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ニュー・ディメンション・オヴ・マンデ・ポップ アワ・サンゴ [西アフリカ]

Awa Sangho.jpg

丁寧に編み込んだヘアが美しいアフリカ人女性のジャケット。

マリの歌手みたいだけど、知らない名前だなあと、CDを手に取りひとりごち。
ジャケットを裏返してみると、モテマという聞いたことのないレーベルに、ますます???
レコード会社はニューヨークの住所となっていて、アメリカ盤だということに気付きました。
ヨーロッパでなくアメリカに拠点を置くマリの歌手って、珍しいですね。

裏ジャケに書かれたクレジットを見ると、
コラにシディキ・ジャバテ、ンゴニにバセク・クヤテと、そうそうたるメンバーが参加しています。
ンジャルカ(ソクと同じ1弦フィドル)のズマナ・タレッタって、ズマナ・テレタのことでしょうね。
これを見ちゃあ、買うしかないでしょうとお持ち帰りしたんですが、出だしの第一声にシビれました。

背筋が伸びる、なんともいい声。まっすぐさが伝わってくる、すばらしい声ですね。
のびのびとした歌いぶりがなんとも爽やかで、みずみずしさがいっぱいです。
サウンドの方も、懐かしいマンデ・ポップ直球ど真ん中といったところで、
すっかり嬉しくなってしまいました。

どういう人かと思ったら、なんとレ・ゴー・ド・コテバの3人組の一人。
知ってますか? レ・ゴー・ド・コテバ。
マンデ・ポップの数少ないガール・グループで、
マヌ・ディバンゴがプロデュースした93年作は、マイ・フェバリット・アルバムです。
左がフランス盤、右がアメリカ盤で、フランス盤は1曲多く収録されています。

Les Go De Koteba  Melodie.jpg   Les Go De Koteba  Juna.jpg

アビジャンの劇団コテバの看板スターだった、その名も「コテバの若い女の子たち」は、
音楽ビジネスが発達したコート・ジヴォワールだからこそ生まれたグループといえます。
グリオが幅を利かせる伝統の縛りが強いマリ社会では、
ガール・グループの誕生など考えられないことでした。

そのレ・ゴー・ド・コテバの3人のメンバーの一人が、現在日本に暮らすニャマ・カンテ。
日本人アフリカ音楽ファンで、ニャマ・カンテを知らない人はいないでしょう。
ニャマの出身はギネアで、このアワ・サンゴはマリと、
90年代当時のアビジャンの音楽シーンは、周辺国から大勢の才能が集まっていたことが、
あらためてよくわかります。

アワ・サンゴは、72年バマコの生まれ。「サンゴ」はソンガイ人グリオの姓で、
幼い頃はトンブクトゥのディレで暮らしていたそうです。
母親はクヤテ姓を持つマンデのグリオとのこと。
まさしく歌手になるべくしてなったバックグラウンドを持つ人なんですね。

11年にニューヨークへ渡って活動を続け、これがソロ・デビュー作とのこと。
作編曲もアワ自身がやっていて、歌だけでなく、音楽的才能の高さをうかがわせます。
ブリッジに印象的な女性コーラスのハーモニーのリフを施した5曲目や、
バマコの少女たちによる愛らしい手遊び歌のような7曲目など、
その音楽的センスに女性らしさが発揮されています。

バラフォン、コラ、ボロンといったおなじみの楽器による、
アクースティックな音づくりを生かしたマンデ・ポップ・サウンドを中心としながら、
プールの笛を加え、非マンデ系のサウンド要素を加えているところが、
従来のマンデ・ポップとの違い。
ンジャルカをフィーチャーした曲では、
アリ・ファルカ・トゥーレ仕込みのブルース・センスもうかがえます。
マンデ・ポップ・サウンドの進化が、新時代のマリ音楽のありようをみるようで、
長年この音楽を聴いてきた者には、ムネアツになりますよ。

レコーディングはバマコ、ダカール、ニューヨーク、カリフォルニアで、
11年から12年にかけて行われていて、時間をかけてじっくりと制作されたことがわかります。
サリフ・ケイタの献辞も寄せられている本作、ぜひ日本盤を出してもらいたいなあ。

Awa Sangho "ALA TA" Mótema MTACD145 (2014)
Les Go De Koteba "LES GO DE KOTEBA" Melodie EKA001 (1993)
Les Go De Koteba "LES GO DE KOTEBA" Juna J2813CD (1993)
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