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南イタリア、チレントの丘から イーラム・サルサーノ [南ヨーロッパ]

Hiram Salsano  BUCOLICA.jpg

緑豊かな丘の上で、ダンス・ポーズをキメた女性。
曲の最後なのか、両手を高く上げ、
左手にタンバリン(タンブーリ・ア・コルニーチェ)を掲げています。
後ろのすみっこに小さく写っているのは犬かと思ったら、
歌詞カードを見ると、どうやら羊のよう。

南イタリア、カンパーニャ州チレントから登場したイーラム・サルサーノは、
故郷の山岳地帯に伝わる伝統音楽を今に継承する人。
チレント地方は同じ南イタリアでも、ピッツィカやタランテッラが盛んな
サレント半島とは反対側の南西部にあり、ピッツィカやタランテッラ以外に、
さまざまな土地のリズムがあることを、このデビュー作が教えてくれます。

全曲伝承歌で、イーラム自身がアレンジしているんですけれど、
みずからのヴォイスをループさせてドローンにしたり、
ヴォイスを使ってさまざまなビート・メイキングしているところが聴きどころ。
現代のテクノロジーを駆使して、伝統音楽を現代の音楽として
受け継ごうとする彼女の意志を感じます。

1曲目の ‘Otreviva’ では、口笛による鳥のさえずりに始まり、
イーラムのヴォイスをループさせたドローンのうえでイーラムが歌い、
タンバリンが三連リズムを刻み、アコーディオンがリズム楽器として重奏して、
厚みのあるピッツィカのグルーヴを生み出しています。

演奏はタンバリンを叩くイーラムと、
アコーディオン兼マランツァーノ(口琴)奏者の二人が中心となり、
曲によって、サンポーニャ(バグパイプ)、チャルメラ、キタラ・バッテンテ
(複弦5コースの古楽器)を操る奏者とウード奏者とドラマーが加わります。
2拍3連のダンス曲もあれば、ゆったりとした3拍子あり、
ドラムスが入ってレゲエ的なアクセントを強調する曲もあって、
多彩なリズムが聴き手を飽きさせません。

ハリのあるイーラムの歌いぶりに飾り気がなく、土臭さのあるところが花丸もの。
アイヌのウコウクやリムセを思わせる歌もあり、
口琴まで伴奏に加わると、ますますアイヌ音楽みたいに聞こえて、
とても楽しいです。

Hiram Salsano "BUCOLICA" no label HS001/23 (2023)
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ニューカッスルのルオ人ニャティティ奏者 ラパサ・ニャトラパサ・オティエノ [東アフリカ]

Rapasa Nyatrapasa Otieno  JOPANGO.jpg

ケニヤ西部ヴィクトリア湖畔シアヤ生まれのラパサ・ニャトラパサ・オティエノは、
ルオの伝統楽器ニャティティを弾きながら、ルオの民話をモチーフにした
自作曲を弾き語るシンガー・ソングライター。
現在は北部イングランド、ニューカッスル・アポン・タインを拠点に活動しています。

ラパサの21年の前作 “KWEChE” を聴いた時、
ルオ独特の前のめりに突っ込んでくるビート感がなくて、平坦なリズムに終始しているのに、
昔のアユブ・オガダを思い出し、ガッカリしました。
アフリカの伝統音楽家で、欧米に渡って白人客だけを相手にするようになると、
音楽の姿勢が歪んでくる人がいるので、この人もその部類かなと。

いまではアユブ・オガダを知っている人もほとんどいないでしょうが、
昔リアル・ワールドからCDを出し、来日したこともあるニャティティ奏者。
この人の場合、キャリアの始めから西洋人を意識した音楽をやっていた人だから、
ぼくは、伝統音楽を装ったインチキな音楽家と見なしていました。
オガダを気に入ったピーター・ガブリエルの審美眼って、お粗末だなあと。

話が脱線しちゃいましたが、
そんなわけでラパサの新作もまったく期待していなかったんですけど、
これが存外の出来で、見直しましたよ。

ひとことでいえば、ポップになっているんですよ。
前作ではニャティティの弾き語りをベースに、
曲によってベース、ギターなどがごく控えめにサポートするだけだったのが、
今作は男女コーラスも配して、ウルレーションも炸裂する
華やかなサウンドになっています。

ベンガのビート感はまだ弱いとはいえ、なるほどベンガだと思わせる曲もあって、
サウンドメイクをポップにしながら、
ソングライティングはベンガのルーツを掘り下げたことがうかがわれます。
反復フレーズを強調した曲が増えたこともそのひとつで、
しつこく繰り返す反復フレーズによってダンスを誘い、トランスへと招きます。

なんでも本作の制作にあたってラパサは、
ベンガのパイオニアたちの音楽を研究したそうで、その成果が表れたんでしょう、
クレジットをみると、ルオの一弦フィドルのオルトゥほか、
数多くのパーカッションや笛などのルオの伝統楽器が使われています。
ラパサが8弦楽器オボカノを弾く ‘Adhiambo’ も聴きもの。
オボカノはルオに隣接して暮らすグジイ人の伝統楽器で、
クリーンな音色のニャティティと違って、強烈なバズ音を出します。

ひとことイチャモンをつけたいのは、2曲目の ‘Unite’ だな。
タイトルからもわかるとおりの空疎なメッセージ・ソング。
アフリカのミュージシャンが唱える Unite くらい、現実味のないものはなく、
ぼくはこのワードを発するアフリカ人音楽家の薄っぺらさが、ガマンならんのですよ。
この曲がなかったらよかったのに。

Rapasa Nyatrapasa Otieno "JOPANGO" no label no number (2023)
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いまのフジを支えるのは誰 ティリ・アラム・レザー [西アフリカ]

Alhaji Tiri Alamu Leather  VALUABLE.jpg

「人を見かけで判断しちゃいけない」の典型だった、
童顔でも歌えるフジ・シンガー、ティリ・アラム・レザーの新作。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-04-19

本名のティリ・アボンラガデ・アラムに沿って、
ステージ・ネームの「レザー」の間にアラムを加えたようです。
表ジャケットにはティリ・アラムとだけしか書かれていませんが、
裏の作編曲クレジットには、ティリ・アラム・レザーとあります。

昨年9月にリリースされた本作には、
短尺の2曲と長尺の2曲が収められ、どの曲もいがらっぽい声に、
ドスの利いたこぶし回しが咆哮する、漆黒の純正フジを聞かせてくれます。
4曲ともリズムもテンポもおんなじで、アレンジになんの工夫がなくても、
飽きさせず一気に聞かせてしまう力量は、主役の歌ぢからでしょう。

アフロビーツ時代となった21世紀、
フジやジュジュといったヨルバ・ミュージックが
すっかり後退してしまった感は拭えませんが、
いまもフジを支えている人たちって、どういった層なんでしょうね。
いつの頃からか、フジの曲名から「アルハジ」を冠した高名そうな人の名が消え、
いわゆる誉め歌のたぐいのレパートリーがなくなっています。
フジの支持層が変わりつつあるんじゃないですかね。

フジに限らずジュジュなどのヨルバ・ミュージックは、
首長、政治家、実業家といったパトロンたちの御前演奏で誉め歌を歌って、
なりわいとしてきた歴史がありますけれど、
そうした側面が薄れてきているんじゃないでしょうか。

Youtube や TikTok にあがっているティリ・アラム・レザーのライヴを観ると、
Tシャツに短パンみたいな普段着姿でライヴをやっている映像が多く、
たまにバンド・メンバーともども伝統衣装を着ているシーンも観れますが、
圧倒的にカジュアルな演奏風景の方が多い印象なんですよね。
観客がダッシュする場面がぜんぜん出てこないのも、変化を感じます。

パフォーマンス会場も、仮説テントの下でやっているようなライヴばかりで、
金持ちたちが集まっているパーティに出向いているような映像は、
ほとんどお目にかかりません。
バリスターやコリントンがぶいぶい言わせてた時代には、
プールのある邸宅やシャンデリアが光る室内などを背景にしたヴィデオが
よく登場しましたけれど、ご本人やファン・クラブのインスタグラムでも、
そういう成金志向はまったく見受けられません。

「アフロビーツなんてシャレのめした音楽は、
オイラたちとはカンケーねえよ」というような貧しい庶民たちが、
いまのフジ・シーンを支えるようになったんでしょうか。

Alhaji Tiri Alamu Leather "VALUABLE" Okiki no number (2023)
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ニュー・ボトル・オールド・ワイン ニュー・マサダ・カルテット [北アメリカ]

John Zorn  NEW MASADA QUARTET VOL.2.jpg

ジョン・ゾーンくらい、ジャズというジャンルを飛び越えて
多角的な音楽性を発揮する音楽家もいないですよね。
ジョンが日本で活動していた80年代には、ライヴに通ったこともあるんだけど、
CDとなると自分でも意外なほど持っていないんだよなあ。
特にコブラなんて、CDで聴いたって面白くないから、ライヴを観に行ってたんだし。
コブラは聴くものじゃなくて、観るもんだって。もっと言えば、参加するものか。

大友良英がMCを務めるNHK-FMの「ジャズ・トゥナイト」で昨年11月、
ジョン・ゾーン特集をやるというので、
自分の知らないレコードがいっぱい聴けるかと期待したら、
意外にもよく知ってるレコードばかりかかったのでした。
ジョンのレコードは大量で、ごく一部をつまみ食いしてるにすぎないんだけど、
大友と趣味が一致してるのかも。

聞いたことがなかったのは、のっけにかかったニュー・マサダ・カルテット。
これがいきなりカッコイイ!
かつてのマサダから、トランペットをギターに変えて新たに始動した
ニュー・マサダ・カルテットは、第1作を聴いてガッカリしてただけに、
2作目となる新作のカッコよさは意外でした。

ニュー・マサダ・カルテットの第1作にがっくりきたのは、
クレズマーとオーネット・コールマンというコンセプトがすっかり消えていた点。
これじゃマサダじゃないじゃんねえ。
これに落胆して2作目をスルーしちゃったんだけど、マサダという看板を外して聴けば、
ジュリアン・ラージとジョン・ゾーンという組み合わせは刺激的で、スリル満点。

2管だったマサダから1管となり、ジョンと音域の違うギターが参加することで
ハーモニーが豊かとなって、バックの厚みが増しましたね。
それが如実に表れているのが、マサダおなじみのナンバー、
‘Idalah-Abal’ や ‘Abidan’。
‘Idalah-Abal’ は94年のマサダ第1作目 “ALEF”、
‘Abidan’ は95年のマサダ第3作目 “GIMEL” 初出の曲で、
その後に何度も演奏されていますけれど、
ジュリアン・ラージの存在感が大きくて、サウンドに広がりが出ました。

ジョン・ゾーンの雄叫びの鋭さは衰えていなし、瞬発力も切れ味もある。
ソロが短くなったのは、初期のマサダに戻ったかなという印象があって、
全体には落ち着いた印象かな。もちろん暴れてるところは暴れてるんだけど。
ドラマーがジョーイ・バロンからケニー・ウールセンに交代して、
しなやかなノリとなり、疾走一辺倒となる場面はなくなりました。

やはりジュリアン・ラージを起用したジョンの慧眼が、さすがですね。
マサダでヘブライ旋法をハーモロディックにやって、
調性から離れようとしていたのが、ギターが和声へと還元して、
マサダをまた別次元に連れて行こうとしているじゃないですか。
マサダのブランド名を引き継ぐも、中身は別物というチャレンジングな姿勢に、
まだまだ円熟などと言わせない、ジョンの気概を感じます。

最後に蛇足のボヤキ。
ラジオを聴き終えてソッコー注文したものの、郵便事故でアメリカから届かず、
もう一度送り直してもらって、届くまで二か月半もかかってしまいました。
ラジオで盛り上がった気分もすっかり鮮度が落ちてしまって、ガックリでした。

John Zorn "NEW MASADA QUARTET VOL.2" Tzadik TZ8396 (2023)
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ライヴはジャズ・ファンク100% マーカス・ミラー [北アメリカ]

Marcus Miller  LIVE.jpg   Marcus Miller  TALES.jpg

マーカス・ミラーはスタジオ録音よりライヴの方がいい。
それを実感したのが、四半世紀以上前に買ったブートレグでした。
渋谷HMVの試聴機でぶっとんで買ったのをよく覚えています。

当時のマーカス・ミラーの新作 “TALES”(95) が力作なことは
十分理解しつつも、作品としてあまりにもきっちりとプロデュースされすぎていて、
キモチが入り込めなかったんですよね。
ちょうどその直後に出たブートレグ・ライヴに、
そうそう、こういうのが聴きたかったんだよと、快哉を叫んだのでした。

“TALES” は、レスター・ヤング、ビリー・ホリデイ、チャーリー・パーカー、
デューク・エリントン、マイルズ・デイヴィスの生声をサンプリングして、
マーカス・ミラーのブルース/ジャズ観を示してみせた力作。
作品としての完成度の高さは、ルーサー・ヴァンドロスや
デイヴィッド・サンボーンの作品をプロデュースしてきた
マーカスの手腕が十分発揮されたものでした。

思えばマーカスは、再復帰後のマイルズ・デイヴィスにフックアップされただけでなく、
マイルズのアルバムをプロデュースするまでになった人ですからね。
プロデューサーとして磨きがかかった時代でもあったといえますが、
作品主義に傾いたプロデュース・ワークは、スポンティニアスな
ジャズ/フュージョンの魅力を損なっていたことも否めませんでした。

Marcus Miller  OSAKA, JAPAN 1996.jpg

ブートレグ・ライヴは、88年アメリカとだけクレジットされていましたが、
同メンバーによるさらに強力なライヴ盤が出たんですね
(例のいかがわしいキプロス盤レーベルですが)。
“TALES” のリリースに合わせて96年に来日した時のライヴで、
ブルーノート大阪でのステージが丸ごと、2枚のディスクに収められています。

96年の来日ツアーが充実していたことは、
東京・大阪・福岡のブルーノートでのライヴに、
モントルーとカリフォルニアのライブを加えて編集された
“LIVE & MORE” が97年に出されたとおり。
大阪でのライヴは “LIVE & MORE” に3曲収録されましたが、
当夜の全曲を楽しめるこの2枚組はまたとないものです。

メンバーは件のブートレグと同じ、ケニー・ギャレット(as)、マイケル・スチュワート(tp)、
プージー・ベル(ds)、バーナード・ライト(key)に、
モーリス・プレジャー(key)がデイヴ・デローンと交代して
ハイラム・ブロック(g)とレイラ・ハサウェイ(vo)が加わった強力な布陣。

ハイライトはやはり、レイラ・ハサウェイのヴォーカルをフィーチャーした
‘People Make The World Go Round’ ですね。
“LIVE & MORE” では9分に短縮されていましたが、
こちらではノー・カット14分半に及ぶ大熱演を堪能することができます。
ジャム・セッション風なパフォーマンスを冗長に思う人があるかもだけど、
ライヴらしいこういうラフさが、ぼくは好き。
スタイリスティックスが歌ったこの曲、
なぜかジャズ・ミュージシャンがよく取り上げますが、
レゲトンにアレンジしてみせたのは秀逸でした。

そしてケニー・ギャレットがぶち切れた咆哮を繰り返す、
ラストの ‘Come Together’ がスゴイ。
大団円のエンディングのあと、マーカスがバス・クラリネットに持ち替え、
ケニーのアルト・サックスとマイケルのトランペットの3人で
ディキシーランド・ジャズをやらかして、二度目のエンディングへ。
この演出には、会場も大盛り上がり。
いや~、いいライヴだったぁと、上気した顔で会場を出る
観客たちの様子が目に浮かぶアルバムです。

Marcus Miller "LIVE" no label MK42536
Marcus Miller "TALES" PRA 60501-2 (1995)
Marcus Miller "OSAKA, JAPAN 1996" Hi Hat HH2CD3249
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たまにはハード・バップも フレディー・ハバード [北アメリカ]

Freddie Hubbard  READY FOR FREDDIE.jpg

別に昔を懐かしんでいるわけじゃないんだけど、
アート・ファーマー、ヒノテルと続いて、トランペット繋がりで
フレディー・ハバードにまで手を伸ばしたら、これまたハマっちゃいました。
これはめちゃくちゃ久しぶり。いったい何十年ぶりだ?
ハード・バップなんて、まったく聴かなくなっちゃってたからねえ。

フレディ・ハバードの61年録音ブルー・ノート盤。
ハバード23歳の時の録音です。
う~ん、ハバードの若い時って、やっぱ格別だなあ。
ハバードのアルバムでは、このブルー・ノート盤が一番好きかも。

まず曲がいいんだよね。つまんないブルース・ナンバーがないし。
昔のブルー・ノート盤でイヤだったのが、
スタジオでパパッと即興で作ったふうの
やっつけなブルース・ナンバーが入ってたりすること。

なんでもアルフレッド・ライオンが、
1曲はブルースを録音するように指示していたらしんだけど、
ジャズ・ミュージシャンならブルース曲なんてすぐ作れちゃうから、
こんなリクエストしちゃあ、ダメだよなあ。
事前にちゃんと作曲したブルースと、
その場でテキトーに作ったブルースとじゃあ、仕上がりは別物になるよねえ。

「ブルース入れろ」じゃなくて、「ビバップ入れろ」と
ぼくがプロデューサーなら指示するところだけど、
本作にはハバード作曲のゴキゲンなビバップ・ナンバーが入っているんです。
チャーリー・パーカーにオマージュを捧げたと思われる曲名の ‘Birdlike’。

まさしくパーカーのビパップをなぞらえたテーマがカッコいい。
ハバードのスピード感とタイム感の素晴らしさが、いかんなく発揮されています。
フレージングにはアイデイアがほとばしり、
ひらめきのあるプレイにもホレボレするばかりですよ。

一方、バラードの ‘Weaver Of Dreams’ では、
23歳とは思えぬ成熟した貫禄のあるプレイを聞かせていて、
その深みのある美しいトーンにも、ウナらされます。
そういえば 、ラストの ‘Crisis’ を Us3 がサンプリングした
トラックがあったよなあ。 ‘Just Another Brother’ だっけ。

本作は、マッコイ・タイナー、アート・テイラー、エルヴィン・ジョーンズという
当時のマッコイのレギュラー・トリオに、ウェイン・ショーターのテナーと
バーナード・マッキーニーのユーフォニウムとの3管編成。

エルヴィンのどっしりとした安定感たっぷりなバックビートと、
シンバル・レガートで絶妙に表情をつけていくところも、
昔さんざん味わったとはいえ、何十年ぶりに聴いても、やっぱ快感ですね。

Freddie Hubbard "READY FOR FREDDIE" Blue Note CDP7243-8-32094-22 (1962)
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日本のクロスオーヴァーの立役者 渡辺貞夫、日野皓正 [日本]

渡辺貞夫 I’M OLD FASHIONED.jpg   渡辺貞夫 My Dear Life.jpg

ジャズのヴェテランがクロスオーヴァーを手がけるようになったのは77年と、
前回書きましたけれど、その象徴的なミュージシャンがナベサダ(渡辺貞夫)でした。

76年に、ハンク・ジョーンズ、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズと
『アイム・オールド・ファッション』というタイトルどおり、ビバップにまでさかのぼった
伝統回顧作を出して、その翌77年に出したのが、デイヴ・グルーシン、リー・リトナー、
チャック・レイニー、ハーヴィー・メイソンとのクロスオーヴァー作
『マイ・ディア・ライフ』だったんですよ。この振れ幅は大きかったよねえ。

76年といえば、前回も書いたリー・リトナーやアール・クルーのデビュー作や、
クルセイダーズの “THOSE SOUTHERN KNIGHTS” に夢中になっていた年。
あ、ジョージ・ベンソンの “BREEZIN'” も76年だっけか。
そういう下地のあった翌77年に、日本でもクロスオーヴァーが大爆発したわけで、
ナベサダがその旗振り役でした。

日野皓正 May Dance.jpg   日野皓正 City Connection.jpg

それには少し出遅れというか、時差があったのが日野皓正で、
77年にクロスオーヴァーではなく、最高にトガったジャズ作品『メイ・ダンス』を出して、
79年にバリバリのクロスオーヴァー作『シティ・コネクション』を出したんでした。
この二作の振れ幅の大きさは、ナベサダの二作と双璧。

『メイ・ダンス』は、トニー・ウィリアムズとロン・カーターという重鎮に、
新人ギタリストのジョン・スコフィールドを加えたカルテットで、
いまでもぼくはヒノテルの最高作はコレだと思っています。

それに対し、79年に出した『シティ・コネクション』は、
冬のサントリーホワイトCMにタイトル曲が起用されて、大ヒットしたんですよね。
クロスオーヴァーが日本で流行したのは、CMタイアップの影響が大きくて、
同じ年の夏にナベサダの「カリフォルニア・シャワー」が
資生堂ブラバスのCMで大ヒットしたのに味をしめたんでしょう。

いまとなってはナベサダの『カリフォルニア・シャワー』を聴き返すことはないですけど、
ヒノテルの『シティ・コネクション』は、冬の定番といってもいいくらい、
今も聴き続けています。ぜんぜん古くならないんですよね。
本作の魅力はヒノテルのトランペットではなく、アルバムが持つムード、
そのサウンドをクリエイトしたレオン・ペーダーヴィスのアレンジにありました。

オープニングから、流麗なストリングスが誘う
ラグジュアリーな都会の夜を演出するサウンドに酔えるんですよ。
ナナ・ヴァスコンセロスがヴォイスでクイーカの音色を模すパフォーマンスをして、
これがいい効果音となった映像的なサウンドで、サウンドトラックかのような仕上がりです。
レゲエのレの字もないこの曲名が「ヒノズ・レゲエ」なのは、失笑ものなんですが。
またヴォーカル曲をフィーチャーしているのも、このアルバムの良いところ。
ジャズがネオ・ソウルと接近しているいまこそ、再評価できるんじゃないかな。

あとこのアルバムで最高の聴きどころが、アンソニー・ジャクソンのベース。
アンソニーでしかあり得ない、シンコペーション使いや裏拍を使ったリズムのノリ、
経過音やテンション・ノートの独特な使い方がたっぷり聞けて、ゾクゾクします。
タイトル曲「シティ・コネクション」のベース・ワークなんて、
アンソニーの代表的名演だと思うぞ。

中古レコード店の100円コーナーの常連だったシティ・ポップが、
いまや壁に飾られるようになったのと同じく、
見下され続けてきたクロスオーヴァー/フュージョンも、返り咲く日がくるか?

渡辺貞夫 with The Great Jazz Trio 「I’M OLD FASHIONED」 イーストウィンド UCCJ4008 (1976)
渡辺貞夫 「MY DEAR LIFE」 フライング・ディスク VICJ61366 (1977)
日野晧正 「MAY DANCE」 フライング・ディスク VICJ77051 (1977)
日野晧正 「CITY CONNECTION」 フライング・ディスク VDP5010 (1979)
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ヴェテランがクロスオーヴァーを始めた77年 アート・ファーマー [北アメリカ]

Art Farmer  CRAWL SPACE.jpg

ふと思い出して聴き返したらハマってしまい、ここ最近ヘヴィロテになってる
アート・ファーマーの77年CTI盤 “CRAWL SPACE”。

アート・ファーマーがフリューゲルホーンに専念して、
バラードのお手本のような優美にして極上なアルバム2作を、
イースト・ウィンドから出した直後だっただけに、
本作のがらりと変わったクロスオーヴァー・サウンドには、驚かされました。

Art Farmer  YESTERDAY'S THOUGHTS.jpg

日本が制作したイースト・ウィンドの2作、
特に76年に出た『イエスタデイズ・ソウツ』には、シビれましたねえ。
これぞジャズにおけるバラード表現の最高峰。
トランペットからフリューゲルホーンに持ち替えた時期のアートの作品で、
この楽器の代表作にも数えられると思います。

その続編として翌77年に出た『おもいでの夏』からまもなく
輸入盤店に並んだのが、 “CRAWL SPACE” でした。
あれはたしか大学1年の夏休みだったよなあ。
ぼくのなかで『おもいでの夏』の印象が薄いのは、
直後に聴いた “CRAWL SPACE” の衝撃がデカすぎたからでしょう。

ジャズのヴェテランもクロスオーヴァーを手がけるようになったのが、
ちょうどこの77年が境で、アート・ファーマーはその先駆けでした。
メンバーは、デイヴ・グルーシン(key)、エリック・ゲイル(g)、スティ-ヴ・ガッド(ds)、
ウィル・リー、ジョージ・ムラーツ(b)、ジェレミー・スタイグ(f)という最高のメンバー。
ジョージ・ムラーツは1曲のみの参加で、コントラバスを弾いてます。

クレジットにはありませんが、
このレコーディングの采配をふるったのはデイヴ・グルーシンで間違いないでしょう。
ちょうどこの前年にグルーシンの後押しで、
リー・リトナーやアール・クルーが相次いでデビュー作を出しましたが、
それらの作品とこのアルバムがだいぶ違った趣なのは、レーベルがCTIだからです。

他のCTI作品同様、ニュー・ジャージーのイングルウッド・クリフスにあった
ヴァン・ゲルダー・スタジオでレコーディングされていて、
エンジニアはもちろんルディ・ヴァン・ゲルダー。
グルーシン相棒のエンジニア、
フィル・シェアーやラリー・ローゼンの音作りとはまったく違って、
奥行きのあるレコーディング・ブースの鳴りが、
まさにヴァン・ゲルダー・サウンドになっているんです。

一番それを印象付けられるのが、ウィル・リーのベースで、
これほどファットなベース・サウンドは、当時ウィルが参加していた
ブレッカー・ブラザーズ・バンドでも聞けませんでした。
山下達郎の「Windy Lady」のワイルドなミックスと双璧かな。

ぼくが愛するレコードは、たいてい世間では相手にされていないので、
本作もジャズ名盤ガイドなんかには、決して載らない作品。
CDも日本盤はあるけど、本国アメリカでは出てないし。
ぼくにとってカッコいいアート・ファーマーといったら、ぜったいコレなんだけどね。

[LP] Art Farmer "CRAWL SPACE" CTI CTI7073 (1977)
Art Farmer 「YESTERDAY'S THOUGHTS」 イーストウィンド UCCJ4017 (1976)
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リズムの合間を縫う色香漂うこぶし アスマ・レムナワル [中東・マグレブ]

Asma Lmnawar  SABIYET.jpg   Asma Lmnawar  AWSAT EL NOUJOUM.jpg

昔のばかりじゃなく、近作のシャバービーも聴きたくなって、
いろいろチェックしてみたら、極上の聴き逃し案件を見つけました。
モロッコのアスマ・レムナワルが17年と19年に出した2作です。

アスマ・レムナワルといえば、10年作のハリージとグナーワのミクスチャーに
仰天させられた人ですけれど、それ以降のアルバムに気付かずじまい。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2012-04-19

う~ん、こんなステキなアルバムを出していたとは。
もうこの時期は、アラブ方面がすでにCD生産を縮小していた頃なので、
メジャーのロターナですら入手困難となっていました。
時機を逸したいまになって入手できたのは、ラッキーだったなあ。
ただアスマもこの19年作を最後に、アルバムを出していませんね。
チュニジアのアマニ同様、シングルは出ているようなんですが。

17年作は楽曲が粒揃いですよ。
ジャラル・エル・ハムダウィやラシッド・ムハンマド・アリがアレンジした曲は、
パーカッシヴなノリを巧みに織り込んでいるところが聴きどころ。
泣きのバラードでもビートが立っていて、
リズムの合間を縫う色香漂うこぶし使いに、ウナらされます。
さすが「ヴォイス・オヴ・グルーヴ」の異名を持つアスマならではですね。

クウェートのマシャリ・アル=ヤティム、スハイブ・アル=アワディが
ルンバ・フラメンカにアレンジした曲も楽しいし、本作にはなんと1曲、
リシャール・ボナがゲスト参加してアスマとデュエットしている曲もあります。

19年作は、ハリージを前面に押し出したアルバム。
サウジ・アラビアやクウェートの作曲家の作品を多く取り上げていて、
アレンジには、新たにバーレーンのヒシャム・アル=サクラン、
エジプトのハイェム・ラーファット、ハレド・エズが参加しています。
ストリングスのアレンジには、エジプトのアレンジャーが多く起用されていますね。

どんがつっか、どんがつっかと、ギクシャクしたハリージのリズムにも、
柔らかなこぶし使いがあでやかに舞って、その歌唱力に感じ入るばかり。
晴れ晴れとした歌いぶりに胸がすきます
歌い口がより柔らかになったようで、ほんと、いいシンガーだよなあ。
スウィンギーなミュージカル調の曲などもあって、粋なムードが楽しめます。

17年作とはまた趣を変えて、2作とも甲乙つけがたい、
秀逸なシャバービー・アルバムに仕上がっています。

Asma Lmnawar "SABIYET" Rotana CDROT1978 (2017)
Asma Lmnawar "AWSAT EL NOUJOUM" Rotana CDROT2027 (2019)
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ロマンスィーが持ち味 カティア・ハーブ [中東・マグレブ]

Katia Harb QAD EL-HOB.jpg

アマニ・スウィッシを皮切りに、
昔さんざん楽しんだシャバービーをまたぞろ聴き返しています。

エジプトのアンガームが03年に出した名作 “OMRY MAAK” が象徴的でしたけれど、
2000年代に入って、若者向けのアラブ歌謡のサウンドががらっと変わりましたね。
それまで「アル・ジール」と呼ばれていた若者向けのアラブ・ポップスのジャンル名が
現地でほとんど使われなくなり、シャバービーと呼ばれるようになったことは、
日本では10年遅れくらいで知られるようになりました。

ジャンルの呼び名が変わった情報は、当時まだつかめませんでしたが、
プロダクションの質がぐんと上がり、多彩なサウンドを聞かせるようになったことは、
アラブ諸国から届くCDで十分実感できましたね。
ヴィデオ・クリップが進歩し、衛星放送局開設による
音楽ヴァラエティ番組がアラブ諸国で増えたことによって、
セクシー・アイドルが次々と登場するようになったのも、この頃だったなあ。

レバノンにその傾向が顕著で、
アラブ版スパイス・ガールズと呼ばれたフォー・キャッツを筆頭に、
歌唱力などまるでないお粗末な歌手も乱立することになりました。
そうしたセクシーだけが売りの歌手はやがて淘汰されていきましたけれど、
ヴィジュアルと歌唱力を兼ね備えたアイドルも登場するようになったのです。
その象徴がナンシー・アジュラムでしたね。

個人的には、アップテンポ中心のノリの良いアイドルにあまり興味がもてなかったので、
情感たっぷりにバラードを歌うシンガーをもっぱらひいきにしていました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-08-27
アンガームをはじめ前回記事のアマニ・スウィッシなど、
こうしたシンガーを「せつな系」とぼくは勝手に称していましたけれど、
現地ではこうした歌手たちが歌う曲のスタイルを、ロマンスィーと呼んでいたそうです。
ジャンル名ではないそうですが、なるほどその特徴を良く表していますね。

そんなロマンスィーな曲をたっぷり味わえるのが、
レバノンのカティア・ハーブの04年作です。
EMIミュージック・アラビアが出したこのアルバムは、
それまでカティア・ハーブが所属していたレバノンのレコード会社
ミュージック・ボックスのプロダクションとは段違いでした。

メジャーが出すとこうも違うかという、ゴージャスなプロダクションで、
冒頭のしとやかなバラードに胸がきゅんきゅん高鳴ります。
アンガームやアマニほどの歌唱力はないにせよ、
すがるような歌いっぷりに、ゾクゾクすることうけあいですよ。
ウチコミ強めのダンス・トラックでも、アダルト・オリエンテッドなムードが嬉しい。
ジャジーなトラックのクオリティは、今聴いてもぜんぜんオッケーですね。
エンハンスト仕様でヴィデオ・クリップが入っているのも、この当時らしいCDです。

Katia Harb "QAD EL-HOB" Capitol/EMI 07243-597381-0-9 (2004)
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せつな系シャバービーの大名作 アマニ・スウィッシ [中東・マグレブ]

Amani Souissi  WAIN.jpg

寒さ厳しい冬に聴くシャバービーの定番。
チュニジアのアマニ・スウィッシの07年デビュー作です。
ほかの記事でちらっと触れたことはあるものの、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-08-27
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2014-02-04
そういえばきちんと取り上げたことがなかったんだっけ。

ハイ・トーンを綿毛のような柔らかさで細やかにコブシを回す技巧。
吐息をもらすかのような息づかいで歌うその歌い口。
つぶやくように歌いながら、絶妙なブレス・コントロールに圧倒されました。
スタッカートの利いた活舌の良さが、バツグンのリズム感を示しています。

はじめてこのアルバムを聴いた時は、ビックリしましたよ。
ぼくの大好きなエジプトの歌手アンガームにもよく似た声質で、
その歌唱力の高さも、アンガームに迫るものがありました。
こんな人がチュニジアにいるのか!ってね。

シャバービーの本場といえば、やはりエジプトやレバノンで、
チュニジアはメインストリームではないので、
アマニも05年にレバノンのテレビ局LBCで放送された
スター・アカデミーに出演して、チャンスをつかんだ人でした。
その後、レバノンの詩人ハリール・ジブラーンに捧げられた戯曲に出演し、
その演劇の音楽はウサマ・ラハバーニが担当していたそうです。

そうしたキャリアを経て、07年にロターナからデビューしたわけですが、
これほど歌える人なのに、その後10年に2作目を出したのみで、
その後アルバムは出ていません。
シングルは最近も出しているようなんですが、
アラブ歌謡のシーンは競争がキビしいなあ。

飛行場の搭乗アナウンスをコラージュしたオープニングのタイトル曲から、
失意のヒロインが旅立つシーンが眼前に立ち上るかのようで、
アマニが歌うドラマに引き込まれます。
ちなみに、サブスクは曲順が変わってしまっているので、ご注意のほど。

全曲失恋ソングかと思うようなせつない曲が満載で、
アマニの歌いぶりがそれに見事にハマった名作。
これほど楽曲が粒揃いのシャバービーはなかなかありませんよ。
シャバービー傑作10選に確実に入るアルバムです。

Amani Souissi "WAIN" Rotana CDROT1315 (2007)
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この人もトゥモローズ・ウォリアーズ出身 ジュリー・デクスター [ブリテン諸島]

Julie Dexter  PEACE OF MIND.jpg   Julie Dexter  DEXTERITY.jpg

ピンクパンサレスから、フェルナンダ・ポルトそしてDJパチーフィと
ブラジルのドラムンベースに飛び火したんですが、
UKブラックで前にもこんな人がいた記憶があるんだけど、誰だっけなあと、
ずーっと気になっていて、やっと思い出しました。
ジュリー・デクスターです。
ジャマイカ人両親のもとにバーミンガムで生まれ育った、
UKブラックのシンガー・ソングライター。

99年にアメリカへ渡ってアトランタに移住し、
自身のレーベル、ケッチ・ア・ヴァイヴを立ち上げてデビューした人です。
2000年に出たジュリーのデビューEPの1曲目 ‘Ketch A Vibe’ を聴いて、
ノック・アウトを食らったんだよなあ。ドラムンベースを下敷きにしたトラックが、
なるほどUKブラックだからなのねとナットクしたものでした。

ジュリーのスウィートな歌い口とチャーミングな表情にマイってしまって、
その後02年に出たフル・アルバムの“DEXTERITY” ともども、当時ヘヴィロテしました。
‘Ketch A Vibe’ は “DEXTERITY” にも再収録された
ジュリーのシグニチャー・ソングだったので、
ドラムンベースのイメージがことさら強く記憶に残ったのでした。

ところが久しぶりに棚から取り出して、ライナーを眺めてみたら、あれっ?
‘Ketch A Vibe’ は、ドラムスにホワイリーキャットという名前がクレジットされてますよ。
これウチコミじゃなくて、生演奏だったのか!
そうか、出だしのドラミングを聴けば、ウチコミじゃないのは歴然だよな。
ドラムンベースを生演奏にトレースしたトラックだったのかあ。

あらためてライナーのクレジットをじっくりチェックしてみれば、
ウチコミを使ったトラックもあるものの、ほぼ生演奏主体じゃないですか。
当時ジュリー・デクスターは、オーガニックなテイストのネオ・ソウル・シンガーという
受け止めでしたけれど、この本格的なジャジーなセンスはひょっとしてと、
バイオを調べてみたら、びっくり。

なんと、トゥモローズ・ウォリアーズに通っていた人だったんですね。
ジャズ・ウォリアーズのメンバーのサックス奏者ジェイソン・ヤードに誘われて、
キャムデン・タウンのジャズ・カフェのサンデー・セッションで歌っていたとのこと。
そこでベーシストのゲイリー・クロスビーと知り合い、ゲイリーが91年に設立した
トゥモローズ・ウォリアーズに通う初期のメンバーだったそうです。
コートニー・パインにフックアップされて、
バンドのヴォーカリストとして世界ツアーにも参加していたとは、ビックリ。

そうかあ、ジュリーはR&Bじゃなくて、ジャズの人だったのね。
トゥモローズ・ウォリアーズのワークショップ・プロジェクトから生まれた、
ジェイソン・ヤード率いるJ.ライフにヴォーカリストとして参加して成功を収め、
J.ライフは98年のヤング・ジャズ・アンサンブル・オヴ・ザ・イヤーでペリエ賞を受賞し、
ジュリーはヤング・ジャズ・ヴォーカリスト・オヴ・ザ・イヤーで
ペリエ賞を受賞したそうです。

あらためて “DEXTERITY” のクレジットをチェックしてみれば、
全曲生演奏じゃないですか。
EPでは数曲プログラミングのトラックもありましたけれど、
フル・アルバムはすべて人力だったとは、うわぁ、ぜんぜん意識していなかったなあ。
フィラデルフィアのR&B/ヒップ・ホップ・ドラマー、
リル・ジョン・ロバーツも起用されているじゃないですか。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2014-08-03
R&Bとジャズを横断するミュージシャンたちが、
ジュリーをバックアップしていたんですね。
ジェイソン・ヤードも名前を連ねていますよ。

当時オーガニックなネオ・ソウルという側面からしか評されていませんでしたけれど、
トゥモローズ・ウォリアーズ出身のシンガー・ソングライターとわかれば、
グッと聞こえ方が変わってきますね。

Julie Dexter "PEACE OF MIND" Blackbyrd 506125-2 (2000)
Julie Dexter "DEXTERITY" Ketch A Vibe KAV002 (2002)
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オトナ同士の会話 シコ・ピニェイロ & ロメロ・ルバンボ [ブラジル]

Chico Pinheiro & Romero Lubambo  TWO BROTHERS.jpg

シコ・ピニェイロとロメロ・ルバンボのお二人。
ブラジルからアメリカへ居を移したジャズ・ギタリスト同士ということで、
デュオをするのも必然だったのでは。

55年リオ生まれのルバンボが渡米したのは、85年のこと。
75年サン・パウロ生まれのシコ・ピニェイロが
ニュー・ヨークに移り住んだのは18年のことなので、まだ5年。
二人は12年前にサン・パウロですでに出会っていたそうです。

ジャジーなMPBのシンガー・ソングライターとしてデビューした
シコ・ピニェイロですけれど、ご本人の歌はシロウトの域を出ず。
奥方のルシアーナ・アルヴィスがすごく魅力的な歌い手なので、
歌はルシアーナに全部任せちゃえばいいのにと思っていたんですが、
ジャズ・ギタリストの才能はインターナショナル・レヴェルの人なので、
今回のようなインスト作品なら、もろ手を挙げて歓迎です。

Chico Pinheiro & Anthony Wilson  NOVA.jpg

前にもシコ・ピニェイロは、ギタリストとのデュオ作品を出しましたよね。
ロス・アンジェルスのジャズ・ギタリスト、アンソニー・ウィルソンとの共演でした。
あれはいいアルバムだったなあ。
ファビオ・トーレス(p)、パウロ・パウレッリ(b)、エドゥ・リベイロ(ds)を軸に、
曲によってホーン・セクションもたっぷり入れ、
イヴァン・リンスやドリ・カイーミがゲストで歌う曲もありました。
リラックスした演奏のなかにも、二人のテクニカルなソロが
競い合うように披露されていて、スリリングな要素も満点でした。

今回のロメロ・ルバンボとのデュオは、二人のみの演奏。
二人ともアクースティックとエレクトリックを使い分けて、
まさにギターによる会話を楽しんでいるといった趣です。

レパートリーは二人のお気に入り曲を取り上げたそうで、
そこにプロデューサーが助言して、ジャヴァン、シコ・ブアルキ、ジョビン、
ミシェル・ルグラン、ビル・エヴァンス、レノン=マッカートニー、
スティーヴィー・ワンダー、ビリー・アイリッシュ、スティングが選曲されています。

二人とも抑制の利いたバランスのいいプレイをしつつ、
要所で淀みなく16分音符が流れる長い流麗なソロを繰り出していて、
その熟達したインタープレイにはタメ息が漏れるばかりです。
二人とも大声を出すことなく、相手の話をよく聴いてから応答していて、
会話を楽しむ様子が手に取れるように聞き取れる演奏ぶりですね。

相手がどんな気持ちで聴いているのかも解さず、
とうとうと演説して自己満足に陥りがちな昭和世代からすると、
シコ・ピニェイロのオトナな態度に感心してしまうのでした。
自分より若い世代って、オトナなんだよなあ。前期高齢者のガキっぷりを恥じ入ります。

Chico Pinheiro & Romero Lubambo "TWO BROTHERS" Sunnyside SSC1697 (2023)
Chico Pinheiro & Anthony Wilson "NOVA" Buriti BR001 (2007)
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褐色のカナリア ジョニー・アダムス [北アメリカ]

Johnny Adams  HEART & SOUL.jpg

ジョニー・アダムスのスリーS・インターナショナル盤は、生涯のソウル愛聴盤。
ソウル聴き始めの高校生の時に出会った、かけがえのないレコードです。
あまりにもこのレコードが好きすぎて、
80年代にラウンダーから出た諸作は、どれもなじめなかったなあ。

ジョニー・アダムスがスリーS盤で聞かせた豊潤な歌の味わいは、
ニュー・オーリンズという土地が生み出した天性を、いかんなく発揮していましたね。
とりわけカントリー・バラードの ‘Release Me’ ‘Reconsider Me’ の2曲を、
サザン・フィールたっぷりのゴスペル感覚で新たな命を吹き込ませたのは、
ジョニー・アダムス最高の仕事でした。

Johnny Adams  RECONSIDER ME.jpg

ジャケットがまたカッコよくて、独身の頃部屋に長く飾っていたものです。
CD時代になって、チャーリー・R&Bが87年に全曲CD化しましたが、
他のスリーS音源を含む22曲入りで、曲順がレコードと違うのになじめなくて困りました。
その後だいぶ経ってから、iTunes でレコードと同じ曲順にしたあと
他の曲を並べるプレイリストを作って、それ以来ずっとこれで聴いていました。

Johnny Adams  ABSOLUTELY THE BEST.jpg   Johnny Adams  RELEASE ME THE SSS AND PACEMAKER SIDES.jpg

スリーS時代の録音をまとめた編集盤は、その後もいろいろ出て、
このプレイリストに入っていない曲をそのあとに追加していました。
02年にフュオル・2000が出した編集盤以来買う、
イギリスのプレイバックから出た今度の編集盤には、
スリーSの前に契約していたペースメーカーのシングルが入っているんですね。

褐色のカナリアと呼ばれたジョニー・アダムスの艶やかな歌声、
半世紀近く聴き続けるほどに、その魅力はますます輝きを増しています。

[LP] Johnny Adams "HEART & SOUL" SSS International SSS#5 (1970)
Johnny Adams "RELEASE ME" Charly R&B CDCHARLY89
Johnny Adams "ABSOLUTELY THE BEST" Fuel 2000 302-061-245-2
Johnny Adams "RELEASE ME: THE SSS AND PACEMAKER SIDES 1966-1973" Playback PBCD016
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17年ぶりの再発 ファデラ [中東・マグレブ]

Fadela  MAHLALI NOUM.jpg   Fadela  TOUT SIMPLEMENT RAÏ.jpg

MLPの傘下で新発足した中東・マグレブ音楽のリイシュー専門レーベル、
エルミールから、ポップ・ライのファデラの06年録音作が出ましたね。

ファデラ(当時はシェバ・ファデラ)といえば、
ポップ・ライの帝王シェブ・ハレドに先んじて、
わずか17歳にしてポップ・ライの初ヒット曲を飛ばした人。
これが79年のことで、80年代半ばにはシェブ・サハラウイと結婚して歌ったデュエット曲
‘N'sel Fik’ がライ初の国際的なヒット曲になって、その名を轟かせました。
その勢いでアイランドと契約してアルバムを出したのだから、当時の人気はスゴかった。

それからだいぶ年月が流れた06年、
R&Bと結びついたラインビーがシーンを賑わせていた頃に、
ファデラがひょっこり出したアルバムが “TOUT SIMPLEMENT RAÏ” でした。
ダンス・ミュージックへとシフトしつつあったライを、
もとの歌謡ジャンルに揺り戻すかのような快作で、
当時まったく話題になりませんでしたが、ぼくはけっこう愛聴しました。

その時と同じ録音作だというので、曲目をチェックしてみると、
‘Dabazte Omri’ の1曲を除いてダブリはないので、
これは未発表録音かと喜び勇んで買ってみたら、なんと全曲同じ。
ただの再発盤ということが判明して、ガックリ。
なんだ、それ。9曲の曲名がすべてまるで違うって、どういうこと?

まぁ、自分的にはかなりガックリきたんですが、
ポップ・ライのオーセンティックなサウンドが聞ける傑作には違いないので、
これを機会に書いておこうと思った次第であります。
当時はぜんぜん話題にならなかったしね。
アズテック盤のサエないジャケットとは段違いだし、
曲順がまったく違っているけれど、レゲエ・アレンジの曲から始まるアズテック盤より、
木笛ガスバで始まるエルミール盤の曲の並びの方が断然いいですよ。

ポップ・ライがオートチューン使いになる時代以前の録音で、
オールド・スクールなライながら、ラテン風味に仕上げたトラックもあるなど、
多彩なポップ・ライ・サウンドと脂ののったファデラの歌声が楽しめる快作です。

Fadela "MAHLALI NOUM" Elmir MIR06CD (2006)
Fadela "TOUT SIMPLEMENT RAÏ" Aztec CM2076 (2006)
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厳寒期はドラムンベース オムニ・トリオ [ブリテン諸島]

Omni Trio  EVEN ANGELS CAST SHADOWS.jpg

ドラムンベースって、冬の寒さが厳しくなる頃になると、
棚から取り出してくるんですけれど、その筆頭作がオムニ・トリオの01年作。
今回は歌ものじゃなくて、ドラムンベースど真ん中の作品です。
高速に疾走する硬質なジャングル・ビートとピアノの耽美な響きが、
頬にあたる凍てつく空気の中を歩くのに、すごいフィットするんですよね。

オムニ・トリオはトリオでもなんでもなく、
ジャングリストのロブ・ヘイのソロ・プロジェクト。
ドラムンベースのレーベル、ムーヴィング・シャドウの看板アーティストでした。
当時ドラムンベースやハウスは、作品単位で聴いていたので、
一人のアーティストをずっとチェックするようなことはしてなかったんですが、
ドラムンベースのオムニ・トリオと
ハウスのラリー・ハード(ミスター・フィンガーズ)だけは、
例外的にフォローしていた人たちでしたね。

オムニ・トリオも、95年のムーヴィング・シャドウ初作からずっと聴いていました。
初期は無機質な冷たさがあったものの、
だんだんと温もりのあるメロディアスで幻想的なサウンドスケープを描くようになって、
コズミックでフューチャリスティックな世界を完成させたのが、この01年作でした。
うん、やっぱりこれがオムニ・トリオの最高傑作じゃないかな。

当時オムニ・トリオや、LTJブケム、4ヒーローといったドラムンベースは、
アートコアと呼ばれていましたけれど、いまでもこのジャンル名は通用するのかしらん。
アンビエント・ドラムンベースというか、メロディアスなのが特徴でした。

本作のきらきらとしたピアノの響きや荘厳なストリングスに、
高速ビートのループが絡んで生み出されるスペイシーでヒプノティックなムードは、
クラブよりリスニング・ルーム向けであったことも、ぼくが惹かれた要因だったと思います。

Omni Trio "EVEN ANGELS CAST SHADOWS" Moving Shadow ASHADOW26CD (2001)
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ドラムンベースからクラブ・ジャズへ <BPM> [ブラジル]

BPM  VOL.1.jpg   BPM  URBAN BOSSA VOL.2.jpg

フェルナンダ・ポルトのデビュー作を出したトラーマは、
98年に発足したレーベルで、2000年代のブラジルの音楽シーンをリードしました。
オット、マックス・ジ・カストロ、ジャイール・オリヴェイラなどの
クラブ・ミュージック世代のMPBを送り出す一方、
フェルナンダ・ポルトをリミックスしたDJパチーフィなどによるドラムンベースは、
ドラムンベース専門のサブ・レーベル、サンバロコが出していました。

DJ Patife  COOL STEPS.jpg   DJ Marky  AUDIO ARCHITECTURE 2.jpg
Patife and Mad Zoo  TRAMA D&B SESSIONS.jpg   DJ Markey & XRS  IN ROTATION.jpg

サンバロコから出たDJパチーフィやDJマーキーや
親元のトラーマが出した『ドラムンベース・セッション』、異例のヒットを呼んだ
‘LK’ を収録したDJマーキーとXRSのコンビの初アルバムなどいろいろ聴き返して、
あらためてあの時代のブラジル産ドラムンベースの良さを再確認した次第。

その魅力の底流にあるのは、やっぱりメロディの力だよなあ。
ショーロからサンバの伝統を持つブラジル音楽は、歌ものの強さが違うよねえ。
そんな歌ものの強みを発揮したユニットで忘れられないのが、
ベーシストのジェイサン・ヴァルニと
ギタリストのアンドレ・ブルジョイスが組んだ<BPM>です。

<BPM>の1作目のバック・インレイに、
「MPBにジャングル、トリップ・ホップ、ダブ、アシッド・ジャズ、ハウス、ディスコ、
エレクトロニカを融合したアーバン・ブラジリアン・サウンド」と書かれていますが、
ずばりそのとおりのサウンドが展開されています。

1作目ではアンドレア・マルキー、シモーニ・モレーノ、エドモン・コスタ、
2作目ではパウラ・リマ、マックス・デ・カストロなど大勢のシンガーをフィーチャー。
ナナ・ヴァスコンセロスのビリンバウ、
マルコス・スザーノのパンデイロなどの生の打楽器に、
管楽器のゲストも多数参加して、エレクトロと生演奏を絶妙にブレンドした
ハイブリッドなサウンドを展開しています。

1作目では、バーデン・パウエル、ドリヴァル・カイーミ、カエターノ・ヴェローゾの曲を
取り上げているので、いっそう歌もののニュアンスが強く感じられます。
2作目は2枚組で、「夜」と題されたディスク1は、<BPM>自身のほか、
DJドローレス、ボサクカノヴァ、DJマーキーなどによるリミックス集。
アコーディオンとピファノをフィーチャーした
ノルデスチ・エレクトロなトラックがあったりと、
ここでも生演奏をいかしたエレクトロニック・ミュージックを聞かせていて、
「夜明け」と題されたディスク2ともども、
ジャジーなセンスに富んだメロディアスなトラック揃い。

ドラムンベースにとどまらない、
さまざまなビート・フォームをクロスオーヴァーさせた<BPM>は、
ブラジルにおけるクラブ・ジャズの申し子だったのかもしれません。

<BPM> "VOL.1 NEXT BRAZILIAN VIBE EXPERIENCE" Urban Jungle/MCD World Music MCD109 (2000)
<BPM> "URBAN BOSSA VOL.2" Urban Jungle/MCD World Music MCD110 (2001)
DJ Patife "COOL STEPS - DRUM’N’BASS GROOVES" Sambaloco/Trama T300/523-2 (2001)
DJ Marky "AUDIO ARCHITECTURE: 2" Sambaloco/Trama T004/554-2 (2001)
Patife and Mad Zoo "TRAMA D&B SESSIONS" Trama T006/829-2 (2003)
DJ Markey & XRS "IN ROTATION" Innerground INN003CD (2004)
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ブラジリアン・ドラムンベース再び フェルナンダ・ポルト [ブラジル]

Fernanda Porto  FERNANDA PORTO.jpg

ピンクパンサレスからY2Kリヴァイヴァルを知ったという、
あいかわらず流行にウトい当方ですが、
当時を思い出すと、ドラムンベースと女性シンガーの組み合わせで
一番印象的に残っているのは、フェルナンド・ポルトかなあ。

ドラムンベースの歌もので、ブラジル人歌手がまっさきに思い浮かぶってのは、
いかにもクラブ・ミュージック門外漢ぽいですが、
そもそもドラムンベースでヴォーカリストがフィーチャーされることはそうそうなくて、
あってもアルバムに数曲あるかどうかだったよねえ。

ブラジルのドラムンベースが、ことのほか歌ものと親和性があったような記憶があるのは、
サン・パウロのDJ、DJパチーフィがリミックスした ‘Sambassim’ がきっかけ。
DJパチーフィがロンドンのジャングル/ドラムンベースのレーベル、
Vレコーディングズに売り込んでヒットさせた曲でしたけれど、
ぼくにとっても、この曲がブラジリアン・ドラムンベース開眼の1曲でした。

THE BRASIL EP.jpg

Vレコーディングズはロニ・サイズやDJクラストなど、
ドラムンベースの重要DJのリリースで知られたロンドンのレーベル。
フェルナンド・ポルトやマックス・ジ・カストロの曲を
DJパチーフィ、DJマーキー、XRSランドがリミックスした “THE BRASIL EP” は、
ドラムンベース・シーンに新たな風をもたらしました。

細分化されたドラムンベースの特徴的なビートが、
軽やかなサンバを演出した ‘Sambassim’ は、
フェルナンダ・ポルトのジョイスの歌い口を思わすヴォーカルがめちゃチャーミングで、
ひと聴きぼれしました。

当時はまだフェルナンダ・ポルトのアルバム・デビュー前で、
‘Sambassim’ のオリジナル・ヴァージョンが収録されたデビュー作は、
ヒット翌年の02年になって出ました。
ひさしぶりに棚から取り出して聴いてみたんですが、
今聴いても新鮮というか、ネオ・ソウルと融合したニュアンスで
リヴァイヴァルしている現在の方が、むしろツボじゃないですか。

当時はサンベースとかドラムンボサとか呼ばれていた、
このあたりのサウンド、少し聴き返してみようかな。

Fernanda Porto "FERNANDA PORTO" Trama T004/590-2 (2002)
DJ Patife, XRS Land, DJ Marky "THE BRASIL EP" V Recordings/Trama T002/555-2 (2001)
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UKブラック新世代のベッドルーム・ポップ ピンクパンサレス [ブリテン諸島]

PinkPantheress  HEAVEN KNOWS.jpg

うわー、めっちゃキュートな歌声。
新世代UKブラックの登場ですか。
なんの予備知識もなく、そのスウィートな歌い口にヤラれて買いましたが、
Y2Kリヴァイヴァルのムーヴメントで注目を集めるようになった人なんだとか。

Y2Kリヴァイヴァルってなんじゃ?と思ったら、
ドラムンベース、UKガラージ、2ステップといった90年代から00年代前半あたりの
クラブ・ミュージックが、数年前から再注目されるようになっているんですってね。
どうりで、最近やたらとドラムンベースを耳にすることが多くなったわけだ。
流行の30年周期って、ホントに当たってるんだなあ。
このテの音楽はぼくも当時よく聴いてたから、
ピンクパンサレスに反応したのも、不思議じゃないわけか。

とまあ、ジジイの回顧なんですが、
ベッドルーム・ミュージック仕様のドラムンベースのオープニングから、もう大好物。
ピンクパンサレスことヴィクトリア・ビヴァリー・ウォーカーは、
22歳のUKブラックのソングライターにしてプロデューサー。
プログラミングもみずからてがけていて、プロデューサーの才はズバ抜けていますよ。

それぞれ異なる表情を持つ2分程度の短い曲が13曲も並んでいるんですが、
アルバムを通して浮遊感のあるサウンドスケープが一貫しています。
そのドリーミーなアンビエンスにウットリしますよ。
ケレラをゲストに迎えた曲など、ティンバランドを下敷きにしたトラックも多く、
たしかにY2Kリヴァイヴァルを感じさせるものの、
ネオ・ソウルのデリカシーを備えたところに、21世紀の現在地を感じます。

PinkPantheress "HEAVEN KNOWS" Warner 5054197766053 (2023)
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南ア人としての自叙伝 ジョナサン・バトラー [南部アフリカ]

Jonathan Butler  UBUNTU.jpg

ひと月前に南アのウブントゥについて少し触れたばかりですけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2023-12-10
南ア出身のジョナサン・バトラーの新作のタイトルが、なんと「ウブントゥ」。

ジョナサン・バトラーといえば、グラミー賞にもノミネートされた ‘Lies’ でしょう。
あの大ヒット曲が入った87年作 “JONATHAN BUTLER” は
いまでも時折聴き返しますが、どんなに年数が経っても古びませんね。
13年に来日した際にご本人と話をするチャンスがあって、
こんな古いアルバムにサインを頼むのは悪いかなと思ったんですが、
ジョナサン・バトラーはこれ1枚しか持っていないのでした(ゴメン)。

Jonathan Butler.jpg

13歳の初シングルがバート・バカラック作の ‘Please Stay’ で、
その後スムース・ジャズ系シンガー/ギタリストという売り出しで、
若くしてイギリスに進出して成功した人だけに、
正直バトラーに南アの音楽家というイメージはまったくありません。
コンテンポラリー・ポップスの音楽家としか捉えていなかったので、
この新作タイトルは意外でした。

考えてみれば、バトラーはケープ・タウン生まれなんですよね。
これまでのイメージを一新するルーツ回帰作を作ったのかと思いきや、
そんなことはまったくなくて、これまで通り、いつものバトラーなのでした。
プロデューサーがマーカス・ミラーだもんねえ。
ミラーはベース・ソロばかりでなく、ピアノ、ギター、サックス、ドラムスと
さまざまな楽器を演奏して、サウンドメイクをしています。

オープニングは、スティーヴィー・ワンダーの ‘Superwoman’ をカヴァー。
終盤にリズムがレゲトンへスウィッチして、スティーヴィーがゲストで
ハーモニカを吹く趣向は、なかなかにスウィートなアレンジ。
バトラーの声はさすがに年輪を重ねて太くなったとはいえ、
歌い回しが昔とぜんぜん変わっていなくて、まさにバトラー節ですね。

バトラーが弾くナイロン弦ギターによるインスト曲も、
87年作と変わらぬ作風ですけれど、
8曲目の ‘Coming Home’ の主メロに、ほのかな南ア色があります。
ここが今作でゆいいつ南アらしさを感じられたところかな。
歌詞には自叙伝が記されているようですけれど、
サウンドはあくまでも王道ポップス。バトラーらしい作品で、ぼくは好きです。

Jonathan Butler "UBUNTU" Mack Avenue ART7080 (2023)
Jonathan Butler "JONATHAN BUTLER" Jive 1032-2J (1987)
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蘇るセネガリーズ・ポップ黄金期のサウンド ジェウフ・ジェウル・ド・ティエス [西アフリカ]

Dieuf-Dieul De Thiès  Buda.jpg

ビックリ二乗。

ひとつめのビックリは、
わずか79年から82年までしか活動しなかったセネガルのバンドが
33年ぶりに再結成して出した新作だということ。

ジェウフ・ジェウル・ド・ティエスは、活動期には1枚のレコードも出さず、
2013年にテレンガ・ビートが未発表だったマスター・テープを掘り起こすまで、
幻のバンドだったんですよ。なんせ、2002年にオランダのダカール・サウンドが出した
ティエスのバンドのコンピレーション “MEANWHILE IN THIES” で、
かろうじて2曲が聴けるだけのバンドでしたからねえ。

MEANWHILE IN THIÈS….jpg

で、ふたつめのビックリは、これが新作?と戸惑ってしまうほど、
80年前後のサウンドが真空パックそのままに飛び出てきたこと。
ファズやフランジャーを利かせたエレクトリック・ギターも懐かしく、
サウンドのすみずみまでヴィンテージ感が充満しています。
それもそのはず、真空管マイクや旧式ミキサーといった昔の機材を
160キロ以上もフランスから運び込んでレコーディングしたというのだから、
80年当時のアナログ感が再現できるはずです。

Dieuf-Dieul de Thies  Aw Sa Yone Vol.1.jpg   Dieuf-Dieul de Thies  Aw Sa Yone Vol.2.jpg

オリジナル・メンバーで残っているのは、リーダーでギタリストのパープ・セックと
リード・ヴォーカルのバシル・サル二人だけですけれど、テレンガ・ビートの2枚に
収録されていた往年のレパートリーをほぼ昔のままのアレンジで再演し、
今回のレコーディングのために用意された新曲2曲もやっています。
ホーンズを含むメンバー全員によるライヴ・レコーディングだったようで、
そのダイナミズムに富んだグルーヴは最高ですね。

本作のレコーディングは19年に行われましたが、
それに先立つ17年にオランダで開催されたアフリカ・フェスティヴァル・ヘルトメに
出演した時のライヴ2曲が最後に収録されています(CDのみ。LPは未収録)。
これがまたスケール感のある演奏で、ライヴ・バンドとしての実力の高さにウナりました。

この2曲を含む4曲を収録したライヴ盤が、
オランダのヴェリー・オープン・ジャズから18年に出ていたらしく、
残り2曲もぜひ聴いてみたいなあ。
ちなみにこのライヴ盤、前年のフェスティヴァルに出演した
ケニヤのレ・マンゲレパのライヴとのカップリングとなっているようです。
そういえば、マンゲレパもこの頃に復帰作を出したっけ。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-12-01

Dieuf-Dieul De Thiès "DIEUF-DIEUL DE THIÈS" Buda 860390 (2023)
Royal Band, Dieuf Dieul "MEANWHILE IN THIÈS… :DAKAR SOUND VOLUME 9" Dakar Sound DKS020
Dieuf-Dieul De Thiès "AW SA YONE VOL.1" Terenga Beat TBCD017
Dieuf-Dieul De Thiès "AW SA YONE VOL.2" Terenga Beat TBCD020

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心が整う音楽 カントゥルム・ドンマン [東南アジア]

Kantrum Dongman  NORTHERN KHMER SPIRIT MUSIC IN THAILAND.jpg

ヨガを終えた後にも似た、心と呼吸が整うアルバム。
その音楽は、タイ東北部スリン県、スリサケット県、ブリーラム県、
ウボンラーチャターニー県に暮らすクメール人が伝えてきた儀礼音楽のカントゥルム。

クメール人の国カンボジアで、
クメール・ルージュの弾圧によって滅ぼされたカントゥルムのもっとも古いスタイルが、
タイでわずか140万人の少数民族のクメール人によって継承されてきたんですね。
タイのクメール人は、6世紀のチェンラ王国にさかのぼる
初期のクメール国家を築いた人々の末裔といわれています。

カントゥルムといえば、80年代半ばにカントゥルム・ロックで旋風を巻き起こした
タイのダーキーがまっさきに思い浮かびますけれど、ダーキーがやっていたのは、
カントゥルムをエレクトリック化して、ぐっと現代化したカントゥルム・プラユック。
それに対してここで聞かれるのは、
もっとも古く伝統的なカントゥルム・ボランと呼ばれるもので、
祖先の霊を招き、生者を癒し、祝福するために演奏される音楽で、
アニミズムの色彩の強い儀礼音楽です。

カントゥルム・ドンマンは、スリン県ドンマン村出身の老若7人のグループ。
ダブル・リードの笛、胡弓が奏でるメロディーに合わせて、
歌い手がコブシをたっぷりと利かせながら歌い、
その合間を縫うように、ゆったりとおおらかなリズムで太鼓が打たれます。
場を清めるような清廉さのある音楽で、ゆるやかなリズムは、
聴き手の緊張を解きほぐし、心を落ち着かせる効能があります。

はじまりの2曲は、ワイ・クルと呼ばれる儀式の始まりに演奏される曲だそうで、
3曲目から大小のシンバルが加わり、テンポも少し早められて
華やいだ雰囲気が醸し出され、リズムにも変化が表われてきます。
歌い手を囃すかけ声がかけられて、踊りのための曲のようです。

リズムがまるっこくて、これほど柔らかなグルーヴというのも、
めったに味わえるもんじゃないですね。
曲ごとにヴァリエーションのあるリズムが聞き取れ、
こうした音楽にありがちな単調さはまったくありません。

そしてこのCD、録音がすごく良いんです。
太鼓の低音がよく録れていて、腹にズンとくる響きと、
空を舞う歌と胡弓のレイヤーは臨場感たっぷりで、
目の前で演奏されているかのよう。
正月三が日、すっかりわが家のBGMとなって楽しませてもらいました。
心が整うカントゥルム、これは愛聴盤になりそうです。

Kantrum Dongman "NORTHERN KHMER SPIRIT MUSIC IN THAILAND" Animist ANIMIST010 (2022)
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日本一美しいソプラノ・サックス 山口真文 [日本]

山口真文 VIENTO.jpg

山口真文のソプラノ・サックスは、日本一。
そう確信して半世紀近くが経ちますけど、
いまだその確信を揺るがすプレイヤーは現れないから、その見立ては確定済み。

山口真文のソプラノのどこがいいって、音色ですよ。
音色の美しさが天下一品なんです。
サウンドもヴォリュームがあって、堅牢な響きは理想的。
山口のソプラノの硬質なリリシズムが発揮された演奏では、
ケニー・カークランドのエレピとトニー・ウィリアムズのしなやかなドラムスを
後ろ盾にした81年の『MABUMI』収録の「Thalia」や「Illusion」、
96年の『REGALO』収録の「Empty Mirror」「Miros」が忘れられません。

山口真文  MABUMI.jpg   山口真文  REGALO.jpg

山口のソプラノがアグレッシヴな熱演を残したのは、ジャズよりもフュージョンで、
81年の『マダガスカル・レディー』での名演について以前も書きましたけれど、
「Madagascar Lady」「Get Away」の2曲のソロは圧巻です。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-06-01
ソプラノ・サックスをあれだけ激しく吹いて、音程がまったく揺らがないのは、
アンブシュアがいかにしっかりしているかってことですよね。

その大・大・大好きな山口のソプラノ・サックスを全曲で聴けるという、
涙ちょちょぎれる新作が出ました。
全曲ソプラノ・サックスのみで演奏したアルバムは、
山口のソロ10作目にして初じゃないですか。

プロデューサーの平野暁臣がライナー・ノーツに、
「彼のソプラノは日本ジャズ界で一二を争う表現力を備えています」と書いていて、
「一二を争う」じゃない、「一」だろと心の中で突っ込んだのですが、
「なんといっても真文さんの音色が美しい」と書いていて、
よくぞこのアルバムを企画してくれたと思いましたねえ。

ワン・ホーン・カルテットで、全曲山口のオリジナル。
ストレート・アヘッドなジャズで、『MABUMI』収録の「Thalia」、
『REGALO』収録の「Empty Mirror」「True Face」を再演しています。
山口らしい研ぎ澄まされた一音一音に、ただただ感服するばかりですよ。
直情型なプレイと制御の利いた冷徹なコントロールのバランスが、
山口のジャズの真骨頂でしょう。

今作では本田珠也の勇猛果敢なドラミングが聴きもの。
片倉真由子という人のピアノは初めて聴きましたが、
マッコイ・タイナーばりのどっしりとした揺るぎないプレイに感じ入りました。
真摯に音楽を追い求めてきたヴェテランならではの、
ビターで奥深い表現を味わえる傑作です。

山口真文 「VIENTO」 Days Of Delight DOD040 (2023)
山口真文 「MABUMI」 トリオ POCS9314 (1981)
山口真文 「REGALO」 イースト・ワークス・エンタテインメント MAB001 (1997)
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クロアチアのルーツ・ポップ ズリンカ・ポサヴェツ [東ヨーロッパ]

Zrinka Posavec  PJESME O LJUBAVI I TIJELU.jpg

なんの予備知識もなく買った、クロアチアの女性歌手のアルバム。
整った美しい発声とケレンのない歌いぶりに吸い寄せられました。
ピアノ、ギター、コントラバス、パーカッションの4人による
アクースティック・サウンドをバックに歌っています。
1曲をのぞいて、すべて主役のズリンカ・ポサヴェツの作曲で、
シンガー・ソングライター・アルバムのようですね。

どんな人なのかと調べてみたら、幼い頃から学んだ伝統音楽と
芸術アカデミーの教育機関で学んだクラシック声楽を組み合わせて、
14年からソロ活動を始めた人とのこと。
クロアチア全土の伝統音楽を採集し録音する活動も行い、
現在はザグレブの芸術学校で声楽教育者として歌唱指導をしているそうです。

21年に出した本作は、そんなズリンカのキャリアを生かして、
クラシックの唱法にクロアチアの民俗音楽や
オリエントな音楽要素を溶け込ませたサウンドが楽しめます。
余談ながら4曲目の ‘Kos’ なんて、
ダン・ヒックスの ‘I Scare Myself’ を思わせる。
やさぐれたオリエンタル風味のメロディで、ゾクゾクしちゃいましたよ。

洗練されたアレンジを聞かせる小人数による伴奏は、
1曲目を除いてジャズ的な語法を使わずにいながら、
きわめて現代的なフォーク・ジャズのアトモスフィアがあって、
民俗音楽を取り込んだ21世紀のワールド・ミュージック的表現にも思えます。

オーセンティックな伝統音楽からは遠く、
クラシック声楽の折り目正しさはあるものの、
エゴのない歌いぶりは、好感度大。
現代の女性シンガー・ソングライターにありがちな意識高い系の歌い口でないのも、
ぼくとしては安心して聴いていられるところなのでした。

Zrinka Posavec "PJESME O LJUBAVI I TIJELU" Croatia CD6115051 (2021)
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清々しいガザル ナイヤラ・ヌール [南アジア]

Nayyara Noor  NAYYARA SINGS FAIZ.jpg

あけましておめでとうございます。
2024年の年初めは、ナイヤラ・ヌールのガザルにしようと思っています。

暮れにエル・スール・レコーズへ寄ったさい、
原田さんがナイヤラ・ヌールの “NAYYARA SINGS FAIZ” の
インド盤LPを手に入れたということで聞かせてもらったんですが、
やっぱり、いいなあと二人で相好を崩したばかりなんですよ。

ナイヤラ・ヌールのこの名作は、
07年にインドで出たリマスターCDで聴いていましたが、
もう何十年も棚の肥やしとなったまま。
ガザルばかりじゃなく、インドやパキスタンといった南インドの音楽と
すっかり疎遠になっていたのに気付いて、
それじゃ新年にゆっくり聴き直そうと、愉しみにしていたわけです。

50年インド生まれのナイヤラ・ヌールは、
家族とともにパキスタンへ移り、プレイバック・シンガーとして活躍した人。
今回調べて初めて気づきましたけれど、
おととし22年8月20日に亡くなられたんですね。
ナイヤラ・ムールの名声は、プレイバック・シンガーとしてよりも、
現代ウルドゥー語の詩人が書いたガザルを数多く歌ったことで高まり、
清々しい歌声で聞かせたロマンティックな恋愛詩が絶賛されました。

ナイヤラの代表作は、
パキスタンの詩人で社会活動家のファイズ・アハマド・ファイズの詩に、
アルシャド・マフムードとシャーヒド・トゥージーが曲をつけた76年のアルバム。
のちにインドでリマスターCDが出たように、
パキスタン・インド両国で高い評価を得た、ガザル名盤中の名盤です。

シタール、タブラ、ハーモニウムなどの軽古典の楽器編成に、
ピアノ、ギター、ヴィブラフォンを加え、
のちのポップ・ガザルの原型ともいうべきサウンドにのせて、
ナイヤラの柔らかな発声が優美な世界へといざなってくれます。

気負いのない力の抜けた歌いぶりに、
アジア歌謡における歌唱の美学が詰まっていて、
おだやかで静かな正月を迎えるのに、うってつけのアルバムでしょう。

Nayyara Noor "NAYYARA SINGS FAIZ" EMI/Virgin 50999-500041-2-6 (1976)
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マイ・ベスト・アルバム 2023 [マイ・ベスト・アルバム]

和久井沙良  TIME WON’T STOP.jpg   Michael Pipoquinha  UM NOVA TOM.jpg
Stan Mosley  NO SOUL, NO BLUES.jpg   Levelle  PROMISE TO LOVE.jpg
Toto ST  FLAVORS OF TIME.jpg   LINION  Hideout.jpg
Dayang Nurfaizah  BELAGU II.jpg   Dato’ Siti Nurhaliza  SITISM.jpg
EABS meets Jaubi  IN SEARCH OF A BETTER TOMORROW.jpg   Koma Saxo  POST KOMA.jpg

和久井沙良 「TIME WON’T STOP」 アポロサウンズ APLS2211 (2022)
Michael Pipoquinha "UM NOVA TOM" Umbilical 21#03 (2023)
Stan Mosley "NO SOUL, NO BLUES" Dialtone DT0032 (2022)
LeVelle "PROMISE TO LOVE" SoNo Recording Group no number (2023)
Toto ST "FLAVORS OF TIME" 17A7 17A722004 (2022)
LINION 「HIDEOUT」 嘿黑豹工作室 no number (2023)
Dayang Nurfaizah "BELAGU II" DN & AD Entertaintment no number (2023)
Dato’ Siti Nurhaliza "SITISM" Siti Nurhaliza Productions/Universal 5840000 (2023)
EABS meets Jaubi "IN SEARCH OF A BETTER TOMORROW" Astigmatic AR024CD (2023)
Koma Saxo "POST KOMA" We Jazz WJCD50 (2023)

2023年は、ようやくライヴ観戦再開となった年。
もともとライヴへ熱心に通うタイプではなかったけれど、
3年もまったく生を観なかったなんて、音楽人生で初の異常事態。
聴きたい人がなかなか来日してくれないけれど、今後に期待ですね。
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モザンビーク少数民族チョピ人の木琴ティンビラ マチュメ・ザンゴ [南部アフリカ]

Matchume Zango  TATEI WATU.jpg

旅するサックス奏者仲野麻紀が日本に連れてきた、
モザンビークのティンビラ(木琴)奏者マチュメ・ザンゴの19年作。
ライヴ会場で手売りするために本人が携えてきたのだそう。

モザンビーク南部の少数民族チョピ人の木琴ティンビラが
世界的に知られるようになったのは、ヒュー・トレイシーが
48年に著した “CHOPI MUSICIANS” がきっかけ。
ヒュー・トレイシーが43年から63年にかけて録音した
ティンビラ演奏の5曲が、いまはSWPの『南部モザンビーク編』で聞けます。

SOUTHERN MOZAMBIQUE 1943 ’49 ’54 ’55 ’57 ‘63.jpg

低音から高音まで各音域を受け持つ10台以上のティンビラが、
いっせいに鳴らされる合奏は、まさにド迫力。
バリ島のジェゴグやトリニダード島のスティールバンドにも劣らぬ大音響で、
倍音とサワリ音が嵐のように迫ってくるんですが、
ヒュー・トレーシーの録音は古くて、さすがにそこまでの迫力は感じ取りにくい。

Timbila Ta Venacio Mbande.jpg   Venancio Mbande Orchestra  TIMBILA TA VENANCIO.jpg

ぼくが最初にブッとんだティンビラ・オーケストラは、
92年にベルリンで録音されたヴェナンシオ・ンバンデのヴェルゴ盤です。
ヴェナンシオ・ンバンデ率いるオーケストラは、もう1枚
00年に現地でフィールド録音されたネクソス盤があって、
この2枚はティンビラ・オーケストラのスゴさを体感できる名作です。

この2枚のリーダー、ヴェナンシオ・ンバンデ(1933-2015)は、
首長に捧げる組曲ンゴドを演奏する伝統音楽家として、
長きにわたるモザンビーク内戦期間中も定期的に演奏を続けた偉人です。

ンバンデは6歳で叔父からティンビラを習い、
18歳で南アの鉱山労働者として出稼ぎに出て、同じチョピ人鉱山労働者
とともにティンビラを演奏し、56年にオーケストラを編成して作曲を始めました。
95年にモザンビークへ帰国してからはティンビラ学校を設立して、
ヒューの息子アンドリュー・トレーシーの支援を受けながら、
チョピの音楽遺産を後世に残しました。

先に挙げたヴェルゴ盤やネクソス盤に収録されているンバンデの曲を、
ベース、ドラムス、ギター、キーボードといったバンド演奏で
現代化して聞かせているのが、マチュメ・ザンゴのアルバムです。
ジャケットのサブ・タイトルにあるとおり、ンバンデのトリビュート作で、
ジャケットに写っているのもンバンデなら、ライナーにも
マチュメとンバンデが一緒に写っている写真が載っています。
このアルバムでティンビラは、マチュメともう一人による2台だけで演奏されていますが、
ンバンデのオリジナルに沿ったアレンジになっていますね。

Eduardo Durão & Orquestra Durão  TIMBILA.jpg

こうしたティンビラの伝統音楽をモダン化した試みでは、
グローヴスタイルが91年に出した
エドゥアルド・ドゥランのアルバムがありましたね。

最後に、ティンビラとは複数形の呼び名で、単数ではンビーラといいます。
ジンバブウェ、ショナ人の親指ピアノ、ンビーラと同じ名称なのです。

Matchume Zango "TATEI WATU: TRIBUTO VENÂNCIO MBANDE" Nzango Studio no number (2019)
Field Recordings by Hugh Tracey "SOUTHERN MOZAMBIQUE 1943 ’49 ’54 ’55 ’57 ‘63" SWP SWP021/HT013
Timbila Ta Venancio Mbande, Mozambique "XYLOPHONE MUSIC FROM THE CHOPI PEOPLE" Wergo/Haus Der Kulturen Der Welt SM1513-2/281513-2 (1994)
Venancio Mbande Orchestra "TIMBILA TA VENANCIO" Nexos World 76016-2 (2001)
Eduardo Durão & Orquestra Durão "TIMBILA" Globestyle CDORBD065 (1991)
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ジャズで描くトリニダードのカーニヴァル史 エティエン・チャールズ [カリブ海]

Etienne Charles  CARNIVAL.jpg

21世紀のジャズ・ミュージシャンたちが、自身のルーツを深く研究して、
みずからのジャズに取り入れようとするのは、
いまや全世界的にみられる傾向ですね。
グローバルになったジャズで、みずからのアイデンティティを
ルーツ・ミュージックに見出そうとするのは、自然の成り行きといえます。

エティエン・チャールズもまさにその一人で、
前回取り上げたクリスマス・アルバムは、エンターテインメントと
ルーツ・ミュージックの希求が見事に融合した作品でした。
同じカリブ海出身のジャズ・ミュージシャンでは、
奇しくも同じトランペッターのエドモニー・クラテールがいましたね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-07-26
エドモニーはグアドループ出身で、
島の伝統音楽であるグウォ・カを取り入れたジャズを演奏しています。

7作目を数えるエティエンの17年作は、
これまで歩んできたトリニダード音楽探求の旅が
素晴らしい果実となって実ったのを実感させる最高傑作です。
16年にグッゲンハイム奨励金を得たエティエンは、
カーニヴァル時期のトリニダード島を訪れて、
さまざまなフィールド・レコーディングを行い、
作曲のインスピレーションとアルバムの構想をまとめたのでした。

1曲目の ‘Jab Molassie’ の冒頭から、
ビスケット缶(苛性ソーダ缶とともにスティールドラムが発明される前に
使われていた打楽器)を乱打する金属音が響き渡り、
元解放奴隷の製糖工場の労働者たちが悪魔に仮装して踊った、
トリニダードのカーニヴァルでもっとも古い仮装のジャブ・モラッシーが演じられます。
ハイチ系アメリカ人ドラマーのオベド・カルヴェールが、
2001年に録音されたジャブ・モラッシーのリズムに重ねて
複雑なポリリズムをかたどります。

2曲目の ‘Dame Lorraine’ はカーニヴァルのパロディ劇で、
クレオール女性の神秘で官能的なダンスを再現したもの。
4曲目の ‘Bois’ は、1881年のカンブーレイ暴動を契機に1884年に非合法化された
スティックファイティングを表現した曲で、カレンダのリズムで演奏されています。
このほかにも、エティエンがフィールドレコーディングした
タンブー・バンブーやアイアン、スティールパンをフィーチャーしながら、
カーニヴァルのエネルギーを再現した演奏に感服するほかありません。

エティエンとともにこの物語を演じるのは、ジェイムズ・フランシーズ、
ダビッド・サンチェス、ゴドウィン・ルイス、ブライアン・ホーガンズ、
アレックス・ウィンツ、ベン・ウィリアムズという精鋭がずらり。
これほどの作品、これまでまったく話題に上らなかったのが、信じられません。

Etienne Charles "CARNIVAL - THE SOUND OF PEOPLE VOL.1" Culture Shock Music EC007 (2017)
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今年はクレオール・クリスマス エティエン・チャールズ [カリブ海]

Etienne Charles  Creole Chriistmas.jpg

クレオール・クリスマス!
今年のクリスマスは、トリニダードのトランペット奏者エティエン・チャールズですよ。
夏に見つけたんですが、半年近く寝かせておりました。

エティエン・チャールズは、ミシガン、イースト・ランシングを拠点に
活躍するジャズ・ミュージシャン。ロバータ・フラック、マーカス・ロバーツ、
マーカス・ミラー、カウント・ベイシー・オーケストラ、モンティ・アレクサンダー、
グレゴリー・ポーターなど数多くのアーティストのサイドマンとして活動するかたわら、
ソロ・アーティストとしてトリニダード音楽文化に深く傾倒したアルバムを
制作し続けている、注目すべき音楽家です。

それはエティエンのアルバム・タイトルを見れば一目瞭然で、
06年のデビュー作は “CULTURE SHOCK”、09年のセカンドは “FOLKLORE”、
11年のサードはなんと “KAISO” ですよ。
カイソはカリプソの前身となった歌謡音楽ですね。
15年の4作目 “CREOLE SOUL” に次いで同年に出された5作目が、
このクリスマス・アルバムなのでした。

これがもうゴキゲンなんですよ。
1曲目はマイティ・スポイラーの59年のカリプソ ‘Father Christmas’ で、
歌うはなんとリレイター! 現役カリプソニアンでは最高の人で、
アンディ・ナレルと共演した名作を覚えている人も多いはず。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-07-03
ビッグ・バンド・スタイルで歌う、クラシックなカリプソの味わいがたまりません。
そうそう、アンディ・ナレルはリレイターが歌う別の曲にゲスト参加していますよ。

続く2曲目は、チャイコフスキーのくるみ割り人形第2幕第12曲の「チョコレート」。
この曲をトリニダードのクリスマス音楽パランにアレンジして聞かせます。
パランは、ベネズエラから伝わったスペイン系歌曲で
ストリングス・アンサンブルを伴奏に歌われる音楽です。
ここではベネズエラの都市弦楽アンサンブルのスタイルで演奏していて、
ベネズエラ人クアトロ奏者ホルヘ・グレムの超絶プレイが聴きどころ。

トリニダードの偉大な作曲家ライオネル・ベラスコの曲も2曲、
名曲 ‘Juliana’ と ‘Roses Of Caracas Waltz’ を取り上げています。
クアトロのホルヘ・グレムに加えて、
ヴェテランのベネズエラ人マラカス奏者クラリタ・リヴァスに
北マケドニア人クラリネット奏者イスマイル・ルマノフスキーが参加。
ベラスコの曲らしい古風なエレガントさが、見事に表現されています。

そんなノスタルジックな曲もあれば、ドニー・ハサウェイの ‘This Christmas’ や
定番の ‘Santa Claus Is Cominng Town’ のハツラツとした演奏もあって、
エンターテインメント作品としてのクオリティも申し分ないアルバムです。

このほかトリニダードのミュージシャンでは、
ナット・ヘップバーンの61年のカリプソを歌うデイヴィッド・ラダーが
いつになく優しい歌い口で歌っているのも珍しければ、
ヴェテラン・ベース奏者のデイヴィッド・ハッピー・ウィリアムズにも注目。
シダー・ウォルトンのグループで長年活躍してきた人ですけれど、
この人もトリニダード人ですね。

そして驚きは、ラスト・トラックでフィドルを演奏するスタンリー・ローチ。
なんとこの人、ポート・オヴ・スペインのストリートで演奏しているおじいちゃん。
こんなストリート・ミュージシャンをスタジオに呼ぶエティエン、
ただものじゃありません。

最後に、本人の発音が不明のため、いちおう「エティエン」と書いてきたものの、
「イーティエン」と発音する人もあり、正確な読みは不明です。
一部で書かれる「エティエンヌ・チャールズ」と仏・英語をごっちゃに読むのは、
さすがに違うでしょう。

Etienne Charles "CREOLE CHRISTMAS" Culture Shock Music EC005 (2015)
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ジョアン・ジルベルトの「カリニョーゾ」 [ブラジル]

João Gilberto  AO VIVO NO SESC.jpg

98年4月5日、ジョアン・ジルベルトが
サン・パウロのセスキ・ヴィラ・マリアナ劇場で行ったライブ録音がお蔵出し。
この2枚組CDを最初に店頭で見かけた時はスルーしたんだけど、
98年録音ならギリギリ大丈夫かなと思い直し、買ってみました。

「ギリギリ大丈夫」というのは、2000年の “JOÃO VOZ E VIOLÃO” で
ジョアン・ジルベルトのあまりの衰えぶりにガクゼンとなり、
以後ジョアン・ジルベルトのフォローをやめたからです。
ところが日本ではこの頃からジョアンを神格化して、
「法王」などと持ち上げる傾向に拍車がかかり、
ぼくはますます反発を感じて、後年のジョアンを完全無視するようになりました。

前にも書きましたけど、ぼくにとってのジョアン・ジルベルトは
色気あふれる初期だけで、後年では85年のモントルー・ライヴがゆいいつの例外でした。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-11-05
ジョアン・ジルベルトは枯れた味わいが出るようなタイプの歌い手じゃないから、
後年の神格化する非音楽的な評価は、愚かしい権威付けにすぎません。

で、問題は90年代という録音時期です。
オフィシャルで出た94年のサン・パウロのテレビ特番のライヴ
“AO VIVO - EU SEI QUE VOU TE AMOR” も衰えが目立って、
早々に処分してしまったし、手元にある96年のイタリアの
ウンブリア・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴ盤がまあまあ悪くないといったところ。

果たして98年のライヴはどんなものかと、疑心暗鬼で聴き始めましたが、
それほど衰えは感じられず、ジョアンも気分良く歌っていますね。
わずか645人という観客数は、度を越した完璧主義者に快適だったのかも。
老人声で色気を求めるべくもないところは、目をつぶりますけれど。

ジョアンが愛する古いサンバや往年のボサ・ノーヴァ全36曲は、
ファンにはおなじみのレパートリー。2時間弱というヴォリュームで、
96ページのブックレットには、ポルトガル語・英語解説と全曲の歌詞が付き、
原曲の歌詞をジョアンが変えて歌っている箇所も、丁寧に書かれています。

発売元のSESCによれば、
‘Violão Amigo’ ‘Rei Sem Coroa’ がCD初収録とありますが、
それよりびっくりなのは、ピシンギーニャとジョアン・ジ・バーロの大名曲 ‘Carinhoso’。
ジョアンが歌う「カリニョーゾ」なんて初めて聴いたぞ。これもCD初収録じゃないの?

ブラジル音楽の名曲中の名曲、情熱的なラヴ・ソングですけれど、
曲がドラマティックに盛り上がる一番の聞かせどころ、
‘Vem, vem, vem, vem’ (来て、来て、来て、来て)を、
ジョアンはギターだけの演奏にして、歌わないという暴挙に出ています。
過度な表現を抑えて、さりげない歌にしたかったのでしょうか。

歌い出しからして、歌とギターの拍をずらしまくり、
小節の区切りも無視して先走ったり、跳ねたり、縮めたりと自由自在に歌う、
ジョアン独特の無手勝流ギター弾き語りが
この名曲「カリニョーゾ」でも遺憾なく発揮されています。
ジョアン・ジルベルトの歌のシンコペーション感覚って、まぢ変態。
この1曲だけで、この2枚組は聴く価値があると思いますよ。

João Gilberto "AO VIVO NO SESC 1998" SESC CDSS0177/23
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