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マイ・ベスト・アルバム 2010 [マイ・ベスト・アルバム]

Los Guardianes De La Musica Criolla.jpg   Mateo.jpg
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Los Guardianes De La Música Criolla “LA GRAN REUNION: CRISTAL HERIDO” Sayariy Producciones/Enjundia 7753218000050
Matthew “Mateo” Stoneman “MATEO” no label no number
Fayrouz “EH FI AMAL” Fayrouz Productions/MBI no number
Amazigh “MARCHEZ NOIR” Iris Music 3002 009
Baloji “KINSHASA SUCCURSALE” EMI 5099962993128
Bumba Massa “APOSTOLO” Sina Performance 000635
Giovanca “WHILE I’M AWAKE” Dox DOX093
Kem “INTIMACY : ALBUM Ⅲ” Universal Motown B0014469-02
Mose Allison “THE WAY OF THE WORLD” Anti 87059-2
Tutu Jones “INSIDE OUT” Soul Tone no number

2010年のベストは、ロス・グァルディアネス・デ・ラ・ムシカ・クリオージャ、マテオ、フェイルーズ。
3作とも甲乙つがたい素晴らしい作品で、今年の豊作ぶりを表していますね。
そのほか強力だったのは、なんといってもバロジ。
典型的な一発屋ならではの破壊力が、
半世紀を迎えた「アフリカの年」を記憶するにふさわしいものでした。
ライヴもたくさん楽しめた一年でしたけど、
モーズ・アリソンが中止になってしまったのが、ためすがえすも残念でした。
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傑出したポップ・ミナン新作 リア・アメリア [東南アジア]

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うわぁ、歌、ウマいなあ。

このリア・アメリアというインドネシアの若手女性シンガー、
これまでスロー・ロックやダンドゥットを歌ってきた人だそうですが、
本作は、西スマトラ情緒溢れるゆったりとしたメロディーのポップ・ミナン集。
細やかな情のこもった歌いっぷりに、聴き惚れてしまいました。

ふくよかな中音域と伸びやかにふくらむ高音域のバランスが絶妙で、
しなやかに回すコブシ使いも巧み。
これほど歌唱力のあるインドネシアの歌手には、ひさしぶりに出会ったような気がします。
歌い回しがシティ・ヌールハリザに似ているところがあって、
若さに似合わぬたおやかな歌の表情に、ゾクゾクしちゃいました。

このCDはマレイシアのミュージックランドから出ていますが、
原盤会社はミナン・レコードとクレジットされています。
きっとポップ・ミナンの専門レーベルなんでしょうね。
インドネシアの地方ポップス事情はよく知りませんが、
今もインドネシアでは、地方ポップスが元気のようです。

ジャケットを見れば想像がつくとおり、プロダクションは庶民ポップス仕様。
この凡庸極まりないバックで、
最後まで飽きさせずに引きつける魅力は、ひとえにリアの歌唱力にあります。
予算をかけてしっかりと制作されたプロダクションで、ぜひ聴いてみたい人ですね。

Ria Amelia "12 POP MINANG LEGENDARIS : PULANGLAH UDA" Insictech Musicland 51357-72332 (2010)
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娘がハタチを迎える日 ジェイムズ・テイラー [北アメリカ]

James Taylor.jpg

今日は上の娘の誕生日。
あと1日早く生まれたら、ぼくと同じ誕生日だったのにねー、なんですけど、
毎年恒例の、クリスマスとぼくと長女の誕生日のトリプルお祝いを、家族でささやかに行います。
今年は長女がハタチになる記念の年でもあり、
もう20年かぁと、お父さんは遠い目になってしまうのでした。

自分が子供だったころ、
なんで親って、すっごい昔の話を、まるで昨日のことのように話すんだろと思ってましたが、
自分がその歳になると、親の気持ちがよくわかりますね。
だって子供と大人じゃ、時間の流れ方や密度がぜんぜん違いますもん。
子供にとっての二十年は全人生でも、
親にとっての二十年なんて、ついこの前の、わずかな期間にすぎません。

娘の幼い頃の記憶のディテールがするすると出てくるのは、
子育ての濃密な時間を過ごした、親の特権なのかもしれません。
子供が育てやすく、奥さん任せで済んだのなら、
親父にさしたる思い出も残らなかったかもしれませんが、
2歳から始まった熱性けいれんが小学校高学年まで続いたり、
ほかにもあれやこれやと心配事が多かった娘だけに、
夫婦でいろいろな山谷を乗り越えてきたひとつひとつの記憶が、心に深く刻まれています。

元気に成長した今となっては、そんな記憶もすでに思い出へと昇華していて、
未熟な親なりに、そのときどき必死になって流した汗の痕が愛おしくみえます。
親を心配させるのが子供の役目、なんて格言もあるくらいだから、
娘は親孝行をしてくれたともいえるわけですかね。
そうでなくても、ちっちゃな頃からずっとお父さんっこだったので、
一緒にいろんなところへでかけたり、楽しい思い出もいっぱい残してくれ、
ずいぶん恵まれたお父さんだったと思います。
娘にありがとうね、と感謝しなくちゃいけませんね。

独身だったころ、というかまだ高校生の時でしたけど、
将来結婚して子供が生まれ、家族団欒というイメージにもっとも近かったのが、
ジェイムズ・テイラーの“GORILLA” でした。
カーリー・サイモンとの円満な夫婦生活や、
子供との愛情に満ちた日常が伝わってくる歌の数々には、
ぽかぽかと陽だまりのような温かさに溢れていて、
将来自分もこんな家庭を持てたらと、ぼんやりとした憧憬を持ったものでした。

その後ジェイムズはカーリーと離婚し、
ぼくも“GORILLA” への憧憬などすっかり忘れてしまいましたが、
02年に出た“OCTOBER ROAD” で何十年かぶりにジェイムズの歌を聴き、
人生のさまざまな季節を経て、老いを予感させる歌などに、胸をつかれる思いがしました。
ジェイムズも年を取ったんだなあと感慨にふけつつ、
ふと昔の“GORILLA” を聴いてみたくなり、CDをかけたところ、
若い父親のナイーヴさが痛いくらい伝わってきたのは、意外でした。

父親になり立てのナイーヴな感傷は、娘が生まれた当時の自分を見るようで、
少し恥ずかしいような気分にもなってしまいました。
このアルバムに憧憬を抱いた高校生当時には、わかるはずもない感慨ですが、
歳をとらないとわからないことがあるのも、また人生ですね。

James Taylor "GORILLA" Warner Bros. 2866-2 (1975)
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サンタクロースはダン・ヒックス [北アメリカ]

Dan Hicks.jpg

今年のクリスマスは、ぬぁ~んと! ダン・ヒックスがやってきましたよ。

ダン・ヒックスのクリスマス・アルバムというと、クリスマス・ジャグ・バンド名義ではありましたけど、
ホット・リックスを従えたダン・ヒックスのアルバムでは、これが初めて。
前作“TANGLES TALES” から1年という短いインターバルでの新作リリースで、
復帰後のダンは本当に絶好調ですねえ。

16歳でダン・ヒックスを知って以来、兄貴分と憧れる、
わがヒーローのクリスマス・アルバムなんだから、
世に山ほどあるクリスマス・アルバムとは、まぁーーたっく比較になりましぇん!
サンタクロースがリヴィングのソファに座って、
SPアルバムからSPを取り出しているジャケットが、もー、たまりませんぜ。

1曲目の“Christmas Mornin'” は、懐かしい“Where's The Money?” の改作ヴァージョン。
リケッツのお茶目なコーラスとともに、はじめっから、おとぼけソングをかましてくれます。
続く2曲目の、“Choo Choo Ch'Boogie” をアダプトした
“Santa Gotta Choo Choo” も快調そのもの。
クリスマスのスタンダード・ナンバー“Carol Of The Bells” は、
全編よれよれのスキャットとアニメ・ヴォイスに、とぼけたカズーが絡むという抱腹絶倒なアレンジ。
チャック・ベリーの“Run Run Rudolph” も、ホット・リックスならではの
アクースティック・スウィング調ロックン・ロールとなっていて、もう身悶えるばかりです。

今回のアルバムが、とりわけリラックスしたレイドバックな仕上がりになったのは、
ゲストを入れず、ホット・リックスのメンバーだけで作ったからかもしれませんね。
ダンの軽妙洒脱ぶりが冴え渡った、ぼくにとって最高のクリスマス・プレゼントです。

Dan Hicks and The Hot Licks "CRAZY FOR CHRISTMAS" Surfdog 2-525580 (2010)
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愛のタランテッラ オルケストラ・ポポラーレ・イタリアーナ [南ヨーロッパ]

OPI.jpg

どういうわけだか、ぼくがタランテッラを聴くのは、毎年冬です。
南イタリアの気候を考えれば、真夏の太陽の下の方が似合いそうなものに、
タランテッラのアルバムに出くわすのがいつも冬なもんで、
<タランテッラ=冬>になってしまったというわけです。
で、今年の冬もまた、強烈なタランテッラのアルバムと出会っちゃいました。

民俗音楽学者で作曲家のアコーディオン奏者アンブロージオ・スパラニャが07年に設立したという、
総勢20名を超すメンバーからなる、オルケストラ・ポポラーレ・イタリアーナのデビュー作。
アンボロジオのアコーディオンに、マンドリン、ヴァイオリン、チェロ、ギター、ハーディーガーディー、
バグパイプ、タンバリンなどなど、多彩な楽器が縦横無尽に出入りしながら、
タランテッラの狂騒を繰り広げます。

タランテッラは、毒グモに刺された際に毒を抜くためのおまじないとして踊っただとか、
ダンスが毒グモに指された時の痛みの様子に似ているからだとか、いろいろな言い伝えがあります。
そんな伝説のひとつに、女性たちにとって性欲の解放を示唆するものがあって、
毒グモに刺されたと称して女性たちが狂ったように踊るのは、
性欲を発散させるための、破廉恥な踊りが許されたからだという説があります。
真偽のほどは知りませんけれど、音楽を聴く限り、この説が一番納得感がありますね。

高速タンバリンが刻む6/8拍子にのって、女性歌手が高い声を絞り出すように歌い、
アコーディオンが女性歌手の従者のように伴奏を付ける曲など、
まさに女性解放そのものをイメージさせます。
このアルバムではさまざまな男女歌手が歌い、
野性味あふれるタランテッラのダンス・チューンばかりでなく、
オカリナが吹かれる叙情的な曲などもある、奥行きのあるアルバムとなっています。

Orchestra Popolare Italiana "TARANTA D’AMORE" EGEA MR022CD (2009)
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フラメンコとアラブ・アンダルースの邂逅 エル・レブリハーノ [南ヨーロッパ]

ENCUENTRO.jpgCASABLANCA.jpgPUERTAS ABIERTAS.jpg

SP時代のフラメンコは素直にいいなあと思えるんだけど、
新しいフラメンコって、どうもしっくりこないというか、
特にパコ・デ・ルシア以降のフラメンコは、まるで別物の音楽のように思えます。

そんなぼくでも好きなフラメンコ歌手に、エル・レブリハーノことファン・ペーニャがいます。
フラメンコ史上最高の歌手ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネスの養子でもあった人で、
多くのフラメンコ・アーティストを出した名門ペラーテ・デ・ウトレーラ一族のひとりです。
ギタリストとしてキャリアをスタートさせたレブリハーノは、
パケーラ・デ・ヘレスなど有名なダンサーの伴奏を務めながら、カンテ(歌)の技術を磨き、
カンタオーラ(歌手)に転向してからは、アントニオ・ガデス舞踏団の一員にも参加するなど、
伝統的なカンテ・ホンドの歌手として名声を高めました。

ぼくがレブリハーノを最初に知ったのは、85年の“ENCUENTRO” です。
このアルバムは、イギリスのグローブスタイルからもリリースされるなど、
当時のワールド・ミュージック・ブームでも注目を浴び、
従来のフラメンコ・ファンよりも、幅広い層の音楽ファンにアピールしました。
グローブスタイルがこのアルバムを取り上げたのは、
モロッコのグループ、オルケストラ・アンダルシ・デ・タンゲルと共演した異色作だったからです。

『出会い』というアルバム・タイトルどおり、
フラメンコとアラブ・アンダルース音楽との融合は、驚くほどしっくりといっています。
それもそのはずですよね。フラメンコもアラブ・アンダルース音楽も、
イベリア半島にイスラーム帝国が繁栄していた時代に発展した音楽だったのですから。
その後アラブ・アンダルース音楽は、レコンキスタによって東へ東へと追われ、
マグレブの地にたどり着いて継承されてきました。
フラメンコとはいわば兄弟のような関係にあったのだから、
実験的作品といってもしっくりと融合するのは道理で、
両者の邂逅は、いわば歴史を証明したものでもあったわけです。

レブリハーノは、98年にも同様の企画で、
荘厳なオーケストレーションを従えた“CASABLANCA” をリリースしました。
レブリハーノも力のこもった歌いっぷりを聞かせていて、大力作ともいえる内容だったのですが、
曲によってはアレンジが重厚すぎて、やや胃もたれもする感もあります。

ぼくが好きなのは、“ENCUENTRO” の発展ヴァージョンともいえる、
05年の“PUERTAS ABIERTAS”。
モロッコ人のヴァイオリニスト、ファイサル・コウリッチとの共同名義作で、
オーケストラやコーラスは“CASABLANCA” 以上に厚みを増していますが、
ドラムスとベースを加えた逞しく引き締まったビートが快感です。
リズムにキレがあるため重苦しくなく、“CASABLANCA” のような胃もたれ感がありません。
ファイサルは“CASABLANCA” でも共演していたミュージシャンで、
ペドロ・ゲラ、ケパ・フンケラ、ガブリエル・ヤコブといったアーティストとも共演している人です。

ここ数年、アラブ・アンダルース音楽への関心が高まっていますけど、
レブリハーノが話題に上らないのは、ちょっと残念です。

El Lebrijano "ENCUENTRO" Ariola 9J257240 (1985)
El Lebrijano "CASABLANCA" EMI 7243-8-23416-2-8 (1998)
El Lebrijano y Faiçal "PUERTAS ABIERTAS" Ediciones Senador CD02852 (2005)
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フェイルーズの微笑 [中東・マグレブ]

Fairuz_Sings Again.JPG

フェイルーズの新作“EH FI AMAL” が、いよいよライスから発売されます。
あらゆる音楽ファンにおすすめしたい、ヴォーカル・アルバムです。
フェイルーズ自身はさりげなく歌っているんですが、
とてつもない存在感で歌が迫ってくる、貫禄の作品になっているんですね。
もちろん70歳を超すお歳ですから、全盛期の声とは比べられないにせよ、
年齢の衰えによる影響をほとんど感じさせないのは、驚異的です。

フェイルーズの息子ジアード・ラハバーニが施したプロダクションにも、息を呑みます。
87年の『愛しきベイルート』で見せたアラブと西洋の融合が、
さらにグレイド・アップした作品といえるんじゃないでしょうか。
現代アラブ歌謡最高峰のオーケストラが奏でるゴージャスなサウンドは、
フェイルーズのみに許された格調高さをまとうかのようです。

Fairuz_VDEP552.jpg    Fairouz_SDS1712.JPG
Fairuz.JPG    Fairouz_EFPVA93.JPG

至福のサウンドに包まれながら、ふと思い立って、
フェイルーズの若い頃の10インチやEPを引っ張り出してきました。
この頃はフェイルーズもやわらかな微笑を見せていて、とても魅力的です。
フェイルーズはある頃から笑みをみせなくなり、
人を寄せ付けないような硬い表情に変わってしまいました。
祖国レバノンへの想いや、政治的な理由なども伝えられていますが、
いつの日か、崇高なフェイルーズの表情にも、
穏やかな微笑みが戻ることを望みたくなるのは、ぼくだけではないでしょう。

[10インチ] Fairuz "FAIRUZ SINGS AGAIN" Parlophone LPVD6
[EP] Fairuz "DABKAY" Parlophone VDEP552
[EP] Fairouz "MILAD OKHTI" Sono Cairo SDS1712
[EP] Fairuz "LOUBNAN AL-AKHDAR - SHAL" Parlophone VDEP557
[EP] Fairouz "ZAH RATOU EL MADIAN" EMI/Pathe Marconi EFPVA93
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CDの山の中から シェバ・ヤミナ [中東・マグレブ]

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初めて知ったばかりのジャンルというのは、音源もさることながら、情報も少ない方がいいですね。
その方が、もっと聴いてみたい、もっと知りたいという好奇心もかきたてられるし、
音盤を探し出す楽しみや、その音楽の全体像が序々にわかっていく面白さも増すというものです。
効率良く名盤100選を買ったからといったって、
その音楽と深い付き合いができるわけじゃないもんね。
暗中模索の中、時間をかけながら、ひとつひとつ謎を解き明かしていくように
ゆっくり付き合っていくことが、その音楽を深く理解することにもつながり、聴く愉しみも深まります。

そんなことをふと思ったのは、
スタイフィの女性歌手シェバ・ヤミナの中古CDを手に入れたことがきっかけ。
アルジェリア北東部オレス山脈周辺に暮らす、ベルベル系のシャウイ人の伝統音楽が
ポップス化した音楽スタイフィは、3年くらい前から日本でも知られるようになりました。
スタイフィの登場は、ちょうど四半世紀前にシェブ・ハレドやシェブ・マミなどの現地カセットが
LP化・CD化され始めたポップ・ライ登場時を思い起こさせ、
同じような体験ができるのではと、ワクワクしたものでした。

ところがネットで探索した途端、スタイフィの専門サイトには、
見たことも聞いたこともない歌手たちが、ずらーーーーーっと並んでいて、ただただ呆然。
どのCDの表紙も、ど・アップの顔写真が暑苦しくも並ぶ、強烈に場末感の漂うもので、
カタログを眺めただけでおなかイッパイになってしまいました。
結局、スタイフィの帝王と称されるシェブ・ハラスのほか3・4枚買っただけで、
それ以上追っかける気力を失ってしまったのでした。

低予算のへっぽこプロダクションであることは、
表紙からも十分想像がつくし、それはそれで構わないんですけど、
カタログがこんなに膨大では、さすがに飛び込む気力も萎えてしまいます。
そしてスタイフィという名前も忘れかけていた今日この頃、
偶然ワン・コインの中古で見つけたのが、このシェバ・ヤミナだったのですが、
これまで買った数少ないスタイフィのCDの中では、一番のお気に入りとなりました。

臭みのある声とパンチの効いたヴォーカルは、いかにもローカルなシンガーらしく、
ヴォーカルにハーモナイザーをかけたロボ声が登場しないところも好感が持てます。
生音のベンディールとガスバが活躍する、アゲアゲなダンサブルなトラックが満載で、
これぞスタイフィ100%みたいなアルバムとなっています。
1曲だけシンセと打ち込みによるライぽい曲もありますけど、
ほかはすべて、ヴァリエーション豊かな伝統リズムを生かしたハードボイルドな内容。
ガスバが篠笛みたいに聞こえる曲があるかと思えば、
シャウイの伝統音楽そのまんまの、ズルナがフィーチャーされた曲もあって、
ダブル・リードのビリビリいうノイジーなサウンドに脳天がシビれました。

こういう当たりが見つかると、もう少しスタイフィを掘ってみようかという意欲も出ますけど、
ワン・コイン程度で買えるならねぇ、というのがホンネでしょうか。
マルセイユのCD屋にでもいけば、そのぐらいの値段で、試聴もしながら買えるんでしょうけど、
海外旅行するヒマも金もない私には、いかんともしがたいですね(泣)。

ところで、ぼくもスタイフィとの出会いを通して、
音楽を聴かない、CDを買わない今の若い子たちの気持ちが、少しわかったような気がしました。
たしかに洪水のような情報の前には、好奇心の芽なんて、出ようがないかもしれませんねえ。
情報の乏しい音源を手探りで触れてきたぼくら世代の音楽ファンは、
ずいぶん遠回りもしましたけど、その効率の悪さや時間がかかったぶん、
聴く愉しみをたっぷりと味わえて、幸せだったのかもしれません。

Cheba Yamina "CHEBA YAMINA" Edition Boualem EBM178
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南ア音楽の伝統が宿るシャンガーン フォスター・マンガニ [南部アフリカ]

Foster Manganyi.jpg

今年話題を呼んだ南アの辺境ポップ、シャンガーン・エレクトロの続編アルバムが登場しました。
今度は単独アーティストのアルバムで、エレクトロ・ゴスペルとでもいうべき音楽。
南ア北部リンポポ州ギヤニ出身の牧師フォスター・マンガニが、
08年に出したカセットをCD化したもので、このカセットは南アで大ヒットを記録したんだそうです。

例のコンピでは痙攣するような速いビートが特徴でしたけど、
こちらはそれほどセカセカしておらず、ゆったりとしたテンポで歌われています。
とはいえ、マリンバやホイッスルを模したチープなサンプル音と、
打ち込みのビートがしつこく反復を繰り返すのは同じで、
主役であるフォスター牧師のやる気のなさそうな脱力ヴォーカルと女性コーラスが、
ひたすらコール・アンド・レスポンスを重ねます。
それにしても、この男性リード・ヴォーカルの脱力ぶりはケッサクです。
ゴスペルといえば、パワフルなヴォーカルがお決まりのようなものなのに、
諦観さえ漂ってくるようなこのダルな歌いっぷりで、果たして説教になるんでしょうか。

女性コーラスにはっきりと南アの伝統的な合唱の特徴が聴き取れるように、
シャンガーンのメロディーやハーモニーの構造は、伝統的な南ア音楽そのままといえます。
いかにプロダクションがチープであろうと、南ア音楽の伝統を分断してしまったクワイトに比べたら、
シャンガーンにこそ南ア音楽の未来があると言いたくなります。
「伝統」というものが、ひからびた権威にならず、錦の旗のようにエラそうに振り回されることもなく、
大衆の中でこれほどいきいきと、またチープに発揮されていることに、眩暈をおぼえるというもの。
これでこそ美しい伝統、大衆音楽における伝統継承のあるべき姿なんじゃないですかね。

むちゃくちゃ面白いCDなんですけど、発売元のオネスト・ジョンズには文句もひとつ。
このレーベルはいつも簡単な解説だけでお茶を濁してて、
クレジットなどの基礎資料が欠けているところが、とっても不満なんですけど、
本作には一文の解説すら載っていないという怠慢ぶり。
そもそもCD化にあたって、きちんとアーティストと契約を交わしたのかと疑りたくなります。
無断リリースでないのなら、最低限の紹介くらいできるはず。
それすらないというのは、アーティストに対する敬意が欠けていると言わざるを得ません。

Foster Manganyi "NDZI TEKE RIENDZO” Honest Jons HJRCD108 (2010)
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フィーリンを歌うアメリカ白人 マシュー“マテオ”ストーンマン [北アメリカ]

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驚愕! 
無名のアメリカ白人シンガー・ソングライターが歌うフィーリン!

オーケストラが優美なサウンドを奏でると、
ひそやかに歌い出すマテオのシルキー・ヴォイスに、はや金縛り状態。
これを歌っているのが、アメリカ白人だなんて、とても信じられません。

中性的ともいうべき、脱力系のふわふわとした綿菓子のようなヴォーカルに、鳥肌が立ちました。
まるでチェット・ベイカーの再来じゃないですか。
主役のマテオことマシュー・ストーンマンは、
ロサンゼルスで活動しているシンガー・ソングライターだそうで、
どこか神経質そうな風貌は、イマドキの草食系男子といった感じですね。

はぁ~、それにしても。まさかアメリカ白人がこれほどまでにフィーリンを歌いこなすとは。
小野リサが登場した時、日本人でこんなに自然にブラジル音楽を歌えるなんてと驚きましたけど、
マテオくんの登場は、小野リサ以上のインパクトがありますね。
なんせアメリカ白人といったら、外国の音楽にまったく興味を持たないことで有名ですからね。
ニューヨークあたりのインテリならいざ知らず、西海岸人なら、なおさらのこと。

なんでも04年に自費でハバナに赴き、ロベルト・フォンセカやカチャイートの協力を得て、
50人を超すキューバ人ミュージシャンとともにレコーディングを敢行した自主制作盤とのこと。
いったいどうやって、こんな豪華なレコーディングをセッティングすることができたんでしょうか。
32ページに及ぶライナーには、そのあたりの経緯がはっかり書かれていなくて、いまいちナゾです。
内容は自作曲とカヴァーが半々で、メキシコのアルマンド・マンサネーロや
アグスティン・ララのボレーロも取り上げています。

典雅で上品なオーケストレーションに、つぶやきのボサ・ノーヴァ的唱法で
透徹した美学を聞かせたアルバムには、非の打ち所がありません。
何度も聴くほどに惚れ込んでしまい、死にいく際にこのアルバムを聴かせてもらったら、
満ち足りた気持ちで人生を終えられそう、なんてことまで考えるようになってしまいました。
臨終のアルバムにして悔いなしと、真剣に思うまでとなった大傑作であります。

Matthew “Mateo” Stoneman "MATEO" no label no number
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スワンプ・ロック名盤はデモ・アルバム ジェリー・ゴフィン [北アメリカ]

Gerry Goffin.jpg

これぞスワンプ!
正規盤を凌ぐ力強いヴォーカルに、背中がぞわぞわと総毛立っちゃいましたよ。
え~、ジェリー・ゴフィンって、こんなに良かったっけか。

キャロル・キングとのコンビで多くのヒット曲を書いたジェリー・ゴフィンが、
73年にリリースした初のソロ・アルバム“IT AIN'T EXACTLY ENTERTAINMENT” は、
ぼくが数年遅れで買った時、すでにスワンプの名盤と誉れ高いものがありました。
でもねー、ぼくにはこのアルバム、ディランの猿真似みたいな歌いぶりが鼻について、
ぜんぜん気に入らなかったんですよねえ。
スワンプというわりにはカントリー臭い曲もあったりして、何回聴いても好きになれず、
結局売っ払ってしまいました。
手放した頃には「幻の名盤」みたいに言われてたから、
けっこういい値段で売れたような覚えがありますけど。

で、そのアウトテイク集が出たと聞いても、ぜんぜん興味なしだったんですが、
偶然耳にするチャンスがあって、ぶったまげてしまったわけなんです。
なんせ三十年以上も前に売っ払っちゃったので、聞き比べようもないんですけど、
正規盤にも入っていた“Down On The Street” や“It's Not The Spotlight” は、
こんな力のこもったヴォーカルじゃなかったはず。
デモ録音ではディランぶりっこでない素直な歌い方をしていて、
なんで正規盤では、こういうふうに歌わなかったんですかねえ。

ピート・カー、エディー・ヒントンのギターも大活躍していて、泥臭いスワンピーなサウンドが満載。
8曲目の“Baby, I'm Afraid You Lost It” では、ジェリーは登場せず女性歌手が歌っていて、
キャロル・キングが歌ったらぴったりな曲なんですけど、これ歌ってるの誰なんでしょうか。
これ以降のバラードでは、スワンプ・ロックと少し趣を変えたメロウな曲調が続き、
70年代のマッスル・ショールズらしいサウンドが楽しめるところも、ぼくには嬉しい限り。

デモ・アルバムとはいえ、正規盤以上の内容に、
ぼくはこちらをスワンプ・ロックの名盤として喝采したいです。

Gerry Goffin "IT AIN’T EXACTLY ENTERTAINMENT DEMO & OTHER SESSIONS" Big Pink no number (1972)
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大臣になったアズマリ テセマ・エシェテ [東アフリカ]

Ethiopiques 27.jpg眼下に広がる雄大なアビシニア高原に立ち、
マシンコを弾き語るアズマリの姿は、
さながら孤高の吟遊詩人をイメージさせます。
エチオピア取材のテレビ番組などに登場する、
典型的な演出シーンですね。
現代のアズマリは、そんなオリエンタリズムの
「絵」が似合う存在ではなく、
バーの専属歌手として客に小金をせびる
芸人だったりもするわけですが、
地方ではいまでも、生活の営みになくてはならない
音楽職能民として機能しています。

そんなアズマリの伝統芸能の世界と
じっくりと向き合えるリイシューが、
『エチオピーク』シリーズ最新作の
第27集としてリリースされました。
エチオピアの伝説的人物という
テセマ・エシェテ(1876-1964)が、
1908~10年にベルリンで録音した、
エチオピア人初となる歴史的な音源集です。
当時テセマが録音した17枚のSPのうち、
現存する16枚分32曲が今回初復刻され、
2枚のCDに完全収録されました。

縦長のCDブックに収められた30ページに及ぶ解説を読んで、
下層芸人のアズマリとはまったく異なる人生を送ったテセマの生涯をはじめて知り、
ちょっとびっくりしてしまいましたね。

テセマはアズマリの父のもとに生まれましたが、父の死後、家が貧しかったため、
メネリク2世皇帝の宮殿内にあった孤児院に引き取られて青年期を過ごし、
これにより、テセマのその後の人生は、大きく変わることになります。

テセマは皇帝の命を受け、皇帝専属の運転手兼整備士となるため、
1908年、ドイツへと送られます。
ドイツから帰国してエチオピア初の自動車運転手となったことを皮切りに、
テセマは出世街道をひた走り、1916年には逓信大臣にまで登りつめます。
政界を離れた後は国内を探訪し、温泉資源の開発や水力発電所建設のための
ダム・サイト開発をてがけた実業家としても成功したんだそうです。

テセマはアラビア語、ドイツ語、フランス語、イタリア語も堪能で、
写真撮影を趣味にするなど、ハイカラな人でもあったようです。
詩人や彫刻家としての才能も発揮し、
CD表紙にはテセマが自身の彫刻作品とともに写っています。

テセマにとってアズマリとしての録音は、
ドイツ修業時のオマケのようなものだったのかもしれませんが、
それがまたエチオピアの歴史的録音となったのだから、すごい話ですね。

CDを聴くと、当時30代のテセマは、ゆったりとこぶしを回し緩急をつけながらも、
技巧的すぎない自然体な歌い回しをしているのが印象に残ります。
アズマリの父のもとに生まれたとはいえ、
アズマリとして正規の教育を受けたわけではないテセマの吟唱は、
いわゆる嘆き節やブルースと形容されるものと趣が異なり、
おおらかさとともに洗練された気品を感じさせます。
テセマのこぶし回しに身を任せていると、心の澱を洗い流されるようで、
ぼくには32曲、まったく聴き飽きることがありませんでした。

Tèssèma Eshèté "ÉTHIOPIQUES 27 : AZMARI TESSEMA ESHETE" Buda Musique 860192
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アフロ・ペルヴィアン・セッション ペーニャ [南アメリカ]

Pena.jpg

今年はペルーの当たり年ですね。
またまたアフロペルー音楽の注目の新録が出ました。

リリース元がちょっと変わっていて、辺境ファンクのコンピなんかを出している、
ミネアポリスのシークレット・スタッシュというインディ・レーベル。
レア・グルーヴ掘りのDJが主宰しているレーベルが、
なんでまた伝統的なアフロペルー音楽のセッションなんて敢行したんだろ。
そのあたりの事情はよくわかりませんが、タイトルが印刷された帯封を外すと、
木製ケースの中にライナーとともに、CDとDVDが納められているという、
やたらと凝った装丁になっています。

録音機材を抱えてリマ入りしたプロデューサーとギタリストが、
学校の教室や居間、バルコニー、公民館などといった場所で録音してきたのだそう。
ペーニャというのがこの録音のセッション名なのか、アンサンブル名なのか判然としませんが、
録音に参加したのは24歳から65歳までの音楽家たちで、
ギター・ソロやギターとカホンなどのインスト曲と、
弦楽器と少数の打楽器の伴奏による歌曲が半々ずつ収録されています。

先々月に書いたデ・ロンペ・イ・ロハのような濃厚なアフロペルー音楽ではなく、
もっと端正で、洗練された音楽性の内容となっているのが特徴でしょうか。
スキャットを交えながら歌う若い女性歌手によるフェステーホには、
都会的なセンスが強く感じられ、その素直で伸びやかな歌声は、
先日観たばかりのロベルタ・サーにも共通するイマドキの感覚が感じられますね。
インスト・ナンバーについても、
フィンガリングの美しい響きがひときわ印象的な7・15曲目のギター・ソロでは、
ぼくの大好きなブラジルのギタリスト、マルコ・ペレイラがふと思い浮かびました。

収録時間36分ほどのDVDの方は、このセッションのメイキング・ヴィデオで、
リマ滞在1週間の中身の濃い記録となっています。
居間やバルコニーなど、さまざまな場所での録音風景ばかりでなく、
レコード会社のマスターテープ保管庫を訪ねたり、
レコード・ショップで、ニコメデス・サンタ・クルースやペルー・ネグロのアナログを掘ったりと、
コレクターなら思わず、おおっと前のめりになってしまいますね。

CD未収録の見所としては、ロック・シンガーのミキ・ゴンザレスが登場するところでしょうか。
ミキはエレキ・ギターを手に、アフロペルー音楽の古いギター・スタイルと
現代とのスタイルとの違いを実演して見せてくれます。
ミキがアフロペルー音楽の伝統もちゃんと消化したミュージシャンだということを、
あらためて再確認しました。

ヴィデオ終盤のレストランでのパーティーのシーンでは、
男女二人のタップ・ダンスや、蝋燭をもって踊る男女のダンスのシーンが披露され、
プロデューサーの熱のこもった解説(英語です)とともに、
アフロペルー音楽の良き入門編としても楽しむことのできる、
充実したドキュメンタリーとなっています。

[CD+DVD] Peña "PEÑA" Secret Stash no number (2010)
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T・P・オルケストル・ポリ=リトゥモのベニン盤10CDパック [西アフリカ]

Poly Rythmo 10CD.jpg

ドイツのコレクター・レーベル、アナログ・アフリカのプロデューサー、サミー・ベン・レジェブが、
執念を燃やしてリイシューを進めているベニンのバンド、T・P・オルケストル・ポリ=リトゥモ。
そのアナログ・アフリカ盤に刺激を受けたのか、
ベニン本国でも10枚組のボックスがリリースされました。
いや、これは、ボックスといえるようなシロモノじゃないか。
紙パックに10枚のCDを詰め込んだだけのものなので、「10枚組パック」ですかね。

録音の数こそ異常といえるほど大量に残したポリ=リトゥモですが、
所詮はB級バンドですからねえ。CD1枚持ってりゃ十分ともいえます。
そんなバンドの10枚組なんてものに、手を出すべきかどうかだいぶ迷ったんですけど、
見逃したら二度とお目にかかれないかもと思い、フランスのコレクターを通じて入手しました。

で、ざっと聴き通してみましたが、やっぱりその音源は玉石混淆。
フロントを務める歌手のうまいヘタの差が大きく、演奏の出来不出来もかなり激しいですね。
迫力満点のグルーヴを聞かせたかと思えば、
チューニングもおぼつかないダメダメな演奏ぶりになったりと、これが同じバンドかと疑うほど。

ロック、ソウル、ファンク、ラテンと幅広い音楽性を持つバンドだけに、
残された音源にはまだまだ知られざる魅力があるかとも思いましたが、新発見はありませんでした。
新旧音源をアトランダムに並べているのも、聴きづらいものがあり、
解説なしという愛想のなさも、はなはだ残念です。
アナログ・アフリカ盤には、当時の関係者へ取材した調査にもとづいた解説と、
貴重な写真を盛り込んだブックレットが付いていただけに、見劣りするのは仕方ありません。

アナログ・アフリカ、サウンドウェイ、PAM未収録の初CD化曲が多数あるとはいっても、
よほどのポリ=リトゥモ・マニア以外、おすすめはできません、という詮無いお話でした。

Tout Puissant Poly Rythmo De Cotonou
"LA COLLECTION D’OR DU TOUT PUISSANT POLY RYTHMO DE COTONOU VOL1-10"
Top Showbiz no number
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新妻♡オーラ ロベルタ・サー&ペドロ・ルイス [ブラジル]

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いやー、可愛いかったねー。ロベルタ・サー。
歌い終わるたび、女性客から「カワイイー」の声が盛んに上がった、30日のリキッドルーム。
フロントに立つ伴侶のペドロ・ルイスとロベルタの二人からは、新婚ほやほやのオーラが出まくりで、
最前列かぶりつきで観てたぼくは、ロベルタの新妻♡オーラにあてられっぱなし。
いやー、いーもんですよねぇ、結婚まもない二人が仲睦まじくシアワセそうに歌う姿って。
ペドロのそばを、まるで小鳥のように跳ね回り踊るロベルタの姿は、可憐そのものでした。

なんだか最近のブラジル人女性って、ずいぶんイメージが変わりましたよね。
昔は20代後半や30過ぎになると、ほっそりとしたプロポーションにも、
肉食・ラテン系な風格がついてくるものだったのに、
ロベルタなんて、まるでティーンのようなシルエットを保ったまんまでしたもんねぇ。
同姓から「カワイイ!」の声が上がるくらいだから、おじさんたちの目もハートマークでしたよ。

ロベルタがデビュー作“BRASEIRO” で登場した時の素直な歌声は、
それはみずみずしく、鮮烈な印象を残したものでした。
いまだにぼくはロベルタのアルバムのなかで、このデビュー作が一番好きですけど、
ライヴでもロベルタの清楚な歌声は、まったく変わってませんでしたね。
ペドロ・ルイスとのスペシャル・ユニットのため、従来のサンバのレパートリーばかりでなく、
マラカトゥやフレーヴォなども快活に歌う、MPBシンガーとしての新しい面も聞かせてくれましたが、
その素直でまっすぐな歌いぶりは、デビュー当時のままでした。

ロベルタを見ていると、育ちのいいお嬢さんがそのまますくすくと、
素直に成長したっていう感じがします。
そんなロベルタを娶ったペドロは、まー憎たらしいですねえ。
だって、ペドロってぼくとあんまり歳が違わないんですよ。
97年にペドロがパレージを率いてデビューした時、
ヘルメットを被ったヤンチャな若者イメージで登場しましたけど、
その時すでにけっこういい歳だったんですよね。
ロベルタとは20歳差だっていうんだから、全男性を敵に回す所業てなもんでしょう。

でも、そのペドロも、以前のひょろっとした頼りない感じだったのが、
ゆとりあるオトナの男に変身していましたね。
ラヴ・ラヴなロベルタに、クールな振る舞いで接していた男っぷりは、なかなか頼もしかったですよ。
アルバムとは違う、新たな面を見せてくれたロベルタでしたけど、
アンコール最後に、ジェラルド・ペレイラの“Falsa Baiana” を
打楽器のみの伴奏でさらりと歌ってのけたのは、グッときましたねえ。
通のサンバ・ファンの頬をゆるませる、
伝統サンバを継承する若い世代の心意気が表れた、最高のフィナーレでした。

ロベルタがこれからも持ち前の素直さを失わないよう、成長していってほしいと思います。
才能ある二人の結婚が、さらに実りある作品へとつながるよう、そして二人とも末永くお幸せに。

20101130_Roberta Sa_Que Belo Estranho Dia Pra Se Ter Alegria.jpg20101130_Pedro Luis_E Tudo 1 Real.jpg20101130_Roberta Sa_Quando O Canto E Reza.jpg

Roberta Sá "BRASEIRO" MP,B 325912006592 (2004)
Pedro Luís e A Parede "ASTRONAUTA TUPY" WEA 063019483-2 (1997)
Roberta Sá "QUE BELO ESTRANHO DIA PRA SE TER ALEGRIA" MP,B 60251737398 (2007)
Pedro Luís e A Parede "È TUDO 1 REAL" WEA 398426833-2 (1999)
Roberta Sá & Trio Madeira Brasil "QUANDO O CANTO É REZA" MP,B 60252735733 (2010)
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