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ピッツィカ・ミーツ・ジャスティン・アダムス カンツォニエレ・グレカーニコ・サレンティーノ [南ヨーロッパ]

CGS (Canzoniere Grecanico Salentino)  MERIDIANA.jpg

またしても新作を聴くのは、最低気温がマイナスになった厳寒の季節。
なんで、いっつもピッツィカを聴くのは、この時季なんだろう。不思議な巡り合わせです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-01-24

南イタリア、サレント半島を代表する古参ピッツィカ楽団、
カンツォニエレ・グレカーニコ・サレンティーノの新作。
今回はジャスティン・アダムスとのコラボだと聞いて、楽しみにしていました。
ジャスティンは、異文化アプローチする欧米人プロデューサーのなかで、
もっとも真摯で誠実な仕事をしている人と、ぼくが全幅の信頼を寄せる人です。

その信頼は今回も裏切られず、伝統楽器とプログラミングのバランスのとれた配置と、
双方がそれぞれを引き立て合っていることに、ジャスティンの手腕が示されています。
重く唸るシンセ・ベースに尖った響きのヴァイオリンが絡み、
男女の荒々しいコーラスが、土ぼこり舞う南イタリアの土壌を表わす1曲目から、
それは明らかでしょう。

フレーム・ドラムやタンブレロの響きに、ダブ的手法を加えてドローンを強調したり、
バグパイプのバックで、シンセ・ベースが脈打つようなラインを描いたりするあたりは、
ジャスティンが蓄積してきたノウハウの賜物でしょう。
場面場面に応じた慎重なサウンド・エフェクトが施して、サウンドを豊かにしつつも、
アンサンブル全体としては余計な音を重ねず、
削ぎ落とされているように聞こえるところが、スマートじゃないですか。

ブルックリンのバングラ・ブラス・バンド、
レッド・バラートをゲストに迎えた曲があるのには、
意表を突かれましたが、ここでも互いに容赦なくせめぎあっていて、
実に良い共演となっています。バングラ・ビートとピッツィカ、
相性バッチリじゃないですか。
この共演のアイディアも、ジャスティンだったのかなあ。

これまた、「伝統音楽の真髄を捉えた欧州現代人の表現の好例」であります。
南イタリアの土俗さをなんらそこなわず、
世界のリスナーに届く音響として作り上げたジャスティン、今回もいい仕事をしています。

CGS (Canzoniere Grecanico Salentino) "MERIDIANA" Ponderosa Music CD151 (2021)
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ほとばしる肉声が生み出す熱狂 サン・サルヴァドール [西・中央ヨーロッパ]

San Salvador  LA GRANDE FOLIE.jpg

「ミュージック・マガジン」2021年ワールド・ミュージック・ベストで8位選出の作品。
昨年5月号で松山晋也さんが紹介されていたのを完全に見逃していて、
遅まきながら聴いてみたんですが、ブッとびました。こりゃあ、すんげえ。
去年のうちに聴いていたら、間違いなくマイ・ベスト・アルバムに入れてたわ、コレ。

オクシタニア男女6人のグループで、グループ名は、彼らが暮らす村の名前。
フランス中央高地コレーズ県チュール近くの村とのことで、
ふた組の兄妹とその幼なじみによって結成されたグループといいます。

この6人が、村に伝わるオック語の伝承歌を、
肉声と打楽器のみで歌い演奏するんですが、これがハンパない。
6人の肉声が交叉するようにエネルギーを放出して、
躍動感たっぷり、トランシーなグルーヴの渦を巻き起こします。

これほど生命感溢れるコーラス・ワークは、めったに聞けるもんじゃありません。
狂騒ともいうべきパワフルな声楽なんですが、野趣溢れるというのとは違い、
冷静に耳を傾けてみれば、洗練されたアレンジによって、
曲を立体的に組み立てているのがわかります。

松山さんの記事によると、当初は民謡をパンク風にやったり、
ブラスを混ぜたりしていたそうなんですが、数年前にサン・サルヴァドールに改名して、
声と打楽器のみのアンサンブルにしたそう。
なるほど、そういう試行錯誤を経ているから、素材は伝統的であっても、
ビートやコーラス・ワークを現代的に響かせることができるんだなあ。

リーダーのガブリエル・デュリフのお父さんは、
地元の伝統音楽を採集してきた音楽学者だそうで、
親子二代の取り組みの成果でもあるんですね。

「伝統音楽の真髄を捉えた欧州現代人の表現の好例」との松山さんの指摘はしかりで、
伝統とモダンの理想的な融合を聴くことのできる見事な作品です。

San Salvador "LA GRANDE FOLIE" Pagans MDC026 (2020)
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伝統美とコンテンポラリーの調和 ドベ・ニャオレ [西アフリカ]

Dobet Gnahoré  COULEUR.jpg

コート・ジヴォワール出身のシンガー・ソングライター、
ドベ・ニャオレの昨年出た新作。チェックをもらしておりました。
コンテンポラリーなアフリカン・ファッションを打ち出したヴィジュアルが
この人らしいですね。

Dobet Gnahoré  ANO NEKO.jpg   Dobet Gnahore  DJEKPA LA YOU.jpg

04年のデビュー作を手にしたのだって、
レニ・リーフェンシュタールの『ヌバ』を思わすジャケット写真に、
度肝を抜かれたからだったもんなあ。
そのデビュー作では、ピグミーのコーラスにインスパイアされた歌などに
才気を感じさせたものの、アフリカ音楽を外から学んだような
インテリジェンスに、やや戸惑いを覚えたのが正直なところ。

それもそのはず、この人は、アビジャン近郊のキ・ユイ村で、
アフリカ各地から集まった仲間たちと音楽中心の共同生活を
送ったボニ・ニャオレの娘さんだったんですね。
幼い頃からコミューンの音楽的な環境に恵まれ、
才能豊かなシンガー・ソングライターとなったドベは、
アフリカの伝統社会から生まれた音楽家とは、まったく違う立ち位置で育ちました。
3作目となる10年作“DJEKPA LA YOU” では、ぐっとサウンドに肉体感が増し、
ドベのヴォーカルも自信に溢れて、スケールが大きくなったのを実感したものです。

コート・ジヴォワールの内戦を逃れてフランスへ渡り、
フランス人ギタリストでパートナーのコラン・ラローシュ・ド・フェリーヌとともに、
ヨーロッパで活動していたドベでしたが、
コロナの蔓延によって故国へ戻ることを決意し、
地元のミュージシャンたちとともに制作したのが、この新作だったのですね。

アビジャンのダンス・ポップス、スーグルーのトップ・スター、
ヤボンゴ・ロヴァをゲストに迎え、ズーグルーにアフロビーツなどを取り入れた、
コンテンポラリーなアフロ・ポップを聞かせてくれます。
ドラムスはすべてプログラミングで、ハウスぽいビート使いもあるものの、
きらびやかなギターやグルーヴィーなベースが生み出すサウンドは生命感に溢れ、
未来への希望を感じさせます。

Dobet Gnahoré  COULEUR  liner.jpg  Dobet Gnahoré  COULEUR back.jpg
Dobet Gnahoré  COULEUR  inside.jpg

そんな希望に満ちた明るさは、6面パネルのジャケットや歌詞カードに収められた
ドベの装いにも溢れているじゃないですか。
伝統美とコンテンポラリーを調和させたファッションは、美麗の一語に尽きます。
アート・ディレクションを誰がしたのか、気になるところなんですけど、
なぜかクレジットはありません。スゴイ才能だと思うんですけれども。

Dobet Gnahoré "COULEUR" Cumbancha CMBCD145 (2021)
Dobet Gnahoré "ANO NEKO" Contre-Jour CJ014 (2004)
Dobet Gnahoré "DJEKPA LA YOU" Contre-Jour CJ024 (2010)
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ストレート・アヘッドなコンテンポラリー・ジャズの快作 カゼンダ・ジョージ [北アメリカ]

Kazemde George  I INSIST.jpg

マックス・ローチの歴史的名作にインスパイアされたとおぼしきアルバム・タイトル。
ブルックリンを拠点に演奏しているという、若きサックス奏者のデビュー作です。
BLM運動を背景にしているのかなと思いましたが、
その音楽からは、そうした主張は汲み取ることができません。

カゼンダ・ジョージは、ガイアナ出身の父とジャマイカ出身の母のもと、
バークレーで生まれ育ち、高校卒業後にボストンへ移り、
ハーバード大学とニュー・イングランド音楽院に学び、
ジャズ・コンポーズの修士号を取得したという俊英。
在学中の2012年にはハバナへ渡り、キューバ音楽も勉強しています。
キューバ音楽を通じて、アフリカ音楽や文化にも傾倒し、
南米/カリブ海をルーツとする自身のアイデンティティを模索するようになったとのこと。

アルバムには‘Haiti’ なんて曲名もあるので、
音楽研究の成果が発揮されているのかと思いきや、どうもその気配はありません。
むしろなぜ「ハイチ」なのか疑問に思うほどで、
キューバ音楽を学んだという痕跡は、
かろうじてラスト・トラックの‘Understanding’ で、
ピアノがチャングイのビート刻むのが聴き取れる程度ですかねえ。

またご本人は、ジョン・コルトレーン、J・ディラ、
ジョアン・ジルベルトに敬意を表しているんですが、
少なくともカゼンダ・ジョージのテナー・サックスに、コルトレーンの影はみられません。
むしろレスター・ヤングを連想する、なめらかな温かいトーンが持ち味です。

バイオ情報やタイトルから想定される音楽とは、ことごとく違っているんですが、
ストレート・アヘッドなコンテンポラリー・ジャズの優良作じゃないですかね。
ポップともいえる曲作りのうまさや、フックの利いたメロディにも魅力があります。
レコーディング後にカゼンダの妻となったという、
サミ・スティーヴンスがヴォーカルをとる曲では、
そのポップ・センスがいかんなく発揮されていますよ。

アダム・アルーダのドラムスとタイロン・アレンのベースによる
弾力のあるリズム・セクションにのって、
カゼンダは中音域の豊かな、ソフトなトーンを紡いでいきます。
変拍子もさらりとこなすのは、いまどきですね。
アイザック・ウィルソンは、流麗な速弾きをピアノで聞かせたり、
ウーリッツァーでメロウな音色を奏でたりと、
バランスのとれたアンサンブルに、さまざまな表情を与えています。

ループしたトラックを使った曲など、ビート・メイカーとしての才能も発揮していますが、
カゼンダの豊かな音楽性は、デビュー作にはまだまだ投影されていないのでは。
デイヴ・ダグラスのレーベルからデビューしたくらいなんだから、
その才能はまだうかがい知れぬものがありそうで、次作がさらに楽しみです。

Kazemde George "I INSIST" Greenleaf Music GRECD1087 (2021)
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北国のジャズが奏でるパーソナルなサウンドスケープ リンダ・フレデリクソン [北ヨーロッパ]

Linda Fredriksson  JUNIPER.jpg

前回に続いてもうおひとかた、女性バリトン・サックス奏者のアルバムです。
これがソロ・デビュー作という、フィンランドの人なんですが、
すでに数々のバンドでの活躍している人で、
モポやスーパーポジションなど、フィンランドのジャズの新世代グループとして、
10年ほど前から注目を集めていたのだとか。

ぼくは今回初めて知ったのですが、出たばかりのソロ・デビュー作では、
バリトン・サックス、アルト・サックス、バス・クラリネットのほか、
ギターやピアノ、シンセも演奏して、独特の世界を生み出しています。
ジャズというより、シンガー・ソングライター的作風のインスト・アルバムといった趣で、
短編小説を読むような作品の世界に、すっかり取り込まれてしまいました。

リンダのほかは、ローズ、モーグ、プロフェットを弾く鍵盤奏者に、
モジュラー・シンセとモーグを弾く別の鍵盤奏者、ベース、ドラムスの編成。
さまざまなシンセがレイヤーされ、その合間をぬって、
静かに奏でられるピアノの音色は、はかなくも美しく、胸に沁みこみます。

バリトンが咆哮する場面も少しあるものの、
おおむねサックスは、ソフトなトーンで語りかけるように奏でられています。
内省的な楽想に沿って、必要なところで必要な音だけを鳴らしていくサウンドスケープは、
引き算だけで作られているといったアレンジですね。

コンポジションが表現しようとする世界に、
それぞれの演奏者が奉仕するアティチュードが、すみずみまで行き渡っています。
ミュージシャンのエゴをまったく感じさせないところが、
新世代ジャズ・ミュージシャンの作法でしょうか。

音の割れたアクースティック・ギターをぽろんぽろんと弾きながら、
ハミングする曲など、人肌のぬくもりを感じさせるフォーキーな曲では、
北国の家の中でゆらめく、ろうそくの明かりを見る思いがします。

Linda Fredriksson "JUNIPER" We Jazz WJCD40 (2021)
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グエン・レのディスコグラフィから漏れた名作 セリーヌ・ボナシナ [西・中央ヨーロッパ]

Céline Bonacina Trio inviting Nguyên Lê  WAY OF LIFE.jpg

マイ・フェバリット・ギタリストのグエン・レの名を付したアルバムを発見。
10年にACTから出ていたバリトン・サックス奏者のソロ作なんですが、
知らなかったなあ、このアルバム。
グエン・レのウェブ・サイトのディスコグラフィーにも
なぜか載っていなかった参加アルバムで、それじゃあ、気付かないよなあ。

フランス、ベルフォール出身のセリーヌ・ボナシナは、
バリトンをメインに、ソプラノやアルトも吹くサックス奏者。
05年に出した自主制作のデビュー盤が評価されて、
ジャズ・フェスティヴァルへ招聘されるようになり、
09年のジャズ・コンペティションで優勝して、翌年のフェスティバル出演と
本作の制作が授与されたんだそうです。

本作の制作にあたって、セリーヌが影響を受けたグエン・レに参加を求めたのだそうで、
ACTで録音することになったのも、グエン・レの推薦だったようです。
バリトンらしい低音域をしっかりと効かせながら、
時にもフラジオも使って、パンチの利いたサウンドを出す一方、
ソロでは高音域もバリバリ吹き、非常に存在感のあるプレイをする人ですね。
スロー曲では、ジェリー・マリガンのような柔らかいトーンでも吹いたり、
多彩なサウンドを持った才能豊かな人です。

べース、ドラムスとのトリオというシンプルな編成で、
複雑なコンポジションを演奏しながら、強力なグルーヴに引っ張っていくのが、
セリーヌのサックスなんだから頼もしいじゃないですか。
彼女のリズム感がスゴイなと思ったら、
なんとセリーヌはレユニオンに7年暮らしていたんだそうで、
レユニオンの音楽と深く触れ合ったとのこと。
それって、マロヤだったんじゃないのかしらん。
そう思わずにはおれない、グルーヴ感の強さに感じ入りました。

しかも、ドラマーはマダガスカル出身なのだから、
インド洋のハチロク・リズムに精通していることは間違いないですよね。
バリトン、アルト、ソプラノを合奏したトラックや、
ハミングをオーヴァーダブしたり、ハーモニー・コーラスをフィーチャーするなど、
多彩なアイディアを施したアレンジも楽しめます。

グエン・レをフィーチャーした3曲では、それぞれ異なるギター・トーンで
弾き分けているところも、聴きどころ。
グエン・レ自身がライナー・ノーツまで書いているのに、
なぜディスコグラフィに載せなかったんでしょうね。単なる書き漏れか。

グエン・レへの興味から聴いたアルバムでしたけれど、
セリーヌ・ボナシナの才能に圧倒された一作、
彼女のほかのアルバムも聴いてみることにします。

Céline Bonacina Trio inviting Nguyên Lê "WAY OF LIFE" ACT 9498-2 (2010)
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忘れじのレコード屋さん その7 【パイドパイパーハウス】  [レコード屋・CDショップ]

雪村いづみ  SUPER GENERATION.jpg   Gabby Pahinui  THE GABBY PAHINUI HAWAIIAN BAND.jpg 

前々回と前回の記事で、思い出したことがあって、
10年ぶりに「忘れじのレコード屋さん」シリーズの復活です。
 
伝説化したパイドパイパーハウスについては、
すでに多くの人が語っていて、私ごときが、なにをいまさらなんですが、
たぶんこの方面の話題なら、誰も語っていないのではという話をひとつ。

ウェスト・コースト・ロックにAOR、オールディーズやニュー・オーリンズ方面に
強かったお店であったことは言わずもがなですけれど、先日話題にした、
雪村いづみの『SUPER GENERATION』のアルファから出た限定盤を
置いていたお店でもあったんですね。

当時、日本コロムビアから出たシングル・ジャケットのレコードで聴いていたので、
見開きジャケットの『SUPER GENERATION』を
パイドパイパーハウスで見つけたときは、???と思ったのでした。
お店の人(あれは岩永正敏さんだったのか)に訊くと、
「それねえ、限定盤なんだよ」と言うじゃありませんか。

日本コロムビアではなく、アルファと書かれたライナーノーツとポスターが付いていて、
レコードのセンター・レーベルは、雪村いづみの横顔写真となっています。
見開きジャケット内は、日本コロムビア盤の裏ジャケットの元デザインで、
裏ジャケットは、表ジャケットの色彩を変えた別ヴァージョンという豪華版。

これは買い替えなきゃと思っていたら、
「サインが入っているのもあるよ」と、奥から在庫を出してくれるじゃありませんか。
喜び勇んで、裏ジャケットに雪村いづみさんのサインが入ったレコードを
いただいてきたのでした。

のちにこの『SUPER GENERATION』は、アルファが原盤制作をして、
日本コロムビアへ提供されたレコードで、
日本コロムビアの通常盤以外に、アルファから限定盤が出ていたことを知りました。
ただ、不思議なのは、このレコードが発売されたのは74年7月で、
パイドパイパーハウスがオープンしたのは、それより1年以上も後の75年11月。
それなのに限定盤を在庫していたのは、のちに店長となった、
当時キャラメル・ママのマネージャーだった長門芳郎さんのコネクションでしょう。

Brute Force Steel Bands Of Antigua.jpg   The Mighty Sparrow Sings True Life Stories.jpg

さて、もうひとつ、パイドパイパーハウスで案外知られていないのは、
民俗音楽のレコードにけっこう力を入れていたことで、
フォークウェイズやクックのレコードは、ここでよく買いました。
あと、レゲエやカリプソも、トロピカル・ミュージックと謳ってプッシュしていましたね。
マイティ・スパロウの“SINGS TRUE LIFE STORIES OF PASSION, PEOPLE, POLITICS”
を買ったのもここ。
それでよく覚えているのが、ライ・クーダーと“CHICKEN SKIN MUSIC” で共演して
話題となった、ハワイのギタリストのギャビー・パヒヌイのレコードです。

ライ・クーダーが共演を申し出たミュージシャンというので、興味シンシンだったんですが、
北中正和さんが「ニューミュージック・マガジン」76年12月号で、
「ギャビー・パヒヌイ・ハワイアン・バンドで2年前にライ・クーダーを
ゲストに迎えたアルバムをハワイで出したことがある(Panini Records PS1007)ので、
興味のある人は新婚旅行でハワイに行く友だちにでも買って来てもらえばいいだろう」
と書かれていたんですね。こんな一文を読んだら、そりゃあ欲しくなりますよね。

とはいえ、当時高校生の自分に、新婚旅行でハワイにいく友だちがいるはずもなく、
どうしたものやらと地団駄を踏んでいたんですが、
パイドパイパーハウスがパニニ盤を、まっ先に入れてくれたのでした。
その後、他の輸入盤店も入れるようになりましたけれど、
日本で最初に入れたのは間違いなく、パイドパイパーハウスです。

そんなふうに、アメリカやヨーロッパの音楽以外にも、目配りしていたお店であったことは、
シティ・ポップ/渋谷系再評価の文脈ばかりで語られがちな
パイドパイパーハウスの、あまり語られていない側面なんじゃないかな。

それが証拠に、その後沸き起こったサンバ・ブームでは、
前回紹介したブラジル盤の『お爺サンバ』のレコードを猛プッシュしたのも、
パイドパイパーハウスでしたからね。
たしか、お店のベスト・セラーにもなったんじゃなかったっけ。

宝島78年12月号.jpgそういえば、パイドパイパーハウスをモデル
にした記事をメインにした雑誌があったことを、
思い出しましたよ。棚を探してみたら、あった、
あった。宝島78年12月号『大研究! 輸入レコード
&ショップス」』。
その記事は「輸入盤専門店「宝島」本日開店!」。
このほか「輸入盤専門店 13 GUIDE」という記事には、
パイドパイパーハウスをはじめ、
このブログでも取り上げた芽瑠璃堂や
ディスコマニアが紹介されています。

なんでこんな古い雑誌をわざわざ
とっておいたかというと、別のページに、
このブログのオーナーが作った自主制作盤の紹介記事が
載っているからなんでした。
しかもそのレコードは、パイドパイパーハウスの
自主制作盤コーナーに置かれて売られていたのです。
同じコーナーには、日本を代表するスラック・キー・ギタリスト、
山内雄喜さん若かりし頃のパイナップル・シュガー・ハワイアン・バンドの
自主制作盤も一緒に並んでいたのでありました。うふふ。

余談が長くなりすぎましたけど、パイドパイパーハウスの向かいの
嶋田洋書も、よく通ったものです。パイドパイパーハウスぽい話題でいえば、
ノーマン・シーフの写真集“HOT SHOTS” をここで買いましたね。
日本版と内容が少し違っていて、ダン・ヒックスの写真が入ってたのが嬉しかったな。
どちらのお店も、高校・大学時代のデート中に立ち寄りしても、
彼女を退屈させないお店でありました。

[LP] 雪村いづみ 「SUPER GENERATION」 アルファ ALFA1001 (1974)
[LP] Gabby Pahinui "THE GABBY PAHINUI HAWAIIAN BAND" Panini PS1007 (1975)
[LP] The Brute Force Steel Band, The Hell’s Gate Steel Band, The Big Shell Steel Band "STEEL BANDS OF ANTIGUA, B.W.I." Cook 1042 (1955)
[LP] The Mighty Sparrow "THE MIGHTY SPARROW SINGS TRUE LIFE STORIES OF PASSION, PEOPLE, POLITICS" Mace MCM10002 (1964)
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イズマエール・シルヴァのレコード [ブラジル]

Ismael Silva  O SAMBA NA VOZ DO SAMBISTA.jpg

今月号の「レコード・コレクターズ」の記事絡みで、もうひとつ。
2021年の収穫の記事で、ブラジルの名サンビスタ、
イズマエール・シルヴァの10インチ盤を取り上げたんですが、
入手経緯については、「レコード・コレクターズ」誌を読んでいただくとして、
半世紀にわたって探し続けたレコードなので、届いた時は、本当に感無量でした。

この10インチ盤を必死に探したのは、レヴィヴェンドから出た再発LPで、
中身を聴いていたからなんです。買ったのは、80年代末頃だったかなあ。
アタウルフォ・アルヴィスとのカップリングだったんですけど、
いやあ、カンゲキしました。

エスコーラ・ジ・サンバを最初に作り出したサンバの巨人、
という話ばかりが自分のなかでどんどんと大きくなって、
どんなサンバなのか、妄想たくましくしてた時に聴いたので、
マランドロ気質溢れるサンバには、ノック・アウトされました。
裏山サンバのイメージばかりがふくらんでいたので、
ノエール・ローザばりの街のサンバが出てきたのが、すごく意外だったんです。
じっさいイズマエールは、ノエールと共作していたんだから、当然なんですけどね。

Ataulfo Alves, Ismael Silva  MESTRES DO SAMBA.jpg   Ataulfo Alves, Ismael Silva – Sambistas De Raça.jpg

ところがこのレヴィヴェンド盤、オリジナル盤から1曲削られていることに気付き、
レヴィヴェンド盤よりも前に全曲復刻されているLPが出ていたと知り、
それから一生懸命探したのが、漫画ジャケットのフォンタナ盤でした。
そんな道のりもあって、いつかオリジナルのシンテールの10インチ盤を
手に入れたいとは思っていましたが、半世紀もかかるとはねえ。

ENCONTRO COM A VELHA GUARDA  Mercury CD.jpg

イズマエール・シルヴァを初めて聴いたのは、
70年代サンバ・ブームのきっかけとなった伝統サンバのコンピレーション、
フィリップス盤“ENCONTRO COM A VELHA GUARDA” (通称『お爺サンバ』)
収録の‘Ingratidão’ だったという人は、ぼくだけじゃなく大勢いたはず。
イズマエールが「エスコーラ・ジ・サンバ生みの親」と聞けば、
そりゃ注目せずにはおれません。

Ismael Silva  SE VOCÊ JURAR.jpg   Ismael Silva  ISMAEL CANTA… ISMAEL.jpg

そして後追いで聴いた73年のLP“SE VOCÊ JURAR” が決定打でした。
このレコードはめでたく04年にCD化されています。
そうそう、さきほどの『お爺サンバ』も、CDは日本盤しかないと
思いこんでいる人が多いんですが、96年にブラジルでCD化されています。

イズマエールが残した録音は少なくて、
ソロ作は55年のシンテール盤、57年のモカンボ盤、そして73年のRCA盤のたった3枚。
モカンボ盤は、00年にインターCDがCD化しています。

Ismael Silva  A MÚSICA BRASILEIRA DESTE SÉCULO.jpg   SAMBA PEDE PASSAGEM.jpg

このほかには、サン・パウロの福祉厚生文化センターSESCから出た
『今世紀のブラジル音楽―その作者と表現者たち』全4巻CD50枚組の1枚で、
73年に録音された放送用音源があるくらいかな。
あとは、65年12月リオのテアトロ・アレナでのライヴ録音がありますが、
主役はアラシー・ジ・アルメイダで、イズマエールはMPB4と並んで脇役ですね。

フィジカルで見つけるのは、いまとなっては難しいでしょうけれど、
モカンボ盤、RCA盤はサブスクでも聞けます。シンテール盤は残念なからありませんが。

[10インチ] Ismael Silva "O SAMBA NA VOZ DO SAMBISTA" Sinter SLP1055 (1955)
[LP] Ataulfo Alves, Ismael Silva "MESTRES DO SAMBA" Revivendo LB011
[LP] Ismael Silva, Ataulfo Alves "SAMBISTAS DE RAÇA" Fontana 6488.011
Mano Décio Da Viola, Ismael Silva, Nelson Cavaquinho, Walter Rosa, Duduca, Hernani De Alvarenga and others
"ENCONTRO COM A VELHA GUARDA" Mercury 532739-2 (1976)
Ismael Silva "SE VOCÊ JURAR" RCA 82876640692 (1973)
Ismael Silva "ISMAEL CANTA… ISMAEL" Intercd R22013 (1956)
Ismael Silva "A MÚSICA BRASILEIRA DESTE SÉCULO: POR SEUS AUTORES E INTÉRPRETES 3"
SESC São Paulo JCB0709-028 rec. 1973
[LP] Aracy De Almeida, Ismael Silva, MPB-4, Carlos Poyares, Conjunto Samba Autêntico, Grupo Mensagem, Os Partideiros
"SAMBA PEDE PASSAGEM" Polydor LPNG4.121 (1966)
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アニヴァーサリーを制作できるマレイ・ポップの底力 シーラ・マジッド [東南アジア]

Sheila Majid  LEGENDA.jpg   Sheila Majid LEGENDA 30th Anniversary.jpg

ロックやジャズでは、アニヴァーサリー作が花盛りですけれど、
ワールドに目を向けると、レゲエ以外にはほとんどお目にかかることがありませんね。

東南アジア各国にも名盤はいろいろあれど、
振り返ってみると、それぞれの国でアニヴァーサリーを祝うような
歴史的作品と呼べるものは、案外見当たらないですよね。
かの音楽大国インドネシアですら、これというアルバムは見当たりません。
ロマ・イラマの『ブガダーン』くらいですかねえ。あと、シンガポールで、
ディック・リーの『マッド・チャイナマン』が思い当たるくらいかなあ。

そうやって考えてみると、マレイシアでシーラ・マジッドの『レジェンダ』が
30周年記念作を出したことは、
エポック・メイキングだったといえるのかもしれません。

マレイシアにポピュラー音楽の礎を築いたP・ラムリーの作品を、
90年当時のセンスでアップデイトした『レジェンダ』は、先達をリスペクトしつつ、
マレイ・ポップを時代とともに更新した意義深い名作でした。
これほどアニヴァーサリーにふさわしい作品は、
マレイシアのみならず、東南アジアを見渡したって、他にありませんよ。

『レジェンダ』は、当時日本盤が売れに売れたおかげで、
輸入業者がマレイシア・オリジナル盤を仕入れようとせず、
入手するのに手間取ったのを覚えています。

今回の30周年記念作は、オリジナルのディスク1と、
P・ラムリー、サローマのオリジナル録音を収録したディスク2の2枚組となっています。
オリジナル録音のほうは、レパートリーの録音時期がばらばらなので、
1枚のディスクとして聴くと、統一感がないうらみはあるものの、
『レジェンダ』との聴き比べには、もってこいでしょう。

また、オリジナルのディスク1も、
未発表曲2曲が追加されていたのは、嬉しかったですねえ。
クールなスロー・バラードの‘Malam Ku Bermimpi’ と
ラテン・タッチの‘Kisah Rumah Tangga’ の2曲で、特に前者にはトロけました。

この2曲は、06年にトール・ケース仕様の新装ジャケットでリイシューされた
“LEGENDA XVXX” で、すでに追加されていたんですってね。
知らなかったなあ。その06年のリイシューでは、
その2曲をアルバムのトップとラストに置いていたようですが、
今回はオリジナルの12曲のあとに追加していて、この方が座りはいいでしょう。

ただ1点、苦言を呈するのなら、歌詞だけしか載せなかった制作ぶりでしょうね。
本作の企画となった、P・ラムリーとサローマが切り拓いたマレイ音楽の概説や、
シーラがプロデューサーのロズラン・アジズや、
マック・チュー、ジェニー・チンなどのミュージシャンとともに、
モダン化したことの意義をしっかりと書き残すことによって、
次の世代への架け橋とする姿勢を示してほしかったですね。
アニヴァーサリーを制作できる底力が、マレイ・ポップにはあるだけに、
それにふさわしい記念作として欲しかったと思います。

最後に蛇足。
今月号の「レコード・コレクターズ」に本作を紹介したさい、
記事の中で雪村いづみの『SUPER GENERATION』について触れたんですが、
再来年は『SUPER GENERATION』の50周年なんですよね。
ここはひとつ、アルファの限定盤仕様(ゲートフォールド)を再現した
特別記念作をお願いしたいですねえ。日本コロムビア様、よろしくです。

Sheila Majid "LEGENDA" EMI CDFH30055 (1990)
Sheila Majid "LEGENDA: 30TH ANNIVERSARY" EMI 3818936
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カンシオーン・ユカテカに父を想う グティ・カルデナス [中央アメリカ]

Guty Cárdenas  LA VOZ Y GUITARRA.jpg   Guty Cárdenas  LA GRAN COLLECCION 60 ANIVERSARIO.jpg

ポール・デスモンドの流し聴きの合間に、
ふと思い立って棚から取り出した、グティ・カルデナス。
メキシコ・ポピュラー音楽の開祖と呼ぶにふさわしい、
伝説的なギター弾き語りの自作自演歌手ですけれど、
十数年ぶりに聴き返してみたら、ハマっちゃいました。

グティ・カルデナスは、ユカタン半島出身のトロバドール。
18歳でメキシコ市に進出して、故郷のユカタン半島の抒情歌謡、
カンシオーン・ユカテカを広めました。
32年、わずか27歳の若さで亡くなってしまうんですが、
アメリカ西海岸で制作された映画にも俳優として出演した大スターです。

グティはカンシオーン・ユカテカばかりでなく、
ユカタンに流入していたアバネーラ、ダンソーン、クラーベなどの
キューバ音楽の影響を受けてボレーロもたくさん歌い、
ボレーロ・メヒカーノ(メキシカン・ボレーロ)の父とも呼ばれるようになりました。
さほどメキシコ歌謡に熱心でなかったぼくが、
グティ・カルデナスをすぐに好きになったのも、
そんなキューバ音楽との親和性の強さがあったからでしょうね。

グティのロマンティックな作風は、メキシコの大衆に愛され、
のちのトリオ・ロス・パンチョス、ロス・トレス・ディアマンテスが歌う、
大スタンダード曲となりますが、やっぱりぼくはグティ自身が歌った
SP録音時代の典雅な雰囲気が忘れられません。

それは、父のレコードに胸を射抜かれていた、
2・3歳の頃の記憶を呼び覚まされるからでしょう。
グティ・カルデナスの原曲を聴いたのは、ハタチすぎてからなので、
当時耳にしていたわけじゃないんですけれども。

実は、ぼくの初コンサート体験は、メキシコ歌謡なんですよ。
わずか1歳、場所は厚生年金会館ホール、
父の膝の上で聴いたトリオ・ロス・パンチョス。
もちろん記憶なんて、なんにも残っていません。
でもその体験が、身体なのか、脳ミソなのか、どこだかわかりませんが、
自分のどこかに種をまいたのは、間違いないですね。

とくに子煩悩でもなかった父が、わずか1歳のぼくを、
なぜわざわざコンサートへ連れていこうと思い立ったのか。
そんな幼子を夜に連れ出すなんて、昭和30年代当時を考えれば
トンデモなんだけど、世間体などおかまいなしの父親らしくもあるか。
グティを聴きながら、そんなことを考えていたら、
無性に父と話したくなった正月休みでした。

Guty Cárdenas "LA VOZ Y GUITARRA DE GUTY CÁRDENAS - EL RUISENOR YUCATECO" Alma Criolla ACCD801
Guty Cárdenas "LA GRAN COLLECCION 60 ANIVERSARIO" Sony BMG Music 886970865524
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若さが生み出す妖気 チェット・ベイカー [北アメリカ]

The Making Of Chet Baker Sings.jpg

正月休みにポール・デスモンドのボックスを聴いていたら、
チェット・ベイカーの大名作“CHET BAKSER SINGS” との取り合わせが、
絶妙にお似合いだということに気付いちゃいました。

聴いていたCDは、その昔CD化されたブルー・ノート盤ではなく、
昨年秋にイギリスで出たCDブック。
ブルー・ノート盤は、54年に出たオリジナルの10インチ盤の
ジャケットを採用していましたけれど、
このCDブックは、56年に曲数を足して12インチ盤で出した時の、
赤・黄・薄青の三色帯を背景にしたジャケット・デザインを使っていて、
レコード・ジャケットではトリミングされていた部分も見ることができるという、
あの名作を愛するファンには、たまらないものなんですね、これが。

CDのほうも、12インチ盤の14曲に、55年の“SINGS AND PLAYS
WITH BUD SHANK, RUSS FREEMAN AND STRINGS” 所収の6曲を
ボーナス・トラックで追加するという、心憎い内容となっています。
“CHET BAKER SINGS” は、54年と56年に録音されたセッションなので、
その合間の時期に同じメンバーによって録音された曲を追加しても、
まったく違和感なく聞くことができます。
こういう余計な蛇足にならないボーナス・トラックは、嬉しいですねえ。

80ページの本には、スコットランド人ジャズ・ライターのブライアン・モートンによる
解説と、80年代にチェットと共演したイタリア人ベーシスト、リカルド・デル・フラの
短いエッセイが載っています。

ポール・デスモンドとチェット・ベイカーといえば、
どちらもウェスト・コースト・ジャズの代表的なミュージシャンだったにもかかわらず、
50年代には共演しておらず、
70年代に入ってCTIの一連の作品(『枯葉』『アランフェス協奏曲』)
で共演することになったんですよね。

CTIの『枯葉』(“SHE WAS TOO GOOD TO ME”)も、もちろん悪くないんですけれど、
やはり50年代のチェット・ベイカーの<青い>色気は、もう格別ですよね。
悪魔的といってもいい魅力ですよ。
その魅力は、ジョアン・ジルベルトとも似ていますね。
ジョアン・ジルベルトも70年代に魅力的な作品を残しましたが、
58~61年のオデオン3部作の、圧倒的な妖しさにかなうものはありません。

ひさしぶりに若き日のチェット・ベイカーを聴いて、
若さが生み出す色香にあてられました。
それは、妖気と呼んでも過言ではないんじゃないかな。

[CD Book] Brian Morton "THE MAKING OF CHET BAKER SINGS" Jazz Images 83310
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オーガニックなUKソウルのシンガー・ソングライター クレオ・ソル [ブリテン諸島]

Cleo Sol  MOTHER.jpg

赤ちゃんを抱っこしたまま、ソファに身体をうずめているお母さんは、
家事でヘトヘトになったのか、リラックスしているというより、
身体を投げ出しているといったふう。
リヴィングに降り注ぐ温かな日差しに包まれた母子の写真が、
幸せに満ちた音楽を、雄弁に語っていますね。

ちまたではすでに話題沸騰、クレオ・ソルのセカンドです。
これはなにがなんでもフィジカルにしてくれなくっちゃと、強く願っておりました。
何度も入荷が延期になって、ヤキモキしていたんですが、
ようやくCDが手元に届きましたよ。
昨年中に入手していたら、ベスト・アルバム入り確実だったんだけど。

柔らかで、あたたかなこのグルーヴ。
ひそやかなコーラスが美しいハーモニーを織り上げ、
ミニマルなフレーズの反復がこのうえなく、ここちよい。
ピアノやシンセにアクースティック・ギターが過不足なく配置されていて、
余計な音はいっさい出てこない、デリカシーに富んだプロダクション。
もうタメ息しか出ません。

誰もが連想するとは思いますが、70年代のキャロル・キングですよね。
コロナ禍の暗い気分を一掃させる、新たな生命の誕生に感謝せずにはおれない、
幸福感に満ちたアルバムです。
UKナイジェリアンのラッパー、リトル・シムズとも関係の深い、
グライム世代ど真ん中の彼女が、
こんなシンガー・ソングライター・アルバムを作るとは意外でした。
キャロル・キングを、グライムのビート・センスで更新したともいえるのかな。

ジャマイカ人の父にセルビアとスペインの血を引く母のもと、
ラドブローク・グローヴに生まれ、
ノッティング・ヒル・カーニバルで育ったクレオ。
「ラドブローク・グローヴ」や「ノッティング・ヒル」と聞いただけで、
耳がピクンと立ってしまう当方ですが、そんなUKカリビアン的な資質も、
ほのかなコンガの響きや、ちょっと崩れたようなチャチャチャのリズムに表われています。

フォーキーな音感をいかしながら、控えめなオーケストラのアレンジも加え、
ゴスペル・クワイアも取り入れたサウンドは、ネオ・ソウルのフレイヴァーもあり、
その優美なサウンドは極上です。
淡々と語りかけるようなクレオの繊細なヴォイス、その平熱感に夢見心地となります。

Cleo Sol "MOTHER" Forever Living Originals FLO0007CD (2021)
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ストリートに取り戻したカーニヴァル精神 チアゴ・フランサ [ブラジル]

Thiago França Presents A Espetacular Charanga Do França.jpg

チアゴ・フランサ率いる大所帯バンド、
ア・エスペタクラール・シャランガ・ド・フランサのお披露目作。
ブラジル本国でリリースされる気配がないので、
UK盤をプリ・オーダーしていたんですが、大晦日に届きました。

ベロ・オリゾンチ出身、サン・パウロで活躍するサックス奏者チアゴ・フランサは、
メター・メター、キコ・ジヌスィなど、サン・パウロのアヴァン一派のひとり。
そのチアゴ率いるカーニヴァル・バンドは、
サンバ、マルシャ、フレーヴォはじめ、スカ、クンビア、バイリ・ファンキなどの
ダンス・ビートを駆使して生演奏するビッグ・バンド。
いわばブラジル版渋さ知らズ、でしょうかね。

サン・パウロのカーニヴァルは、警察当局が管理しやすいよう、
労働者階級を遠ざけることを目論んで、70年代にストリートから取り上げられ、
専用アリーナで催されるようになって、すっかりスポイルされていました。
チアゴは、カーニヴァルをもう一度ストリートに取り返して、
何千人という路上生活者のために演奏し、
カーニヴァルのエネルギーを人々とともに取り戻そうとしたんですね。

2010年代に新市長に代わり、
カーニヴァルをストリートへ復帰させる支援が始まったのを機に、
チアゴが13年にア・エスペタクラール・シャランガ・ド・フランサを結成すると、
一大ムーヴメントが巻き起こりました。そして20年のカーニヴァルでは、
60人の管楽器奏者と30人のパーカッショニストを編成して1万5千人以上の観客を集め、
サン・パウロのカーニヴァルの復活を象徴する存在となったそうです。
ちなみに、ブラジルのシャランガ charanga とは、キューバのチャランガとは違い、
サッカーの試合の応援で演奏されるブラス・バンドを指すものです。

ア・エスペタクラール・シャランガ・ド・フランサのコンセプトは、
デカい音で鳴らすこと。パワフルに、エネルギッシュに、がモットー。
スムーズに演奏することや、アレンジのためにダイナミクスをコントロールすることは、
タブーなんでありました。

これまでデジタル配信してきた曲に加え、新曲を2曲加えた初CDは、
冒頭からクンビアで始まり、マイケル・ジャクソンの‘Don't Stop 'Til You Get Enough’ を
クンビア・ヴァージョンにしてカヴァーするなど、
ブラジル国境も軽々と越えた、痛快なブラス・バンド・サウンドを爆裂しています。
渋さ知らズ、ニュー・オーリンズ、クンビアのファンも、ぜひお試しあれ。

Thiago França Presents A Espetacular Charanga Do França "THE IMPORTANCE OF BEING ESPETACULAR" Mais Um no number (2021)
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ヒップ・ホップからクワイトへ キャスパー・ニョヴェスト [南部アフリカ]

Cassper Nyovest  SWEET AND SHORT.jpg

クワイトの新作を聴くのはひさしぶり。
といっても、4年も前のCDなんですけどね。
いまや絶滅危惧種ものの南ア盤なので、リアルタイムで入手するのは絶望的。
買えただけでも、めっけもんなのであります。

そういう時流無視の物件なので、ひと昔前感があるクワイトですが、
まだまだ現地では、人気が根強いもよう。
ディープ・ハウスの再燃とともに、クワイトの人気が盛り返しているといった記事を
数年前に読んだおぼえがあります(そのニュース・ソースも古いけど)。

で、入手したのがこのキャスパー・ニョヴェスト。
90年北西州マフィケング生まれのラッパーで、
これほどクワイトに寄せた作品は、キャリア初の試みだそう。
なんでもヒップ・ホップとクワイトのアーティストは、互いに反目していたのだとか。
クワイトが南ア独自の音楽なのに比べ、
ヒップ・ホップはアメリカナイズされた連中がやる音楽で、
ラッパーは南ア人じゃねぇ、とディスられていたんだそうです。

ハウスなどのクラブ・ミュージックや、ヒップ・ホップの影響下に生まれた
ハイブリッドなゲットー・ミュージックがクワイト、そんな理解をしていたので、
クワイトとヒップ・ホップのアーティストの間で、そんな断絶があったとは意外でした。

ヒップ・ホップ・シーンで成功をおさめたキャスパーが、
クワイトへの愛着を示したという本作、発売24時間で
プラチナ・アルバム(3万枚セールス)に認定されたというんだから、スゴイですね。
その人気もナットクの痛快作で、パッショネイトなサウンドが極上です。

TKZee  HALLOWEEN.jpg

フランク・カジノをフィーチャーした‘Who Got the Block Hot?’ で、
いきなり冒頭からTKZee の‘Mambotjie’ をサンプリングしていて、
おぉ!と前のめりになりましたよ。
‘Mambotjie’ を収録した“HALLOWEEN” は、
クワイトの記念碑的作品ともいえる大ヒット作。
クワイトへのリスペクトを示したキャスパーの思いが伝わりますね。

クールなビートにのるフックの利いたフロウは、ラッパーならでは。
アルバム・ラストは、マスカンダのデュオ、シュウィ・ノムテカラをゲストに
マスカンダ+クワイトを聞かせてくれて、もう背中ゾクゾクもの。
マスカンダ特有のギターに、オルガン、アコーディオンもフィーチャーして、
頬が思いっきり、ユルんじゃいました。う~ん、もうこれ、サイコーでしょ。

Cassper Nyovest "SWEET AND SHORT" Family Tree CDRBL974 (2018)
TKZee "HALLOWEEN" BMG CDHOLA(LSP)3000 (1998)
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南アフリカと西アフリカの出会い シンピウェ・ダナ [南部アフリカ]

Simphiwe Dana  ZANDISILE.jpg   Simphiwe Dana  BAMAKO.jpg

シンピウェ・ダナのデビュー作ほど、
南ア音楽の新世代登場をはっきりと意識させたアルバムはありませんでした。
80年生まれ、牧師の父のもとで幼少期に教会音楽で育ち、
南ア合唱の伝統をしっかりと受け継ぎながら、
現代女性のパーソナルな表現をあわせ持った
シンガー・ソングライターの登場は、それは新鮮でした。
マリからロキア・トラオレが出てきた時のような、時代の変わり目を感じたものです。

ソウル、ゴスペル、ジャズ、レゲエ、クワイト、エレクトロなど
幅広い音楽性を咀嚼したサウンドに、シンピウェ自身の多重録音による
無伴奏合唱で締めくくった04年のデビュー作は瞬く間に評判を呼び、
05年の南アフリカ音楽賞の最優秀新人賞をはじめ、数多くの音楽賞を総ナメしました。

それ以来、シンピウェを聴くチャンスを逸していたんですけれど、
20年に出た5作目にあたる“BAMAKO” を手に入れました。
『バマコ』というタイトルに、え?と不思議に思ったんですが、
なんとサリフ・ケイタとコラボして、マリでレコーディングされた作品で、
シンピウェがヴォーカルを多重録音した合唱曲の2曲をのぞき、
サリフとシンピウェが共同プロデュースをしています。
バックのミュージシャンも、すべてマリのミュージシャンが務めているんですね。
サリフも1曲で、すっかり角の取れたヴォーカルを聞かせています。

ギター、コラ、ンゴニ、カマレ・ンゴニ、カラバシによる伴奏は、
マンデ音楽の作法にのっとっているんですが、
シンピウェ作の楽曲はどれも南アそのもののメロディで、
マリと南アのどちらにも寄らない拮抗したサウンドは、相当にユニーク。
実験的とか野心的といったニュアンスはなく、両者がしっくりと溶け合っていて、
得難い味わいもあります。
コサ語でなく英語で歌うところには、レゲエも少し交じっていますね。
こんな<サウス・ミーツ・ウエスト>のアフリカ音楽は、初めて聴いた気がします。

Simphiwe Dana "ZANDISILE" Gallo CDGURB063 (2004)
Simphiwe Dana "BAMAKO" Universal 060250874053 (2020)
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ジャズを越えて ポール・デスモンド [北アメリカ]

Paul Desmond  The Complete 1975.jpg

あけましておめでとうございます。

今年の正月は、もうな~んも考えずに、
ポール・デスモンドのボックスを流しっぱなしにして、
だらだら過ごすと、決めたんです。

2年前にモザイクがボックスCD化した、
デスモンド晩年の75年3月と10月に
カナダ、トロントのバーボン・ストリート・クラブで録音されたライヴ音源。
アーティスツ・ハウス、ホライゾンの両LPに、テラークのCDを愛聴した
デスモンド・ファンのぼくも、7枚組に手を伸ばすのは、さすがにためらいました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2011-11-29

でも、『音楽航海日誌』のひと仕事をやり終えたところで、
ふとこのボックスのことを思い出したのが、運の尽き。
デスモンドなら棚の肥やしとならずに、ちゃんと愛聴できそうだしと、
えいや!とポチったのでした。
既発録音より未発表録音の方が多いという、贅沢な内容で、
10月最後の2夜だけが、ギターのエド・ビッカートが父の訃報で離脱し、
急遽ヴァルヴ・トロンボーンのロブ・マッコーネルを迎えて演奏されています。

晩年のピアノレス・カルテットのデスモンドは、ぼくには格別。
すでにこの時、デスモンドは肺がんの宣告を受けたあとだったはずで、
もはやデイヴ・ブルーベック・カルテット時代のヒラメキはないし、
音色の輝きだって失われていました。

それでも、この時期のデスモンドにとても惹かれるのは、
レスター・ヤングの晩年にも似た、名手だけがたどり着ける
枯淡の境地を感じさせるからです。
若いメンバーに囲まれて、なにひとつ気負うことなく、
よどみなく美しいメロディを紡ぎ出すデスモンドのアルト・サックスは、
ジャズを超えた純度の高い器楽奏を演じています

Paul Desmond "THE COMPLETE 1975 RECORDINGS" Mosaic MD7-269
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