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ハイライフ・オリエンテッドな60年代ジュジュ デレ・オジョ [西アフリカ]

Dele Ojo_JUJU MUSIC AT ITS BEST.JPG   Dele Ojo_The Classics.JPG

以前ナイジェリア、ジュジュのワレ・グローリアスの話題を取り上げた時、
「フィリップスには、デレ・オジョやジョシー・フライデーといった
ジュジュ・ギタリストも録音しているので、プレミア・ミュージックには、
続けてCD化をよろしくです」と書いたんですが、
念願かなってデレ・オジョのCD化が実現しました。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-11-15

デレ・オジョは、ナイジェリア独立直後の60年代に、
I・K・ダイロと並んで人気を博したジュジュ・シンガー兼ギタリストです。
40年オンド州イララ=アクレに生まれたデレは、59年に教職を得るものの、
15歳からバンド活動をしていた音楽への夢は絶ち難く、
61年にヴィクター・オライヤのバンドに入団。セカンド・トランペットの役を与えられました。

こうしてハイライフ・バンドからキャリアをスタートさせたデレですが、
独立を夢見て歌とギターの練習を積み重ね、63年に自己のバンド、
スター・ブラザーズ・バンドを結成すると、トランペットを捨て、ジュジュを演奏しました。
ハイライフをバックグラウンドにしたデレのジュジュは、
コーラスを中心にすえた厚みのあるハーモニー・ヴォーカルが、
ダンス・バンド・ハイライフのホーン・セクションの代わりを務め、
デレが弾くリード・ギターも、パームワイン・サウンドのハイライフ・スタイルを踏襲していました。

また、ヨルバ語だけで歌っていたジュジュに英語を持ち込んだのも、ハイライフからの影響。
デレが歌った英語曲“I Don't Know Why She Loves Me”
“Bouncing Bona” “Christiana” は大ヒットを呼びました。
デレのハイライフ・オリエンテッドなジュジュは一世を風靡し、
60年代末にはイギリスへ招かれ、ロンドンほか各地で大喝采を浴び、
さらにアメリカ、ワシントンへツアーを行い、大成功を収めます。

海外ツアーで自信を深め、2度目となるアメリカ・ツアーでは、
数年間をかけアメリカ各地を巡業しています。
ところが長期滞在中、ホームシックとなったメンバーの離脱が重なり、
グループの建て直しを余儀なくされたデレは、帰国せざるを得ませんでした。

70年代に帰国すると、ミュージック・シーンはがらりと変わってしまっていて、
ナイトクラブで聞かせるハイライフから、社交パーティのジュジュへと移っていました。
新しいメンバーを加えてレコードをリリースするも、まったく売れず、
エベネザー・オベイやサニー・アデのジュジュが全盛となった時代に、
ハイライフ・オリエンテッドなジュジュは完全に時代遅れで、
デレは浦島太郎になってしまったんでした。

そんなわけで60年代を代表したデレ・オジョも、
忘れ去られたジュジュ・ミュージシャンの一人となってしまいましたが、
デレの代表作であるフィリップス10インチ盤が、曲順を変えてストレイトCD化されたので、
これを機に聴いてみても、損はないと思いますよ。
さきほど挙げた“Bouncing Bona” “Christiana” も入っています。

[10インチ] Dele Ojo and His Star Brothers Band “JUJU MUSIC AT ITS BEST” Philips West African PR13410
Dele Ojo "THE CLASSICS VOL.1" Premier Music PLCD032
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