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伝説のンバクァンガ・レディ アイリーン・マウェラ [南部アフリカ]

Irene Mawela.jpg

これは完全に見逃していました。
07年に出ていた、南アのヴェテラン女性歌手アイリーン・マウェラのカムバック作。

50~60年代にンバクァンガの名だたるグループで歌い、
数多くのグループや歌手へ曲を提供した作曲家としても活躍したアイリーンは、
名門グループのダーク・シティ・シスターズをはじめ、キリングストーン・スターズ、
テレグラム・スペシャルズ、プリティ・ドールズ、スウィート・シックスティーンズ、
スウィート・メロディアンズ、ンガババ・クイーンズ、イジントンビ・ゾモヤ、ザ・ゼブラズ、
マホテーラ・クイーンズほか、書ききれないほどのグループで歌ってきたキャリアの持ち主。

ダーク・シティ・シスターズ在籍時は、アイリーンのリード・ヴォーカルで
マハラティーニと一緒に歌った“Tap Tap Ntshebe”(61)や“Rosa”(62)が大ヒットとなり、
マハラティーニがグロウナーとして名声をあげるきっかけともなりました。
この2曲は、ダーク・シティ・シスターズの初LP“THE STAR TIME” に収められています。

The Dark City Sisters_Star Time.jpg

残念ながらこのレコードのジャケットには、アイリーンは写っていないんですが、
58年から62年までの初期ダーク・シティ・シスターズには、
ジャケットの左から並ぶヒルダ・モガピ、フランシスカ・ンゴメズールー、エスター・コザ、
ジョイス・モガツシのほか、アイリーン・マウェラ、ヌヌ・マセコ、グレイス・ンシカ、
ケイト・オレネの8人が関わっていたんですよ。

これはダーク・シティ・シスターズに限らず、南アのグループ全般にいえることなんですが、
メンバーが固定ではなく、同じメンバーが別のグループ名を名乗って録音していたり、
メンバーそれぞれも変名を使ったりするので、記録から情報を解読するのが大変です。
アイリーン・マウェラも、アイリーン・ンラホという作曲者名を使っていますしね。

アイリーンは70年代からはソロ歌手として、また作曲家として活動するほか、
62年に一度は袂を分かったプロデューサーのルパート・ボパーペと70年代半ばに結婚します。
また、アイリーンは、南アで初のヴェンダ語による歌を歌った歌手としても知られ、
82年にはすべてヴェンダ語で歌ったソロ作“KHANANI YANGA” をリリースしています。

アイリーンは、40年にモロカのソウェトで生まれたのですが、
両親は職を求めて北部のリンポポからソウェトへ移り住んだ少数民族のヴェンダ人で、
家の外ではヴェンダ語を話すことはできず、学校ではソト語を学んで育ちました。
いつかヴェンダ語で歌いたいという願いは、アイリーンの少女時代からの夢だったんですね。

07年の復帰作でも、ほとんどの曲をヴェンダ語で歌っていますが、
なんといっても、往年のンバクァンガを思わすヘヴィーなビートとメロディに頬が緩みます。
チャーミングなアイリーンのスムースな歌い口は昔のままで、
母性的な優しさが伝わる温かな味わいに、心が満たされますねえ。
なんとアイリーンは、この後12年にもCDを出しているとのこと。
早速探さなきゃ。

Irene Mawela "TLHOKOMELA SERA" Gallo CDGMP40998(FN) (2007)
[LP] The Dark City Sisters "STAR TIME" EMI/HMV JCLP46
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