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明朗明快にて無敵 アート・ファジル [東南アジア]

Art Fazil  Syair Melayu.jpg   Art Fazil  RENTAK.jpg

シンガポールのシンガー・ソングライター、アート・ファジルのアルバムでは、
09年に出た“SYAIR MELAYU” が忘れられません。
かつてサンディーが歌った“Ikan Kekek” や、“Rasa Sayang” といった
マレイシアやインドネシアの民謡を取り上げた企画作で、
アート・ファジルらしいフォーク・ロック的なプロダクションで歌ったアルバムでした。

マレイシアの伝統系歌手がねっとりと歌うムラユ歌謡とは、
ひと味もふた味も違う、とびっきり爽やかなサウンドが新鮮で、
風通しの良い、ゆるく涼し気なムードにトリコになったものでした。
あのアルバムはかなり売れたようで、
のちに未発表曲を追加したリミックス盤で再発されましたね。

さて、そのアート・ファジルのひさしぶりの新作です。
のっけのラガマフィン調の底抜けな明るさに、ぱあっと陽の光を浴びる気分。
一緒にコーラスせずにはおれない、フックの利いたメロディにやられました。
外見こそ、お気楽なポップ・アルバムといった装いながら、
そこに練り込まれた音楽性の深さには、舌を巻きますよ。

冒頭のラガマフィンから、ダンスホール・レゲエ、バイーアのブロコ・アフロ、
チカーノ・ロックを、ムラユのメロディにミックスしていて、
楽器使いもアコーデイオン、ガンブス、レバーナから、
ビリンバウやピファナみたいな笛まで繰り出し、見事なアレンジで聞かせます。
この奥行き、そのうえでの明朗さは、ただもんじゃないですね、やっぱり。

こういう音楽を聴いていると、
暗い顔して、深刻ぶった音楽なんて聴いてるのが、バカバカしくなりますよ。
明朗明快さが、いかにストロングで、深みもあるかという、
大衆芸術の真髄を気付かせてくれる、強力な1枚です。

Art Fazil "SYAIR MELAYU" Life SLCD1008 (2009)
Art Fazil "RENTAK" Moro MR1606-002-2 (2016)
コメント(8) 

コメント 8

戸嶋 久

> 明朗明快さが、いかにストロングで、深みもあるかという、大衆芸術の真髄を気付かせてくれる

まさにアイドル・ポップスの世界!!
by 戸嶋 久 (2018-03-23 00:06) 

bunboni

そっちに話を持っていきたがる、としまさん(笑)。
でも、プログレ同様、その方面は聞かないので、ぼくのブログに登場することはありません。あしからず。
by bunboni (2018-03-23 06:27) 

戸嶋 久

聴かない?お聴きにならずに、いろいろあんなにたくさん悪口をおっしゃっているわけですか??
by 戸嶋 久 (2018-03-23 07:20) 

戸嶋 久

しかも、それらは不意にちょろっと漏れ出たとかいうんじゃないですからね。かなり意図的、明示的、鮮明ににおっしゃっていますからね。
by 戸嶋 久 (2018-03-23 09:30) 

bunboni

あれぇ、喧嘩腰でこられちゃうのは、困りますねえ。
ほかの記事で、
「徹底的にケンカしないといけない」と予告されていたので、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-02-28
あらかじめお断りしておきますけれど、ぼくはこういった内容で、
読者の方とケンカする気も、論争するつもりもありません。

音楽の嗜好はひとそれぞれなので、
好みでない音楽や、不快に感じる歌手を聞かないのは、当然です。
それがぼくの場合は、上に書いた、
プログレやアイドル歌謡にあたるわけで、
ほかにオペラやパンクを聞かないのも、同じ理由からです。

ぼくは、好みがはっきりしているうえに、
好みが偏っていることは、しっかりと自覚しています。
この世にぼく好みの音楽は、死ぬまでに聴ききれないほどあるので、
わざわざ好みでない音楽まで、聴いてるヒマはありません。
それでも好奇心は一応旺盛なので、
戸嶋さんが激賞する岩佐美咲もいくつか聴いてみましたよ。
でも、やっぱりぼくには苦手なタイプと思い知った次第です。

このブログでは、
ぼくが人にオススメしたいアルバムだけを取り上げているので、
わざわざ悪口や批判をテーマにした記事を書いたおぼえはありません。
オススメのアルバムの記事を書くなかで、
批判的に見ている歌手やアルバムをクサすことはあるので、
それを指して、「悪口」と称されているのでしょう。
すみませんねえ、品行方正なタイプじゃないもんで。

誉めそやしたい対象を引き立てるネタとして、
しばしば噴出する悪口に、気分を害されたようですけれど、
まあ、それがぼくの見方だと受け取っていただくほかありません。
それがどうにもご不快だということであれば、
そんな人のブログは読まなきゃいいんです。
ケンカを売られても、買う気はありません。

ぼくは、自分の好きな歌手やアルバムを
ケチョンケチョンにケナされても、意に介さない、というより、
「とうようさんの0点」に代表されるとおり、
批判評の方がそういう見方もあるのかと、
かえって面白がる方なんですね。
でも世間一般は、「ぼくの愛する○○を悪く言いやがって!」みたいな
ナイーブな反応を示す人が、やっぱり多いんですね。

感じ方や受け止め方が生み出す「モノのみかた」が、
その人の「批評」そのものだということは、
昨年としまさんが「我が意を得たり!」とコメントをつけた
ぼくの記事にあるとおりです。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-09-02
ちょっとだけ、再録しましょうか。
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だから、ぼくにすれば、
「音楽なんてわかる必要はない」。
どれだけ感じ取れるか、どこに感動したのか、
どう自分が受け止めたのかが大事。
受け止め方は、人によって千差万別で、ひとつじゃない。
受け止め方を人に強制する必要もなければ、強制されるいわれもない。
自由に受け止めていい。そこにこそ、芸術の意味がある。
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いまだからネタバラしをしますけれど、上の5・6行目の件は、
戸嶋さんのブログを念頭に書きました。
だから、戸嶋さんのコメントの「まるで僕が書いたような文章です。」には、
正直、えぇ~?と思いました。

戸嶋さんのブログを読んでいて、ときどき強い違和感をおぼえるのは、
自分が好きな歌手なり、音楽なりを語るのに、
「○○○をもっと聞くべきだ」「○○○はこう聴くべきだ」的な
高圧的な口調になるところです。
それだけ、戸嶋さんがその音楽を熱愛しているということは、
十二分すぎるほど伝わってくるんですが、
ぼくはこういう「べき論」が好きではありません。

「ぼくはこの音楽が好き」「ぼくはこういうふうに聴く」まではいいですが、
それを人に強要するいわれはないと考えるからです。
「べき論」は、ファンの過剰な愛情の歪みであり、
人が音楽を聴く喜びの自由を奪うものだとさえ思っています。

ついこの前の、ショーロのアルバムの戸嶋さんらしい熱血コメントにも、
「好きな人だけが聞けばいんですよ」と冷めたお答えをしたのも、
それがぼくのスタンスだからです。
アフリカ音楽を広めようとか、ショーロを広めようとか、
そういった発想に、ぼくは昔からあまり熱心になれないんですね。

好きな人、もしくは好きになる可能性のある人に、
知らせたいという気持ちで、記事を書いてはいますけれど、
興味のない人、ましてや好みでない人に向けて、
ぜひ聴けなどとは、ぼくはまったく思いません。
「好きになってくれたら、嬉しいけれど」
ぐらいの気持ちで書くのが、ぼくのスタンスなんです。

だから、『○○○○を聴け』といったタイトルが付く本や記事は読まないし、
そういう押しつけがましいタイトルをつける書き手も好みません。
強制されるのが、ものすごくイヤなんですよ、ぼくは。

ましてや、女性歌手の声や歌い口の好みなんてものは、
その人(男)の女性観が丸出しになるだけの話で、
そんなもの、そもそも議論なんかになりゃしません。
飲み屋でクダ巻いて話すなら、恰好の話題かもしれませんが(笑)。
ということなので、たまに出る女性歌手に対する悪口は、
ああ、こいつは、オンナの趣味が悪いなあ、
わかっちゃないなあと、読み流していただければ幸いです(ペコリ)。

長文がお好きな戸嶋さんに敬意を表して、長文でコメントしました。
by bunboni (2018-03-23 22:27) 

戸嶋 久

まず。僕が喧嘩腰になったら、ぜんぜんこんな程度ではおさまっていないので、お断りしておきます。

さて

好みの問題だけであるならば、だれもなにも言わないと思います。僕が不快に感じながらいままで黙っていたのもそのためです。

しかし昨夜の「資質の違いを感じ」云々は、こりゃもはや個人的嗜好の域を超えています。客観的評価の領域に踏み込んでいますよね。

それだから、昨夜は強い違和感を感じたんで、一言申し上げたんですよ。
by 戸嶋 久 (2018-03-23 22:40) 

戸嶋 久

それで、僕の想像するに、bunboniさんも筆が走り過ぎてしまうばあいがあるっていうだけのことなんじゃないですか?

お気持ちのなかでは、上でお書きのように(またふだんからどんどんおっしゃっているように)たんに個人的な好みの問題でしかないのしょう。

それが、たまに、ときどき、筆が走ってというか、筆力が必要以上に(笑)ありすぎるせいで、うっかり本意じゃない表現になって、読む側には、あたかも客観的評価を述べているかのように受け取れるような表現に化けてしまうと。こういうことじゃないんですか?

もしかりに、この僕の推測が当たっているとすれば、僕も同じなんで、まあわかることです。bunboniさんのおっしゃるとおり、押し付けちゃダメ、これを聴くべき、みたいなことは敬遠されるだけ、とふだん、頭ではわかっていますし、ならないようにならないように、と心がけているつもりだし、それが本音です。

しかし筆が…、走ってしまうんです…。自動的に。
by 戸嶋 久 (2018-03-23 23:18) 

bunboni

う~ん、まあ、そういうことですかねえ。

せっかくですから、場を変えて、問題となる発言した方の記事でお返事しますね。
by bunboni (2018-03-23 23:37) 

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