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スーダンのエレキ・バンド シャーハビル・アフメド [東アフリカ]

Sharhabil Ahmed  THE KING OF SUDANESE JAZZ.jpg

ハビービ・ファンク、快挙です!
スーダン歌謡をエレキ化した伝説の大物シャーハビル・アフメドを、
ついに復刻してくれましたよ。

いや~、長かったあ。
名前を知るばかりで、じっさいどんな音楽だったのかを聴くこともできず、
悶々としていた人の一人でしたからねえ。
シャーハビル・アフメドに限らず、60年代以前のスーダン歌謡は、
資料でその名は知っても、聴く手立てがまったくなく、謎のままでした。

35年、宗教的信心の深い家庭に生まれたシャーハビル・アフメドは、
預言者ムハンマドを称えるスーフィーのチャントに由来する音楽マデイや、
30~40年代のスーダンで流行した世俗歌謡ハギーバに囲まれて育ちました。
ハギーバは、リク(アラブのタンバリン)を持った歌手が、コーラスの手拍子とともに
コール・アンド・レスポンスする音楽で、結婚式やパーティーなどの社交の場には
なくてはならないものでした。
観客の手拍子も加わって、歌手が即興で歌いながら場を高揚していくハギーバは、
かなりトランシーな音楽だったようです。

50年代に入ると、ムハンマド・ワルディや
サイード・ハリファなど新しい世代の歌手たちが、
ハギーバにマンボの影響を受けたエジプト歌謡を取り入れるほか、
スーダン各地のリズムや地方の民謡なども取り入れ、ハギーバを近代化していきます。
当時幼かったシャーハビルも、当時の大スター、
アブドゥル・カリム・カルーマに感化され、ウードを覚えたといいます。

やがて、ロックンロールの波がスーダンにも届くようになると、
ギターに興味を覚えたシャーハビルは、イギリス人からギターを買い取り、
南スーダンの学生から弾き方を教わって、ギターを習得しました。

こうしてロックンロールに影響された独自のダンス・ミュージックを演奏しはじめた
シャーハビルは、60年に国立劇場で自身のバンドの初のお披露目をし、
やがてコンクールで「スーダンのジャズ王」の称号を勝ち取るのでした。
もちろん、ここでいう「ジャズ」とは、コンゴのOKジャズや
ギネアのベンベヤ・ジャズと同義で、北米黒人音楽を指すものではなく、
欧米のポピュラー音楽の影響を表す用語ですね。

ウードやヴァイオリンが伴奏するアラブ色の強かったスーダン歌謡のハギーバを、
ギター、ベース、ドラムス、管楽器などの西洋楽器で演奏したシャーハビルは、
まさにスーダン歌謡の変革者でした。
エレクトリック・ギターをスーダンで初めて使ったのもシャーハビルで、
ロックンロールやファンクの要素に、
コンゴ音楽ほか東アフリカ音楽のハーモニーを取り入れて、
スーダン音楽を近代化した立役者となりました。

今回ハビービ・ファンクが、シャーハビル本人に直接交渉して復刻が実現した本作、
音源についての詳しい記載がないのですが、サックス入りのギター・バンドで、
ジャケットに写る5人による演奏と思われ、シャーハビルと奥さんのザケヤ二人が
ギターを弾いているようです。おそらく60年代末頃の録音でしょう。
音源に関するこういう基礎情報が欠けているのって、
リイシュー・レーベルの姿勢として、いかがなもんですかね。

シャーハビル自身が所有していた4枚のレコードから復元した7曲は、
冒頭の2曲‘Argos Farfish’ ‘Malak Ya Saly’ こそ、
痛快なスーダニーズ・ロックンロールですけれど、
残り4曲は、スーダンらしいペンタトニックのメロディが全面展開する、
エレキ・バンドによるモダン・ハギーバといえ、これが「ジャズ」と称されたわけですね。
この濃厚なスーダニーズ・マンボ・サウンドこそ、スーダン歌謡の真骨頂といえます。

Sharhabil Ahmed "THE KING OF SUDANESE JAZZ" Habibi Funk HABIBI013
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