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お悔やみ シキル・アインデ・バリスター [西アフリカ]

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ナイジェリアの巨星堕つ。
フジの創始者シキル・アインデ・バリスターが昨年の12月16日、
ロンドンの病院で心不全のため他界されました。享年62。

シキルはここ3年ほど糖尿病の合併症に苦しんでいて、
ナイジェリア、インド、ドイツ、イギリスの病院を転々としていたようです。
昨年8月にも一度死亡説が出回ったことがあり、
その時はシキルの息子のバリー・ショウキーことラシード・アデワレ・バログンが
否定する声明を発表しましたが、今度ばかりはデマでありませんでした。

21世紀に入ってから、シキルはお世辞にも好調とはいえないアルバムが続いていましたが、
08年の“IMAGE & GRATITUDE” は、久しぶりに目の覚めるような快心のアルバムでした。
いつになく力みのとれたヴォーカルで抑制の効いたメリスマを駆使し、
バック陣の好演もあいまってシキルの底力を見せつけていただけに、
あのアルバムが遺作となってしまったとは、残念でなりません。

ぼくが初めてシキルを知ったのは83年、
最初に聴いたのが“E SINMI RASCALITY”(82)でした。
パーカッション・アンサンブルのどす黒いヘヴィーなビートにのる、
のた打ち回るようなシキルのヴォーカルに、いっぺんで金縛りとなってしまいました。
シキルの諸作の中では、“E SINMI RASCALITY” はそれほどの傑作ではありませんでしたが、
それでも最初聴いた時の衝撃は、相当なものがありました。

当時はサニー・アデがイギリスのアイランドと契約して世界的なブームとなり、
ジュジュばかりでなく、さまざまなヨルバ・ミュージックを
大量輸入されたナイジェリア盤によって知ることができました。
ぼくはサニー・アデなどのジュジュよりも、
シキル・アインデ・バリスターのフジやアインラ・オモウラのアパラといった、
いっさいの西洋楽器を使わずに、パーカッションのみのバックで歌われる
イスラーム系のヨルバ・ミュージックに夢中になりました。
当時アインラ・オモウラはすでに故人となっていましたが、
シキルは年3~4枚のアルバムをリリースする絶頂期で、
次々と送られてくる新作を、どきどきしながら聴いていたものです。

歴史の古いジュジュと違って、フジはシキルが生み出した音楽であり、
アフロビートを生んだフェラ・クティ同様、シキルはナイジェリア音楽の偉大なクリエイターでした。
国際的にみれば、シキルの知名度はフェラ・クティの十分の一もないでしょうが、
ナイジェリアのポピュラー音楽史において、
シキル・アインデ・バリスターがフェラ・クティと肩を並べる人物であったことは、
ぜひ記憶にとどめていただきたいと思います。

富士山の写真を見て、みずからの音楽にフジと命名したシキル。
日本でライヴをお披露目することはかないませんでしたが、
一度お忍びで来日した時、富士山を見れたのはせめてもの慰めでした。
できれば富士山の眺望の良い場所に、シキルの墓標を建ててあげたい。
そんなことを思うのはぼくだけでしょうか。

【参考アーカイヴ】
シキル・アインデ・バリスターのCD 【アフリカン・ソングス時代(1970s)】
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-06-25
シキル・アインデ・バリスターのCD 【シキ・オルヨレ時代(1978~1996)】
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-06-27
シキル・アインデ・バリスターのCD 【バリー・ブラック・ミュージック時代(1998~)】
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-06-29

"IMAGE & GRATITUDE" Barry Black Music no number (2008)
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