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蘇ったアヤリュウ・メスフィン&ブラック・ライオン・バンド [東アフリカ]

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うぉう、すごいな、これ。
エチオピア音楽の黄金時代である70年代に活躍した歌手、
アヤリュウ・メスフィンの往時の全録音が復刻!

以前ナウ=アゲンがアヤリュウ・メスフィンの単独復刻を実現した時は、
LPと配信のみのリリースで、CDが出ずに地団太を踏んだので、
今回の3CD化は感涙ものです。
ただし、5枚組で出たLPの方は、美麗ボックス入りなのに、
CDは3枚バラで、LPに付属されているブックレットもなし。

スッキリしない感は残るものの、
フランシス・ファルセトの『エチオピーク』」シリーズ以外から、
黄金期のエチオピア音楽が復刻されたことは、まずは歓迎すべきこと。
この時代の歌手で、これだけの曲数が復刻されたのは、
マハムード・アハメッドしかいなかったんだから、こりゃあ快挙ですよ。

40年代にエチオピア北部のウェルディヤで生まれたアヤリュウ・メスフィンは、
幼い頃から歌手になるのを夢見て、11歳の時、
反対する父親に背を向け、アディス・アベバへと向かいます。
レストランのドアボーイなどの下働きをしながら歌手の道を目指すも、
なかなかうまくいかず、軍隊に入隊して軍隊生活なども経験しながら、
ゲタチュウ・カッサのソウル・エコ・バンドに雇われるチャンスを得て、プロとなりました。

歌手活動の一方、24歳で自分のミュージック・ショップを開き、
レコードや楽器、サウンド・システムを販売し、
スウィンギング・アディス時代のミュージック・シーンを先導する人物になりました。
当時店で販売していたレコードのリストを見ると、アレサ・フランクリン、サム・クック、
ジェイムズ・ブラウン、ジミ・ヘンドリックスなどに加え、
スーダンのサイード・ハリファや、フェラ・クティの名前もあるところが興味深いですね。

そして、73年に自己のバンド、ブラック・ライオン・バンドを結成し、
ジェイムズ・ブラウンばりのダンス・パフォーマンスで一気に人気を高め、
国内各地での公演によって大成功を収めます。
しかし、転機が訪れるのは、74年9月の革命によって誕生したメンギスツ政権でした。
知識人の虐殺など、独裁色を強めるメンギスツの抑圧に、
歌でレジスタンスする覚悟を決めたメスフィンは、ダブル・ミーニングの歌詞で
メンギスツに辛辣な批判を加える歌を、矢継ぎ早に録音し発表しました。

その結果、メスフィンは逮捕され、3か月間の獄中生活を送ることとなります。
メスフィンのレコードは放送禁止となるばかりでなく、
販売することも、歌うことも禁止となり、
さらに13年に及ぶ軟禁生活を送ることとなり、音楽家生命を絶たれてしまうのでした。
しかし当時の政権の残虐さをよく知るアヤリュウに言わせれば、
わずか3か月で釈放されたのは幸運で、その理由はいまもわからないそうです。

91年のメンギスツ政権崩壊によって軟禁生活を解かれると、
メスフィンは音楽活動を再スタートさせ、音楽シーンにカムバックを果たし、
98年にはアメリカに渡り、はじめはミネソタ、西海岸、最後にデンバーへ落ち着きました。

今回復刻された録音データの詳細は、LP解説に明らかにされていませんが、
73年からわずか4年くらいの間にアムハやカイファに録音されたもので、
未発表の音源もあるらしく、それらが含まれているのかどうかは不明です。

あらためて全録音を聴いて思ったのは、フランシス・ファルセトの耳の確かさです。
ファルセトが『エチオピ-ク』シリーズで、メスフィンの曲を最初に復刻した
第8集収録の1曲‘Hasabe’ は、メスフィンのシグネチャー・ソングとなった代表曲で、
今回のアンソロジーでもトップを飾っています。
管楽器の代わりに、サイケデリックなファズ・ギターをフィーチャーしたこの曲は、
ジェイムズ・ブラウンなどのソウルばかりでなく、ジミ・ヘンドリックスにも影響を受けた
メスフィンならではの個性を発揮した曲でした。

ファルセトがメスフィンを高く評価していたことは、
『エチオピーク』をスタートさせる前に手がけたエチオピア音楽のコンピレ
“ETHIOPIAN GROOVE: The Golden Seventies” に、メスフィンの曲を3曲も
選曲していることからもわかります。
このコンピレは、のちに『エチオピーク』第13集として再発売されました
(ただし、アスター・アウェケの3曲は権利関係がクリアできず、カットされています)。
このほかメスフィンの曲は、第24集でも5曲が復刻されています。

80近いメスフィンは、現在もデンバーで血気盛んに暮らしており、
デボ・バンドをバックに演奏活動も行っているとのこと。
自身がマスターテープを所有していたことから実現できた、奇跡的な復刻です。

Ayalew Mesfin "GOOD ADEREGECHEGN (BLINDSIDED BY LOVE)" Now-Again NA5191
Ayalew Mesfin "CHE BELOW (MARCH FORWARD)" Now-Again NA5192
Ayalew Mesfin "TEWEDIJE LIMUT (LET ME DIE LOVED)" Now-Again NA5194
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