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名人グリオ カセ・マディ・ジャバテ [西アフリカ]

Kasse Mady Diabate_KIRIKE.jpg

「滋味に富んだ」とは、まさにこんなアルバムを指していうんじゃないでしょうか。
マリの名門グリオ一族出身のヴェテラン歌手、カセ・マディ・ジャバテの新作です。
カセ・マディといえば、ワールド・ミュージック・ブーム時代の80年代に、
サリフ・ケイタの“SOLO” の成功にならって“FODE” という傑作をものにしたものの、
ヘレン・リー曰く無能なマネージャーのせいで、成功は収められませんでした。

Kasse Mady_Fode.jpgとはいえ、カセ・マディが、
本気でパリで成功しようとしていたかどうかは疑問です。
マリに帰れば、村の人々の尊敬を集め、
何ひとつ不自由ない裕福な生活を送る、
名門グリオの一門の人間なんですからねえ。
その後のカセ・マディの活動を見ると、
世界進出が狙いだったのではなく、
故郷でハクを付けるために、
パリへ行っただけのようにも思えます。

同時期にパリで野心に燃えていたサリフ・ケイタとは、
二人は育ちも立場も対照的でした。
89年にイギリスBBCが制作した
TVドキュメンタリー番組“UNDER AFRICAN SKIES” の中で、
「ショウ・ビジネスでは成功しなければ意味がない」というサリフと、
「グリオは金儲けをしてはいけない」と発言したカセ・マディの違いが印象的でした。

貴族の出身ながら、アルビノという障碍により幼い頃から差別と闘うことを余儀なくされ、
バマコの市場がねぐらの放蕩者から歌手へと、まさしく這い上がり、のし上がってきたサリフと、
不可触民のグリオとはいえ、名門一族の中で才能にもチャンスにも恵まれた、
いわばお坊ちゃまくんのカセ・マディとでは、生き方も価値観も違って当然です。

Kasse Mady_Koulandjan Kela.jpg   Kasse Mady Diabate  MANDEN DJELI KAN.jpg

そんなカセ・マディがグリオの伝統的な音楽を歌ったアルバムでは、
“FODE” のあとすぐに制作した90年の“KOULANDJAN KELA” が名作でしたね。
その後二十年近くを経てリリースした08年の“MANDEN DJELI KAN” も、
円熟味を増した充実したアルバムでした。

しかし今回の新作は、その2作とは趣きが違います。
なんといっても驚かされるのが、音数の少なさ。
バックが、ンゴニ、バラフォン、コラ、チェロという少人数のうえ、
全員が必要最小限しか弾かないという、超控えめなプレイに徹しているんですね。
グリオの伝統音楽では付きものの、華やかな女性のお囃子も、ここにはいません。
伴奏陣の4人が小さな声でハミングするだけという、これまた控えめなもの。

かつては、華やかに強靭なノドを響かせていたカセ・マディが、
ここではつぶやくように、静かに歌っています。
これほど静謐なグリオの歌というのも珍しく、円熟したカセ・マディの歌声が心に沁みます。

カセ・マディの故郷であるケラ村では、
14世紀に栄えたマリ帝国の始祖スンジャータ・ケイタの物語の正編を、
7年ごとの儀礼の場で披露する伝統が継承されてきました。
ケラ村は、スンジャータ・ケイタの出身地カンガバ地方にあるグリオの中心地で、
その儀礼を行ってきたのが、ジャバテ一族です。

カムボロンと呼ばれる神聖な小屋の中で行われるこの儀礼は、
物語を語るクマティギ(「言葉の主人」の意)と呼ばれる老グリオと、
語られる言葉の真の意味を理解するわずかな名人級のグリオだけで行われる秘儀です。
ケラ村に集まる多くの人々は、儀礼の本番ではなく、そのリハーサルを見学するのだそうです。
老グリオと呼ぶにはまだ早すぎるカセ・マディですが、
いずれこのカムボロンに参加する一員となるのかもしれません。

Kassé Mady Diabate "KIRIKÉ" No Format! NOF26 (2014)
Kasse Mady "FODE" Stern's STCD1025 (1989)
Kasse Mady "KOULANDJAN KELA" Mélodie 38782-2 (1990)
Kassé Mady Diabate "MANDEN DJELI KAN" Universal 531067-1 (2008)
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