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ソマリとアムハラのルーツをみつめて サバ・アングラーナ [東アフリカ]

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サバは、イタリアで活躍する美人女優さん。
非常に複雑な出自を持つ人で、08年のデビュー作以降、
自身のルーツを掘り下げるアルバムを作ってきましたが、
名義をサバ・アングラーナと変えた4作目にあたる新作は、
ルーツをたどる旅のひとつの成果を示す、充実作に仕上がりました。

サバは70年11月17日、ソマリアの首都モガディシュの生まれ。
当時のソマリアは、69年にシアド・バーレ少将がクーデターを起こし、
ソマリア民主共和国へと国名を変えたばかりでした。
サバが生まれたのは、社会主義国家を宣言し、
ソマリ社会主義革命党の一党独裁体制が敷かれた翌月のことです。

お母さんは、ソマリアからエチオピアに亡命した
ソマリ人両親のもとに生まれたソマリ系エチオピア人。
お父さんは元イタリア軍人で、第二次世界大戦当時、
イタリアがソマリアを占領していた時代にソマリアへ従軍し、
戦後ソマリアに移住したという人でした。

複雑な家庭環境のもとに、サバは生まれたわけですけれど、
その後、父親が元イタリア軍人ということでスパイ嫌疑をかけられ、
家族全員イタリアに追放されるという悲劇が、サバ一家を襲います。
こうしてサバは少女時代からイタリアで暮らし、
大学では芸術史を学び、やがて女優へと成長していったのでした。
役者として活躍するかたわら、みずからのライフ・ストーリーを辿るように、
音楽活動にも力を注いできたんですね。

特に、母親が生まれ育ったエチオピアに深い関心を寄せ、
サバの音楽パートナーでプロデューサーのファビオ・バロヴェーロとともに、
09年アディス・アベバへ赴き、伝統音楽家とコンテンポラリー系のミュージシャンなど、
幅広い音楽家たちと交流を図っています。

そうした成果は、10年作の“BIYO” にも反映されていましたが、
まだ汎地中海サウンド的なポップスとして抽象度の高いサウンドで、
サバのルーツに刻印されたエチオピアを、よりくっきりと具体的な形で
表せるようになったのが、今作といえます。

サバはソマリ語のほか、母親の母語であるアムハラ語でも歌い、
録音もイタリアのトリノのほか、アディス・アベバでも行われています。
アディス・アベバでの録音で全面的に協力しているのが、
エチオピアン・ダンサーとしての枠を超え、
エチオピア文化のプロモーターとして活躍するメラク・ベライ。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-06-22

アディス・アベバ録音はメラク・ベライのグループ、フェンデイカのアズマリ・ベットで行われ、
フェンディカのクラール、マシンコ、コーラスも参加しています。
キレのあるパワフルなエチオピアン・ロックにアレンジした3曲目は、
本作最高の聴きもの。渾身の力を込めたサバの歌いっぷりが胸に迫ります。

サバの音楽監督を務めるファビオ・バロヴェーロは、
今作でもプロデュース、アレンジ、作曲を担当し、アコーディオンとピアノを弾いていますが、
エチオピア・セッションが刺激となったのか、従来以上に練られたサウンドを生み出していて、
アムハラのリズムでマシンコのようにベースを弓弾きした9曲目など、その成果でしょう。

正直これまで、サバの歌に対する思いが
歌唱力に追い付いていない印象をぬぐえなかったんですけれど、
今作での切実な歌いぶりは、聴く者の胸を揺さぶるものがあります。
ベースのみの伴奏で歌ったティジータが、その象徴です。
サバの本作の企画に対する思いとサウンド・プロダクションが見事に結実して、
聴き応えのある作品に仕上がりました。

Saba Anglana "YE KATAMA HOD" Felmay fy8229 (2015)
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