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オーストラリアへ渡ったマリのギタリスト ムサ・ジャキテ [西アフリカ]

Moussa Diakite  DONCOMODJA.jpg

オーストラリアへ移住したマリのギタリストのソロ作。
オーストラリアでの活動となると、
ヨーロッパやアメリカの音楽メディアが取り上げることもなく、
ぼくもこんなアルバムが出ていたとは、まったく気付きませんでした。

ムサ・ジャキテは、ジェリマディ・トゥンカラ率いるシュペール・レイル・バンドで、
79年から83年までリズム・ギターを務めていたギタリスト。
その後、トゥマニ・ジャバテのバンドに加わり、
06年のシンメトリック・オーケストラのレコーディングにも名を連ねています。
90年から95年にかけては、
サリフ・ケイタのツアー・バンドで、複数回世界を回ったそうです。
94年にオーストラリアへ渡ってからは、オーストラリア人メンバーとともに、
アフロ・ポップのバンドで演奏活動をしているようです。

16年に出した初アルバムは、バマコでレコーディングが行われていて、
マンデの代表的ミュージシャンが一堂に介した豪華版。
参加メンバーには、カセ・マディ、ジェリマディ・トゥンカラ、
トゥマニ・ジャバテ、バセク・クヤテ、ズマナ・テレタ、
シェイク・ティジャーン・セックといった面々が並びます。

もうこの名前を見るだけで、内容は保証されたようなものですけれど、
ムサ・ジャキテは、オーストラリアからベーシストのサイモン・オルセンを連れ、
アレンジとプロデュースを共同で行っています。

タイトルの『ドンコモジャ』はムサのニックネームで、神からの贈り物との意味だそう。
64年に父親からバースデイ・プレゼントでギターを贈られたムサは、
2年後にすっかり上達して、周囲から、ムサにとってギターが「神からの贈り物」だと、
みなされるようになったとのこと。
グリオでもないのに、ギターを買い与えられたなんて話は、
マリのマンデ社会では考えにくい話で、ひょっとしてワスルの生まれなのでは。
ワスル音楽をベースとしていることからも、間違いなさそうですね。

レパートリーは伝統曲と自作曲が半々。
自作曲はサイモン・オルセンとの共作となっています。
ズマナ・テレタのソクをフィーチャーしたドンソ・ンゴニの1曲目の‘Dossoké’ に続いて、
フルベ(プール)の笛をフィーチャーしたハチロクのインスト‘Fula Folly’ で、はや降参。
アルバム冒頭で、シブ味たっぷりのサウンドを繰り広げたあとは、
華やかなマンデらしい曲調の‘Miniamba’ で、晩年のカセ・マディの歌と
トゥマニ・ジャバテのコラが楽しめます。

一転、シェイク・ティジャーン・セックのキーボードをフィーチャーした
ブルース・ナンバーの‘Wariko’ も面白い。
ムサのギター・ソロと競うようにシェイク・ティジャーンが弾く、
ブルース・ギターの音色を模したシンセ・ソロが聴きもの。
北米ブルースのコピーを、イヤミなく聞かせられるのは、なかなか貴重。

ロックやブルースのリックも巧みに駆使し、
伝統曲にユニークなコード展開を加えるアレンジなど、
マンデ/ワスル音楽と西洋音楽のミクスチャがとても自然で、
老獪な魅力のあるギタリストですねえ。
20年にオーストラリア録音の2作目を出していることがわかったので、
現在オーダー中。

Moussa Diakite  KANAFO.jpg

【追記】2022.9.21
ムサ本人から連絡をもらい、ムサはマリ西部の都市カイの生まれだとわかりました。
ただし両親がワスルのブグニ村出身で、ワスルの音楽がルーツだそうです。
ムサ自身がサインを入れて送ってくれたシドニー録音の20年新作は、
バセク・クヤテやジェリマディ・トゥンカラを招きつつ、
オーストラリア人ミュージシャンたちとともに、
ディジュリドゥを取り入れたサウンドが聞けます。

Moussa Diakite "DONCOMODJA" Wassa no number (2016)
Moussa Diakite "KANAFO" Wassa no number (2020)
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