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フューチャー・ソウル+アフリカン・ヒップ・ホップ サンパ・ザ・グレイト [太平洋・オセアニア]

Sampa The Great  AS ABOVE SO BELOW.jpg

ザンビア生まれ、ボツワナ育ち、現在はメルボルンを拠点に活動する
ラッパー/シンガー、サンパ・ザ・グレイトの新作。
最近ではエズラ・コレクティヴの新作にもフィーチャーされていましたね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-11-19

ヒップ・ホップ、ネオ・ソウル、ジャズを横断したプロダクションは、
US産ともUK産とも異なり、ハイエイタス・カイヨーテに代表される
フューチャー・ソウルのフィールに富んだもの。
サン・フランシスコのアカデミー・オヴ・アート大学に学び、
シドニーへ移住したというキャリアがよく反映されています。

パンデミックでザンビアに一時帰国していたサンパは、
故国から受けた影響を反映させた作品を作ろうとしたとのこと。
ザンビアのソングライター/プロデューサーのティオ・ネイソン、
ラッパーのシェフ187、そしてサンパの妹ムワンジェをフィーチャーした
‘Never Forget’ では、ザンビアのヒップ・ホップ・プロデューサー、
マグ44が808で作ったドラム・マシーンのサウンドをベースに、
ザンビアのユース・カルチュラル・パフォーマンス・グループ、
ノマカンジャニのンゴマ(太鼓)奏者2名によるンゴマの生音を絡ませています。

驚いたのは ‘Can I Live?’。
なんとザンビアのサイケ・ロック・バンド、ウィッチとの共演ですよ。
ウィッチが今でも存在していたとはビックリですが、40年ぶりに復活したんだそう。
ウィッチは、70年代にザンビアで流行したザンロックのバンド。
ドラッギーでサイケなサウンドが、2010年代にアメリカのガレージ/サイケ・ロック
周辺で再評価されるようになったんでしたね。

『ポップ・アフリカ800』では、ンゴジ・ファミリーとリッキ・イリロンガの2作に
ザンロックを代表してもらいましたが、ロック・ファンにはウィッチの人気が絶大でしたね。
ちなみに、日本語版ウィキペディアをはじめ、
「ザムロック」とカナ表記しているのは、理解に苦しみます。
「ザンビア」を「ザムビア」とは書かないだろうに。

こうしたザンビアのアーティストたちとのコラボによって制作された新作ですけれど、
そのサウンドは贅沢なもの。オーストラリア産らしいフューチャー・ソウル色濃い、
アフリカン・ヒップ・ホップです。

Sampa The Great "AS ABOVE SO BELOW" Loma Vista LVR02896 (2022)

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ハワイのにほんのうた ハワイ二世ソングス [太平洋・オセアニア]

LP3450.jpg   LP3451.jpg
LP3452.jpg   LP3453.jpg
LP3455.jpg   HAWAIIAN NISEI SONGS.jpg

前回の “HONG KONG PRESENTS OFF-BEAT CHA CHA” にまつわる思い出話を。

見ず知らずの、あのレコードをジャケ買いしたのは、
ジャケットのオリエンタル調の書体と、タイトルの CHA CHA にピンときたからでした。
そのインスピレーションの源は、言わずもがな、細野晴臣の『泰安洋行』です。
好事家にこのレコードが知れ渡る90年代のモンド・ブームより、ずっと昔の話だから、
中古レコード屋の「その他」の棚に、安値で放り込まれていました。
モンド・ブームの後で知った、コン・リンとファビュラス・エコーズとの共演盤2作は、
すっかり高騰してしまって、とても手が出ませんでしたね。

『泰安洋行』をきっかけに、エキゾ・サウンドに注目するようになりましたが、
細野が傾倒したマーティン・デニーやレス・バクスター、アーサー・ライマンの、
南国の楽園をイメージした架空の熱帯音楽は、ぼくは受け付けられなかったなあ。
アメリカ人がやるエキゾ音楽には、どこか対象を見下している
イヤミなニュアンスがあって、それに強い抵抗を覚えたんだと思います。
でも、アジア人がやる偽ラテン音楽には、そんな差別意識とは無縁だったので、
そのインチキぶりや通俗性を素直に楽しめたのです。

そうして “HONG KONG PRESENTS OFF-BEAT CHA CHA” と出会っわけですけれど、
その前に夢中になったのが、『泰安洋行』でカヴァーされた「SAYONARA」のオリジナルの
ハワイのクラブ二世オーケストラでした。
『泰安洋行』でカヴァーした‘“Sayonara”The Japanese Farewell Song’ のオリジナルが
入った ”SAYONARA FAREWELL TOKYO” を見つけたときは、嬉しかったなあ。
細野のネタモトは、これか!って。ハワイの日系二世の歌だったんですね。

『泰安洋行』の次作、『はらいそ』でカヴァーした
「ジャパニーズ・ルンバ」も、このレコードに入っていました。
きっと細野はこのレコードを、久保田麻琴と夕焼け楽団の『ハワイ・チャンプルー』の
レコーディングで、ハワイに滞在していた時に見つけたに違いありません。

ハワイのフォーティナインス・ステイト・ハワイには、
他の日系二世のオーケストラのレコードもあって、手元に全部で5枚あります。
もっとも、レコード全体はオーケストラ伴奏の日本の歌謡曲といった体で、
エキゾ・サウンドという視点から楽しめる曲は、少ししか入っていません。
だから全部通して聴くと、正直退屈してしまうんですが、
ずいぶん後になって、エキゾ視点から見たハワイ二世ソングスを楽しむには
絶好のコンピレーションが出ました。
それが、深沢美樹さんが選曲、解説、プロデュースした
“HAWAIIAN NISEI SONGS” です。

このコンピレは、ハワイ二世ソングス決定版といえるもので、
その後、フォーティナインス・ステイト・ハワイのカタログが
ストレートCD化されましたけれど、これ1枚あれば事足りるというか、
日本の歌謡曲となんらかわらない余計なレパートリーが除外されているので、
最高の編集盤です。

Club Nisei  JAPANESE MUSIC OF HAWAII.jpg   Club Nisei  ENCORE! JAPANESE MUSIC OF HAWAII.jpg

その後、クラブ二世オーケストラの編集CDが2枚出ましたけれど、
こちらも音楽内容よりもライナーの解説がとても貴重なので、研究者向けですね。
“HAWAIIAN NISEI SONGS” はオルターポップから出ていましたけれど、
サブスクでも聞けるので、そちらでもぜひ。

[LP] Club Nisei Orchestra and Singers "SAYONARA FAREWELL TOKYO" 49th State Hawaii LP3450
[LP] The Japanese Modernaires Orchetra and Singers "MODERN SONGS OF JAPAN" 49th State Hawaii LP3451
[LP] The Tokyo Serenaders "HOLIDAY IN JAPAN" 49th State Hawaii LP3452
[LP] The All-Star Orchestra "A FAR EAST FANTASY IN LATIN DANCE RHYTHM" 49th State Hawaii LP3455
[LP] The Tokyo Serenaders "TO REMEMBER JAPAN" 49th State Hawaii LP3453
Club Nisei Orchestra, Japanese Modernaires Orchetra, The Tokyo Serenaders, The All-Star Orchestra
"HAWAIIAN NISEI SONGS : A MUSICAL COCKTAIL OF JAPANESE AMERICAN SONGS IN 1950’S HAWAII"
Hana Ola/Cord International (US) HOCD36000
Club Nisei "JAPANESE MUSIC OF HAWAII" Hana Ola/Cord International (US) HOCD37000
Club Nisei "ENCORE! JAPANESE MUSIC OF HAWAII" Hana Ola/Cord International HOCD41000
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知られざる女性スラック・キー・ギタリスト ジョアニー・コマツ [太平洋・オセアニア]

Joanie Komatsu  WAIMAKA’OLE.jpg

おぉ、そうだ。このアルバムも良く聴いたっけなあ、と取り出したCD。
女性では珍しいスラック・キー・ギタリストの、ジョアニー・コマツの95年作です。
リトル・パインというレーベル名は、名字の小松を指しているんだろうから、
自主制作盤なんでしょうね。

リリース当時ですら、ほとんど注目を集めることもなかったCDですけれど、
当時人気の高かったテレサ・ブライトより、ぼくは才能のある人と思っていました。
このアルバム一枚で消えちゃったみたいで、なんとも残念なんですけれどね。
07年に山内雄喜さんが出版されたハワイ音楽ディスク・ガイドの
『ハワイアン・ミュージック』のセレクトに漏れたのは、ガッカリだったなあ。

スラック・キー・ギタリストのアルバムといっても、ごりごりの伝統派ではありません。
スラック・キー・ギターに、コンテンポラリー・ハワイアン風味を加味したアルバムで、
ハワイアン・フォーキーといったムードの爽やかなアルバムだったんです。

潮騒のSEで始まるオープニングからして、
しっかりとプロデュースされていることが予感できますよね。
ハワイの名プロデューサー、ケネス・マクアカネの手腕が光ったアルバムです。
ギタリストだけでも、サニー・チリングワース、オジー・コタニ、ケオラ・ビーマーといった
名手が居並び、ダニエル・ホーが本来のスラック・キー・ギターではなく、
キーボードとシンセで参加しています。

スラック・キー・ギターの生音の弦を生かしたサウンド前面に出しながら、
シンセサイザーなどの鍵盤類を控えめに配しています。
時折顔を出す、鼻笛やスティール・ギターが、ハワイらしいサウンドを演出していますね。
ちなみに鼻笛は、ジョアニーの妹のルース・コマツが吹いています。

自主制作盤といっても、しっかりとしたプロダクションにのって歌う、
ジョアニーの歌声がまたいいんです。
ぼくがジョアニーを高く評価していたのは、その歌唱力でした。
語尾を伸ばした音が切れ切れになる、独特のヴィブラートがとても個性的で、
その美しさは、他の歌手にはないものでした。
久しぶりに聴き直しましたけれど、やはり得難い味わいがあります。

スラック・キー・ギタリストというポジションを明確にしたうえで、
流行のコンテンポラリーに押し流されることもなく、ほどよいポップ感覚を発揮して、
ジョアニーの透明な歌声を生かした、知られざる傑作です。
このあとジョアニーは、スラック・キー・ギターの名レーベル、ダンシング・キャットの
クリスマス・アルバムに、大勢のギタリストとともに名を連ねて演奏を残しましたが、
それを最後に消息がわからなくなってしまいました。なんとも残念です。

Joanie Komatsu "WAIMAKA’OLE - WITHOUT TEARS" Little Pine Productions LPPCD1004 (1995)
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ウクレレ・プレイズ・リラクシン・ミュージック オータサン、ライル・リッツ [太平洋・オセアニア]

Ohta-San  WHERE IS MY LOVE TONIGHT.jpg

ひさしぶりに「ハワイ」の棚から、CDをいろいろ取り出して聴いてみたんですけど、
リゾート気分を味わうなら、やっぱりウクレレの神様、オータサンが鉄板ですね。
88年のカセット作を93年になってCD化した“WHERE IS MY LOVE TONIGHT”、
これぞ究極のイージー・リスニング・アルバムです。

オータサンのウクレレに、ベース、ギター、キーボード、パーカッションという編成で、
ジョニー・ノーブルやジャック・オウエンス(ブルース・シンガーじゃない)といった、
アメリカ本土で流行した偽ハワイアンのハパ・ハオレ(半分白人の意)・ソングを
ずらり並べて演奏しています。
マヒ・ビーマーのような伝統ハワイ音楽とは対極の観光音楽ですけれど、
伝統音楽では味わえない、観光ショウ音楽ならではのリラクシン・ミュージックの粋が、
ここには詰まっています。

オータサンの見事に力の抜けたウクレレ演奏は、名人芸そのもの。
独特の奏法を編み出したウクレレのパイオニアでありますけど、
最近まで RIO の才気走ったウクレレを聴いていたせいか、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-06-04
ウクレレの神様と呼ばれるまでになったヴァーチュオーゾの境地は、
テクニックなんてレヴェルをとうに乗り越えていて、
ポロンと鳴らしただけの音に、とてつもない深みを宿しているのを感じます。

Lyle Ritz  HOW ABOUT UKE.jpg   Lyle Ritz  TIME….jpg

この作品でベースを弾いている、ライル・リッツのCDも引っ張り出してきました。
ライル・リッツはアメリカ本土人。
フランク・シナトラやビーチ・ボーイズという大物のバックでベースを弾いてた人ですが、
ウクレレの名手でもあったんですね。

58年と59年に、ヴァーヴからジャズ・ウクレレのアルバムを出していて、
「その他楽器」ジャズが好きなぼくとしては、忘れられない人。
95年に突然カムバック作を出したのには、驚かされました。
ベース、ドラムスのシンプルな編成(一部ヴィブラフォンも参加)で、
ヴァーヴ時代の曲を再演していて、演奏に深みがグンと増しているんですね。
オータサンのCDとあわせて、このCDもずいぶん愛聴したものです。
ウクレレ・ソロで弾いた滝廉太郎の「花」の愛らしさが、極上ですよ。

Ohta-San "WHERE IS MY LOVE TONIGHT" Roy Sakuma Productions RSCD3888 (1988)
Lyle Ritz "HOW ABOUT UKE?" Verve B0001458-02 (1958)
Lyle Ritz "TIME…" Roy Sakuma Productions RSCD5583 (1995)
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スラック・キー・ギターで納涼 ケオラ・ビーマー [太平洋・オセアニア]

Keola Beamer Mauna Kea.jpg   Keola Beamer Mohala Hou.jpg

マヒ・ビーマーの続きで、マヒゆかりの人ということで、
スラック・キー・ギタリストのケオラ・ビーマーを引っ張り出してきました。
ケオラ・ビーマーは、ハワイの名門音楽一家ビーマー家の御曹司。
ヘレン・デシャ・ビーマーのひ孫、マヒ・ビーマーの甥っ子にあたります。

ぼくはケオラのギターが大好きで、昔サインを入れてもらった2枚は、
妻もお気に入りの、夫婦の愛聴盤となっています。
ケオラ・ビーマーといえば、カーペンターズもカヴァーしたヒット曲
‘Honolulu City Lights’ の作者という紹介が一般的なんですけれど、
ケオラのキャリアで重要なのは、
73年に初のスラック・キー・ギターの教則本を出版したことにあります。

これは当時のハワイでは画期的なことだったんです。
それまでスラック・キー・ギタリストたちは、
自分の変則チューニングを秘密にしていたので、
それを白日の下にさらすのは、タブー破りそのものだったんですね。
ケオラの本は、スラック・キー・ギタリストたちの閉鎖性を打ち破り、
スティール・ギターやウクレレのように誰もが弾ける楽器へと変え、
スラック・キー・ギターを一気に普及させたのです。

ケオラのギターは、とても穏やかなトーンを持っているのが特長。
土臭さとは無縁な洗練されたサウンドで、
ゆったりと流れるようなフレーズをいかに美しく弾くか、
その一点に集中しているようなプレイを聞かせます。
そんなケオラの美しいギターをたっぷり味わえるのが、97年の“MAUNA KEA”。
ケオラ一人のギター演奏によるインスト・アルバムで、
曲ごとナイロン弦ギター、スティール弦ギターを使い分け、多重録音もしています。

スラック・キーの標準的なオープンGのタロ・パッチをはじめ、
ケオラ・スタイルと呼ばれた独自のオープン・チューニングをふんだんに使って、
ケオラの自作曲ほか、有名な伝統曲の‘Hi’ilawe’ では、
新たなパートをアダプトして弾いています。

03年の“MOHALA HOU” は、ケオラのソフトなヴォーカルが楽しめるアルバム。
先の“MAUNA KEA” でも演奏していた
‘Pupu Hinuhinu’ のヴォーカル・ヴァージョンが聞けます。
この曲は、ケオラの母ノナ・ビーマーが作曲した子守唄。
マヒ・ビーマーも“HAWAII’S MAHI BEAMER” で歌っていたとおり、
ビーマー家の代表的レパートリーで、ここではケオラが、
これ以上ないくらい慈愛に満ちた優しい歌声を聞かせていて、涙を誘われます。

とにかくこの2枚が大好きでねぇ。実用的でもあったんですよ。
仕事と育児でヘトヘト、夜はすっかりご無沙汰の夫婦が、
たまに心を通わせた夜に、これほどしっくりとくるアルバムもなく、
これを聴きながら二人で眠りにつけば、至福この上ないという効用があったのです。
夏の夜の納涼BGMですね。

ケオラにサインを入れてもらったコンサートも、思い出深いなあ。
あれは05年の9月7日。ちょうど神奈川の座間で仕事をしていた時期で、
ケオラの来日ツアーの日程に、職場から歩いて行ける会場があったので、
東京で観ずに、仕事帰りにハーモニーホール座間で観たんでした。
初めてのコンサート会場という珍しさもあって、記憶に残るいいコンサートでした。

Keola Beamer "MAUNA KEA - WHITE MOUNTAIN JOURNAL" Dancing Cat 08022-38011-2 (1997)
Keola Beamer "MOHALA HOU : MUSIC OF THE HAWAIIAN RENAISSANCE" Ohe no number (2003)
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奇跡のファルセット マヒ・ビーマー [太平洋・オセアニア]

Mahi Beamer  HAWAII’S MAHI BEAMER.jpg    Mahi Beamer  MORE AUTHENTIC ISLAND SONGS.jpg

関東が6月に梅雨明けするやいなや、
いきなり最高気温が36度を超したのには、参りました。
20年来のウォーキング習慣で、夏負けしない身体づくりをしているとはいえ、
昼休みにランチへ行き来するだけで、
アスファルトの輻射熱と熱波で、頭がクラクラしてきます。ここ、ドバイかよ!
ほんと、外で現場仕事する方々には、リスペクトしかありません。
冷房の利いたビルの中で事務仕事してるのが、申し訳なく思っちゃいます。

今年はいつもの夏の定盤ではなく、
久しく聴いていなかったハワイ音楽で、涼を取りたくなりました。
とびっきりピュアなのが聴きたくなって、棚から取り出したのがマヒ・ビーマー。
ハワイ音楽にモダン化の兆しが現れた60年前後、ルネサンスの気運が高まって、
キャピトル・レコードから出た、奇跡のような2枚のレコードです。

商業主義に押し流されやすかったハワイ音楽が、
伝統的な音楽性をこれほど純度高く結実させた作品は、ほかに見当たりません。
「奇跡」と呼んだのは、このレコードを本土の大資本キャピトルが出したことです。
59年に出た1枚目『ハワイのマヒ・ビーマー』が、
ハワイ音楽の歴史的傑作であることに、異を唱える人はいないでしょう。

最初に聴いた時は、びっくりしたなあ。
どう聴いても、女声としか思えない、とてつもなく美しいファルセットが飛び出して、
え? え?とジャケットを何度も見返して、中身違いかと思ったもんねえ。
ファルセットがハワイ音楽の特徴であることを知ったのも、このレコードからで、
古代ハワイで王に仕えた楽士のハク・メレが、
祭祀であげる祝詞オリで裏声を使うところから来ていることを学びました。

『ハワイのマヒ・ビーマー』のオープニングでチャントが登場しますけれど、
これは歓迎のチャント。短くサワリを披露するだけとはいえ、
冒頭にこうした演出をするところからして、伝統への敬意がしっかりと伝わってきます。
そしてなにより、マヒのファルセットの美しさといったら、もう神がかり。
語尾のヴィブラートに至るまで、絶妙なコントロールに魅せられます。

名盤中の名盤の59年作に続いて出た、62年の第2作は、
マヒの祖母ヘレン・デシャ・ビーマーのソングブック集(1曲のみ伝承曲)。
1作目でも、さきほどのチャントやフラの大有名曲‘Kimo Hula’ など、
ヘレンの曲を多く取り上げていたほか、
ヘレンの初の商業録音となったチャールズ・E・キングの有名曲‘Ke Kali Nei Au ’
(俗に「ハワイアン・ウェディング・ソングで知られる)も歌っていました。
ヘレン・デシャ・ビーマーは、ハワイ音楽史に残る伝説的な人物だったのです。

ビーマー家というのは、カメハメハ1世の血を引く名門音楽一家で、
マヒは先ほど触れたとおり、ヘレンの孫にあたるんですね。
そうした名家一門のマヒが、ハワイ音楽の歴史的傑作を残したのは、
必然であったように思えます。

Mahi Beamer "HAWAII’S MAHI BEAMER" Hula T1282 (1959)
Mahi Beamer "MORE AUTHENTIC ISLAND SONGS" Hula T1698 (1962)
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エレクトロ・アンビエント・ソウル ジョーダン・ラカイ [太平洋・オセアニア]

Jordan Rakei  CLOAK.jpg

ジャケットのヴィジュアルに、到底自分のシュミじゃないと思っていたら、
偶然耳にした“Midnight Mischief” がドツボで、ハマってしまいました。
オーストラリア出身の新鋭シンガー・ソングライター、ジョーダン・ラカイのデビュー作です。

ネオ・ソウルって、サウンドは好みなんだけど、主役の声がダメっていうケースが多くて、
なかなか好みのアルバムと巡り合うことができないジャンル。
特にワタクシの場合、白人の声と相性が悪いものだから、話題となったジェイムズ・ブレイクも、
生理的に受け付けられなくて、まったく困ったもんなんですが、珍しくこの人はタイプでした。

軽やかでつぶやくような歌声は、甘口ながらべたつかず、
舌の上ですっと溶ける和三盆のような味わいがあります。
ジャズやヒップ・ホップを通過した、音響系ネオ・ソウルとでも呼ぶべきプロダクションも極上で、
浮遊するサウンドスケープから立ち上がる音像が、クールです。

こういう独特のムードって、イーフレイム・ルイス以来かも。
エレクトロ・アンビエントといったサウンドの手触りながら、
クラブ・ミュージック臭のないオーガニックさは、人力の生演奏ゆえでしょう。
とりわけ、いまどきのジャズらしいソリッドなドラミングが、サウンドの要となっています。

複数のドラマーが起用されていますが、
いずれもポリリズムを多用して歌伴する新世代共通のプレイ・スタイルを持つ人たちで、
とりわけフライング・ロータスとの共演で有名なリチャード・スペイヴンが聴きものです。
人力ドラムンベースというべきスペイヴンのドラミングは、スペースを埋め尽くすのではなく、
余白を作るのがうまく、なまなましいビート感にぞくぞくしますね。

Jordan Rakei "CLOAK" Soul Has No Tempo SHNT002CD (2016)
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ウクレレ小唄 ジャネット・サイデル [太平洋・オセアニア]

Janet Seidel  MOON OF MANAKOORA.JPG

かわいいマンガのジャケットに手が伸びました。
ジャズ・ヴォーカルのアルバムでこういう茶目っ気があるのって、いいじゃないですか。
オーストラリアで活躍するピアノ弾き語りの女性ジャズ・シンガーの旧作で、
試聴してみたら、これがすこぶるいい出来。
なんとウクレレをフィーチャーして、スウィート・ヴォイスを聞かせているんですよ。

おっしゃ、いただきます!と思ったものの、マンガ・ジャケは日本盤。
たしかにこの女子ぽいデザインは、どー見たってメイド・イン・ジャパンですよねえ。
あーあ、じゃあオリジナルのオーストラリア盤は違うジャケットなんだろうなあと思って調べてみたら、
オーストラリア盤も日本盤と同じデザイン。
やったー、と喜び勇んでオーダーしてみたら、なんてことはない。
このアルバムは日本制作だったらしく、日本盤の方がオリジナルなのでした。

なんでえ、と思わずオーストラリア盤にぼやいてしまいましたけど、
気を取り直してじっくり聴いてみると、いやあ、このアルバム、すごくいいですねえ。
ピアノ、ギター、ベースのトリオ編成で、ドラマーが一部加わるという構成なんですけど、
ギター担当が持ち替えでウクレレも弾いているんです。

ウクレレを使っているからといって、特にハワイ音楽を意識しているわけでなく、
ハワイアンのレパートリーはタイトル曲のみ。
プラターズの曲を取り上げたり、「デリカード」を歌っているのも意外でした。
ライナーにあるご本人の解説によると、
「デリカード」はパーシー・フェイス楽団の演奏で知ったというのだから、面白いですね。

選曲からしてじっくり構えて歌うような曲がなく、
どれもさらっと軽くスウィンギーに歌っているところが、すごくいい感じ。
フェイクを使わないストレイトな歌いぶりも、きっぱりしてていいですね。
肩の力の抜けたそのリラックスした歌いぶりは、ジャズ・ヴォーカルというより小唄といった趣ですよ。

根っから明るそうなジャネットの陽性の声が、ウクレレの軽やかな響きとよくマッチして、
風通しのいいサウンドが、暑さ負けしている頭をリフレッシュさせてくれます。

Janet Seidel "MOON OF MANAKOORA" La Brava Music LB0068 (2005)
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スラック・キー・ギターの革命児 アッタ・アイザックス [太平洋・オセアニア]

Atta Isaacs THE LEGENDARY.JPG

柔らかにスウィングする、アッタ・アイザックスのスラック・キー・ギターが大好きです。
こういう独特なリズム感のスラック・キー・ギターを弾くのは、
アッタのほかにいませんでした。
で、そこに噛み付いたのが、亡くなられた中村とうようさん。
4年前、オーマガトキがアッタのゆいいつのソロ作“ATTA” を紙ジャケCD化した時、
アッタのリズム感を「ジャズっぽい4ビート」と厳しく批判し、
「こんなリズムでスラック・キーやることに意味があるんだろうか」(*1)
とまで酷評したのには、思いっきりムッとしたもんでした。

とうようさんはかつてスラック・キー・ギターについて、
「アマチュア的な素朴な楽しみ方をすべきなのだ」(*2)と語っていたくらいなので、
スラック・キー・ギターをジャズぽくするなどは、邪道と感じたんでしょう。
とうようさんはおそらくスラック・キー・ギターにハワイ音楽のルネサンスを見出し、
伝統回帰のオーセンティシティを評価していたのだろうと思われます。
スラック・キー・ギターにジャズ的要素が介入するのは、
ハワイ音楽のオーセンティシティを汚されるような不快感を持ったんでしょうね。

戦前のハワイ音楽は、ソル・ホオピイやアンディ・アイオーナをはじめ、
スウィング・ジャズの強い影響下にありました。
戦後になると、ラジオの人気番組「ハワイ・コールズ」が巻き起こした観光ブームで、
伝統ハワイ音楽を歪める、ジャズ風に崩した通俗的な演奏がはびこります。
それゆえにとうようさんは、
ハワイ音楽の「ジャズっぽさ」に敏感となっていたのかもしれません。
かつて、ブルースを民俗音楽とみる立場から、
B・B・キングを迎合的で卑屈な芸人根性と批判した
とうようさんらしい視点ともいえますが、
伝統を前進させようとする音楽家の試みを否定するのは、明らかに間違ってますね。

アッタは、戦前のハワイ音楽家のように、
ジャズ風に崩した演奏をしていたわけではありません。
本土迎合的な態度のハワイ音楽家がジャズの衣を借りたのに対し、
アッタがジャズのイディオムを取り入れたのは、
スラック・キー・ギターを革新しようとしたミュージシャンシップゆえでした。
独自のCメジャー・チューニングを開発したのもアッタの研究心の賜物で、
そのミュージシャンシップが、ジャズのイディオムを取り入れることに、
彼を向かわせたのでした。
アッタが生み出したスウィンギーでジャズのコード進行を取り入れたギター・スタイルは、
伝統ハワイ音楽の味わいを輝かせ、戦前のハワイのミュージシャンの演奏とは
レヴェルの異なる、斬新さを獲得していました。
いわばアッタは、スラック・キーが土臭い素朴さばかりでないことを証明してみせたのです。

そんなアッタの仕事を集大成した2CDがリリースされました。
ディスク1はアッタの71年のソロ作“ATTA” をストレイトCD化したもので、
ディスク2にはサウンズ・オヴ・ハワイへ残した5曲と、ギャビー・パヒヌイと共演した
69年作“TWO SLACK KEY GUITARS” の4曲が収録されています。
全曲60分に満たないので、2枚組にする必要はなかったかもしれませんけれども。

プロデュースは、スラック・キー・ギターに惚れ抜いて、
ダンシング・キャット・レーベルを興したジョージ・ウィンストン。
24ページに及ぶライナーには、
スラック・キー・ギターの新たなスタイルを模索したアッタの仕事ぶりが、
丁寧に解説されています。

“ATTA” 所収の“Hualalai” のなめらかなリズム感なんて、いつ聞いても最高ですね。
とうようさんが嫌悪した4ビートの“How'd You Do?” や“Mele Li'i” も、
アッタの代表的名演です。
“ATTA” を愛顧するのはなにもぼくばかりでなく、
かつて深沢美樹さんが「マイ・フェヴァリット・ハワイアン20」にあげて激賞し、
「『ハウドゥ・ユードゥ』は何度コピーしようとしたことか」と
コメントされていました(*3)。

そんな深沢さんが、とうようさんの酷評に
「スラックキーの本質を衝く重い言葉だ」と迎合したのには、
心底がっかりさせられたもんです。(*4)深沢さんは先の評で“ATTA” の魅力について、
「このレコードが放つ色香というか、ハワイの空気というか、ジャケットも含めて、
それがそのままパッケージされていることに驚いたのだ。それはぼくが
スラック・キー・ギターにノックアウトされた瞬間だったかも知れない」とまで書き、
その愛情あふれる文にぼくはとても共感していただけに、
とうようさんへのすり寄りぶりにはむかっ腹が立ちました。

ジャズを取り入れたアッタのスラック・キー・ギターが、
とうようさんのいう無意味なものかどうか、
みなさんの耳でぜひ確かめてみてください。

*1 『ミュージック・マガジン』 2008年9月号 173ページ
*2 『ハワイ音楽パラダイス』 山内雄喜・サンディー著 北沢図書出版 1997 47・48ページ
*3 『サウンズオブアロハ ハワイアンミュージックガイド』 ブルース・インターアクションズ 1999 147ページ
*4 『レコード・コレクターズ』 2008年10月号 33ページ

Atta Isaacs "THE LEGENDARY ATTA ISAACS : INNOVATIVE SLACK KEY MASTER" Tradewinds/Hana Ola/Cord International HOCD2015
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日本の夏、ハワイアンの夏 バーニー・アイザックス [太平洋・オセアニア]

HAWAII INSTRUMENTALLY YOURS.JPG

ビア・ガーデンやプール・サイドに流れる、甘ったるいスティール・ギターの調べ。
マヒ・ビーマーやギャビー・パヒヌイが知られるようになってからは、
そんな凡庸な観光ハワイアンなど、まともに語られることもなくなりましたけど、
コマーシャルとバカにされるハワイアンでも、お気に入りのアルバムがあります。

ワイキキのお土産やで売ってる絵葉書を並べた、いかにもノヴェルティなこのジャケット、
サブ・タイトルもずばり「バックグラウンド・ミュージック」と、まさしく観光客ネライのつくり。
裏ジャケットもハワイの観光名所の写真と説明が並ぶだけで、
演奏者の名前はジャケットのどこにも書かれていません。

高校2年のサマー・スクールでオアフ島に滞在した75年の夏、
典型的なハワイアンも買っておこうと思い、何枚かみつくろったなかで、
ずっと手放さずに残ったのが、このアルバムでした。
1ドル99セントだったか、たしかそんなタダ同然みたいな値段で売っていたレコードなので、
まったく期待もせずに買ったことを覚えています。

ところが中身は、スティール・ギター、ヴィブラフォン、ウクレレ、ベースで、
チャールズ・エドワード・キング、ジョン・アルメイダ、レナ・マシャードなどの
古いハワイアン・スタンダードを淡々と演奏した、とびきりの内容のアルバムだったのです。

のちにわかったことですけど、このアルバムを演奏しているのは、
人気ラジオ番組「ハワイ・コールズ」で演奏を務めた名スティール・ギター奏者の
バーニー・アイザックス率いるワイキキ・セレネーダーズでした。
このアルバムはバーニーが音楽監督を務めていたワイキキ・レコードの、
50年代の代表作でもあったそうです。
バーニーは、名門ロイヤル・ハワイアン・ホテルのバンドリーダーを務めた、
父アーヴィン・アイザックスの長男で、次男は名ベーシストのノーマン、
三男はスラック・キー・ギタリストのアッタという、音楽一家でした。

驚いたのは、90年代に入ってからこのアルバムがCD化されたことです。
50年代のLPが75年でも買えたほどのロング・セラー・アルバムだったのだから、
もちろんCD化されても不思議はないわけですが、
それならバーニ・アイザックスの名前くらい、ちゃんと載せればいいものを、
LPジャケットの表裏を複製しただけで、解説の一文もなしの手抜きCDなのでした。

Barney Isaacs & George Kuo HAWAIIAN TOUCH.JPG

その後バーニーは、スラック・キー・ギタリストのジョージ・クオと
素晴らしいデュオ・アルバムを、95年になってリリースします。
スラック・キー・ギターのレーベル、ダンシング・キャットの数あるカタログの中でも、
これは屈指の名盤といえる内容でした。
バーニーはエレクトリックのラップ・スティールではなく、
アクースティックのリゾネイト・ギターを演奏していて、
生音の優しい響きがとびっきりスウィートなアルバムに仕上がっていました。
バーニーがアクースティックで録音したのは、なんとこれが初だったとのことです。

バーニーはこのアルバムを出した翌年96年に亡くなってしまいましたが、
最期に円熟の極みともいえる名作を残してくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。

Waikiki Serenaders "HAWAII INSTRUMENTALLY YOURS" Waikiki WCD306
Barney Isaacs & George Kuo "HAWAIIAN TOUCH" Dancing Cat 08022-38026-2 (1995)
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ロコ・ボーイたちのダカイン・サウンド カントリー・コンフォート [太平洋・オセアニア]

Country Comfort.JPG

サイラス・ファーヤー絡みで思い出すのは、
ハワイのグループ、カントリー・コンフォートの
74年デビュー作“WE ARE THE CHILDREN”。
裏ジャケットに Produced by Cyrus Faryar のクレジットを見つけ、
おっ!と思ったのでした。
プロデューサーつながりで、ジョン・サイモンからサイラス・ファーヤー、
そしてカントリー・コンフォートへとたどり着いたわけです。

このレコードとの出会いは、
ハワイのアラモアナ・ショッピング・センターのレコード・ストアでした。
地元グループのデビュー作ということもあってか、
目立つところにディスプレイされてましたね。
高校2年の夏休み、学校のサマー・スクールでオアフ島のコンドミニアムに
ひと月間滞在していた時のことです。はじめての海外だったから、ハシャいでましたねぇ。

サマー・スクールはホノルルの中心部からバスで30分以上もかかる田舎町にあり、
このアルバム・ジャケそのまんまのロコ・ボーイと呼ばれるあんちゃんたちが、
タムロしているところでした。メンバー全員サンダル履きのひとコマは、
ぼくにとって思い出深いハワイの日常風景そのものです。

久しぶりに聴き直してみたら、胸に甘酸っぱさが込み上げてきましたよ。
スウィートなコーラスの穏やかなたたずまいや、メジャー7thのメロウな響きは、
メインランドのフォークやカントリー・ロックでは得られない素朴さがいっぱい。
スラック・キーを織り込んだ“Waimanalo Blues”の土臭さや、
“Manha De Carnival”の哀愁味あふれる演奏もローカルな響きにあふれ、
当時「ダカイン・サウンド」と呼ばれていた
オーガニックなアクースティック・サウンドが、
ハワイの田舎のゆるい空気を伝えてくれます。

ハワイ音楽史に残るような重要作などではけっしてないし、
名盤と騒ぐアルバムでもありませんが、
歴史の波間に消えてしまうには惜しいアルバムです。

[LP:写真] Country Comfort "WE ARE THE CHILDREN" Trim TLP1980 (1974)
[CD] Country Comfort "WE ARE THE CHILDREN" Hana Ola/Cord International HOCD6000
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101歳のウクレレ・マスター ビル・タピア [太平洋・オセアニア]

Bill Tapia.JPG

101歳のビル・タピアがまさか来日するなんて!
ハワイの老舗ホテル、ロイヤル・ハワイアン・ホテルが
1927年にオープンした時、演奏した人ですよ!?
スタン・ケントン、ルイ・アームストロング、ビリー・ホリデイ、
ファッツ・ウォーラー、ソル・ホオピイとの共演経験を持つ人が
目の前でプレイするのを見れるなんて、ありえなくないですか!?
まさしくハワイの生きるレジェンドですね。
ツアーに先立ち、横浜の大さん橋で行われたイヴェントに出演したビルさんを見てきましたよ。

Bill Tapia_yokohama.JPG Bill Tapia_backstage.JPG

もともとジャズ・ギタリストだったビル・タピア、
ウクレレに持ち替えても、エンタテイナーぶりが板についています。
ウクレレを背中に廻して弾いたり、足や歯でネックの弦を押さえて弾いたりと、
おちゃめなギミック・プレイに拍手喝采でした。
目の前にビルさんがいて、ウクレレを弾いている。それだけでもう十分です。

本日スタートの日本公演は以下のとおり。
すでにソールド・アウトの公演もありますが、奇跡の初来日、ぜひお見逃しなく。

7月26日(日) 大阪 JAZZ ON TOP
7月27日(月) 名古屋 Doxy (Sold out)
7月28日(火) 大阪・梅田 RAIN DOGS
8月3日(月)東京・目黒 ブルースアレイジャパン
8月5日(水)横浜 Motion Blue YOKOHAMA (Sold out)
8月7日(金)横浜 ミリオンズ・デリ
8月9日(日)東京・渋谷 JZ Brat   

Bill Tapia "DUKE OF UKE" Moonroom MRR40972 (2005)
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ウクレレの快楽 [太平洋・オセアニア]

本屋できれいなグラビアが満載のウクレレ本を見つけ、パラパラと眺めていたら、
「ウクレレ創世記」と題したページに、さらりとこんなことが書いてあるのが目に入りました。

「1879年8月23日にポルトガルからの移民船レーベンスクラグ号がホノルルに到着した。その中に、オウグスト・ディアス、ホセ・ド・エスピリト・サント、マニュエル・ヌネスという3人の楽器職人が乗っていた。彼らが、ポルトガルの民族楽器ブラギーニャを、ハワイの木コアで作ったのがウクレレの始まりと言われている。」

うわ~、ハワイ音楽って、ここ10年ですごく理解が深まったんだなあ。
雑誌やムック本に書かれる音楽の記述のでたらめさ加減に、普段慣れっこになっているせいか、
こんなしっかりした知識をもとにした記述を見つけると、逆に感動すら覚えてしまいます。
音楽が広まるためには、マニアックなファンばかり増えたってダメで、
楽器をやる人や、ダンスをする人が増えることが大切なんだよなあ。

Harry Kalahiki.JPG Nelson Waikiki.JPG

さっそく買ってきた『ザ・ウクレレ・ブック』のヴィンテージ・ウクレレの写真を眺めながら、
ハワイのCord Internationalから届いたばかりのウクレレCD2枚を聴くことに。
名門レーベル、トレイドウィンズの旧作CD化。
ハリー・カラヒキはベースとドラムスをバックに、繊細でさりげない技巧的なプレイを聞かせ、
ネルソン・ワイキキはジャケこそノヴェルティぽいけど、スラック・キー・メドレーもやる正統派。
古くからのハワイ音楽ファンにはよく知られた2枚ですね。

今度、ホコリをかぶったままになっているカマカを弾いてみようかしらん。

Harry Kalahiki "MONGO PLAYS UKULELE" Hana Ola/Cord International HOCD88000
Nelson Waikiki "UKULELE STYLIST" Hana Ola/Cord International HOCD89000
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