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いにしえのレンベーティカへの思慕 レラ・パパドプル [東ヨーロッパ]

Lela Papadopoulou  REBETIKA KAI SMYRNEIKA TRAGOUDIA.jpg

エル・スールの原田さんがコツコツと掘り起こしているギリシャもので、
ここのところ愛聴しているのが、レンベーティカ歌手レラ・パパドプルの90年代録音。

33年アテネ生まれのレラ・パパドプルは、
17歳で初めてステージに立ってアコーディオンを演奏し、
マルコス・ヴァンヴァカリスに始まり、ヤニス・パパイオアーヌ、
ヴァシリス・ツィツァーニス、マノリス・ヒオティス、ザンベータス、
グリゴリス・ヴィツィコツィス、パノス・ガヴァラス、
そしてステリオス・カザンツィディスといった歴代の名歌手たちの
伴奏を務めてきたというのだから、スゴイですね。

歌手としてより、アコーディオン奏者として長く活躍してきた人なので、
自身のソロ・アルバムは、晩年の90年代になってから、ようやく出したんですね。
エル・スールで買った“REBETIKA KAI SMYRNEIKA TRAGOUDIA” はそうした1枚で、
若き日の写真が飾られていますけれど、すでに60代後半となってからの録音です。

Lela Papadopoulou  TA MESOGEITIKA.jpg   Lela Papadopoulou  SMYRNA - REBETIKA.jpg

このアルバムが気に入り、ギリシャのお店をチェックしてみたところ、
もう2枚アルバムを見つけたので、早速買ってみました。
“TA MESOGEITIKA” は、アコーディオンを弾いておらず、
ディモーティカを歌った民謡アルバムでしたが、
97年に出た“SMYRNA - REBETIKA” が、レラの初アルバムだったようで、
タイトルどおり、スミルナ派のディープなレンベーティカがずらりと並びます。

“REBETIKA KAI SMYRNEIKA TRAGOUDIA” は、
男性歌手がハーモニーを付ける曲が多く、明るい民謡調の曲も歌っていますが、
“SMYRNA - REBETIKA” は、ブルージーな曲が並び、
9拍子のゼイベキコが多く取り上げられています。

レラは、スミルナからピレウス様式にレンベーティカが変わっていた時代の
音楽家ですけれど、スミルナ派を名乗ってソロ・アルバムを作ったのは、
古いレンベーティカに、強い愛着があったからなんでしょうね。
なんでも、小学生の頃からレンベーティカが好きで、女の子が歌うには、
あまりにふしだらな(?)男性向けの古いレンベーティカを歌っていたそうです。

アコーディオンは、スミルナ派の時代に演奏されたカーヌーンが、
ピレウス派の時代になって置き換わられた楽器ですけれど、
新しい楽器のアコーディオンをトレードマークとしながら、
古いレンベーティカ愛を持ち続けて演奏してきた、
ヴェテラン音楽家の矜持を感じさせる2枚です。

Lela Papadopoulou "REBETIKA KAI SMYRNEIKA TRAGOUDIA" Syban Soun AS657
Lela Papadopoulou "TA MESOGEITIKA" Athinaiki Diskografiki 134
Lela Papadopoulou "SMYRNA - REBETIKA" General Music GM5081 (1997)
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あなたはだあれ? イグナシオ・マリア・ゴメス [南アメリカ]

Ignacio Maria Gomez  BELSIA.jpg

ノー・インフォメーションで買ってきたCD。
ワールド関係の試聴機の棚に並べてあったものの、
お店のポップがついておらず、どこの国の歌手かもわからず、
CDをいくら凝視しても、ヒントになりそうな記述は皆無。どなたさまでしょ?
う~ん、ひさしぶりに味わう、このドキドキ感、いいなぁ。
ネット時代になって、みずてんで買うなんてことがなくなっちゃったもんねえ。

試聴してみると、アフリカらしく、リシャール・ボナやロクア・カンザを連想させる、
洗練されたコンテンポラリー・センスの持ち主のよう。
アーティスト名も曲名もスペイン語というのが謎で、
アフリカでスペイン語といったら、赤道ギネアと西サハラしかない。
???のまんま、家にお持ち帰りし、あえてネット検索などしないまま、
ひととおり聴いてみました。

試聴機では、中性的な声に、男性か女性かすら判然としなかったんですけれど、
デジパックを開くと、ギターを抱えたむさくるしい感じの男が写っていて、
レユニオンあたりのインド洋の人に見えなくもない。
じっさい、1曲目はインド洋音楽ぽくあるんですけれど、
風貌に似合わず、歌声は繊細なシンガー・ソングライターといった雰囲気。
ノー・フォーマット!レーベルあたりの、フランス人好みのサウンドです。

続く2・3曲目の浮遊感のあるメロディや歌声は、リシャール・ボナみたいだし、
4曲目はサンバ、8曲目はボサ・ノーヴァという具合で、???
結局、耳だけではまったく素性がわからず、あきらめてネット検索。
すると、なんとアルゼンチンのシンガー・ソングライターのデビュー作だとわかり、驚愕。

はぁ? アルゼンチン人が、なんでこんなアフリカっぽいの?と思ったら、
12歳の時にメキシコに移り住み、ギネアの音楽家たちのコミュニティと出会って
マンデ音楽を学び、音楽的感性を育んだとのこと。
え? メキシコにギネア人のコミュニティがあるの?
でも、このアルバムにマンデ音楽の要素はないよねえ。
ラスト・トラックで、本人がバラフォンを叩いて歌ってはいるけど。

なんだか、想像がまるで及ばない経歴ですけれど、
この音楽を聴けば、マンデ音楽はさておき、リズム・センスはたしかにアフリカだし、
不思議なミクスチャーも腑におちるような、そうでもないような。

音数の少ないシンプルな伴奏は、なかなかに上質。
誰でしょう?とクレジットをみると、
コラを演奏しているのはバラケ・シソコで、チェロはヴァンサン・セーガル。
うわぁ、予備知識なしで、かえって良かったと思われるお二人が参加
(ファンの方はごめんなさい。ぼくはこの二人が苦手)。
それがわかってたら、たぶん試聴すらしなかったと思います、自分。
なにも知らなかったから出会えた、ラッキーな一枚でありました。

Ignacio Maria Gomez "BELSIA" Hélico HWB58135 (2020)
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政権党の専属バンドから国民的バンドへ カトル・マルス [東アフリカ]

4 Mars.jpg

昨年オスティナートが出したジブチのグループRTDは、
世界中で高く評価されましたね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-06-22

ワールド・ミュージック関連作の評価って、日本、アメリカ、
イギリス、フランス、ドイツと、国ごとにけっこう分かれるものなんですが、
グループRTDのアルバムは、どこの国の2020年ベスト・アルバムにも
ノミネートされていました。これって、案外珍しいことであります。

さて、その絶賛されたオスティナートの仕事ですけれど、
グループRTDの世界デビュー作を制作するきっかけとなった、
ヴィック・ソーホニーはじめオスティナートのスタッフが、
国営ラジオ放送局のアーカイヴの使用許可を得て編集作業を進めていた
リイシュー作が、ついに完成しました。

それが、カトル・マルスの82~94年録音13曲をまとめた本作です。
カトル・マルスは、70~80年代のソマリアの音源を復刻した
“SWEET AS BROKEN DATES: LOST SOMALI TAPES FROM THE HORN OF AFRICA”
にも1曲収録されていました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-09-10
その曲‘Na Daadihi’ は、音頭とレゲエをミックスしたようなリズムに、
サックスが泣きのリフを入れるスーダンふうの曲で、ぴよぴよと鳴らされるシンセに、
思わずクスクス笑いしてしまう、ファニーなナンバーでした。

カトル・マルスは、79年にジブチが独立して一党独裁を敷いた、
進歩人民連合(RPP)の専属バンドで、党の文化部門を代表していました。
グループ名の「3月4日」とは、進歩人民連合が創立された記念日を意味し、
ジブチ人民宮殿で誕生したそうです。40人ものメンバーを擁し、
バンドというより、俳優、歌手、ダンサー、ミュージシャン、
伝統音楽の打楽器奏者などの集合体で、オリンピック代表団のようなものと、
解説には書かれています。

メンバーは全員公務員で、ギネア独立時にセク・トゥーレが組織した、
国立シリ・オーケストラと同じようなものだったようですね。
私営のバンドは存在せず、ほかの政党も専属バンドを持っていたそうですが、
一党支配の政権党の資金力は、他を圧倒していました。
その後、93年の新憲法制定による複数政党制導入で、
政党直轄の音楽バンドは廃止され、真に国民的なバンドへと変わったそうです。

収録された曲を聴いてすぐにわかるのは、スーダン音楽の影響大だということ。
メロディやサックスのリフなどは、スーダニーズ・マンボを彷彿とさせます。
リズム面ではレゲエを援用していて、これはソマリの伝統リズム、ダーントが
レゲエと同じオフ・ビートで、非常によく似ているからだそうです。
‘Hobalayeey Nabadu!’ では、ナイヤビンギのパーカッションまで参照して、
ダーントではない本格的なレゲエに仕上げていますね。
ほかには、エジプトやイエメンのリズムを取り入れているとのこと。
行進曲ふうのリズムの曲‘Lama Rabeen Karo’ は、軍楽ぽいですね。

ヴォーカルはボリウッドの影響が大きく、
シンセのメロディはトルコのアナドル・ロックを参考にしているというのも、
なるほどとうなずけます。サイケデリックなエレキ・ギターも同様かな。
いずれにせよ、これが82~94年録音とは思えぬイナタさで、
20年以上時計の針を戻したような濃密なサウンドに、圧倒されます。

4 Mars "SUPER SOMALI SOUNDS FROM THE GULF OF TADJOURA" Ostinato OSTCD010
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アフロビート新世紀の予感 マーデ・クティ [西アフリカ]

Made Kuti  LEGACY+ FOR_E_WARD.jpg

フェミ・クティの息子マーデ・クティが、
父親の新作とカップリングでデビュー作を出しました。
上に掲げたジャケットはそのマーデ・クティのもので、
パネル仕様のCDの裏側を飾っています。

フェミ・クティは、あいかわらずのヘナチョコな歌いぶりで、
アフロビートに必要な強度を持ち合わせていないという理由から、
当方、デビュー当時から一貫して評価しておりません。
なので、フェミの新作についてはコメント割愛というか、
別売りにしてくれれば、買わずにすんだのに。

で、フェミの息子というか、アフロビートの始祖フェラ・クティの孫、
マーデ・クティのデビュー作なんですが、
父親よりアフロビートを継承する才能あり、ですね。
フェラが留学したロンドンの名門校のトリニティ・ラバン音楽院で、
作曲を学んだというマーデ。
フェラは、音楽理論の成績が悪くて2度も落第し、
4年以上もかかって、ようやく卒業できたダメ学生でしたが、
マーデはきっと成績優秀だったんじゃないかと想像します。

マーデは、本作ですべての楽器を演奏し、
祖父譲りのアフロビートを再現しているんですね。
人力演奏のバンド・サウンドがアイデンティティともいえるアフロビートを、
たった一人の多重録音で、これほど生々しく再現できることに、まず感嘆。
さすがに幼い頃から父の演奏を聴いて、
アフロビートのサウンドを体得しているからこそ、なしえる業ですね。

父のフェミが、ポリティカルな姿勢を含め、フェラのアフロビートを継承したものの、
ヴォーカルの力量が圧倒的に足らず、模倣の域を越えられずにいるのに比べたら、
マーデのクールなヴォーカルの方がよほど説得力があり、
フェミを聴くときに覚えるイラダチを感じずに済みます。

そしてマーデが一人で演奏したのは、
なにより作曲とアレンジに重きを置いているからでしょう。
自分がめざすサウンドについて、
明確なヴィジョンを持っているからこその多重録音で、
ビート・ミュージックやジャズを吸収したサウンドが聞けます。

ジョー・アーモン=ジョーンズやヌバイア・ガルシアが、
マーデと同じくトリニティ・ラバン音楽院の卒業生であるように、
本作のリズム・ストラクチャーやホーン・アレンジには、
現在のロンドンのジャズが表現する、
多様性の一つとなる可能性を感じさせますよ。

このデビュー作から、今後マーデがどう発展していくのか、まだ予想はつきませんが、
とんでもなく大化けしたアフロビートを聞かせてくれる日も近いような。
ひょっとして、次作はラージ・アンサンブルだったりして。
そんな予感さえする大器の登場です。

Made Kuti "LEGACY+: FOR[E]WARD" Partisan/Knitting Factory PTKF2189-2 (2021)
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チャルガからバルカン・ポップへ イヴァナ [東ヨーロッパ]

Ivana  SASHTATA I NE SAVSEM.jpg

ブルガリア、チャルガの大スター、イヴァナの新作。
オープニングのジタン調のナンバーに続き、2曲目はロック歌謡、
ほかにもジャズありラテンありクラブ・ミュージックありの
ポップ・ア・ラ・カルトといった仕上がりで、チャルガらしいナンバーは7曲目のみ。
従来のチャルガを大きくはみ出したコンテンポラリーなサウンドは、
アラブのシャバービーに匹敵するプロダクションといえそうです。

イヴァナの歌いっぷりも、従来のバルカン演歌の情の深さを封印し、
クールに聞かせていて、熟女の貫禄あるセクシーさに翻弄されます。
エレクトリックからアクースティックなサウンドにシフトして、
引きのあるアダルト・オリエンテッドな志向を強めた作品といえます。

とはいえ、どこかアカ抜けないローカルな味わいを残すところは、
チャルガ(=ポップ・フォーク)ならではの良さでしょう。
タイのルークトゥンにも通じる下世話な庶民性は、
洗練されたシャバービーやターキッシュ・ポップになじめないファンも
取り込めるんじゃないかな。

思えばここ十年くらい、下層庶民のポップスは世界のどこでも、
絶滅の一途をたどるか、お上品にして一般ウケ狙いで延命するかの
二択になった感が強いですよね。
ダンドゥットしかり、ルークトゥンしかり、ライしかり。
チャルガもその波にあるのは間違いなく、
中・上流の顧客獲得に向けて制作された意図を感じさせる一作です。

Ivana "SASHTATA I NE SAVSEM" Payner Music PNR2019011696-1179 (2019)
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古典ファドの新解釈 アルディーナ・ドゥアルテ [南ヨーロッパ]

Aldina Duarte  ROUBADOS.jpg

この冬は寒かったですねえ。
去年が暖冬だったので、なおさら厳しく感じましたけれど、
東北や日本海側に暮らす方々にとって、
雪にずいぶん苦しめられた冬だったんじゃないでしょうか。

寒い冬の夜は、ファドを聴くのが定番なんですけれど、
今年はひさしぶりにアマリア・ロドリゲスをずいぶん聴き返しました。
コロナ禍で欝っぽくなる気分を吹き飛ばしたいという心理が働くせいか、
熱量の高い音楽を求めるようになるんですよね。
フリー・ジャズをやたらと聴いているのも、そのせいか。

今年はアマリア・ロドリゲスのあとでも聴ける、いいアルバムを見つけたんです。
アマリアをじっくり聴きこんでしまうと、お腹いっぱいになってしまって、
そのあと別のファド歌手を聴く気に、なかなかならないんですが、
アルディーナ・ドゥアルテの新作は違いましたよ。

伝統ファドにこだわり続けて歌ってきたアルディーナ・ドゥアルテが、
名ファディスタたちの名唱を新しい解釈でカヴァーした意欲作。
アマリア・ロドリゲス、マリア・テレーザ・デ・ノローニャ、ルシーリア・ド・カルモ、
カルロス・ド・カルモ、エルミーニア・シルヴァ、マリア・ダ・フェ、トニー・デ・マトス、
ベアトリス・ダ・コンセイソーン、ジョアン・フェレイラ=ローザといった、
錚々たるファディスタの古典的ファドにチャレンジしています。

これだけのレパートリーを前にしては、気負うなというのが無理というものでしょう。
張り詰めた緊張感とともに、真摯に自分のファドにしようという
アルディーナの強い意志が、びんびんと聴き手に伝わってきます。
凛とした歌声には、アルディーナが四半世紀にわたってファドに取り組んできた、
頑固なまでの純粋さが滲みます。
ちなみにジャケット写真は、二十代の時の写真だそうです。

Aldina Duarte  APENAS O AMOR.jpg

マジメな人なんだろうなあと想像します。そして、努力家でもあるに違いありません。
歌声を聴けばわかりますよ。ぼくはこういう音楽家がとても好きです。
04年にようやく、37歳にして遅すぎるデビュー作を出した人ですからね。
そのデビュー作以来、ギターとギターラのみの伴奏という古典ファドのスタイルを
守り通しているところに、この人の良い意味での頑固さがよく表れています。

ラストの、マリア・テレーザ・デ・ノローニャの‘Rosa Enjeitada’ には感動しました。
ドラマティックに歌ったノローニャのスタイルとはがらりと変え、
ぐっとテンポを落とし、つぶやくように歌っているんです。
まったく異なるアプローチで、この曲に秘められた哀感を押し出した新解釈も見事なら、
そのさりげない歌唱にも、しっかりとファドの定型がしっかりと押さえられているところが、
拍手もの。新世代ファド歌手と呼ばれる多くの歌手は、これができないんだよなあ。

この曲のみ、アントニオ・ザンブージョがゲストでデュエットしていて、
こういう楽想にザンブージョのつぶやきヴォーカルはピタリとはまりますね。
個人的にあまりザンブージョは買っていませんが、これは絶妙な起用でした。

Aldina Duarte ""ROUBADOS"" Sony Music 19075979892 (2019)
Aldina Duarte "APENAS O AMOR" EMI 7243 5 98283 2 9 (2004)
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東アフリカ沿岸のナイトクラブに流れたターラブ [東アフリカ]

Zanzibara 10.jpg

大衆ターラブの濃厚な味わいを堪能できる編集作の登場です。

「大衆」という言葉を付けてわざわざ呼んでみたのは、
カルチャー・ミュージカル・クラブや
イクファニ・サファー・ミュージカル・クラブといった、
共同体音楽の性格をもった冠婚葬祭向けのターラブではなく、
ナイトクラブなどで演奏された、大衆歌謡のターラブ集だからです。
たとえて言うなら、エスコ-ラ・ジ・サンバと、
マランドロたちが巣食うリオ下町のサンバの違いでしょうかね。

Black Star& Lucky Musical Club.jpg

89年に出たアフリカン・ポップス名盤中の名盤“NYOTA” を愛した人なら、
とりこになることウケアイの編集盤ですよ。
べちゃっとつぶれた声の女性歌手が歌う、
クサやの干物みたいなターラブの旨みなんて、もう最高です。
“NYOTA” はタンザニアの港町タンガで活躍した
二つのターラブ・バンドを編集したアルバムでしたけれど、
本作はケニヤのモンバサで活躍したターラブ・バンドも含めて編集されています。

Zanzibara 2  L’ÂGE D’OR DU TAARAB DE MOMBASA.jpg

モンバサのバンドは、本作と同じザンジバラ・シリーズの第2集
“L’ÂGE D’OR DU TAARAB DE MOMBASA 1965-1975” に収録されていた
マタノ・ジュマ率いるモーニング・スターや、ズフラ・スワレー、
ゼイン・ミュージカル・パーティなどの面々で、
第2集以降の90年までに残した録音を聴くことができます。
タンガの猥雑なスワヒリ演歌に比べ、モンバサはオルガンやドラムスを加えて、
サイケやファンキーなセンスもみせたのが特徴ですね。

Maulidi & Musical Party.jpg   Zein Musical Party  MTINDO WA MOMBASA.jpg
Zuhura Swaleh Jino La Pembe.jpg   Malika  Tarabu.jpg

ここに収録されたマウリディ・ミュージカル・パーティ、ゼイン・ミュージカル・パーティ、
ズフラ・スワレー、マリカは、ターラブが本格的に世界へ紹介された
80年代末から90年代初めにかけて(マリカだけは97年)、新録音も出ました。
これらのアルバムすべてで制作に関わってきたのが、
東アフリカ音楽研究家のウェルナー・グレブナーです。

エチオピア音楽を世界に紹介したフランシス・ファルセトほどには
知られていないウェルナーですけれど、グローブスタイルに残した一連のターラブ作や、
ブダの「ザンジバラ」シリーズで残してきた仕事は、ファルセトを凌ぐ広さと深さがあり、
コウベを垂れるほかないというか、足を向けて寝られませんね。

Shakila & Black Star, Zuhura & Party, Zein Musical Party, Malika & Party, Ali Mkali & Sta Mvita and others
"ZANZIBARA 10: FIRST MODERN: TAARAB VIBES FROM MOMBASA & TANGA / 1970-1990" Buda Musique 860354
Black Star & Lucky Star Musical Clubs "NYOTA" GlobeStyle CDORB044
Matano Juma & Morning Star Orchestra, Yasseen & Party, Zuhura & Party, Zein Musical Party, Bin Brek and others
"ZANZIBARA 2: L’ÂGE D’OR DU TAARAB DE MOMBASA 1965-1975" Buda Musique 860119
Maulidi & Musical Party "MOMBASA WEDDING SPECIAL" GlobeStyle CDORBD058 (1990)
Zein Musical Party "THE STYLE OF MOMBASA" GlobeStyle CDORBD066 (1990)
Zuhura Swaleh with Maulidi Musical Party "JINO LA PEMBE" GlobeStyle CDORBD075 (1992)
Malika "TARABU" Shanachie 64089 (1997)
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パン=アフリカニズムを標榜するトーゴのアクティヴィストMC イロム・ヴィンス [西アフリカ]

Elom 20ce  AMEWUGA.jpg

トーゴ、エヴェ人の正装であるケンテをまとった一族の記念写真は、
アフリカン・テキスタイル好きには、たまんないジャケットですね。
中央の椅子に座るのが、本アルバムの主役であるイロム・ヴィンスの息子で、
イロム本人は表ジャケットには不在で、裏に写っています。

ガーナのアシャンティの王族が身に着けるようになって有名になったケンテは、
黄・赤・青などの原色使いが特徴ですけれど、
ここでは緑を基調とするシブい色合いが、趣のある風合いを醸し出しています。
いやあ、それにしてもいい写真だなあ。いつまでも眺めていられますねえ。

トーゴ人ラッパー、イロム・ヴィンスの15年の前作“INDIGO” は、
期待ハズレだった苦い思い出が残っているんですけれど、
新作ジャケットに矢もたまらず飛びついてみたら、
前作の不満を見事に解消していて、快哉を叫んじゃいました。

Elom 20ce  INDIGO.jpg

母親の古い写真をジャケットに飾った前作“INDIGO” は、
アフリカの独立運動家で初代大統領を務めたガーナのンクルマと
ギネア=ビサウのアミルカル・カブラルに、ブラックパンサー党のジョージ・ジャクソンや、
ニーナ・シモンのスピーチをサンプリングするなど、
パン=アフリカニズムへの傾倒を全面に打ち出した野心作でした。
しかし、それほどアフリカの民族意識を標榜しながら、
ラップはフランス語、トラックメイクにもアフリカ色がまるでないという、
チグハグな音楽性が大いなる不満だったのです。

‘Vodou Sakpata’ なんて期待させるようなタイトルの曲も、
サクパタのリズムが聞けるわけでなし、ヴードゥーの音楽とも関連なしで、
なんでこのタイトルなの?といぶかしく思ったものです。
ま、そんなわけで、かなりガッカリな出来だったんですが、
新作はたっぷりとアフリカを刻印したトラックが詰まっています。

冒頭の‘Egungun’ から、ベルがステデイなリズムを鳴らして、
アダハを思わせる古いブラスバンドがフィーチャーされて、おおっ!
時折、遠景で角笛がうっすらと鳴らされたり、
ギネア沿岸由来とおぼしき古いメロディが顔をのぞかせたりして、
耳は引き付けられっぱなし。
前作と同じホーン奏者を使いながら、
前作にはまったくなかったアフリカ由来のサウンドを作り出しています。

ヴードゥーのメロディを歌うコーラスとベルのビートを取り入れたタイトル・トラックでは、
フリーキーなサックス・ソロを最後にフィーチャーしたり、
トーキング・ドラムとエヴェ語でかけあう短いインタールードの‘Gbessa’ から、
語りのかけあいがフロウに変わる‘Poings D'interrogation’ へつなげるなど、
どのトラックも精巧に組み立てられていて、感心させられます。

親指ピアノのサンプリングを効果的に使った‘By Enemies Necessary’、
コラとバラフォンをバックに、幼い息子と対話した‘Ubuntu’、
‘Le Sang de la Bougie’ では、トニー・アレンのドラミングをループさせたかのよう。

ハイライトは、トーゴリーズ・ファンクの往年の名シンガーで、
「ロメのJB」と称されたロジャー・ダマウザンをフィーチャーし、
ダンス・バンド・ハイライフを歌わせた‘Agbé Favi’ かな。
アフロ・ファンク・シンガーの大ヴェテラン、ダマウザンに、
こんなクラシック・スタイルのハイライフを歌わせるとは、思い切った企画ですね。

イロム・ヴィンスは、アスラフォ・レコードを主宰するほか、
服飾ブランドのアスラフォバウを立ち上げ、
ケンテのデザインを取り入れたモダンなスタイルも提案しているんですね。
ほかにも、フリー・マガジンを出版するなど、多方面にわたる活動をしていて、
トーゴの注目すべきアクティヴィストです。

Elom 20ce "AMEWUGA" Asrafo no number (2020)
Elom 20ce "INDIGO" Asrafo HC46 (2015)
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リメイクされた未発表ファースト・アルバム カンジャファ [西アフリカ]

Kandiafa  PLANTING TREES.jpg

マンデ・ポップの未来は、この人にかかっていると、
大きな期待を寄せている、若きンゴニ奏者カンジャファの新作が出ました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-11-01
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-12-12

新作といっても新録ではなく、
09年にカナダ人グループ、ルイス・メルヴィル&ザ・ウッドチョッパーズと録音した
未発表のファースト・アルバムを、新たにソロを録り直して、リメイクしたもの。
カンジャファは、シディ・トゥーレのツアーに帯同してアメリカやカナダを訪れ、
カントリー音楽に感化されたという話は聞いていましたが、
ルイスとはカナダで出会ったのではなく、バマコで出会ったそうです。

ルイス・メルヴィルは、ギター、バンジョー、マンドリン、ペダル・スティール他を演奏する
マルチ弦楽器奏者で、ルーツ・ミュージックを追及する一方、
実験音楽にも関心を寄せ、トロントのオルタナティヴ・ミュージック・シーンで、
プロデューサーとしても活躍する重要人物。
ブータン伝統舞踏団のタシネンチャや、タイ=ミャンマー国境のカレン人難民キャンプの
学生グループを録音するほか、キューバ、マタンサスのアフロ・キューバンの
ヨルバ音楽を記録するプロジェクトにも関わるなど、
活発な異文化交流の経歴を持っています。

ルイスはウッドチョッパーズの選抜メンバーとともにマリへ出向き、
コラのグリオのマンサ・シソコ、ワスルのジャー・ユスフ、
バマコの国立芸術音楽団の学生たちとレコーディングをして、
この時にカンジャファとも出会ったのですね。
こうして09年に本作がバマコで録音され、その後カンンジャファがカナダへ出向いて、
ルイスとウッドチョッパーズとともに、2か月間カナダ・ツアーしたのだそうです。

ウッドチョッパーズは、ギター、ピアノ、ベース、ドラムス、ハーモニー・ヴォーカルに、
サックス、トランペット、トロンボーンの3管を擁した8人編成。
サウンドはオルタナティヴ・カントリーといえますが、3管のアレンジがユニークで、
ニュー・オーリンズ・ジャズのような対位法的なプレイを聞かせる曲がすごく新鮮です。

アタックの強いフィンガリングで、バリバリ弾くカンジャファのンゴニと、
ルイスが弾くバンジョーとの対比も聴きものです。
カンジャファの明快なタッチに、才気が溢れんばかりなのは、今回も変わりませんが、
オルタナティヴ・カントリーとマンデ音楽の共演が、
異種格闘技的な色彩を帯びなかったところが、本作最大のポイント。
ンゴニがバンジョーのルーツであることを証明するかのように、
地続きのルーツ・ミュージックとして両者が融合しているところに、
お互いの音楽性をよく理解しあっていることが示されています。

Kandiafa "PLANTING TREES" Sans Commentaire SC09 (2020)
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ディダディのクイーン ナハワ・ドゥンビア [西アフリカ]

Nahawa Doumbia  KANAWA.jpg

ナハワ・ドゥンビアの久しぶりの新作は、オウサム・テープス・フロム・アフリカから。
オウサム・テープスは、ナハワの81年デビュー作と82年の3作目のリイシューを出し、
その権利関係をクリアにする過程で、コネクションができたんでしょうか。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-09-24
ナハワ・ドゥンビアのアルバムは、04年にコバルトから“DIBY” を出したのを最後に
音沙汰がなくなっていただけに、嬉しい新作の登場です。

ミュージック・テープ(カセット)のリイシュー専門レーベルである
オウサム・テープス・フロム・アフリカが新緑を制作するのは、
エチオピアのハイメ・メルギアほか、わずかの例しかないので、
カタログのなかでも貴重なアルバムですね。
クレジットによれば、18年から20年にかけて、サリフ・ケイタがオーナーの
バマコのスタジオ・モフーで録音されたとあります。

実は、内容を聴くまで、正直不安はありました。
6年前に、ハウスのサン・ジェルマンが出したアルバムにナハワが起用されて、
十年ぶりくらいに彼女の歌声を聞いたわけなんですが、
声が思いのほか荒れていたので、それで心配になっちゃったんですね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-12-28

でも、ノー・プロブレム。心配は杞憂でした。
昔と変わらないハリのある声を、声量たっぷりに押し出していて、
サビの利いた歌いぶりにも味が増しています。
プロデュースとアレンジは、ナハワのパートナーであるギタリストのング・バガヨコで、
デビュー作から変わることのない二人三脚ぶりが、安定感につながっています。

ナハワは、シカソのブグニを起源とする祝祭のダンス、
ディダディをトレードマークとして人気を博したシンガーですけれど、
今作の2曲目、そのものずばりの曲名‘Didadi’ で、
ディダディのクイーンぶりを発揮していますね。

その‘Didadi’ はじめ、子供のコーラスを従えた‘Hine’など、
泥臭く重厚なグルーヴや、5音音階のシブいメロディが満載で
ひさしぶりにバンバラらしいサウンドを堪能しました。
ここのところ、トゥアレグやソンガイの音楽に押されて、
バンバラの音楽を聴く機会がすごく減っていますけれど、
ナハワひさしぶりの新作は、バンバ・ワスル・グルーヴ以来の、
バンバラ音楽の快作です。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-09-22

Nahawa Doumbia "KANAWA" Awesome Tapes From Africa ATFA039 (2020)
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ザディコのアンバサダー コーリー・レデット [北アメリカ]

Corey Ledet Zydeco.jpg

14作目を数えるコーリー・レデットの新作は、
シンプルなタイトルが示すとおり、ザディコへ原点回帰した作品となりました。
前作“ACCORDION DRAGON” でも、
オーセンティックなザディコを聞かせていたコーリーですけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-05-23
今回あらためて家族のルーツを知り、
クレオール文化の遺産を次世代へ繋ぐ、アンバサダーとしての意識を高めたようですね。

それは、コーリーの曾祖父ガブリエル・レデットが、
アーリー・ジャズの伝説的なトランペッター、バンク・ジョンソンのバンドで、
ベースを演奏していた事実を、つい最近突き止めたことがきっかけでした。
曾祖父がベースを弾いていたことは、父親から聞かされていましたが、
まさか伝説的な音楽家と一緒に演奏するほどの人物だったとは知らず、
コーリーはとても驚いたようです

また、コーリーの祖父ブキャナン・レデットも、
クリフトン・シェニエやロッキン・ドプシーのバンドでドラムスを叩き、
ザディコ初のドラマーと呼ばれた有名人でした。
コーリーが生まれる前に亡くなり、
お祖父さんのプレイを直に聴いたことはなかったのにもかかわらず、
コーリーが8歳でドラムスを叩き始めた時、ブキャナンが編み出した
ダブル・クラッチというザディコの特徴的なリズムを難なく叩いてみせたことは、
家族を驚かせた逸話となっているそうです。

その後ルイジアナでは生計が立てられなくなったレデット一家は、
父親の代からテキサスのヒューストンに移り住んだものの、
夏休みは家族の故郷であるルイジアナのバークスで親戚たちとともに過ごしていました。
ヒューストンに暮らしながら、クレオール文化にどっぷりつかっていたコーリー一家は、
もともと音楽一家だったのですね。

本作でコーリーは、レデット家の歴史を辿りながら、故郷のバークスに伝わる
ルイジアナ・クレオール語のクーリ=ヴィニを使って歌詞を書き、
クレオールの伝統を守ることを意識しました。
前作のように管楽器を加えることもなく、シンプルなサウンドに徹しています。

前作からはベースとドラムスが交代し、ベースにはバックウィート・ザディコのバンドで
活躍したリー・アレン・ジーノが起用されています。
ロスト・バイユー・ランブラーズのルイ・ミショーとコーリーの共同プロデュースで、
ザディコを知り尽くした最高の布陣となっています。

コーリーのオリジナル8曲に、カヴァーも2曲やっていて、
グラント・ダームディのハープを交えた、ファッツ・ドミノとデイヴ・バーソロミュー共作の
ブルース・ナンバー‘Pèl Mò (Call Me)’ のほか、急速調にアレンジした
ビッグ・ジョー・ターナーの‘Flip Flop And Fly’ は、
ブルース・ブラザーズもシッポまくカッコよさ。
生一本のザディコ魂が生み出す
重量感たっぷりのグルーヴは、満足度100%です。

Corey Ledet "COREY LEDET ZYDECO" Nouveau Electric NER1016 (2021)
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南ア抵抗のサウンドトラック アッシャー・ガメゼ [南部アフリカ]

Asher Gamedze  DIALECTIC SOUL.jpg

『弁証法的魂』とは、なるほど言い得て妙だと、聴き終えてナットクしました。
「弁証法」や「アウフヘーベン」といった哲学用語で語られることの多かった
60年代後半の時代の空気が鮮やかに蘇るジャズです。

表層的に言えば、ファラオ・サンダースに代表されるスピリチュアル・ジャズの再現と
いえるのでしょうけれど、その音楽が説得力を持ってリアルに迫ってくるのは、
単なる過去への回顧でなく、この音楽の基礎となっている抑圧への抵抗が、
南ア社会の現実問題であり続けているからでしょう。
アメリカのBLM運動ともシンクロして、幅広い共感を得られるんじゃないでしょうか。

ジョハネスバーグ出身のアッシャー・ガメゼは、
ケープ・タウンを拠点に活動するドラマーで、
昨年ブルー・ノートから世界デビューしたンドゥドゥーゾ・マカティーニや、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-05-31
シカゴを拠点に活動するクラリネット奏者エンジェル・バット・ダウィッドなど、
内外の数多くの音楽家と共演しています。

アッシャーの初アルバムとなる本作は、ベース、テナー・サックス、トランペットの編成で、
数曲でヴォーカルが加わっています。
トランペットは、マブタのメンバーのロビン・ファッシー=コック、
テナー・サックスのバディ・ウェルズも、マブタのアルバムに客演していましたね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-05-06

冒頭の3部楽章の組曲‘State of Emergence Suite’ は、
植民地主義の暴力の歴史を描いたもので、
バディ・マイルズが激しい咆哮を放つ第1楽章の「テーゼ」、
ホーンズとリズム・セクションが無調に動いていく第2楽章の「アンチテーゼ」、
バディ・ウェルズの叫びから、リズム・セクションとポリリズミックに高揚していく
第3楽章の「シンセシス」と、引力と反発力が相互に作用していく、
まさに弁証法的な展開が繰り広げられています。

続く、平和と愛を象徴するゴスペル調の‘Siyabulela’ では、
怒りの組曲から一転、穏やかな笑顔で祖先に感謝する姿を示す歌声が、
心へ静かに染み入ります。
相反する力が緊張感を持って高め合っていくこうした曲構成が、
アッシャーの弁証法なのですね。

終盤にはンバクァンガの楽しげなメロディを奏でる‘Hope In Azania’、
そしてラスト‘The Speculative Fourth’ では、
冒頭組曲の第2楽章を発展させた無調ジャズを繰り広げます。

南ア激動の歴史をかたどってきた魂と精神を、
ラディカルに音楽化したこのジャズ作品、
ぼくは、抵抗のサウンドトラックと受け止めました。

Asher Gamedze "DIALECTIC SOUL" On The Corner OTCRCD9 (2020)
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ビター・スウィート・センバ エルヴィオ [南部アフリカ]

Hélvio  BAIA DOS AMORES.jpg

モダン・センバのごひいきシンガー、エルヴィオの新作を入手しました。
2000年代に出た2作を聴き倒したものの、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-10-19
その後音沙汰がなくて、どうしているのかと思っていたんですが、
18年に新作が出ていたんですね。

エルヴィオといえば、なんといっても、この声ですよ。
やるせないメロディを、しゃがれたビターな歌声で歌われた日には、
もう身をよじって、枕を濡らすしかないみたいな。

2000年代の2作は、アクースティック・ギターを中心に、
オーガニックなサウンドを聞かせていましたけれど、
新作はエレクトリック寄りのサウンドになって、
ロックやヒップ・ホップのニュアンスを加味したトラックが目立つようになっています。

それでも、この人らしい哀感たっぷりのソングライティングや、
ディカンザが刻むリズムや特徴的なコンガのセンバ由来のビートが、
アルバムのすみずみまで発揮されていますね。
キゾンバとミックスされたリズム・トラックも多く聞かれますけれど、
アコーディオンの響きがセンバの色合いを濃くしています。

シークレット・トラックの多重録音(?)のア・カペラも気が利いた演出。
一カ所、謎に思ったのが、2曲目‘Meus Amigos’ の最後に、
琴と篠笛がちらりと出てくるところ。
クレジットには何も書かれてませんが、サンプリングなのかな。
日本人の耳には、すごく引っかかりを残します。

Hélvio "BAIA DOS AMORES" no label no number (2018)
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グルーミーなセンバ パウロ・フローレス&プロジージョ(エスペランサ) [南部アフリカ]

Paulo Flores & Prodígio  A BÊNÇÃO & A MALDIÇÃO.jpg

パウロ・フローレスの新作は、ラッパーのプロジージョとコラボした共同名義作で、
「エスペランサ」というプロジェクト名を冠しています。

暴力や飢えなど、アンゴラの庶民が味わってきた苦しみや痛みの記憶を解きほぐし、
新しい秩序や連帯に基づいた価値観を求めて、
人々に希望と愛を紡ごうと試みたアルバムとのこと。
前作“KANDONGUEIRO VOADOR” でも、
パウロは未来に向けたメッセージを若者に託していましたが、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-01-10
世代の異なる若手と協働した新作は、
未来へつなげようとするパウロの意志を汲み取ることができます。

パウロが72年生まれなのに対し、プロジージョは88年生まれと、
ひと回り以上の年の差のある二人。
88年といえば、奇しくもパウロがデビュー作を出した年で、
子供の頃のヒーローとスタジオで一緒になるのは、
プロジージョにとって名誉でもあり、エキサイティングだったといいます。

プロジージョは、15年に出したソロ作がアンゴラのヒップ・ホップ・アワードで
最優秀アルバム賞とラッパーMVPのダブル受賞となり、
今アンゴラでもっともイキオイにのるラッパー。
本作では、どこか疲れも感じさせる翳りのあるパウロの歌声と、
向こう見ずな若いエネルギーを放出するプロジージョの声が対照的に響きます。

雨上がりの街角、アスファルトにできた水たまり、ネコ(一輪車)を手押しする若者、
どんよりとした天気のモノクロームの写真を飾ったジャケットのように、
アルバムの内容もグルーミーな曲調が多いんですが、
たまに打ち込みが加わる以外、全曲ギターと二人の声だけという超シンプルなもの。

最初に聴いた時、まるでデモみたいだなと感じたんですが、
じっさい、2回セッションしたデモが、そのままアルバムになったとのこと。
セッションの後、本格的なレコーディングに移ったものの、
最初に二人でセッションしたときのような、スポンテニアスなマジックが起こらず、
結局レコーディングを断念したのだそうです。

アンゴラに生まれた悲哀を歌う暗い曲が多いなか、
楽天的なトーンの‘Esquebra’にホッとさせられたりもします。
これほど陰影のくっきりとした、深みのある音楽を聞かせられるのも、
30年を超すキャリアと、未来に視点を置きながら、後進を育てようとする
パウロの進取の気風ゆえでしょう。

Paulo Flores & Prodígio "A BÊNÇÃO & A MALDIÇÃO" Sony 19439819482 (2020)
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