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神歌と古い音律 アマミアイヌ

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朝崎郁恵と安東ウメ子の魅力は、十二平均律で歌っていないところにある。

そんな指摘をする人にこれまで出会ったことがないですけど、
二人が、日本の音楽からすっかり失われた古い音律で歌っていることは、
二人の音楽を語るうえで重要なポイントと、ぼくは考えています。
奄美民謡とアイヌ音楽がコラボした『AMAMIAYNU』を聴いて、
ひさしぶりにそんなことを再認識させられました。

このアルバムに参加している若いアイヌの歌い手たち、
マレウレウのレクポと、姉妹ユニットのカピウ&アパッポの3人は、
見事なまでに♪ドレミファソラシド♪で歌っているので、
なおさら朝崎の歌との違いがくっきりとわかります。
ヴァーチャル共演となった故・安東ウメ子の歌が登場すると、
途端に朝崎の歌と共振するじゃないですか。

朝崎の独特の裏声を使ったこぶし回しは、
グインと呼ばれる奄美民謡独特のものですけれど、
地を這うような低音から一気に高音域に伸び上がる、
声のダイナミズムを生かした歌いぶりは、二人に共通するものです。

そしてなにより、二人の歌う音律がドレミファソラシドでなく、
微分音のズレを感じさせる音律であるところが、
霊気すら感じさせる二人の歌の妖しい魅力につながっています。

これって、奄美やアイヌの音楽が持つ独自性ではなく、
かつて日本にあった古い音の記憶だと、ぼくは考えたいんですね。
奄美やアイヌの特殊性に焦点を当ててしまうと、話が広がらないじゃないですか。
アパラチアやスコットランドの古謡、
アイルランドのシャン・ノースを歌う老人の唄などにも、
同じ感慨をもつことがあるように、十二平均律に犯されていない古い音律に
それが遺されている可能性として、この問題を考えたいんですよ。

タイやミャンマーの古典音楽に残る七平均律や、ガムランのスレンドロの五平均律など、
世界には十二平均律とは異なる体系の音律もまだまだ生きながらえています。
とはいえ、ピアノで音感教育を受けたぼくたちのように、
そうした民族の音の記憶は、もう風前の灯であることも間違いないでしょう。
自分がその音律を持っていなくても、祖先の記憶を蘇らせるように、
古い音律を使った歌に無性に惹かれるのは、
脳のしわに刻み込まれた記憶が、まだ途絶えていない証拠だと思うのです。

朝崎が育った加計呂麻島の花富集落には、ノロと呼ばれる祝女が祭祀を執り行い、
ノロたちが歌う神歌を聴いて、朝崎は育ったといいます。
朝崎の複雑な抑揚や裏声使いのルーツは、神歌なのでしょう。
自分では歌うことのできない古い音律に魅せられるのは、
神をなくした現代社会に、神歌を求めているからなのかもしれません。

Amamiaynu 「AMAMIAYNU」 チカル・スタジオ/タフ・ビーツ UBCA1066 (2019)
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