C級ミュージシャンを集めたコンピレばっかだし、
なんて思わず悪態をついちゃいましたけど、単独アルバムとしてコンパイルすると、
この人の個性がくっきりと見えてきて、がぜん興味がわいてきました。

トゥンジ・オイェラナは、アベオクタ生まれのシンガー・ソングライター兼バンドリーダー。
俳優、コメディアン、劇作家としても活躍した人だったそうです。
60年、21歳の時、同郷の劇作家ウォーレ・ショインカと出会い、
ショインカが立ち上げた新しい劇団「1960マスクス」に役者として参加します。
オイェラナはイバダン大学に活動拠点を置く劇団の音楽も担当し、
のちにイバダン大学の音楽監督として雇われています。

子供向けのテレビ番組に出演し、ストーリーテラーやシンガーとして人気を呼ぶほか、
オーランド・ジュリアスのモダン・エイシズに加わり、カリプソ・ナンバーを歌ったりしたそうです。
その後、65年に英連邦芸術祭参加代表団の一員としてロンドンに渡り、
当時ロンドンにいた南アのジャズ・コンボ、ブルー・ノーツのメンバーをバックにレコーディングを行い、
68年に2枚のシングルをリリース、これがソロ・デビューとなります。
この時のシングル曲が、オネスト・ジョンズ盤『ロンドンはオイラ向きの場所2』に収録されています。

イバダンで役者活動をするかたわら、
ザ・フレッシュメン(のちのザ・ベンダーズ)を名乗るレギュラー・バンドを持ち、
ソウル、ファンク、カリプソ、ハイライフと、ありとあらゆる音楽を演奏し、
イバダンのナイトクラブで評判を呼びます。
トゥンジ・オイェラナとザ・ベンダーズの71年初シングル“Agba Lo De” は、
ちょうど2週間前にリリースしてヒット中だったフェラ・クティの
“Jeun K’oku (Chop and Quench)” とサウンドがそっくりで、
オイェラナはフェラをコピーしたのではと騒ぎになりましたが、
オイェラナはフェラをコピーしたわけではなく、
両者の共通する音楽性が生んだ偶然の産物でした。
しかしオイェラナはこの一件で、フェラがカテゴライズしたアフロビートと呼ばれるのを嫌い、
自分のルーツであるアベオクタのエグバ祭にちなんで、自己のスタイルを「エフェ」と名付けます。

72年、リジャドゥ・シスターズをバック・コーラスに迎えた初アルバムをリリース。
テレビではウォーレ・ショインカと協働して、
ラジカルな政治批判を巧みに演じる、コメディアンとして活躍しました。
ショインカ作詞・作曲による83年のレコード
“UNLIMITED LIABILITY COMPANY” で政治腐敗を風刺したため、
ショインカとオイェラナはナイジェリア政府の怒りをかい、
サニ・アバチャ将軍に睨まれるようになります。
96年、ショインカの劇“The Beatification Of Area Boy” で世界ツアー中、
二人は国家反逆罪で起訴され、
98年にアバチャが亡くなるまで、オイェラナはイギリスでの亡命生活を余儀なくされました。

オイェラナのキャリアをまとめたこの2枚組には、
ソウルやファンクの影響を受けたサウンドとヨルバの古謡をベースとした曲づくりに、
オイェラナ独自の個性をくっきりと聴き取ることができます。
オイェラナの曲って、どれもすごく「ヨルバくさい」んですよ。
ハイライフやジュジュやアフロビートを思わせるいずれの曲でも、
「ヨルバらしさ」が前面に押し出されていて、それがオイェラナの魅力につながっています。
解説によれば、歌詞の内容もヨルバの宗教や神話にもとづくものが多いらしく、
ヨルバ民謡そのもののメロディといい、
オイェラナの曲にはヨルバのフォークロアが色濃く反映されています。

そのため、どんなにソウルぽいサウンドを纏おうが、北米黒人音楽のイミテーションとはならず、
むしろヨルバの伝統音楽の響きを際立たせる結果につながっています。
フェラが試行錯誤の末にアフロビートを完成させたように、
フェラとは別のあり方を指し示したのが、オイェラナだったと言えるのかもしれません。
もっともその個性の強さはフェラの比ではなく、
特定のジャンルにこだわらない「なんでも屋」な資質が、
凡百のアフロ・ソウル作品に埋もれ、その後忘れ去られる原因ともなったんでしょうけれど。

ナイジェリア音楽の黄金時代であった70年代に活躍した、
ソウルフルなヨルバ・ミンストレル、それがトゥンジ・オイェラナだったのではないでしょうか。

Tunji Oyelana "A NIGERIAN RETROSPECTIVE 1966-1979" Soundway SNDWCD043
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