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ガール・グループを経てソロ・デビュー ジェルシー・ペガード [南部アフリカ]

Gersy Pegado  MAMANGOLA.jpg

ウォントリストから捕獲できた一枚。
アンゴラの旧作で、ジェルシー・ベガードのソロ・デビュー作。14年のアルバムです。

ジェルシー・ペガードは、ガール・グループのアス・ジンガス(・ド・マクルソ)で
パトリーシア・ファリアとともにグループの看板を張っていたリード・シンガー。
パトリーシア・ファリアについては、前に記事を書いたことがありましたね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-01-16

As Gingas  XIYAMI.jpg

ジェルシー・ペガードは、アス・ジンガスの96年の第1作から
05年のラスト第5作まで全作に参加していますが、
とりわけ99年の名作 “XIYAMI” での歌いぶりが好きでした。
満を持してのソロー・デビュー作、アス・ジンガスでたっぷりキャリアを積んだだけあって、
すでにポップ・スターの風格溢れる一枚に仕上がっています。

弾けるビートが爽快なオープニングのルンバ・コンゴレーズから快調そのもの。
コラやホーンズをフィーチャーし、90年代のエレクトリック・マンデ・ポップを
アップグレイドしたサウンドを聞かせる曲や、
アコーディオンをフィーチャーしたセンバあり、
ポルトガル・ギターをフィーチャーしたネオ・ファド調の曲まであるカラフルな内容。

ウチコミに頼らない人力演奏をメインとしているからなのか、
意外にもキゾンバがなく、アンゴラらしい哀愁たっぷりのスローなど、
よく練れたクレオール・ポップ・アルバムとなっています。
ラスト・トラックがアッパーなカズクータというのも、アンゴラ音楽ファンには嬉しい。

ちなみに今回初めて知ったんですが、
ジェルシー・ペガードの母親であるローザ・ロックが、
アス・ジンガスの生みの親だったんですね。
音楽教師で作曲家のローザ・ロックは、83年にアンゴラ国営ラジオ局の
子供向け番組のためにアス・ジンガスを結成し、
メンバーにローザ・ロックの娘たちも加わりました
ジェルシーは、3歳でアス・ジンガスのメンバーになったのだそうです。

ローザ・ロックはアス・ジンガスの作曲・プロデュースを行い、
アンゴラ音楽史に残る国民的な人気ガール・グループに育て上げました。
ローザ・ロックは、のちに文化芸術国民賞を受賞しています。

As Gingas Do Maculusso  COLECTÂNEA 30 ANOS.jpg

13年にグループ結成30周年を記念して、
96年から05年までの全アルバム5枚と、
グループ最初期の84年にアンゴラ国営ラジオ局で録音された
未発表録音の1枚を加えた、6枚組の完全版CDが出ています。

ジェルシー・ペガードは、アンゴラ・カトリック大学で法学の学位を取得し、
文化観光省の文化・クリエイティブ産業事務局で働き、
著作権と関連する権利の保護の仕事をしています。
12年からは児童書の執筆を始めて児童文学の世界にも足を踏み入れ、
初の著書はアス・ジンガスでの30年間をたどったものだそうです。

Gersy Pegado "MAMANGOLA" Aviluppa Kuimbila no numer (2014)
As Gingas "XIYAMI" Aviluppa Kuimbila AVK003 (1999)
As Gingas Do Maculusso "COLECTÂNEA 30 ANOS" Aviluppa Kuimbila no number
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アマピアノでクール・ブリージン タイラ [南部アフリカ]

Tyla.jpg

So cuuuuuuuuuuute !!!
な~んてカワイイんでしょうか♡♡♡
南アフリカから世界を席巻するポップ・スターの登場です。

タイラことタイラ・ラウラ・シーサルは、02年ジョハネスバーグ生まれ。
いよいよゼロ年代のシンガーの時代になったんですねえ。
アマピアノが21世紀のアフリカン・ポップ最前線にジャンプして
産み落とした大スターといえるのかな。

でも、この音楽が南ア発であることを、強調する必要はなさそう。
エリカ・ド・カシエールにアイスランドのナショナリティを必要としないように、
アマピアノの要素をことさら取り上げて、
タイラを無理にアフリカ音楽の文脈に落とし込むことに意味はない、
そんな感を強くするグローバル・ポップです。

昨年シングル ‘Water’ がリリースしされるやいなや、
イギリス、アメリカほか16か国でトップ10入りし、
南アフリカの曲として55年ぶりとなるビルボード・ホット100にランク・イン。
今年2月にはグラミー賞の
最優秀アフリカン・ミュージック・パフォーマンス賞を受賞し、
グラミー賞を受賞した史上最年少のアフリカ人アーティストとなりました。
いきなり世界的なポップ・スターのステージに昇りつめたタイラは、
ゼロ年代にシアラやリアーナがデビューした時を思わせます。

‘Water’ のミュージック・ヴィデオで目が♡♡♡となって、
フル・アルバムを待ち望んでいたけれど、
フィジカルもちゃんとリリースしてくれて、う・れ・し。
キュートな歌い口、甘いフロウ、風に舞うその歌声にもうメロメロ。
アマピアノ独特のログ・ドラムのシンセ・ベースがゴンゴン鳴る
クール・ブリージンなサウンド・スケープに、夢ごこちです。

Tyla "TYLA" Fax/Epic 19658876922 (2024)
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南ア人としての自叙伝 ジョナサン・バトラー [南部アフリカ]

Jonathan Butler  UBUNTU.jpg

ひと月前に南アのウブントゥについて少し触れたばかりですけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2023-12-10
南ア出身のジョナサン・バトラーの新作のタイトルが、なんと「ウブントゥ」。

ジョナサン・バトラーといえば、グラミー賞にもノミネートされた ‘Lies’ でしょう。
あの大ヒット曲が入った87年作 “JONATHAN BUTLER” は
いまでも時折聴き返しますが、どんなに年数が経っても古びませんね。
13年に来日した際にご本人と話をするチャンスがあって、
こんな古いアルバムにサインを頼むのは悪いかなと思ったんですが、
ジョナサン・バトラーはこれ1枚しか持っていないのでした(ゴメン)。

Jonathan Butler.jpg

13歳の初シングルがバート・バカラック作の ‘Please Stay’ で、
その後スムース・ジャズ系シンガー/ギタリストという売り出しで、
若くしてイギリスに進出して成功した人だけに、
正直バトラーに南アの音楽家というイメージはまったくありません。
コンテンポラリー・ポップスの音楽家としか捉えていなかったので、
この新作タイトルは意外でした。

考えてみれば、バトラーはケープ・タウン生まれなんですよね。
これまでのイメージを一新するルーツ回帰作を作ったのかと思いきや、
そんなことはまったくなくて、これまで通り、いつものバトラーなのでした。
プロデューサーがマーカス・ミラーだもんねえ。
ミラーはベース・ソロばかりでなく、ピアノ、ギター、サックス、ドラムスと
さまざまな楽器を演奏して、サウンドメイクをしています。

オープニングは、スティーヴィー・ワンダーの ‘Superwoman’ をカヴァー。
終盤にリズムがレゲトンへスウィッチして、スティーヴィーがゲストで
ハーモニカを吹く趣向は、なかなかにスウィートなアレンジ。
バトラーの声はさすがに年輪を重ねて太くなったとはいえ、
歌い回しが昔とぜんぜん変わっていなくて、まさにバトラー節ですね。

バトラーが弾くナイロン弦ギターによるインスト曲も、
87年作と変わらぬ作風ですけれど、
8曲目の ‘Coming Home’ の主メロに、ほのかな南ア色があります。
ここが今作でゆいいつ南アらしさを感じられたところかな。
歌詞には自叙伝が記されているようですけれど、
サウンドはあくまでも王道ポップス。バトラーらしい作品で、ぼくは好きです。

Jonathan Butler "UBUNTU" Mack Avenue ART7080 (2023)
Jonathan Butler "JONATHAN BUTLER" Jive 1032-2J (1987)
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モザンビーク少数民族チョピ人の木琴ティンビラ マチュメ・ザンゴ [南部アフリカ]

Matchume Zango  TATEI WATU.jpg

旅するサックス奏者仲野麻紀が日本に連れてきた、
モザンビークのティンビラ(木琴)奏者マチュメ・ザンゴの19年作。
ライヴ会場で手売りするために本人が携えてきたのだそう。

モザンビーク南部の少数民族チョピ人の木琴ティンビラが
世界的に知られるようになったのは、ヒュー・トレイシーが
48年に著した “CHOPI MUSICIANS” がきっかけ。
ヒュー・トレイシーが43年から63年にかけて録音した
ティンビラ演奏の5曲が、いまはSWPの『南部モザンビーク編』で聞けます。

SOUTHERN MOZAMBIQUE 1943 ’49 ’54 ’55 ’57 ‘63.jpg

低音から高音まで各音域を受け持つ10台以上のティンビラが、
いっせいに鳴らされる合奏は、まさにド迫力。
バリ島のジェゴグやトリニダード島のスティールバンドにも劣らぬ大音響で、
倍音とサワリ音が嵐のように迫ってくるんですが、
ヒュー・トレーシーの録音は古くて、さすがにそこまでの迫力は感じ取りにくい。

Timbila Ta Venacio Mbande.jpg   Venancio Mbande Orchestra  TIMBILA TA VENANCIO.jpg

ぼくが最初にブッとんだティンビラ・オーケストラは、
92年にベルリンで録音されたヴェナンシオ・ンバンデのヴェルゴ盤です。
ヴェナンシオ・ンバンデ率いるオーケストラは、もう1枚
00年に現地でフィールド録音されたネクソス盤があって、
この2枚はティンビラ・オーケストラのスゴさを体感できる名作です。

この2枚のリーダー、ヴェナンシオ・ンバンデ(1933-2015)は、
首長に捧げる組曲ンゴドを演奏する伝統音楽家として、
長きにわたるモザンビーク内戦期間中も定期的に演奏を続けた偉人です。

ンバンデは6歳で叔父からティンビラを習い、
18歳で南アの鉱山労働者として出稼ぎに出て、同じチョピ人鉱山労働者
とともにティンビラを演奏し、56年にオーケストラを編成して作曲を始めました。
95年にモザンビークへ帰国してからはティンビラ学校を設立して、
ヒューの息子アンドリュー・トレーシーの支援を受けながら、
チョピの音楽遺産を後世に残しました。

先に挙げたヴェルゴ盤やネクソス盤に収録されているンバンデの曲を、
ベース、ドラムス、ギター、キーボードといったバンド演奏で
現代化して聞かせているのが、マチュメ・ザンゴのアルバムです。
ジャケットのサブ・タイトルにあるとおり、ンバンデのトリビュート作で、
ジャケットに写っているのもンバンデなら、ライナーにも
マチュメとンバンデが一緒に写っている写真が載っています。
このアルバムでティンビラは、マチュメともう一人による2台だけで演奏されていますが、
ンバンデのオリジナルに沿ったアレンジになっていますね。

Eduardo Durão & Orquestra Durão  TIMBILA.jpg

こうしたティンビラの伝統音楽をモダン化した試みでは、
グローヴスタイルが91年に出した
エドゥアルド・ドゥランのアルバムがありましたね。

最後に、ティンビラとは複数形の呼び名で、単数ではンビーラといいます。
ジンバブウェ、ショナ人の親指ピアノ、ンビーラと同じ名称なのです。

Matchume Zango "TATEI WATU: TRIBUTO VENÂNCIO MBANDE" Nzango Studio no number (2019)
Field Recordings by Hugh Tracey "SOUTHERN MOZAMBIQUE 1943 ’49 ’54 ’55 ’57 ‘63" SWP SWP021/HT013
Timbila Ta Venancio Mbande, Mozambique "XYLOPHONE MUSIC FROM THE CHOPI PEOPLE" Wergo/Haus Der Kulturen Der Welt SM1513-2/281513-2 (1994)
Venancio Mbande Orchestra "TIMBILA TA VENANCIO" Nexos World 76016-2 (2001)
Eduardo Durão & Orquestra Durão "TIMBILA" Globestyle CDORBD065 (1991)
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ポスト・バップが蘇る南アの社会状況 アッシャー・ガメゼ [南部アフリカ]

Asher Gamedze  TURBULENCE AND PULSE.jpg

アッシャー・ガメゼのような音楽家が存在していることが、
現在の南ア・ジャズ・シーンの活況ぶりを証明していますよね。
アッシャー・ガメゼのデビュー作では、その政治的強度に圧倒されましたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-02-05
今回のアルバムでも彼のラディカルな姿勢に、1ミリのブレもありません。

南アで蘇った「ミンガス・ジャズ」。
端的に言えば、この一言に尽きちゃうんですけれど、
前作の記事では、リヴァイヴァルとかレトロとかの誤解を招きかねないかと、
こうした形容を控えてスピリチュアル・ジャズを言及するに止めたんですが、
そんな遠慮は必要ないと、この新作で実感しました。

ガメゼがやっているジャズは、60年代のミンガス・ジャズと見事に共振しています。
じっさいのところ、ガメゼが
チャールズ・ミンガスを意識しているのかどうかはわかりませんが、
公民権運動を背景とした当時のアメリカ黒人意識の精神性と共有するものが、
ガメゼにあるのは確実でしょう。

黒人が置かれている社会状況が一向に改善せず、BLM運動が盛り上がったアメリカで、
それこそミンガス・ジャズが蘇ってもなんら不思議はないんですが、
むしろ南アで蘇ったのは、南アにおいてはBLM運動以前に、
70年代のブラック・コンシャスネス運動(BCM)を歴史の記憶として、
南ア・ジャズの音楽家が継いでいるからなんじゃないのかな。

ミンガスの代表作 “CHARLES MINGUS PRESENTS CHARLES MINGUS” を
連想させずにはおれないピアノレスの2管カルテットは、デビュー作と同じメンバー。
オープニングのガメゼによるモノローグは、本作のマニフェストといえるもので、
バックで弾いているピアノもクレジットはありませんが、おそらくガメゼでしょう。
古めかしさえ覚えるポスト・バップのサウンドが、こんなに美しく奏でられることに、
あらためて感動してしまいますよ。

ミンガスの激しさを思索的なサウンドに置き換えたような10曲のあとに、
アナザー・タイム・アンサンブルと名付けられたグループと
カイロでライヴ録音された3曲が収録されているのも聴きもの。
アナザー・タイム・アンサンブルは、モーリス・ルーカ(シンセ)、
アドハム・ジダン(ベース)、チーフ・エル=マスリ(ギター)の3人のカイロの音楽家に
アラン・ビショップ(アルト・サックス)が加わったグループ。
サブライム・フレークエンシーズ主宰のアラン・ビショップが登場するとは
いささか驚きましたが、ここではもっとのびのびと自由に演奏していて、
このメンバーとの録音ももっと聴きたくなります。

Asher Gamedze "TURBULENCE AND PULSE" Inernational Anthem Recording Co. IARC0057 (2023)
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ピアノとヴォイスのミニマリズムが表すウブントゥ タンディ・ントゥリ [南部アフリカ]

Thandi Ntuli with Carlos Niño  RAINBOW REVISITED.jpg

揺るぎないピアノの力強さ。
左手がかたどる音塊に、南ア・ジャズの伝統がしっかりと息づいています。
とりわけントゥリの祖父レヴィ・ゴドリブ・ントゥリが作曲した
‘Nomoyoyo’ の温かなハーモニーは、南アからしか生まれない、
教会音楽ゆずりの美しさが宿っていますね。

新世代の南ア・ジャズ・ミュージシャンとして注目を集めるピアニスト、
タンディ・ントゥリの新作は、ロス・アンジェルスのアンビエント・ジャズの鬼才
カルロス・ニーニョとの共演作です。
タンディが大作 “EXILED” を発表した翌年19年の8月、
カリフォルニアのヴェニス・ビーチのスタジオで録音されたもので、
シカゴのインターナショナル・アンセムからリリースされました。
なんとカヴァー・アートは、シャバカ・ハッチングスが描いています。

バークリーの奨学金を蹴ってケープ・タウン大学で学んだタンディは、
クラシック・ピアノのスキルとアブドゥラー・イブラヒム直系の南ア・ジャズ・ピアノの
伝統を継承する一方、ハウス・プロデューサーとコラボレートしたり、
シャバカ・ハッチングスのアンセスターズにも一時期参加するなど、
21世紀のグローバルなジャズ・シーンに確かな爪跡を残してきました。

そんなタンディだからこそ、カリフォルニアでカルロス・ニーニョと共演したのも、
彼女の野心的な音楽的冒険なのだろうと、容易に想像がつきます。
しかし本作は、タンディのピアノとヴォイスのパフォーマンスをメインとした作品で、
カルロスとの出会いがもたらす化学反応のようなものを期待すると、
肩透かしかもしれません。

カルロスは、浜辺に打ち寄せる波音のサンプリングや
シンバルなどのパーカッションをコラージュした2つのトラック(3・7曲目)のほかは、
サウンドスケープをうっすらとトリートメントする程度の
きわめて控えめなサポートにとどまっています。

一方、タンディはピアノのほか、シンセやトンゴという小太鼓も演奏し、
矢野顕子の『長月 神無月』を連想させるヴォイスを聞かせます。
矢野顕子ほど奔放な歌いっぷりじゃありませんが、
のびやかな自由さは、両者共通するところがありますね。

ジャケット裏に、タンディによるアルバム・タイトルの詩が書かれていて、
そのなかに、「ウブントゥの本当の意味を求めて努力するように」とあります。
ズールー語のウブントゥとは、アフリカの伝統的な概念で、
社会の構成員間の調和と分かち合いの精神を意味しています。
アパルトヘイトを乗り越えた南アにおいて、特に重要視されたウブントゥですが、
現実はそのようにはなっていません。

タンディはこのほかにも、
「『虹の国』とは、この土地の分断された魂を回復させる仕事であり、
私たち自身の傷ついた精神から始まる」と語っています。
合意やコンセンサスの重要性を強調し、コミュニティ全体の幸福を優先する
ウブントゥの倫理的価値観や哲学に回帰しようとするタンディの意志は、
その音楽に鮮やかに表現されています。

Thandi Ntuli with Carlos Niño "RAINBOW REVISITED" Inernational Anthem Recording Co. IARC0073 (2023)
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ルゾフォニア音楽生活四半世紀を駆け抜けて ドン・キカス [南部アフリカ]

Don Kikas  Livre.jpg

7年ぶりに出たカリナ・ゴメスのアルバムを制作したのは、
カヴィ・ミュージックというレーベル。
国際市場で通用するジャケット・デザインや印刷のクオリティから、
ポルトガルのレーベルなのかと思ったら、
レーベル・アドレスの末尾に gw とあり、どうやらギネア=ビサウ盤のよう。
ポルトガルとルゾフォニア向けのラジオ局、
RDPアフリカのロゴがあるので、協賛を得ているのでしょうね。

カヴィ・ミュージックは、カリナ・ゴメスのほか
アンゴラのキゾンバ・シンガー、ドン・キカスの新作も出ていて、
このレーベルはルゾフォニアのアーティストと広く契約しているようですね。
ドン・キカスのアルバムは、前に11年作を取り上げましたけれど、
それ以来聴くひさしぶりのアルバムです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-10-21

ルゾフォニアで思い出しましたけど、ドン・キカスはマルチーニョ・ダーヴィラの
00年作 “LUSOFONIA” に参加していましたね。
キゾンバ100%の曲 ‘Hino Da Madrugada’ で、
マルチーニョを差し置きメインで歌っていました。

アンゴラ生まれ、ブラジル育ち、ポルトガルで音楽活動を開始したドン・キカスは、
まさしくルゾフォニアの音楽人生を歩んだ人といえます。
そのドンの新作 “LIVRE” は、カリナ・ゴメスのようなアフロビーツ色はなく、
キゾンバを中心に打ち込みと生音を絶妙にブレンドしたプロダクションで歌っています。

泣きのメロディに狂おしさをにじませるキゾンバの ‘Meu Paraíso’ ‘Basta’、
はつらつとしたズークの ‘Musa Benguela’、
ホーン・リフがキャッチーなセンバの ‘Numa Boa’ ではキレのある歌いっぷりを聞かせ、
いいシンガーだなあと思いますねえ。華がありますよ。

またゲストでは、
オランダで活躍するカーボ・ヴェルデ人シンガーのネルソン・フレイタスと、
アンゴラ在住のカーボ・ヴェルデ人歌手カルラ・モレーノという
二人の歌手を迎えていますが、このカルラ・モレーノというシンガーが素晴らしい。
ソロ作を期待したい人です。

アクースティックな音作りのトラックも、聴きごたえがあります。
生演奏によるセンバの ‘Bazuka’ ではアコーディオン、マリンバ、ハーモニカが大活躍。
また ‘Mamã Zungueira’ の初めと終わりのパートで、
ベルや太鼓がつっかかるような伝統リズムを繰り出すところも聴きもの。
このリズム名を知りたいな。

ドン・キカスはこのアルバムを出す2年前の20年に、
リスボンで音楽生活25周年記念のコンサートを開き、ボンガとティト・パリスという、
アンゴラとカーボ・ヴェルデの両ヴェテランがお祝いに駆け付けたとのこと。
ドン・キカスもすでにキゾンバのヴェテラン・シンガーですね。

Don Kikas "LIVRE" Kavi Music KAV00001/22 (2022)
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私はキゾンベイラ ヨラ・セメード [南部アフリカ]

Yola Semedo  SOU KIZOMBEIRA.jpg

キゾンバの成熟を強烈に印象付けた、ヨラ・セメードの “FILHO MEU”。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-06-09
エディ・トゥッサの新作を押さえて16年のマイ・ベスト・アルバムに選ぶほど、
ぼくはひいきにしましたが、その後このアルバムの良さに気付いたファンが
少しづつ現れてくれて、心強く思いましたよ。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-12-30

“FILHO MEU” から4年をかけて出した2枚組 “SEM MEDO” は、
10人のプロデューサーに70人のミュージシャンが参加して制作された大力作でした。
ディスク1ではキゾンバやズークばかりでなく、
センバ、モルナ、コラデイラ、ビギンが混在するクレオール・ミュージックを展開したほか、
ディスク2ではバラード中心に王道のポップ路線でまとめ、
ゴージャスなプロダクションにふさわしいヨラの歌いっぷりに、感じ入りました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-06-30

あれから4年。12月3日にアンゴラでリリースされた新作は、
CDはブック仕様、さらにLPも同時発売されるという異例ぶり。
ヨラが大統領夫人を表敬訪問して、LPとCDを手渡している報道写真を横目に、
日本に届くのをいまかいまかと待ち望んでいたんですが、
なんとアンゴラ現地で完売というニュースに、ええっ!
アンゴラでは、CDはイニシャル・プレスのみで再プレスしないから、
やば!手に入らないかも!とアセったんですが、なんとか無事届きました。

さすがはアンゴラのディーバの名に恥じぬ、貫禄の歌いぶり。
前作 “SEM MEDO” はクレジットがまったく書かれていませんでしたが、
今作は10曲中7曲が、
フェルナンド・ジョアン・サンバ・キジンゴ(プニドール)という人の作です。
81年ルアンダ生まれの作曲家兼プロデューサーで、ルアンダ州ベラス市の
観光文化レジャー青少年スポーツ局長でもあるそう。

パウロ・フローレスの曲も1曲歌っていて( ‘O Povo Isso É Boda’ )、
「キゾンバ、センバ、クドゥロ、人々の輪がエネルギー」というリフレインが耳残りします。
この曲のほか、今回は ‘Pátria’ ‘Vida Alheia’ と3曲もセンバを歌っているのが嬉しい。
「私はキゾンベイラ」と題したように、今回バラードはなく、
キレのあるダンス・トラックで通しています。キゾンバ女王の矜持を示した快作ですね。

Yola Semedo "SOU KIZOMBEIRA" Energia Positiva Music EPCD010 (2022)
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エレクトリック回帰で飛躍 モコンバ [南部アフリカ]

Mokoomba  TUSONA.jpg

ジンバブウェの音楽がまったく聞こえなくなって、かれこれ10年以上。
ムガベが失脚して少しは安定するかと思いきや社会の混乱は収まらず、
オリヴァー・ムトゥクジは逝ってしまい、COVID-19の流行に加えて
インフレの再燃で、現地ミュージック・シーンは視界ゼロ。

ジンバブウェもので最後に聴いたのは、モコンバの17年作 “LUYANDO” か。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-03-24
モコンバはジンバブウェ国内を飛び出て、欧米各国で演奏するようになり、
この作品もドイツのアウトヒアから出たものだから、現地シーンとリンクはしておらず、
最後に聴いたジンバブウェ現地ものといえば、さらにさかのぼること5年になります。

それほど耳にしなくなってしまったジンバブウェ音楽ですが、
ひさしぶりに届いた新作は、またしてもモコンバ。
“LUYANDO” 以来6年ぶりとなるアルバムです。
彼らもCOVID-19禍で海外の活動がままならなくなり、
セルフ・プロデュースで制作せざるをえなくなったのでした。

アクースティックなスタイルで演奏した前作からがらり変わって、
今回は本来のエレクトリック・スタイルのギター・バンドに戻りましたね。
弾けるエネルギーが持ち味のフレッシュなバンド・サウンドは、
やっぱりエレクトリックの方が映えますよ。

しかも今作は、レーベル・メイトであるガーナのハイライフ・バンド、
サントロフィのホーン・セクションがゲスト参加して、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-05-15
バンド・サウンドにグンと厚みを加えています。
モコンバもツアーで鍛えられたんでしょう。バンドの一体感が増して、
個々のメンバーの演奏力も以前よりグンと向上しています。
トラストワース・サメンデが ‘Njawane’ で弾く流麗なギター・ソロなんて、
あれ、こんなにウマい人だったっけかと驚かされましたよ。

リード・ヴォーカルのマティアス・ムザザのいがらっぽい声は変わらずで、
味があるんだよなあ。デビュー作のときのような
若さにまかせてといった歌いっぷりから、貫禄がついて余裕が出た感じ。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2012-12-29
そしてモコンバの魅力は、マティアスが書く曲の良さにもあります。
フックの利いたメロディを書けるばかりでなく、曲調の幅が広がりましたね。

前作収録の3曲を再録音したヴァージョンも聴きものです。
リミックスとクレジットされているけれど、これはリメイクの間違いでしょう。
ホーン・セクション入り、エレクトリックのヴァージョンに衣替えして、
よりダンサブルな仕上がりとなりました。こっちの方が断然モコンバらしいよね。

今作で目立つのは、トンガ語ばかりでなく、ルヴァレ語、ニャンジャ語、ショナ語、
さらにコンゴ人シンガーのデソロBと組んだ ‘Makolo’ ではリンガラ語も歌っていること。
ルヴァレ語で歌ったタイトル曲 ‘Tusonal’ は、
ルヴァレの成人式ムカンダで踊られる仮面舞踏のマキシをテーマにしています。

祖先の霊と交信して祖先から教えを学ぶマキシは、若者の関心が薄れ、
いまや消滅寸前になっていて、その危機感からこの曲が生まれたとのこと。
ジンバブエの若手アーティスト、ロメディ・ムハコが手がけたジャケットのヴィジュアルも、
マキシにインスパイアされたもののようです。

モコンバは世界中を旅したことで、みずからのトンガの文化ばかりでなく、
ルヴァレやニャンジャなど周囲の伝統文化に敬意を払うことの意義を見出し、
南部アフリカの伝統とコンテンポラリーの融合のギアを、一段上げたようです。

Mokoomba "TUSONA: TRACINGS IN THE SOUND" Outhere OH037 (2023)
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新世代南ア・ジャズの旗手 ボカニ・ダイアー [南部アフリカ]

Bokani Dyer  RADIO SECHABA.jpg

ボカニ・ダイアーの新作は、彼がこれまでに吸収してきたさまざまな音楽を、
洗いざらい披露してみせたといった感じかな。
いや、それだけじゃないな。
ボカニ自身のヴォーカルを全面的にフィーチャーするという新たな冒険も加えて、
ものすごく多面的なアルバムに仕上がりましたね。

ボカニ・ダイアーのバイオは、11年の2作目を取り上げた時に書いたので、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-11-22
ここでは省きますが、本作は、その後ボカニが参加したマブタで示した
グローバルな新世代ジャズをさらに前進させたものとなっています。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-05-06

ボカニが20年にパンデミックのロックダウン下で発表した “KELENOSI” では、
エレクトロニックな表現を大胆に取り入れ、ロバート・グラスパーの影響色濃い
アコースティックとエレクトロニクスのテクスチャーを聞かせていましたけれど、
今回はボカニ自身のヴォーカルを乗せたことで、より雄弁になりました。

南ア国民を裏切ってきた指導者への怒りをツワナ語で歌った ‘Mogaetsho’、
‘Move on’ ‘State Of Nation’ の2~4曲目は、
R&B/ヒップ・ホップ色濃いトラック。
前半はグローバル・ジャズの影響の色濃いトラックが並びますが、
中盤から、南ア独特のヴォーカル・ハーモニーを聞かせる曲が登場します。
ボカニの妹シブシシウェ・ダイアーとともにツワナ語で歌う ‘Tiya Mowa’ や、
‘Ke Nako’ ‘Spirit People’ ‘Amogelang’ といったトラックですね。

‘Ke Nako’ は、20年に出された南ア・ジャズのコンピレーション “INDABA IS” の
オープニング曲の再演で、コンピレでは6分50秒あった演奏がこちらは4分39秒と、
トランペット・ソロが始まったところでフェイド・アウトしてしまうのが、なんとも残念。
本作はコンパクトにまとめたトラックが多いんですが、
ステンビソ・ベングのトランペット、リンダ・シカカネのサックスなど、
耳を引き付けるソロも随所で聴くことができます。

アルバム・ラストの ‘Medu’ は、ボカニは作曲のみで、演奏には参加していないインスト曲。
南アらしいレクイエムを思わせるホーン・アンサンブルのメロディに、グッときます。

Bokani Dyer "RADIO SECHABA" Brownswood Recordings BWOOD0304CD (2023)
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ワールド・トップ・クラスのポップス トトー・ST [南部アフリカ]

Toto ST  FLAVORS OF TIME.jpg   Toto ST  AVA-TAR.jpg

アンゴラのポップス才人、トトー・STの新作が2作同時リリース。
試聴もせず即買ったのは、14・19年作でこの人の才能にすっかり惚れ込んでいたから。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-06-09
駄作なんか作るわけないもんね、この人なら。

というわけで、さっそく “FLAVORS OF TIME” から聴いてみて、
いきなりオープニングの ‘Lovers’ にビックリして、大笑いしちゃいました。
英語アルバムだというので、何か仕掛けがあるとは多少予想していたとはいえ、
70年代シティ・ポップ丸出しのサウンドには、笑いが止まりませんでした。
イントロの古めかしくも懐かしいシンセの音色に、ええっ!
歌い出しのメロディにくすくす、にやにやが止まらず、
見事なまでにシティ・ポップをなぞったサビのコーラス・パートで、大爆笑。

いや、これ、明らかにネラった作りなんだけど、
シティ・ポップ・ブームって、世界の辺境=日本の地だけの出来事かと思ってたら、
アンゴラにもその波は届いてたんすか !?
桑田佳祐が「チャコの海岸物語」で、ヌケヌケと歌謡曲をやってのけた
パンクぶりに通じる所業だな、こりゃ。

ほかにも、ゲーテド・リヴァーブをかけたドラムスがもろに80年代の ‘Traveler’ や、
デイヴィッド・T・ウォーカーそっくりのギター(特にエンディング)を
マリオ・ゴメスが弾いている ‘One Of A Kind’、
曲調やコーラスの使い方がまんまスティーヴィー・ワンダーの
‘Take It No More’ などなど。いやぁ、恐れ入りました。
エジ・モッタの “AOR” に劣らぬ傑作じゃないですか。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2013-06-03

この人のソングライターの才能は、ほんとにズバ抜けてますね。
こんな曲も書けるんだというオドロキの連続で、どれも美メロ揃い。
せつなさがこみ上げる ‘Sunshine’ が個人的にはベスト・トラックかな。
これ、シティ・ポップ文脈でプロモートしたら、日本でヒット間違いなしと思うんだけど。
栗本斉さん、いかがですか?

うってかわって、“AVA-TAR” のオープニングは、
手拍子と重厚なコーラスによる南部アフリカのムードあふれるア・カペラでスタート。
そして2曲目以降は、トトー・STの作風を発揮した
ハイ・クオリティなコンテンポラリー・ポップ。
ソングライティングはフックが利いているし、歌はうまいし、
ジャズ・テイストが利いた生演奏のクオリティは上質と、
ケチのつけようがありません。

これまでトトー・STのソングライティングにアンゴラ色はなく、
ユニヴァーサルなセンスと思っていたけど、
“FLAVORS OF TIME” のあとに聴くと、
十分に南部アフリカのエッセンスが滲んでいることがわかりますね。
じっさい今回は、‘Kassukata’ でセンバのリズムを使っているし。

ほんと、ブルーノートやビルボードライブがブッキングしないのが、不思議なくらいだよね。
この人に足りないのは、マネジメントだけだな。

Toto ST "FLAVORS OF TIME" 17A7 17A722004 (2022)
Toto ST "AVA-TAR" 17A7 17A722005 (2022)
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再々復活後のUKツアー・ライヴ マハラティーニ&ザ・マホテーラ・クイーンズ [南部アフリカ]

Mahlathini and the Mahotella Queens  Music Inferno.jpg

88年6月にUK初上陸したマハラティーニ&ザ・マホテーラ・クイーンズは、
時の南ア音楽ブームのイキオイもあって熱烈な歓迎を受け、
翌89年、初の単独UKツアーとなる「ソウェトの不滅のビート」ツアーを敢行して、
大成功となります。そのUK初上陸時から、「ソウェトの不滅のビート」ツアーに至る
ベスト・パフォーマンス15曲が、このたび30年以上の時を経て蔵出しされました。

「さあ、これが本物のソウェト・サウンド、ンバクァンガだ!」という
威勢のいいMCからスタートするこのライヴ盤は、
80年代末に世界的なスターダムに上り詰めたンバクァンガの生の魅力が、
たっぷり捉えられています。
のちに彼らは日本にもやってきて、その強烈なライヴを体験しただけに、
懐かしさでいっぱいになりましたが、本作のライナーを読んでいたら、
世界的な成功までの知られざる紆余曲折が書かれていて、驚きました。

当時、欧米でわき上がったワールド・ミュージック・ブームによって、
サリフ・ケイタやユッスー・ンドゥールなど、アフリカ現地で人気沸騰のスターたちが、
次々とインターナショナルなステージに躍り出ましたが、
マハラティーニの場合は、ちょっと事情が違っていたんですね。

マハラティーニとマホテーラ・クイーンズは、
60年代後半から70年代前半にかけてが全盛期で、
80年代後半においては、すでに過去の存在だったからです。
当時の南ア音楽シーンでは、もはやンバクァンガの時代ではなく、
ソウルやディスコが台頭した、バブルガムの時代に移っていました。

しかし欧米では、往年のンバクァンガの録音を編集した
コンピレーションが盛んに出され、ポール・サイモンの『グレイスランド』が
世界的なヒットを呼んだことが決定打となり、現地で人気のバブルガムではなく、
ンバクァンガに国際的な注目が集まったのです。

Mahlathini & Mahotella Queens ISOMISO.jpg

70年代末にすでに解散していたマッゴナ・ツォホレ・バンドが、
83年にテレビ番組出演のため再結成したことは以前書きましたが、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-11-23
子育てを終えたマホテーラ・クイーンズのメンバーたちも現場復帰して、
再びマハラティーニと新グループのマハラティーニ・ネジントンビ・ゾンカシヨを組んで、
カムバック作 “ISOMISO” を制作しました。
(90年にフランス、セルロイドが、新グループ名義から元の名義に戻してCD化)
その後、マハラティーニとマホテーラ・クイーンズ、マッゴナ・ツォホレ・バンドは、
順調に活動をしていたとばかり思っていたんですが、そうではなかったんですねえ。

ライナーノーツによると、マッゴナ・ツォホレ・バンドが主演していたTV番組は、
85年に突然終了となり、マッゴナ・ツォホレ・バンドは再分裂。
新グループのマハラティーニ・ネジントンビ・ゾンカシヨも解散になってしまいました。
プロデューサーのウェスト・ンコーシが育ててきたレディスミス・ブラック・マンバーゾも、
ポール・サイモンのワールド・ツアーにとられてしまい、
ンバクァンガ・リヴァイヴァルは頓挫してしまったのでした。

Amaswazi Emvelo & Mahlathini  UTSHWALA BEGAZATI.jpg   Amaswazi Emvelo & Mahlathini  INDODEMNYAMA.jpg

ウェスト・ンコーシは事態を打開すべく、マハラティーニを
ンバクァンガ・ヴォーカル・グループのアマスワージ・エムヴェーロと組ませ、
マッゴナ・ツォホレ・バンドのメンバーを呼び寄せて、
フランスのフェスティヴァルに出演したところ、これが大反響を呼んだのだそうです。
アマスワージ・エムヴェーロとの共演に、こんないきさつがあったとは知りませんでした。

Mahlathini and The Mahotella Queens  THOKOZILE.jpg

フランスでのフェスティヴァルでの成功を受け、もう一度クイーンズと再々結成して、
昔のヒット曲を最新ヴァージョンでレコーディングすることをすぐさま企画し、
完成した “THOKOZILE” をひっさげ、87年にヨーロッパ・ツアーを行ったのでした。
ツアーはビザを延長せざるを得なくなるほどの盛況となって、年の暮れまで
ヨーロッパにとどまり、マハラティーニ&ザ・マホテーラ・クイーンズの評判は、
確たるものとなったのですね。
このヨーロッパ・ツアーの成功を受けて、翌年UK初上陸となったのです。

このライヴ盤は、“PARIS - SOWETO” “THOKOZILE” の2作から選曲され、
どれもスタジオ盤をはるかに上回るダイナミックなヴァージョンを聴くことができます。
ヨーロッパ・ツアーを経て、マハラティーニとクイーンズの自信に満ちた歌いっぷりと、
マッゴナ・ツォホレ・バンドのキレのあるタイトなサウンドが最高潮。
80年代のンバクァンガ・リヴァイヴァルを象徴する、名ライヴ盤の誕生です。

Mahlathini and The Mahotella Queens "MUSIC INFERNO" Umsakazo UM107CD
Mahlathini & Mahotella Queens with The Makgona Tsohle Band (Mahlathini Nezintombi Zomgqashiyo)
"ISOMISO" Celluloid 66868-2 (1983)
Amaswazi Emvelo & Mahlathini "UTSHWALA BEGAZATI" Ezom Dabu/Gallo CDGB19 (1985)
Amaswazi Emvelo & Mahlathini "INDODEMNYAMA" Ezom Dabu/Gallo CDGB20 (1987)
Mahlathini and The Mahotella Queens "THOKOZILE" Earthworks CDEWV6 (1987)
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呪術師の息子に捧ぐ ドゥドゥヴドゥ [南部アフリカ]

Duduvudu.jpg

南ア・ジャズのパイオニアである名サックス奏者、ドゥドゥ・プクワナのトリビュート作品。
バンドキャンプに23年3月3日発売とあったので、てっきり新作と思いきや、
どうやらリプレスだったらしく、14年12月8日に発売されていたんだそう。
知りませんでしたねえ。日本に入ってきたこと、なかったんじゃない?

サン・フランシスコ、ベイ・エリアで活躍するレコーディング・エンジニア兼ドラマーの
アンドリュー・スコットが企画制作した「ドゥドゥヴドゥ」は、
ドゥドゥゆかりのミュージシャンや、大勢の関係者が参加・協力した一大プロジェクト。
アンドリューは、イギリスのリーズ大学に留学していた66年に、
パブでブルー・ノーツを観て、ドゥドゥ・プクワナの音楽に深く感銘し、
以来、彼の長きにわたるドゥドゥ愛が、このプロジェクトに結実したんですね。

関係者には、ドゥドゥ未亡人のバーバラ・プクワナはじめ、
ブルー・ノーツのベーシスト、ハリー・ミラーとともにオガン・レコードを創立した
ハリー未亡人のヘーゼル・ミラー、そしてこのアルバムが
ラスト・レコーディングとなったトランペッター、ハリー・ベケットの未亡人
ヴェロニカ・ベケットなどの名前がみられます。

音楽監督は、ロンドン生まれ、サン・フランシスコ在住のフルート奏者クロエ・スコット。
09年11月にロンドンで最初の録音が行われ、その後サン・フランシスコで残りの録音をし、
1曲メンロー・パークでの録音もあります。
参加したミュージシャンは、年齢差60歳に及ぶ老若が集まった総勢30名。
ドゥドゥと共演経験があるミュージシャンでは、ハリー・ベケット(トランペット)、
アニー・ホワイトヘッド(トロンボーン)、
ニック・スティーブンス(ベース)が参加しています。

Dudu Pukwana In The Townships.jpg   Gwigwi Mrwebi Mbaqanga Songs.jpg

ドゥドゥの音楽性は、完全即興のフリーからアフロ・ロックまで、
幅広いことで知られていますけれど、ここではタイトルにゴスペルを冠したように、
クウェーラなど南アのタウンシップ・ミュージックの薫り高い
レパートリーを中心に選ばれているところが、個人的に嬉しいところ。
“IN THE TOWNSHIPS” 所収の ‘Ezilalini’ ‘Sonia’ ‘Angel Nemali’や、
グウィグウィ・ムルウェビでやった ‘Kweleentonga’ のカヴァーが、胸アツです。

プロジェクト名のドゥドゥとヴードゥーをかけたネーミングが、
かつてドゥドゥが参加したジョニー・ダイアニのスティープル・チェイス盤の
タイトル “WITCHDOCTOR'S SON” を思わせるところも、痛快です。

Duduvudu "THE GOSPEL ACCORDING TO DUDU PUKWANA" Edgetone EDT4144 (2014)
[LP] Dudu Pukwana and Spear "IN THE TOWNSHIPS" Caroline C1504 (1973)
Gwigwi Mrwebi "MBAQANGA SONGS" Honest Jons HJRCD103 (1967)
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南アのエレクトロニカ/ダウンテンポ フェリックス・ラバンド [南部アフリカ]

Felix Laband  DEAF SAFARI.jpg   Felix Laband  THE SOFT WHITE HAND.jpg

電子音楽という、まったく門外漢の分野ゆえ、
まったく知らずにいた南アの音楽家なんですが、その筋では有名な人だそうです。
ネット回遊中に見つけ、ジャケットのアートワークに惹かれて
試聴してみたところ、グングン引き込まれてしまいました。

15年の前作は、フェリックス・ラバンドの傑作と名高い作品だそうで、
物語性の強いトラックが並んでいて、
トータル・アルバムとしての完成度の高さは、
門外漢にも十分説得力があります。

ジャケットのアートワークのビザールな要素は、音楽からは感じられず、
むしろドリーミーで幻想的なサウンドに満ちています。
電子音楽といっても、内省的なシンガー・ソングライター的作品で、
チルアウト系ダウンテンポといっていいのかな。
精神世界に半歩踏み入れているようで、
リアルな現実と折り合いをつけているところに、
精神世界に耽溺しないバランスの良さを感じます。

新作は、ジョハネスバーグの爆破テロ事件のニュース音声に、
サイレンをコラージュした不穏なアンビエントからスタートします。
前作よりややダークなムードはあるものの、
前作にあった単調なハウス・ビートのトラックは影を潜め
ビートメイキングに磨きがかりましたね。

ループだけでなく、ギターやピアノでも作曲したと思われるソングライティングは、
しっかりとした骨格があって、ラップトップ・ミュージックとの違いを感じます。
12曲目に聞ける、マダガスカルのヴァリハのチューニングを狂わせたような
響きの弦楽器は、民俗楽器なのか、ハンドメイドの楽器なのか、
よくわからないんですけれど、こうした楽器音を取り入れるセンス、好きだなあ。

フェリックス・ラバンドのトラックは、クワイトや南ア・ハウスとも親和性が高いので、
電子音楽といっても、ぼくには取っ掛かりやすさがあったことも確かですね。
しかし、じっくりと聴くうちに、この人の音楽が持っているデリカシーに惹かれ、
共鳴するようになっていきました。
まだまだ未知なる分野に、心ソソられる音楽があって、興味は尽きません。

Felix Laband "DEAF SAFARI" Compost CPT470-2 (2015)
Felix Laband "THE SOFT WHITE HAND" Compost CPT605-2 (2022)
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ポスト・アパルヘイト時代のジャズの担い手 アンディレ・イェナナ [南部アフリカ]

Andile Yenana  WHO’S GOT THE MAP.jpg

マッコイ・ムルバタのアルバムを聴いていて、
アンディレ・イェナナのピアノがすごく良くって、
たしかソロ作を持っていたよなあと、棚をゴソゴソ。
あった、あった、07年作の“WHO’S GOT THE MAP?”。

正直なところ、中身をぜんぜん覚えていなくて、
あらためて聴いてみたら、こんな秀作だったとは、オドロキ。
トランペット、サックス、ベース、ドラムス、パーカッションのセクステット。
セロニアス・モンクの影響をうかがわせる楽曲に、
トーン・クラスターを多用するところも、もろにモンク。
同時代性のコンテンポラリーなジャズのなかに、
しっかりと南ア・ジャズの伝統が息づいていることがわかる演奏で、
しなやかな柔軟性をうかがわせるところに、新しい南ア世代の息吹を感じます。

すっかり感じ入ってしまって、ほかにどんなアルバムが出ているのかチェックしてみたら、
このアルバムと、02年に出た初ソロ作の2枚しかないんですね。
昨年、デジタル・リリースでビッグ・バンドとの共演作を出したようなんですが、
リーダー作の少ない人なんだなあ。
そのわりには、あちこちでアンディレ・イェナナの名は目にするよねぇ。
この夏に出たトゥミ・モゴロシの新作にも参加していたし。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-08-21

Zim Ngqawana  ZIMOLOGY.jpg   Zim Ngqawana  ZIMPHONIC SUITES.jpg
Mahube Music From Southern Africa.jpg   Louis Mhlanga  SHAMWARI.jpg

サックス奏者ジム・ンガワナと長く一緒に活動して、
ジム・ンガワナの代表作に名を残したほか、
サックス奏者スティーヴ・ダイアーが企画した南部アフリカ音楽プロジェクト、
マフベの一員でしたね。マフベには、オリヴァー・ムトゥクジも参加していたんだよな。
ほかに、南アにやってきて名声を得たジンバブウェ人ギタリスト、
ルイス・ムランガの名作“SHAMWARI” でも、サウンド・メイキングの要を担っていたし、
以前取り上げたベース奏者、ムルンギシ・ゲガナのアルバムにも参加しています。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-08-30

本作を数回聴いただけで、棚にしまっちゃった理由も、今としては良く分かるな。
アブドゥラー・イブラヒム世代のゴリゴリの南ア・ジャズと比べて、
南ア色が薄まったように思えて、当時は物足りなく感じたんでしょう。
アンディレ・イェナナは、68年東ケープ州キング・ウィリアムズ・タウン、
現在のコンエの生まれ。この世代の南ア・ジャズの音楽家は、
先達の伝統を引き継ぎつつも、コンテンポラリー色を強めて、
自分たちの世代の洗練されたグローバルなジャズを目指していたんですよね。

アパルトヘイトが撤廃された94年に、南アで設立されたインディ・レーベル、
シアー・サウンドもまた、そうしたポスト・アパルヘイト時代に向けて
新しいジャズを後押ししていたことが、今となってはよく理解することができます。

なめらかなピアノの音色の美しさを聞かせるソロ・ピアノに、
この世代ならではのしなやかさを感じます。

Andile Yenana "WHO’S GOT THE MAP?" Sheer Sound SSCD120 (2007)
Zim Ngqawana "ZIMOLOGY" Sheer Sound SSCD038 (1998)
Zim Ngqawana "ZIMPHONIC SUITES" Sheer Sound SSCD072 (2001)
Mahube "MUSIC FROM SOUTHERN AFRICA" Sheer Sound CHRSS75010 (1998)
Louis Mhlanga "SHAMWARI" Sheer Sound SSCD074 (2001)
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南ア・ジャズを活況へ繋いだ世代 マッコイ・ムルバタ [南部アフリカ]

McCoy Mrubata  HOELYKIT.jpg

たんまり旧作南ア盤を入手したので、今回もその話題。
サックス奏者マッコイ・ムルバタの00年作であります。
以前、この人のブラスカップ・セッションを取り上げたことがありました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-10-01
セッション第2作は、マラービをリヴァイヴァルさせたトラックがあるなど、
古き南ア音楽に回帰した意欲的な快作で、愛聴しました。

本作はそれよりも古い作品で、
サックス奏者マッコイ・ムルバタの魅力を全面に出したアルバム。
アルト、テナー、ソプラノ、サクセロ、フルートを、曲によって吹き分けています。
タイトル曲の1曲目 ‘Hoelykit?’ は、なんとスティールパンをフィーチャーしたカリプソ。
南ア・ジャズと思いきや、いきなりハッピーな、
ナベサダの「カリフォルニア・シャワー」みたいな曲が飛び出して、意表を突かれます。

おかげで、いきなり肩の力が抜けて、リラックスしちゃいましたけれど
2曲目からは、アンディル・イェナナ(p)、ハービー・ツォエリ(b)、
マラボ・モロジェレ(ds)を伴奏とする、王道の南ア・ジャズを聞かせてくれます。

キッピー・ムケーツィに捧げたバラード ‘Philan’ は、胸に迫るエレジー。
マッコイのフルートとフェヤ・ファクのフリューゲルホーンが、涙を誘います。
続く ‘Obsession’ のサクセロがつむぐ優しいメロディも、心に刺さるなあ。
ソウェト生まれのジャズ・ヴォーカリスト、
グロリア・ボスマンのポエットをフィーチャーした
‘Romeo & Alek Will Never Rhyme’ も、いい。
マッコイ・ムルバタが書く曲はどれも、歌ゴコロが溢れていますね。

もっともジャズ的スリルに富んだトラックは、8曲目の ‘Amasabekwelangeni’。
テナー・サックスをブロウしまくるソロといい、
アンディル・イェナナのピアノ・ソロといい、
最高のビバップを聞かせてくれます。

マッコイ・ムルバタは、ジモロジーで名を馳せた
サックス奏者ジム・ンガワナと同じ、59年生まれ。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-05-31
ジム・ンガワナは11年に亡くなってしまいましたけれど、
アパルトヘイト時代を生き抜いたこの世代の活躍があったからこそ、
現在の南ア・ジャズ・シーンの活況に繋がったのは、間違いないですね。

McCoy Mrubata "HOELYKIT?" Sheer Sound SSCD059 (2000)
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美しく尊いつぶやき ドロシー・マスーカ [南部アフリカ]

Dorothy Masuka  Nginje.jpg

2019年2月23日に亡くなった南アの名歌手、ドロシー・マスーカ。
亡くなる前年にアルバムを出していたのは知っていたんですけれど、
アパルトヘイトが撤廃されて、南アへ帰還してからの作品は、
声がもうぜんぜん出なくなっていて、このアルバムも聞かずじまいになっていました。

ラスト・アルバムなんだし、せっかくだから聴いておくかと、
まったく期待もせず買ってみて、ガクゼンとしちゃいました。
いやぁ、これは素晴らしいアルバムじゃないですか。声は衰えているんだけれど、
老いたドロシーに優しく寄り添う伴奏が素晴らしくて、聴き入ってしまいました。

ドロシー・マスーカは、1935年9月3日南ローデシア(現ジンバブエ)のブラワヨの生まれ。
母親が経営するレストランで、ツァバ・ツァバを歌って小銭稼ぎをしたのがはじまり。
16歳の時に学校のコンテストで歌ったところを、
トルバドール・レコードのタレント・スカウトに見染められ、
初録音したドロシーの自作曲 ‘Hamba Notsokolo’ が大ヒットを呼びます。
一躍人気歌手となったドロシーは、50年代にミリアム・マケーバと並んで活躍しました。
そんな黄金時代の53~60年録音をまとめたのが、“HAMBA NOTSOKOLO” で、
いまなおこれを凌ぐ編集盤はない、ドロシーの決定盤です。

Dorothy Masuka  Hamba Notsokolo.jpg   African Jazz Variety.jpg

54年にドロシーは、
アフリカン・ジャズ・アンド・ヴァラエティ・ショウに参加しています。
南ア黒人による初の演芸ショウを催したこの歌劇団は、国内を巡業して大人気を呼び、
ドロシーのほか女優のドリー・ラテーベなど、数多くのスターを輩出しました。
ドロシーは入っていませんけれど、この歌劇団の10インチ盤があります。

マケーバと同様に亡命生活を送っていたドロシーは、
92年に新生南アへ帰還後、音楽活動を再開しましたが、
その歌声に50年代の黄金時代の面影を聴き取ることは、できなくなっていました。

そんなわけで、カムバック後のドロシーに関心を持てなかったんですけれど、
スティーヴ・ダイアーがプロデュース、エンジニア、ミックスをしたこの遺作は、
ドロシーのソングライターとしての才能にスポットをあて、楽曲の良さを引き立てています。
生音を強調したシンプルな伴奏で、また、ドロシーの声の衰えが目立ないよう、
最大限に配慮したプロデュースをしているところに、
スティーヴ・ダイアーのドロシーに対する敬意の念がにじみ出ていますよ。
ちなみに、息子のボカニ・ダイアーも2曲で参加しています。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-11-22

あらためて思うのは、ドロシーが書いた楽曲の良さですね。
考えてみれば、10代で初レコーディングした時から、自作の曲を歌えたのって、
50年代当時としても、かなり画期的だったはず。
デビュー当初から、歌手だけでなく、作曲家としても評価されていた証拠でしょう。

マラービの時代を再現するかのように、サウンドがなめらかで、まろやか。
尖った音はまったく出てこなくて、隙間のある音づくりに、肩がほぐれます。
ドロシーがつぶやくように歌う ‘Manyere’ なんて、
往年のマラービらしい温かみたっぷりで、思わずほっこりしてしまいますよ。
スティーヴが吹くサックスの音色の優しいことといったら。
終盤のハービー・ツオエリのベース・ソロも聴きもの。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-11-24

パーカッションと控えめなアコーディオンとベースをバックに歌う
‘Mzilikazi’ は、寄せては返すゆったりとしたリズムで、
反復するメロディを歌うスピリチュアルな曲。
ドロシーの母方の祖母がサンゴマだったことと、関連がありそうな曲です。
同系統の曲では、ンビーラとパーカッションをバックに歌った ‘Kulala’ は、
スピリチュアルというより、子守唄のよう。

サックスのリフで始まる ‘Yombele Yombele’ は、
いかにもマラービらしいキャッチーなメロディで、ニンマリと頬がゆるみます。
ドロシーのシグニチャー・ソングとなった ‘Hamba Notsokolo’ も歌っていて、
イントロのアクースティック・ギターを聴いただけで、
ぱあっと満面の笑みになっちゃいました。

ドロシーのつぶやきヴォイスが、メロディの美しさを引き立てた遺作。
尊さすらおぼえる作品です。

Dorothy Masuka "NGINJE" Gallo CDGMP1802 (2018)
Dorothy Masuka "HAMBA NOTSOKOLO" Gallo CDZAC60
[10インチ] King Jeff and African Jazz Troupe, Ray Makelane, The Woody Woodpeckers, David Serame, Barbara Thomas, Sonny Pillay, Ben (Satch) Masinga "AFRICAN JAZZ AND VARIETY" South African Institute of Race Relations PR4 (1952)
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変名で出たマヴテラのハウス・バンド マッコネ・ゾンケ・バンド [南部アフリカ]

Makhona Zonke Band  THE WEBB.jpg

うわぁ、これ、CDが出てたのか!
めっちゃ嬉しい南ア盤CDを手に入れちゃいました。マッコネ・ゾンケ・バンドの76年作。
07年にCDリイシューされていたとは意外。
この当時、南アのガロは、「ジ・アーリー・イヤーズ」シリーズで、
旧いカタログを精力的にCDリイシューしていましたけれど、
本作はそのシリーズと関係なく単独CD化したものらしく、気付きませんでしたよ。

で、そのマッコネ・ゾンケ・バンド、そんなバンド、聞いたことないという人でも、
カンのいい南ア音楽ファンなら、ピンとくるんじゃないかな。
そうです。かのマッゴナ・ツォホレ・バンドの変名バンドなんですよ。

マッゴナ・ツォホレ・バンドは、マハラティーニとマホテーラ・クイーンズの
バック・バンドとして世界的に有名になりましたけれど、
もとはといえば、ガロが64年に黒人音楽部門を独立させて作った音楽会社、
マヴテラ・ミュージック・カンパニーのハウス・バンドだったのでした。
いわば、モータウンにおけるファンク・ブラザーズと同じね。

ソト語で「なんでもできるバンド」と名付けられたメンバーは、
アルト・サックスのウェスト・ンコーシ、ベースのジョゼフ・マクウェラ、
リード・ギターのマークス・マンクワネ、リズム・ギターのヴィヴィアン・ングバネ、
ドラムスのラッキー・モナマの5人。

裏方ゆえに、バンド名義のアルバムは数少なく、
64年に結成してから、67年の“LET'S MOVE WITH MAKHONA TSOHLE BAND”
の一枚があるのみで(このアルバムでは、 Maghona ではなく、 Makhona だった)、
70年代のアルバムでは、今回見つけた76年の変名バンドの名義作のほかは、
2年前にイギリスでLPリイシューされたオムニバスの体裁で出た、
70年の“MAKGONA TSOHLE REGGI” があるのみだったのです。

“MAKGONA TSOHLE REGGI” はオムニバスで、
マッゴナ・ツォホレ・バンド名義は4曲のみ。
さすが「なんでもできるバンド」で、スカやレゲエもやっていますよ。
他はマッゴナ・ツォホレのメンバーによる、ソロ・プロジェクトのバンドの曲で、
マッゴナ・ツォホレ・ファミリーのアルバムといえるかもしれません。

もっとも、67年作の“LET'S MOVE WITH MAKHONA TSOHLE BAND” でも、
曲ごとにマークス・マンクワネ&ヒズ・バンドだとか、
ジョゼフ・マクウェラ&ヒズ・コマンダーズとか書かれていて、
マッコナ・ツォホレ・バンドの名前は、アルバム・タイトルだけだったんですよね。
ここらへんは、南ア音楽業界の慣習みたいなものなんだろうなあ。

さて、今回見つけた変名バンドの76年作は、
マッゴナ・ツォホレ・バンドの5人に加え、オルガンのキッド・モンチョと、
テナー・サックスのロジャー・シェズ、アルト・サックスのティースプーン・ンデルに、
ヴォーカリスト3人が参加して制作されたアルバム。
管楽器がウェスト・ンコーシ一人でなく、
3管となったおかげで音の厚みがグッと増して、アーシーなサウンドを堪能できます。

このアルバムの1年後の77年に、マヴテラのプロデューサー、
ルパート・ボパペが脳卒中で倒れて音楽業界から引退してしまい、
マッゴナ・ツォホレ・バンドは解散してしまいました。
本作は解散直前の作品だったわけですが、
70年代のンバクァンガ・サウンドが詰まった名盤といえます。

Makgona Tsohle Band  MATHAKA.jpg   Makgona Tsohle Band  MATHAKA VOL.2.jpg

ちなみに、その後マッゴナ・ツォホレ・バンドは、
83年にテレビのミュージカル・コメディー番組出演のため再結成します。
『ポップ・アフリカ800』では、この再結成後の大ヒット作
“MATHAKA VOL.1” を選んだんですが、このアルバムは、
60~70年代のンバクァンガ黄金時代のヒット曲を再演したもので、
じっさいのテレビ番組では、放送されなかったようです。
83年11月28日に “MATHAKA VOL.1” 発売後、テレビ番組で放送された曲を
収録した “KOTOPO VOL.2” が同年12月5日に出ました。
(CDは “MATHAKA VOL.2” と改題)

この2作は、60年代とも70年代とも違う、
80年代のンバクァンガ・サウンドが楽しめるのがキモ。
マッゴナ・ツォホレ・バンド不在によって、ンバクァンガの人気が衰え、
ソウル/ディスコのバブルガム全盛となっていた時代ですけれど、
リズム・セクションがソリッドになり、リードとリズム・ギターの絡みに
ニュアンスが深まった、80年代ならではのマッゴナ・ツォホレの良さが溢れ出ています。

この2作も、ガロの「ジ・アーリー・イヤーズ」で07年にCD化していたんですが、
同じ年に70年代のマッゴナ・ツォホレを代表する本作も、CD化していたのですね。

Makhone Zonke Band "THE WEBB" Gallo CDBL73(FFN) (1976)
The Makgona Tsohle Band "MATHAKA VOL.1" Spades/Gallo CDGB71 (1983)
The Makgona Tsohle Band "MATHAKA VOL.2" Spades/Gallo CDGB72 (1983)
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蘇った19世紀末の南ア合唱団 [南部アフリカ]

Philip Miller & Thuthuka Sibisi  THE AFRICAN CHOIR 1891 RE-IMAGINED.jpg

5年前に、こんな面白いCDが出ていたんですねえ。
南アの作曲家フィリップ・ミラーとトゥトゥカ・シビシが、
19世紀末の南ア合唱団の演奏を再現したプロジェクト。

本作はサウンド・インスタレーションとして企画され、
イングランド芸術評議会の後援を受けた学芸員調査を経て、
16年にロンドンで初公開されています。
その後ケープ・タウンでレコーディングされた本CDが17年に制作され、
ケープ・タウンを皮切りに、ジョハネスバーグの博物館やギャラリーを巡回しました。

展覧会で展示された肖像写真は、125年以上にわたって未公開だったもので、
ヴィクトリア朝の大英帝国におけるアフリカ人シッターを捉えた写真コレクションとして、
もっとも包括的な作品群だったそうです。
展覧会では15枚の大型ポートレートが展示され、
ミラーとシビシが新たに作編曲した本CDの5曲が、
会場のサラウンド・システムでループ再生されました。

さて、その合唱団はというと、
1891年から1893年にかけてイギリスとアメリカを巡業した、
南アフリカ共和国の若い男女14名と子供2名からなるグループで、
表向きはケープ・コーストに技術専門学校を建設し、
拡大する黒人労働力を支援するための資金調達が目的だったとのこと。
ウォルター・レティとジョン・バルマーがキンバリーでリクルートしたメンバーは、
いずれも教養のある敬虔なキリスト教徒で、
なかにはグラスゴー宣教師協会が東ケープ州に設立した
宣教師学校のラブデール・カレッジを卒業した者も何人かいたそう。

イギリスへ渡った彼らは、
クリスタル・パレスでイギリスの貴族や政治家のために合唱を披露し、
ワイト島のオズボーン・ハウスでは、ヴィクトリア女王のために演奏し、
大喝采を浴びたそうです。
彼らのステージのレパートリーは、英語で歌われるキリスト教の賛美歌と、
大衆的なオペラのアリアやコーラス、そしてアフリカの伝統的な賛美歌で
構成されていました。アフリカの伝統的な衣装と、
ヴィクトリア朝の衣装それぞれをまとって登場したそうです。

The African Choir 3.jpg
The African Choir 1.jpgThe African Choir 2.jpg

アフリカの伝統衣装を身にまとった写真がジャケットに飾られていますが、
これは、当時の新聞に使われた写真がノー・トリミングで載せられたものです。
それがわかったのは、“BLACK EUROPE” 所収の図鑑にあったからなのでした。
図鑑第1巻の1ページ目には、彼らの写真が飾られているばかりでなく、
当該の新聞記事やコンサート・プログラムの表紙も載っていました。
彼らの録音が残されず、聴くことがかなわないのは残念なんですが。
(図版は、BLACK EUROPE by Jeffrey Green, Rainer E. Lotz and Howard Rye 
Bear Family Productions Ltd., 2013 より引用)

Black Europe.jpg

“BLACK EUROPE” は、
13年にベア・ファミリーが500部限定で制作した44枚組CDセットで、
1880年代から1920年代後半にかけてヨーロッパで活躍した、
世界各国の黒人政治家、パフォーマー、
俳優、エンターテイナーたちを詳細に表わした画像と
ドキュメントを収録した図鑑2巻を含む、前代未聞のコンピレーションでした。
本CDではジ・アフリカン・クワイアと表記されていますが、
“BLACK EUROPE” から引用した図版を見ると、ザ・サウス・アフリカン・クワイア、
ジ・アフリカン・ネイティヴ・クワイアなどの表記がみられます。

さて、本CDの内容ですけれど、1891年の夏にロンドンで行われた、
オリジナルのコンサート・プログラムに基づいて、ミラーとシビシが曲を作り直したもので、
厳密に当時のままではないとはいえ、当時の音楽性はしっかりと伝わってきます。
録音には、プロの合唱団のメンバーやオペラ歌手が14人集められました。
当時のレパートリーには、女王の前でも披露しただけあって、
‘God Save The Queen’ といった曲もありますが、
意外だったのは、南アの民俗色を強調したパフォーマンスもあったことです。

‘Footstomp’ がそれで、足踏みダンスのリズム曲はのちのンブーベでも聞かれる、
ズールーの合唱音楽には欠かせないパフォーマンスですね。
南ア・ポピュラー音楽史上初の重要作曲家で、
ミッション系合唱団を率いたルーベン・カルーザの30年代録音より、
南ア黒人色を明確に打ち出していることに、ちょっと驚きました。

合唱団のメンバーだったシャーロット・マクセケ(旧姓マニエ)とポール・シニウェは、
のちに南アフリカの社会活動家として活躍したといいます。
シャーロット・マニエは、1901年に27歳で
オハイオのウィルバーフォース大学も卒業していて、
この合唱団に参加してアメリカへ渡ったことが、大きな飛躍へと繋がったんでしょうね。

Philip Miller & Thuthuka Sibisi "THE AFRICAN CHOIR 1891 RE-IMAGINED" Autograph ABP/Tshisa Boys no number (2017)
v.a. "BLACK EUROPE: The Sounds And Images Of Black People In Europe Pre-1927" Bear Family BCD16095
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南アのジャジー・フォーク・ソウル ピラニ・ブブ [南部アフリカ]

Pilani Bubu  FOLKLORE CHAPTER 1.jpg

南アのシンガー・ソングライター、ストーリーテラーのみならず、
テレビ番組のプレゼンター、インテリア、ブランド・コンテンツのクリエイターなどの
ビジネス・ウーマンとしてマルチな活躍をするピラニ・ブブの19年作が、
フランスでフィジカル化。南アではデジタル・リリースのみだったのです。

本作は、20年の南アフリカ音楽賞(SAMA)で、
ベスト・アフリカン・アダルト・コンテンポラリー・アルバムを受賞した作品です。
ピラニは、84年にアパルトヘイト時代にトランスカイと称された
コサ人自治区のムタタ(現在は東ケープ州)に生まれたルーツを反映して、
ンバクァンガやイシカタミヤをとびっきり洗練させたスタイル、
「ジャジー・フォーク・ソウル」を自称しています。

ここまで洗練の度を高めると、「フォークロア」とタイトルで謳ってみても、
野性味や土臭さとはまるで無縁な音楽だから、
先日記事にした、ジブチのヤンナ・モミナにカンゲキするような嗜好の持ち主には、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-09-28
いささか清く正しすぎやしないかと感じるのが、正直なところ。
なんだか、公共放送の教育番組の音楽みたいで、ねぇ。
もちろん南アらしいオーガニックな味わいなので、
一般ウケする聴きやすいアルバムだとは思いますけれども。

じっさい、この人の経歴を見れば、プレトリア大学で商学士号を取得後、
さらに法学、マーケティング、経営学を学ぶために、
アメリカのジョージア大学にも留学していて、めっちゃエリートやん。
で、じっさいビジネスの場から音楽活動に軸足を変えたのは、
12年にニュー・オーリンズを訪れた際、初めて人前で歌ったことが決め手となり、
勤めていた会社をやめたんですって。

まぁ、そういうキャリアの人なので
めちゃくちゃコンテンポラリーな音楽に仕上がるのは、当然の帰結。
歌手となるきっかけとなったニュー・オーリンズへは、
その後もたびたび訪ねてステージに立っていて、
アフリカ各国、ヨーロッパ、アメリカをツアーしています。

フォークロア・フェスティヴァルで出会ったという、
ケニヤのパビリオン、レソトのレオマイル、ガーナのスティヴォー・アタンビレ、
ワンラヴ・ザ・クボローとのコラボレーションが深まると、
彼女のジャジー・フォーク・ソウルが、また新たな発展をしそうですね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-08-23

Pilani Bubu "FOLKLORE CHAPTER 1" Bupila/Music Development Company MCD029 (2022)
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半世紀を経て再評価 パット・マッシキザ [南部アフリカ]

Pat Matshikiza  SIKIZA MATSHIKIZA.jpg

『ミュージック・マガジン』が「南アフリカのジャズ」を特集したのは、時宜を得た好企画。
吉本秀純さんの概説が素晴らしいので、ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思います。
ジャズ評論家は南ア音楽を知らないし、
ワールド・ミュージック評論家はイマのジャズを知らないから、
両方に精通して解説できるのは、日本じゃ吉本さんしかいないんじゃないかな。

ところで、特集記事のアルバム選ではないんだけれど、同号の輸入盤紹介に、
パット・マッシキザの75年作”TSHONA!” が載るとは、こりゃまたなんて奇遇な。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-06-26
以前ザ・ヘシュー・ベシュー・グループをリイシューしたカナダのレーベルが、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-11-29
500部限定でLPリイシューしていたのか。へぇ~。
でも、CDは作っていないんだね。うしし、ワタクシが入手した南ア盤CDのレア度は、
下がっておりません(←マニア根性ムキ出しでイヤらし)。

このレーベルでは、アッ=シャムス・アーカイヴ・シリーズと銘打って、
アッ=シャムス原盤の計4タイトルをLPリイシューしていたんですね。知らなかったなあ。
カタログを見たら、パット・マッシキザが”TSHONA!” に続き、
76年に出した“SIKIZA MATSHIKIZA” もリイシューされているじゃないですか。
“SIKIZA MATSHIKIZA” のCDは、昔から持っていたんだよね、えへん。

たぶんこのCDを持っている日本人なんて、ぼくだけなんじゃないかな。
日本どころか、Discogs にだって、この南ア盤CDの記載はないし。
それくらい南ア・ジャズは、ジャズ・マニアにも、
ワールド・マニアにも知られざる存在だったんですよ。

パット・マッシキザがアパルトヘイト下の南アにとどまり続けて、
苦難の人生を送ったことは、以前の記事でも触れましたけれど、
ソロ・アルバムは75年と76年の2作と、晩年の05年に残したたった3作しかありません。
あとは若き日の64年に、ドラマーのアーリー・マブザ・カルテットの一員として録音した、
“CASTLE LAGER JAZZ FESTIVAL 1964” の片面(B面)5曲があるのみ。

Dollar Brand  MANNEBERG.jpg   Mankunku Yakhal' Inkomo.jpg

南ア・ジャズの傑作として名を残した”TSHONA!” のタイトル曲は、
反アパルトヘイトを象徴するアンセムとして、多くの南ア人の記憶に残る
3大ジャズ・チューンのひとつになりました。
残りの2曲は、ダラー・ブランドの‘Mannennberg’ で、これはソウェトに並ぶ、
黒人たちが強制移住させられた居住地の地名ですね。
もう1曲はウィンストン・マンクンク・ンゴジの‘Yakhal' Inkomo’。
こちらは屠殺場に向かう牛の咆哮で、自由を奪われる黒人たちを暗喩したものでした。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-06-20

”TSHONA!” の翌年に出した“SIKIZA MATSHIKIZA” も、
50年代に在籍していたザ・ジャズ・ダズラーズ時代からの盟友
アルト・サックスのキッピー・ムケーツィが参加。
ほかのメンバーは”TSHONA!” とは交替していて、
スピリッツ・リジョイスのメンバー、ギルバート・マシューズ(ds)、シフォ・グメデ(b)、
ドゥク・マカシ(ts)、ジョージ・タイフマニ(tp)に、
ギタリストのサンディル・シャンジが参加。
このサンディルのギター・ソロが、聴きものです。

パットはピアニストの名家に生まれた、ピアニストになるべくしてなった人。
父のミークリー“フィンガーチップ”マッシキザは、
東ケープ州のクイーンズタウンで開催される
アイステッドフォッド(国立のコンクール)の公式ピアニストで、
父方の叔父トッド・マッシキザは、
ミュージカル、キング・コングに曲を提供した名ピアニストにしてジャーナリストで、
パットもトッドにピアノを教わったそうです。
パットの6人兄弟も全員、幼い頃からピアノを習い、演奏していたとのこと。

そんな環境も才能にも恵まれたパットでしたけれど、
そのすべてをアパルトヘイトに阻まれた生涯を送りました。
晩年は貧困のなか、体調を崩して車椅子生活を送り、
妻に先立たれた1週間後、心臓発作でこの世を去ります。
14年12月29日のことでした。

こうして振り返ると、70年代半ばにわずか2作といえど、
録音を残せたのは恵まれたといえるのかもしれません。
タウンシップの誇り高い名作を、半世紀を経て再評価されるようになったことを、
素直に喜びたいと思います。一人でも多くの人の耳に届くことを願って。

Pat Matshikiza "SIKIZA MATSHIKIZA" As-Shams/EMI CDSRK(WL)786161 (1976)
Dollar Brand "MANNEBERG - ‘IS WHERE IT’S HAPPENIING’" As Shams/EMI CDSRK (WL)786134 (1974)
Mankunku "YAKHAL’ INKOMO" Gallo CDGSP3123 (1968)
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静謐な南ア・ジャズ マルコム・ジャネ [南部アフリカ]

Malcolm Jiyane Tree-O  UMDALI.jpg

南ア・ジャズの力作が続々届きますね。
ジョハネスバーグ出身のトロンボーン、ピアノ、ドラムスのマルチ奏者、
マルコム・ジャネ率いるツリー=オーの初アルバムです。
先月記事にしたトゥミ・モゴロシのアルバムと同じ新興レーベル、
マッシュルーム・アワー・ハーフ・アワーからリリースされました。

マルコム・ジャネは、マッシュルーム・アワー・ハーフ・アワーから、
76年ソウェト蜂起をドキュメントした映画“UPRIZE!” のサウンドトラックを、
SPAZAの名義で20年に出しています。
“UPRIZE!”制作の折、マッシュルーム・アワー・ハーフ・アワーの
プロデューサーが、18年にレコーディングしたまま眠らせていた
本作の音源の存在を知り、リリースを即決したのだそう。

ツリー=オーは、ピアノ、ベース、ドラムス、トランペット×2、アルト・サックス、
パーカッションの7人編成。パーカッションは、シャバカ・ハッチングスの
ジ・アンセスターズでも活躍するゴンツェ・マケネです。

全5曲、マルコム・ジャネの作編曲で、
マルコムの個人的な状況を反映した、スナップショット的作品となっています。
オープニングの‘Senzo seNkosi’ が暗示するとおり、
アルバム全体を静謐なトーンが覆っています。

レクイエムのように聞こえる‘Senzo seNkosi’ は、
亡くなったマルコムの親友で、ツリー=オー結成当初のベーシストに捧げられた曲。
音色に感情があり、物語性を帯びたアレンジの描写力が胸に刺さります。
続く‘Umkhumbi kaMa’ も1曲目同様、静かに始まり、
やがてアンサンブルがしなやかに躍動していく曲。

トロンボーン奏者の大先達ジョナス・グワングワに捧げた
‘Ntate Gwangwa's Stroll’ はブルース調の曲で、ホッとするような明るさがあります。
といっても、アンサンブルはにぎやかになるどころか、
音数を極度に抑えたアレンジが施されているんですね。
最後に、トランペットと一緒にマルコムがチャントする場面で、
ほのかなレイジーなムードが香り、穏やかな温かみが伝わってきます。

アルバム終盤の2曲‘Life Esidimeni’ と‘Moshe’ に至って、
ようやく南ア・ジャズらしい解放的なアンサンブルに代わって、
それまでの静謐で音数少なく抑制されていたアンサンブルが、
一気に解放され、自由奔放さ発揮します。

マルコムのパーソナルな着想によって生み出された作品ながら、
アパルトヘイト時代を経て共有されてきた南ア黒人たちの歴史が、
静かに横たわっているのを強く感じさせるアルバムです。

Malcolm Jiyane Tree-O "UMDALI" Mushroom Hour Half Hour M3H009CD (2021)
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ブラック・ミュージックとしてのジャズ トゥミ・モゴロシ [南部アフリカ]

Tumi Mogorosi  GROUP THEORY BLACK MUSIC.jpg   Max Roach  IT'S TIME.jpg

60年ぶりによみがえった、マックス・ローチの“IT'S TIME”!
これを聴いたら、ジャズ・ファンの誰しもがそう思いますよね。
アイディアの源はそれとわかっても、
本作はあのアルバムの焼き直しでも、イミテイションでもありません。
ここに込められたエネルギーは、公民権運動に呼応したマックス・ローチの気概を、
現代に受け継いだものと、はっきり伝わってくるじゃないですか。
これぞ、ブラック・ミュージックとしてのジャズでしょう。

いやぁ、度肝を抜かれましたねえ。
ジャケ写にただならぬ雰囲気を感じたとはいえ、これほどの内容だとは。
ンドゥドゥーゾ・マカティーニの新作にぶっ飛んだばかりというのに、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-06-08
またしても南アから、黒人意識を鮮明にしたジャズ作品が登場しました。

奇しくも、シャバカ・ハッチングスのジ・アンセスターズで、
ンドゥドゥーゾとともに活動しているドラマー、トゥミ・モゴロシのリーダー作であります。
ピアノ、ベース、ドラムス、アルト・サックス、トランペット、ギターのセクステットに、
テンバ・マセコ指揮による9人の合唱団が加わって制作されています。

Donald Byrd  A New Perspective.jpg   Andrew Hill  LIFT EVERY VOICE.jpg
Billy Harper  CAPRA BLACK.jpg   King Kong.jpg

合唱団を活用したジャズ作品は、マックス・ローチの“IT'S TIME” 以降も、
ドナルド・バードの “A NEW PERSPECTIVE”、
アンドリュー・ヒルの“LIFT EVERY VOICE”、
ビリー・ハーパーの“CAPRA BLACK” があり、
アフリカン・ディアスポラのブラック・ジャズの伝統といえますね。
南ア音楽史においても、オール黒人キャストのジャズ・オペラ
“KING KONG” があるように、トゥミ・モゴロシはそうした先人たちの
スピリットを受け継いでいるといえます。

Salim Washington.jpg

トゥミのオリジナル曲に加えて、スピリチュアルの名曲
‘Sometimes I Feel Like A Motherless Child’ を取り上げたのも、
大西洋を隔てながら、黒人同士の連帯を確かめようという意志を感じます。
ラスト・トラックで、南ア詩人のレセゴ・ランポプロケンが朗読して、
このアルバムのフィナーレを飾っていますが、レセゴ・ランポロケンは、
アメリカのサックス奏者サリム・ワシントンが、
南アのジョハネスバーグでレコーディングした
17年作“SANKOFA” (デジタル・リリースのみ)にも参加していましたね。
このアルバムには、トゥミのほか本作のベーシストのダリス・ンドゥラジに、
ンドゥドゥーゾ・マカティーニも参加していたので、
本作の制作のヒントになったのかもしれません。

不安と不協和を示す男女合唱が終末感を漂わせる一方、
点描的なドラミングがアンサンブルを自由に動かし、
両者の相互作用を引き出していきます。
セクステットがパンチの利いた即興を奏でている間、
じっさいは合唱隊は休んでいるのに、恐怖を暗示する合唱隊の声が
背後から聞こえてくるような気がして、トゥミのアレンジのたくらみを感じます。

Tumi Mogorosi "GROUP THEORY: BLACK MUSIC" Mushroom Hour Half Hour/New Soil M3H010/NS0023CD (2022)
Max Roach His Chorus and Orchestra "IT'S TIME" Impulse! IMPD185 (1962)
Donald Byrd "A NEW PERSPECTIVE" Blue Note CDP7-84124-2 (1964)
Andrew Hill "LIFT EVERY VOICE" Blue Note 7243-5-27546-25 (1970)
Billy Harper "CAPRA BLACK" Strata-East SECD9019 (1973)
v.a. "KING KONG: ORIGINAL CAST" Gallo CDZAC51R
Salim Washington "SANKOFA" (2017)
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南ア版ブッカー・T&ジ・MGズ ザ・ムーヴァーズ [南部アフリカ]

The Movers  1970-1976.jpg   The Movers  GREAT SOUTH AFRICAN PERFORMERS.jpg

う~ん、いいジャケットですねえ。
70年代南アで人気を博したインストゥルメンタル・ソウル・バンド、
ザ・ムーヴァーズのコンピレーションです。
以前、オルガン・ソウル・インスト・バンドのブラック・ディスコの記事を書きましたが、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-07-09
ザ・ムーヴァーズこそ「南アのブッカー・T&ジ・MGズ」と呼ぶにふさわしいバンド。
腕利きのミュージシャンがスタジオに集まったといった風情のジャケットは、
いつまでも眺めていられる写真ですね。

アナログ・アフリカにとっては、初の南アものになりますけれど、
最近はいろいろなレーベルが南ア音楽の遺産を掘り起こすようになりましたね。
南アにはまだ山ほどお宝が眠っているので、歓迎すべきことではあるんですけれど、
個人的な関心からするとビミョーに掘削ポイントがずれていて、
う~ん、ソコじゃないんだけどなあ、というボヤキもあるんですけれども。

ザ・ムーヴァーズも、南ア色の薄い北米ソウルのコピー・バンドなので、
ぼくが即飛びつくタイプの音楽じゃありませんが、
初期の録音をまとめたアナログ・アフリカは、さすが掘り所がわかっていますね。
以前サウンドウェイがストレート・リイシューした79年作の“KANSAS CITY” なんて、
メンバーがすっかり入れ替わった後期のアルバムで、中身は単なるディスコ。
こんなもんリイシューする価値なんて、ありません。

デビュー作をリリースした70年から76年までのシングル曲をコンパイルした本作、
サミー・ベン・レジェブによるライナー・ノーツの解説がなにより貴重で、
これまでまったく情報のなかったバンドの来歴を知ることができました。
インスト・バンドながら、本作には歌入りの曲も5曲収録されていて、
ガロのベスト盤CDにも収録されていた‘Soweto Inn’ は、
76年のソウェト暴動の日、レコーディングしていたスタジオの二階の窓から、
黒煙があがるソウェトを目の当たりにして、急遽タイトルを付けたことを知りました。

この‘Soweto Inn’ や‘Kudala Sithandana’ などの歌ものは、
ンバクァンガを思わせる南アらしさがありますね。
女性歌手が歌う‘Ku-Ku-Chi’ なんて、レッタ・ンブールに匹敵する魅力あり。
ライナー・ノーツに書かれていて知りましたが、
歌入りの曲でザ・ムーヴァーズの初ヒットとなった70年の‘Hopeless Love’ は
まだ14歳だったブロンディ・マケネが歌ったものだったそうです。
この曲やデビュー作のタイトルともなった‘Crying Guitar’ については、
解説でも言及されているのに、なんで収録しなかったんでしょうね。

収録時間39分44秒というのは、いかにも物足りず、上の2曲や
マラービ調のメロディが嬉しい‘Bump Jive’ あたりは選曲してほしかったなあ。
ちなみにこの3曲はガロのベスト盤CDに収録されていて、
アナログ・アフリカ盤とのダブリは3曲のみとなっています。

The Movers "THE MOVERS 1970-1976" Analog Africa AACD095
The Movers "GREAT SOUTH AFRICAN PERFORMERS" Gallo CDPS104
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ヘルシーなオーガニック・グルーヴ マダリッツォ・バンド [南部アフリカ]

Madalitso Band  MUSAKAYIKE.jpg

手作り楽器を奏するマラウィの二人組、
マダリッツォ・バンドのインターナショナル向け第2作。

アクースティック・ギターをかき鳴らしながら、足踏み太鼓を叩き、
1弦ベースをぶんぶん弾きながら歌うという、
ただそれだけのシンプル極まりない音楽。
この屈託のなさ、オーガニックなサウンドのヘルシーさがたまらないんです。
ギターのカッティングと、1弦ベースのスラップがグルーヴを生み出し、
キレのあるヴォーカルと、1弦ベースのグリッサンドがアクセントとしてよく効いています。

いや~、すがしがしいほど、デビュー作となんにも変わってませんね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-05-21
インターナショナル向けだからといって、余計なお化粧をすることもなく、
この二人ならではの音楽性の良さを、制作陣がきちんと理解していますね。

前作との違いでいえば、スタジオ録音の環境がよくなったのか、
ヴォーカルの音録りに奥行きが生まれて、コーラスが豊かに聞こえます。
1弦ベースを弾くヨブ・マリグワがリード・ヴォーカルですけれど、
今作ではギターのヨセフェ・カレケニが歌う曲も1曲ありますよ。

ちょっと不思議に思ったのが、ヨセフェが弾いているのは、
弦4本しか張っていないナイロン弦ギターですけれど、
カッティングの音を聞くと、明らかに鉄弦が交じっています。
低音にナイロン弦、高音に鉄弦を張っているんでしょうか。

Madalitso Band "MUSAKAYIKE" Bongo Joe BJR058 (2022)
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ントゥの精神で ンドゥドゥーゾ・マカティーニ [南部アフリカ]

Nduduzo Makhathini  IN THE SPIRIT OF NTU.jpg

Ntu(ントゥ)。
南ア・ジャズのピアニスト、ンドゥドゥーゾ・マカティーニの新作タイトルに、うむむむ。
ひさしぶりにお目にかかったなぁ、このワード。

ントゥとは、アフリカ思想における重要キーワード。
アフリカの口承文化の研究を通じてアフリカの哲学を体系化した、
ルワンダの哲学者アレクシス・カガメ(1912-1981)が、提唱した概念です。
ントゥとは「力」を意味します。この世に存在する万物すべてに普遍的な力があり、
存在そのものを意味するものと、カガメは説明しています。

ントゥが備わる存在を、ムントゥ(知性を与えられた神々や人間)、
キントゥ(動植物や鉱物などの事物)、クントゥ(言葉やリズムに象徴される様相)、
ハントゥ(事物を生起させ配列する空間と時間)の4つに分類して、
カガメはアフリカ人の思想と世界観を解き明かしました。

ヤンハイツ・ヤーン  アフリカの魂を求めて.jpg

カガメの哲学を広く世界に知らしめたのが、ドイツ人アフリカ文学者の
ヤンハイツ・ヤーンの『アフリカの魂を求めて』です。
ぼくが高校3年の時にこの本が出て、
ちょうど音楽や美術を通じてアフリカへの関心を高めていた時だっただけに、
強烈に影響されたんですよ。あまりに影響を受けすぎて、
のちに弊害すらおぼえることとなった、ぼくにとってのアフリカの教科書です。

この本との出会いをきっかけに、
バジル・デヴィッドソン、マルセル・グリオール、エヴァンズ=プリチャードなど、
アフリカ史や民族誌をかたっぱしから読み漁るようになったんでした。
その昔、もっとも影響を受けた本という質問に、
和辻哲郎の『風土』とともに、『アフリカの魂を求めて』を挙げたことをおぼえています。

はや聴く前から、タイトルだけで盛り上がってしまいましたけれど、
『ントゥの精神で』と名付けられた新作、いやぁ、すごい力作じゃないですか。
ンドゥドゥーゾが追及するスピリチュアルな南ア・ジャズを、また一歩深めましたね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-05-31

前作とはメンバーをがらりと代え、ゲストのアルト・サックスのジャリール・ショウと
ヴォーカリストのアナ・ヴィダワー以外、
すべて南アの若いミュージシャンを起用しています。
マブタやアッシャー・ガメゼなどで活躍するトランペットのロビン・ファッシー=コックに、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-05-06
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-02-05
今月新作が発売されるテナー・サックスのリンダ・シカカネが参加していますよ。

ピアノの左手とヴィブラフォンが反復フレーズをひたすら繰り返し、
ドラムスとパーカッションが緻密なポリリズムを組み立てる
オープニングの‘Unonkanyamba’ は、
テナー・サックス、ピアノ、トランペットが出入りして即興をする疾走感溢れるトラック。
ンドゥドゥーゾの右手がパーカッシヴな和音でアグレッシヴに迫ったり、
散発的なフレーズを組み立てたりと、アブドゥラー・イブラヒムゆずりのプレイを
聞かせていて、頬がゆるみます。これぞ南ア・ジャズのピアノでしょう。

情熱的な‘Emlilweni’ もいいなあ。ゆっくりと燃え上がる、
ゲストのジャリール・ショウの好演が聴きもので、
フェイド・アウトになるのが惜しすぎます。
‘Abantwana Belanga’ もフェイド・アウトしてしまうんだけど、完奏を聴きたかった。
ズールーらしいメロディの‘Omnyama’ は、マスカンダを不協和に変調したような曲。
雄大なスケール感は、南ア・ジャズならではですね。

そんな熱狂的なトラックの合間にはさまれる、スピリチュアルなトラックも魅力です。
ンドゥドゥーゾが音楽家としてサンゴマの役を果たすような祈りを感じさせる‘Mama’、
不穏な‘Nyonini Le’、哀愁を帯びた‘Senze' Nina’ も暗示的です。
そして、ラストの‘Ntu’ は、自身の内面と会話しているかのようなトラック。
いやぁ、ンドゥドゥーゾ、あらためてスゴいアルバムを作っちゃったなあ。

ジャケットもいいじゃないですか。
古典的なキュービズムの絵はフアン・グリスかなと思ったら、
なんと現代作家による新しい絵だとか。
角張った目と唇のフォームなんて、ソンゲ人(コンゴ)の仮面のパクリだよなあ。
かつてピカソやブラックがアフリカン・マスクを描いたように、
モチーフも模倣しているわけね。

ふと本棚に目を移せば、『アフリカの魂を求めて』は、
いつでも取り出せる目立つところに置いてあります。
といっても、その昔、意識的に離れたこともあって、もう長いこと読んでいません。
すっかり背表紙が色褪せてしまいましたけれど、
四半世紀ぶり(もっとか?)に再読してみようかな。

Nduduzo Makhathini "IN THE SPIRIT OF NTU" Blue Note B003526602 (2022)
[Book] ヤンハイツ・ヤーン著 黄 寅秀訳 「アフリカの魂を求めて」みすず書房 (1976)
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絶好調のキゾンバ アンナ・ジョイス [南部アフリカ]

Anna Joyce  ANNA.jpg

もう1枚手に入れたのが、アンナ・ジョイス。
この人は典型的なキゾンバ・シンガーですね。
センバはまったくやっていません。
非キゾンバのバラードも歌っていて、ポップ寄りのシンガーといえそう。

アダルトなセクシーさと、キュートさをあわせ持ったシンガーで、
フェイクでしゃくリ上げるように、せつなく歌うところなんて、
アリーの魅力とも共通していて、もうマイっちゃうなあ。
この声と歌いぶりで、ご飯3杯いけちゃうでしょう。

87年ルアンダ生まれというから、アリーと年もひとつ違いで、
現地では良きライヴァルといったところなのかも。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-07-23
16年にデビュー作を出していて、本作が2作目です。

詞・曲もアンナ自身が書いていて、
全12曲中10曲は共作を含み、アンナが関わっています。
他人の曲の2曲のうち1曲が、アリーを育てたプロデューサーのヘヴィー・C作。
この曲が、アルバムゆいいつの非キゾンバのバラードというのが面白い。

アリーのセカンドで見せたヴァラエティは、アンナのアルバムにはなく、
むしろキゾンバで通したアルバムの統一感がすがすがしいといえます。
曲ごとにプロデューサーが違っているのに、この統一感は大したもんですよ。
どの曲もラグジュアリーなサウンドで、ハイ・クオリティだしね。
アンゴラのキゾンバ、あいかわらずの絶好調であります。

Anna Joyce "ANNA" LS & Republicano no number (2021)
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キゾンバ・シンガーのデビュー作 メルヴィ [南部アフリカ]

Melvi  TRIUNFO.jpg

昨年夏に入手したキゾンバ・シンガー、アリーのセカンドは、ほんとによく聴きました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-07-23
通勤時にヘヴィ・ロテとなる盤でも、長くて4か月で新しいアルバムと交替しますが、
アリーの12年作は、半年以上も聴き続けましたからねえ。
曲はいいし、チャーミングな歌いぶりがもうタマらなくって、
交替するのが忍びなかったのです。

またアリーのような良作との出会いを求めて、
ひさしぶりにアンゴラのキゾンバを入手したんですが、ありましたよ。
メルヴィという女性シンガーの13年デビュー作。
キューティ・ヴォイスが、かわゆい人です♡

冒頭2曲はキゾンバというより、典型的なズークの打ち込みサウンドで、
アコーディオンの音色をサンプリングした1曲目など、
ヌケのいい音が軽やかな風を送り込んでくるようで、とても爽やかです。

ズークに続くのがセンバで、アクースティック・ギターのイントロに始まり、
打ち込みのリズム・トラックの合間にディカンザが刻まれ、
サンプリングのアコーディオンがリズムを象って、センバのムードを盛り上げます。
エドゥアルド・パインとデュエットした‘Do Meu Jeito’ もセンバで、
ディカンザのリズムを強調して、コンガがセンバの特徴的なビートを叩き出していますね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-07-29

中盤はキゾンバらしい曲が並び、最後に、ルンバ・コンゴレーズの女性歌手、
ンビリア・ベルとデュエットした‘Doce De Coco’ のリミックスが収録されています。
この曲はメルヴィが08年の国営ラジオ曲のコンテストで、トップ10に残った曲だとのこと。
ちなみに、ブラジルのショーロ・ナンバーとは同名異曲です。
キゾンバで始まるものの、途中でルンバ・コンゴレーズにスイッチする
面白い仕上がりとなっています。

13年に本作を出したあと、メルヴィは、クラシック音楽の正規の教育を受け、
国立歌劇団に所属して合唱団の一員となっています。
17年には舞台女優としてデビューを果たし、演劇の世界へと進んだのか、
本デビュー作に続くアルバムは確認できませんでした。
いまはどうしているんでしょうね。

Melvi "TRIUNFO" ND Produções CD004 (2013)
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ヒップ・ホップからクワイトへ キャスパー・ニョヴェスト [南部アフリカ]

Cassper Nyovest  SWEET AND SHORT.jpg

クワイトの新作を聴くのはひさしぶり。
といっても、4年も前のCDなんですけどね。
いまや絶滅危惧種ものの南ア盤なので、リアルタイムで入手するのは絶望的。
買えただけでも、めっけもんなのであります。

そういう時流無視の物件なので、ひと昔前感があるクワイトですが、
まだまだ現地では、人気が根強いもよう。
ディープ・ハウスの再燃とともに、クワイトの人気が盛り返しているといった記事を
数年前に読んだおぼえがあります(そのニュース・ソースも古いけど)。

で、入手したのがこのキャスパー・ニョヴェスト。
90年北西州マフィケング生まれのラッパーで、
これほどクワイトに寄せた作品は、キャリア初の試みだそう。
なんでもヒップ・ホップとクワイトのアーティストは、互いに反目していたのだとか。
クワイトが南ア独自の音楽なのに比べ、
ヒップ・ホップはアメリカナイズされた連中がやる音楽で、
ラッパーは南ア人じゃねぇ、とディスられていたんだそうです。

ハウスなどのクラブ・ミュージックや、ヒップ・ホップの影響下に生まれた
ハイブリッドなゲットー・ミュージックがクワイト、そんな理解をしていたので、
クワイトとヒップ・ホップのアーティストの間で、そんな断絶があったとは意外でした。

ヒップ・ホップ・シーンで成功をおさめたキャスパーが、
クワイトへの愛着を示したという本作、発売24時間で
プラチナ・アルバム(3万枚セールス)に認定されたというんだから、スゴイですね。
その人気もナットクの痛快作で、パッショネイトなサウンドが極上です。

TKZee  HALLOWEEN.jpg

フランク・カジノをフィーチャーした‘Who Got the Block Hot?’ で、
いきなり冒頭からTKZee の‘Mambotjie’ をサンプリングしていて、
おぉ!と前のめりになりましたよ。
‘Mambotjie’ を収録した“HALLOWEEN” は、
クワイトの記念碑的作品ともいえる大ヒット作。
クワイトへのリスペクトを示したキャスパーの思いが伝わりますね。

クールなビートにのるフックの利いたフロウは、ラッパーならでは。
アルバム・ラストは、マスカンダのデュオ、シュウィ・ノムテカラをゲストに
マスカンダ+クワイトを聞かせてくれて、もう背中ゾクゾクもの。
マスカンダ特有のギターに、オルガン、アコーディオンもフィーチャーして、
頬が思いっきり、ユルんじゃいました。う~ん、もうこれ、サイコーでしょ。

Cassper Nyovest "SWEET AND SHORT" Family Tree CDRBL974 (2018)
TKZee "HALLOWEEN" BMG CDHOLA(LSP)3000 (1998)
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南アフリカと西アフリカの出会い シンピウェ・ダナ [南部アフリカ]

Simphiwe Dana  ZANDISILE.jpg   Simphiwe Dana  BAMAKO.jpg

シンピウェ・ダナのデビュー作ほど、
南ア音楽の新世代登場をはっきりと意識させたアルバムはありませんでした。
80年生まれ、牧師の父のもとで幼少期に教会音楽で育ち、
南ア合唱の伝統をしっかりと受け継ぎながら、
現代女性のパーソナルな表現をあわせ持った
シンガー・ソングライターの登場は、それは新鮮でした。
マリからロキア・トラオレが出てきた時のような、時代の変わり目を感じたものです。

ソウル、ゴスペル、ジャズ、レゲエ、クワイト、エレクトロなど
幅広い音楽性を咀嚼したサウンドに、シンピウェ自身の多重録音による
無伴奏合唱で締めくくった04年のデビュー作は瞬く間に評判を呼び、
05年の南アフリカ音楽賞の最優秀新人賞をはじめ、数多くの音楽賞を総ナメしました。

それ以来、シンピウェを聴くチャンスを逸していたんですけれど、
20年に出た5作目にあたる“BAMAKO” を手に入れました。
『バマコ』というタイトルに、え?と不思議に思ったんですが、
なんとサリフ・ケイタとコラボして、マリでレコーディングされた作品で、
シンピウェがヴォーカルを多重録音した合唱曲の2曲をのぞき、
サリフとシンピウェが共同プロデュースをしています。
バックのミュージシャンも、すべてマリのミュージシャンが務めているんですね。
サリフも1曲で、すっかり角の取れたヴォーカルを聞かせています。

ギター、コラ、ンゴニ、カマレ・ンゴニ、カラバシによる伴奏は、
マンデ音楽の作法にのっとっているんですが、
シンピウェ作の楽曲はどれも南アそのもののメロディで、
マリと南アのどちらにも寄らない拮抗したサウンドは、相当にユニーク。
実験的とか野心的といったニュアンスはなく、両者がしっくりと溶け合っていて、
得難い味わいもあります。
コサ語でなく英語で歌うところには、レゲエも少し交じっていますね。
こんな<サウス・ミーツ・ウエスト>のアフリカ音楽は、初めて聴いた気がします。

Simphiwe Dana "ZANDISILE" Gallo CDGURB063 (2004)
Simphiwe Dana "BAMAKO" Universal 060250874053 (2020)
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