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イエメン・ユダヤ詩の祈り イエメン・ブルース [西アジア]

Yemen Blues  SHABAZI.jpg

イスラエルのミクスチャー・グループ、イエメン・ブルースの新作。
前作が15年の “INSANIYA” だから8年ぶりでしょうか。
13年の豪快なライヴ盤にも、ブッたまげましたよねえ。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-05-29

奔放な歌いっぷりを聞かせる
イエメン生まれのジューイシュのラヴィッド・カハラーニーと、
クォーター・トーンを出せるトランペットを演奏するイタマール・ボロコフや、
ベース兼ウード奏者シャニール・エズラ・ブルメンクランツなど、
実力派ミュージシャンを揃えたイエメン・ブルースは、アラブ世界、東アフリカ、
ユダヤ文化の交差点であるイエメンが生んだ音楽をベースに、
ファンクやジャズのエネルギーを借りた音楽性のグループ。

新作は、17世紀のイエメン・ユダヤ詩黄金時代に輩出した二大詩人の一人、
ラビ・サーリム(シャローム)・シャバズィーの詩に、
ラヴィッド・カハラーニーとシャニール・エズラ・ブルメンクランツが曲をつけ、
アレンジ、プロデュースも二人が行って制作されました。

今作ではラヴィッドはゲンブリを弾いておらず、歌に専念していて、
サウンドのキー・パーソンとなっているのは、トランペットのイタマール・ボロコフですね。
トランペットを多重録音してサウンドに厚みを与え、
控えめにオルガンも演奏していて、ハーモニーを加えています。
レコーディングはテル・アヴィヴで行われていますが、1曲ニュー・ヨーク録音があります。

この曲のみ、ラヴィッド・カハラーニーとシャニール・エズラ・ブルメンクランツのほかは
メンバーが変わっていて、トロンボーンとトランペットの2管に、
バック・コーラス6人が付いたゴージャスなもの。
なんとドラムスは、12年にダンプスタファンクで来日したニッキー・グラスピーですよ。
ドライヴ感たっぷりの演奏で祝祭感のあるこのトラックが、今作のハイライトですね。

野外録音のラスト・トラックは、強い風が舞い鳥がさえずるなか、
ラヴィッド・カハラーニーが朗々とした声で、詩を吟唱します。
その揺るぎないこぶしの逞しさが、イエメン・ユダヤ詩の祈りなのでしょうか。
強く胸に訴えるものがあります。

Yemen Blues "SHABAZI" Music Development Company MDC033 (2023)
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後味さっぱり、さわやかサナート エフルゼ [西アジア]

Efruze  ASSOLİST Ⅱ MEŞK-İ MÜREN.jpg

すっかりご無沙汰していた、トルコの大衆古典歌謡サナート。
20年のデビュー作は、トルコの懐メロをサナートのスタイルで歌っていたそうで、
ぼくはそのアルバムは聴いていないんですが、
ゼキ・ミュレンのレパートリーを歌った新作もまた、
サナート一色のアルバムとなっています。

小編成伴奏の古典歌謡のシャルクから、
大編成の大衆古典歌謡のサナートに変質して大スターとなった、
ゼキ・ミュレン往時の録音は、ケレン味たっぷりでヘキエキするんですけれど、
本作に、ゼキ・ミュレンのイヤらしさはありません。
シャルクを歌っていた若い頃のゼキは好きですけれど、
大歌手ともてはやされた時代のゼキは、美空ひばりと映し鏡に見えます。

過剰な演出を排して、丁寧に歌うエフルゼの歌いぶりが好ましいですね。
細やかなメリスマ使いなど、歌唱力はもちろん確かな人ですけれど、
そうした技巧を全面に出すことなく、素直にノビノビと歌っています。
メロディを崩したりしないところも、この人の実直さを感じさせますね。

伴奏も、ウードやカーヌーン、クラリネットの響きを生かしたヌケのいいアレンジで、
優雅な古典歌謡の味わいを醸し出していますね。
オーケストレーションが大仰になることもないので、とても聞きやすいですよ。

ゼキ・ミュレン作詞作曲のほか、オスマン帝国時代の作曲家
デデ・エフェンディ(1778-1846)、K・アリ・ルザ・ベイ(1881-1934)の曲に、
トルコ共和国となってからの作曲家アヴニ・アニル(1928-2008)の3曲を含む全9曲。
後味さっぱり、さわやかなサナート・アルバムです。

Efruze "ASSOLİST Ⅱ MEŞK-İ MÜREN" DMC DMC105150 (2022)
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驚異のイラン式ピアノ モルタザー・マハジュビー [西アジア]

Morteza Mahjubi  SELECTED IMPROVISATIONS FROM GOLHA, PT. I.jpg   Morteza Mahjubi  SELECTED IMPROVISATIONS FROM GOLHA, PT. II.jpg

イランの現代の古典音楽、という言い方もヘンですけど、
あまりにも高度に芸術的になりすぎたキライがあって、
ほとんど興味がわかないんですよね。

トルコの古典音楽をやる若手音楽家たちのフレッシュな音楽性と比べて、
イランの古典音楽家は、どうも硬直的な印象が強いんだよなあ。
ECMなどの欧米経由で評価されるカイハン・カルホールや、
ムハンマド・モタメディといった人たちも、ぼくにはちっとも魅力を感じません。

というわけで、イランの古典音楽はヴィンテージものに限ると、
イランのマーフール文化芸術協会がリリースする復刻ものだけをフォローしてりゃあ、
それで十分と、ずっと思ってきたわけなんでした。
ところが、デス・イズ・ナット・ジ・エンドというロンドンの復刻専門レーベルから、
面白いヴィンテージものが出ているのに気付いて、おぉ!と嬉しくなっちゃったんです。

それが、イランのピアニスト、モルタザー・マハジュビーの2作。
この人のアルバムは、マーフール文化芸術協会からも2枚出ていましたけれど、
デス・イズ・ナット・ジ・エンドが復刻したのは、大英図書館がコレクションしていた、
イラン国営ラジオ放送の番組「ゴルハ(ペルシャの歌と詩の花)」の放送音源
847時間分のなかから編集したというアルバム。
第1集は昨年出ていたようで、今回出た第2集ではじめてその存在を知ったんですが、
これがどちらも絶品。

マーフール文化芸術協会のアルバムは曲が長尺でしたけれど、
こちらは2・3分前後の短いピアノ即興曲が中心で、
驚異的といえる、あまりに独特なイランのピアノの魅力を存分に味わえます。
ミャンマーの音階に調律し直されたミャンマー式ピアノのサンダヤーは、
その魅力が最近少しずつ知られるようになりましたけれど、
イランのピアノもスゴいんだぞー。
イラン音楽の旋法ダストガーを演奏するために、微分音調律されているんですね。
世界の不思議音楽好きなら、知らなきゃ損ですよ。

1900年にテヘランで生まれたモルタザー・マハジュビーは、
ネイ奏者の父とピアノ奏者の母という音楽一家に生まれ、
ヴァイオリンを演奏する兄とともに、幼い頃から高名な音楽家のもとでピアノ修行し、
神童として育った人です。
ちなみに、ここでは柘植元一のカナ読みに従い、
「モルテザー」でなく「モルタザー」と書いています。
65年に亡くなったので、残された録音はいずれも晩年のものですね。

指で鍵盤を弾いているはずなのに、サントゥールを叩く撥のメズラブで、
ピアノの弦を叩いているかのように聞こえるのが、いつ聴いてもナゾすぎます。
ピアノを聴いているのに、サントゥールのように聞こえるのが、不思議なんです。
こうしたサントゥールをピアノに置き換えた奏法を確立したのが、
モシル・ホマーユン(1885-1970)で、モシルについては、以前書きましたね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-10-05

シュール、マーフール、ダシュティ、ホマーユン、アフシャーリーなど、
ダストガーのピアノ即興のほか、第2集には、トンバクやヴァイオリンに、
ポエトリーや歌が加わる曲もあるのが、聴きものとなっています。

Morteza Mahjubi "SELECTED IMPROVISATIONS FROM GOLHA, PT. I" Death Is Not The End DEATH048
Morteza Mahjubi "SELECTED IMPROVISATIONS FROM GOLHA, PT. II" Death Is Not The End DEATH053
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奇跡のアルメニアン・ソプラノ ザベル・パノシアン [西アジア]

Zabelle Panosian.jpg

今年はアルメニアの歴史的録音の力作リイシューが続きますねえ。
トルコのカランがレーベル創立30周年を記念して、
『アメリカのアルメニア人』と題した3枚組CDブックを出しましたけれど、
今度は、アルメニア系アメリカ人社会で1910年代後半から20年代にかけて
人気を博したというソプラノ歌手、ザベル・パノシアンのCDブックが出ました。

カランの3枚組CDブックは、イスタンブールやイズミールで育まれた都市音楽から、
地方の農村の民謡、アルメニア民族舞踊を器楽化したダンス曲など
内容が多岐にわたり、資料性の強い内容でしたけれど、こちらは違いますよ。
美しい横顔の写真に惹かれ、どこのどなたかも知らずに買ったんですけれど、
深い哀しみを湛えたアルメニア独特のメロディを、
これ以上ないほど美しく歌っているその歌唱に、息をのみました。

1917年3月と18年6月にニュー・ヨークのコロムビア・スタジオで録音した11曲、
テイク違いを含めた21トラックが収録されていて、もう絶品なんです。
SPのナチュラルなチリ・ノイズの向こうから、ザベル・パノシアンの
繊細なソプラノ・ヴォイスが聞こえてきて、金縛りにあいます。

1曲目に収録された、ザベルの代表曲となったアルメニア民謡、
‘Groung’ でのポルタメントの美しさといったら、めまいがしてきます。
CDラストに同曲のテイク1が収録されていて(1曲目はテイク2)、
中盤にもテイク7が収録されています。

当時、移民歌手の録音は1・2テイクが通常で、
最大でも3テイクしか録らなかったのに、
7テイクも残したのは、異例中の異例だったようです。
テイク1とテイク2が17年録音、テイク7が18年録音なのは、
売れ行きが良かったからの再録音で、この曲は20年代にわたり
ロング・セラーになったのでした。

そんなエピソードを含むザベル・パノシアンの生涯が、
80ページに及ぶブックレットに詳しく書かれていて、
50点以上の貴重な写真も載っているんですね。
CDの素晴らしさにカンゲキして、一気読みしちゃいました。

1891年生まれのザベル・パノシアンは、幼少期からアルメニア聖歌を歌い、
少女時代には幼稚園の助手を務めながら、
典礼聖歌を指導をしていたというのだから、
バツグンに歌の上手い女の子だったんでしょう。
1907年にアメリカへ渡り、すぐに結婚した同郷の男性との生活を送りながら、
本格的な声楽を学ぶため、複数の教師に師事しています。
当時ニュー・ヨーク、フィラデルフィア、ボストン、シカゴでアペラ・ハウスが
続々オープンしていて、ザベルはボストン・オペラ・カンパニーに所属していました。

この録音のあとザベルは全米を巡業し、ロンドン、マンチェスター、パリ、ギリシャ、
エジプト、ジュネーブ、ローマ、ミラノと巡業し、ヨーロッパで大スターになります。
この巡業では、シューベルト、モンテヴェルディ、ベルディ、プッチーニ、ビゼー、
ロッシーニといった芸術歌曲を歌っていたようです。

ザバルがアルメニアの民謡や古謡を歌ったコロムビアのレコードは、
31年にアルメニア語のレパートリーがカタログから廃棄されたことで、
すっかり忘れられ、歴史の彼方へと消えていきました。
カナリー・レコーズを主宰するSPコレクターのイアン・ナゴスキーが、
今回復刻するまで、LP化されたこともなかったようですね。

知られざるアルメニア歌曲の、魂を奪われるような深淵さをもったソプラノ・ヴォイスに
すっかりヤラれて、ここのところのヘヴィロテ盤となっています。
今年のベスト・リイシュー・アルバムですね。

[CD Book] Zabelle Panosian "I AM SERVANT OF YOUR VOICE" Canary no number
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知られざるアフガニスタン古典歌謡 ムハンマド・フセイン・サラハン [西アジア]

Hussin Sarahung  MUQAME HUNER  SMCD6.jpg   Hussin Sarahung  SHABE BAYDEL  SMCD7.jpg
Hussein Sarahang  SABHODAM.jpg   Hussein Sarahang  LIVE IN CONCERT.jpg
Ustad Sarahang  KHARABAT MOGHAN  AM9802.jpg   Ustad Sarahung  GANJ HAZAL  NM164-98.jpg
Ustad Sarahung  KHARABAT NM170-99.jpg   Ustad Sarahang  LIVE.jpg

ジャズやファンクのほか、アフリカやカリブ方面のリイシューを専門とするストラットが、
どういう風の吹き回しか、アフガニスタンのガザル歌手のアンソロジーをリリース。
これまでアフガニスタン古典歌謡のアーカイヴが世界に紹介されることなど、
皆無だっただけに、これは貴重な復刻と、思わず目をむきました。

ナシェナスという歌手は、今回初めて知りましたが、
アフガニスタン古典歌謡の先達たち同様、インド古典音楽の教育を受けた、
軽古典の歌手のようですね。端正な歌い口でガザルを歌っていますけれど、
う~ん、とりたてて秀でた才を感じさせる人じゃないですねえ。
この程度の歌手なら、いくらでもいたんじゃないの?

せっかくアフガニスタンのガザル歌手のアンソロジーを作るなら、
もっと先に紹介すべき大事な人がいるだろと、鼻息荒く、
昔夢中になった人のCDを、棚から引っ張り出してきました。
それが、ムハンマド・フセイン・サラハン(1924-1983)。
ぼくがサラハンを知ったのは20年くらい前で、当時すでに故人でしたけれど、
アフガニスタンにこんなスゴイ歌手がいたのかと、ビックリしたものです。

多くのアフガニスタンの古典声楽家と同様、
サラハンも幼い頃から北インドへ音楽修行の旅へ出て、16年間の修行をしています。
25歳になってようやくカブールへ帰郷し、ヒンドゥスターニー声楽のカヤール、
軽古典のトゥムリー、恋愛詩のガザルなど、さまざまなレパートリーを歌って人気を博し、
アフガニスタンを代表する巨匠に登りつめたのでした。

たっぷりとした声量に、深みのある声がもう素晴らしくって、
硬軟を使い分ける歌いぶりに、ホレボレしますよ。
さりげないサレガマの発声ひとつとっても味があるし、
即興で高い声をころがしながらテクニカルなフレーズを歌うところなど、
カッワーリーをホウフツさせます。

これほどの人なのに、正規版のCDがなく、国外ではまったく知られていません。
LP時代では、インド盤や旧ソ連盤を別にすると、
61年のフォークウェイズ盤『アフガニスタンの音楽』(FW04361)所収の1曲くらいしか
知られていないんじゃないかな。

昔ぼくが夢中になって集めたのは、
亡命したアフガニスタン人が持ち出した音源から制作したとおぼしき私家盤CDです。
内容は、ラジオ録音と思われるものから、家庭用レコーダーで
客席から録ったような粗悪な録音まで、さまざまあります。
ライヴDVDは、アフガニスタンでテレビ放映されたものなんじゃないかと思うんですが、
編集もしっかりしていて、往時のサラハンのパフォーマンスをじっくり堪能できます。
どれも2000年代の初めに、
在米アフガニスタン人のオンライン・ショップから買ったものです。

ナシェナスのアンソロジーは、カブールのラジオ・アフガニスタン・スタジオで
録音された放送用音源がソースだったようですけれど、
サラハンの音源は残っていないんでしょうか。
タリバーンに破壊しつくされたアフガニスタンで、
こうした音源がもし残っているのであれば、ぜひ発掘してもらいたいものですねえ。

Ustad Mohammad Hussin Sarahung "MUQAME HUNER" Sartaj Music SMCD6
Ustad Mohammad Hussin Sarahung "SHABE BAYDEL" Sartaj Music SMCD7
Ustad Mohammed Hussein Sarahang "SABHODAM" Marcopolo International Enterprises no number
Ustad Mohammed Hussein Sarahang "LIVE IN CONCERT - NAZI JAN" Nala Studio no number
Ustad Sarahang "KHARABAT MOGHAN" Afghan Music AM9802
Ustad Sarahung "GANJ HAZAL" Nillab Music NM164-98
Ustad Sarahung "KHARABAT" Nillab Music NM170-99
[DVD] Ustad Sarahang "LIVE" MPI Enterprises no number
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古典声楽家が歌う民謡 ヨズガトル・ハーフィズ・スレイマン [西アジア]

Yozgatlı Hafız Süleyman    CÂNÂN ELİ.jpg

ヨズガトル・ハーフィズ・スレイマンの復刻集!
う~ん、何十年待たされたことか。

30年代に活躍した、トルコ中部、中央アナトリア地方ヨズガト県出身の古典声楽家です。
古典ばかりでなくガザルや、出身のヨズガト地方の民謡やカイセル民謡のボズラックなど、
地方の音楽を初めて歌った古典声楽家として名を馳せた人です。

その昔、トルコ古典音楽の入門に役立った
ラウンダー盤の“MASTERS OF TURKISH MUSIC” で
この人の‘Bozlak And Halay’ を聴き、そのコブシの美しさに魅せられたんでした。
ヨズガトル・ハーフィズ・スレイマンの名をすぐさま覚えましたが、
ほかにこの人の録音を聴くことができず、
その後20年も経ってから、オネスト・ジョンズ盤の“TO SCRATCH YOUR HEART” で、
もう1曲‘Ben Nasil Ah Etmeyeyim’ がようやく聴けたんですよね。
それが今回はまるまるアルバム1枚のリイシューなんだから、感涙ものです。

堂々たるコブシ回しが、ハーフィズ・スレイマンの持ち味。
この時代の古典声楽家ならではといえる、男っぷりを聞かせてくれるんですが、
けっして威圧的にならず、抜けるような美しさがあるところが、最大の魅力。
それがボズラックなどの民謡の特徴である、
ウズン・ハワ様式の自由リズムで存分に発揮されていて、
はじめに高い声で張り上げ、続いて炸裂するコブシで、
聴く者の胸をつかまえてしまいます。

その華麗な技巧は、フォークロアな民謡歌手とは異なる出自をくっきりと示していて、
古典声楽のマスターぶりを表していますよね。
また30年代に流行したガザルを詠むのにも、その美声はもってこいで、
このアルバムでもそんな美しいガザルを聴くことができます。

曲ごとにカーヌーン、ヴァイオリン、タンブール、ウード、ケメンチェ、ネイなど、
さまざまな楽器が伴奏するものの、リズム楽器は加わらないところが肝。
音質はクリアで、ノイズを取りすぎているようにも思えますけれど、
ハーフィズ・スレイマンの鮮やかな歌唱を堪能するのには、もってこいです。

Yozgatli Hâfiz Süleyman "CÂNÂN ELİ" Kalan 801
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超ド級のハイブリッド・ポップ・バンド ピンハス&サンズ [西アジア]

Pinhas and Sons.jpg

とてつもなく斬新なバンドが、イスラエルにいた!
3年前だったか、イスラエル音楽に注目が集まったことがありましたけれど、
鍵盤奏者のオフェル・ピンハス率いるピンハス&サンズも、
そんな沸騰するシーンから登場したバンドのようです。

18年に出た彼らのセカンド・アルバムを聴いたんですけれど、
これが、トンデモ級にぶっとんだ内容。
クラシック、ロック、ジャズ、クレズマー、フラメンコ、アラブ、バルカン、ブラジルなど、
さまざまな音楽要素をぶちこんだ、複雑怪奇な楽曲といったら。
小節単位で拍子が変わるアレンジは、もう常軌を逸しています。
さらにそれを難なく演奏してみせるメンバーの高度な演奏力に、
「うぎゃああ~ なんじゃあ、こりゃあ~~~」と絶叫せずにはおれません。

しかもこれが、実験音楽でも、アヴァンギャルドなジャズでもなく、
キャッチーなポップスとして成立しているところが、スゴすぎる。
うわー、すんごい才能ですねー。
高度な技術とポップ・センスの同居って、若い世代の世界標準なんだな。

1曲目の‘Prelude’ は、バッハの平均律クラヴィーア曲集の
「前奏曲第1番 ハ長調」を下敷きにしているそうですけれど、
そこにクレズマーの旋律が混ざって妖しさをふりまきます。
2曲目の‘Bound’ は歌ものなれど、演奏はまるっきりテクニカル・フュージョンで、
5曲目の‘Just’ もアラブ音階とジューイッシュ音楽のフュージョン。
7曲目の‘Things I Forget To Say’ の喋りにメロディとリズムをあてはめる技法は、
エルメート・パスコアールの影響だろううし、12曲目の
‘Yes It's Hopeless I Know But Between Myself Everything Is Allowed’ の
早口ショーロ・ヴォーカルのアレンジにも、エルメートの影響がくっきりと表れています。

ちなみに、CDはすべてヘブライ語で書かれているので、
バンド名、アルバム・タイトル、曲名は、
バンドキャンプのページの英語表記に倣っています。

バンドのメンバーばかりでなく、曲により弦オーケストラほか多くのゲストを迎えています。
ヴォーカルはオフェル自身と女性ヴォーカリストのノア・カラダヴィドが担当。
緻密な構成を持つ楽曲と洗練されたアレンジに流されない、
エネルギーあふれるバンド・アンサンブルがリスナーを夢中にさせますよねえ。
4曲目‘A Tree That Falls’ のアグレッシヴなフルート・ソロなんて、手に汗握ります。
これほどテクニカルでありながら耳なじむのは、
フックの利いたポップスとしての完成度の高さを証明していますね。

この独創的なミクスチャーは、イスラエル音楽の一面でもあるんでしょうか。
いわゆるイスラエルのポップスに耳慣れた者には、
9曲目の‘Two Roses’ のメロディにイスラエルらしさを感じますけれど、
後半、弦オーケストラのインタールードで
アラブのメロディにするっと変換してしまう企みが、
ハイブリッド・ポップ・バンドの真骨頂でしょうか。

Pinhas and Sons "ABOUT AN ALBUM" Pinhas and Sons no number (2018)
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サイケデリックなアゼルバイジャニ・ギターラ ルスタム・グリエフ [西アジア]

Rüstəm Quliyev.jpg

うひゃひゃひゃ、こりゃ強烈!
耳をつんざくエレキ・サウンドに、脳しんとうを起こしそう。
これは「世界ふしぎ発見」な1枚ですね。
アゼルバイジャンの改造ギター、ギターラのパイオニアであるルスタム・グリエフが
99年から04年に残した録音を、ボンゴ・ジョーがコンパイル。
う~ん、よく見つけたなあ。

改造エレクトリック・ギターを使って、
アゼルバイジャンの旋法ムガームに沿った伝統音楽ばかりでなく、
アフガニスタンやイランのポップスに、
ボリウッドのディスコ・チューンまで演奏するという痛快なインストものです。

アゼルバイジャンの音楽シーンには、旧ソ連時代の60年代から
チェコスロバキア製のエレクトリック・ギターが持ち込まれていて、
タールやサズの演奏者たちが、ギターのチューニングや弦高を変えたり、
フレットを増やすなどの改造をするようになっていたそうです。
やがてアゼルバイジャンの国内メーカーが、その改造ギターを量産するようになり、
ギターラとして広く使用されるようになったんですね。

モーリタニアや西サハラのギタリストたちが、
ムーア音楽の旋法ブハールを弾くために、
フレットを改造しているのと同じ試みなわけですけれど、
演奏者個々の創意工夫という域を超え、メーカー量産というところがスゴイですね。
モーリタニアのティディニートやアゼルバイジャンのタールに限った話でなく、
世界各地の伝統楽器が、エレクトック・ギターに置き換えられるようになった
エレクトリック・ギター革命物語の、これもまたひとつのエピソードでしょう。

Grisha Sarkissian  GARMON DANCES.jpg   Azad Abilov  GARMON.jpg

で、このルスタム・グリエフなんですが、
キッチュなボリウッド・ディスコの‘Tancor Disko’ とか、確かに面白いけれども、
やっぱり聴きものは、アゼルバイジャンの伝統曲。
脳天を直撃するハイ・ピッチのサイケデリックなラインは激烈で、
楽器こそ違えど、アルメニアのアコーディオン、
ガルモンを初めて聴いた時のショックを思い出します。

サイケデリックなサウンドに惑わされぬよう、旋律を追って聴いてみれば、
古典音楽に代表されるアゼルバイジャン歌謡のメリスマ表現を、
ギターが忠実になぞっていることがよくわかるじゃないですか。
ガルモンを思わせるのも、南北コーカサスが共有するこぶしの楽器表現だからでしょう。

高音で見得を切るようなキレのある短いフレーズのあとに、
一転、低音でうねうねとしたフレーズを延々と弾いたり、
また高音にジャンプしたりと、歌唱を忠実に引き写したギターも妙味なら、
3拍子や2拍3連の前のめりに疾走するリズムも聴きものです。

ルスタムが05年に肺がんで亡くなってしまった後、
このサウンドを引き継ぎ、発展させるような動きはないんでしょうかね。
興味のわくところです。

Rüstəm Quliyev "AZERBAIJANI GITARA" Bongo Joe BJR053
Grisha Sarkissian "GARMON DANCES" Parseghian PRCD11-30 (1992)
Azad Abilov "GARMON" Çinar Müzik 2002.34.Ü.SK-P1244/02-02 (2002)
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イラン革命前の伝統ポップ アフディエフ [西アジア]

Ahdieh  GHASEDAK.jpg

へぇ~、こんなイランのポップスがあるんだ!
いやぁ、初めてですねえ、こんな民俗色濃いペルシャン・ポップスを聴いたのは。
革命前のイラン、おそらく70年代録音のものだと思うんですけれど、
まるで湾岸ポップスのようなパーカッシヴなサウンドが飛び出して、
ゴキゲンになっちゃいました。

アフディエフという女性歌手、ずいぶん昔に1枚買った記憶があるなあ。
たしかそのCDは、平凡な西洋風ポップスだったはずで、とっくに手放してしまいました。
少なくとも、こんな伝統的な音楽じゃなかったよなあ。
でなけりゃ、手放すはずがないもんねえ。

あらためてどういう人なのか調べてみると、
50年テヘラン生まれで、グーグーシュと同い年の女性歌手なんですね。
母親の後押しで8歳の時から芸能活動を始め、
イラン・ラジオの子供向け番組で歌うようになり、
10代でイランのトップ・スターになったといいます。
革命の2年前にスペインへ渡って結婚し、
現在も家族とともにマドリッドで暮らしているのだとか。

ということは、本作は77年以前の録音で、
アフディエフが20代の時のものということになるわけですね。
トンバックと思われる太鼓のパーカッシヴなサウンドにのせて、
ヴァイオリンのなまなましくも流麗なボウイングが圧巻で、
歌を模写するかのように、ぴたりとユニゾンで合わせて弾いたり、
タクシームをたっぷり披露したりと大活躍しています。
サントゥールとヴァイオリン・セクションが掛け合う場面も、
めちゃくちゃスリリングです。

アフディエフの豊かな中音域を生かした温かみのある歌声と、
やわらかなメリスマ使いも魅力的です。
きっと伝統歌謡の訓練も、きちんと受けた人なんでしょうね。
革命前のポップス・シンガーで、古典歌謡も歌った人といえば、
ハエーデが有名ですけれど、こんな躍動感のある伝統ポップは、
ハエーデでも聞いたことなく、目を見開かされました。

Ahdieh "GHASEDAK" Taraneh Enterprises 261
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南コーカサス地方の少数民族の歌 ヴォヴァ [西アジア]

Vova  GARMİ DOÇ.jpg

トルコ北東部の黒海沿岸に、
ヘムシンというアルメニア系の少数民族が暮らしていることを、初めて知りました。
少し調べてみたところ、ヘムシン人はアルメニア系といってもキリスト教徒ではなく、
イスラム教徒だというところに、文化的なアイデンティティをうかがわせます。

ヘムシン人グループのヴォヴァが05年に出したデビュー作は、
世界で初めてヘムシン語で歌われたアルバムだったそうで、
そんなエピソードが、ヘムシンがトルコだけでなく、
アルメニアにおいてもマイノリティであることを示していますね。

ヘムシン語は、ユネスコが消滅危惧言語として指定している言語で、
ヴォヴァはヘムシン語やヘムシンの歌を保存する目的で、
ユネスコの後押しを受けて結成されたグループなのだそうです。

本作は、デビュー作から14年を経て出された2作目。
聴いてみたところ、これがなんとも複雑な出自をうかがわせる音楽で、
この音楽がいったいどこからやってきたのか、がぜん興味がわいたのでした。
ヴォヴァのメンバーが演奏している楽器をみると、ギター他弦楽器、フィドル、
ベース、チェロ、アコーディオン兼ピアノ、縦笛、クラリネット、ドゥドゥック、
トゥルム、ケマンチェ、パーカッションがクレジットされています。

また、ヘムシン・カヴァリと書かれた縦笛は、おそらくブルガリアなどで
広く使われる羊飼いの笛、カヴァルと同じタイプの楽器と思われます。
わざわざ「ヘムシンの」と付記しているところは、
カヴァルとはなにか違う特徴があるのかもしれません。

このほか、ギタリストはトルコのリュート、ラウタも演奏していて、
フィドル奏者は、アゼルバイジャンやジョージアの撥弦楽器のチョングリや、
ジョージアの3弦楽器、パンドゥリも弾いています。
こうした楽器編成からも、ヴォヴァは、アルメニアばかりでなく、
アゼルバイジャンやジョージアといった
南コーカサス地方の音楽を、広く受け継いでいることがわかります。

歌を聴いていると、ハーモニー・コーラスなどにアルメニアらしさも感じられる一方、
ジョージアのポリフォニーを思わせる(あれほど複雑じゃないが)ところもあったり、
リズムにはホロンの影響がみられるなど、
この音楽を読み解くのは、ちょっと容易じゃありません。

トルコの少数民族が南コーカサス地方の豊かな音楽遺産を織り上げた、
これはたいへんな力作ですよ。

Vova "GARMİ DOÇ" Ada Müzik no number (2019)
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ポップなジャズ・ロック アヴィシャイ・コーエン [西アジア]

Avishai Cohen  BIG VICIOUS.jpg

ストーリーのある音楽を紡いだ作品といえるのかな。

イスラエルのトランペッター、アヴィシャイ・コーエンの新プロジェクト、
ビッグ・ヴィシャスの初作。
聴く前は、ジャケットのロック・バンドふうのペインティングが、
ECMらしからぬアートワークに思えましたけれど、
中身を聴いてみれば、実にECMらしい作品。

ビート・ミュージックからクラシックまで多彩な意匠をまとっているものの、
端正なサウンドと上品なその仕上がりは、いかにもECM的。
あー、もっとバリバリ、トランペット吹いてくんないかなとじれったく感じるのは、
ダン・ローゼンブームを激愛聴中のせいでしょうか。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-04-27

こればかりは好みの問題だからしょうがないけど、
マッシヴ・アタックのカヴァー曲などで聞けるアンビエントなムードなどは、
ちょっとぼくにはヌルく思えるのも、正直なところ。
まあ、ベートーベンとマッシヴ・アタックが違和感なく同居できるのは、
イマドキのジャズらしいところです。

最初は物足りなく感じたアルバムですが、
何度か聴くほどに、メロディアスなトラックが耳残りして、
結構気に入ってしまいました。聞き慣れてみると、
これはポップなジャズ・ロック・アルバムなんじゃないかと思えるようになりました。
エレクトロニカやプログレも内包しているから、
ジャズよりロック・ファン向けじゃないですかね。

Avishai Cohen "BIG VICIOUS" ECM ECM2680 (2020)
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黒海沿岸ハルクとシュークリーム声 メルヴェ・ヤヴズ [西アジア]

Merve Yavuz  MELA.jpg

トルコの音楽は、もっぱら古典ばかり聴くようになってしまい、
アラベスクやハルクといった大衆歌謡からしばらく遠のいていましたが、
ひさしぶりにハルクのステキなシンガーと出会えました。

メルヴェ・ヤヴズは、黒海沿岸の都市トラブゾンに生まれ育った女性歌手。
親族がみな楽器を演奏し、子供の頃から楽器がおもちゃといった家庭で育ち、
小学校で合唱団に加わり、高校・大学で音楽を専門に学んで、
音楽教師になったという経歴の持ち主です。
故郷の黒海沿岸の民謡をベースにしたハルクを歌い、
黒海沿岸地方の音楽を特集したテレビ番組で注目を集め、
昨年アルバム・デビューを果たしました。

ケマンチェやウードなどの弦楽器に、ピアノやギターを加えた伴奏には、
モダンなアレンジを施しているので、民謡らしいフォークロアの感覚は乏しく、
かなり洗練されたサウンドを聞かせます。
ケマンチェが旋回するフレーズを繰り出すと、
がぜん黒海地方の雰囲気が高まりますけれど、このアルバムでは、
それもアーティスティックなプロダクションに回収されているのを感じます。

このアルバム魅力はなんといっても、主役メルヴェ・ヤヴズのヴォーカル。
美声というだけでなく、独特な質感の声を持つシンガーで、
ふんわりとふくらみのある豊かな中音域で発声する一方、
声の輪郭がとてもくっきりとしていて、ザラメのようなテクスチャーを持っています。
妙な連想かもしれませんが、ぼくはメルヴェの声を聴いていて、
極上絶品のシュークリームを思い浮かべてしまいました。

カスタード・クリームと生クリームを混ぜた、
ふわっふわのディプロマット・クリームを包み込む、
サクッとした食感の生地が絶妙の取り合わせとなるように、
まろやかなクリームとカリカリした生地の取り合わせを、
メルヴェの個性的な声に感じたんですね。

ピアノとギターがコンテンポラリーなハーモニーを加える、
抒情的な曲が中心のアルバムで、
メルヴェの和らいだコブシ回しが、アクースティックなサウンドと溶け合い、
いっそう声の美しさを引き立てます。
ラストをダンス・チューンのホロンで締めくくったところは、
トラブゾン生まれのメルヴェのアイデンティティでしょう。
4人の男性コーラスとラズ人のバグパイプ、トゥルムの逞しい響きに、
黒海地方のハルクが象徴されています。

Merve Yavuz "MELA" Dokuz Sekiz no number (2019)
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トルコ古典声楽の100年 ディレク・チュルカン [西アジア]

Dilek Türkan  AN.jpg

ひさしぶりに素晴らしいトルコ古典歌謡を堪能しました。
いにしえの古典歌謡を現代に再現する歌手、ディレク・チュルカンの新作です。

ディレク・チュルカンは、カランのスタジオ・ミュージシャンが結集して
トルコの伝統歌謡を演奏するインストゥルメンタル楽団、インジェサスの
看板歌手として活躍した女性歌手。11年にカランからソロ・デビューすると、
13年にはインジェサスを脱退してソロ活動に専念。
その後ソニーへ移籍して15年にセカンド作をリリースし、18年に本作を発表しました。

過去の2作では、戦前歌謡のタンゴやラテンなどのレパートリーも含む
ノスタルジックなサナートを歌っていましたが、今作は古典歌謡を真正面から挑戦。
100年前のオスマン帝国時代の古典歌謡と、
現代に生まれた古典歌謡を繋いだ2枚組アルバムという力作です。

具体的には、2018年の13曲と1918年の13曲を、
それぞれ2枚のディスクに分けて歌っています。
1918年の方は当時の弦楽アンサンブルと同じ編成で、
2018年の方は、各種弦楽器にアコーディオン、ピアノ、ギター、
ベース、ドラムスに、アルト・サックス、クラリネット、
ファゴットなども加わった編成となっています。

2018年はさすがに伴奏もモダンだし、1918年のオーセンティックな弦楽奏とは、
かなり趣が違いますね。2018年の13曲は、いずれも曲の表情が柔らかく、
メロディもしなやかで自由さがあります。
それに対し1918年の13曲は、曲の形式の型がしっかりとあって、
メロディがキリっとしていますね。

そんなマテリアルも伴奏も異なる2枚のディスクですけれど、
ディレクの歌いぶりにはまったく差のないところに、
過去と現代の古典歌謡を繋いだ企画が、見事に生かされていると感じます。

ディレクのゆったりとした春風のような節回し、
その柔らかなメリスマのみずみずしさに、ウットリするばかりですよ。
わずかさえも力まず、無理のないスムースな歌い口が、
古典歌謡が持つ美しさを鮮やかに伝えています。

Dilek Türkan "AN" Columbia/Sony Music 19075828382 (2018)
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ラズジャズ アイチャ・ミラッチ [西アジア]

Ayça Miraç  LAZJAZZ.jpg

シンと冷える冬の夜、心落ち着けて聴くことのできる女性ヴォーカルを見つけました。
中音域のふくよかな発声で、ひそやかに歌うヴォーカルに引き込まれます。
時に軽やかにハネる声が氷上のバレリーナを連想させる、静謐なジャズです。

トルコ東部黒海沿岸に暮らす少数民族ラズ人と
南コーカサスのジョージアの少数民族ミングレル人の伝統音楽をベースとしたジャズ作品。
これもまた、世界各地から登場するようになったフォーク・ジャズのひとつですね。
主役は、ドイツのゲルゼンキルヒェンで育った、トルコ系女性歌手のアイチャ・ミラッチ。
これがデビュー作というのだから、意欲的じゃないですか。

アイチャの母親のルーツがラズにあり、長年ラズ文化の保護運動をしてきたことが、
アイチャに影響を与えたようです。
一方、父親のヤサー・ミラッチはトルコの著名な詩人で、
多くのトルコの音楽家と親交を持っていたことから、
アイチャは父親の友人や兄たちに触発され、
幼いころからジャズの即興演奏に親しんでいたとのこと。
オランダでジャズを本格的に勉強したのち、奨学金を得てニュー・ヨークで
ヴォーカル・トレーニングを受け、ウェイン・ショーターにも会って励まされたそうです。

ラズの伝統音楽が持つポリフォニーを再現するために、
オープニング曲の‘E Asiye’ では、
ヴァイオリンとアイチャのヴォーカルで4度平行の和声を作る工夫をしたといいます。
レパートリーはラズとミングレルの伝統音楽ばかりでなく、
父ヤサー・ミラッチの詩にアイチャが曲を付けたオリジナルのほか、
「ウスクダラ」やビル・エヴァンスの曲も取り上げています。

ベーシストとドラマーがドイツ人で、ピアニストはブラジル人。
ベーシストとアイチャの二人でアレンジをしています。
ゲストにヴァイオリニストが参加しているほか、
「ウスクダラ」だけ、ピアニストが交代しています。
控えめなジャズ表現に奥ゆかしさを感じる、品の良いアルバムです。

Ayça Miraç "LAZJAZZ" DMC no number (2018)
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イスラエル産ミクスチャー・バンドの豪快ライヴ イエメン・ブルース [西アジア]

Yemen Blues  YEMEN BLUES LIVE.jpg   Yemen Blues  INSANIYA.jpg

すげーぞ、イエメン・ブルース!
スタジオ作の“INSANIYA” を上回る熱量のライヴ盤に、ドギモを抜かれました。
収録されたのは、12年10月18日テル・アヴィヴのザッパ・クラブで行われたコンサート。
イエメン系ジューイッシュのリーダー、
ラヴィッド・カハラーニーのがらっぱちなヴォーカルに挑む、
バンドのフィジカルなエネルギーがハンパない、とてつもないライヴです!!

サックス、トランペット、トロンボーン、フルートの4管の暴れっぷりに加えて、
チェロとヴィオラが激しい弓弾きで高速グルーヴを疾走させるんだから、
心臓バクバクもの、息も上がろうというもの。
こりゃあ、もうダンスせずにはおれないでしょう。
ラヴィッドが弾くのがウードではなく、ゲンブリというのがユニークなグループで、
かつてのグナーワ・ディフュジオンを思わせます。

マリエム・ハッサンやオキシモ・プッチーノがゲスト参加した、
ビル・ラズウェル・プロデュースの15年スタジオ作でも、
彼らの野性味溢れるミクスチャー・サウンドは、十二分に発揮されていましたけれど、
ライヴ・バンドとしての実力は、スタジオ作をはるかに凌ぐスケールですね。

メンバーは腕っこきのメンバー揃い、ジャズ、ファンク、ロックを吸収した音楽的素養に、
アレンジやプロデュース能力も高いとくるんだから、
迫力に富んだ弾けるバンド・サウンドもよく統括されているわけです。
インプロヴィゼーションとの整合性もよく、大暴れしているようで、
しっかりとリハーサルを積んでいることがわかりますね。

アヴィシャイ・コーエンとの共演で知られるイスラエルきっての実力パーカッショニスト、
イタマール・ドアリの熱のこもったパーカッション・ソロもあれば、ウード1本をバックに、
ラヴィッド・カハラーニーが奔放なヴォイス・パフォーマンスを聞かせる7曲目など、
ライヴならではの聴かせどころもあって、
2年前の来日を見逃したのがつくづく悔やまれます。

Yemen Blues "YEMEN BLUES LIVE" Chant CR1801YE (2013)
Yemen Blues "INSANIYA" Inzima no number (2015)
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小アジアの詩情 ディレク・コチェ [西アジア]

Dılek Koç  SEVDALIM AMAN.jpg

去年の暮れに買ったトルコ旧作が良くって、ここのところのお気に入り。
寒くなってくると、アナトリアの叙情を伝える弦楽アンサンブルが沁みますねえ。
それにしてもこのアルバムはユニークです。
ディレク・コチェというトルコの女性歌手のアルバムなんですが、
なんとこれがトルコ盤じゃなくて、ギリシャ盤なんですね。
しかもグリケリアが4曲で一緒にデュエットしているのだから、ビックリです。

へー、10年にこんなアルバムが出ていたのかと、今頃気付いたわけなんですが、
日本未入荷だったわけでなく、どうやらぼくが見逃していただけみたい。
このあと15年にもアルバムを出していて、
そちらは見覚えがあるものの、う~ん、なんで買わなかったのかなあ。

というわけで、かなり遅まきながら、聴いているわけなんですが、
なんとも大胆な企画でデビューしたものです。
日本人歌手が韓国の大物歌手のゲストも得て、韓国でデビューしました、みたいな。
いや、それ以上のインパクトだろうな。
トルコとギリシャの関係は、日韓どころじゃない険悪さですからねえ。
いや、最近の日韓も、それに迫るヤな雰囲気になりつつありますが。

ディレク・コチェはイスタンブール工科大学で建築を学んだあと、
ギリシャ第2の都市、テッサロニキに移住したという経歴の持ち主。
オスマン・トルコ時代に、コンスタンティノープル(現イスタンブール)に次ぐ
歴史的都市だったテッサロニキに暮らして、
ギリシャ歌謡に潜むトルコ民謡の陰を見い出したといいます。

ビザンティン音楽を学ぶ一方で、トルコ民謡をもっと深く知る必要性も感じて、
伝説の吟遊詩人アーシュク・ヴェイセルを熱心に聴くようになったのだとか。
そうしたトルコとギリシャが共有していた音楽文化を探訪しながら、
バルカンや東地中海のレパートリーも加えていくようになったといいます。
伝統的な弦楽アンサンブルで、アナトリアの詩情を歌った本作、
ミュージシャンは全員ギリシャ人のようですが、見事なものです。
トルコ人リスナーにも大いにアピールすることウケアイでしょう。

たいへんな力作にもかかわらず、
ディレク・コチェの肩の力が抜けた歌唱が、またいいじゃないですか。
さっぱりとした歌いぶりが、小アジアの歌心を再認識させてくれるようです。

Dılek Koç "SEVDALIM AMAN" Eros 3901167073 (2010)
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ノスタルジックなサナート エィレム・アクタシュ [西アジア]

Eylem Aktaş  ÖZLEM.jpg

やっぱり好きだなあ、この人。
7年を経てようやく出たエィレム・アクタシュの2作目。
涼風のようなメリスマにうっとり。あらためてホレ直しちゃいましたよ。
ジャケットのチャーミングなお顔も見目麗しく、
LPサイズで飾っておきたくなりますね。

デビュー作では6人ものアレンジャーを起用し、生音アンサンブルにのせて、
しつこさのない爽やかな歌唱を聞かせていたエィレム。
古典歌謡をしっかりと習得した高い歌唱力を持ちながら、
それをけっしてひけらかさずく、さりげなく歌う淡い歌いぶりは、
新人らしからぬ成熟ぶりで、感じ入ったものです。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-05-11

そして、今回は古典歌謡やサナートをレパートリーとしながら、
びっくりアレンジで聞かせるアルバムに仕上がっています。
イントロからサルサ・タッチのピアノで始まり、えぇ?と驚いていると、
続いてシャルクのメロディにのせて、エィレムがしとやかなメリスマを響かせます。
異種格闘技みたいな、接ぎ木スタイルのアレンジがすごく面白い。

今作のアレンジは、作編曲家・プロデューサーとしても活躍する
ジャズ・ギタリストのジェム・トゥンジャシュ。
冒頭のサルサ以外にも、タンゴやジャズにアレンジした曲など、
全体にノスタルジックなムードを濃厚とさせながら、
メロディはあくまでもシャルク/サナートというところがミソ。
ライナーの歌詞カードには、各曲のマカームが書かれています。

エィレムもレパートリーの楽想に合わせ、表情豊かに歌っていて、
ジャジーなサナートというユニークな試みを、実に美味に仕上げています。
サナートなどのトルコ歌謡をまったく聴いたことがない、
ヴォーカル・ファンにも、ぜひ勧めてみたくなりますね。

Eylem Aktaş "ÖZLEM" ADA Müzik no number (2018)
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20代のイブラヒム・タトルセス [西アジア]

İbrahim Tatlıses  DOLDUR KARDAŞ İÇELİM - NESİLDEN NESİLE.jpg

ついに出ました!
トルコ歌謡の帝王イブラヒム・タトルセスの初期録音CD。
タトルセスは、オルハン・ゲンジュバイがトルコ歌謡の一大ジャンルに引き上げた
アラベスクで大当たりし、労働者階級の圧倒的支持を集めて
国民的歌手となった大スターですけれど、
その出発点は天才民謡歌手だったということが、これを聴くとよくわかります。

発売元のウマール・プラックは、ウィキペディアによると、
パランドケン・プラック(70~74年)、スタジオ・ヤルシン(75~77年)に次いで、
タトルセスが契約したレコード会社。
ウィキペディアには、在籍したのは78年のみと記されており、
年の頃なら25、6でしょうか。
所属期間が短かったとはいえ、ウマールにはタトルセス初期の名作
“DOLDUR KARDAŞ IÇELIM” もあり、重要レーベルといえます。

本CDにも前掲LPのタイトル曲が収録されているんですけれど、こちらは別録音。
ウマール・プラックからはシングルも出ていたので、
シングル録音の編集盤なのかなとも思えますが、
それにしては全15曲歌・演奏ともに統一感があり、
カセット作品用に再録音されたものなのかもしれません。

原盤はよくわからないものの、“DOLDUR KARDAŞ IÇELIM” に劣らぬ名作で、
これほど輝かしいクルド系民謡は、ほかではちょっと聞くことができませんよ。
まだ20代半ばという、若さがみなぎるその歌声は、
「甘い声」を意味するタトルセスの芸名の由来を思い出させます。
美声の天才民謡歌手というと、幼くしてデビューした三橋美智也を思わせますけれど、
二人とも伸びやかな高音とこぶし回しの絶妙さは、共通するものがありますね。

三橋美智也が追分で聞かせるこぶしと、タトルセスがトルコの長唄と呼ばれる
ウズン・ハヴァで聞かせるクルド的なメリスマとでは、味わいに違いはあるとはいえ、
天性といえるそのノドの素晴らしさに感動する点に、なんら変わりありません。
アジア東西の端っこ同士で、民謡をルーツにした大衆歌謡歌手が登場して、
歴史に名を残すなんて、なんだか嬉しくなるじゃないですか。

İbrahim Tatlıses  YAĞMURLA GELEN KADUN.jpg

こうしたクルド出自の民謡系ポップスのハルクは、
タトルセスがアラベスク路線となってから、長く影をひそめてきましたが、
09年作の“YAĞMURLA GELEN KADUN” で、
クルド民謡へ回帰した曲を歌ったのには、意表をつかれました。

あのアルバムは、アラベスクが地方の民謡を取り込みながら、
大衆性と伝統性を獲得してきた原点へと回帰するだけでなく、
クルド民謡へも回帰した、タトルセスの最高傑作でした。
その後11年の銃撃事件によって、タトルセスの輝かしい歌声が
失われてしまっただけに、最後の傑作となってしまいましたよね。

タトルセスの出発点であった初期録音の本作と、
09年作をあわせて聴いてみると、高音域の伸びとメリスマ使いの際立った技量は、
はや20代半ばで完成されていて、あらためて天賦の才に圧倒されます。

İbrahim Tatlıses "DOLDUR KARDAŞ İÇELİM - NESİLDEN NESİLE" Ömer Plak no number
İbrahim Tatlıses "YAĞMURLA GELEN KADUN" Idobay no number (2009)
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直情的なタハリール レザー・ゴリ・ミルザザリ [西アジア]

Rezâ-Qoli Mirzâ Zelli  VOCAL PERFORMANCES.jpg   Reza Gholi Mirza Zeli  THE VOCALS.jpg

イランの古典声楽は蝋管・SP時代に限ります。
19世紀生まれのエグバール・アーザルやターヘルザーデを知ってしまったら、
もう現代の古典声楽なんて聞けません。
スクラッチ・ノイズなどものともしない剛直な歌唱は、
現代の歌い手にはないスゴ味があります。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-06-14

そんなぼくなので、レザー・ゴリ・ミルザザリの見たことのないCDを発見して、
矢も楯もたまらず飛びついてしまいました。
そしたら、あれ? 聴き覚えのある曲ばかり。
それもそのはず、さんざん聴いたマーフール盤とジャケットは変わっているものの、
CD番号は同じで、新装再発盤なのでした。

2曲が差し替わり、曲順を変えているほか、
旧版とは音源も違うのか、収録時間に差があり、音質もだいぶ違います。
旧版はノイズを取りすぎて、音質が少し痩せていたのに対し、
新装版はノイズをある程度残しながら、より自然な音に近づけているんですね。
これならダブリで持っていてもいいかなと納得したものの、
13年にこの新装版が出ていたのは、気付きませんでした。

レザー・ゴリ・ミルザザリは、
ターヘルザーデより下の世代の20世紀生まれで、
わずか40歳で早逝してしまった名歌手です。
録音があまり残されておらず、マーフールのほか、
カルテックスとチャハールバーグからもCDが出ていますけれど、
それぞれかなり曲はダブります。

レザーの直情的なタハリールが爆発する瞬間のスリリングさは、たまりません。
緊張を高めて一気に解き放つタハリールの輝かしさは、格別です。
芸術性と野性味が共存するのは、この時代のアーヴァーズだけでしょう。
伴奏も素晴らしく、もっとも多くの曲でモシル・ホマーユンがピアノを弾くほか、
巨匠アボルハサン・サバーのヴァイオリンも聴くことができます。

Moshir Homâyun Shahrdâ  PIANO.jpg

モシル・ホマーユン(1885-1970)は、ピアノで古典音楽を初めて演奏したパイオニアで、
サントゥールの模倣の域を超えたピアノ演奏法を確立した巨匠です。
モシルのスタイルは、のちのモルタザー・マハジュビーや、
ジャヴァッド・マアルフィといったピアニストたちにも大きな影響を与えたといいます。
モシルはターヘルザーデと共演した録音なども残っていますけれど、
レザーの伴奏を務めた曲が、代表的名演とみなされているようですね。

レザーのCDを聴いていて、モシル・ホマーユンのピアノをもっと聴きたくなり、
ピアノ・ソロ・アルバムも引っ張り出してきたんですが、
微分音調律されたピアノで、マーフール、ダシュティ、ホマーユン、
アフシャーリーといった旋法を10分前後で聞かせる独奏は、やはり絶品です。

Rezâ-Qoli Mirzâ Zelli "VOCAL PERFORMANCES OF REZÂ-QOLI MIRZÂ ZELLI" Mahoor Institute of Culture and Art M.CD52
Reza Gholi Mirza Zeli "THE VOCALS OF REZA GHOLI MIRZA ZELI" Mahoor Institute of Culture and Art M.CD52
Moshir Homâyun Shahrdâr "MOSHIR HOMÂYUN SHAHRDÂR, PIANO" Mahoor Institute of Culture and Art M.CD454
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音色の快楽 リジョイサー [西アジア]

Rejoicer.jpg

音色だけで成立する音楽。
楽曲でも、演奏でもなく、楽器の音色の選択に、この音楽の価値がある。

そんな思いに強くとらわれた、イスラエルの俊才リジョイサーの新作です。
バターリング・トリオやロウ・テープスの諸作で、
リジョイサーの仕事ぶりには注目してきましたけれど、
本人名義のソロ作は、それらの作品を上回るデリケートな音づくりに感じ入りました。

ここには<心地よい響き>しか存在しないというか、
鍵盤楽器をレイヤーしたサウンドが、耳の快楽に満ち溢れていて、
桃源郷のようなサウンドスケープをかたどります。
この快感って、キーファーの新作にも通じますよねえ。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2018-08-28

あのアルバムも聴けば聴くほど、不思議に思えてくるんですよ。
断片的なモチーフの繰り返しでできた、シンプルな作りのトラックばかりなのに、
幾重にもレイヤーしたピアノやキーボードのくぐもった音色が、
とてつもなく甘美に響くんですね。
ビートまでもが同じ質感の音色で同期していて、陶然とさせられます。
夢見心地に誘われるこの音楽のマジックは、
選び抜かれた音色によるところが、一番大きいんじゃないんでしょうか。

リジョイサーのアルバムは、よりハウシーなビートメイクが顕著で、
楽曲の構成もしっかりと組み立てられ、アブストラクト度は低め。
手弾きのベース音やトランペットの柔らかな響きが、
泡立つ鍵盤のダビーな音の合間を縫っていき、
磨きに磨き上げられたサウンドは最高度に洗練されたものといえます。

アンビエント、エレクトロ、ビート・ミュージック、ジャズ、
さまざまな音楽が同期して、テル・アヴィヴとLAがシンクロナイズドした音色は、
グローバル化した世界に暮らす孤独な者たちをなぐさめ、
チル・アウトするために、そこで奏でられているのを感じます。

Rejoicer "ENERGY DREAMS" Stones Throw STH2396 (2018)
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戦意喪失する軍楽 [西アジア]

Qajar Era Martial Music.jpg

イラン古典音楽の名門レーベル、マーフール文化芸術協会から、
いにしえのイラン軍楽のヴィンテージ録音集がリリースされました。
原盤となったのは、1906年にイギリス、グラモフォンがテヘランで出張録音した音源。
当時グラモフォンは、7インチ盤6面と10インチ盤20面を録音しましたが、
7インチ盤は未発見で現存せず、10インチ盤に残された20曲のうち17曲が、
本CDに収録されています。

軍楽というと、オスマン帝国の軍楽メフテルが有名ですけれど、
イランの軍楽を聴くのは、ぼくはこれが初めて。
LP時代に復刻されたことがありましたっけ?
たぶんこれが、初の復刻なんじゃないかと思うんですけれども。

1906年のイランというと、歴史の教科書を紐解けば、
ガージャール朝第5代君主モザッファロッディーン・シャーの時代。
イギリスやロシアの半植民地に下り、経済的権益を外国に奪われた暗い時代でした。
そんな頃に、大国ロシアが日本に負けるという日露戦争や、
ロシア第一革命などを契機に、イラン人の改革意識が高まり、立憲革命が起こりました。
1906年は、まさにイランで初めての憲法が起草された年です。

一方で、近代化に向けてさまざまな変革を迎えた時代でもあって、
本作の解説によれば、イランの軍楽は、1851年にテヘランで開学した
ダーロル・フォヌーン校が迎え入れたフランス人音楽教師によって、
軍楽隊が編成された時に始まったとあります。

聴いてみると、ビューグル(軍隊ラッパ)もしくはクラリネットの独奏で演奏が始まり、
前奏が終わると、軍楽隊のオーケストラ演奏になるという形式をとっています。
オーケストラ演奏のリズムこそマーチで、
マーチング・バンドらしいとはいえるんですけれど、
ダストガーにもとづく旋律が奏でる前奏は、なんとも陰影のある哀感に満ちたもので、
およそ軍楽のイメージからは遠いものです。

こんな物悲しいメロディばかり聴かされたら、
戦意なんて喪失しちゃうと思うんですけれどもねえ。
戦場へ向かうどころか、脱走兵続出になっちゃうんじゃ。
イラン人はこういうしみじみとしたメロディで戦意高揚できるんでしょうか。

ビューグルやクラリネットの前奏のつかない、軍楽らしい楽隊演奏の曲も4曲ありますが、
それとて、やっぱり旋律は憂いたっぷりだし。
異邦人には理解しがたい、ヨーロッパの軍楽ともトルコ軍楽メフテルとも趣を異にする、
世にも不思議な軍楽です。

Shâni Orchestra, Etezâdiye Band, Qoli Khân Yâvar, Ebrahim Khân Yâvar, Soltân Ebrâhim Khân
"QAJAR ERA MARTIAL MUSIC : 1906 RECORDINGS ON 78 RPM RECORDS" Mahoor M.CD514
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インターネット世代の作法 セフィ・ジスリング [西アジア]

Sefi Zisling  BEYOND THE THINGS I KNOW.jpg

やっぱり書いておこうかな。
なんだかんだで、もうふた月近く、ずっと聴いてるんだから。
去年いくつか買ってみたイスラエル音楽の新潮流が面白かったことは、
すでに書いたので、これはもういいかと思ったんですけれども。

イスラエルで引く手あまただというトランペッター、セフィ・ジスリングのソロ・アルバム。
ロウ・テープスのプロデューサー、リジョイサーとともに作り上げた作品です。
リジョイサーが奏でるウーリッツァーの甘美な音色は、
バターリング・トリオで経験済ですけれど、
独特のコード感が生み出す浮遊するサウンドと、たゆたうグルーヴが、
とにかく心地よいったら、ないんですよ。

演奏の基本は、セフィとリジョイサーの二人で作り上げていて、
曲によって、ヴォーカル、ベース、ドラムス、ギター、コンガ、
サックスとトロンボーンが加わるというプロダクション。
そのサウンドはアーバンなムードに溢れていて、オシャレでもあるんですけれど、
その低体温ぶりには、フュージョン的なニュアンスがまったくなく、
エレクトロニックなオルタナティヴ・ジャズという装いになっているんですね。

プログラミングが、どうしてこんなにオーガニックに響くんだろうなあ。
生演奏とプログラミングを、こんなふうに絶妙に溶け合わせることのできる才能って、
まさに新世代ならではと思えますね。
それともうひとつ、多様な音楽の消化のしかたも。

パンデイロがサンバのリズムを叩いていても、ドラムスやベースは、
サンバとまったく違うアクセントでビートを鳴らす2曲目や3曲目、
リジョイサーがプログラミングした親指ピアノのフレーズのループの上を、
セフィのトランペットがゆうゆうと泳ぐように吹く7曲目に、いたく感心しました。

音楽家が吸収してきた多様な音楽要素が、ごく自然ににじみ出ているんですね。
サンバやアフリカ音楽をやるつもりはさらさらなく、
自分の音楽に参照しているだけなので、
フェイク、インチキ、ツマミ食いといった悪印象を受けないんですね。
こんなところに、世界の情報にアクセスできて、
さまざまな音楽を容易に習得できるようになった、インターネット世代を実感します。

Sefi Zisling "BEYOND THE THINGS I KNOW" Time Grove Selections no number (2017)
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イスラエル人ロッカーと古典アラブ歌謡 ドゥドゥ・タッサ&ザ・クウェイティス [西アジア]

Dudu Tassa & The Kuwaits 2011.jpg   Dudu Tassa & The Kuwaits  ALA SHAWATI.jpg

写真家/音楽評論家の石田昌隆さんが、
「ミュージック・マガジン」1月号に書かれたイスラエル訪問記は、
ひさしぶりに音楽好奇心を思いっ切りくすぐられる、刺激的な読み物でした。

最近何かと話題になるイスラエルですけれど、
石田さんが取材されたドゥドゥ・タッサという音楽家にガゼン興味がわいて、
記事に紹介されていたCD2枚を、イスラエルにさっそくオーダー。
年末をはさんだせいか、ひと月近くかかりましたが、無事到着しました。

ロック・シンガーというドゥドゥ・タッサが、
普段どんなロックを歌っているのかはまったく知りませんが、
今回手に入れた2枚のアルバムは、30~40年代にイラクで人気を博した
サレーハ&ダウード・アル・クウェイティ兄弟の曲を現代化してカヴァーしたものです。
サレーハはドゥドゥの大叔父で、ダウードは祖父なんだそうです。

ドゥドゥ・タッサはイラク系のイスラエル人で、
アラブ世界をルーツとするオリエント系ユダヤ人、すなわちミズラヒムなのですね。
多数派アシュケナジーのイスラエルで、
ミズラヒムを標榜するような音楽をやるのが困難だった時代は、
ようやく終わろうとしているのを実感します。
クォーター・トゥ・アフリカの登場といい、なんだか感慨深いものがあります。

その昔、人気女性歌手のゼハヴァ・ベンが
ウム・クルスームのカヴァー・アルバムを出して、
コンサートを開いた時も、大騒ぎになったもんなあ。
日本の新聞にも記事が載ったほどですからね
それぐらい、イスラエルでアラブ音楽をやることは、はばかれたということです。

Zehava Ben  LOOKING FORWARD.jpg   Zehava Ben  SINGS OUM-KALSOUM.jpg

じっさいゼハヴァは、いくつかのアラブ諸国からボイコットも受けていましたしね。
ゼハヴァ・ベンは、モロッカン・ジューイッシュの家系のミズラヒムで、
デビュー作の表紙にも、“Hebrew Arabic Maroccan” とくっきり書くほど、
ミズラヒムのシンガーであることを内外に示して登場した、肝の据わった人でした。
ウム・クルスームに敬意を表して歌うことは、彼女だからこそでしたね。

石田さんの記事によると、ドゥドゥ・タッサはアラビア語を話せないものの、
アラビア語で歌っていて、その無頼な歌いっぷりは、
シャアビやライのシンガーを思わす味わいがあって、ゾクゾクしちゃいました。
11年作の7曲目や15年作の4曲目なんて、まるでハレドみたいじゃないですか。
いやあ、いい歌い手ですねえ。
アラブふうのこぶし回しも、なかなかのもので、
ほんとにイスラエル人?とか思っちゃいました。

パレスチナ人3人を含むバンドのザ・クウェイティスは、
いにしえのアラブ歌謡に、ロック・バンド・サウンドをアダプトして聞かせたり、
ウード、ヴァイオリン、カーヌーンといったアラブの弦の響きをいかした
さまざまなアレンジで、古きアラブ歌謡の味わいを濃密に抽出します。
これほどアラブ音楽の核心を捉えて、現代化に成功した作品もないんじゃないかな。
ラシッド・タハの『ディワン』を軽く超えちゃいましたね。

変則チューニングのギター伴奏で歌う曲では、
スラックキー・ギターのようなサウンドに耳を奪われたり、
アラブ古典の弦セレクションとコーラスを配した
アラビック・レゲエが、途中でバルカンに越境するような曲があったりと、
多彩なサウンド・カラーリングにも才能を感じさせます。
アレンジがどれも小手先の器用さではなく、
濃厚なアラブの味わいがドロリと滴り落ちてくるところがスゴイ。

すごい人、見つけてきたなあ、石田さん。さすがです。

【追記】2018.2.2
深沢美樹さんからサレーハ&ダウード兄弟のCDの存在について指摘いただきました。
すっかり忘れていましたねえ。ミュージック・マガジンの2008年10月号で、
単独復刻のARC Music盤を深沢さんがご紹介されていたのでした。
ほかにも、ダウードの録音が、Renair盤とHonnest Jon's盤にも収録されています。
深沢さん、ありがとうございました。

Daoud & Saleh Al-Kuwaity.jpgShbahoth.jpgGive Me Love.jpg

Dudu Tassa & The Kuwaitis "DUDU TASSA & THE KUWAITIS" Sisu Home Ent./Hed-Arzi 64989 (2011)
Dudu Tassa & The Kuwaitis "ALA SHAWATI" Sisu Home Ent./Hed-Arzi 08650562H (2015)
Zehava Ben "LOOKING FORWARD" ABCD Music CD010 (1994)
Zehava Ben "SINGS OUM-KALSOUM" Helicon 88105 (1995)
Daoud & Saleh Al-Kuwaity "MASTERS OF IRAQI MUSIC" ARC Music EUCD2154
Hagguli Shmuel Darzi, Selim Daoud, Yishaq Maroudy, Shlomo Mouallim, Israelite Choir
"SHBAHOTH : IRAQÍ-JEWÍSH SONG FROM THE 1920'S" Renair REN0126
Sayed Abbood, Salim Daoud, Said El Kurdi, Hdhairy Abou Aziz, Sultana Youssef, Mulla Abdussaheb and others
"GIVE ME LOVE : SONGS OF THE BROKENHEARTED - BAGHDAD, 1925-1929" Honest Jon's HJRCD35
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ロウ・テープス・オール・スターズ エコー [西アジア]

Echo  CALLING ON WONDERS.jpg

バターリング・トリオよりマイっちゃったのが、こっち。
エコーという女性歌手/ラッパーのソロ・アルバムなんですが、
こちらは、ロウ・テープスのオール・スターがずらり勢揃い。
多士済々の面々がプロデュースするサウンドのハイブリッドぶりが、スゴい。

まず、ヤられたのが2曲目の“Come Sit With Us”。
レコードのチリ・ノイズの奥から聞こえてくるのは、なんとフェイルーズの歌声。
いやあ、ドキリとさせられますねえ。
サンプルされたその歌声の神秘なことといったら。やっぱフェイルーズは、マジックだわ。
この曲のプロデュースは、レーベル主宰のプロデューサーでビートメイカーのリジョイサー。
う~ん、さすがだわ。

本作は、プログラミングされたトラックとドラムスが生演奏するトラックが、
違和感なくシームレスに繋がっていくところが、最大の聴きどころ。

ジャズ・ドラマーのアヴィヴ・コーエンが3曲フィーチャーされているとおり、
細分化されたビート感やスモーキーなサウンド・メイクは、
イマドキのジャズのセンスそのもの。
アヴァイシャイ・コーエンと一緒にやっていたアミール・ブレスラーのドラムスや、
セフィ・ジスリングのトランペットなどの生演奏に加え、
ヒップ・ホップのリズム感が生かされていて、この音づくりの巧みさは、ただごとじゃない。

ヒップ・ホップ、ジャズ、ビート・ミュージックなど、欧米の最先端トレンドとリンクしつつ、
イスラエルの独自性をしっかりと発揮する若い才能が、見事に開花した作品。
こりゃあ、ロウ・テープスから、しばらく目が離せなくなりそうですねえ。

Echo "CALLING ON WONDERS" Raw Tapes no number (2016)
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テル・アヴィヴ新時代 バターリング・トリオ [西アジア]

Buttering Trio  THREESOME.jpg

『ミュージック・マガジン』12月号のイスラエル音楽特集記事に触発されて、
紹介されていたディスクを、ネットでいろいろ試聴していたところ、
ロウ・テープスという新興インディの作品が、やたらと面白い。
ただ残念なのは、カタログは70作品以上あるのに、
フィジカルになっているものが少ないこと。
とりあえずCDで出ている作品を、いくつかオーダーしてみました。

まずは、レーベルを主宰するリジョイサーことユヴァル・ハヴキンを擁する
バターリング・トリオの16年最新作。
すでに今年の春、日本盤でもリリースされた人気盤であります。

「イスラエルのハイエータス・カイヨーテ」という前評判もナットクの音楽性で、
「フューチャー・ソウル」なるヤスっぽいネーミングは、
雲散霧消したかつてのフューチャー・ジャズを思い出させ、気乗りはしませんが、
なるほど、そんな感じのバンドではありますね。

エレピとシンセがレイヤーするサウンドや、
ヴォーカル・ハーモニーが生み出すサウンドの浮遊感は、
ムーンチャイルドも連想させます。
女1・男2というフォーマットも同じなら、女性が歌とサックスを担当しているのも、
ムーンチャイルドとおんなじで、偶然にしても面白いですね。
メルボルンとLAとテル・アヴィヴが共振しているような、そんな時代なんですねえ。

9月に観たムーンチャイルドのライヴでは、ドラムスが起用されていましたけれど、
こちらはプログラミングが基本で、ヴォーカルや鍵盤がハーモニーを作り出し、
ベースがグルーヴを生み出すというより、
歌心豊かなメロディ・ラインを残すところが面白い。
スキマだらけの空間を、サックスが一筆書きのように吹き流すのも印象的です。
サウンドの組み立てがムーンチャイルドほど洗練に向かわず、適度にラフで、
時にサイケな感覚が横断するなど、引き出しはかなり持ってそう。

ネオ・ソウルな感触はあっても、ブラック・ミュージックの要素はなく、
ビート・ミュージックとジャズのセンスが、すごくイマっぽい。
インド音楽やレゲエの取り入れ方も自然で、
音楽の参照の仕方に、力みがないところがいいな。
気付くのが遅すぎて、10月の来日を観れなかったのが、残念であります。

Buttering Trio "THREESOME" Raw Tapes no number (2016)
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多民族共存を目指すイスラエル発アフラブ クォーター・トゥ・アフリカ [西アジア]

Quarter to Africa.jpg

イスラエルからミクスチャー系グループが続々登場して、
立て続けに日本にやってくるとは、なんだかイスラエル、きてますねえ。
だいぶ前に話題を呼んだイダン・ライヒェルは、
ぼくは受け付けられなかったけれど、今度の波には乗れそうです。

9月にはイエメン系ファンク・グループのイエメン・ブルースが来日する予定で、
10月にはアフロ=アラブ・ファンク・バンドの
クォーター・トゥ・アフリカがやってきます。
イエメン・ブルースは、故マリエム・ハッサンをフィーチャーした曲に
心を揺り動かされましたけれど、今回取り上げるのはクォーター・トゥ・アフリカのほう。

14年にテル・アヴィヴのヤッファ出身の
サックス奏者とウード奏者の2人によって結成されたクォーター・トゥ・アフリカは、
サックス×2、トランペット×2、トロンボーン、ウード、キーボード、
ベース、ドラムス、パーカッションの10人を擁するビッグ・バンド。

日本盤が出るまで、ぼくもこのバンドのことをまったく知らず、
試聴させてもらって、そのフレッシュなサウンドにびっくり。
すぐさまネットで調べて、バンドキャンプにオリジナルのイスラエル盤をオーダーしました。
日本盤は紙ジャケでしたけれど、
イスラエル盤は普通のプラスチック・ケース仕様なんですね。

分厚いホーン・サウンドに支えられ、彼らが自称するアフラブ Afrab なる
アフロ=アラブ・サウンドが爆発する、ダンサブルなサウンドが快感。
イエメンのウードを核に、歯切れ良いダルブッカのビートがドラムスと絡みあい、
アフロ・ファンクなホーン・リフが畳みかけてきます。
演奏力の高さは相当なもので、タイトル・トラックでは世界的に注目を浴びる
ジャズ・ベーシストのアヴィシャイ・コーエンがゲストでベースを弾いています。

演奏力ばかりでなく、音楽性も豊かで、
6曲目ではホーン・リフがバルカン・ブラスを思わせるなど、
アフロ=アラブにとどまらない、南東ヨーロッパをも俯瞰したサウンドを聞かせていて、
彼らが広範なサウンドを目指していることがうかがえます。

はじめ試聴した時の、「おお! かっこいい!」という第一印象が、
オルケストル・ナショナル・ド・バルベス(ONB)のデビュー作とダブったんですが、
アグレブとアラブの違いはあっても、そのミクスチャー・センスは似ていますね。
違いといえば、ONBほどジャズ/フュージョンぽくなく、
ラガの要素がないことでしょうか。
ジミ・ヘンドリックスの“Voodoo Child” のカヴァーなど、
ジャズよりロック/ソウルのセンスを強くうかがわせるバンドで、
こりゃあ、ライヴが楽しみですねえ。

Quarter to Africa "THE LAYBACK" Quarter to Africa no number (2017)
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テクノ・ホロン参上 ギュルセレン・ギュル [西アジア]

Gülseren Gül  MAVİŞİM.jpg

トルコ北部黒海沿岸の伝統舞踏、ホロンにぶったまげたのが2年前。
民俗的な伝統舞踏が、そのまんまトランス・ミュージック化してしまうという、
その強烈にキテレツな音楽のあり様に、ノックアウトされたんでした。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-07-27

その後話題が話題を呼び、現地絶賛品切れ中だったエミネ・ジョメルトも、
日本からの熱烈オーダー呼びかけで再プレスが実現し、
今年になり、めでたく日本盤がリリース。
ちまたでは、ホロン病患者が続出しているとか(ウソです)。

どうやらエミネ・ジョルメトの“HOLON” をリリースしたAK・システムが、
テクノ・ホロン(当方の勝手な命名です)を量産する代表的なレーベルらしく、
このレーベルから出た04年の旧作を今回たまたま手に入れたんですが、
これまた見事なテクノ・ホロンぶりに、ノケぞってしまいました。

すでに十年以上も前から、
ウチコミとケメンチェのフリーキーなインプロヴィゼーションがくんずほぐれつする、
テクノ・ホロンが存在してたんですねえ。
打ち込みの隙間をウネウネと暴れ回るベース・ラインがこれまたテクニカルで、
ヒプノティックなトランスを誘います。

このアルバムは、そうした高速ホロンと、
いわゆる普通のトルコ民謡らしいスローなハルクとが交互に収められています。
エミネ・ジョルメトのように、徹頭徹尾ホロンで迫りまくるといった内容ではないとはいえ、
スローなハルクも5拍子だったりと、
黒海地域のリズムが生かされていて、一筋縄ではいきません。

去年の暮に、ダウード・ギュロールがホロンをやっていたのを再認識しましたけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-12-26
欧米のプロデューサーたちは、まだホロンを発見していないのかな。
オネスト・ジョンズやグリッタービートあたりが取り上げたら、
ホロンも、シャンガーン・エレクトロやコロゴみたいに注目されると思いますけどねえ。

Gülseren Gül "MAVİŞİM" AK Sistem no number (2004)
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芸術ぶった大衆歌謡の矜持 プナール・アルティノク [西アジア]

Pınar Altınok  DORUKTAKI ŞARKILAR.jpg

19世紀から20世紀に移らんとするオスマン帝国末期。
そのSP時代に栄えた古典歌謡を再興しようとする近年の傾向は、
「トルコ古典歌謡のルネサンス」と呼ぶにふさわしいものといえます。
その中心的レーベルともなったのが、
トルコ航空も後押しするアラトゥルカ・レコーズですね。

こうした新しい傾向が生まれる以前のトルコ古典歌謡といえば、
大編成のオーケストラをバックに、大仰な歌い回しで歌う、
わざとらしさ満点な歌謡音楽といったイメージが強かったですからねえ。
女装したゼキ・ミュレンがその典型で、
20世紀後半にサナートというジャンル名で呼ばれるようになった古典歌謡は、
いにしえの古典歌謡、シャルクと呼ばれた軽古典とはまったく異質の、
大衆歌謡がいびつに芸術化した音楽でした。

シャルクが小編成の室内楽的な伴奏で歌われる、
軽妙で爽やかな味わいを持つものであったことは、
初期のゼキ・ミュレンや、さらに昔のSP時代の録音が復刻されるまで、
気づくことができませんでした。

20世紀後半に、シャルクからサナートと称する芸術音楽に変質したのは、
1923年のオスマン帝国崩壊とともに野に下った帝国の宮廷楽士たちが、
イスタンブル新市街のナイトクラブを根城として大衆歌謡化した音楽に、
「芸術音楽」と称して箔を付けるための演出であって、
いわば宮廷楽士のプライドでもあったのでしょうね。

重々しいオーケストラが、やたらともったいつけて長ったらしい前奏をつけ、
やっと歌が出てきたかと思えば、聴き手を脅かすように声を張り上げたりと、
サナートはまさにケレンだらけの音楽になったんでした。
そんなことから、ここ最近のトルコ古典歌謡のルネサンス傾向の音楽を、
サナートと呼ぶのはふさわしくないんじゃないかと思うようになったきっかけが、
タルカンが昨年出した話題作“AHDE VEFA” でした。

なんと本作は、ミュニール・ヌーレッティン・セルチュークに、
サーデッティン・カイナクといった古典歌謡曲を、
ポップスの貴公子タルカンが取り上げた驚きのアルバムだったんですが、
最近の新傾向マナーではなく、
女装ゼキ・マナーのサナートを踏襲した内容だったんですね。
なるほど、旧態依然としたサナートも健在なんだなと、
あらためて気づかされたというわけです。
そういえば、ザラのアルバムも、同じように昔ながらのサナートでしたよね。

で、そのタルカンもザラもスルーしていた当方でありますが、
プナール・アルティノクというこの女性歌手のサナート作には、
ひっかかるものがありました。
オーケストラは厚ぼったいし、歌いぶりもケレン味たっぷり。
だけれど、なぜか惹かれるのは、強力な歌唱力がこれみよがしではなく、
歌い手として昇華したものを感じさせるからでしょうか。

芸術ぶった大衆歌謡が、必ずしもイヤらしくならないのは、
歌手が歌に殉じる、その透徹した美意識が表出するか否かにかかっているのかも。
そんな思いにとらわれた一枚です。

Pınar Altınok "DORUKTAKI ŞARKILAR" Elenor Müzik no number (2014)
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ノスタルジックなトルコ産タンゴ歌謡 メフタップ・メラル [西アジア]

Mehtap Meral Ask.jpg

20世紀初頭、パリに伝わったタンゴは世界的なブームとなって、
アラブやアジアのすみずみまで広まったことは、よく知られていますよね。
ヨーロッパからほど近いトルコでは、早速20年代から、
アルゼンチン・タンゴを演奏する地元楽団が現れ始め、
イスタンブールを中心に、ダンス・パーラーやダンス・スクールが賑わったそうです。

やがて、トルコ語の歌詞によるタンゴ歌謡が作曲され始めると、
トーキー映画によってさらに大流行となり、
歌手のイブラヒム・オズギュルや作曲家のフェフミ・エジェが、
タンゴ歌謡の代表的な音楽家として名を馳しました。

タンゴ歌謡のブームは50年代半ばまで続き、
大衆歌謡の一ジャンルとして、その一翼を担いました。
また、世界中に広まり土着化したタンゴのなかでも、
古典歌謡の風味が溶け込んだターキッシュ・タンゴは、
トルコ独自の香りを放つ個性を宿したといえます。

しかし、その後のロックの世界的な流行によって、
タンゴは急速に古びた音楽となりはてて、長い年月忘れ去られてしまいますが、
近年の古典音楽の再評価と軌を一つにして、タンゴ歌謡も見直されるようになりました。
そのきっかけのひとつとなったのが、シェヴァル・サムが13年にリリースした、
タイトルもそのものずばりの『タンゴ』でした。

とばかり、ずっと思っていたんですが、
いやいや、その前にこれがあったんですねえ。知りませんでした。
83年アンカラ生まれの女性歌手、メフタップ・メラルが11年に出したデビュー作。
ぼくも最近手に入れてびっくりしたんですが、
本作に感化されて、シェヴァル・サムはタンゴに取り組んだんじゃないのかな。
そう思わせるほど、これがたいへんな意欲作なんですよ。

だいたいデビュー作で、ノスタルジックなタンゴ歌謡ばかりを歌うというのも、
ものすごくチャレンジングならば、タイトルも『愛』というド直球ぶりに、
なみなみならぬ意欲を感じさせます。
レパートリーも、ピアソラ作の“Git”、
セゼン・アクスが歌ったポップ・タンゴの“Ben Her Bahar Aşık Olurum” 以外は、
すべて自作のタンゴというのだから、舌を巻きます。
楽想も豊かで、ソングライティングの才能ありですね。

バンドネオンを中心とするタンゴ楽団の伴奏に、
エレクトロなトリートメントをうっすらと施しているところなど、
シェヴァル・サムはこれに倣ったなと思わせる、粋なアレンジが光ります。
メフタップ・メラルはケレン味なく歌っていて、
これほどの意欲作で力が入るかと思いきや、
意外なほど力の抜けた、さらりとしたセクシーな歌いぶりで、後味は爽やか。
ベタつかない美人って、いいもんです。

シェヴァル・サムは、ウードやカーヌーンも使って
古典歌謡とのミックスを試みていましたが、
メフタップ・メラルは大衆歌謡路線のターキッシュ・タンゴに徹しています。
日本未入荷がもったいない、知られざるトルコ歌謡の傑作盤ですよ。

Mehtap Meral "AŞK" ADA Müzik no number (2011)
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ホロン・ミーツ・バングラ・ビート ダウード・ギュロール [西アジア]

Davut Güloğlu  KATULA KATULA.jpg

エル・スールのサイトの新入荷をチェックしていて、
「初入荷」と書かれたトルコのCDに目が留まりました。
あれ? これ、確か持ってる、と思って棚をごそごそ探したら、あった、あった。

お店の解説文に、「表題曲は黒海のダンス音楽ホロンをバングラに!」とあって、
え、えぇ~、そ、そうだったっけ????
ていうか、ホロンって、去年知ったばっかりだし。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-07-27
内容をぜんぜん覚えてなくって、あわてて聴き直しました。

う~ん、なるほど。これ、ホロンだったのかあ。
打ち込みのエレクトロ・ビートと、生々しいバングラ・ビートが絡む合間を、
ケマンチェがけたたましく響くサウンド。
当時は、トルコのハルクにこんなのがあるのかと、驚いたんでした。
なんの情報もなかったので、これがどういう音楽なのか、ぜんぜんわからず、
ケッタイな面白さに、<異形のハルク>ぐらいの感想しか持てずにいたんでしたね。

ホロンの天然テクノぶりを知った今の耳で聴き返すと、
なるほどこれは、<ホロン・ミーツ・バングラ・ビート>と合点がいきます。
ホロンは、極め付けのエミネ・ジョメルトとオルハン・カンブル以来聴いてなかったので、
これを機にと、ダウード・ギュロールの旧作を探してみました。
サンプルをいろいろ聴いてみて面白かったのが、この07年作。

Davut Güloğlu  KAPAK OLSUN.jpg

こちらも1曲目がバングラ・ビートとのミクスチャーなんですね。
03年作の大ヒットで、この人の看板になったのかな。
打ち込みの単調なハネるビートに、高音がつんざくケマンチェが絡んでくると、
サウンドがすごくナマナマしくなって、肉体感がむき出しになるんですよね。
クラブでプレイしたらハマることうけあいのアゲアゲ感が、たまんねー。

ちょうどジャケットやライナーの写真で、
ダウード自身がボディビルダーばりのムキムキの上半身を、
これでもかとばかりに見せつけていて、
その方面のシュミがない自分には、「キモイ・暑苦しい」という感想しか浮かびませんが、
なるほどこの音楽には、よくお似合いであります。

Davut Güloğlu "KATULA KATULA" Şahin Özer Müzik Yapim no number (2003)
Davut Güloğlu "KAPAK OLSUN" Tokta Müzik no number (2007)
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