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インテリ・エリートが切り拓くトルコ歌謡 フェルハット・ギョチェル [西アジア]

Ferhat Göçer  FERHAT GÖÇER.jpg   Ferhat Göçer  KALBE KIRALIK AŞKLAR.jpg

トルコでいまやイブラヒム・タトルセスの人気に迫るという、噂のフェルハット・ギョチェル。
いつの間にそんな人気者になっていたのやらと思いつつ、
話題を呼んだ11年の前作“SENI SEVMEYE AŞIĞIM” も聞かないままとなっていたのは、
フェルハットの過去作にがっかりしたことが、ずっと尾を引いていたせいでした。

実は、ぼくはフェルハットの05年のデビュー作にいたくカンゲキし、
トルコ歌謡の未来を担うのはこの人だっ!とまで買っていたことがあったんです。
まず印象的だったのが、古典音楽を学んだことをうかがわせる確かな歌いぶり。
ハルクなどの民謡から東欧ジプシーの音楽、ギリシャのライカ、ルンバ・フラメンカまで吸収した
幅広い音楽性と、硬軟使い分けて歌うその実力は、新人離れしていました。
さらには、キャッチーな曲も書けるとくるのだから、
その底知れない才能には舌を巻かずにおれません。

こりゃ、すごい人が出てきたなあと思ったら、67年生まれで遅いデビューとはいえ、
イスタンブール大学の医学部在籍時に声楽を学び、
国立オペラ・バレエ団にオペラ歌手として入団していたという、異色の経歴の持ち主。
大学卒業後インターンで転勤となったため、国立オペラ・バレエ団を退団するものの、
外科医として勤務するかたわら、
イスタンブール大学院声楽科で学び直したというのだから、すごい努力の人です。

その後、トルコ初となる個人所有の交響楽団アナドル・アリアラルを設立し、
文化観光省の後援でトルコ各地をツアーして大成功を収めたというのだから、驚きます。
アルバム・デビューする前に、すでに相当なキャリアを積んでいたわけで、
歌手兼外科医というとてつもないインテリ・エリートなのでした。
デビュー作のソフトで甘くスムーズな歌い口を聞いて、
ぼくはギリシャのマノリス・リダキスとイメージをダブらせていたんですけど、
育ちの良さをうかがわせる歌いぶりは、タトルセスのような裏町苦労人とは
明らかに出自が違うことを示していました。

ところが、そのあとがいけなかったんですよねえ。
デビュー作のヒットでさらにポピュラリティを得ようと制作側が色気を出したのか、
セゼン・アクスから楽曲提供を受けた2作目は、ポップス寄りのプロダクションとなってしまい、
デビュー作でみせたフェルハットの幅広い音楽性が封じ込められてしまいました。
3作目でも、またしてもセゼン・アクスの曲を取り上げたほか、
アルバム・ラストでは何を勘違いしたのか、ハウスにアレンジした曲を歌うという、
フェルハットの才能に泥を塗るような仕上がりに、バッカじゃないのと怒り心頭。

2作連続フェルハットの音楽性を生かせないプロダクションに幻滅し、
以来、ぼくはフェルハットのことをすっかり忘れていました。
というわけで、前作についてエル・スールの原田さんが、
「トルコのヨルゴス・ダラーラスになろうとしている」とほめていたのを気にしつつ、
そのままやりすごしてしまったので、新作をリベンジのつもりで聴いてみました。

いやあ、しばらくフェルハットを聴かないうち、自信に満ちた歌いっぷりとなりましたねえ。
原田さんがダラーラスを引くのもナットクの抑えの利いた歌唱が、
張り上げ一辺倒になりがちなトルコ歌手との違いを聞かせます。
考えてみると、ぼくも最初にマノリス・リダキスを思い浮かべたのは、偶然といえば偶然。
フェルハットに、トルコの歌手にはないギリシャの歌手が持つような資質を、
原田さんもぼくも感じ取ったってことなんでしょうね。

この新作は、いわゆるトルコ大衆歌謡路線のプロダクションで、
デビュー作ほどカラフルな音楽性を発揮してはいませんが、
ブズーキ・バンドをバックにしたライカあり、軽くスウェイする洗練されたリズムありと、
ドラマティック一辺倒ではない、さまざまな表情をみせてくれます。
古典や民謡にギリシャ歌謡も咀嚼したフェルハットの実力をみせてくれた本作、
あらためてもう一度、この人に注目しようと思います。

Ferhat Göçer "FERHAT GÖÇER" DMC DMC20183 (2005)
Ferhat Göçer "KALBE KIRALIK AŞKLAR" Emre Grafson Müzik H.E.205 (2013)
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