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ネオ・ダンドゥット・ロマンティカ ズバイダ [東南アジア]

Zubaidah  TANDA MERAH.jpg

インドネシア、ダンドゥットのレーベル、
イラマ・トゥジュフ・ナダのカタログは、内容保証。
ぼくが全幅の信頼を置いている会社で、見つけたら即買いをしているレーベルです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-01-31
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-03-18

ところが、ほとんど日本に入ってこなくて、めったに入手できないんですけど、
ひさしぶりに1枚見つけたので、取り上げる次第。
これまで手に入れたのと同じ15年のアルバムで、
この頃まで作っていたCDも今はなくなり、デジタル・リリースだけになっているのかも。

ズバイダという女性歌手、ネットで調べても情報がなく、経歴がわからないんですが、
現在はエルフィ・ズバイという名前で活動しているようですね。
いやぁ、上手いですねえ。かなりキャリアのある歌手とお見受けします。
エルフィ・スカエシの往年の名曲‘Mandi Madu’ はじめ、
ロマ・イラマ、リタ・スギアルト、イッケ・ヌルジャナー、エフィ・タマラらが歌った
ダンドゥット名曲の数々を歌っているんですが、
オリジナルに聴き劣りしない歌唱力は圧巻です。

イラマ・トゥジュフ・ナダのYouTube のチャンネルを観てみると、
本作のオフィシャル・ヴィデオがあって、スリンのほか4管を従え、女性コーラス3人、
キーボード2、ギター2、マンドリン、ベース、ドラムス、グンダンという編成を
バックにズバイダが歌っていて、ちょっとコーフンしてしまいました。
90年代ダンドゥット・サウンドそのままで、生演奏の魅力が爆発。
コプロに変質して以降のダンドゥットでは、これは味わえないもんねえ。

イラマ・トゥジュフ・ナダのCDには、どれも“NEO DANGDUT ROMANTIKA” という
サブ・タイトルが付いていて、ロマンティカという語がスローな歌謡を連想させますけれど、
あまりそうしたイメージはなく、80~90年代の懐メロ(死語?)路線の
ダンドゥットを追及していることは明らかですね。

この“NEO DANGDUT ROMANTIKA” をタイトルにして、本作から4曲削った
8曲収録のアルバムが、12年にデジタル・リリースされています。
再発のデジタル・アルバムは、オリジナルの大衆的なデザインとは見違えるほど
洗練されたジャケットに変更されていて、時の移ろいを感じさせますねえ。
17年にはストリーミングも開始されているので、
こういうオールド・スクールなダンドゥットに今も一定の需要があることがうかがえます。

Zubaidah "TANDA MERAH" Irama 7 Nada CD7-008 (2015)
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中国歌壇の新傾向 張可兒 [東アジア]

張可兒  曽経最美.jpg

中国人女性歌手を聴くのは、いつ以来でしょうね。
ずいぶんと長い間聴いてなかった気がするけれど、
ニコール・チャンというこの女性歌手、
現代中国歌謡きっての人気歌手だそうです。

こんなにひっそりと歌う、控えめな歌い口のシンガーが、一番人気というのは、
中国人のイメージからすごく遠い感じがして、不思議な気がするんですけど、
ぼくの中国人イメージが偏見にまみれてるからなのかしらん。
たしかに美麗なジャケットは、中国歌壇のアイドル路線ど真ん中という感じで、
本来ならぼくなど、裏口からさっさと逃げ出したくなるところなんですが、
その歌声に、すっかり魅了されてしまいました。

ひそやかで静かに歌っているのに、発声がくっきりと立ち上って、
なんとも心地よさを覚える歌声です。北京語の発音がきれいですよねえ。
キュートさも自然ににじみ出すタイプで、過剰な演出や人工的なところがなくて、
とてもエレガントです。

二胡や琵琶、笛などの民俗楽器を使って、中国情緒を交えたメロディながら、
都会的洗練をみせる、現代性に富んだプロダクションも見事です。
こういうサウンドが香港じゃなくて、大陸から出てくるようになったんだなあと、
しみじみ時代が進んでいるのを実感します。

メロディの良さを引き立てる、余計な音を重ねないアレンジで、
ほのかな甘さのあるヴォーカルを、くっきりと浮き上がらせるのに成功していますね。
クールなプロダクションと温かな歌声の対比が、絶妙じゃないですか。

すっかりトリコになって、この人の15年の前作『愛情來點贊』を聴いてみたら、ガックリ。
アイドル路線のポップなプロダクションで、
歌唱力も本作に比べ、だいぶ聴き劣りします。
このアルバムから、ぐっと大人ぽく変身したのが、本作だったようで、
しっかりと成長の跡がうかがえますよ。
秋の夜長に、またとない一枚です。

張可兒 「曽経最美」 天艺唱片 9778884412051 (2017)
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クロスオーヴァー蘇るパワー・トリオ ショウン・マーティン [北アメリカ]

Shaun Martin  THREE-O.jpg

ひょんなことから、ハービー・ハンコックの“SUNLIGHT”(78) を聴き返してみたら
えらくハマってしまって。ウン十年ぶりに聴き返したけれど、古くなってない、
なんてことはぜんぜんなくて、思いっきり古さは感じるものの、
こんなに熱量のある演奏だったっけと、そこにすごく意外感があったんでした。

60年代のジャズ・ロック、70年代のクロスオーヴァー、80年代のフュージョン、
90年代のスムース・ジャズと、ジャンルの呼び名が変わった大きな理由に、
サウンドの変遷が挙げられますけれど、楽器の進化、
とりわけシンセサイザーなどの鍵盤楽器や、ギターのエフェクターに加え、
録音やミックスによるサウンドのテクスチャーも、大きな変化を遂げましたよね。

なので、ジャズ・ロック、クロスオーヴァー、フュージョン、スムース・ジャズには、
それぞれ明確なサウンド・アイデンティティがあると、ぼくは考えています。
個人的には、やはりリアルタイムで夢中になったクロスオーヴァーに、
いちばん愛着があるんですけれども。

そんなことをつらつら思ったのは、ショウン・マーティンの新作を聴いたからなのでした。
スナーキー・パピーのキーボーディストで、コンテンポラリー・ゴスペル・シンガーの
カーク・フランクリンの音楽監督を務めるショウン・マーティンのデビュー作は、
かつてここで絶賛したし、その年のベスト・アルバムにも選びましたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-08-30
あのアルバムは、見事なフュージョンでした。

で、対するこちらの新作の肌触りは、クロスオーヴァーなんですよ。
ベースのマット・ラムジー、ドラムスのマイク・ミッチェルとの3人で録音した本作は、
ハンコックの“SUNLIGHT” をヘヴィロテしていた毎日に、ジャスト・フィット。

オープニングのファンク・チューンから、
70年代独特のゴツッとした感触があるじゃないですか。
クラヴィネットの音色だって、もろに70年代です。
サウンドがクリーンになり、流麗さを競うようになる80年代のフュージョン時代になると、
こういう演奏はまったく聞かれなくなってしまいましたよねえ。

さきほどのハンコックの“SUNLIGHT” にも、
ハンコックとジャコ・パストリアスとトニー・ウィリアムズのトリオによる
ハードエッジな演奏がラストに収録されていて、
アルバムのなかでも異色なトラックだったんですけれど、
こういうエネルギーが、ソフト&メロウといったイメージで語られがちなクロスオーヴァーの
もうひとつの側面でもあったので、いま再評価に値するんじゃないですかね。

驚いたのは、マイク・ミッチェルのドラミング。
若くしてスタンリー・クラークのバックに抜擢された実力の持ち主ですけれど、
ここで披露されるのは、いわゆるゴスペル・チョップスと呼ばれる、
16ビートの曲調から突然6連符だったり、
32分音符のリニア・パターンを叩き出すドラミング。

超絶すぎるドラミングなんですが、ショウン・マーティンのアルバムなので、
さすがにミックスでかなり抑え気味にしてるとはいえ、
その凄まじいテクニックは、もろに伝わるよねえ。
新世代ジャズにも大きな影響を与えているゴスペルのドラミングですけれど、
このアルバムくらい、それがはっきり示されているアルバムもないような気がします。

とりわけ、マイク・ミッチェルのゴスペル・チョップスのスゴ味を味わえるのが、
‘Naima’ と‘Afro Blue’ の二つのジャズ・チューン。
この曲で、こんな高速ドラミングを聴けることはないから、ビックリしますよ。
3連、2拍3連なんて当たり前、5連、6連と32分音符が連なる超絶細かいフレーズを、
正確かつ粒立ちの揃った音で叩くそのプレイは、神業というほかありません。

パワー・トリオが繰り出す猛烈なフィジカルの圧が、クロスオーヴァーを蘇らせた傑作です。

Shaun Martin "THREE-O" Ropeadope no number (2020)
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アンビエントR&Bにヒストリーあり エリカ・ド・カシエール [北ヨーロッパ]

Erika De Casier.jpg

うわ~、これは、トロけるなぁ。
去年ココロ射抜かれたジェネイ・アイコやケラーニとおんなじテイストで、
ぼくをトリコにする歌声の持ち主ですね、この人は。
コペンハーゲンから登場した、アンビエントR&Bの新鋭、エリカ・ド・カシエール。
日本のみで出たデビュー作CDは、チェックしそびれていましたが、
4ADに移籍して出した第2作は、冒頭の曲を十数秒聴いて、即買いしましたよ。

90年代のUKガラージを思わせるサウンドにのる、
エリカのコケティッシュなヴォーカルのオープニング、‘Drama’ にヤラれたんですが、
続く‘Polite’ のコンガなんて、ネイキッド・ミュージック・NYCが絶好調だった
00年代のハウスを思い出さずにはおれません。

こちらの好みを見透かされるようなサウンドのリファレンスに、
ちょっとクヤシイ気分にもなるんですけれど、
そこにのるエリカのラップまじりのヴォーカルは、当時はなかったものですよねえ。
そのフロウは、間違いなく現代のアンビエントR&Bの新しさが刻印されています。
アンビエントR&Bは一日にしてならず、ヒストリーありですねえ。

エレクトロニカ、アンビエント、ディープ・ハウス、ジャングルなどを咀嚼したサウンドは、
はかない美しさに富んでいて、クールなサウンドスケープに、
温かな感情が満ち溢れているのが、びんびん伝わってきます。
選び抜かれた音色のデリケイトな質感には、感じ入ってしまいますねえ。

90年代からのさまざまな音楽要素を収斂させてこそ、
この新しいヴォーカル表現が生かされているのを感じます。
ラストの‘Call Me Anytime’ なんて、バックで鳴っているビートは、
まぎれもなくジャングルじゃないですか。
あの凶暴なジャングルが、まさかこんなに静謐なアンビエントと融合するなんて、
あの頃誰が予想しましたかね。

デンマークから出てきた才能というのも、なかなかに新鮮ですけれど、
なんとご両親はベルギーとカーボ・ヴェルデの出身だそうで、
エリカが生まれたのは、ポルトガルなんだそうです。
う~ん、クレオールの香りが漂ってくる話で、ぼくが惹かれるのも当然なのか。

Erika De Casier "SENSATIONAL" 4AD 4AD0354CD (2021)
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伝説の父を継いで ディディエ・ボスコ・ムウェンダ [中部アフリカ]

Didier Bosco Mwenda.jpg

レトロタンの3番は、ディディエ・ボスコ・ムウェンダ。
52年にヒュー・トレイシーが見出し、名曲‘Masannga’ でアフリカのギター史に
その名を残したギタリスト、ジャン・ボスコ・ムウェンダの息子です。

ジャン・ボスコ・ムウェンダは、カタンガ地方に広まっていたギター奏法を発展させ、
東アフリカでドライ・ギターと称されるギター・スタイルを確立したパイオニアです。
そのジャン・ボスコ・ムウェンダの息子で、幼い頃からギターを父に習い、
父のギター・スタイルを継承したディディエ・ボスコ・ムウェンダは、
ドイツ人研究者ローズマリー・ユガルトが12年に書いた、
ジャン・ボスコ・ムウェンダの研究書でその名は知っていたものの、
音を聴くのは、これが初めてですね。

レトロタンのサイトによると、騒乱と暴力のるつぼとなっていた故郷のルブンバシでは、
将来がないと考えたディディエは、スワヒリ語が堪能だったことから
平和なタンザニアで音楽活動をしようと決心し、
96年にダル・エス・サラームへ出てきたのでした。
そして、当時駆け出しのレーベルだったレトロタンと契約し、カセットをリリースします。
“BUMBULAKO” のタイトルで96年に出たカセットをリイシューしたのが本作です。

ダル・エス・サラームにやってきて、廃車の中で寝泊まりした曲など、
社会の片隅で生きていくことを余儀なくされている人々の苦悩を、
ディディエは歌います。本作は、ディディエが弾くギターのみの弾き語りで、
ファンタ瓶などの小物打楽器の伴奏もない、とてもシンプルなもの。
驚いたのは、ジャン・ボスコ・ムウェンダと瓜二つなこと。
いやあ、声までそっくりじゃないですか。

ディディエはを父の遺志を継いて、父のギター・スタイルを継承しようと
研鑽を重ねてきたといいます。それがよくわかる10曲で、
カタンガのギター・スタイルに共通する
ヴォーカルとギターの平行三度のハーモニーが味わえ、
まるでジャン・ボスコの新曲を聴くかのような気分になります。

本リイシュー作に“LOST IN DAR” というタイトルを付けたのは、
その後ディディエはダル・エス・サラームからこつぜんと姿を消してしまったからで、
再び連絡がとれることを願っているとサイトには書かれています。

しかし、残念ながら、ディディエはすでにこの世にいません。
冒頭にふれたローズマリー・ユガルトの研究書“Masanga Njia - Crossroads” は、
ディディエから多くの資料提供やインタヴューを受けてまとめられており、
ディディエが09年6月2日に、34歳の若さで突然亡くなったと書かれています。

父ジャン・ボスコと交流のあった民族音楽学者のゲルハルト・クービックからも、
ディディエには父に劣らぬ才能があると評価されたものの、
父が活躍した50年代と、時代はあまりに違いすぎました。
残念ながら、父に匹敵する人気を獲得するにはほど遠いまま、
亡くなってしまいましたけれど、ジャン・ボスコ・ムウェンダの
ハイブリッドなギターのスゴさを知るファンには、ぜひ聴いてもらいたいですね。

Didier Bosco Mwenda "LOST IN DAR" RetroTan RT003
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エキストラになった東アフリカのドライ・ギター フランシス・ラファエル・ムワキチメ [東アフリカ]

Francis Raphael Mwakitime.jpg

新生レトロタンの2番は、ギタリストのフランシス・ラファエル・ムワキチメ。
旧レトロタン時代の95年にリリースされていたカセット作品の再発です。

フランシス・ムワキチメは、イギリス領タンガニーカ時代の1920年代に、
内陸の中南部にあるイリンガ地区のトサマガンガに生まれました。
地元のカトリック小学校に通い、神父の指導でブラスバンドに加わり、
トランペットの演奏を始めます。
続いてアコーディオン、ギター、マンドリン、ウクレレにも挑戦し、習得します。

やがて40年代に普及した蓄音機やラジオ放送によって、
ジミー・ロジャーズやジーン・オートリーなどの北米のカントリー・ミュージックを知り、
東アフリカのトルバドールたち、フンディ・コンデやロスタ・アベロなど、
多くのギタリストに影響を受けます。
50年代後半にはタンガニーカ放送局で音楽活動をはじめ、人気を不動のものとしました。

ムワキチメの歌は、かつてドイツ軍と苛烈な闘いを繰り広げた
ヘヘ人の抵抗運動を取り上げた曲が多く、
ムワキチメが生まれる以前の歴史的な事件を、民族の歴史として伝承する
語り部の役割を担っています。
ヘヘの伝統歌や子守唄のほか、ヘヘの言い伝えや警句をまとめたものなど、
レパートリーはいずれも、ムワキチメの出自の
ヘヘの伝統に沿ったもので占められていますね。

いずれの曲もフィンガー・ピッキング・スタイルのギターで、
穏やかに歌うムワキチメに、奥さんのクリスティーナが
コーラスで華を添える曲もあります。
クリスティーナがリードをとる‘Sambulihate’ では、
キベナ語の方言で歌っています。

東アフリカのギター・ミュージックのドライ・ギターの流れを汲むもので、
スムースなフィンガリングのギターにリズム面の面白さはないものの、
ゆるいフォーク・サウンドは、ここちよく耳に響きます。

AFRICAN ACOUSTIC GUITAR SONGS FROM TANZANIA, ZAMBIA & ZAIRE.jpg

本作には95年のカセット音源のほか、ボーナス・トラックが付いていて、
70年代にジョン・ローが録音して、アメリカのオリジナル・ミュージックから出した
“AFRICAN ACOUSTIC : GUITAR SONGS FROM TANZANIA, ZAMBIA & ZAIRE”
収録のムワキチメの4曲がまるまる収録されています。

四半世紀前の70年代録音も基本的にギター・スタイルに変化はないものの、
70年代録音の方が、メロディをきわだたせるようなピッキングをしていて、
年を経てピッキングが流麗になって、メロディを流し弾くようになった印象があります。
そこが、カタンガ・スタイルに発祥したドライ・ギターが、
エキストラになったゆえんでしょうか。

Francis Raphael Mwakitime "EXTRA DRY" RetroTan RT002 (1995)
Losta Abelo, George Kazoka, Magwere Blind School Band, Joseph Mkwawa, Francis Mwakitime and others
"AFRICAN ACOUSTIC: GUITAR SONGS FROM TANZANIA, ZAMBIA & ZAIRE" Original Music OMCD023
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初のフル・アルバム・リイシュー シティ・ビンティ・サアド [東アフリカ]

Siti Binti Saad.jpg

ロニー・グレアムさんといえば、
88年に出版した“Stern's Guide to Contemporary African Music” に、
どれだけお世話になったことか。ぼくだけじゃなく、古手のアフリカ音楽ファンにとっては、
92年の続編ともども、マスト・アイテムの必携書でしたね。

ロニーさんは、グレイム・イーウェンズ、チャールズ・イスモンとともに、
アフリカ音楽のリイシュー・レーベル、レトロアフリックを共同経営して、
E・T・メンサー、フランコ、スーパー・イーグルスなど、
さまざまな音源を復刻してきたことでも良く知られています。

そのロニーさんが、タンザニア音楽のレーベル、レトロタンを再起動させました。
レトロタンは、94年にタンザニアでカセット・レーベルとして発足し、
シカモー・ジャズ、ビ・キドゥデなどの新作をはじめ、
ヴィジャナ・ジャズ、オーケストラ・マキの復刻など、新録から旧録まで、
ジャンルもムジキ・ワ・ダンシからターラブ、ヒップ・ホップまで幅広く扱っていましたが、
98年に財政が行き詰まり、倒産してしまったといいます。

そのレトロタンをもう一度復活させようと、活動再開にあたって、
リイシュー3タイトルをリリースしたんですね。デジタル・リリースのみなのですが、
ロニーさんがプロモCDを送ってくださったので、紹介したいと思います。

記念すべき活動再開第一弾アルバムは、
なんとザンジバル伝説の歌姫、シティ・ビンティ・サアドのSP録音集です。
昨年、世界中のアフリカ音楽ファンの間で、シティ・ビンティ・サアドのひ孫、
シティ・ムハラムのアルバムが話題沸騰になりましたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-07-30
シティ・ビンティ・サアドのフル・アルバムのリイシューは、これがもちろん初。

リイシューの原盤となったのは、SPではなく、なんと出所不明の白レーベルのCD。
08年にザンジバルを訪れていたロニーさんが、
ストーン・タウンのギゼンガ・ストリートの雑貨店で見つけ、
いずれ正規な形で出せればと、ずっと保管していたのだそうです。
それがシティ・ムハラムとの出会いでライセンスを得たことによって、
レトロタン再出発の第一弾となったんですね。

シティ・ビンティ・サアドの初録音については、昨年の記事でも少し触れましたが、
シティの人気に目をつけた地元のインド人実業家が録音を画策したのが、事の始まり。
1928年3月、イギリスのグラモフォン社は、
インドのボンベイ(現在のムンバイ)にシティ・ビンティ・サアドを招いて、
グラモフォンの出張録音技師ロバート・エドワード・ベケットのもと、
東アフリカ人音楽家初の録音を行います。

シティの伴奏を務めたザンジバルの音楽家たちの出身は、さまざまでした。
リク(タンバリン)奏者のムワリム・シャーバン・ウンバイェは、
1900年マラウィ生まれ、コーラン教師としての訓練を受け、詩人で作曲家でもありました。
ヴァイオリン奏者ムバラク・エファンディ・タルサムは、1892年モンバサ生まれ、
そして、ガンブス奏者ブダ・ビン・スウェディと、
ウード奏者スベイティ・ビン・アンバリの二人が
地元ウングジャ(ザンジバル)島生まれでした。

カルカッタでプレスされた56枚のヒズ・マスター・ヴォイス(HMV)盤が、
東アフリカ沿岸部のスワヒリ語の地域向けに出荷されると、
飛ぶような売れ行きを示し、大成功を呼びました。
あまりにも売れるので、レコードは毎月10曲に限って発売され、
さらに売行きを伸ばしたといいます。

続いて2度目の録音が30年に、3度目の録音が31年に行われ、
シティは、レコード125枚に262曲を吹き込んだという記録が残っています。
しかし現存するのはその1割にも満たないといいます。
現存するSPはわずかであるものの、ソマリアやコモロのラジオ局に
アーカイヴ・コピーが残されていて、今回の音源もそうしたものの可能性がありそうです。

ちなみに、30年の2度目の録音では、エジプトの名歌手ウム・クルスームと出会い、
シティはウムから大きな歓待を受けたのだそうです。
ウムは、東アフリカで初の録音歌手となったシティの野心に感銘を受け、
シティと彼女のグループのために、公式のレセプションを開催したといいます。

3人の音楽家たちは、シティのバックで合いの手を入れたり、コーラスを歌ったり、
また時に奔放な動物が吠えるような擬態声をあげたり(‘Juwa Toka’)と、
生々しい演唱を聞かせます。

かなり音質の悪いトラックもあり、音質面では厳しいアルバムではありますけれど、
やせた音の中からも、艶めかしさをヴィヴィッドに伝えてくれる曲も多く、
シティ・ビンティ・サアド初のフル・アルバム・リイシュー、待望の貴重作です。

Siti Binti Saad "THE LEGENDARY MUMBAI RECORDINGS" RetroTan RT001
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コックピットでサルサ ウィリー・モラーレス [カリブ海]

Willie Morales  VIVENCIAS, MI MISIÓN.jpg

今年の春先は、リトル・ジョニー・リベーロの“GOLPE DURO” に、
「グァグァンコー最高!」とばかり、ずいぶんケツを振ったもんです。
(1曲目の‘Quien Te Ha Dicho’ のホーンズが、鳥肌ものでしたねっ)
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-04-06

あの一枚で、すっかりサルサ熱が返り咲いちゃいましたが、
リトル・ジョニー・リベーロがアルバム・タイトルで示していた、
「ゴルペ」(ハードの意)で、ダンサブルなサルサにまた出会えましたよ。

それが、「サルサのパイロット」こと、ウィリー・モラーレスの新作。
なんと、テキサス州ダラスを拠点とするエアバスのパイロットで、
サルサ・シンガーとの二股で活動をしているんだそうです。
プエルト・リコ出身の両親のもとシカゴに生まれ、
13歳の時に父親が退職してプエルト・リコへ移り、
その後アメリカと行き来しながら育ったんだそう。

本作は、18年のデビュー作に続く第2作。
ジャケットで飛行機のおもちゃを手にしているのは、
ウィリーのお子さんたちなのかな。
力量を感じさせる歌いっぷりを聞かせる本格派のシンガーで、
敬愛するシンガーに、チェオ・フェリシアーノ、イスマエル・ミランダ、
マルビン・サンチアーゴを挙げるところに、思わずヒザを打っちゃいましたね。

張りのある声に、元エル・グラン・コンボのアンディ・モンタニェスを
思い浮かべたくらいですからね。いやぁ、歌えるシンガーですねえ、この人。
ロマンティカ・ブームでサルサを捨てた当方ではありますが、
こういうシンガーが出てくると、やっぱり捨てたもんじゃないなあ。

そして、主役を守り立てるバックがまた豪華。
ニュー・ヨーク、プエルト・リコばかりでなく、ペルー、ベネズエラ、フロリダ各地から、
40人以上のミュージシャンが参加して、アレンジャーも7人が起用されています。
今年3月に亡くなった、プエルト・リコの名コンガ奏者、ジミー・モラレスのソロなど、
短めでも、きらりと光るソロ・パートが、どの曲にも用意されていて、
バイラブレなサウンドにダンスしながらも、耳を奪われます。

Willie Morales "VIVENCIAS, MI MISIÓN" El Piloto De La Salsa Productions EPDLS004CD (2021)
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ンビーラ名手の忘れがたき名盤 エファット・ムジュール [南部アフリカ]

Ephat Mujuru & The Spirit of The People  MBAVAIRA.jpg

わぁ、懐かしい!
ジンバブウェのンビーラ・マスター、エファット・ムジュール率いる
ザ・スピリット・オヴ・ピープルの83年セカンド作がCD化。

ザ・スピリット・オヴ・ピープル名義で出したエファット・ムジュールの
80年代の3作のうち、いちばん愛聴したのが、このレコードだったんだよな。
これをCD化するとは、オウサム・テープス・フロム・アフリカ主宰の
ブライアン・シンコヴィッツ、わかってるねえ。

拙著『ポップ・アフリカ800』のエファット・ムジュールの項に、
なんて書いたっけなあと思って読み返してみたら、
「エファットのソロならば、80年代のスピリット・オヴ・ザ・ピープルを
率いた諸作が最高だが、残念ながら未CD化」と書いていた。
そうそう、まさしくこのセカンド作を想いながら、これを書いたんだっけなあ。

エファットと相棒のトーマス・ワダルワ・ゴラが弾く2台のンビーラに、
ホーショ(シェイカー)を振るタベタ・マティキの3人によるミニマルな演奏が、
ショナ人のクロス・リズムの奥義を、たっぷりと披露してくれます。
遠くへ声を投げつけるようなワダルゴのヴォーカルが、いいんだなあ。
ンビーラのアルバムというと、ついぞ楽器演奏ばかりに注目が集まりますけれど、
ぼくはこのショナ独特の奔放な歌があってこその音楽だと思うんですよね。

祖先の霊と交流するための音楽であるからこその、
霊を引き寄せる芯の強い声に、クロス・リズムが催眠状態を生み出すグルーヴ。
オルゴールのようなンビーラ2台のサウンドに、
シャッシャッと規則的に刻まれるホーショのビートによって、
円環を描くようなサウンドスケープを生み出していく。
ショナ音楽のエッセンスがここに詰まっています。

本作は4曲収録で、収録時間はたったの23分。
81年の第1作、87年の第3作、まとめて3イン1CD化できたような気もするけど、
オリジナル・フォーマットのままのCD化が個人的には嬉しいので、大満足です。
ちなみに81年の第1作は、ジンバブウェ独立1周年を記念して、出たんですよねえ。
『ポップ・アフリカ700』にジャケット写真を載せたけど、
せっかくだから、ここにも載せておきましょう。

Ephat Mujuru  & The Spirit of The People.jpg

Ephat Mujuru & The Spirit of The People "MBAVAIRA" Awesome Tapes From Africa ATFA038 (1983)
[LP] Ephat Mujuru "THE SPIRIT OF THE PEOPLE : THE MBIRA MUSIC OF ZIMBABWE" Gramma ZML1003 (1981)
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驚きのデビュー作 カロル・ナイーニ [ブラジル]

Carol Naine.jpg   Carol Naine  QUALQUER PESSOA ALÉM DE NÓS.jpg

ブラジルの女性シンガー・ソングライター、
カロル・ナイーニのデビュー作がトンデモない。

16年のセカンドを聴いて、ガル・コスタやジョイスに代表される、
ブラジルのフィメール・シンガーに特徴的な、
ちょっと鼻にかかる美声にホレボレとしていましたけれど、
こんなにトガったサウンドのデビュー作を出していたとは、知らなんだ。

いや、トガった、という表現は、ちょっと不適切かな。
プロデュース、アレンジ、音楽監督を務める鍵盤奏者のイヴォ・センナが弾く
ウーリッツァーを中心に、管弦をレイヤーしたアレンジが、とんでもなく斬新なんです。
このイヴォ・センナっていう人、どういう出の人なんだろうか?
ジャズだけじゃなくて、クラシックや現代音楽の素養もありそう。
対位法をふんだんに取り入れたアレンジの感覚が、すさまじく新しいんですよ。
サンバ・ベースのMPBで、ウーリッツァーを全面にしたこんなサウンド、
これまで聴いたことがない。

16年のセカンドでは、アレシャンドリ・ヴィアーナのピアノを中心に、
ベース、ドラムス、パーカッションというシンプルな生音編成で、
ジャジーなMPBといったサウンドで仕上げていました。
これはこれで、品の良い端正なアルバムだったんですけれど、
デビュー作の斬新さに比べたら、きわめて大人しいもの。

オープニングのサンバ‘Para Não Esquecer’ から、
野心的なアンサンブルのアレンジに驚かされます。
ウーリッツァーとギターがリフをかたどり、
ディストーションを利かせたエレクトリック・ギターが、
ショーロの7弦ギターに寄せたラインを弾く一方、
チェロ、ヴィオラ、ヴァイオリン2が、
ギザギザとした低音域のラインをスペースに割り込ませてきます。

2曲目‘Bailarina’ は、譜割が細かく、上がり下がりするメロディが
カルメン・ミランダを思わせるコケットリーでユーモラスな曲。
もたついたドラムスの2拍子のイントロから、一転、サンバにスイッチする粋なアレンジで、
途中にキメを作り、エンディングでもキメでばちっと終わるリズム・アレンジがカッコいい。

ゆったりとしたリズムで始まる‘Coisa Arbitrária’ では、
スネアに長いサスティーンの電子音をかけた強烈に耳残りする響きと、
美しい弦楽四重奏を絡ませながら曲は進み、
カロルは静謐なメロディを紡いでいくように歌います。
ところが後半になると、一転してドラムスは乱打しまくり、
ウーリッツァーも鍵盤を激しく連打して、主役の歌をかき消さんばかりに、
アンサンブルが暴れまくるんですが、
カロルはどこ吹く風で、最後まで淡々と歌い続けます。

また、サンバ・ニュアンスの濃い曲ばかりでなく、
ノルデスチの香り高いメロディの曲もあり、
‘Virundum’ では、ピファノを連想させるフルートや、
高速リズムにスイッチする中盤では、トリオ・エレトリコばりの
フレーヴォに展開して、ぐいぐい引き付けられます。

リオのインディから出てきた人というのが新しく、
これがサン・パウロだったら、もっとエクスペリメンタルに傾きそうだけれど、
生音重視で、ジャズや現代音楽的アプローチのアレンジは、すごく新鮮です。
キー・パーソンであるイヴォ・センナとは、このデビュー作のみで、
その後パートナーをアレシャンドリ・ヴィアーナに変えてしまったのは、残念至極。
イヴォ・センナの野心的なアレンジ、古典サンバの作風も聞かせるソングライティング、
麗しい美ヴォイス、三拍子揃ったアルバムを、もっと聴きたかったなあ。

Carol Naine "CAROL NAINE" no Label no number (2013)
Carol Naine "QUALQUER PESSOA ALÉM DE NÓS" no label no number (2016)
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アフロビート詩人は精神科医 イクウンガ [西アフリカ]

Ikwunga  DIBIA.jpg

トーシン・アリビサラのキャリアをチェックしていて、
イクウンガの15年作に、コンガとパーカッションで参加していることに気付きました。
そういえばイクウンガって、話題にしたことがありませんでしたね。
せっかくなので、イクウンガについて、ちょっと書いておこうかな。

イクウンガことイクウンガ・ウォノディは、
ナイジェリア南東部リヴァーズ州の州都ポート・ハーコート出身の詩人。
アフロビート・ポエトリー(略称 Abp)という分野を切り開いたクリエイターです。
90年代初め、レゴスのシュラインで
フェミ・クティのオープニング・アクトとして出演していたイクウンガは、
バリトンのよく響く声で、ピジン・イングリッシュの自作詩を朗読します。
そのディープ・ヴォイスは、リントン・クウェシ・ジョンソンに通ずる魅力がありますね。

Ikwunga  CALABASH VOL.1.jpg

04年に出したデビュー作は、フェラ・クティのエジプト80で音楽監督を務め、
のちにフェミ・クティのポジティヴ・フォースの音楽監督を務めたデレ・ソシミが制作、
デレ・ソシミらしいクールなアフロビート・サウンドで仕上げています。
曲は、デレ・ソシミとベーシストのフェミ・エリアスによる共作となっています。
ウガンダの少年兵を題材とした‘Di Bombs’ がヒットし、
スーダン救済プロジェクト・アルバムの“ASAP” に収録されたほか、
IBFジュニア・ミドル級チャンピオン、カシム・オウマのドキュメンタリー映画
“KASSIM THE DREAM(チャンピョンになった少年兵)” の
サウンドトラックにも採用され、イクウンガのシグニチャー・ソングとなりました。

Mr Something Something & Ikwunga  DEEP SLEEP.jpg

07年には、カナダのアフロビート・バンド、
ミスター・サムシング・サムシングとコラボしています。
イクウンガの故郷であるニジェール・デルタの原油流出汚染などの社会問題のほか、
アフリカにおける精神障害の差別や偏見の問題に取り組んでいるイクウンガの、
精神科医としての問題意識をテーマとした詩などを朗読しています。

イクウンガには、音楽家の顔のほかに、精神科医の顔もあるんですね。
アメリカ合衆国のライセンスを得た精神科医としてボルチモアで従事しており、
ボルチモアの精神医学会の主要メンバーのひとりにもなっています。

そして、トーシン・アリビサラが参加した15年の3作目は、
イクウンガの最高作となりました。
バリトン・サックスを加えたホーン・セクションに、
重低音を利かせたリズム・セクションなど、
1作目からは見違えるほどボトムに厚みが増しています。
イクウンガのポエトリー・パフォーマンスも、ツバが飛んでくるようなアグレシヴさをみせ、
グンと表現力が増しましたね。

サウンド・プロダクションも凝っていて、オープニングの‘Kola Nut’ では、
トーキング・ドラムにアップライト・ベース、さらにはコラまでフィーチャーして、
アフロビート定型のサウンドから距離を置いたデザインをしているところが新鮮です。

本作も、詩はイクウンガ、曲はデレ・ソシミとフェミ・エリアスの共作がベースですが、
キーボードのジョン・マクリーン作のレゲエでは、
イクウンガがリントン・クウェシ・ジョンソンばりのダブ・ポエットを聞かせます。
さらにそのリントン・クウェシ・ジョンソンの‘Sonny's Lettah’ に、
イクウンガのポエットをアダプトした‘Sonny Lettah’ までやっているのにはビックリ。
しかも、曲はフェラ・クティの‘Dog Eat Dog’ をまるまる借用していて、
アフロビート・ダブ・ポエットとなっています。

このほかにも、ソロ・ギターをバックに朗読するトラックがあるなど、
趣向に富んだアルバムとなっていて、アフロビート・ポエトリーの大力作です。

Ikwunga "DIBIA" Rebisi Hut & Dele Sosimi Music no number (2015)
Ikwunga "CALABASH VOL.1 : AFROBEAT-POEMS BY IKWUNGA" Rebisi Hut no number (2004)
Mr Something Something & Ikwunga The Afrobeat Poet "DEEP SLEEP" World WR004CD (2007)
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アフロ・ソウル・ジャズの傑作 トーシン・アリビサラ [西アフリカ]

Tosin Aribisala  AFRIKA RISING.jpg

アメリカ在住ナイジェリア人ドラマー、トーシン・アリビサラの18年作。
ローパドープから出ていたんですね。知らなかったなあ。

セッション・ドラマーとして活躍している人で
フェミ・クティの“SHOKI SHOKI” や
フェラ・クティ・トリビュートの“RED HOT + RIOT” で、
トーシンのドラミングが聞けるほか、
イェルバ・ブエナの大傑作“PRESIDENT ALIEN” でとりわけ印象的だった
アフロビート+ラテン・ヒップ・ホップの‘Fire’ で叩いていたのが、トーシンでした。

Yerba Buena  PRESIDENT ALIEN.jpg   Tosin  MEAN WHAT U SAY.jpg

これまでアフロビート関連のレコーディングが目立っていただけに、
トーシンが08年に自主制作で出した初リーダー作は、意外でした。
ドラムスを核にした、ドラム・クリニックのようなアルバムだったんですよね。
トーシン自身が語りを入れたり、男女コーラスを配したり、
バラフォンやパーカッションを演奏をする曲もあるんですが、
メインはトーシンのドラムス。

これを聴くと、かなり繊細なドラミングをするプレイヤーだということがわかります。
リム・クリックの音質がとてもきれいで、
軽妙なサウンドの奥義は、しなやかなグリップにありそう。
アフロビートからジャズやヒップ・ホップを柔軟に横断できる、
洗練されたスタイルを確立しているドラマーです。

そんなヴァーサタイルな才能が、18年作に発揮されています。
アメリカのメリーランドとナイジェリアのレゴスで、
別々のセッションでレコーディングされています。

レゴス・セッションでは、ドラムスはマイケル・オロイェデに任せ、
トーシンはヴォーカルに専念。バークリーで学んだマイケル・オロイェデは、
ラバジャやマーカス・ミラーとの共演歴もあるレゴスのトップ・プレイヤーの一人です。
レゴス・セッションには、シェウン・クティ&エジプト80のベーシストのカヨデ・クティが
参加しているほか、昨年リーダー作“AFRICA TODAY” を出した
トランペット奏者のエトゥク・ウボンが、フリューゲルホーンを吹いています。

アフロ・ジャズの‘Sunday Evening Mood’ の熱演も聴き応え十分ですけれど、
レゴス・セッションの白眉は‘Bekun Pe’ かな。
南アのジャイヴとハイライフのメロディを合体させた、魅力的なトラックです。

そしてメリーランド・セッションでは、オープニングのアフロビート‘Oro Ajoso’ が
キレまくっていて、実にクール。う~ん、カッコイイねえ。
続くタイトル曲は、トーキング・ドラムをフィーチャーしたアフロ・ソウル・ナンバー。
トーシンのポリリズミックなドラミングが、めちゃくちゃシャープで、
フィル・インの小技も利きまくり。バランスの良さといい、本当にいいドラマーですねえ。

ローパドープから出ていたのに、日本未入荷でまったく話題にならなかったのがナゾな、
アフロ・ソウル・ジャズの傑作です。

Tosin Aribisala "AFRIKA RISING" Ropeadope RAD403 (2018)
Yerba Buena "PRESIDENT ALIEN" Razor & Tie 7930182894-2 (2003)
Tosin "MEAN WHAT U SAY" Tosin Aribisala no number (2008)

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ニジェールのDIY・ヒップ・ホップ ママキ・ボーイズ [西アフリカ]

Mamaki Boys.jpg

長年身元不明だったニジェールのヒップ・ホップCDの正体が、ついに判明。
サヘル・サウンズがなんとフィジカル化してくれたおかげなんですが、
まさかこんなローカルなシロモノが、LP化されるとは思わなんだ。
さすがはモノ好きなサヘル・サウンズと、ニヤニヤが止まりません。

おかげでママキ・ボーイズが何者なのか、よーくわかりましたよ。
実はぼくの手元にあるCD-Rは、
ニジェールから帰国した協力隊員さんからいただいたもの。
ホワイト・ディスクに、インクジェット・プリンターから出力したペラ紙が
付いただけのハンドメイドCD-Rで、曲名すら書いてないんですよね。
いつ出たものかもわからず、素性を調べようにも、
ネットには何一つ情報がなく、ずっと誰コレ?状態だったのでした。

ちょうど世紀が変わったあたりからでしょうか。
西アフリカの貧しい若者の間で、DIYの音楽制作が盛んになり、
デジタル・カルチャーが花開きましたよね。
違法ダウンロードやフリー・ソフトの普及で、
ユニークなヒップ・ホップがたくさん生み出されました。
マリ、バマコのサウンド・システム、バラニ・ショウも、そのひとつ。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-01-30

西アフリカでもっとも貧しいニジェールでも、
デジタル・カルチャーが育っていることがよく伝わってくる、
サイコーな一枚だったんです。

LP/カセット化したサヘル・サウンズによると、
ママキ・ボーイズは、02年にニアメーの3人の若者、アジズ・トニー、
バチョウ・イソウフ、サリフ・アンドレによって結成されたユニット。
現在は、表紙に写る二人だけになっているようです。
アメリカナイズされたニジェールのヒップ・ホップ・シーンに背を向けて、
伝統音楽とヒップ・ホップの融合を図ったといいます。

ハウサの伝統楽器であるカラング(トーキング・ドラム)とドゥマ(太鼓)の
ビートを全面に押し出し、時にグルミ(リュート)とおぼしき弦楽器音も聞こえてくるので、
老練なグリオたちとスタジオ・セッションをしたのかと思いきや、
これがサンプリングのカット・アンド・ペーストで作られていたとは。
なんでも、ニアメーで最初に作られたスタジオBATに、
年配のミュージシャンを呼んで演奏してもらい、
その録音をカット・アンド・ペーストでループさせて作ったのだそうです。

グルミや笛はサンプリングかなとも思ったけれど、
カラングとドゥマまでサンプリングだとは思わなかったなあ。
それぐらいニュアンスに富んでいて、グルーヴも生々しいので、
これがカット・アンド・ペーストだとは、脱帽です。

ヒップ・ホップに祖父母が村で踊っていた祖先のダンスを落とし込み、
トラディ=モデルナを自称するママキ・ボーイズは、
文化的なマニフェストを提示してるんですね。
天然資源の開発によって得られた富が、
国民に等しく還元されることを要求するトラックなど、
彼らの気概はしっかり伝わってきますよ。

エレクトロな音処理だけで構成した4曲目では、
ブーストしたベース音を利かせ、畳みかける二人のラップが、
強烈なグルーヴを巻き起こして、痛快です。
伝統楽器のサンプリングを使用しないトラックでも、
伝統リズムがヒップ・ホップのビートにしっかりと生かされているのを感じます。

Malam Maman Barka.jpg

グルミとカラング、ドゥマの饗宴といえば、
遊牧民トゥーブー出身のグルミ・マスターであるマーラム・ママン・バルカが、
カラングとドゥマを演奏するハウサ人グリオと共演した
名作“GUIDAN HAYA” が忘れられません。
この名作とママキ・ボーイズの間にまったく断絶がないところに、
ニジェールの過去と未来が繋がっていることを、強烈に感じさせるじゃないですか。

サヘル・サウンズによって、ようやく長年の謎が解けたママキ・ボーイズ。
このリイシューLPを買うファンに、ぜひマーラム・ママン・バルカも聞かせたいな。

Mamaki Boys "PATRIOTE" no label no number (2007)
Malam Maman Barka "GUIDAN HAYA" Beauty Saloon Music 0001 (2008)
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ソウル・マンここにあり ロバート・フィンリー [北アメリカ]

Robert Finley  Sharecropper's Son.jpg

62歳で出したロバート・フィンリーのデビュー作には、ヤラれました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-01-27
その歌声には、苦渋に満ちた人生が凝縮されていて、
ドロリと溶け出してくる情感と、それに呼応するサザン・ソウル・サウンドに、
ただただ泣くことしかできませんでしたからねえ。

その後フィンリーは、ブラック・キーズのダン・オーバックにフック・アップされ、
17年にオーバックのプロデュースで2作目を出していたんですね。
本作が出るまで、そのことを知らなかったんですけれど、
その2作目同様、ナッシュヴィルでレコーディングされたのが、今回の新作。
もちろんプロデュースは、2作目に引き続き、ダン・オーバックです。

デビュー作では、アル・ギャンブルのハモンドとハワード・グライムズのドラムスに、
ドキドキしたものですけれど、こちらでは、ボビー・ウッドのキーボードと、
ジーン・クリスマンのドラムスというメンフィス・ボーイズの面々が脇を固めていて、
聴き応え十分。

今作はサザン・ソウル一直線のサウンドというより、
カントリー・ロックの要素も感じさせるサウンドで、
アーリー・セヴンティーズのスワンプ・ロックをホウフツさせますね。
ジャケット・デザインだって、70年代ロックの雰囲気じゃない?

で、冒頭の3連バラードから、ノック・アウトをくらいました。
いきなりのファルセットに、ええっ!と驚かされ、
しょっぱいバリトン・ヴォイスに歌い繋いでいくところで、もう持ってかれちゃいました。
地声と行きつ戻りつを繰り返して、ラストでまたファルセットをかまして、
クライマックスに向けて登りつめていきます。
う~ん、芸域を広げてんなあ。

そして、ヒル・カントリー・ブルースの風味を取り入れているのは、
ダン・オーバックのテイストだろうな。
R・L・バーンサイドのバックで長年プレイした、
ギタリストのケニー・ブラウンとベーシストのエリック・ディートンが参加して、
ヒル・カントリーらしい催眠グルーヴが味わえます。
ワン・コードの‘Country Child’ なんてその極みで、
ケニーのスライドが冴えまくってますよ。

‘Sharecropper's Son’ から‘My Story’ と続く自叙伝2曲が、本作のハイライト。
ソウル・シンガーとしてスケール感を増した歌いっぷりに、
当意即妙に応えるバックは、黄金時代のハイ・サウンドを思わせ、胸が熱くなります。
オーバック、いい仕事してんなあ。
歌に、演奏に、パッションがみなぎり、ハートフルなアルバム。
大いに泣かせ、心を熱くさせてくれます。

Robert Finley "SHARECROPPER’S SON" Easy Eye Sound EES015 (2021)
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吐息まじりのディクション ミリヤン・ラトレセ [南ヨーロッパ]

Miryam Latrece  QUIERO CANTARTE.jpg

ミリヤン・ラトラセは、91年マドリッド生まれのジャズ系シンガー・ソングライター。
19年に出したセカンド作が日本に初入荷したんですが、これがやたらと評判がいい。
ぼくも試しに聴いてみたところ、いやあ、オドロきました。

このひともまた、グレッチェン・パーラトのミームとして増殖した歌手のひとりですね。
じっさいミリヤン・ラトレセがグレッチェンに影響を受けたかどうかは知りませんが、
こういう人が出てくると、いかにグレッチェンの登場が、
ジャズ・ヴォーカルの風景を一変させてしまったかを、実感させられます。

ヴィニシウスとジョビンの名曲‘Chega De Saudade’ を
カタルーニャ語で歌った1曲目で、それは鮮やかに示されています。
ハイ・トーンのハミングに続いて歌い出される第一声で、
「うわー、グレッチェンじゃん!」と思わず口走っちゃったもんね。
低く落ち着いたウィスパー・ヴォイスは、
プレ・ボサ・ノーヴァの‘Chega De Saudade’ にどハマりだし、
そのウィスパー・ヴォイスのまま、
ベース・ソロに合わせてユニゾンでスキャットするスキルに、
ジャズ・ヴォーカリストとしての実力が発揮されています。

デビュー作では自作曲を歌っていたようですけれど、
本作はスタンダード曲がレパートリーで、
先に挙げたジョビンの‘Chega De Saudade’‘Meditaçao’ を、
カタルーニャ語の美しい語感を生かして歌っているほか、
ジャヴァン、パブロ・ミラネス、フィト・パエスの曲を取り上げています。
ブラジルやラテンのスタンダードのほか、
地元スペインのローレ・イ・マヌエルの‘Todo Es De Color’ や、
‘Like Someone In Love’ も歌っていますね。
これはチェット・ベイカーを意識したのかな。

個人的に嬉しかったのは、ボラ・デ・ニエベのレパートリーで、
古くから愛される子守唄の‘Drume Negrita’ を取り上げていたこと。
リズム処理がとても洒落ていて、とても小粋に仕上がっています。

歌伴のピアノ・トリオは、控えめなプレイに徹しつつ、ピアノが内部奏法を聞かせたり、
ドラムスが柔らかな音色で包みながらリズムを押し出していったりと、
現代性を投影したアンサンブルで、抑制の利いたミリヤンの歌を盛り立てています。

どこまでも柔らかな歌い口に、ふんわりとしたベットにダイヴするような気分。
秋口の夜に、またとないくつろぎを与えてくれる一枚です。

Miryam Latrece "QUIERO CANTARTE" Little Red Corvette LRC10 (2019)
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