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南イタリア、チレントの丘から イーラム・サルサーノ [南ヨーロッパ]

Hiram Salsano  BUCOLICA.jpg

緑豊かな丘の上で、ダンス・ポーズをキメた女性。
曲の最後なのか、両手を高く上げ、
左手にタンバリン(タンブーリ・ア・コルニーチェ)を掲げています。
後ろのすみっこに小さく写っているのは犬かと思ったら、
歌詞カードを見ると、どうやら羊のよう。

南イタリア、カンパーニャ州チレントから登場したイーラム・サルサーノは、
故郷の山岳地帯に伝わる伝統音楽を今に継承する人。
チレント地方は同じ南イタリアでも、ピッツィカやタランテッラが盛んな
サレント半島とは反対側の南西部にあり、ピッツィカやタランテッラ以外に、
さまざまな土地のリズムがあることを、このデビュー作が教えてくれます。

全曲伝承歌で、イーラム自身がアレンジしているんですけれど、
みずからのヴォイスをループさせてドローンにしたり、
ヴォイスを使ってさまざまなビート・メイキングしているところが聴きどころ。
現代のテクノロジーを駆使して、伝統音楽を現代の音楽として
受け継ごうとする彼女の意志を感じます。

1曲目の ‘Otreviva’ では、口笛による鳥のさえずりに始まり、
イーラムのヴォイスをループさせたドローンのうえでイーラムが歌い、
タンバリンが三連リズムを刻み、アコーディオンがリズム楽器として重奏して、
厚みのあるピッツィカのグルーヴを生み出しています。

演奏はタンバリンを叩くイーラムと、
アコーディオン兼マランツァーノ(口琴)奏者の二人が中心となり、
曲によって、サンポーニャ(バグパイプ)、チャルメラ、キタラ・バッテンテ
(複弦5コースの古楽器)を操る奏者とウード奏者とドラマーが加わります。
2拍3連のダンス曲もあれば、ゆったりとした3拍子あり、
ドラムスが入ってレゲエ的なアクセントを強調する曲もあって、
多彩なリズムが聴き手を飽きさせません。

ハリのあるイーラムの歌いぶりに飾り気がなく、土臭さのあるところが花丸もの。
アイヌのウコウクやリムセを思わせる歌もあり、
口琴まで伴奏に加わると、ますますアイヌ音楽みたいに聞こえて、
とても楽しいです。

Hiram Salsano "BUCOLICA" no label HS001/23 (2023)
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ピッツィカ生体験 カンツォニエレ・グレカーニコ・サレンティーノ [南ヨーロッパ]

CGS Canzoniere.jpg   CGS Meridiana.jpg

カンツォニエレ・グレカーニコ・サレンティーノを日本で観れるとは!

以前カンツォニエレ・グレカーニコ・サレンティーノ
(以降CGSと略します)の記事を書いたとき、
山岸伸一さんが「今一番ナマで聴きたいグループです」とおっしゃっていましたが、
よくぞ呼んでくれました。MIN-ONとか労音じゃないところが、拍手喝采もんだな。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-01-24
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-01-31
関東は三鷹と所沢の2公演で、どちらも家からの所要時間は変わりないので、
初体験の所沢市民文化センターミューズで観てきたんですが、立派な会場で驚きました。

幕が開いて、いきなりタンブレッロ(タンバリン)から叩き出される、
重低音の高速ビートにシビれましたよ。
マルコス・スザーノの重戦車と形容されるパンデイロをホウフツさせます。
ピッツィカやタランテッラのスタッカートの利いた三連2拍子に、
シートでじっとなんかしておれず、身体がずっと揺れ続けました。

CGSは、南イタリア、サレント半島の伝統音楽ピッツィカを伝承してきた
古参グループですけれど、そのステージに土俗性は存外に薄く、
しっかりアレンジされているし、曲のサイズもコンパクトなんですね。
海外の観客向けに、自分たちの音楽の魅力をアピールする構成を作り上げていて、
海外公演やフェスティヴァルでの経験の豊富さがうかがえるパフォーマンスでした。

音響の良さも彼らのライヴ・パフォーマンスを引き立てていましたね。
ヴォーカルにエフェクトがかけられた場面があって、あれっ?と思いましたが、
ステージ上で操作している様子がなかったので、PA卓での操作でしょう。
サンプラー使いをする場面もあったので、PAによる音出しであることは間違いありません。
コンサート最後に、リーダーのマウロ・ドゥランテ(写真中央)が
エンジニアの名前もあげて紹介していたので、
ステージを作る重要メンバーの一人だということがわかります。

ヴォーカルは男性3人、女性1人が担っていましたが、
各人それぞれの声のカラーが異なっていて、グループの彩りを豊かなものにしていました。
明るく晴れ晴れと歌うブズーキ兼ギター奏者エマヌエーレ・リット(写真一番右)と
土臭さたっぷりの野趣なノドを聞かせるジャンカルロ・パリャルンガ(写真一番左)の
対照的な歌声が交互に歌われる場面が聴きもので、
アレッシア・トンド(写真右から3人目)の、
近所のお姉さん的な親しみのわく庶民的な歌いっぷりも良かったなあ。

ローカルな民俗音楽の本質を歪めることなく、コンテンポラリーな感覚も取り入れて、
インターナショナルへと伝えるCGS、楽しかったぁ!

CGS @ Tokorozawa.jpg

CGS (Canzoniere Grecanico Salentino) "CANZONIERE" Ponderosa Music CD142 (2017)
CGS (Canzoniere Grecanico Salentino) "MERIDIANA" Ponderosa Music CD151 (2021)
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精巧なジャズ作品 マルタ・サンチェス [南ヨーロッパ]

Marta Sanchez  SAAM.jpg

だまし絵のような複雑なハーモニーが生み出す快感。
マドリード出身、ニュー・ヨークで活動するピアニストで
作曲家のマルタ・サンチェスが昨年出したアルバム、すげー、いい。

マルタの左手とドラムスがポリリズムを巻き起こし、
2台のサックスが対位法を交差させながら、
ギザギザしたラインを奏でていく。う~ん、メチャ好みのコンポジション。

メランコリックなメロディからスタートする曲が多いんだけれど、
そのあとアブストラクトに展開していくので、
一口目の甘さがひっぱられなくて、後に残らないところがいいんだな。
甘ったるいメロディに支配されたコンポジションが苦手なので、
マルタが書くような構成は、スゴイぼく好みなんです。

内省的なバラードあり、サックスが悲痛な叫びをあげる曲あり、
さまざまな感情を織り成す楽曲から成っていて、
マルタはそれぞれにメッセージを込めているんでしょうね。
異なるムードのコンポジションには、細密なテクスチャーが積み重なっていて、
豊かな質感を持っているのと同時に、それを表現するメンバーのエネルギーが、
マルタの心の痛みを描写しているように感じます。

カミラ・メザが歌う曲が1曲あり、アンブローズ・アキンムシーレがトランペットを
吹いているんですけれど、これもとても美しい。
これほど精巧に作られたジャズ作品も、なかなかないですよ。

Marta Sanchez "SAAM (SPANISH AMERICAN ART MUSEUM)" Whirlwind Recordings WR4784 (2022)
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パパ活女子ジャズ、やめました アンドレア・モティス [南ヨーロッパ]

Andrea Motis  LOOPHOLES.jpg

アルバ・カレタの新作の記事を書いた時に、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-05-25
同じカタルーニャ出身で、同い年の女性トランペッターのアンドレア・モティスに
ちらっと触れましたけれど、その時はまだ、この新作を聴いていなかったんです。
まさかアンドレアが、こんなバリバリの新世代ジャズをやるなんて!

だって、アンドレアって、手垢にまみれたスタンダード・ナンバーを歌ったり、
コマーシャルなブラジル音楽で売っていた人だよねえ。
ジャズ・オヤジを転がす商売上手なパパ活女子、なんて目で見てたもんだから、
別人のようなエレクトリック・ジャズぶりには仰天。いやぁ、見直しましたよ。

ドラムスにグレゴリー・ハッチンソン、キーボードにビッグ・ユキを起用しているんだから、
そっからして、これまでのインパルスやヴァーヴのコマーシャル路線とワケが違うのは、
容易に想像つきます。

のっけから、トトー・ラ・モンポシーナが歌っていた
クンビアの‘El Pescador’ が飛び出すんだから、ノケぞりますよ。
トトーの代表作“LA CANDELA VIVA” でおなじみの曲です。

Totó La Momposina  LA CANDELA VIVA.jpg

この人、これまでクンビアなんて歌ったことなんて、あったっけか !?
ほかにもカタルーニャ語で歌っていたりして、
カタルーニャ人のアイデンティティを表明したのも、これが初なのでは。

グラスパーの影響を思わせるネオ・ソウルもあれば、
タイトル曲のような、もろエレクトリック・ジャズを展開するトラックもあり。
マンドリン伴奏から、シンセのオーケストレーションへとダイナミックに変化して、
ヴァイオリン・ソロが展開するスパニッシュな曲まで、内容は実に多彩です。

パパ向け需要をネラったスケベ根性が透けてみえる日本盤ジャケットより、
上に掲げたオリジナル・ジャケットの方が、断然いいと思います。
本人がせっかく、パパ活女子ジャズをやめたんだからさ。

Andrea Motis "LOOPHOLES" Jazz to Jazz AMCD001 (2022)
Totó La Momposina Y Sus Tambores "LA CANDELA VIVA" Realworld CDRW5671 (1993)
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抑制の美学 リア・サンパイ [南ヨーロッパ]

Lia Sampai  AMAGATALLS DE LLUM.jpg

カタルーニャのインディ・レーベル、ミクロスコピの作品が初入荷。
入荷した全タイトルをチェックして、アンテナにひっかかった2作品を買ってみました。
その1枚が、前回のジャズのアルバ・カレタ・グループだったんですけれど、
もう1枚は、女性シンガー・ソングライターのリア・サンパイ。

カタルーニャの女性シンガー・ソングライターといえば、
シルビア・ペレス・クルースが大人気ですけど、
実はぼく、彼女がまったくダメなんですよ。
現代っ子特有の発声や、自意識の強い歌いぶりが、超苦手。
そんなわけで、警戒しつつ聴いてみたんですが、このリア・サンパイは大丈夫でした。

気取りのない、抑制の利いた歌いぶりに、まず好感。
ひらひらと蝶のように舞う歌い回しが軽やかで、耳に心地良く響きます。
声高なシルビア・ペレス・クルースとは大違い、なぞといらん憎まれ口を叩いたりして。
繊細だけど力強さのある、豊かで深みのある歌唱を聞かせます。

そして、リアのパートナーであるアドリア・パジェスのギター伴奏が素晴らしい。
クラシック・ギターの奏法がベースとなっているものの、
ナイロン弦の響きがどこまでも柔らかで、エッジの立った音は出てきません。
ハーモニクスを多用した奏法を聞かせたりと引き出しの多い人で、
フラメンコ的な表現が借用される場面でも、ギターのタッチはまろやかで、
パルマをゆったりとさせたような手拍子もおだやか。
エレクトリック・ギターを使った曲でも、そのギター・トーンは甘やかです。

アドリアのアレンジは、シンプルなギター伴奏の静謐なサウンドを保ちながら、
ヴァイオリンとチェロの弦セクションや、
ピアノやグロッケンシュピールを効果的に使って、
ぬくもりのある音楽世界を織り上げています。
抑制の美学を感じさせますねえ。

そんなリアの音楽をヴィジュアル化したジャケットも、すごく気に入っています。
ピクトリアリズム調のポートレイト写真は、気品がありますねえ。
視線を落としたリア・サンパイのうつろな表情が、またいいんだな。
スティーグリッツが撮ったオキーフみたいでさ。
画質は、メイプルソープが撮ったパティ・スミスみたいなシャープさ。
ファイン・アート・フォトグラフが好きな人なら、ほっとけないでしょう、これ。

Lia Sampai "AMAGATALLS DE LLUM" Microscopi MIC189 (2021)
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カタルーニャ発グローバル・ジャズ アルバ・カレタ・グループ [南ヨーロッパ]

Alba Careta Group  ALADES.jpg

カタルーニャの小さな町アヴィニョから登場した、新進トランペット奏者のグループ。
小学校の音楽教師を母親に持つアルバ・カルタは、
18歳年の離れたジャズ・ギタリストの兄の影響からジャズに興味を持ち、
トランペットを演奏するようになったといいます。

カタルーニャではジャズを本格的に勉強する環境がなかったことから、
オランダへジャズ留学し、ハーグの音楽院で学びながら、自己のグループを結成、
18年に早くもファースト・アルバムを出したとのこと。
その後、アムステルダムに移って、オランダの名門、
アムステルダム国立音楽院でジャズ・トランペットの修士号を取得しています。

2作目となる本作では、オランダ留学時代の体験をインスピレーションに、
作曲に力を入れたとアルバは語っています。
トランペット、サックス、ピアノ、ベース、ドラムスのメンバー各自が、
自由闊達に押し引きしあって、緩急をつけながら、
アンサンブルの緊張度を高めていくのに、恰好のマテリアルが並んでいますね。
リズムがひんぱんに変化する構成が巧みで、ピアノとドラムスに顕著に聴き取れる、
メンバーの資質に合わせたアレンジの工夫を感じます。

特に聴きものなのが、‘Oceans’。
冒頭から推進力のあるドラムスにのせて、トランペットとサックスがテーマを合奏し、
ブロック・コードでガンガン打ち付けていくピアノをバックに、
トランペットとサックスがソロを応酬し合います。
中盤のカデンツァでリズム・セクションが退くと、サックス・ソロのバックで
ピアノがフリーに動き始め、やがてピアノが音を止めると、
トランペットの無伴奏ソロへと場面は展開。
そのトランペットがすっと音を消した瞬間、冒頭のテーマが炸裂します。

スケール感のあるこの曲、ミュージック・ヴィデオも制作されています。
青いプールにサイド・テーブル、ナイト・スタンド、ベッドが沈められていき、
目隠しをしたアルバがベッドの方へと沈んでいきます。
アルバは沈んだトランペットを手に取り、水中で演奏を始めます。
そのシュールな映像は夢想的で、楽想とはまた異なる世界を見せてくれます。
赤・白・青を基調としているのは、オランダ国旗の色を暗示しているのかな。

このアルバムでアルバの自作曲でないのは、カタルーニャの詩人ペレ・クアルトが
47年に亡命先のチリで書いた詩に、シンガー・ソングライターでカタルーニャ独立運動家の
リュイス・リャックが曲をつけた‘Corrandes d'exili’ の1曲。
スペイン内戦後、フランスに強制移住させられたカタルーニャ人を描いたこの曲を、
アルバ自らが歌い、カタルーニャ人としての立ち位置を確かめています。

奇しくも、カタルーニャ出身の女性トランペッター(しかもアルバと同い年!)で、
シンガーとしても人気の高いアンドレア・モティスが新作を出したばかり。
アンドレアはオーソドックスなジャズですけれど、アルバはバリバリの新世代ジャズ。
グローバル・ジャズ最前線に飛び出したカタルーニャの硬派の才能、要注目です。

Alba Careta Group "ALADES" Microscopi MIC164 (2020)
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春を呼ぶファド フランシスコ・ソブラル [南ヨーロッパ]

Francisco Sobral  ESTADO D’ALMA.jpg

フランシスコ・サルヴァソーン・バレートに刺激されて、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-02-20
男性ファディスタをもっと聴きたくなり、あれこれ探して見つけた一枚。

フィリーペ・ラ・フェリア作のミュージカル「アマリア」(99)で、
アルフレード・マルセネイロを演じて脚光を浴びたファド歌手、
フランシスコ・ソブラルの12年セカンド作です。
ぼくが手に入れたのは、15年の再発盤なんですけれども。

アルフレード・マルセネイロを演じるほどの人だから、歌の実力は折り紙付き。
たっぷりとした豊かな声にはコクがあって、
技巧をひけらかさない余裕の歌いぶりで、
奥行きのある歌の表情をみせてくれます。

ソブラルのまろやかな声は、昏々と湧き出る温泉の湯を連想させます。
温かさに満ちあふれていて、哀切や絶望といった「陰」のファドではない、
愛情や希望の「陽」のファドが、この人に宿っているのを感じます。
アルフレード・マルセネイロの‘Fado Cravo’ に新しい詞をつけて歌った
‘Roseira Brava’ が、ゆいいつファドの暗さを表していて、
アルバムのなかで異色に響くくらいですからね。

フランシスコ・ソブラルは、65年ベージャ生まれ。
ファド・ハウスの出演ばかりでなく、舞台やコンサートでも歌い、
ポルトガル国外での公演活動も活発に行っているファド歌手とのこと。
アルバムは2作しか出しておらず、ぼくが買ったセカンド作の再発盤も、
たった500枚のプレスと書かれていて、ファド・ハウスやコンサートなどの手売りで、
すぐはけちゃったものなんじゃないでしょうか。
そんなファド歌手の貴重作を聴くことができるなんて、ありがたや。

春を呼ぶような明るさのあるファドは、これからも長く大切に付き合っていけそうです。

Francisco Sobral "ESTADO D’ALMA" Cult Label eEMA003-15 (2015)
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グルーヴを取り戻したポップ・フナナー フォゴ・フォゴ [南ヨーロッパ]

Fogo Fogo  FLADU FLA.jpg

カーボ・ヴェルデ音楽の旧作が続きましたけれど、これはピカピカの新作。
リスボンから登場した新人グループなんですが、
なんとカシンのプロデュースだということに、え~???
なんでまたカシンが、カーボ・ヴェルデ音楽に手を出したんだろか。
予想だにしなかった組み合わせに、いささか警戒しながら、聴き始めましたよ。

1曲目から、いきなり80年代ポップ・フナナーを焼き直した、
チープ感溢れるシンセ・サウンドが飛び出して、口あんぐり。
オーセンティックな伝統ガイタが見直されるようになった今になって、
またぞろ大昔の安直なエレクトリック・フナナーを聞かされるとは。
かつてブリムンドやフィナソーンがやっていた、ポップ・フナナーまんまじゃないの。

それにしても、この古臭い音づくりを再現するとは、アキれたもんだ。
ヴィンテージ感漂う70年代MPBサウンドから、あえてチープな要素を抜き出すような、
オタク趣味のカシンらしい変態ぶりが発揮されています。
続く2曲目のイントロでも、ぴろぴろとヤスっぽい鍵盤音が響きわたり、
あ~あ、こりゃもう、完全にネラって作ってんなと、わかるわけなんですが、
あれ? でもこの曲ではフェローのリズムがちゃんと聞こえてきますね。

クレジットを見ると、二人いるギタリストの一人に
フェリーニョ(フェローの別名)というクレジットがあり、
じっさいにフェローを使っているようです。
う~む、こういうグルーヴが、かつてのポップ・フナナーにはなかったんだよな、
そう思いながら聴き進めていくうち、最初の悪印象がだんだん薄れていきました。
フェローなどのパーカッションが小気味よいグルーヴを生み出していて、
リズム・セクションがフナナーのビートを強調し、腰にグイグイと刺さってきます。

80~90年代のポップ・フナナーに欠けていた、
フナナーのグルーヴを取り戻していて、うん、これならいいじゃないですか。
シャンド・グラシオーザの曲も1曲取り上げていますよ。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-02-27
インタールードでシンセがサイケデリックに展開していくところもカッコよく、
こういうポップ・フナナーなら支持できますね。

フォゴ・フォゴは、ギター2、キーボード、ベース。ドラムスのポルトガルの5人組。
メンバーの出自は明かされていませんが、
カーボ・ヴェルデ系移民二世のポルトガル人ばかりでなく、
モザンビーク出身者もいるようです。

ジャケットがなかなか強烈ですね。
中央に、独立闘争時のギネア=ビサウの革命家アミルカル・カブラルがドーンと描かれ、
左には、少年期にアンゴラとモザンビークで暮らした
コインブラのファド歌手ジョゼ・アフォンソと、
プロテスト・シンガー・ソングライターのジョゼ・マリオ・ブランコが、
そして右にはブラジルのチム・マイア、ジャマイカのリー・ペリーが描かれています。
奴隷文化の見直しという文脈とはまた別の、政治的、社会的なリファンレンスとして
フナナーを再評価する、フォゴ・フォゴの意図が汲み取れます。

Fogo Fogo "FLADU FLA" Rastiho 217CD (2021)
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リスボン郊外発の伝統フナナー ライス・ジ・フナナー [南ヨーロッパ]

Raiss Di Funaná  DJA BEM PA KA PARA.jpg

うーん、胸をすくフナナー・アルバムですねえ。
のっけから、ガイタ(アコーディオン)とフェローが急速調のリズムを刻む、
痛快なフナナーが飛び出して、アルバム最後まで突っ走ります。

いやぁ、このエネルギーはスゴイですよ。
よくまあ飽きさせず、同じBPMのフナナーを12曲も聞かせるなあというか、
それだけの実力が、このグループにはありますね。
なんといっても、集中力が圧倒的ですよ。

歌手が3人いるんですけど、一番多くの曲を歌っているゼゼー・ジ・ジョアナが、
野趣に富んだノドをしていて、いい味を出しているんだなあ。
(ジャケット中央の、女性と顔を寄せている男性がゼゼー・ジ・ジョアナです)
奴隷文化が育んだフナナーのアフロ成分たっぷりの歌いっぷりですね。

メンバーはジャケットに写る8人。ガイタ(アコーディオン)とフェローに、
リズム・セクションがつくだけの、伝統フナナーの編成なんですが、
じっくり聴いてみると、パーカッション音を打ち込みで補強しているなど、
クレジットには記されていない、工夫の跡がうかがえます。

グループのバイオがよくわからないんですが、
いかにも自主制作ぽい、冴えないジャケットの旧作3枚の写真を見つけました。
サンティアゴ島のローカル・グループなのかなあと思ったら、
リスボン郊外のカーボ・ヴェルデ移民コミュニティから
出てきたグループだそうです。

YouTube にあがっている、寒々とした空の下の街角で、
ライス・ジ・フナナーの演奏にのって厚着した人々がダンスをしている
街角の舞台は、きっとリスボンなのですね。

Raiss Di Funaná "DJA BEM PA KA PARA" no label no number (2014)
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古典ファドを歌い継ぐ フランシスコ・サルヴァソーン・バレート [南ヨーロッパ]

Francisco Salvação Barreto  HORAS DA VIDA.jpg

リスボンのファド博物館が16年にスタートさせたレーベルから出た
男性ファディスタのデビュー作。
アンドレー・ヴァス以来といえる伝統ファドの逸材登場に、
いやぁもう、頬もゆるむというか、ズイキの涙を流すしかないですね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-11-07

新世代ファド歌手として注目を浴びる、なんてのは、
ファドの現場であるカーザ・デ・ファドから遠く離れた音楽業界から発信されるもので、
ファドが息づく現場からみたら、別世界の出来事にすぎません。
昔と変わらぬ伝統ファドは、ディスク化されることすら稀有だという事情は、
ファド・ファンは重々承知しています。

年寄りと観光客の音楽とみなされてしまった伝統ファドだからこそ、
アーカイヴばかりでなく、才能豊かな若手を応援しようという
ファド博物館のような確かな目利きのレーベルの登場には、
惜しみない拍手を贈りたいですよ。

そんなファド博物館が送り出したフランシスコ・サルヴァソーン・バレートは、
デビュー作といっても82年生まれ。発表当時36歳で、
ヴェテラン・ファディスタのマリア・ダ・フェーが経営するカーザ・デ・ファドで
専属歌手として歌ってきたというのだから、実力はもう十分すぎるほどです。

ライスから出た日本盤の解説を書かれたギターラ奏者の月本一史さんによれば、
「既に素晴らしいファドの録音が聴ききれないほど存在する中で
自分がそれらを焼きなおす必要はないと思っていた」というのだから、
そういう慎みある発言をする人のファドこそ、ぜひ聴いてみたいと思うのが、
ファド・ファンというものじゃないですか。

もうひとつ、月本さんの解説のなかで目を奪われたのが、
フランシスコ・サルヴァソーン・バレートがファドに開眼したきっかけ。
なんでも、おじいさんがクラシック、ジャズ、ファドなどのレコード・コレクターで、
14歳の夏休みに、ジョアン・フェレイラ=ローザのレコードを聴いて衝撃を受け、
おばあさんにジョアン・フェレイラ・ローザの“ONTEM E HOJE” を買ってもらい、
古典ファドの世界にのめりこんでいったんだそうです。

80年代生まれの若者が、17歳という若さでカーザ・デ・ファドに通って
ファド歌手を目指すなんて、奇特としか言いようがありませんよ。
神田伯山が講談師になったのと、同じくらいのインパクトじゃないですかね。
神田伯山は83年生まれと、フランシスコ・サルヴァソーン・バレートのひとつ年下です。
古臭い芸能と誰もがみなしていたものを、二人の若者は志したんでした。

João Ferreira-Rosa  EMBUÇADO.jpg

そしてなにより、ジョアン・フェレイラ=ローザに衝撃を受けたというのが、
ぼくにはグッとくる話です。おばあさんが買い与えたという“ONTEM E HOJE” は、
96年に出た2枚組のベスト盤で、今回のデビュー作でカヴァーされた
‘O Meu Amor Anda Em Fama’ もそこに選曲されていますが、
その曲が収録された65年作の“EMBUÇADO” は、ぼくの大愛聴盤です。

月本さんがライス盤の解説で、ジョアン・フェレイラ=ローザのことを、
「質朴の天才」と形容したのには、思わず膝を打ちました。
まさしくこれ以上ないというくらい、的を得た表現です。
ジョアン・フェレイラ=ローザのファドは、堂々としているのに、
まったく威圧感を与えないのは、自己を消して歌の世界に没しているからでしょう。
豪胆で融通の利かないともいえるその唱法は、いぶし銀の味わいがあり、
そんなシブい歌手に14歳で衝撃を受けたんだから、その出発点からしてホンモノですよ。

そんな古典ファドを歌い継ぐことに真摯に取り組んできた
フランシスコ・サルヴァソーン・バレートを伴奏する、
ギターラ奏者のベルナルド・コウトがまたスゴイ。
1曲目の‘Horas Da Vida’ で、主役を食うような華麗な技を繰り出し、
おいおい、デビュー・アルバムの伴奏なんだぜ、
少し抑えろよ、と思わず言いたくなってしまいました。
ちょっと弾きすぎ、目立ちすぎの場面が気にならないじゃないですけど、
それだけ主役・伴奏とも力のこもった、
古典ファドを現代に受け継いだ大力作です。

Francisco Salvação Barreto "HORAS DA VIDA" Museu Do Fado MF005 (2018)
João Ferreira-Rosa "EMBUÇADO" Som Livre/EVC VSL1093-2 (1965)
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ピッツィカ・ミーツ・ジャスティン・アダムス カンツォニエレ・グレカーニコ・サレンティーノ [南ヨーロッパ]

CGS (Canzoniere Grecanico Salentino)  MERIDIANA.jpg

またしても新作を聴くのは、最低気温がマイナスになった厳寒の季節。
なんで、いっつもピッツィカを聴くのは、この時季なんだろう。不思議な巡り合わせです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-01-24

南イタリア、サレント半島を代表する古参ピッツィカ楽団、
カンツォニエレ・グレカーニコ・サレンティーノの新作。
今回はジャスティン・アダムスとのコラボだと聞いて、楽しみにしていました。
ジャスティンは、異文化アプローチする欧米人プロデューサーのなかで、
もっとも真摯で誠実な仕事をしている人と、ぼくが全幅の信頼を寄せる人です。

その信頼は今回も裏切られず、伝統楽器とプログラミングのバランスのとれた配置と、
双方がそれぞれを引き立て合っていることに、ジャスティンの手腕が示されています。
重く唸るシンセ・ベースに尖った響きのヴァイオリンが絡み、
男女の荒々しいコーラスが、土ぼこり舞う南イタリアの土壌を表わす1曲目から、
それは明らかでしょう。

フレーム・ドラムやタンブレロの響きに、ダブ的手法を加えてドローンを強調したり、
バグパイプのバックで、シンセ・ベースが脈打つようなラインを描いたりするあたりは、
ジャスティンが蓄積してきたノウハウの賜物でしょう。
場面場面に応じた慎重なサウンド・エフェクトが施して、サウンドを豊かにしつつも、
アンサンブル全体としては余計な音を重ねず、
削ぎ落とされているように聞こえるところが、スマートじゃないですか。

ブルックリンのバングラ・ブラス・バンド、
レッド・バラートをゲストに迎えた曲があるのには、
意表を突かれましたが、ここでも互いに容赦なくせめぎあっていて、
実に良い共演となっています。バングラ・ビートとピッツィカ、
相性バッチリじゃないですか。
この共演のアイディアも、ジャスティンだったのかなあ。

これまた、「伝統音楽の真髄を捉えた欧州現代人の表現の好例」であります。
南イタリアの土俗さをなんらそこなわず、
世界のリスナーに届く音響として作り上げたジャスティン、今回もいい仕事をしています。

CGS (Canzoniere Grecanico Salentino) "MERIDIANA" Ponderosa Music CD151 (2021)
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エレクトロが奏でるルゾフォニアのメランコリー ディノ・ディサンティアゴ [南ヨーロッパ]

Dino D’Santiago  BADIU.jpg

ディノ・ディサンティアゴの新作タイトルが「バディウ」だと知ったときは、
これはディープなアルバムになるな、という予感がありました。

バディウとは、いまではカーボ・ヴェルデのサンティアゴ島民の呼称にもなっていますが、
もとは、ポルトガル語の vadio (遍歴する、放浪する)に由来する、
ポルトガル人入植者がアフリカから連行された奴隷を指して呼んだ蔑称でした。

現在のカザマンス地方とギネア=ビサウに築かれたガブ王国は、
ポルトガル人との奴隷貿易によって栄え、奴隷をカーボ・ヴェルデに送り込んでいました。
サンティアゴ島に降ろされた奴隷たちは、シダーデ・ヴェーリャに暮らしていましたが、
フランスやイギリス、オランダの海賊からたび重なる攻撃を受け、
ついには悪名高きフランシス・ドレークの攻撃によって街全体が破壊され、
島の内陸部に逃げ込んで九死に一生を得たといいます。

内陸部でコミューンを形成した奴隷たちは、そこでようやく自由を得ますが、
西洋文明から隔絶された浮浪者とみなされ、バディウと蔑まれるようになります。
しかし、逃亡奴隷として自由を得たバディウスたちにとっては、
その語を自由と抵抗のシンボルとして捉え、前向きに受け入れたのでした。
そうしたバディウがフナナーを育んだことは、以前にも書いたことがあります。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-02-25

サンティアゴ島出身のバディウスの両親のもとに育ち、
父親とともにサンティアゴ島へ旅したことをきっかけに、
ヒップ・ホップ/R&Bから現在の音楽に転向したディノが、
アルバム・タイトルに「バディウ」と名付けるからには、
原点を掘り下げた内容となったに違いありません。

聴いてみれば、前々作、前作に比べ、グッと表現が深まりましたねえ。
楽曲がとりわけ素晴らしい仕上がりで、
ソダーデ感溢れる哀しみに富んだメロディは、カーボ・ヴェルデにとどまらない、
ルゾフォニアが共有する、深いメランコリーを感じさせます。

リズム面では、フナナーやバトゥクを直接借りることなく、
あえて生音を避けたと思われるエレクトロを多用しながら、
内省的な音楽世界を表現しています。
そのネライどおり、サウンドの質感はクールかつディープになっていて、
ミュージック・セラピーのようなアルバムに仕上がっているんですね。

なんと制作にあたっては、ロンドン、オーストリア、ベルリン、ロス・アンジェルス、
サン・パウロ、コロンビアなど、さまざまな音楽家との共同作業によって37曲が録音され、
そのなかから、「バディウ」のコンセプトに合う12曲を選曲して完成させたとのこと。
抵抗のシンボルにオマージュを捧げたディノが、
次に提示する物語に、はや期待が高まります。

Dino D’Santiago "BADIU" Sony Music 19439948142 (2021)
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吐息まじりのディクション ミリヤン・ラトレセ [南ヨーロッパ]

Miryam Latrece  QUIERO CANTARTE.jpg

ミリヤン・ラトラセは、91年マドリッド生まれのジャズ系シンガー・ソングライター。
19年に出したセカンド作が日本に初入荷したんですが、これがやたらと評判がいい。
ぼくも試しに聴いてみたところ、いやあ、オドロきました。

このひともまた、グレッチェン・パーラトのミームとして増殖した歌手のひとりですね。
じっさいミリヤン・ラトレセがグレッチェンに影響を受けたかどうかは知りませんが、
こういう人が出てくると、いかにグレッチェンの登場が、
ジャズ・ヴォーカルの風景を一変させてしまったかを、実感させられます。

ヴィニシウスとジョビンの名曲‘Chega De Saudade’ を
カタルーニャ語で歌った1曲目で、それは鮮やかに示されています。
ハイ・トーンのハミングに続いて歌い出される第一声で、
「うわー、グレッチェンじゃん!」と思わず口走っちゃったもんね。
低く落ち着いたウィスパー・ヴォイスは、
プレ・ボサ・ノーヴァの‘Chega De Saudade’ にどハマりだし、
そのウィスパー・ヴォイスのまま、
ベース・ソロに合わせてユニゾンでスキャットするスキルに、
ジャズ・ヴォーカリストとしての実力が発揮されています。

デビュー作では自作曲を歌っていたようですけれど、
本作はスタンダード曲がレパートリーで、
先に挙げたジョビンの‘Chega De Saudade’‘Meditaçao’ を、
カタルーニャ語の美しい語感を生かして歌っているほか、
ジャヴァン、パブロ・ミラネス、フィト・パエスの曲を取り上げています。
ブラジルやラテンのスタンダードのほか、
地元スペインのローレ・イ・マヌエルの‘Todo Es De Color’ や、
‘Like Someone In Love’ も歌っていますね。
これはチェット・ベイカーを意識したのかな。

個人的に嬉しかったのは、ボラ・デ・ニエベのレパートリーで、
古くから愛される子守唄の‘Drume Negrita’ を取り上げていたこと。
リズム処理がとても洒落ていて、とても小粋に仕上がっています。

歌伴のピアノ・トリオは、控えめなプレイに徹しつつ、ピアノが内部奏法を聞かせたり、
ドラムスが柔らかな音色で包みながらリズムを押し出していったりと、
現代性を投影したアンサンブルで、抑制の利いたミリヤンの歌を盛り立てています。

どこまでも柔らかな歌い口に、ふんわりとしたベットにダイヴするような気分。
秋口の夜に、またとないくつろぎを与えてくれる一枚です。

Miryam Latrece "QUIERO CANTARTE" Little Red Corvette LRC10 (2019)
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リスボン郊外ゲットー・コミュニティ発の電子音楽 プリンシペ [南ヨーロッパ]

MAMBOS LEVIS D’OUTRO MUNDO  Príncipe.jpg

ミュージック・マガジンの「ニュー・スタンダード2020s」で、
ポルトガル語圏アフリカ(PALOP)音楽を特集するにあたって、
編集の新田晋平さんからディスク・ガイドの選盤に、
「ポルトガルのレーベル、プリンシペは入りますか」との問いかけがあり。

う~ん、こういうアドヴァイスは、本当にありがたい限り。
ぼくが電子音楽界隈には疎いことを見越して、さりげなく教えてくれているわけで、
新田さんお見通しの通り、そのレーベル、ぜんぜん、存じあげませ~ん!
ということで、プリンシペ、あわててチェックしましたよ。

いやあ、オドロきました。
時代はクドゥロから、とんでもなく飛躍していたんですね。
記事のディスク・ガイドには、
レーベルを代表するDJマルフォックスをとりあえず選びましたが、
プリンシペに集う多くのアーティストをコンパイルしたCDが出ていたので、
さっそくオーダーしましたよ。
ちなみに、プリンシペのカタログはデジタル・リリースが中心で、
CDはたった2作しか出ていないだけに貴重です。

このCDは、プリンシペというレーベルを理解するのに、うってつけですね。
全23曲、すべてのトラックに共通しているのが、ポリリズムの応酬です。
どれもこれも徹底的に、パーカッシヴ。このビートメイキングには圧倒させられました。
シンゲリやゴムなどぶっ飛んだアフリカン・エレクトロニック・ミュージックは数々あれど、
このビート・センスには、夢中にさせられます。

ここに集う若い才能たちは、ハウスやテクノ、あるいはグライムやダブステップなどの
欧米のベース・ミュージックの影響を受けずに、
これをクリエイトしているんじゃないのかな。
それほど非凡で、個性的なトラックばかりが並んでいるんですよ。
琴をサンプリングした‘Dor Do Koto’ とか、独創的すぎるでしょ!
イカれたリズムに唐突なカット&ペーストが挿入される‘Dorme Bem’ も降参。
ダブ創生期を思わす狂いっぷりが、もうサイコー。

ここで生み出されているのは、クドゥロの発展形ではなく、
クドゥロを生み出したバティーダをベースにした電子音楽で、
まさにビートの実験場となっています。
DJマルフォックスは、クドゥロにサンバのバツカーダをミックスしたと語っているし、
アンゴラのタラシンハや、カーボ・ヴェルデのフナナーをミックスしているDJもいます。
まだこの音楽に名前が付いていないところも、将来性を感じますね。
ラベリングされると、外部からピックアップされて消費されるのも早いからなあ。

ちなみにDJマルフォックスことマルロン・シルヴァは、
両親がサントメ・プリンシペ出身の移民二世で、子供の頃からキゾンバやクドゥロで育ち、
父親からサンバやMPB、ジャズを教えてもらったそうです。
3年前に来日してライヴも敢行していたという(!)DJニガ・フォックスは、
内戦のアンゴラからリズボンに逃れてきた難民で、
当時4歳の彼とその家族が落ち着いたのが、リズボン外縁の低所得層アパートでした。

プリンシペから発信されるリスボン郊外に疎外されたPALOPコミュニティ発の電子音楽が
カウンターであることは、バンドキャンプの本作のページに、
革命家アミルカル・カブラルの73年のインタビューの発言を
引用していることからも明らかでしょう。
ペドロ・コスタ監督の00年の映画『ヴァンダの部屋』の光景が立ち上がってくる、
そんな衝撃の一枚です。

v.a. "MAMBOS LEVIS D’OUTRO MUNDO" Príncipe P015 (2016)
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ファドの看板を下ろして アントニオ・ザンブージョ [南ヨーロッパ]

António Zambujo  VOZ E VIOLÃO.jpg

あ、これなら聞けるわ。
ボサ・ノーヴァの歌い口でファドを歌うアントニオ・ザンブージョは、
こんな気持ち悪いファド、聞けるかよと、ずっと耳が拒否ってたんですが、
ボサ・ノーヴァに寄せたギター弾き語りの新作は、ぼくでもOK。

新作は『声とギター』という、ジョアン・ジルベルトのアルバムから借りてきたタイトル。
セルソ・フォンセカとか、最近使い回されることの多いタイトルですけれど、
シンプルなギター弾き語りで、ファドから離れてくれたおかげで、
ようやく寒気を覚えず、この人の歌を楽しめました。

そうだよね。そもそも、ファドなんか歌わなきゃいいんだよな。
こういう歌い口が魅力になるレパートリーは、いくらでもあるんだからさ。
フランク・ドミンゲスの代表曲‘Tu Me Acostumbraste’ なんて、最高じゃないですか。
ザンブージョの歌を聴いて、いいなあと思ったの、これが初めてですよ。

この人、フィーリンを歌えば、バッチリじゃん。
ホセ・アントニオ・メンデスの曲なんかも、歌わせてみたくなりますね。
やっぱボサ・ノーヴァやフィーリン向きの人なんだな。
ファディスタなんかじゃないよ、この人。
「ニュー・ファド・ヴォイス」なんて気色の悪い看板、下げちゃえばいいのに。
ここでもファドの‘Rosinha Dos Limões’ を歌っているけど、やっぱキモイ。
こういうのを平気で聞ける人って、ファドをなんにも知らない人だと思うよ。

また、ボレーロ~フィーリン調が似合うといっても、
‘Mona Lisa’ みたいな甘ったるい曲を選曲する通俗さは、いただけないなあ。
もっとドライな曲を集めた、大人向けのヴォーカル・アルバムを作ってもらいたいものです。

António Zambujo "VOZ E VIOLÃO" Sons Em Trãnsito/Universal 3574949 (2021)
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ルソフォン・ミュージックのマニフェスト ディノ・ディサンティアゴ [南ヨーロッパ]

Dino D’Santiago  Kriola.jpg

ディノ・ディサンティアゴの18年前作“MUNDU NÔBU” は、
ルソフォン・ミュージックのマニフェストと呼ぶにふさわしい、
新たなアフロピアンの時代の幕開けを象徴するアルバムでした。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-03-26

カーボ・ヴェルデのリズムを、
ヒップ・ホップ/R&B世代のエレクトロなサウンドに回収した
新たな才能の登場に、確かな手ごたえを感じたものの、
その手ごたえに見合ったセールスと結びつかないところに、
ルソフォン・ミュージックが置かれているポジションを思い知らされます。

ここ10年くらい、アンゴラやカーボ・ヴェルデなどのルソフォン・ミュージックが、
高水準の作品を生み出し続けているというのに、
世間の注目がまったく集まらないのには、歯がゆさを禁じ得ません。
お~い、ここにグッド・ミュージックがあるぞ~!と声を上げ続けることに、
当ブログの存在意義があるとはいえ、徒労感がないといったらウソになりますね。

新作“KRIOLA” は、タイトルが示すとおり、ディノのクレオール主義を具現化したもの。
それは、ヒップ・ホップ/R&B世代のポップスのサウンドを、
欧米由来のリズムで表現するのをやめ、
自分たちのルーツのリズムで再現しようという試みですね。
レゲトンやズークが世界を席巻したように、ディノはフナナーやバトゥクといった
カーボ・ヴェルデのアフロ系リズムで、それを成し遂げようとしています。
タイトルを男性名詞のクリオロではなく、女性名詞のクリオラとしたところもいいなあ。

90年代に西ロンドンのクラブ・シーンで活躍したイギリス人プロデューサー、
セイジ(ポール・ドルビー)を中心に、リスボンのクドゥロ・ユニット、
ブラカ・ソム・システマの元メンバーのカラフ・エパランガが、
前作に引き続き、ソングライティング、トラックメイク、プロデュースに関わっています。

今作の最大の注目トラックは、
ポルトガルで人気沸騰中の若手ラッパー、ジュリーニョ・KSDが参加し、
軽快なアコーディオンをフィーチャーしたフナナーのタイトル曲。
曲作りにも加わってディノと共演したジュリーニョは、
自分がフナナーのビートで作曲できるとは思わなかったと語っていて、
ルソフォン・ミュージックの方向性を、次世代に繋ごうとする
ディノの目論見は果たせたようですね。

ナンパなアフロ・ズーク、キゾンバを得意とする、カーボ・ヴェルデ系オランダ人シンガー、
ネルソン・フレイタスをゲストに迎えた‘My Lover’ は、
いかにも甘々なラヴ・ソングですけれど、
ギターやパーカッションのシャープなサウンドが利いていて、
エッジはちゃんと立ってるんだなあ。

アンビエントなムード漂うラスト・トラックの‘Morna’ まで、
ルソフォン・ミュージックのエッセンスを溶かし込んで、
現代的なサウンドにデザインした会心作です。

Dino D’Santiago "KRIOLA" Sony Music 19439816922 (2020)
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古典ファドの新解釈 アルディーナ・ドゥアルテ [南ヨーロッパ]

Aldina Duarte  ROUBADOS.jpg

この冬は寒かったですねえ。
去年が暖冬だったので、なおさら厳しく感じましたけれど、
東北や日本海側に暮らす方々にとって、
雪にずいぶん苦しめられた冬だったんじゃないでしょうか。

寒い冬の夜は、ファドを聴くのが定番なんですけれど、
今年はひさしぶりにアマリア・ロドリゲスをずいぶん聴き返しました。
コロナ禍で欝っぽくなる気分を吹き飛ばしたいという心理が働くせいか、
熱量の高い音楽を求めるようになるんですよね。
フリー・ジャズをやたらと聴いているのも、そのせいか。

今年はアマリア・ロドリゲスのあとでも聴ける、いいアルバムを見つけたんです。
アマリアをじっくり聴きこんでしまうと、お腹いっぱいになってしまって、
そのあと別のファド歌手を聴く気に、なかなかならないんですが、
アルディーナ・ドゥアルテの新作は違いましたよ。

伝統ファドにこだわり続けて歌ってきたアルディーナ・ドゥアルテが、
名ファディスタたちの名唱を新しい解釈でカヴァーした意欲作。
アマリア・ロドリゲス、マリア・テレーザ・デ・ノローニャ、ルシーリア・ド・カルモ、
カルロス・ド・カルモ、エルミーニア・シルヴァ、マリア・ダ・フェ、トニー・デ・マトス、
ベアトリス・ダ・コンセイソーン、ジョアン・フェレイラ=ローザといった、
錚々たるファディスタの古典的ファドにチャレンジしています。

これだけのレパートリーを前にしては、気負うなというのが無理というものでしょう。
張り詰めた緊張感とともに、真摯に自分のファドにしようという
アルディーナの強い意志が、びんびんと聴き手に伝わってきます。
凛とした歌声には、アルディーナが四半世紀にわたってファドに取り組んできた、
頑固なまでの純粋さが滲みます。
ちなみにジャケット写真は、二十代の時の写真だそうです。

Aldina Duarte  APENAS O AMOR.jpg

マジメな人なんだろうなあと想像します。そして、努力家でもあるに違いありません。
歌声を聴けばわかりますよ。ぼくはこういう音楽家がとても好きです。
04年にようやく、37歳にして遅すぎるデビュー作を出した人ですからね。
そのデビュー作以来、ギターとギターラのみの伴奏という古典ファドのスタイルを
守り通しているところに、この人の良い意味での頑固さがよく表れています。

ラストの、マリア・テレーザ・デ・ノローニャの‘Rosa Enjeitada’ には感動しました。
ドラマティックに歌ったノローニャのスタイルとはがらりと変え、
ぐっとテンポを落とし、つぶやくように歌っているんです。
まったく異なるアプローチで、この曲に秘められた哀感を押し出した新解釈も見事なら、
そのさりげない歌唱にも、しっかりとファドの定型がしっかりと押さえられているところが、
拍手もの。新世代ファド歌手と呼ばれる多くの歌手は、これができないんだよなあ。

この曲のみ、アントニオ・ザンブージョがゲストでデュエットしていて、
こういう楽想にザンブージョのつぶやきヴォーカルはピタリとはまりますね。
個人的にあまりザンブージョは買っていませんが、これは絶妙な起用でした。

Aldina Duarte ""ROUBADOS"" Sony Music 19075979892 (2019)
Aldina Duarte "APENAS O AMOR" EMI 7243 5 98283 2 9 (2004)
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シカゴAACMジャズの伝統を移植したイタリアン・カルテット ルーツ・マジック [南ヨーロッパ]

Roots Magic  TAKE ROOT AMONG THE STARS.jpg

なんじゃ、このレパートリー !?
オーネット・コールマン、サン・ラ、フィル・コーラン、チャールズ・タイラー、
カラパルーシャ・モーリス・マッキンタイヤというフリー/アヴァン・ジャズに、
チャーリー・パットン、スキップ・ジェイムズというデルタ・ブルースの取り合わせ。
これが3作目という、ルーツ・マジックなるイタリアはローマの2管カルテット。
60~70年代フリー・ジャズと20~30年代ブルースの組み合わせは、
13年結成時からのコンセプトなんだそう。

面白いねえ。ビバップをすっ飛ばす知性は慧眼で、まさにグループ名を体現しています。
アフリカン・アメリカンの遺産を、もっとも自由で即興的なジャズで再解釈して、
独自の音響とサウンドスケープを生み出そうという試み。
豊かなインスピレーションと創造的なアイディアが、満ち溢れていますよ。

サックスとクラリネットがエキゾティックなテーマをゆるやかにつむぐ、
オープニングのフィル・コーランの‘Frankiphone Blues’ では、
ゲストのヴィブラフォンとベースがハーモニーをかたどり、
ゲストのフルートがアブストラクトなインプロヴィゼーションを披露しながらも、
そのサウンドには、かなり精巧に仕上げた構成が聴き取れます。

一方で、フリー・ジャズのエネルギーを噴出するカラパルーシャの
‘Humility In The Light Of The Creator’ や、
オーネットの‘ A Girl Named Rainbow’ では、
即興演奏家としての確かな実力を聞かせてくれ、
多層的なリズム構成を柔軟に演奏しているところなど、目を見張ります。

原曲の跡形もないスキップ・ジェイムズの‘Devil Got My Woman’ では、
ベースの反復フレーズにのせて、サックスが奔放に踊り、
一転して二管が後景に引くと、ドラムスがパーカッション的なプレイで、
リズムをリードしていく趣向が面白い。

チャーリー・パットンの‘Mean Black Cat Blues’ は、
クラリネットが原曲のメロディを狂おしく吹き、サックスが激しく咆哮するバックで、
ドラマーがタム回しをする、循環的なリズム・フィギュアを採用するのは、
‘Devil Got My Woman’ と同じ彼ら流のブルース解釈のようです。

ラスト・トラックの‘Karen On A Monday’ では、さまざまな楽器が漂流して、
混沌とした世界を提示していて、聴後の満足感を高めます。
う~ん、スゴイな、このグループ。
シカゴAACMジャズの伝統が、イタリア人カルテットに乗り移るとは。
こりゃあ、1・2作目も聴いてみないわけにはいきませんね。

Roots Magic "TAKE ROOT AMONG THE STARS" Clean Feed CF545CD (2020)
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パリのアマリア・ロドリゲス [南ヨーロッパ]

Amalia em Paris  Box.jpg   Amalia Paris Box.jpg

ああ、またも買っちゃいました。
ボックスものはできるだけ買わないようにしているんですけれど、
アマリア・ロドリゲスじゃ、しょうがないよねえ。

と、自分に言い訳して買った、アマリア・ロドリゲス生誕100周年記念の5CDボックス。
ボックスはスキャンするのが難しいため、画像はネットから拾ってきました。すみません。
生誕記念にかこつけて、過去の音源を適当に編集したようなものでないことは、保証付。
さすがアマリアのレコード会社であったヴァレンティン・デ・カルヴァーリョが
手がけただけあって、長年のアマリア・ファンを満足させる内容となっています。

『パリのアマリア』と題されている通り、パリはアマリア・ロドリゲスが
56年に世界に向けてはばたいた、ゆかりの深い地。
そのパリで50~70年代に録音した音源を編集したボックスなんですね。
1枚目はあの名盤『オランピアのアマリア』のストレート・リイシュー。
『パリのアマリア』と題したボックスで、これがなければはじまらないので仕方ないけど、
ファンならさまざまなエディションで、もう何枚も所有しているCDですよね。

で、注目は2枚目以降。
ディスク2は、62年のアルハンブラ、ABC劇場、64年のメゾン・ド・ラ・チミー、
65年のボビーノ劇場のライヴ録音に、57年と64年のにラジオ局で録音した
スタジオ・ライヴを編集したもの。ディスク3は、67年のオランピアでのライヴで、
ディスク4・5は、75年のオランピアでのライヴを収録しています。

パリのライヴ録音といえば、ボビーノ劇場でのライヴ“PARIS 1960” が、
かつて“BOBINO 1960” としてCD化されましたけれど
(2年前にセヴン・ミューズから“LIVE IN PARIS” のタイトルで4度目のCD化)、
今回のボックスには、これは収録されていません。

あらためて、56年のオランピア・ライヴから通して聴いてみると、
ポルトガルを代表する歌手から、世界の大歌手へと飛躍するさまが、
手に取るようにわかります。
気難しいパリの聴衆を前に、緊張感溢れる56年のオランピアのライヴと、
世界が認める大歌手になりおおせた、75年の堂々たる歌いっぷりの違い。
アマリアが円熟していく過程が、じっくりと楽しめる構成になっていますね。

貴重な写真が満載の100ページ弱のブックレットは、
まだパラパラとめくっただけで、ノローニャのボックスの時のように
英訳したりはしてませんが、いずれ時間ができたら、ね(しそうにないな、じぶん)。
それより、ぼくの大好きな曲が並ぶディスク2を、しばらく愛聴することになりそう。

毎度のことですけれど、流通が悪いポルトガル盤、
売り切り御免の商品だろうから、ファンは逡巡などしてるヒマはありません。
さっさと買ってしまいましょう。

Amália Rodrigues "AMÁLIA EM PARIS" Edições Valentim De Carvalho SPA0910-2
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リスボン新世代が更新するカーボ・ヴェルデ音楽 ディノ・ディサンティアゴ [南ヨーロッパ]

Dino D’Santiago  MUNDU NÔBU.jpg   Dino D’Santiago  EVA.jpg

ブルーノ・ペルナーダスやルイーザ・ソブッルなど、
ポルトガル音楽新世代と称される音楽家の活躍が目立つようになってきましたね。
82年にポルトガル最南端のクァルテイラで生まれたシンガー・ソングライター、
ディノ・ディサンティアゴも、そうした世代のひとり。

そのディノの5年ぶり2枚目となる新作が、ぼくには静かなる衝撃作でした。
派手さのない地味な作品なんですけれど、
従来のカーボ・ヴェルデ音楽を塗り替える、ハイブリッドな要素をたくさん提示していて、
聴けば聴くほど、これはたいへんなアルバムなんじゃないかと、思えてくるのでした。

ディノ・ディサンティアゴは、カーボ・ヴェルデのサンティアゴ島出身の両親のもとに
生まれたアフロピアン。90年代のヒップ・ホップで育った世代らしく、
「ディノ・ソウルモーション」のステージ・ネームで、ヒップ・ホップ/R&Bバンドの
イクスペンシヴ・ソウル&ジャグアル・バンドのシンガーとしてプロ入りし、
ヒップ・ホップ・グループのダ・ウィーゾルのシンガーとしてその名を上げました。

ディノは当時を振り返って、90年代のリスボンのヒップ・ホップ・シーンには
ラッパーは山ほどいても、歌えるシンガーが不足していて、
ディノはあちこちのグループから引っ張りだこになっていたそうです。
子供の頃から教会の聖歌隊で歌っていたディノは、
ラッパーたちと同じゲットーの出身という仲間意識もあって、
歌手を必要とするラッパーから「教会からディノを連れて来いよ」と、
いつもお呼びがかかったとのこと。

そんな「ソウル・マン」だったディノが、
ルーツであるカーボ・ヴェルデへ回帰するきっかけとなったのは、
両親の故郷のサンティアゴ島へ、父親と旅をしたことでした。
ポルトガルで40年暮らした父親が、仕事をリタイアして、
電気も水道もないサンティアゴ島の田舎に帰って暮らしたいと言い出し、
父親に付き合って一緒にサンティアゴ島へ渡ったそう。
ディノはその旅を通して、自分の内なるクレオール性を発見し、
自分が持っていた本来の声を見出したと言います。

ディノはリスボンに戻ると、すぐさま「ディノ・ディサンティアゴ」と名前を改め、
ソウルにファンク、フナナーにバトゥク、ヒップ・ホップにエレクトロを調和させる
サウンドづくりに熱中しました。13年に出したソロ・デビュー作が、
まさにその成果を示すものだったわけなんですが、今回の新作で思い出すまで、
実はこのデビュー作、家のCD棚のこやしになっていたんでした。

あらためて聴き直してみると、以前はカーボ・ヴェルデ音楽の濃度の低さに、
物足りなさを覚えたんですけれど、ネライがヒップ・ホップやR&Bを通過したセンスを
取り入れることにあったと考えると、聞こえ方がまったく変わってきます。

パウロ・フローレスとデュエットした哀愁味たっぷりの‘Pensa Na Oi’ は、
センバとモルナのミックスだし、フナナーのリズムを思いっきり遅くして、
アコーディオンとカヴァキーニョが彩りを添えた‘Kaminhu Poilon’ など、
実にさまざまなアイディアが散りばめられていたんですね。
うわぁ、ぜんぜん聴き取れてなかったなあ。こりゃ、大反省。

カヴァキーニョのせつない響きと男女の柔らかなコーラス、
バトゥクのチャンペータのリズムにフナナーのフェローを重ねた‘Ka Bu Txora’では、
エンディングに老人たちの会話をコラージュするなど、
びっくりするほど練り込んだ仕上がりとなっています。
フリューゲルホーンとギターのデュオで歌ったタイトル曲‘Eva’ の
ソダーデたっぷりな泣き節にも、あらためて感じ入りました。

新作は、そんなデビュー作を一歩も二歩も前進させた内容で、
今回はエレクトロニカの要素を多く取り入れ、
フォークトロニカのセンス溢れる作品となっています。
クドゥロ/EDM・ユニットで一世風靡したブラカ・ソム・システマの
元メンバー2人が参加している影響もあり、ドイツやイギリスで交流した音楽家との
出会いが今回の音楽制作に大きく関わっているようです。

ナイーヴな感性が発揮されたソングライティングは、デビュー作と変わらず、
本作ではキャッチーなメロディが増え、デビュー作の地味な印象が取り払われましたね。
ポルトガル語圏アフリカのさまざまな音楽を参照して、キゾンバとのミックスが増えたほか、
フナナーの速いリズムをわざと遅くする試みも、R&Bのスロー・ジャムのセンスに仕上げた
‘Nôs Funaná’ で聴くことができます。

「ブラカ・ソム・システムは、新しいリスボンのサウンドを生みだしたけれど、
ぼくらはさまざまなビートを組み合わせて、シンガーのためのサウンドに変換させたんだ」と
ディノが発言するとおり、カーボ・ヴェルデ音楽を更新するリスボン新世代の注目作です。

Dino D’Santiago "MUNDU NÔBU" Sony Music Entertainment 19075899292 (2018)
Dino D’Santiago "EVA" Lusafrica 662842 (2013)
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マリア・テレーザ・デ・ノローニャの全録音集 [南ヨーロッパ]

Maria Teresa De Noronha.jpg

すごいボックスが登場しました!
最愛なるファド歌手、マリア・テレーザ・デ・ノローニャの全録音集であります。
そうかあ、2018年はノローニャ生誕100周年だったんですねえ。

ファド歌手の最高峰といえば、文句なしにアマリア・ロドリゲスですけれど、
一番よく聴くファド歌手となると、
やっぱりぼくはマリア・テレーザ・デ・ノローニャですね。
なかでも、ポルトガルEMIが06年に出した4枚組はノローニャの決定版で、
どれだけ愛聴したことか。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-11-27
すぐに廃盤となってしまったため、入手しそこねた方が多かったようですけれど、
そんなファンにとっては朗報でしょう。

世界的に有名になったアマリア・ロドリゲスと同世代のファド歌手ながら、
73年に引退してしまったがため、ポルトガル国外ではほとんど知られていないノローニャ。
新世代のファド歌手からファドを知り、昔のファドはアマリア・ロドリゲスしか知らない、
なんて若い人にこそ、ぜひ聴いてほしい人です。
今の時代には、ディープなアマリアより、
なめらかでナチュラルな味わいのノローニャの方が、きっとウケもいいはず。

CD6枚にDVD1枚と60ページのブックレットを収めたこのボックス、
未発表や初公開のレア・トラックも満載なんですが、
いわゆるマニア向けに作られていないところがミソ。
「コンプリート」ぎらいのぼくでも、手放しに絶賛できる内容になっています。

ぼくが「コンプリート」ものに関心がないのは、
凡演や駄演まで聞かされるのは、まっぴらだと思っているからですけれど、
ノローニャはコンプリートで聴いても満足できる、数少ない音楽家のひとりといえます。
それは、円熟期に引退してしまい、録音量がけっして多くないことに加え、
デビューから引退まで、ノローニャのみずみずしい歌いぶりは一貫していて、
録音も粒揃いだったことの証明でもあります。

さて、中身をみると、ディスク1~3がスタジオ録音。
59年にヴァレンティン・デ・カルヴァーリョと契約してからの録音を録音順にまとめ、
未発売のテスト録音3曲に続き、初EPから71年録音のラストLPまで収録しています。
そしてディスク3の最後に、ヴァレンティン・デ・カルヴァーリョと契約する以前の
SP録音16曲をクロノロジカルに収録。52年にメロディアへ録音した初SPの2曲に、
53年から55年にロウシノルから出たSP7枚分14曲が並びます。

ディスク4・5は、ラジオ録音。
ポルトガル放送局で隔週放送されたノローニャのファド番組は、
ノローニャがプロ・デビューした翌年の39年から始まり、
47年の結婚後の数年ブランクを除いて、
62年12月までロングランとなった人気番組でした。
ここに収録された音源は、熱烈なノローニャ・ファンが自宅のラジオの前にマイクを立てて
家庭用レコーダーに録音した、プライヴェート・コレクションから編集されたものです。

録音をしたのは当時まだ16歳だったという、ファド・コレクターのヌーノ・デ・シケイラ。
パット・ブーン、ポール・アンカ、プラターズと同様、
ノローニャのファドに夢中だったそうで、
60年から番組が終わる62年まで、自宅前を横切るバスの騒音に邪魔されながらも、
出来る限り録音を残したとのこと。
解説のブックレットには、
自分のコレクションがCD化されたことへの謝辞が載せられています。

そして、ディスク5の最後に収録されたボーナス・トラックが目玉。
こちらは国営放送局が残した公式記録で、
39年録音の2曲、46年録音の3曲、49年録音の1曲が収録されています。
こんな若い頃のノローニャの歌声を聞けるとは、思いもよりませんでした。
39年の2曲はノローニャの初録音で、まだ20歳ですよ!
声をぐぅーっと伸ばす張りきった歌いぶりが、ういういしく聞こえます。
この録音時の写真がブックレットに載せられているのも、注目です。

ディスク6は、これまた初めて耳にするライヴ録音で、
63年録音の5曲と70年録音の4曲を収録。
大衆的なファド・ハウスで活動したファディスタと違い、
若い頃からスペインやブラジルの社交界から招かれる貴族出身の歌手だった
ノローニャは、大勢の観客を前にしたコンサートのライヴ録音を残していて、
円熟期の歌いぶりを楽しむことができます。

そして注目のDVDは、往時の国営テレビ放送を収録したもので、
59年放映と67年放映の2つの番組を収録。
完璧なまでのヴォイス・コントロールで音の強弱をつけ、
上がり下がりの激しい古典ファドの難曲を、いともスムーズに歌ってのけます。
吐息混じりにひそやかに歌うデリケイトさは、悶絶もの。
映像でノローニャのエレガントな歌いぶりを観ながら聴くと、
あらためてエクスタシーに酔いしれますねえ。

伴奏を務めるラウール・ネリーのギターラの妙技にも、目を見張ります。
59年の番組中にインスト演奏があり、右手のフィンガリングが生み出す、
美しいサウンドには、ウナらされました。
ギターラ2台、ギター2台、低音ギター1台という珍しい編成の
67年の番組も見ものです。

つんどくだけで棚の肥やしになるボックスとは大違いの、
いつも手元に置いて、楽しめることうけあいのボックス。一生もんです!

[6CD+DVD] Maria Teresa De Noronha "INTEGRAL" Edições Valentim De Carvalho SPA0663-2
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真冬のピッツィカ カンツォニエレ・グレカーニコ・サレンティーノ [南ヨーロッパ]

Canzoniere Grecanico Salentino  CANZONIERE.jpg   Canzoniere Grecanico Salentino BALLATI TUTTI QUANTI BALLATI FORTE.jpg   
Canzoniere Grecanico Salentino  FOCU D’AMORE.jpg   Canzoniere Grecanico Salentino  PIZZICA ONDIAVOLATA.jpg


朝、玄関を開け、一歩外に踏み出した途端に包まれる冷気が、
スキー場か!という今日この頃ですけれど、
そんなシバれる頃になると、身体が欲する、南イタリアの音楽。

ナポリのタランテッラを聴くのが、ぼくは決まってこの季節なんですけど、
今年はサレントのピッツィカが届きました。
アドリア海とイオニア海に突き出ているサレント半島、
長靴のかかとの部分とよく形容される、そのサレント半島の中心都市
レッチェを拠点に活動する古参のグループ、
カンツォニエレ・グレカーニコ・サレンティーノの新作です。

彼らの熱心なフォロワーというわけではなく、飛び飛びに聴いてきただけなので、
一聴して、別のグループかと思うほど、垢抜けていたのには、ちょっとびっくり。
ずいぶんとコンテンポラリーなサウンドになったんですねえ。

前回の結成40周年記念作は、聴かないまま過ぎちゃいましたけれど、
たしかイアン・ブレナンがプロデュースしたんでしたよね。
今回は、ジョー・マーディン(アレフ・マーディンの息子)がプロデュースしていて、
曲もジョー・マーディン、マイケル・レオンハート、スコット・ジャコビー、
スティーヴ・スキナーと共作し、演奏にもそれぞれゲストで加わっています。
ピッツィカの土俗的な武骨さが影を潜め、楽曲もずいぶんとポップになったのは、
ちょっと肩すかしだったかな。よくプロデュースされたアルバムではあるんですけれど。

というわけで、旧作を取り出してみたんですが、手元にある一番古い作品は98年作。
80年代のアルバムも持っていたはずなんだけど、そうか、処分しちゃったか。
彼らの初期作は、ピッツィカの再興をめざす伝統保存の姿勢がまだ前面に出ていて、
アマチュアぽい生硬さが丸出しでしたからねえ。それがツラくって、手放したんだな。
その当時から比べると、格段に度量が広がって、プロっぽくなりましたよね。

伝統的なピッツィカばかりでなく、南イタリアの多彩なフォークロアも織り交ぜて、
カラフルに聞かせた10年作の“FOCU D’AMORE” は良かったなあ。
ダンサブルなピッツィカの野趣な味わいを残したまま、現代性を獲得した
12年作の“PIZZICA ONDIAVOLATA” も印象深かったですねえ。
ゲストのバラケ・シソコのコラが、驚くほど彼らのサウンドに馴染んでいました。

新作をきっかけに、また旧作をいろいろ聴く、
真冬のカンツォニエレ・グレカーニコ・サレンティーノです。

Canzoniere Grecanico Salentino "CANZONIERE" Ponderosa Music CD142 (2017)
Canzoniere Grecanico Salentino "BALLATI TUTTI QUANTI BALLATI FORTE" Dunya/Felmay 2175080112 (1998)
Canzoniere Grecanico Salentino "FOCU D’AMORE" Ponderosa Music & Art CD076 (2010)
Canzoniere Grecanico Salentino "PIZZICA ONDIAVOLATA" Ponderosa Music & Art CD102 (2012)
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人生の宿命を受け入れた歌声 サラ・タヴァレス [南ヨーロッパ]

Sara Tavares  FITXADU.jpg

“XINTI” から8年。
新作リリースのニュースに、首を長くして待っておりました。

サラ・タヴァレスは、かつてぼくが溺愛した女性シンガー・ソングライター。
リスボン育ちのカーボ・ヴェルデ移民二世ならではの洗練された音楽性を備えた、
オーガニックなクレオール・ミュージックを聞かせる人です。

“BALANCÊ” と“XINTI” を、いったい何百回聴いたことか。
2つのアルバムに刻み込まれたサラのチャーミングな歌い口は、
かすかな息づかいさえ、ぼくの脳裏にくっきりと染みついて、
これって、ほぼ恋愛感情みたいなもんじゃないかとさえ思います。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-08-03

それにしても、なぜ8年もの長いブランクがあったんでしょう。
なんとサラは“XINTI” 発表後のツアーで脳腫瘍を発症して手術を受け、
一時は歌手生命を断念する深刻な事態にあったのだとか。
そんなことがあったとはツユ知らず、
無事復帰して新作を出すことができたのは、本当に、本当に良かったです。

で、待ちわびた新作なんですが、けだるい歌声が冒頭から流れてきて、ガクゼン。
暗いトーンが支配するその歌声は、まるで別人です。
かつてのコケティッシュな表情など、どこにも見当たりません。
わずか30の若さで、死をも覚悟せざるを得ない絶望を体験したことが、
サラの歌声をすっかり変えてしまったようです。

哀しみを宿して、苦みの加わった歌声に、正直戸惑いは隠せませんでしたけれど、
何度も聞き返すうちに、最初のショックも次第に和らいでいき、
サラの変わらぬ作風であるソダーデ溢れるセンチメントなメロディに、
避けられない宿命を静かに受け入れた者の諦念を感じ、はっとさせられました。

本作は、曲ごとにサラの音楽性に合ったゲストや共作者を
PALOP(ポルトガル語圏アフリカ)・コネクションから迎え、丁寧に制作されています。
サラのルーツであるカーボ・ヴェルデからは、ナンシー・ヴィエイラが参加し、
“Ginga” をサラと共作しています。
ギネア=ビサウからは、才人のマネーカス・コスタがギターとベースで参加、
“Coisas Bunitas” ではスキャットも披露しています。

そしてアンゴラからは、大物シンガー・ソングライターのパウロ・フローレスが参加。
本アルバムの中では異色のアフロビートにアレンジした“Fitxadu Flutuar” で
サラと詞を共作し、一緒に歌っています。
このほかアンゴラ勢では、ぼくが注目しているトッティ・サメドを起用。
トッティ・サメドは、配信リリースのみのデビューEPを出したばかりの新人で、
“Brincar De Casamento” をサラと共作し、一緒に歌っています。
ここには収録されていませんが、トッティ・サメドのギター伴奏で、
ボブ・マーリーの“Waiting In Vain” を一緒に歌っている動画が、
Youtube に上がっていますよ。

エレクトロやプログラミングを加えつつも、
生演奏を生かしたデリケイトなプロダクションが、
とてもいいディレクションとなっているし、
フナナーなどカーボ・ヴェルデのリズムを、
これまでになくさりげなく取り入れているところも、とても好感が持てるアルバムです。

死に直面し、絶望の淵に立たされたサラが、
その歌声に憂いの表情をまとうようになったのも、
人生を深く捉え直し、内面を成長させた結果なのだと、今は前向きに受け取っています。

【蛇足的追記】
本作は、ジュエル・ケース入りの通常版と、
“Coisas Bunitas” のリミックスがボーナスで追加された、紙ジャケ仕様限定版があります。
せっかくなので、限定版をオーダーしたんですけれども、
中身は通常版ディスクの紙ジャケ盤が届き、ただいま業者に問い合わせ中(泣)。

Sara Tavares "FITXADU" Sony Music Entertainment 88985490712 (2017)
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ポルトガルのカヴァキーニョ ジュリオ・ペレイラ [南ヨーロッパ]

Júlio Pereira  CAVAQUINHO PT..jpg   Júlio Pereira  PRAÇA DO COMÉRCIO.jpg

ブラジルのカヴァキーニョの起源は、
ポルトガル移民が持ち込んだブラギーニャだというのが通説になっていますけれど、
どうやらこの説は不正確というか、ちょっと問題ありだということを知りました。
特に「ブラギーニャ」という固有名詞を使うのが問題で、
単に「小型弦楽器」としておけば良かったようなんですけれども。

そんなことが、ポルトガルのトラジソンからリリースされた、
マルチ弦楽器奏者ジュリオ・ペレイラの新作CDの解説に、詳しく書かれています。
100ページを超すポルトガル語・英語の解説が付いたこのCDブックには、
さまざまなタイプのカヴァキーニョや古楽器の写真も載っていて、
ちょっとした研究書といえますね。

ジュリオ・ペレイラは、13年にもトラジソンから同様のCDブックを出していて、
新作と一緒に買ってみたんですが、
こちらにもこの小型弦楽器の古楽器の写真が満載で、
楽器好きはたまらないCDブックとなっています。
タイトルを『ポルトガルのカヴァキーニョ』と謳うとおり、
ブラギーニャという名前は、いっさい出していないんですね。

インドネシアのクロンチョンやハワイのウクレレのルーツも、
ブラギーニャだと言われているんですが、それを伝えたポルトガル本国では、
ブラギーニャという名前は使われておらず、マシェーテと呼ばれているとのこと。
マシェーテは、ポルトガル北西部ミーニョ地方のブラーガという町で
製作されたのが始まりで、そのマシェーテがマデイラ島で発達したことから、
ブラーガで作られた楽器ということでブラギーニャと称するようになり、
マデイラ島出身のポルトガル移民がその名を伝えたようなんですね。

ところがポルトガルには、マシェーテとはまた別のタイプの小型弦楽器があり、
リスボンやコインブラでは、同じカヴァキーニョと呼ばれているのだから、ややこしい。
ジュリオ・ペレイラの13年作では、そんなさまざまなポルトガルのカヴァキーニョに加え、
ブラジルそしてカーボ・ヴェルデのカヴァキーニョを演奏した内容となっています。

さきほどのマシェーテの起源については、さらに奥深くて、
ミーニョ地方に伝わったのはガリシア人によるものという説があり、
古代ガリシアのギリシャの影響もあるとも考えられているようで、
要するに、このポルトガルの楽器の起源は、はっきりしないということなんですね。

クラウス・シュライナー著『ブラジル音楽のすばらしい世界』や、
田中勝則著『インドネシア音楽の本』には、マシェーテのことがきちんと記されているのに、
なんでいつのまにかブラギーニャ起源説が通説になったんでしょうか。

とまあ、この2作の解説を拾い読み(すみません、ちゃんと読み込んでなくて)して、
この記事を書いてるわけなんですが、
ジュリア・ペレイラは81年に『カヴァキーニョ』というタイトルのアルバムを出していて、
この2作はその続編、続々編なんですね。
演奏内容の方は、研究発表のようなオカタイものではなく、
ポルトガル各地の民謡、ファド、モルナ、バイオーンを取り入れたオリジナル曲に、
ガリシア民謡やブラジルの伝承曲などを爽やかに演奏しています。

Júlio Pereira "CAVAQUINHO PT." Tradisom TRAD081 (2013)
Júlio Pereira "PRAÇA DO COMÉRCIO" Tradisom TRAD105 (2017)
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トランプが来た夜のファド アンドレー・ヴァス [南ヨーロッパ]

20171105_André Vaz.jpg

ファドの新世代歌手では、ジョアン・アメンドエイラのように、
伝統ファドのスタイルをしっかりと保っている歌い手が好きです。
ファドのように歴史の古い、きっちりとした型のある音楽は、
変にモダン化したり、他の音楽をミックスしても、
結局のところ、旧来のファドが持つ魅力以上のものを打ち出すのは、
難しいと思っているもんで、これって、フラメンコも同じですよね。

新しい試みに挑戦するミュージシャンシップを否定するつもりはありませんが、
そうした試みより、伝統ファドの型を習得して歌える人の方が好ましく、
ファドに関しては、ぼくはゴリゴリの保守派です。
そんなわけで、最近のファドふうに歌ったポップ曲って、
どうにも気持ち悪くって、聞けないんですよね。
人気絶賛のアントニオ・ザンブージョも、ぼくにはファド歌手に聞こえません。

古典ファドをしっかりと歌いこなせるのは、
ジョアン・アメンドエイラやカチア・ゲレイロといった女性歌手ばかりで、
男性歌手はさっぱり見当たらないと、長年ぼやいてたんですが、
ようやく出てきましたよ、ぼく好みの人が。
それが、83年生まれという、アンドレー・ヴァス。

ライスから出たデビュー作を聴いて、すっかりファンになっていたところ、
なんと来日するというのだから、嬉しいじゃないですか。
しかも、本場カーザ・デ・ファド(ファド・ハウス)・スタイルの
ポルトガル料理店でのライヴがあるというので、
すぐさま予約しましたよ。11月5日夜の部。
結婚記念日の前祝いにかこつけて、家人と一緒に観てきました。

当日の夜、地下鉄の日比谷駅から地上に出たら、ものすごい数の警察官に仰天。
出口すぐの帝国ホテル脇道の道路が封鎖され、厳戒態勢のただならぬ緊張感で、
あ、そうか、トランプが来てるんだっけと、気づきました。
居並ぶ警察官の脇をすり抜けて、ヴィラモウラ銀座本店へ。
トランプはうかい亭だったんだってね。すごい日にぶつかっちゃったもんだ。

ライヴは20分のステージが3回。合間に運ばれる料理を愉しみながらという、
本場カーザ・デ・ファドさながらのスタイルで、いやあ、いい夜でした。
マイクなしの生声で、オーソドックスなスタイルのファドを、たっぷり歌ってくれましたよ。
旋律の上がり下がりが大きな古典ファドの難曲もさらりと歌いこなし、
打ち合わせのない曲も、その場の雰囲気でどんどん歌ってしまうところは、
現場で鍛えられたホンモノのファド歌手の証し。

20171105_André Vaz @Ginza 01.jpg

デビュー作の曲をほとんど歌わなかったのも、豊富なレパートリーの表れで、
むしろCDデビューが遅すぎたんですね。
9歳にしてリスボン最大のファド・コンクール、
グランデ・ノイテ・ド・ファドの決勝に出場したというのだから、
キャリアは十分すぎるほどの人です。

ケレンのない歌いぶりがすがすがしく、
麗しい歌声にはほんのりとした色気もあって、胸に沁みます。
カルロス・ラモスの“Canto O Fado” のコーラス・パートを客席に歌わせたり、
マルシャを歌ってくれたのも嬉しかったな。
ギターラの演奏を披露するという、珍しい場面もありました。
ギターラを人前で弾いたのは、今回の日本が初めてだそうで、
下を向きっぱなしで弾く、いかにも慣れない姿でしたが、
伴奏の月本一史と、即興のインタープレイを繰り広げたのは、なかなかの腕前でしたよ。

20171105_André Vaz @Ginza  02.jpg

ファドのライヴというと、変わったロケーションで観た思い出がいくつかあり、
まだ無名のミージアが93年に来日した時は、
なんとホテルオークラのディナー・ショウ(!)だったというのが、一番の変わり種。
今回は、アメリカ大統領の訪日とぶつかり、
店の外がものものしい厳戒態勢だったという、
レアな思い出が加わったのでした。

André Vaz "FADO" Todos Os Direitos Reservados 0530-2 (2016)
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知られざるインスト・レゲエ名盤 アルベルト・タリン [南ヨーロッパ]

Alberto Tarin  JAZZIN’ REGGAE.jpg

『ギター・マガジン』がおもしろい。

注目したきっかけは、「恋する歌謡曲」と題した今年の4月号。
ろくにクレジットされてこなかった歌謡曲のバックのギターにスポットをあてて、
山口百恵の「プレイバック part2」や中森明菜の「少女A」、
寺尾聰の「ルビーの指環」を分析する切り口も斬新なら、
チャーと野口五郎との対談や、歌謡曲のギター名フレーズなどなど、
これまで過小評価されていた歌謡曲のギター・プレイに注目した名企画でした。

その後も、モータウンのギタリストを特集したりと、企画が秀逸なうえ、
毎回100ページを超すという熱の入れようで、掘り下げ方がハンパない。
「最近の音楽雑誌は面白くない」とボヤく人には、『ギター・マガジン』を薦めています。
そんでもって、今回の9月号が、またスゴかった。
なんと、ジャマイカのギタリスト特集。
なんて地味なところに、焦点を当ててくれたんでしょうか。

スカ~ロック・ステデイ~レゲエに至るギター・インストの名盤を掘り下げ、
当時のジャマイカのギタリストたちが愛用した、安物のビザール・ギターを分析し、
アーネスト・ラングリン、リン・テイト、アール・チナ・スミス、
マイキー・チャン、ハックス・ブラウンのインタヴューをとるという、徹底ぶり。
これを画期的といわずに、なんというかってくらいのもんです。
メントやカリプソまで掘り下げていて、レゲエ・ファンのみならず、
ワールド・ファン必携の永久保存版でしょう。

ジャマイカのギター・インスト盤は、本号にすみずみまで取り上げられているので、
ちょっと違った角度からのインスト・レゲエ盤を
本号に敬意を表して、ご紹介しようと思います。
それがこのスペイン、バレンシア出身のギタリスト、アルベルト・タリンのアルバム。
え? スペイン人? と思うかもしれませんが、
ジャマイカ音楽を演奏する日本人ギタリストが、本号のインタヴューにも、
5人も登場しているくらいですからね。スペインにいたって不思議はありません。

アルベルト・タリンは、スペインにおけるレゲエ・バンドのパイオニア的存在で、
リタ・マーリーがスペインでコンサートをした際に共演もしています。
ギターはオーソドックスなジャズ・ギターのスタイルで、
ジョージ・ベンソン直系といったプレイを聞かせます。

02年の本作は、タイトルどおり、ジャズのスタンダード・ナンバーを中心に、
レゲエ・アレンジで演奏した内容で、“You'd Be So Nice To Come Home To”
“Days Of Wine And Roses” “Old Devil Moon” “Someone To Watch Over Me”
のほか、ボサ・ノーヴァの“Desafinado” にジョン・レノンの“Imagine”、
そしてアルバム・ラストは、マーリーの“Slave Driver” で締めくくっています。

選曲があまりにヒネりがなさすぎで、聴く前はどんなものかと思いましたが、
ジャズ・ギタリストがお遊びでやったなんていうレヴェルではない、
本格的なレゲエ・アルバムとなっていて、すっかり感心。
バックのメンバーも全員スペイン人のようですが、演奏水準はメチャ高くて、
即お気に入りアルバムとなったのでした。

本号にも紹介されている
リントン・クウェシ・ジョンソンのダブ・バンドのギタリスト、
ジョン・カパイのソロ・アルバムと似た仕上がりと思ってもらえればいいかな。
あのアルバムが好きな人ならゼッタイの、知られざる傑作です。

Alberto Tarin "JAZZIN’ REGGAE" Spanish Town no number (2002)
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ファドとボサ・ノーヴァ カルミーニョ [南ヨーロッパ]

Carminho Canta Tom Jobim.jpg

あぁ、これはいいなあ。
ファド流儀で歌ってみせたボサ・ノーヴァ。

ファドといえば、こぶしをゴリゴリつけ、情念を吐き出すように歌うもの。
押しつけがましさをきらい、シロウトぽくとつとつと歌うボサ・ノーヴァとは対極で、
両者の音楽が持つ美学は、いわば水と油。

ファド歌手がボサ・ノーヴァを歌うなんて無謀な企画は、大失敗に終わるか、
「まあ、せいぜいこんなところだよね」程度で収まるのが関の山と想像しちゃいますよね。
オペラ歌手が民謡に挑戦!みたいな無茶ぶりというか。
ところが、本作はなかなかの仕上がりになっているんですよ。

これを聴いて、すぐ思い出したのが、
アマリア・ロドリゲスの傑作“COM QUE VOZ” で歌われた“Formiga Bossa Nova”。
あれもすごくユニークな仕上がりで、アルバムのフックとなっていましたよね。

これまでカルミーニョの歌唱は、ファドを歌うには深みがなくて、
ぜんぜん物足りないとぼくは思っていたんですけど、
声量や表現力にダイナミクスが不足している彼女の歌いぶりが、
かえってボサ・ノーヴァを歌うという企画に、上手くハマったといえます。

ブラジル語の発音とは違う、巻き舌のポルトガル語発音で、
ファド特有のタメた歌い方をせず、流れるように軽い調子で歌う節回しが、
ファドともボサ・ノーヴァとも違って、心地よく聴くことができます。

考えてみれば、これって、サンバ・カンソーンの歌い回しに近いのかも。
そう気付かされたのが、“A Felicidade” でした。
ちょっとここでは、カルミーニョの歌いぶりに力みがあって、
ほかの曲のような軽味に欠けているんですね。
その歌いぶりは、エリゼッチ・カルドーゾが歌ったオリジナル・ヴァージョンや、
エリゼッチのボサ・ノーヴァ第0号アルバムに似たところがあるように思えます。

ジョビン晩年のバンド、バンダ・ノーヴァが伴奏を付けたジョビン曲集の本作、
初めてカルミーニョをいいと思える作品に出会えました。

Carminho "CARMINHO CANTA TOM JOBIM" Biscoito Fino BF452-2 (2016)
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カタログに残らない歴史的名作 アマリア・ロドリゲス [南ヨーロッパ]

Amália Rodriguez  FADO PORTUGUÊS.jpg

『ポルトガルのファド』とずばり名付けられたタイトルも神々しい、
アマリア・ロドリゲスの56年の名作が、50周年記念エディションとしてお目見えしました。
2枚組のディスク1には、オリジナル盤収録の12曲が初のモノラル・ヴァージョンでCD化され、
さらに本作のセッションで録音された別の既発曲10曲が収録されています。
ディスク2には、別テイクやテスト・テイクなどの未発表音源を収録していて、
スタジオ内での会話も含むテイクは、熱心なマニア向けといえますけれど、
アマリア・ファンなら必携でしょう。

今回のCD化は、アマリア・ロドリゲスのLP録音を行った
ヴァレンティン・ジ・カルヴァーリョによるもので、まさに本家本元による復刻なんですが、
今回ちょっと驚いたのは、同時発売で“AMÁLIA NO OLYMPIA” が出ていたこと。
あれ? これは、フランス・オリジナル盤のジャケットを採用したリマスター盤が、
iPlay から出たばかりだよねえと思ったら、
もうあれから5年も経っているんですね。月日が流れのは速いなあ。

なんと、あのiPlay盤はすでに廃盤なんだそうで、
ヴァレンティン・ジ・カルヴァーリョが出したのは、
英語(!)のタイトルを白地にレタリングしただけのシロモノ。
アマリアの歴史的名作にこのジャケット・デザインはないだろといった素っ気ないデザインで、
iPlay がオリジナルの風格あるステージ写真を再現していただけに、カチンときましたよ。

え、それじゃあ、もしかしてiPlay が復刻した歴史的傑作“COM QUE VOZ” の
デラックス・エデイション2枚組は?とチェックしてみたら、なんと、こちらも廃盤。
えぇ~、知らなかったぁ。
わずか5年程度で、あのスグレものの復刻CDが、市場から姿を消すとは。
アマリア・ロドリゲスほどの大物ですら、この扱いかよと、フンガイしてしまいました。

アマリア・ロドリゲス・ファンの皆様、
とりあえず、この“FADO PORTUGUÊS” の50周年記念エディション、即買いましょう。
どうせファースト・プレスのみで、すぐになくなってしまうのは必至でしょうから。
ついでに、ポルトガルの伝承曲を歌った3作を集大成した“AMÁLIA… CANTA PORTUGAL” と、
65年にイギリスのプロデューサーが録音した英語曲の新たな編集盤“SOMEDAY” も
同時発売されたので、興味のある方はこちらもあわせて入手をおすすめします。
オフィス・サンビーニャのウェブ・ショップのみで限定販売されています。
12月11日ライス盤として一般発売が発表されました(この記事が役だったかな?)

思い起こすと、アマリア・ロドリゲスのヴァレンティン・ジ・カルヴァーリョ盤LPは、
80年代末にポルトガルEMIがずらっとCD化したんですよね。
まだ当時はCDが出始めの頃で、旧作のカタログも豊富ではなかった時代でしたが、
オリジナル・フォーマットでずらっとCD化されたのが壮観で、
さすが大物アマリア・ロドリゲスは違うと感心しつつ、
LPでは持っていなかったものもせっせと買ったことを思い出します。

ところが、これも数年後には廃盤となって入手困難になってしまい、
ポルトガル盤CDを買い逃した人の恨み節を、ずいぶんよく聞いたものでした。
その後も長い間オリジナルLPのフォーマットでCD化されることはなく、
いい加減な編集盤しかないという時代が、長いこと続いたんですよね。

ようやく05年頃になって、ソン・リブレが旧作カタログを再CD化し始め、
社名変更したiPlay が継続していたんですが、
それも実は、日本で配給していたオフィス・サンビーニャの田中勝則さんの
オファーで実現したものだったということを、
今回買ったCDに付いていた当時の日本語解説で知ってびっくり。そうだったんだぁ。

アマリア・ロドリゲスほどの歴史的歌手のCDですら、この始末。
レコード会社が所有する過去のカタログへの冷淡さは、
今に始まったことじゃないですけどね。
「いつまでもあると思うな親とレコード」。
大手のレーベルから出てるから、いつでも買えるなんて油断してたら、
あっという間になくなるぞっていう話であります。

Amália Rodrigues "FADO PORTUGUÊS" Edições Valentim De Carvalho SPA0354-2
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アマリア・ロドリゲスの先輩ファド歌手 エルミーニア・シルヴァ [南ヨーロッパ]

Herminia Silva.jpg

アマリア・ロドリゲスのディスコグラフィ本と一緒に買ったのが、
トラジソンのファド新シリーズ“MEMÓRIAS DO FADO” 全6タイトルのうち、
アルマンディーニョ、エルシーリア・コスタ、エルミーニア・シルヴァ、
フェルナンド・ファリーニャの4タイトル。
既発CDとほとんど曲はダブリなんだよなと思いつつ、
表紙のイラストがとってもカワイイ♡こともあり、観念して購入。

この新シリーズはブックレット仕様で、解説が充実、
往年の写真やレコード・レーベルなどもふんだんに載せられていると聞いたので、
手を伸ばしたんだけど、アルマンディーニョなんてまったく同じ収録曲で、これで3枚目。
古典ファドの編集盤って、どれも同じような選曲で、
手を変え品を変え出すっていうの、もういい加減にしてくんないかなあ。

トラジソンが以前に出していた“ARQUIVOS DO FADO” というシリーズと、
今回シリーズのアルマンディーニョ、エルシーリア・コスタは、収録曲がまったく同じですからねえ。
あのシリーズのアマリア・ロドリゲスのデビュー当初の録音集“A DIVA DO FADO” だって、
なんで出すのか意味不明だったもんなあ。
ライスから『アマリア 1945』として日本盤も出ましたけれど、あのアルバムに収録された20曲は、
ブラジルのレヴィヴェンド盤“DAMA DO FADO” で全曲復刻済。
しかもレヴィヴェンド盤より曲数が5曲も少ないんだから、リイシューする価値ないでしょう。
レヴェイヴェンド盤は廃盤になっておらず、今も入手容易なんだから、なおさらですよ。

とまあ、古典ファドの似たりよったりの編集盤がどんどん積み上がるのに、
いい加減閉口してるので、うっぷん爆発しちゃいましたが、
気を取り直して、これから古典ファドを聴いてみようという方には、もちろんオススメできます。
あらためて再認識したのは、アマリア登場以前のファド歌手では、
エルミーニア・シルヴァが最高だということ。
歌手であるばかりでなく、ミュージカル女優としても活躍した
エルミーニアの自信に満ちた堂々たる歌唱は、当代随一でした。

まるでおしゃべりをするように、無理なく回るこぶしの鮮やかな技巧、
一気に高音へ駆け上がっていく声の美しさ、
鋭さと柔らかさを兼ね備えた唱法はスゴイの一語に尽きます。
ふんわりと包み込むような歌い口を聞かせるなど、さまざまな表情を持った歌い手で、
ひさしぶりに聴きホレちゃいました。

Hermínia Silva "MEMÓRIAS DO FADO" Tradisom MF005
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アマリア・ロドリゲス・レコード図鑑 [南ヨーロッパ]

Amalia No Mundo CD Book.jpg

どーーーーーーん!

LPよりわずかに小さいサイズのハードカヴァー・ブック。
全320ページ、オール・カラー、総重量2.6キログラム!!!
もはやこうなると、CDブックなんて呼べるシロモノじゃございません。
百科事典ですな、こりゃ。付属の2CDなんて、オマケみたいなもん。
アマリア・ロドリゲスのデビュー録音からラスト・レコーディングまでの
全レコードを掲載したディスコグラフィー豪華本。ずしりとしたヴォリュームに圧倒されます。

SP盤やオリジナルLPをただ並べるばかりでなく、コンピレーションやEP盤も網羅し、
アメリカ、フランス、イタリア、メキシコ、アルゼンチン、チリ、ベネズエラ、南アフリカ、日本など
ポルトガル国外で出された海外盤LPをふんだんに集め、
世界各国でリリースされたアマリアのレコードを集大成したコレクションとなっています。

さらに、ヴァージョン違いのジャケットも、色の濃淡やフォントの違いをわかりやすく並べ、
レコード・コレクターの心をくすぐる配慮が、すみずみまで行き届いた編集になっています。
クロノロジカルにレコードを並べ、膨大なデータも整理して、索引を付けてくれたのもありがたい。
美しくレイアウトされたデザインは、写真集をめくるのと同じ愉しみがありますね。

もちろん値は張りますよ。
でもねぇ、アマリア・ロドリゲス・ファンを自認する人なら、
この内容で、買うのに何をためらうことがありましょう。
なんの逡巡もせず、ソッコー、いただきましたよ。

アルゼンチンのアマリア・ロドリゲス研究者、ラミロ・ギナスーによる大労作で、
ポルトガルのトラジソンによるリリース。
2CDには、50年代初期録音が収録されています。
20世紀大衆音楽を代表する大歌手のレコードを集大成した、圧巻のレコード図鑑です。

[CD Book] Ramiro Guiñazú "AMÁLIA NO MUNDO : Sinais De Uma Vida Nos Sulcos Do Vinil" Tradisom (2014)
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