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親指ピアニストの朗らかなアフロ・ポップ ルーレンド [南部アフリカ]

Lulendo  MWINDA.jpg   Lulendo  À QUI PROFITE LE CRIME.jpg
Lulendo  ANGOLA.jpg   Lulendo  LIVE SESSIONS.jpg


パリで活動しているアンゴラ人ディアスポラの親指ピアニスト、ルーレンドの新作です。
前作から10年ぶり、ずいぶんと長いインターヴァルでのリリースですが、
日本盤が出るのは今回が初めて。こりゃあ、めでたい。

拙著『ポップ・アフリカ800』に、01年のデビュー作を載せた時は、
ルレンドと書いたんですが、ライスのリリース・インフォメーションにルーレンドと記され、
こちらのカナ読みが正しいことに、いまごろ気付きました。
おわびして訂正させていただきたいと思います。

デビュー作は、ルーレンドが書くメロディアスな楽曲を、
彼の親指ピアノをベースに、ビリンバウやタマ、ンゴニを演奏するパーカッショニストや、
その他メンバーがニュアンス豊かなリズムで彩っていました。
センバといったアンゴラ色はあまり感じさせず、
ルーレンドのソフトな歌声が、繊細な感性をよく伝えるアフロ・ポップ作でしたね。

一方、セカンドは、がらっとメンバーを変え、ドラムスにキーボード、ギター、
打ち込みも取り入れて、エッジの立ったポップ・サウンドに変貌し、
デビュー作の良い意味でのナイーヴな感触は、だいぶ減ってしまいました。
サックスやヴァイオリン、ペダル・スティールなどのゲストも加わって、
サウンドが華やかになり、ルーレンドも歌に専念する曲が多くなり、
親指ピアノを弾く曲が少なくなってしまいました。

3作目は、セカンド作と同じメンバーのリズム・セクションとギターに、
ルーレンドの4人というシンプルな編成で、
観客を入れずにライヴ・セッションしたアルバム。
レパートリーは2作収録曲の再演で、やはりセカンドからの曲は歌のみになっています。

そして10年ぶりの新作は、なんとトニー・アレンがゲストで2曲ドラムスを叩いています。
プロデュースとアレンジは、トニー・アレンのバンドでギターを弾いている
カメルーン人のインディ・ディボング。その縁でトニーを呼んできたというわけか。
トニー・アレンばかりでなく、トニーの新作で大活躍だったサックス奏者、
ヤン・ジョンキエレヴィックスも呼ばれていて、
テナー、アルト、バリトンに加え、トロンボーンも吹いています。

原点回帰して、デビュー作同様、ルーレンドの親指ピアノをメインに据えたところが、いい。
時にエフェクトを施しつつも、コノノのようにやりすぎることはありません。
トニー・アレンともう一人のドラマーも共通して、
ビートが丸っこくふくよかで、ルーレンドの音楽性との相性はばっちり。
管楽器を効果的に使いながら、鍵盤などで音を塗り固めないヌケのいいサウンドで、
ルーレンドらしい朗らかなアフロ・ポップに仕上げています。

ルーレンドが弾く親指ピアノは、過去3作ではリケンベとクレジットされていましたが、
今回の新作では、キサンジと書かれています。
リケンベはコンゴ民主共和国で広く見られる名前ですが、
キサンジはアンゴラでの一般的な名称で、チタンジと呼ばれることもあります。
リケンベもキサンジも構造としては、くりぬいた本体に蓋をして共鳴空間を作ったもので、
同じタイプの親指ピアノです。

コンゴ民主共和国にも、アンゴラ国境付近にイサンジと呼ばれる親指ピアノがあるので、
同系の民族による名称なのかもしれません。
ルーレンドもアンゴラ北部マケラ・ド・ゾンボ出身の
コンゴ人(国籍ではなく民族名)の家系ですからね。
祖父からコンゴの儀式を受けてから、
親指ピアノのテクニックを習ってきたという人であります。

Lulendo "MWINDA" Buda 5767421 (2017)
Lulendo "À QUI PROFITE LE CRIME?" Nola Musique 82220-2 (2001)
Lulendo "ANGOLA" Nola Musique 3017263 (2005)
Lulendo "LIVE SESSIONS" Nola Musique NM107 (2007)
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キルギスへのイントロダクション オルド・サフナ、グルザダ [中央アジア]

Ordo Sakhna.jpg   Gulzada  TOLGONUU.jpg

キルギス音楽、初体験。

日本口琴協会の直川礼緒さんの招きで、
キルギスの伝統音楽グループがやってくるというので駆け付けた、
11月24日高輪区民センター。
05年に愛知万博で来日したというオルド・サフナは、今回が2度目の来日だそう。

長棹で3弦の擦弦楽器コムズ3人と胡弓クル・クヤック、
チェロに似たバス・クヤックの弦楽器5人に、笛が2人と
ジェンベ2台、バス・タム、木魚、シンバルを並べたパーカッションの8人編成。
弦楽器の5人は、持ち替えで口琴も演奏します。

オープニングは、キルギスに伝わる英雄叙事詩を吟じる語り物が披露されました。
マナスチと呼ばれる語り部のおじさんが吟じるんですが、これがなかなか野趣があって、
味わい深いものでした。言葉がわからないと外国人にはきついからか、
冒頭1曲しかやってくれませんでしたけれど、もっと聴いてみたかったですね。

オルド・サフナの演奏は、しっかりとディレクションされたもの。
笛のハーモニーや弦楽器のアンサンブルは、かなり計算されたアレンジが施されていて、
これ、譜面に落としてあるんじゃないかと思えるような曲もありました。
伝統音楽といっても、素の民謡といったものではぜんぜんなくて、
伝統音楽の要素を精緻に再構築したグループという感じ。
そのせいか、その洗練された演奏は、映画音楽のようにも聞こえましたね。

00年のデビュー作CDも、キリル文字がいっさい書かれておらず
グループ名もタイトルも、すべてアルファベット表記。
バイオや楽器解説などすべて英語で書かれていることからもわかるとおり、
外国人向けに制作されていることがわかります。

コムズの3人がすごい業師たちで、それぞれ曲弾きをするのは、
なかなかの見ものでしたよ。
弦の指さばきに、3人それぞれ個性があって、
エッジの立たない柔らかなナイロン弦の響きを粒立ちよく弾く者あり、
弦を弾いた指でわざとボディにあたるような弾き方をする者など、
個性豊かな奏法にも目を奪われました。
ボディを指で叩くパーカッションのような奏法を交えたり、タッピング奏法使いなど、
あらん限りの技を繰り出すこと、繰り出すこと。
しまいに楽器を肩に載せたり、顔にあてたまま弾いたりと、見せ場を作っていました。

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そして、ゲストとして登場した女性歌手のグルザダが、スゴかった。
最初に歌ったア・カペラのスケールの大きな歌いぶりに、ノックアウトをくらいました。
歌に込められたエナジーがハンパなくって、
歌を聴いているのに、まるでコンテンポラリー・ダンスの
ソロ・パフォーマンスを観ているような錯覚に陥りましたね。
いや、この人、タダもんじゃないぞとドギモを抜かれ、
家に帰って、14年に出したというデビュー作を聴いてみましたが、
これがまたすごい力作です。

伝統音楽をベースとして、オルタナティヴなニュアンスもある、
モダンなサウンドにデザインされたプロダクションが見事。
このままインターナショナルに通用するレヴェルで、
トルコやギリシャのオルタナティヴあたりと親和性がありそう。
サラーム海上さんや松本晋也さんに聞かせてみたい、なんてことも頭をかすめました。

キルギスのもっとディープな民謡やポップスを
聴いてみたいという欲望にかられた、刺激的な一夜でした。

Ordo Sakhna "THE MUSIC OF THE LEGENDS" Ordo Sakhna no number (2000)
Gulzada "TOLGONUU" Gulzada no number (2014)
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エレクトロ・ソンガイ レイラ・ゴビ [西アフリカ]

Leila Gobi  2017.jpg

お! 今度はフィジカルも出るのね。
インターナショナル・デビュー作として、
クレアモント・ミュージックからリリースされたレイラ・ゴビの前作は、
500枚限定LPと配信のみのリリースでしたけれど、
セカンドはCDもリリースされるというインフォメーションに、楽しみにしていました。

レイラ・ゴビは、マリ東部メナカ出身の女性歌手。
これまでさまざまなマリの歌手のバックアップ・ヴォーカリストとして活動し、
10年に自身のグループを率いてソロ活動を始めたという人です。
本作は、ソンガイ語とタマシェク語で歌った曲が半々となっています。

メナカ出身ということは、レイラはソンガイ人なのでしょうか。
そういえば、トンブクトゥ出身のソンガイ人歌手ハイラ・アルビーも、
ソンガイ語、タマシェク語両方で歌いますよね。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-09-21
トゥアレグの歌手はタマシェク語でしか歌いませんけれど、
ソンガイの歌手って、多言語使いが多いですよね。
アフェル・ボクムやママドゥ・ケリーも、
ソンガイ語、プール(フルフルデ)語、バンバラ語で歌うし。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-06-20
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-10-03

レイラは、鼻にかかったハイ・ピッチのクセのある声に特徴があり、
エレクトリック・ギター、ベース、カラバシの3人をバックに歌っています。
バマコでレコーディングされたベーシック・トラックに、
エレクトロなサウンドを加味したいというレイラの希望で、
マリ国内では機材や電力事情に問題が多いことから、
ロサンゼルスで打ち込みが加えられ、ニュー・ヨークでミックスされました。

ベーシック・トラックに寄り添うように施された打ち込みは、
見事に3人の伴奏に溶け込んでいて、
デヴィッド・ハーローという人、なかなかの手腕ですね。
ギターの旋回するフレージングを補うシンセ音を加えたり、
ベース・ラインを強化したりと、ソンガイ音楽の構造をよく理解した
プロダクションを作り出しています。
存在感をくっきりと示しながらも、
主役以上にでしゃばらず、やりすぎとならない、いい仕事ぶりです。

なんか、これに似た名作が昔、ありましたよね。
そう、「テクノ・イサ」の異名を取った、
ワスルの男性歌手イサ・バガヨゴの“SYA” です。
あのアルバムほどには打ち込みが自己主張していないぶん、
テクノ度は低いけど、それだけにこなれたエレクトロ・サウンドが楽しめます。

Leila Gobi "2017" Clermont Music CLE019 (2017)
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音楽を引き立てる音響の快楽 細野晴臣 [日本]

細野晴臣 Vu Jà Dé.jpg

細野晴臣の新作が、とんでもない。
オープニングからして、スリム・ゲイラードの“Tutti Frutti” なんだから、
いきなりニヤニヤが止まりません。いかにも細野さんらしいカヴァーと思ったら、
ご本人曰く、レオ・ワトソンのヴァージョンを、最近知ったばかりというのだから、
意外や意外。スリム・アンド・スラムのオリジナルは聞いたことがないんだそう。

で、「とんでもない」のは、そういうカヴァー曲云々てな話じゃありません。
この録音の良さ、なんなんすか!
目の前に飛び出てくる、細野の歌声。
手を伸ばせば、ギター抱えて歌っている細野の顔を触れるんじゃないかってほど、
まぢかに感じることのできる録音。このナマっぽい音は驚異的です。

ヴォーカルは、SP時代の音質を追及したようなミックスをしているし、
バックの演奏の音録りは、アナログのような温かみに溢れ、
これがデジタル録音とは、にわかに信じられないほど。
ブラシのスネアなんか、50年代のブルー・ノートみたいな音をしてるじゃないですか。
アコーディオンやペダル・スティールの響きに、脳がトロけます。

細野が表現するノスタルジックな音楽を、もっともふさわしい音響で演出していて、
音響が音楽をこれほど引き立てているのは、ここ最近聴いたおぼえがありません。
これは、単にアナログぽい音をねらったとかのレヴェルを完全に超えた、
音楽の快楽を音響の面から追及したレコーディングです。

ところが、このアルバムの特集を組んだ、
『ミュージック・マガジン』の今月号の記事を読んでも、音響に関する言及がほとんどなく、
「録音そのものは抜群にいいけど」なんて、軽いコメントで済まされちゃっていて、
おいおい、聴きどころ、まつがってないか、みたいな思いがふつふつと。

ぼくは、録音や音響といったことにあまり興味のない方なんですけれど、
それは、ナカミの音楽とは次元の違う、
純技術的なエンジニアリングの側面ばっかりが、語られるからなんですよね。

デジタルの時代になって、「音の良さ」というものが、エンジニアリング一辺倒で語られ、
音楽家と技術者の間に、壁ができてしまったように感じるんですよ。
肝心の音楽を聴かず、勝手に技術面での音の良さを競い合っているみたいな
違和感を感じるのは、ぼくだけですかね。
音の定位のありかたなど、その音楽を生かす音響という観点から、
レコーディングやミックスを練り上げた最良の例が、このアルバムなんじゃないでしょうか、

事実、このアルバムでゆいいつ違和感を感じるのが、84年と87年に録音した2曲で、
ミニマルを追及していたアンビエント期に録音された、このエッジの立った音は、
他のトラックとあまりに異質です。

音楽と音響の調和という問題は、その好例と悪例が、
細野さんのかつての名作で、すでに実証されているじゃないですか。
音楽と音響がベスト・マッチングだった『泰安洋行』に対して、
『はらいそ』は、デジタルな音質が音楽を台無しにしていましたよね。

かの名作を傷つけたくない配慮からなのか、
なぜかこの問題はあまり話題にされることがありませんが、
『はらいそ』の録音が、音楽とミス・マッチだったことは、みんな内心感じてきたはず。
ぼくには新作『Vu Jà Dé』が、『はらいそ』のリヴェンジに聞こえ、
快哉を叫びたくなるんですよ。

細野晴臣 「Vu Jà Dé」 スピードスター/ビクター VICL64872~3 (2017)
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「マイ・ウェイ」新解釈 フェイルーズ [西アフリカ]

Fayrouz  BEBALEE.jpg

アラブ世界を代表する孤高の女性歌手、フェイルーズの新作。

正直、聴くのにためらいがなかったといえば、嘘になります。
思えば10年の前作“EH FI AMAL” の時点で、すでに75歳。
その年齢が信じられぬ官能に溢れた歌声が、奇跡的なアルバムでしたけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-12-18
今度の新作は15年録音。あれからさらに5年を経ていて、
誕生月より後のレコーディングであれば、80歳になるわけです。

自分が愛した女性歌手の衰えた歌声を聴くのは、辛いもの。
さすがのアマリア・ロドリゲスも、亡くなる前の歌声は衰えていたし、
それでも80を数える前だったんですよね。
サラ・ヴォーンが亡くなったのは66歳で、70にもなっていなかったんだっけ。
80過ぎた女性歌手というと、アルバータ・ハンターくらいしか思いつきませんが、
カムバックしたアルバータの声は、老女そのものでした。

あ、いや、一人だけスゴい人がいましたね。
百歳で亡くなったお鯉さん(多田小餘綾)。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-08-23
99歳のラスト・レコーディングまで、
お世辞抜きに艶やかな美声を聞かせた、驚異の歌い手さんでした。
そうか、お鯉さんを考えれば、フェイルーズだって、と思い返し、
気を取り直して聴いてみて、ひと安心しました。

声量は落ちているし、音域も低くなって、昔のような美声というわけにはいきません。
それでも、無理をしない唱法、のどに負担をかけない、
ゆっくりとおしゃべりするような歌い方で、老いをカヴァーし、
衰えたという印象を残さない歌いぶりは、さすがです。
クール・ビューティな歌唱も不変で、さすがはアラブ世界を代表するディーヴァです。

本作は、カヴァー・アルバムということで、
「蛍の光」「イマジン」「追憶」「ベサメ・ムーチョ」
「アルゼンチンよ、泣かないで」といったレパートリーが並んでいるんですが、
「マイ・ウェイ」を取り上げているのが、聴く前の一大懸念。
うわ~、なんでまたこんな曲を取り上げんのかなあ。
あの歌、だいっキライなんですよ。

フランク・シナトラのあの大仰な歌いぶりも、
死期を前にした大スター歌手が過去を振り返り、
みずからの人生を自画自賛して歌い上げるっていう歌詞も、
いい気なもんだねとしか思えないもんでねえ。
もっともこの歌を最初に聞いたのは、
歌詞の意味も知らない小学生の頃で、
その時から嫌悪感をおぼえたのは、
メロディや歌いぶりにイヤらしさを感じたからなんですけどね。

その後、あらためて歌詞の意味を知り、
成功を収め、名声を得た大歌手が、こんな歌詞を大上段に構えて歌うのって、
アメリカ人てのは、ずいぶん慎みのない人種なんだなと、子供ごころに思ったもんです。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「おごらず、たかぶらず」な道徳観を持つ日本人にすれば、
こういう歌詞に違和感持って当然だろと思ったら、そんなのは自分だけで、
感動したという人や、カラオケで歌いたがるご仁の多いことに、ア然。
卒業式で歌わされたりと、ずいぶんイヤな思い出があります。

で、その「マイ・ウェイ」を大歌手フェイルーズが歌っているわけなんですが、
こんな弱々しい「マイ・ウェイ」を聴いたのは、初めてです。
自分の歌手人生を、誇らしげに歌い上げるどころか、
サビで音程がゆらぐほど不安定に歌っていて、
それがかえって、すごく愛おしく聞こえ、びっくりしてしまいました。
この曲を、こんな風に歌うこともできるんですねえ。

そうか、この歌詞も、成功した歌手が歌うからシラけるんであって、
ヒット曲が1曲もないような、無名のままに終わった歌手が、
ぼそぼそと歌うのなら、真実一路を求めた人生の味わいが出るってもんだよなあ。

それでは、大歌手のフェイルーズが、
これほどか細く、自信なげに「マイ・ウェイ」を歌ったのは、なぜなんでしょう。
それはこの歌を、ちっぽけな個人の人生に還元して自己満足するのではなく、
生まれ育ったベイルートの街や祖国レバノン、さらに自分を愛してくれたアラブ世界に、
この歌を還元して歌っているからなのではないでしょうか。

これはまったくのぼくの空想ですけれど、
アラブを代表する歌手としての責任を、一身に引き受けてきた重みが、
フェイルーズにこんな歌い方をさせているように思えてならないんですよ。
傷ついた祖国や、いまだ平和と安定が約束されない、
アラブの庶民の苦しみを思う悲しみの深さが、勇ましく堂々と歌うのをよしとせず、
これほど弱々しい「マイ・ウェイ」を生み出したのだと、ぼくは勝手に解釈しています。

Fayrouz "BEBALEE" Fayrouz Productions/Decca/Universal 5777817 (2017)
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エチオピアン・ポップのリリース事情 エスバルウ・ユタイェウ・イェシ [東アフリカ]

Esubalew Yitayew (Yeshi)  TIRTAYE.jpg

エチオピアの男性歌手の新作で良かったのは、エスバルウ・ユタイェウ・イェシ。
85年生まれで、今年リリースした本作がデビュー・アルバムとのこと。
カラッと明るい、いい声の持ち主ですね。
伸びのあるソウルフルな歌いぶりがすがすがしく、好感が持てます。
やわらかに回るこぶしも、若々しくていいじゃないですか。

プロダクションは、エチオピアン・ポップの標準仕様とはいえ、
メリハリの効いたアレンジが、バラエティのある曲調を華やかに彩り、
いわゆる金太郎飴的サウンドからは免れています。

レパートリーがなかなかユニークで、
冒頭、マーチのリズムで始まるのには、意表をつかれました。
♪ エチオピアなんたら ♪ という歌詞も出てくるので、
愛国的なメッセージのある曲なのかな。
バックで、ワシントやサックスが控えめに、
エチオピアのフォークロアなメロディを吹いているところも、そんな演出を感じますが、
テディ・アフロみたいなわざとらしさはありません。

ほかにも、ア・カペラのドゥー=ワップが出てきて、びっくり、
エチオピアン・ポップで、ドゥー=ワップを聴くのは初めてですね。
なかなかシャレた仕上がりで、従来にないセンスのプロデュースが光ります。

ところで、エチオピアン・ポップ・シーンで不思議なのは、
次々と新人がデビューするわりに、2作目がなかなか出ないことでしょうか。
新人に限らず、中堅やヴェテランも、なかなかコンスタントに作品が出ません。
デビューする歌手の多さは、層の厚さの表われですけれど、
ある程度有名になったあとは、CDよりライヴで稼ぐようになってしまうのかなあ。
なんせ、大御所のマフムード・アハメッドやアレマイユ・エシェテも、
現役バリバリで歌っているくせに、CDはまったく出ないもんねえ。
それが少し残念であります。

Esubalew Yitayew (Yeshi) "TIRTAYE" Sigma no number (2017)
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コンテンポラリー・エチオ・ポップ良作 ヘレン・ベルヘ [東アフリカ]

Helen Berhe  ESKI LEYEW.jpg

あいかわらず、エチオピア現地盤のリリースは活発なんですけれども、
どうもここのところ、ぱっとした作品がないんですよね。
良かったのは、この春に出会ったジャズ・ギタリストのギルム・ギザウくらいかなあ。
エチオ・ジャズ新世代によるユニークな良作なんですけど、
日本に入ってこないのが残念です。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-03-04
一方、歌モノは、良くも悪くも、ソツなくできた平均的作品ばかり。
これは!という作品がなくて、どうも取り上げにくいんですよね。

人気絶頂のテディ・アフロは、社会派なメッセージ・ソングが、
どうにも見え透いていて、ぼくは買えないんですが、現地じゃ大ウケですね。
その昔、ナイジェリアにソニー・オコソンというメッセージ・ソングを商売にした
インチキ野郎がいたっけねえ。ソニー・オコソンみたいなヤツって、
その後も、ちょこちょこ出てくるよなあ。
自分の国の民族問題すら解決してないくせ、
足元の問題はヤバイので触れずに、「アフリカ・ユナイト」だのと、
オタメごかしのメッセージを歌うヤツくらい、信用ならんのはいませんよ。

メッセージ・ソングを売り物に、現地で支持されているからって、
外国人がそれに追随する必要なんてありません。
最近の日本の音楽ジャーナリズムは、批評の視点が欠けてるんじゃないのかな。
あちらで人気があるからって、ただそれを礼賛したってしょうがないんだけど。

おっと、話が変な方向にそれちゃいましたが、
そんな不満を抱えていたエチオピア新作で、珍しく耳がピクンと反応したのは、
ヘレン・ベルヘという新人女性歌手の2作目。
オープニングは、アバガス・キブレワーク・シオタ・マナーの
コンテンポラリー・サウンドで、ああ、またかといった感じだったんですけれど、
2曲目、3曲目と聴き進めていくうちに、エレクトロR&Bあり、
人力ドラムスに管楽器入りの生演奏ありと、サウンドの振り幅は大。
シオタのほかに3~4人がプロデュースを手がけているようで、
個性豊かなカラフルなサウンドに、すっかり魅せられたんでした。

なかでも耳を奪われたのが、マンドリンをフィーチャーした3曲目の“Yene Konjo”。
エチオピアでマンドリンを弾く人いえば、
かの名門インペリアル・ボディガード・オーケストラの
アイェレ・マモしか知らないんですけれど、あのレジェンドが弾いているんでしょうか !?
たまたま本作と一緒に入手した、新人男性歌手アディス・グルメサのデビュー作
“YAN GIZE” のライナーに、マンドリンを弾いているアイェレ・マモの写真が載っていて、
マンドリンが登場する曲があったので、ひょっとするとヘレンのアルバムで弾いているのも、
アイェレ・マモなのかもしれません。

バックのことばかり書いちゃいましたが、主役のヘレンのヴォーカルもいいんですよ。
ちょっとハスキー味のあるソウルフルな声で、
ざっくばらんとした歌いぶりに、親しみがもてます。さらりと回すこぶしも巧みです。
ヘレンは10年に“TASFELIGEGNALEH” でデビューしたそうで、
デビュー作はアバガス・キブレワーク・シオタとウォンディメネ・アセファの二人が
アレンジを手がけていたとのこと。
セカンドの本作は、スタッフをさらに強化して制作されたわけですね。
金太郎飴的なエチオピアン・ポップのなか、ひとつ頭抜けたアルバムです。

Helen Berhe "ESKI LEYEW" Zojak World Wide no number (2017)
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蘇る南ア・ブラックネス バファナ・ンハラポ [南部アフリカ]

Bafana Nhlapo.jpg

初めてその名を聞く、南ア黒人歌手のデビュー作。
なんとノルウェイのジャズ・レーベル、ジャズランドからのリリースで、
プロデュースとミックスを、
ブッゲ・ヴェッセルトフトが手がけているというのだから、へえ~。

どんなアルバムになっているのやら、まったく想像もつかずに聴き始めたんですが、
これが予想だにせぬ、すばらしい仕上がり。
期せずして南ア大衆音楽のエッセンスが詰まった内容に、いたく感心してしまいました。

サックス、トランペット、トロンボーン、チューバ、ドラムスに、
サポート・ヴォーカルを一人加えた、ベースレスのブラス・バンド編成は、
南ア音楽ファンなら、往年のマラービを思い起こさずにはおれません。

このアルバムがユニークなのは、
そんなマラービの再現を狙ったのでは、まったくなさそうなところ。
ブッゲが南ア音楽に造詣があるような話は聞いたことがないし、
メンバーの名前を眺めてみても、サポート・ヴォーカリストとドラマー以外は
全員ノルウェイ人のようで、マラービを知っているとは、到底思えません。
バファナ・ンハラポの曲をブラス・バンド・スタイルで演奏してみたら、
はからずもマラービみたいになってしまった、みたいなところがいいんですよ。

オープニングはサポート・ヴォーカルとのア・カペラで始まり、
バファナのヴォーカルは、のんしゃらんとしていて、上手くはないものの味があり、
エネルギッシュに歌うと、はっちゃけた表情をのぞかせ、魅力があります。

CDにはバファナ・ンハラボに関するインフォメーションがいっさいなく、
いったいどういう人なのかと思って調べてみると、76年ソウェトの生まれなんですね。
父親は名コーラス・グループのキング・スター・ブラザーズのメンバーというのだから、
アパルトヘイトのもっとも過酷だった時代に幼少期を過ごしたとはいえ、
ソウェトの音楽や演劇など、ズールーの大衆文化にどっぷりとつかり、
南ア大衆音楽の豊かな環境のもとに育った人なのでしょう。

ロックやジャズ、ファンクなどを貪欲に吸収しながら、ズールー語で歌うとともに、
ジョハネスバーグの詩の舞台で見た、ハンドメイドのパーカッションに刺激されて、
どこの家にもある、ありふれたスズのカップといった家庭用品をパーカッションとする、
インダストリアル・パーカッショニストとなったそうです。

パーカッショニストとして、
ポップ・グループのクワニ・エクスペリエンスに9年間在籍したほか、
パーカッション・カルテットのL.A.P(ライヴ・アフリカン・パーカッション)でも
アルバムを残したのち、ソロ活動に転じたとのこと。
ブッゲ・ヴェッセルトフトとは、
クワニ・エクスペリエンス時代にノルウェイへツアーして、交流ができたようです。

共演歴に、ブシ・ムションゴ、ポップス・ムハンマド、マダラ・クネネ、
ダブ・ポエットのムタバルカといった名が挙がるとおり、
スピリチュアルな資質もうかがわせる、南ア伝統のブラックネスを感じさせる逸材です。

Bafana Nhalapo "NGIKHUMBULE KHAYA" Jazzland 3779185 (2017)
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優美な知性を彩る清涼な歌声 ヴァネッサ・モレーノ [ブラジル]

Vanessa Moreno  EM MOVIMENTO.jpg

なんて清涼な歌声。
ヴァネッサ・モレーノを聴いて、ジョイスの“FEMININA” を思い浮かべるのは、
ぼくばかりではないでしょう。
ジョイスと同じ声質を持つジアナ・ヴィスカルジの方が、
ジャズ・センスの強さといった点で、より共通項があるといえるかもしれません。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-09-25

でもジャズ度の高さでいえば、ヴァネッサはジアナ以上。
サンパウロ州立ULM音楽学校でポピュラー歌唱を学び、
ソウザ・リマ音楽大学にも通ったというキャリアが物語るとおり、
ジャズ/フォークロア/クラシックを縦断する、高度な音楽性の持ち主です。

MPBというポップスの枠を超えた、アーティスティックな音楽性は、
サンパウロのノーヴォス・ コンポジトーレス派らしさではあるものの、
いわゆる庶民的な親しみといった大衆性に欠けるのが、玉にキズ。

ブラジルばかりでなく、近年南米各国に広がるこの種の芸術音楽志向は、
一部のインテリ相手の愛玩物となることに満足してしまって、
広くリスナーを求める姿勢が欠けているように思えてなりません。

ヴァネッサ・モレーノも、そういう芸術音楽志向タイプの歌手ですが、
みずみずしく、フレッシュな歌声が、
知的すぎる音楽に親しみと温かみをもたらしていて、本作には魅力を覚えました。

高速スキャットの軽やかさも、ブラジル人ならではで、
タチアーナ・パーラあたりが好きな人なら、たまらないはず。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-03-27
ファビオ・レアルのオーセンティックなスタイルのジャズ・ギターや、
アレシャンドリ・リベイロのクラリネットを多重録音した柔らかな木管の響きも
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-09-11
聴きどころとなっています。

Vanessa Moreno "EM MOVIMENTO" Vanessa Moreno VIM001 (2017)
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歌うドラムス エドゥ・リベイロ [ブラジル]

Edu Ribeiro Na Calada Do Dia.jpg

渡辺貞夫のバンド・メンバーとして、先日来日していたエドゥ・リベイロの新作。
いまやサン・パウロのジャズ・シーンで引っ張りだこのドラマーで、
ヤマンドゥ・コスタのバックで来日したこともありましたっけね。
あいかわらず貞夫さんの若手起用ぶりは、冴えてますねえ。

本作は、11年ぶりのリーダー作とのこと。
ペイパー・スリーヴ仕様のそっけない作りですけど、
中身は極上のブラジリアン・ジャズですよ。
アコーディオン、7弦ギター、トランペット、ベースに、
エドゥのドラムスという、変則クインテット編成で、
アコーディオンがギリェルミ・リベイロというのが、まず目を引きます。

ギリェルミ・リベイロといえば、
現在のサン・パウロのジャズ・シーンを牽引するピアニスト。
おととしリリースされたソロ・アルバム“TEMPO” も秀逸でしたけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-12-06
本作ではピアノではなく、アコーディオンに専念しています。

そして、トランペットはルデーリで活躍中のルビーニョ・アントゥネス。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-09-24
ルデーリではキレたソロを吹きまくっていましたけれど、
本作ではゆとりを感じさせるプレイを聞かせています。

7弦ギターのジアン・コレアにベースのブルーノ・ミゴット、
ゲストで加わるレア・フレイリのフルートという、
サンパウロの今をときめく実力派が揃っています。

そして主役のエドゥ・リベイロは、サンバやマラカトゥ、フレーヴォなど、
多彩なブラジルのリズムを繰り出し、その柔軟なプレイが、
サン・パウロ新世代のコンテンポラリー・ジャズを輝かせます。

エドゥのポリリズミカルなドラミングは、
かなり手数が多いものの、実に軽妙で、スウィンギー。
ものすごいスピード感があるから、重ったるくならないし、うるさくもない。
複雑なリズムをすいすい乗りこなしていくさまは、
スペクタクル・ショーさながらです。

そしてまた、メロディックなドラミングも、エドゥの特徴ですね。
6曲目とアルバム・ラストのドラムス・ソロを、ぜひ聴いてみてください。
こんなにはっきりとメロディが聞き取れるドラムス・ソロは、そうそうないですよ。

Edu Ribeiro "NA CALADA DO DIA" Maritaca M1051 (2017)
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ポルトガルのカヴァキーニョ ジュリオ・ペレイラ [南ヨーロッパ]

Júlio Pereira  CAVAQUINHO PT..jpg   Júlio Pereira  PRAÇA DO COMÉRCIO.jpg

ブラジルのカヴァキーニョの起源は、
ポルトガル移民が持ち込んだブラギーニャだというのが通説になっていますけれど、
どうやらこの説は不正確というか、ちょっと問題ありだということを知りました。
特に「ブラギーニャ」という固有名詞を使うのが問題で、
単に「小型弦楽器」としておけば良かったようなんですけれども。

そんなことが、ポルトガルのトラジソンからリリースされた、
マルチ弦楽器奏者ジュリオ・ペレイラの新作CDの解説に、詳しく書かれています。
100ページを超すポルトガル語・英語の解説が付いたこのCDブックには、
さまざまなタイプのカヴァキーニョや古楽器の写真も載っていて、
ちょっとした研究書といえますね。

ジュリオ・ペレイラは、13年にもトラジソンから同様のCDブックを出していて、
新作と一緒に買ってみたんですが、
こちらにもこの小型弦楽器の古楽器の写真が満載で、
楽器好きはたまらないCDブックとなっています。
タイトルを『ポルトガルのカヴァキーニョ』と謳うとおり、
ブラギーニャという名前は、いっさい出していないんですね。

インドネシアのクロンチョンやハワイのウクレレのルーツも、
ブラギーニャだと言われているんですが、それを伝えたポルトガル本国では、
ブラギーニャという名前は使われておらず、マシェーテと呼ばれているとのこと。
マシェーテは、ポルトガル北西部ミーニョ地方のブラーガという町で
製作されたのが始まりで、そのマシェーテがマデイラ島で発達したことから、
ブラーガで作られた楽器ということでブラギーニャと称するようになり、
マデイラ島出身のポルトガル移民がその名を伝えたようなんですね。

ところがポルトガルには、マシェーテとはまた別のタイプの小型弦楽器があり、
リスボンやコインブラでは、同じカヴァキーニョと呼ばれているのだから、ややこしい。
ジュリオ・ペレイラの13年作では、そんなさまざまなポルトガルのカヴァキーニョに加え、
ブラジルそしてカーボ・ヴェルデのカヴァキーニョを演奏した内容となっています。

さきほどのマシェーテの起源については、さらに奥深くて、
ミーニョ地方に伝わったのはガリシア人によるものという説があり、
古代ガリシアのギリシャの影響もあるとも考えられているようで、
要するに、このポルトガルの楽器の起源は、はっきりしないということなんですね。

クラウス・シュライナー著『ブラジル音楽のすばらしい世界』や、
田中勝則著『インドネシア音楽の本』には、マシェーテのことがきちんと記されているのに、
なんでいつのまにかブラギーニャ起源説が通説になったんでしょうか。

とまあ、この2作の解説を拾い読み(すみません、ちゃんと読み込んでなくて)して、
この記事を書いてるわけなんですが、
ジュリア・ペレイラは81年に『カヴァキーニョ』というタイトルのアルバムを出していて、
この2作はその続編、続々編なんですね。
演奏内容の方は、研究発表のようなオカタイものではなく、
ポルトガル各地の民謡、ファド、モルナ、バイオーンを取り入れたオリジナル曲に、
ガリシア民謡やブラジルの伝承曲などを爽やかに演奏しています。

Júlio Pereira "CAVAQUINHO PT." Tradisom TRAD081 (2013)
Júlio Pereira "PRAÇA DO COMÉRCIO" Tradisom TRAD105 (2017)
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トランプが来た夜のファド アンドレー・ヴァス [南ヨーロッパ]

20171105_André Vaz.jpg

ファドの新世代歌手では、ジョアン・アメンドエイラのように、
伝統ファドのスタイルをしっかりと保っている歌い手が好きです。
ファドのように歴史の古い、きっちりとした型のある音楽は、
変にモダン化したり、他の音楽をミックスしても、
結局のところ、旧来のファドが持つ魅力以上のものを打ち出すのは、
難しいと思っているもんで、これって、フラメンコも同じですよね。

新しい試みに挑戦するミュージシャンシップを否定するつもりはありませんが、
そうした試みより、伝統ファドの型を習得して歌える人の方が好ましく、
ファドに関しては、ぼくはゴリゴリの保守派です。
そんなわけで、最近のファドふうに歌ったポップ曲って、
どうにも気持ち悪くって、聞けないんですよね。
人気絶賛のアントニオ・ザンブージョも、ぼくにはファド歌手に聞こえません。

古典ファドをしっかりと歌いこなせるのは、
ジョアン・アメンドエイラやカチア・ゲレイロといった女性歌手ばかりで、
男性歌手はさっぱり見当たらないと、長年ぼやいてたんですが、
ようやく出てきましたよ、ぼく好みの人が。
それが、83年生まれという、アンドレー・ヴァス。

ライスから出たデビュー作を聴いて、すっかりファンになっていたところ、
なんと来日するというのだから、嬉しいじゃないですか。
しかも、本場カーザ・デ・ファド(ファド・ハウス)・スタイルの
ポルトガル料理店でのライヴがあるというので、
すぐさま予約しましたよ。11月5日夜の部。
結婚記念日の前祝いにかこつけて、家人と一緒に観てきました。

当日の夜、地下鉄の日比谷駅から地上に出たら、ものすごい数の警察官に仰天。
出口すぐの帝国ホテル脇道の道路が封鎖され、厳戒態勢のただならぬ緊張感で、
あ、そうか、トランプが来てるんだっけと、気づきました。
居並ぶ警察官の脇をすり抜けて、ヴィラモウラ銀座本店へ。
トランプはうかい亭だったんだってね。すごい日にぶつかっちゃったもんだ。

ライヴは20分のステージが3回。合間に運ばれる料理を愉しみながらという、
本場カーザ・デ・ファドさながらのスタイルで、いやあ、いい夜でした。
マイクなしの生声で、オーソドックスなスタイルのファドを、たっぷり歌ってくれましたよ。
旋律の上がり下がりが大きな古典ファドの難曲もさらりと歌いこなし、
打ち合わせのない曲も、その場の雰囲気でどんどん歌ってしまうところは、
現場で鍛えられたホンモノのファド歌手の証し。

20171105_André Vaz @Ginza 01.jpg

デビュー作の曲をほとんど歌わなかったのも、豊富なレパートリーの表れで、
むしろCDデビューが遅すぎたんですね。
9歳にしてリスボン最大のファド・コンクール、
グランデ・ノイテ・ド・ファドの決勝に出場したというのだから、
キャリアは十分すぎるほどの人です。

ケレンのない歌いぶりがすがすがしく、
麗しい歌声にはほんのりとした色気もあって、胸に沁みます。
カルロス・ラモスの“Canto O Fado” のコーラス・パートを客席に歌わせたり、
マルシャを歌ってくれたのも嬉しかったな。
ギターラの演奏を披露するという、珍しい場面もありました。
ギターラを人前で弾いたのは、今回の日本が初めてだそうで、
下を向きっぱなしで弾く、いかにも慣れない姿でしたが、
伴奏の月本一史と、即興のインタープレイを繰り広げたのは、なかなかの腕前でしたよ。

20171105_André Vaz @Ginza  02.jpg

ファドのライヴというと、変わったロケーションで観た思い出がいくつかあり、
まだ無名のミージアが93年に来日した時は、
なんとホテルオークラのディナー・ショウ(!)だったというのが、一番の変わり種。
今回は、アメリカ大統領の訪日とぶつかり、
店の外がものものしい厳戒態勢だったという、
レアな思い出が加わったのでした。

André Vaz "FADO" Todos Os Direitos Reservados 0530-2 (2016)
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トゥアレグのガール・グループ レ・フィーユ・ド・イリガダッド [西アフリカ]

Les Filles De Illighadad.jpg

エムドゥ・モクタールに続くサヘル・サウンズの新作は、
「イリガダッドの女の子たち」を名乗るニジェールの女性3人組。
イリガダッドって、どこよと思って、グーグルさんに訊いてもわからず、
レーベルの説明によれば、ニジェール中央部のサハラ砂漠の縁にある、
小さな沼地の村とのこと。地図にも載っていない場所で、
もちろん電気も水道もない、トゥアレグの野営地なんでしょうね。

そんなまさしく辺境の地から、イシュマール・スタイルと呼ばれる
エレクトリック・ギターを弾く女性が登場したのだから、たいへんです。
これまで、イシュマール・スタイルのギターといえば、
ティナリウェンやトゥーマストに代表されるとおり、男性ゲリラ兵を象徴する楽器でした。
一方、トゥアレグ女性の音楽といえば、伝統的なティンデを
太鼓(ティンデ)と手拍子で歌うのが、長年の習わしだったのだから、
女性ギタリストが登場したのは、事件といっていいでしょう。

リーダーのギタリスト、ファトゥ・セイディ・ガリは、
ニジェールでワン・アンド・オンリーのトゥアレグ人女性ギタリストだそうで、
ニジェールどころか、マリやアルジェリアにだって、
女性ギタリストなんていないんじゃないかなあ。
ファトゥ・セイディ・ガリは、トゥアレグ女性初のギタリストなんじゃないですかね。

兄が持ってきた、古びた青いアクースティック・ギターを独学で覚えたという
ファトゥ・セイディ・ガリは、従姉妹の歌い手アラムヌ・アクルニとともに、
レ・フィーユ・ド・イリガダッドを結成し、ティンデにイシュマールのギターを取り入れた
独自の音楽を始めたとのこと。ニジェールのトゥアレグ・バンドの先達である
エトラン・フィナタワを範として、彼らの曲を、多くカヴァーしてきたそうです。
今作ではもう一人の従姉妹マリアマ・サラ・アスワンも加わっています。

これまでも、ティナリウェンやタルティットなどの男性バンドで、
女性コーラスが花を添えることはあっても、
女性がメインのガール・グループなのだから、華やかさが違います。
太鼓と手拍子を叩きながら、コーラスやウルレーション(喉声)で囃す
ティンデに絡むギターがなんとも妙味ですね。
シンプルな反復による曲など、いかにもトゥアレグの野営で歌われる
祝い歌を聴くようで、その素朴さにやられます。
現在3人はヨーロッパをツアー中です。

最後に苦言を。
サヘル・サウンズのCDは、毎度のことなんですが、
曲名しか載せないというのは、どういう制作態度なんですかね。
バンドキャンプに載っているテキストぐらい、ジャケットに印刷しておけばいいものを、
メンバーの名前や担当楽器という、最低限の基礎情報すら載せないっていうのは、
音楽家に対して、あまりに礼儀を欠いていませんかね。
レーベル主宰者でプロデューサーのクリストファー・カークリーに、
今度フェイスブックのメッセージで、文句言っとこう。

Les Filles De Illighadad "EGHASS MALAN" Sahel Sounds SS044 (2017)
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ナス・エル・ギワンのフォロワー ナス・エル・ハル [中東・マグレブ]

Nass El Hal  QUAND COMPRENDRAS TU.jpg

うわあ、ナス・エル・ギワンのフォロワーかあ。
やっぱり、いるんだなあ、モロッコには。いや、いなけりゃ、オカシイよね。

すみません、いきなり。何の話だか、わかりませんね、これじゃ。
モロッコのマラケシュで86年に結成されたという、
ナス・エル・ハルのCDを聴いて、感じ入っちゃったもんで。

はじめに名前を出したナス・エル・ギワンは、60年代末にカサブランカで結成され、
70年代に若者から圧倒的な支持を得て、
「モロッコのローリング・ストーンズ」とみなされ、文化的アイコンとなったバンドです。
メンバーを替えながら、現在も活動を続けていて、
モロッコで圧倒的な影響力を誇るバンドなのに、
フォロワーが現れないのを、不思議に思っていたんですよね。

でも、やっぱりいたんですね、フォロワーというか、チルドレン的存在のバンドが。
モロッコ現地ではCDを出しているのかもしれませんが、
国外に出回ることがないので、彼らのような存在をキャッチすることができません。
今回ヴァンサン・ドルレアンのレーベル、
サン・コモンテールからCDを出してくれたので、ようやく出会えました。

ナス・エル・ハルは、ナス・エル・ギワン同様の5人組で、
編成もバンジョー×2、ゲンブリ、ベンディール、パーカッションと同じ。
オール・アクースティックでエレクトリック不在、
ドラムス、ベースもいないのに、すごくロックぽく聞こえるから不思議です。
ベンディールがドラムス、ゲンブリがベースの役割を果たして、
ロック・バンドと変わらないグルーヴをはじき出すんだから、たまりません。
メンバー全員が歌い、5人とも味のある声の持ち主揃いで、
歌いぶりもきりっとしていて、胸をすきます。

ナス・エル・ギワンのいいところを全部引き継いでいるバンド、
ナス・エル・ハル、気に入りました。

Nass El Hal "QUAND COMPRENDRAS TU?" Sans Commentaire SC05 (2017)
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キュートなマンデ・スウィング カンジャファ [西アフリカ]

Kandiafa  MALI COUNTRY.jpg

ンゴニでジプシー・スウィングを演奏するという、
ユニークすぎるマリの若手音楽家、カンジャファのフル・アルバムがリリースされました。
昨年出たデビューEPで、この若き才能におったまげたんですが、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-12-12
その後、カンジャファは若手天才プレイヤーとして、
マリで注目を集める存在であることを知りました。

カンジャファは、多くのグリオを輩出するマリ西部カイのグリオ一門の出身。
カイといえばカソンケ人が多く暮らす地方なので、
カンジャファもカソンケなのかもしれません。
ただし、グリオとしての修養はカイではなく、マリの首都バマコで受けたようです。

グリオとして一本立ちしてからは、ソンガイ人歌手シディ・トゥーレに見出されて、
アメリカやヨーロッパ・ツアーに帯同し、アメリカやカナダではカントリー音楽に感化され、
フランスで出会ったジプシー・スウィングが、彼に決定的な影響を与えたようです。
以前から、海外の音楽に惹かれていたカンジャファは、
アラブ音楽やフラメンコなども勉強していて、好奇心旺盛だったんですね。

ジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリに感化されたグリオなんて、
彼が初というか、アフリカ人の音楽家初なんじゃないかしらん。
デビューEPの2曲含む計14曲のこのアルバムでは、
ジプシー・スウィングばかりでなく、
アメリカのカントリーやアラブ音楽に影響されたトラックなど、
カンジャファが吸収してきた音楽性が素直に発揮されていて楽しめます。

「バンジョーのようにンゴニをプレイする」「ウードのようにンゴニをプレイする」と
副題の付いたトラックに聞かれるとおり、バセク・クヤテやマカン・トゥンカラたちが
切り拓いて来たンゴニの可能性を、
カンジャファもまた新たなアプローチで試みているんですね。

コード弾きはばんばんするし、ロックやブルースから借りてきたフレーズも披露するし、
アブ・シというンゴニ奏者とのンゴニ二重奏では、
あの手この手のテクニックを見せつけてくれますが、
そんなトリッキーなプレイでも、ぜんぜんイヤミな感じを与えないのは、
カンジャファが弾くンゴニのタッチに、<ゆるぎない美しさ>があるからです。

ンゴニをこれほどキリリと響かせるのは、ピッキング/フィンガリングの正確さ、
タッチの的確さの賜物で、そこが若き天才と呼ばれる由縁でしょうね。
そして、ぼくがなによりカンジャファを支持したいのは、
彼の音楽がキュートだからなのでした。
マンデ・ポップをこんなにカワイク♡演奏した人を、ぼくは他に知りません。

Kandiafa "MALI COUNTRY" Sans Commentaire SC04 (2017)
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