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マンデ・ギターの名盤誕生 ブバカル“バジャン”ジャバテ [西アフリカ]

Boubacar Badian Diabaté  MANDE GUITAR.jpg

全編歌なしのインスト。
アルバム1枚まるごと、マンデ・ギターを堪能できるなんて、
なかなか珍しいと思って聞いてみたら、これ、珍しいだけじゃない。
名作と呼ぶにふさわしいアルバムじゃないですか。

主役のマンデ・ギタリスト、ブバカル・ジャバテ(通称バジャン)は、
その名からわかるとおり、グリオ名門ジャバテ家の一族。
幼い時、初めて手にした楽器はタマ(トーキング・ドラム)だったそうで、
その後ンゴニに持ち替え、10歳でマンデ・ギタリストのブバ・サッコと出会って
弟子入りし、ギタリストになったといいます。

その弟子入りしたブバ・サッコとは、
マンデ・ギターのスタイルを開拓したギタリストのひとりで、
アミ・コイタやカンジャ・クヤテなど多くのグリオ歌手の伴奏を務めた人なんですが、
ブバ自身は非グリオだったという変わり種。

ブバの父のイブラヒム・サッコがマリ国立伝統音楽合奏団の音楽監督を務めていて、
グリオの伝統的なレパートリーや、グリオの習わしに精通した環境にあったことから、
職能音楽家ではなく、アーティストとしてギタリストになったという、
当時のマリ社会では、型破りの才人だったのです。

バジャンが本作で演奏した11曲中8曲は、マンデの伝承曲をアレンジしたもの。
バジャンは6弦ギターと12弦ギターを使い分け、
曲により、バジャンの弟のマンファ・ジャバテとプロデューサーのバニング・エアが
サポート役として6弦ギターで加わるほか、
バイェ・クヤテがタマとカラバシで加わる曲もあります。

親指と人差し指のツー・フィンガーによってピッキングするマンデ・ギターは、
人差し指の爪をフラット・ピックのように使うオルタネイト・ピッキングを駆使します。
親指がトニックをステディに刻み、音量を絞ってなめらかに弾かれるリズム伴奏と、
アタックの強いフィンガリングによって主旋律をきわだたせるところに、
マンデ・ギターの真髄が表われています。

ンゴニやコラをギターに移し替えたといわれるマンデ・ギターですけれど、
こうして曲を聴くと、どちらの楽器を移し替えた曲なのかは、はっきりわかりますね。
ガンビアの曲という‘Kedo’ はコラ演奏のコピーだし、
バジャンの祖父が演奏していたという‘Bagounou’ では、
ンゴニ演奏をコピーしたものだと、はっきりわかります。

マンデ・ギターのそうした伝統的な側面ばかりでなく、
現代性を生かしたプレイも聴くことができます。
自作曲の‘Bayini’では、うっすらとではありますが、
マンデのメロディにフラメンコのフィールを加味しているし、
‘Miri’ では、クロマティック・スケールを使って、ジャジーな味を出しています。

本作は、音楽ジャーナリストでギタリストでもあるバニング・エアのプロデュースで、
エアが新しく立ち上げたレーベル、ライオン・ソングスからリリースされました。
バニング・エアといえば、現代のマリのグリオについて書かれた
“IN GRIOT TIME”(2000) が忘れられませんけれど、
ニュー・ヨークでアフリカ音楽のラジオ番組
「アフロポップ・ワールドワイド」も運営しています。

エアが本作を制作するきっかけとなったのは、
95年に“IN GRIOT TIME” 執筆の取材で、マリを訪問した時に遡ります。
シュペール・レイル・バンドのギタリスト、ジェリマディ・トゥンカラから半年間、
マンデ・ギターを習っていたところ、ブバカル・ジャバテを紹介され、
いつか自分を超える若い才能とトゥンカラが言ったというのだから、タイヘンです。

マンデ・ギター最高のギタリストのトゥンカラがそこまで評したのだから、
バジャンがただならぬ才能であったことは、よくわかる話です。
以来、エアはアメリカへ帰国後もバジャンと親交を持ち続け、
エアのレーベル立上げを機にレコーディングが実現し、本作が完成したのでした。

ビル・フリゼールも絶賛したという本作、マンデ・ギターの名盤誕生と呼んでいいでしょう。

Boubacar “Badian” Diabaté "MANDE GUITAR" Lion Songs 004 (2021)
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