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音楽はわからなくていい ランディ・ニューマン [北アメリカ]

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ランディ・ニューマンの新作が出ましたね。

新作が出れば必ず買うという人は、
とうとう、ランディ・ニューマン一人だけになっちゃったなあ。
ダン・ヒックスは亡くなってしまったし、
ライ・クーダーはとっくに聴くのをやめてしまったし。

ランディ・ニューマンを初めて聴いたのは、
高校1年の時の74年作“GOOD OLD BOYS” でした。
アクのある声で、独特の歌い回しをするその語り口に、すぐさまトリコとなり、
“GOOD OLD BOYS” は、ボビー・チャールズやダン・ペン、
ダン・ヒックス、ザ・バンドの『南十字星』同様、
ぼくにとってかけがえのない、生涯の愛聴盤となりました。

相変わらず、ニューマンが何を歌っているのかなどは無頓着に、
「あの」声で歌われる、クセのある語り口、
いわばニューマン節といったものに魅せられて、聴き続けているわけなんですが、
今回は「セリア・クルース」だとか「サニー・ボーイ」など、
聞き捨てならない言葉が、歌詞にやたらと出てきます。
まあ、気にはなるところではあるんですけど、
それでも、歌詞カードを読もうとは思いません。
読んだところで、ニューマンの難解な世界がわかるわけでなし、
仮に少しわかった気になったとて、感動が変わるわけじゃありませんからね。

ニューマンの音楽に限らず、世界中の音楽を聴く自分にとって、
歌詞に頓着しないのは、音楽を聴くうえで大前提となっています。
歌詞なんかどうだっていい、というとやや言い過ぎになりますけれど、
音楽を聴いて感動するのは、ぼくの場合、「サウンドの快楽」であって、
歌詞の意味や、文学的な意味性などにはありません。
歌だけでなく、バラッドや義太夫といった語りものですら、そうです。
エディット・ピアフを評してだったか、
「電話帳を歌っても感動する」という表現が、ぼくにはピタッときます。

ところが、ぼくが音楽を聴き始めの70年代初めの頃というのは、
「ブルースがわかる」だとか「コルトレーンがわかる」とかいったように、
やたらと精神論で音楽を語ったり、哲学的な語り口で過剰に意味付けする、
教養主義的な風潮がとても強かったんです。
メンドくさい時代だったんですよ、70年代って、ホントに。

「わかる」というワードは、おそろしいというか、都合のいいもので、
深い理解や洞察を語っているつもりが、いつのまにか自家中毒を起こして、
独りよがりの歪んだ愛情を文章にしているのにすぎないものが多くて、
ウンザリしたものです。

だから、ぼくにすれば、「音楽なんてわかる必要はない」。
どれだけ感じ取れるか、どこに感動したのか、どう自分が受け止めたのかが大事。
受け止め方は、人によって千差万別で、ひとつじゃない。
受け止め方を人に強制する必要もなければ、強制されるいわれもない。
自由に受け止めていい。そこにこそ、芸術の意味がある。ずっとそう思ってきました。

これって、音楽じゃなくて、絵画、写真、文学に置き換えてみれば、わかりやすいはず。
「絵がわからない」とかいう人、よくいるじゃないですか。
それは、絵を教養のように思い込んでいるからですよね。
絵なんて、「わかる/わからない」じゃなくて、「感じるか/感じないか」でしょう。
音楽だって、文学だって同じです。教養なんかじゃありません。
もっと気楽に接すればいいだけの話、娯楽だと思えばいいんです。

今でこそ、こんなこと当たり前で、何はばかることなく口にできますけれど、
70年代には、そんなことを言える時代の空気はなかったんですよ。
そんなことを言えば、ケーハクなヤツと見下されること必至でしたからねえ。
80年代のバブルが、それを蹴散らしたのかもしれませんね。

Randy Newman "DARK MATTER" Nonesuch 558563-2 (2017)
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