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絶望に寄り添った唄 浅川マキ [日本]

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ぼくが浅川マキを知った時、その存在は寺山修司の文学や演劇が発する新宿文化と
切っても切れないイメージの歌手として、十分に神格化されていました。
全共闘世代を批判的に見ていた、ひと回り下の世代のぼくにとっては、
浅川マキはもっとも苦手とする存在でもありました。

世間から過剰に意味づけされた音楽を、
聴く前から遠ざけてしまうのは、ぼくの悪い癖ですけど、
そんなぼくでも、人生の大事な一枚に数える浅川マキのアルバムがあります。
それが74年に出た彼女の6作目にあたる『MAKI Ⅵ』。
ぼくが持っている浅川マキのアルバムは、ゆいいつこれだけです。
山下洋輔がバックを務めていたので、それならと聴いてみたんだと思いますけど、
1曲目の「わたしの金曜日」を聴くなり、ぽろぽろと涙が止まらなくなり、
そのまま嗚咽が止まらなくなってしまったことは、いまでも忘れられません。

それは、高校三年になったばかりの春でした。
中学の頃から付き合っていた恋人を、突然の交通事故で失い、
茫然自失となっていた時のことです。
そのあまりに大きな喪失の現実を、ぼくは受け止めることができず、
抜け殻のような日々を送っていました。
そんな時に出会ったのが、このアルバムです。
ぼくはこのアルバムに、どれくらい救われたか、わかりません。

浅川マキの唄は、抱えきれないほど大きな絶望を背負ってしまったぼくに、
優しく寄り添ってくれました。
かけがえのない人を失ったショックを癒やすまでには、なお多くの時間を必要としましたが、
その長い快復の道のりをずっと共にしてくれたのが、浅川マキの唄だったのです。

その後、過去の浅川マキのアルバムもさかのぼって聴いてみましたが、
どれも演劇的な臭みが鼻につき、以後の新作は聴かないままとなってしまいました。
このアルバムだけ、ぼくの心に彼女の唄が染み入ったのは、
山下洋輔トリオ・プラス稲葉国光によるジャズ演奏が、
余計な文学臭を洗い流したからだと思います。

浅川マキの唄には、不思議な魅力があります。
メロディーがあるのかないのかわからない、ポエトリー・リーディングにも近いつぶやき。
熱烈なファンが「私の浅川マキ」と表現するのもうなずける、
自分のために歌ってくれていると聞き手に思いこませる、歌芸者ぶり。
70年代前半、ジャズを文学的に語りたがる「オレのコルトレーン」的言説を、
ぼくは思いっ切り嫌悪してましたけど、自分も『MAKI Ⅵ』にのめりこんだ経験から、
全共闘世代特有の音楽の接し方というか、その心持ちが少しは理解できましたけども。

浅川マキが生前、初期オリジナル・アルバムのCD化を頑迷に拒んでいたため、
『MAKI Ⅵ』のCD化も実現しないものと諦めていましたが、
今回の一挙CD化は、浅川マキ・ファンでないぼくにとっても、無上の喜びです。

浅川マキ 「MAKI Ⅵ」 EMI TOCT27046 (1974)
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