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蘇るクメールの古謡 [東南アジア]

Pleng Kar Boran Ensemble.jpg

1921年、カンボジアの各地を旅した二人のフランス人によって
採集された54曲の古謡が、『カンボジアの歌』と題して出版されました。
これらの歌は次第に人々の記憶から消えていき、クメール・ルージュ時代に
多くの伝統音楽家が処刑されたことによって、
完全に失われた歌となってしまったそうです。

カンボジアの伝統文化を復興しようという機運から、この本に目が向けられ、
当時の歌を蘇らせるプロジェクトが08年に始まり、
入念なリハーサルを経て、09年にリリースされたのが本作とのこと。
チャペイ(長棹の三弦楽器)、トロー(二胡)、スコー(太鼓)といった伝統楽器による
9人のアンアンブルで、細やかなこぶしを回しながら歌う男性歌手が、
晴れやかに古謡を歌い上げています。

ここには、民謡、婚礼音楽、精霊礼拝の歌など、
さまざまなタイプの8曲が選ばれています。
20世紀初頭に、こうした歌がどのように演奏され、歌われていたのかは、
西洋音楽の記譜法で書かれたピアノ譜から解明することは不可能で、
暗中模索の中で編曲やアンサンブルの編成をしたとのこと。

ごくわずかの地方に残る、年一回の儀式で歌われる精霊崇拝の歌などを
ヒントにしながら再現するなど、民俗音楽学者をはじめ、
さまざまな音楽関係者の英知を結集しながら、再現を試みてきたといいます。

果たして、オリジナルの演奏に近づくことができたかどうかは、
こころもとないと関係者は言いますが、
失われた伝統を甦らせるのに大事なことは、
それがオリジナルどおりか、正当なのかどうかよりも、
伝統に愛着を持ち、蘇らせようとする、人々の英知そのものの方でしょう。
そうした人々の情熱、伝統を取り戻す営みこそが、なにより尊く思えます。

クメール・ルージュの蛮行は記憶に新しいものの、
カンボジアの歴史を遡れば、中世のクメール王朝以降、
アユタヤ(タイ)やフエ(ヴェトナム)に侵略される暗黒の時代を経て、
音楽や舞踏の芸能が死に絶えては復興をするを、繰り返してきたんですよね。
1432年にアユタヤ朝に滅ぼされた時には、宮廷文化を維持してきた踊り子や楽士、
建築士、彫刻家などを含めた、9万人もの芸能者が捕虜としてアユタヤに連れ去られ、
クメール文化は跡形もなく消え去った歴史があるほどです。

これを聴きながら、文化芸能というのは、
人々が生きる営みそのものなんだなあと、あらためて感じ入りましたね。
カンボジアのような過酷な歴史をたどった国で、
音楽や舞踏がどうしていま現在の姿を保っているのかを思うと、
その意味の重さを改めて、考え直さずにはおれません。
そこには、無念の別れや死を遂げた祖先への強い哀惜や、
人々の祈りが込められているのが、いやおうなく感じ取れるからです。

そんなことを想うと、伝統の上にあぐらをかき、保存の名のもとに、
形骸化しただけの演奏をただ繰り返す音楽家は、
放逐すべきとさえ思えてきますね。

Pleng Kar Boran Ensemble "CAMBODIAN FORGOTTEN SONGS" Bophana Audivisual Resource Center no number (2009)
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