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ナイジェリアのヘップ・キャットが残したトランペット・ハイライフの傑作 ジール・オニイア

Zeal Onyia RETURNS.jpg

ジール・オニイアのリーダー作なんて、あったんですか!
うわあ、まったく知りませんでした。これは驚きのリイシューです。

ジール・オニイアは、ナイジェリアン・ハイライフの巨匠
ボビー・ベンソンのジャム・セッション・オーケストラでキャリアをスタートした、
ナイジェリアの名トランペッターの一人。
ボビー・ベンソンのもとから巣立ったトランペッターに、
ヴィクター・オライヤ、エディ・オコンタ、ロイ・シカゴがいますけれど、
ジール・オニイアもその一人だったんですね。

ボビー・ベンソンの代表曲であり、ナイジェリアン・ハイライフ最重要曲の
「タクシー・ドライヴァー」でトランペット・ソロを取った
ビル・フライデーの控えとして、49年にリクルートされた時のジールは、
まだオニッチャの中等学校に通う15歳の少年でした。
51年に撮られたジャム・セッション・オーケストラの有名な写真には、
テナー・サックスを構えてひざまずくボビー・ベンソンの後方で、
譜面台を前にした11人のメンバーの中に、
トランペットを持ったジールが写っているそうで、
一番左に座っているのがジールなのかもしれません。

Bobby Benson Jam Session Orchestra.jpg

ジールは54年にボビー・ベンソン楽団を退団すると、
ガーナのアクラへ向かい、E・T・メンサーのテンポスの一員に加わり、
その後リズム・エイシズ、メロディ・エイシズという
ガーナのハイライフ・バンドを渡り歩き、
翌55年にダンス音楽を学ぶため、ロンドンへ留学します。

ロンドンで勉学に励むかたわら、
夜はジャズ・ミュージシャンたちとジャム・セッションを重ね、
アンブローズ・キャンベルのウェスト・アフリカン・リズム・ブラザーズと
ハイライフやカリプソなどを演奏する2年間を過ごし、57年にナイジェリアへ帰国します。
帰国後は、自身の楽団で活動するほか、イボ・ハイライフのシンガーの伴奏を務め、
デビューまもないステファン・オシタ・オサデベに、
トランペットや音楽理論にアレンジを教え、一躍人気歌手へと押し上げました。

60年にはナイジェリア音楽家組合NUMの副会長
(会長はヴィクター・オライヤ)に就任する一方、
アフロ・ジャズを志向して、62年にコリコ・クラン・ジャズ・グループを結成、
64年にはピアニストのアート・アラデ率いるジャズ・プリーチャーズに、
サックス奏者のクリス・アジロとともに加わりジャズを演奏しますが、
いずれも活動は短命に終わったようです。

そして66年に内戦(ビアフラ戦争)がぼっ発すると、
東部出身のハイライフ・ミュージシャンたちが続々とレゴスを離れて帰郷しはじめ、
レゴスのナイトクラブの火は一気に消えてしまいます。
仕事がなくなってしまったジールは、
同じく活動の場を失っていたフェラ・クティを誘ってガーナへ行き、
クラブでの演奏の仕事にありつくなど、67年は苦難の年だったようです。

そんな頃、ナイジェリアにやってきた
ドイツの室内管弦楽団に招かれるというチャンスが、ジールにめぐってきます。
ジールはこれは好機と、クラシック音楽を勉強するためドイツへと渡ったのでした。
ドイツでの10年に及ぶ長期滞在を経て帰国すると、
ナイジェリア放送協会のプロデューサーに迎えられ、
84年に引退するまで、ラジオ・ナイジェリアで演奏活動をしました。

そんなジールの音楽人生の最後に残されたゆいいつのリーダー作が本作です。
オリジナルLPのレーベルをスキャンしたディスク面に1975年のクレジットがありますが、
ハイライフ研究家ジョン・コリンズの著書“HIGHLIFE GIANTS” によれば、
81年作とあり、ドイツからの帰国後の録音ということを考えると、
こちらの方が信ぴょう性は高そうです。

伴奏を務めるのは、レコード会社のハウス・バンドである
タバンシ・スタジオ・バンドとクレジットされていますが、
当時としてはオールド・スタイルの、50~60年代のダンス・バンド・ハイライフの
サウンドを見事に再現していて、ちょっと驚かされました。
メンバーは不明ですが、録音当時流行のファンキー・ハイライフとはまったく毛色が違い、
50~60年代当時のミュージシャンを起用しているとしか思えないサウンドです。

冒頭の‘Zeal Anata’ では、イボの伝統音楽になくてはならない双頭ベルのオゲネが
♪コンコンコンコン♪と打ち鳴らされ、ジールのルーツがさりげなく表されます。
続く優雅なワルツの‘Nnata Na Ano Uso’ もイボ・ハイライフらしいメロディですけれど、
‘Zealonjo Nnoa’ では、曲のメロディといい、ホーン・セクションのハーモニーといい、
完全にガーナイアン・ハイライフ・マナーですね。
ハイ・トーンのGを5分以上吹ける技量の持ち主という評判どおり、
リップ・トリルやフラッター、グロウルなどのテクニックも随所で聴くことができますよ。

ナイジェリアにやってきたルイ・アームストロングに、
「ナイジェリアのヘップキャット」といわしめた、ジール・オニイアの傑作ハイライフです。

Zeal Onyia "TRUMPET KING ZEAL ONYIA RETURNS" Tabansi/ BBE497ACD
コメント(5) 

コメント 5

D

とても参考になります。“HIGHLIFE GIANTS” も読み直してみたくなりました。
Discogs に掲載されているジャケット写真には 75 とメモ書きされているので(多分買った日付?)、1975年リリースの可能性も捨てきれないかもしれません。
https://www.discogs.com/Zeal-Onyia-Trumpet-King-Zeal-Onyia-Returns/master/1548276
by D (2019-07-08 20:30) 

bunboni

あれえ、ホントですねえ。ご本人のサインみたいで、やっぱりレーベル面にも書かれているとおり、1975年作で正しいのかもしれませんねえ。
帰国の年が、リイシュー・レーベル元のバンドキャンプには「79年」と記載されていて(CD解説には記載なし)、ジョン・コリンズの著書“HIGHLIFE GIANTS” には「77年」となっているので、どちらにせよ「75年」はなさそうだと思ったんですけどね。そうすると、一時帰国でもした時の録音ということになるのかなあ。たしかにLP番号が1番若いタバンシ・スタジオ・バンドのLPも75年作だし、タバンシ・レコードの他のLPの制作年と照らし合わせても、75年作で正しそうで、帰国後の録音というのが違うのかもしれませんね。
情報ありがとうございます。
by bunboni (2019-07-08 20:48) 

D

ご丁寧なお返事、ありがとうございます。
75年と書かれているのは、おそらく本人のサインではなく、買った人のメモだろうと思います。ブラジルや西アフリカのレコード・パーティーでは、持ち寄ったレコードが誰のものか分からなくなるのを防ぐために、こうしたメモをした習慣があったらしいですね。そのこと、Bar Bossa の林さんの記事や Richard M. Shain "roots in reverse" で知りました(一部類推)。
昔は「余計な殴り書きしやがって!」と憤慨したものですが、今はリリース年を推測するのに役立っています。
(年代特定にはさほどこだわりは持っていませんが。)
by D (2019-07-08 21:42) 

D

Zeal Onyia で検索して、このページを見つけました。
http://www.abstractconcreteworks.com/essays/zeal/zeal.html
Zeal and his band の78回転盤の2曲、"Money Trouble" と "Lumumba" が聴けます。いやー、最高! 凄いです! これほど快活なハイライフ・トランペットってなかなかないんじゃないでしょうか?
同一人物か確定できていませんが、bunboni さんのおかげで楽しませていただきました!
by D (2019-07-08 21:44) 

bunboni

この"Money Trouble" と "Lumumba" は、サウンドウェイから出た"HIGHLIFE ON THE MOVE" に収録されたデッカのSP盤2曲と同時期のもののようですね(ノイズがきつくて、ちょっと早回しぽいですけれど)。この時代のハイライフは、ほんといいいですね。
by bunboni (2019-07-08 22:06) 

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