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確実な成長を遂げたセカンド 和久井沙良 [日本]

和久井沙良 INTO MY SYSTEM.jpg

昨年聴いたアルバムでぶっちぎりのナンバー・ワンだった、和久井沙良のデビュー作。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/archive/c2306281417-1
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2023-01-08
はや2作目が届きました。

和久井のピアノに森光奏太のベース、上原俊亮のドラムス、
イシイトモキのギターの3人を核に、シンガーとラッパーを
フィーチャリングする態勢はデビュー作同様。
前半にアグレッシヴな攻めたトーンの曲を並べてドキドキ感を煽り、
中盤にピアノ・ソロを置いてじっくり聴かせるというアルバム構成も同様。

アルバム全体としては続編的内容といえるんですけれど、
各曲それぞれは前作とだいぶ趣向を変えているんですね。
まず、あれっ?と思ったのが、
オープニングの mimiko の歌をフィーチャリングしたタイトル曲。
これ、ウチコミなんですね。エレクトロ・ポップな仕上がりとなっていて、
デビュー作で仰天させられた変拍子使いやポリリズムで
めちゃくちゃプログレッシヴな展開をするオープニングとは違って、
超シンプルな作りになっています。

前作と違って、ウチコミを多用しているのが一番の大きな変化で、
ウチコミを多用しながら、ドラムスだけ生という ‘Morning Bread’ や、
‘Rust’ のアンビエントなサウンドと、
細分化されたドラムスのビートの組み合わせなど、面白い効果を生んでいます。
LioLan から試み始めた、和久井自身によるヴォーカルもすごくいい。

和久井によるトラック・メイキングが増えて、作品のヴァリエーションが増えましたね。
LioLan での経験も生かされて、
ただでさえ幅の広い和久井の音楽性がさらに拡張したようです。

中村佳穂が参加した曲もあって、おぉ、と思ったら、
和久井が中村のファンだったとのこと。
やっぱ才能のある人は、互いに惹かれ合うんだなあ。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-12-12

それでいて、和久井の真骨頂といえる拍子がくるくると変わる
展開の曲もちゃんとあって(‘Vernel’)、
その複雑なリズムを ODD Foot Works の Pecori のラップが見事に乗るのは、
ホント、ブラボーですね。

和久井沙良 「INTO MY SYSTEM」 アポロサウンズ APLS2403 (2024)
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引きこもりのエキゾティカ チョコパコチョコキンキン [日本]

Cho Co Pa Co Cho Co Quin Quin  tradition.jpg

もしかして細野晴臣のお孫さん?
思わずそんな問いかけをせずにはおれない、
東京の3人組、チョコパコチョコキンキン。

音楽は細野晴臣のトロピカル三部作を参照して、
音像を『HOSONO HOUSE』の宅録サウンドで仕上げたら、
こんなんできました的なエレクトロニカ作品。
細野のひょうひょうとしたヴォーカルや、
ユーモアのセンスまでもが乗り移っているかのよう。

ただどうもこの3人組、細野晴臣を意識して作ったふうな様子がなく、
どこかアマチュアの遊び感覚でイタズラしてたらできちゃった、
みたいな偶然性が感じられるところが、すごく面白い。
「引きこもりのエキゾティカ」みたいなイメージを掻き立てられたんだけど。

別々の曲を同じ歌詞で歌ってみたり、
歌詞の一部を別の曲でそのまま使ってみたりと、
およそプロの目が通っていない、編集者不在の本みたいな
シロウト臭さがいっぱいなのに、それが弱点とならず、
その無邪気さが作品の軽やかさにつながっている不思議さ。

小学生時代の幼なじみだという三人組。
グループ名はキューバのハバナ大学に留学していたメンバーの一人が、
最初に教わったリズム・パターンだそう。口唱歌(口太鼓)なのね。
偶然の産物ぽい作品なので、
次作はまったく別物になっちゃいそうな気もするけれど、
そんな予測不可能なところが楽しみな3人組ですね。

Cho Co Pa Co Cho Co Quin Quin 「tradition」 チョコパ CCPQ00002 (2024)
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日本のクロスオーヴァーの立役者 渡辺貞夫、日野皓正 [日本]

渡辺貞夫 I’M OLD FASHIONED.jpg   渡辺貞夫 My Dear Life.jpg

ジャズのヴェテランがクロスオーヴァーを手がけるようになったのは77年と、
前回書きましたけれど、その象徴的なミュージシャンがナベサダ(渡辺貞夫)でした。

76年に、ハンク・ジョーンズ、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズと
『アイム・オールド・ファッション』というタイトルどおり、ビバップにまでさかのぼった
伝統回顧作を出して、その翌77年に出したのが、デイヴ・グルーシン、リー・リトナー、
チャック・レイニー、ハーヴィー・メイソンとのクロスオーヴァー作
『マイ・ディア・ライフ』だったんですよ。この振れ幅は大きかったよねえ。

76年といえば、前回も書いたリー・リトナーやアール・クルーのデビュー作や、
クルセイダーズの “THOSE SOUTHERN KNIGHTS” に夢中になっていた年。
あ、ジョージ・ベンソンの “BREEZIN'” も76年だっけか。
そういう下地のあった翌77年に、日本でもクロスオーヴァーが大爆発したわけで、
ナベサダがその旗振り役でした。

日野皓正 May Dance.jpg   日野皓正 City Connection.jpg

それには少し出遅れというか、時差があったのが日野皓正で、
77年にクロスオーヴァーではなく、最高にトガったジャズ作品『メイ・ダンス』を出して、
79年にバリバリのクロスオーヴァー作『シティ・コネクション』を出したんでした。
この二作の振れ幅の大きさは、ナベサダの二作と双璧。

『メイ・ダンス』は、トニー・ウィリアムズとロン・カーターという重鎮に、
新人ギタリストのジョン・スコフィールドを加えたカルテットで、
いまでもぼくはヒノテルの最高作はコレだと思っています。

それに対し、79年に出した『シティ・コネクション』は、
冬のサントリーホワイトCMにタイトル曲が起用されて、大ヒットしたんですよね。
クロスオーヴァーが日本で流行したのは、CMタイアップの影響が大きくて、
同じ年の夏にナベサダの「カリフォルニア・シャワー」が
資生堂ブラバスのCMで大ヒットしたのに味をしめたんでしょう。

いまとなってはナベサダの『カリフォルニア・シャワー』を聴き返すことはないですけど、
ヒノテルの『シティ・コネクション』は、冬の定番といってもいいくらい、
今も聴き続けています。ぜんぜん古くならないんですよね。
本作の魅力はヒノテルのトランペットではなく、アルバムが持つムード、
そのサウンドをクリエイトしたレオン・ペーダーヴィスのアレンジにありました。

オープニングから、流麗なストリングスが誘う
ラグジュアリーな都会の夜を演出するサウンドに酔えるんですよ。
ナナ・ヴァスコンセロスがヴォイスでクイーカの音色を模すパフォーマンスをして、
これがいい効果音となった映像的なサウンドで、サウンドトラックかのような仕上がりです。
レゲエのレの字もないこの曲名が「ヒノズ・レゲエ」なのは、失笑ものなんですが。
またヴォーカル曲をフィーチャーしているのも、このアルバムの良いところ。
ジャズがネオ・ソウルと接近しているいまこそ、再評価できるんじゃないかな。

あとこのアルバムで最高の聴きどころが、アンソニー・ジャクソンのベース。
アンソニーでしかあり得ない、シンコペーション使いや裏拍を使ったリズムのノリ、
経過音やテンション・ノートの独特な使い方がたっぷり聞けて、ゾクゾクします。
タイトル曲「シティ・コネクション」のベース・ワークなんて、
アンソニーの代表的名演だと思うぞ。

中古レコード店の100円コーナーの常連だったシティ・ポップが、
いまや壁に飾られるようになったのと同じく、
見下され続けてきたクロスオーヴァー/フュージョンも、返り咲く日がくるか?

渡辺貞夫 with The Great Jazz Trio 「I’M OLD FASHIONED」 イーストウィンド UCCJ4008 (1976)
渡辺貞夫 「MY DEAR LIFE」 フライング・ディスク VICJ61366 (1977)
日野晧正 「MAY DANCE」 フライング・ディスク VICJ77051 (1977)
日野晧正 「CITY CONNECTION」 フライング・ディスク VDP5010 (1979)
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日本一美しいソプラノ・サックス 山口真文 [日本]

山口真文 VIENTO.jpg

山口真文のソプラノ・サックスは、日本一。
そう確信して半世紀近くが経ちますけど、
いまだその確信を揺るがすプレイヤーは現れないから、その見立ては確定済み。

山口真文のソプラノのどこがいいって、音色ですよ。
音色の美しさが天下一品なんです。
サウンドもヴォリュームがあって、堅牢な響きは理想的。
山口のソプラノの硬質なリリシズムが発揮された演奏では、
ケニー・カークランドのエレピとトニー・ウィリアムズのしなやかなドラムスを
後ろ盾にした81年の『MABUMI』収録の「Thalia」や「Illusion」、
96年の『REGALO』収録の「Empty Mirror」「Miros」が忘れられません。

山口真文  MABUMI.jpg   山口真文  REGALO.jpg

山口のソプラノがアグレッシヴな熱演を残したのは、ジャズよりもフュージョンで、
81年の『マダガスカル・レディー』での名演について以前も書きましたけれど、
「Madagascar Lady」「Get Away」の2曲のソロは圧巻です。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-06-01
ソプラノ・サックスをあれだけ激しく吹いて、音程がまったく揺らがないのは、
アンブシュアがいかにしっかりしているかってことですよね。

その大・大・大好きな山口のソプラノ・サックスを全曲で聴けるという、
涙ちょちょぎれる新作が出ました。
全曲ソプラノ・サックスのみで演奏したアルバムは、
山口のソロ10作目にして初じゃないですか。

プロデューサーの平野暁臣がライナー・ノーツに、
「彼のソプラノは日本ジャズ界で一二を争う表現力を備えています」と書いていて、
「一二を争う」じゃない、「一」だろと心の中で突っ込んだのですが、
「なんといっても真文さんの音色が美しい」と書いていて、
よくぞこのアルバムを企画してくれたと思いましたねえ。

ワン・ホーン・カルテットで、全曲山口のオリジナル。
ストレート・アヘッドなジャズで、『MABUMI』収録の「Thalia」、
『REGALO』収録の「Empty Mirror」「True Face」を再演しています。
山口らしい研ぎ澄まされた一音一音に、ただただ感服するばかりですよ。
直情型なプレイと制御の利いた冷徹なコントロールのバランスが、
山口のジャズの真骨頂でしょう。

今作では本田珠也の勇猛果敢なドラミングが聴きもの。
片倉真由子という人のピアノは初めて聴きましたが、
マッコイ・タイナーばりのどっしりとした揺るぎないプレイに感じ入りました。
真摯に音楽を追い求めてきたヴェテランならではの、
ビターで奥深い表現を味わえる傑作です。

山口真文 「VIENTO」 Days Of Delight DOD040 (2023)
山口真文 「MABUMI」 トリオ POCS9314 (1981)
山口真文 「REGALO」 イースト・ワークス・エンタテインメント MAB001 (1997)
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ビューティーなピアノ 渡辺翔太 [日本]

渡辺翔太  LANDED ON THE MOON.jpg

渡辺翔太のピアノの美しさは、掛け値なしでしょう。
右手が繰り出すメロディアスで華麗なタッチは、
ありし日のジョー・サンプルを思わせるところもあるもんね。

店頭で聴いて即買った前作から、3年ぶりとなる渡辺翔太の新作。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-09-04
前作同様、ドラムスは石若駿、ベースは若井俊也のピアノ・トリオ。
前作よりグルーヴ感を強く打ち出した楽曲が増えて、
石若が攻める場面も多くなり、石若ファンにとっては嬉しい限りです。

前作はグレッチェン・パーラトと勘違いした吉田沙良がフィーチャーされていたけど、
今作は Ruri Matsumura という人をフィーチャー。
子供ぽい声質と歌いぶりは、ぼくの苦手とするタイプだなあ。
でもまあ、推進力あるトリオの演奏に重点が置かれているから、
幼児性ヴォーカルはあまり気にならず。
シンセやローズ、ウーリッツァーを駆使したサウンドづくりがツボにハマっています。

渡辺の美しいピアノがよく映える、抒情味のあるメロディのオリジナル曲も
見事な出来ばえなら、ゆいいつのカヴァー曲の ‘Smile’ も素晴らしい。
21世紀になってというか、日本では東日本大震災以降、
よくカヴァーされるようになった曲ですけれど、
後半奔放な演奏となるアレンジが斬新です。
岩井の強力なベース・ソロから始まる ‘Table Factory’ も、
3人の存分な暴れっぷりが胸をすきます 。

ヴィブラフォンを模したシンセで弾かれる ‘Correndo Ó Verão’ もいいね。
「夏を走る」というポルトガル語のタイトルから察するに、
サンバにしたかったみたいだけど、ちょっと違っちゃったかな。
オカシなアクセントで叩いているトライアングルがいただけない。
バイオーンじゃないのなら、トライアングルは必要なかった。

渡辺翔太 「LANDED ON THE MOON」 リボーンウッド RBW0029 (2023)
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シマ唄の歌いぶり今昔 中山音女 [日本]

宇検民謡傑作集.jpg   宇検民謡傑作集 歌詞.jpg

今年は中山音女、キテるなあ。
2023年リイシュー大賞ダントツ1位と、はやばや決定したのが、
中山音女のSPをホンモノのピッチで再現復刻した、
奄美シマ唄音源研究所による労作。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2023-06-15

そのカンゲキもまだ冷めやらぬところに、
今度は音女の戦後録音を収録した貴重な一枚を発見しました。
それが、奄美のセントラル楽器が66年に発売した10インチ盤。
全9曲収録のレコードで、
メインは昭和生まれの吉永武英と石原豊亮の6曲ですけれど、
大正生まれの田原ツユ(ジャケットの「田春」は誤記)が2曲と、
明治生まれの音女が歌う「うらとみ節」1曲が入っています。

歌詞集の唄者紹介に「現在、第一線は退いているが、
これまで美声を保っていることは一つの奇蹟であろう。
39年名瀬で行われた民謡大会に特別出演、喝采をあびた」とあり、
このレコードが出る2年前に民謡大会に出演したことがきっかけとなって、
この録音につながったものと思われます。

音女の戦後録音は、研究者が残した音源は別として、
商業録音ではこの1曲しか、ぼくは知りません。
録音当時は70を越す年齢だったわけで、SP録音時の声と違うのは当然として、
吉永武英や石原豊亮の昭和世代の歌いぶりと大きく違うのがわかります。

とりわけここで音女が歌った「うらとみ節」は、
その違いがはっきりとわかる典型なんですね。
うらとみ節は、「むちゃ加那節」の名でも知られる伝説の悲話をもとにした物語。
現代では悲劇の内容にふさわしく、とても遅いテンポで歌われるのが通例ですが、
音女がここで聞かせる歌いぶりは、まったく違っています。

まず、「うらとみ節」(「むちゃ加那節」)の内容をかいつまんで紹介しておくと、
時は薩摩藩政初期の頃の物語。
瀬戸内町加計呂麻島の生間という集落に、
「うらとみ(浦富)」という美人がいました。
うらとみは島唄と三味線がたいへん上手く、当時鹿児島から来ていた役人に
気に入られて、島妻(島だけの妻=妾)に請われます。
しかしうらとみは役人をかたくなに拒んだことから、
両親は食料を用意した小舟にうらとみを乗せ、沖へ流します。

うらとみを乗せた小舟は何日か漂流した後、喜界島の小野津へ漂着し、
この島でうらとみは結婚し、むちゃ加那をもうけます。
このむちゃ加那も母譲りの美人に育ちました。
ある日、むちゃ加那の美しさを妬む女友達が、あおさ採りにむちゃ加那を誘い出し、
女友達はむちゃ加那を海へ突き落として溺死させます。
そのことを知ったうらとみは狂乱し、入水自殺してしまったのでした。

中野律紀  むちゃ加那.jpg

こうした悲劇ゆえ、歌いぶりがじっくり聞かせる迫真となるのも必然です。
初めてぼくがこの曲を聴いたのは、中野律紀のデビュー作でした。
奇しくも中野律紀は、この「むちゃ加那節」を歌って
最年少の15歳で日本民謡大賞グランプリに輝き、
3年後に出したデビュー作のアルバム・タイトルともなったのです。

武下和平.jpg   南政五郎.jpg

その律紀の洗練された繊細な歌いぶりと、
音女の野趣に富んだ力強い歌いぶりとでは、天と地ほどの違いがありますよ。
このレコードが録音されたのとほぼ同時期にあたる、
62年に録音された武下和平の「むちゃ加那節」や、
64年録音の南政五郎の「うらとみ」と聞き比べると、
音女ほど野趣ではないものの、歌いぶりには力強さがみなぎっています。
そして音女と共通するのは曲のテンポで、
律紀のヴァージョンになると、テンポが極端に落とされていることがわかります。

これは奄美民謡が時代が下るほどに、野性味がなくなって、
情緒豊かな表現を追求するようになり、
グィンの技法など洗練を志向した結果なのでしょう。
明治・大正・昭和生まれの唄者を収録したこの10インチ盤は、
世代の違いによって歌いぶりの変化が聞き取れるだけでなく、
平成から令和を迎えた今となっては、もはや別世界の歌声といえます。

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この10インチ盤は、今ではまったく聴くことができなくなった
昔の奄美民謡の味わいを堪能できる貴重な一枚です。
実は、セントラル楽器でCD化されているんですけれど、
ディスクはCDR、レーベルはレーザー・プリンター印刷という自家製で、
ジャケットなしの歌詞カードのみ。
オリジナルの10インチ盤を捕獲できたのは、嬉しき哉。
レコードは目にも鮮やかな、透明レッド・ヴァイナルのミント盤であります。

[10インチ] 中山オトジョ,田原ツユ,吉永武英,石原豊亮 「宇検民謡傑作集」 セントラル楽器 O12 (1966)
中野律紀 「むちゃ加那」 BMGビクター BVCH604 (1993)
武下和平 「奄美民謡 天才唄者 武下和平傑作集」 セントラル楽器 C3 (1962)
南政五郎 「本場奄美島唄 南政五郎傑作集」 セントラル楽器 TCD02 (1964)
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日本のクラブ・ジャズを回顧して スタジオ・アパートメント、アイ・デップ [日本]

Studio Apartment  World Line NWR2007 .jpg

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昔のCDをほじくり返してたら、止まらなくなっちゃいました。
フリーテンポよりも、さらにブラジリアンだったスタジオ・アパートメント。
04年の『WORLD LINE』なんて、バツカーダからスタートするんだから本格的です。
ジョージ・デュークあたりが大手を振っていた
80年代のブラジリアン・フュージョン時代から比べると隔世の感というか、
まがいものだらけだったフュージョン/クラブ・ミュージック周辺も、
この頃になるとようやくホンモノのサンバが聞けるようになってきました。

クラブ・ジャズの音楽家が、何々ふうの演奏でゴマカすのをやめて、
ちゃんと勉強するようになったのに比べ、
あいかわらずダメなのは、ライターの勉強不足ぶりかなあ。
ダンス系の文章は、総じて語彙が貧しいんだけれど、
「トライバル」を乱発するテキストを見たら、読む価値なしと思って間違いないです。

サンバ、マルシャ、バイオーン、フレーヴォが聴き分けられないんじゃ、
ブラジル音楽を語る資格がないように、
アフリカ音楽を語るのに、それがマンデなのかヨルバなのかズールーなのかもわからず、
全部「トライバル」で片づけられると、ほんとウンザリします。
「トライバル」の中身を紐解く知識がなくて、全部「トライバル」で済ます雑さというのは、
ロックもジャズもブルースも「ミュージック」と呼ぶのと同然。
もっとも「トライバル」としか言いようのないフェイクものじゃ、しかたないんだけどね。

話が脱線しちゃいましたが、
スタジオ・アパートメントは、ギター、ピアノ、ホーン・セクションなどの生演奏を
たっぷりフィーチャーしていて、ハウスを起点としていながらも、
クラブ・ジャズのニュアンスが強くて、70年代のクロスオーヴァーや
80年代のフュージョンと地続きで聴ける音楽でした。
フュージョンと違うのは、DJが踊らせることを目的に作る音楽だということですね。

スタジオ・アパートメントの『WORLD LINE』と同じ年に出た
アイ・デップも良かったなあ。
アイ・デップはキーボード、サックス、ギター、ベース、ドラムスというバンド編成で、
生バンドで演奏するクラブ・ジャズでした。
エレクトロな要素がフュージョンとは質感の異なるニュアンスがあって、魅力的でしたね。

楽曲がユーモアに富んでいてチャーミングだったのも、アイ・デップの良さだったなあ。
そうそう思い出したけど、娘たちがスタジオ・アパートメントやアイ・デップが大好きで、
新宿のタワーレコードでやったアイ・デップのインストア・ライヴに
娘二人を連れて観に行ったのを覚えています。

Studio Apartment 「WORLD LINE」 New World NWR2007 (2004)
i-dep 「MEETING POINT」 AZtribe/Rainbow Entertainment AZT001 (2004)
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怒りの時代を伴走してくれた大楽団 渋さ知らズ [日本]

渋さ知らズ  DETTARAMEN.jpg   渋さ知らズ  SOMETHING DIFFERENCE.jpg
渋さ知らズ  BE COOL.jpg   渋さ知らズ  渋祭.jpg
渋さ知らズ  渋龍.jpg   渋さ知らズ  渋旗.jpg

そういや渋さ知らズだって、ちっとも聴いてないなあ。
なんでなんだろう。一時期は毎日浴びるように聴いてたのにねえ。
渋さ知らズは、それまでの日本のアングラ系ジャズにありがちだった
「暗さ」がなくて、そこに惹かれたんですよね。

デビュー作の『渋さ道』(93)だけ、なぜか持ってないんですが、
2作目の『DETTARAMEN』(93)から『渋旗』(02)までは、ずっと聴いていました。
不破大輔が渋さ知らズを始動させる前に、川下直弘(サックス、ヴァイオリン)と
大沼志朗(ドラムス)と活動していたパワー・トリオ、
フェダインにノック・アウトを食らったのも大きかったかな。

Fedayien  FEDAYIEN Ⅱ.jpg

フリー・ジャズど真ん中のフェダインとは違って、
渋さ知らズはメンバーが持つ雑多な音楽が紛れ込んでいて、
ロックからチンドンまでなんでもありの自由さに加え、
なんといっても編成がデカいから、音圧勝負では無双でしたよね。

あの当時は、仕事のプレッシャーがハンパなくてねえ。
身の丈に合わない大きな仕事の連続で、
キモチで負けたら先がないといった日々に、自分を奮い立たせるのに必死でした。
30代半ばから40代半ばの10年間を渋さ知らズが伴走してくれて、
そりゃあずいぶん勇気づけられたものです。

ダンドリストとして渋さ知らズを差配する不破大輔は、
駅伝の青山学院大学の原監督や、サッカー日本代表森保監督、
WBC日本代表の栗山監督に匹敵する、
新しいリーダーのロール・モデルを先取りしていたと思うなあ。

04年の「渋星」が、なんだかすっきり整理されてしまったのにガッカリして、
それから熱が冷めていったんですけど、その後メジャーに移籍して
歌謡曲カヴァーしたりして、ますます疎遠になっちゃいました。

あらためて90年代のアルバムを聴き直してみたら、
やっぱりこの時代の渋さのエネルギー量は圧倒的でしたね。
単純なメロディを、これでもかというくらい繰り返すしつこさと
音塊をぶつけ合って音圧を出すことに血道を上げるバカバカしさを、
どこまで本気で面白がれるかに、渋さの生命線がありました。

いつのまにか渋さ知らズを聴かなくなってしまったのは、
仕事のプレッシャーの質が変わって、
単純な熱量だけでは足りなくなったからなのかもしれないな。
それでも30~40代の働き盛りのリーマンには、
渋さは何にも代えがたい存在だったんですよ。
ひさしぶりに手持ちの渋さ全作とフェダインを聴いたら、
あの当時の仕事やらなんやらの思い出が次々蘇ってきました。

あの頃は、年がら年中仕事で怒っていた気がするけれど、
若かったんだろうねえ。なんでもすぐにムキになってたもんなあ。
あの時一生ぶん怒っちゃったからか、いまや怒ることなんてまったくなくなっちゃった。
渋さ知らズは、怒りが必要だった時代のBGMだったのかも。

渋さ知らズ 「DETTARAMEN」 ナツメグ NC2066 (1993)
渋さ知らズ 「SOMETHING DIFFERENCE」 地底 B1F (1994)
渋さ知らズ 「BE COOL」 地底 B3F (1995)
渋さ知らズ 「渋祭」 地底 B9F (1997)
渋さ知らズ 「渋龍」 地底 B14F (1999)
渋さ知らズ 「渋旗」 地底 B21F (2002)
Fedayien 「FEDAYIEN Ⅱ」 ナツメグ NC2052 (1992)
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度外れたハイブリッド・ポップ LioLan リオラン [日本]

LioLan  Unbox.jpg

正月早々、ドギモを抜かれた和久井沙良の『TIME WON’T STOP』。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2023-01-08

恐るべき才能を秘めた超ド級新人の登場に刮目したんですが、
はやくも次なるアルバムが届きましたよ。
今作は和久井のソロ作ではなく、
東京藝術大学で和久井の後輩だったというシンガーのキャサリンと組んだユニット。

和久井のソロ作が示したあまたある才能の引き出しの中から、
ポップスに焦点を当てて組んだユニットということになるのかな。
『TIME WON’T STOP』 はデビュー作でもあっただけに、
「私、こんなこともできます」的なさまざまなジャンルへの対応力を開陳していましたが、
今回は J-POP ど真ん中の直球で攻めた戦略でしょうか。

和久井とコンビを組んだキャサリンは、なんでも声優さんでもあるそうで、
藝大の声楽科で鍛えられた幅広い音域を持つ高い技量の持ち主。
鍛えられた発声と堂に入った歌いぶりに、
並みのポップ・シンガーとの格の違いをみせつけます。
クラシックの声楽を修めた人が、ラップまで楽々こなす時代なんだよなあ。
オペラからヒップ・ホップまで、無敵ですな。

和久井が今作で発揮する才能の一番は、作曲。
デビュー作で舌を巻いたキャッチーな曲づくりがここでも如何なく発揮されています。
ジャズ・ミュージシャンらしいトリッキーなパートを作る上手さもバツグンですね。
そして今回のオドロキは、和久井も歌を披露しているところ。
ゆいいつ和久井が作詞もした「natsu no hito」では、てらいのない歌を聞かせていて、
え~、ヴォーカルもできるのかよーと、思わず天を仰いじゃいました。
キャサリンという稀有なヴォーカリストとコンビを組んでも、う~ん、野心を隠さないねえ。

6曲入りのEPで、ウチコミと生演奏が半々。
ベースにはクラックラックスの越智俊介が参加しています。
エレクトロ・ポップあり、ネオ・ソウルあり、ヒップ・ホップR&Bありと、
楽曲のカラーはすべて異なりながら、アルバムの統一感を保つあたりもスゴ腕。
コンポーズのみならずプロデュース能力も、新人離れしてるよなあ。
J-POP と呼ぶにしては、ハイブリッドの度が過ぎます。

LioLan 「UNBOX」 アポロサウンズ APLS2304 (2023)
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奄美シマ唄で実現した日本初のSP録音復元 中山音女 [日本]

奄美シマ唄音源研究所会報.jpg中山音女 奄美 湯湾シマ唄.jpg

まさか本当に実現するなんて!

12年前に奄美の中山音女のSP録音が復刻されたとき、
CD音源のピッチがあまりにもおかしく、速回しであることは歴然だったので、
戦前ブルース研究所の技術で音源を修復してもらいたいとボヤいたことがありました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2012-06-26
とはいえじっさいのところ、実現を期待などしていませんでした。
だって、戦前ブルース研究所はその名のとおり、戦前ブルースを対象としていて、
その他の音楽のSP録音などに興味はないでしょうからね。

ところが、戦前ブルース研究所員の菊池明さんが、
同じく戦前ブルース研究所員のブルース・ミュージシャン仲間とともに、
沖島基太さんが営む「奄美三味線」へ三味線体験で来店したのが事の始まり。
そこで中山音女のCDを聞かされた菊池さんは、
すぐに速回しであることを悟って指摘すると、
沖島さんから修正の相談を受けたというのです。

しかもなんという縁なのか、菊池明さんの母親がなんと奄美大島の出身で、
母方の祖母や伯父伯母などから、幼少期に奄美のシマ唄を聴いた記憶があったそうで、
めぐりめぐる縁の不思議さもあいまって、
沖島さんとともに中山音女のSP録音復元の旅が始まったといいます。

まず菊池さんがCDからピッチ修正をした仮音源をもとに、郷土研究者に聴いてもらい、
一次資料の収集にとりかかります。
宇検村教育委員会が保管していたSPの貸与を許され、
次いで本丸ともいえる、日本伝統文化財団のCD制作のもととなった
SP原盤を所有するシマ唄研究家の豊島澄雄さんからすべてのSPを譲り受け、
本格的な復元調査が始まったのでした。
その復元調査の一部始終が、
奄美シマ唄音源研究所会報第一号「とびら」にまとめられ、
2枚のCDが付属されて500部が制作され、「奄美三味線」で販売されています。

この冊子を読むと、研究調査はつくづく人の出会いだと
感じ入ってしまうエピソードが満載。
そもそも菊池さんに奄美とゆかりがあったところからしてそうですけれど、
さまざまな郷土研究家の協力や支援をもらい、
かのSPレコード・コレクター、岡田則夫さんとも出会って、SPを借り受けています。

冊子には、三味線弾きが直傅次郎であると特定するまでの謎解きや、
録音場所を特定するために、
昭和初期の奄美本島の電力供給事情まで調べ上げています。
それは供給電力の周波数がSP録音機器の回転数に影響するためで、
戦前ブルースのSP復元調査研究の知見によるものでした。
そうした調査の行方を読み進めていくと、まるで一緒に調査をしているかのような
冒険気分に陥って、ハラハラ・ドキドキがとまりません。

半世紀前の三味線ケースに入っていた調子笛の音程を調べ、
調律音程から正しい再生音を探る仮説を立てて検証を進めていったり、
音女と傅次郎の古い写真をみて、取りつかれたように道なき道の山中を冒険するなど、
これはもう、ロマンとしかいいようがないでしょう。
こういう情熱が物事を動かし、人の心を揺さぶるんです。

そしてついに完成した日本初のSP録音復元、それが奄美シマ唄で実現したのでした。
一聴して、あまりの違いにノック・アウトを食らいましたよ。
CD音源とはなんと200セント(=全音)をはるかに超える違いがあったというのだから、
ヒドイものです。ようやく落ち着きのある声でよみがえった音女の歌声。
そしてなにより傅次郎の三味線に、生々しさが戻りました。

SPの速回しに気付くのは、ヴォーカルよりも器楽音ですね。
人間の声だと違和感を気付きにくいですけれど、器楽音はすぐにヘンだとわかります。
CD2枚目のラストに収録されたアゲアゲのダンス・トラック、
六調の「天草踊り」「薩摩踊り」を聴けば、日本伝統文化財団CDとの音の違いは
誰でもわかるでしょう。これこそが三味線の音ですよね。

冊子には、復元したSPの写真が
レーベルの拡大写真とともにずらっと並べられていて、壮観の限り。
歌詞カードや当時の月刊誌に載ったレコード広告も転載されています。
ここ数年、こんなに興奮したことって、なかったなあ。
情熱と執念の賜物の復元CDです。

[Book] 奄美シマ唄音源研究所会報第一号 「とびら」 奄美シマ唄音源研究所 (2023)
中山音女 「奄美 湯湾シマ唄-1-2」 Pan PAN2301, 2302
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つつましやかなアンビエント 武田吉晴 [日本]

武田吉晴  ASPIRATION.jpg   武田吉晴  BEFORE THE BLESSING.jpg

1作目は19世紀末のビルマの僧侶、2作目は南インド、ケララ州コーチンの仮面舞踏。
ジャケットにセレクトしたフォトのシュミにいたく共感しつつも、
アンビエントだというので、自分にはあまり縁がないかと思っていたのです。

ところが、とある出会いから2作目の『BEFORE THE BLESSING』を聴いて、驚愕!
こんなにデリケイトで、心やさしい音楽、めったに聴けるもんじゃない。
つかみどころのないメロディをピアノやクラリネットがゆったりと紡ぎ、
時折風が吹き抜けるように、効果音のスティール・ギターが鳴ると、
陽炎のようなサウンドスケープが立ち上ります。

ほのかな温かみが胸に残る、控えめな楽曲のすばらしさといったら。
盛り上がりを作らない淡々とした音列が、身体にひたひたと染み渡っていきます。
ハングドラムやスティールパンがかすかに鳴らされたり、
ベース、チェロ、ドラムス、パーカッションも登場するものの、脇役に徹していて、
室内楽のようなアンビエントにすべての楽器が奉仕しています。

作曲にアレンジ、そして全ての楽器を演奏しているのは、武田吉晴ただ一人。
個人の美意識を透徹した音楽制作のありようは、
頑固なまでのこだわりがありそうですね。
デリカシーの塊ともいえる音楽で、スノッブな気取りをまとわない真摯さが、
この音楽に気品を宿らせているように感じます。

ベンディールのような響きの大型のフレームドラムや、
ガムランの音階を奏でるグロッケンシュピールが、
控えめに民俗的な香りをサウンドにまぶしていますが、
そのテクスチャがとても上品なのに感心します。

究極の西洋音楽ともいえる環境音楽が、
非西洋の伝統音楽の一部をつまみ食いすることに、
強い警戒心がはたらく当方ですけれども
武田の異文化へのアプローチには、不快な要素がみじんもありません。

2作目にすっかり心奪われて、5年前の1作目も買ってみたのですが、
こちらで使われているガムランの音色が本格的なのに、えっ!と驚いちゃいました。
ガムランの主旋律を担当する鉄琴のグンデルのように聞こえ、
2作目でグロッケンシュピールとぼくが思ったのも、
グンデルの倍音や雑音をミックスで抑えたのかもしれませんね。

1作目にして、すでにこの人の音楽世界はしっかり確立していますね。
ただ、トランペットや親指ピアノ、タブラなども使った楽器数の多さが、
サウンドをごちゃっとしたうらみがあり、
2作目ではそのあたりを整理して、完成度を上げたように思えます。
また、ミックスもグンと良くなりましたね。
グンデル(?)やスティールパンの金属的な響きを際立たせないようにしたおかげで、
楽器間がよくブレンドするようになり、より落ち着きのあるサウンドになっています。

この音楽を必要とする時や場面が、容易に想像つきますね。
あの時この音楽に出会えていたら、どんなに良かったろうなどと考えたりもしましたが、
きっとこれから、大切に聴いていくアルバムになりそうです。

武田吉晴 「ASPIRATION」 Metanesos MTNSS001 (2018)
武田吉晴 「BEFORE THE BLESSING」 Stella SLIP8512 (2022)
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春到来のインスト・ロック 増尾好秋 [日本]

増尾好秋 Sunshine Avenue.jpg

今年の春の訪れは、早かったですねえ。
それを強く感じたのは、異例の早さだった桜の開花ではなくて、
増尾好秋の『SUNSHINE AVENUE』を、3月半ばに聴き始めたことでした。
このアルバムくらい、ぼくにとって Spring has come! を実感させるものはなく、
ぽかぽか陽気になるとヘヴィロテになる毎年の春の定番なんですが、
4月半ばころから聴き始めるのが常でした。

増尾好秋の異色作といえる『SUNSHINE AVENUE』が出た79年は、
まだフュージョンというタームのない、クロスオーヴァー全盛期でしたけれど、
本作はクロスオーヴァーの「ク」の字もない、ロック・アルバムなのでした。

冒頭、チャック・リーヴェルみたいなロック・ピアノのリフにのって、
増尾のストラトがうなりを上げる ‘Sunshine Avenue’ から悶絶。
♪ Hey! rock'roll! ♪という空耳シャウトが聞こえるかのような、
ゴギゲンなインスト・ロックンロールです。
最初聞いた時、これが増尾好秋の新作なのかと、度肝を抜かれましたよ。

クロスオーヴァー大流行の当時、キングが興したクロスオーヴァー専門レーベル、
エレクトリック・バードから出たレーベル第1弾が、
増尾好秋の『SAILING WONDER』でした。
当時大人気だったデイヴ・グルーシン、エリック・ゲイル、リチャード・ティー、
ゴードン・エドワーズ、スティーヴ・ガッドという錚々たるメンバーを集めた
レコーディングだったものの、増尾の個性が埋没してしまい、
力の入ったセッティングが完全に空回りしてましたね。

増尾自身もあのアルバムには納得がいかなかったらしく、
第2作は自分のバンドで制作しようと、当時まったく無名の新人だった
キーボードのヴィクター・ブルース・ガッジーと、
ベースのT・M・スティーヴンスを起用してレコーディングに臨んだのでした。

ヴィクター・ブルース・ガッジーが作曲し、ピアノのほか歌も歌った
‘Your Love Is Never Ending’ は、ヤンキー・ファンクとでも呼びたい痛快な1曲。
歌いっぷりがマジでイッていて、ファンキー・ヴォーカルの最たるものです。
ガンガン叩きつけるピアノがダイナミックで、めちゃロックしてるじゃないですか。
この曲は、サウンドの奥行きや広がりが素晴らしく、
エレクトリック・レディ・スタジオでの名レコーディングの一つでしょう。

続く3曲目の ‘A Threesome’ もヴィクターの作曲で、
増尾、ヴィクター、T・Mの3人によるソロ・バトルが圧巻。
T・M・スティーヴンスのソロが壮絶で、スタンリー・クラークをホウフツさせます。

A面3曲がハード・ロックなら、B面3曲はフォーク・ロックの趣で、
3曲ともパーカッションとして参加したチャールズ・タレラントの作曲。
ストリングスを配した ‘Look To Me (And See The Sun)’ では、
増尾が得意とするオクターヴ奏法を駆使して、
ソロ前半はウェス・モンゴメリーばりに親指1本で演奏しているんじゃないかな。
ソロ半ばで、♪とんで、とんで、とんで、とんで、とんで、とんで♪
(円広志の「夢想花」)のフレーズを拝借した後あたりから、
ピックに持ち替えて弾いているように聞こえますね。

続く ‘Someone’ は、マイケル・チャイムズの哀愁の漂うハーモニカを前面に、
ストリングスもフィーチャーした抒情フォーク・ナンバー。
増尾はナイロン弦ギターを弾いていますけれど、
アール・クルーのようなクロスオーヴァーのムードはいっさいありません。
疾走感あふれるサンバ・ロックのラストの ‘I Will Find A Place’ では、
増尾のロック・ギターが大暴れ。サウンドに厚みを加えるため、
ゲストのホルヘ・ダルトがピアノでトゥンバオを弾いています(サンバなんだけど)。

スピード感やタメなど、フレージングのニュアンスにこだわったギター・プレイや
フィードバック奏法などは、徹頭徹尾ロック・マナー。
ロック・ギタリスト増尾の最高作。44年来、春到来のお決まり盤です。

増尾好秋 「SUNSHINE AVENUE」 エレクトリック・バード KICJ92302 (1979)
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幻のレコード、奇跡の復刻 浜村美智子 [日本]

Michiko Hamamura  WARAY WARAY.jpg   Michiko Hamamura  WARAY WARAY Back.jpg

『鑽石之星』シリーズのカタログのなかで、
モナ・フォンの60年作があっただけでも、目ウルウルだったんですが、
浜村美智子の “WARAY WARAY” を見つけたのには、目ン玉飛び出ました。

30年以上探し続けるも、とうとう入手できなかったレコードです。
eBay で3度出くわしたことがあるんですけど、
300ドル超というトンデモ物件なんですよ。
一度、500ドル超えてたのを見たこともあるもんな。
音楽の内容による高値ではなく、
美人ジャケットの需要で取引されている、法外なレコードでした。

「幻の名盤」なんて手垢にまみれた形容、めったにぼくは使いませんけれど、
おそらくこのレコードくらい、その表現がぴったりくるものはないと思いますね。
なんせその存在じたいが知られていなくて、浜村美智子が香港ダイアモンドから
レコードを出していたのを知っている人は、ごく限られたマニアだけでしょう。

浜村美智子  カリプソ娘.jpg

浜村美智子の往年の録音を集大成した決定版『カリプソ娘』には、
ビクターというメジャー会社にしては珍しく、
しっかりとしたディスコグラフィが載っていましたけれど、
それでも、この香港ダイアモンド盤の記載はありません。
関係者にも知られていない、まさしく幻のレコードなんですよ。
最近ウィキペディアに載るようになったのは、さすがと言えますけれど、
「1958年?」の記載が残念。
まだその年では、香港ダイアモンドは設立されてません。

で、かんじんのレコードの内容なんですが、
美人ジャケとして取り沙汰される以前に、
スウィンギーなビッグ・バンドに男性コーラス・グループが付き、
浜村の気っ風のいい歌いっぷりが炸裂する、
奔放な彼女らしさを発揮した傑作じゃないですか。
これは浜村の代表作としてあげるべき最高作で、
掛け値なしの「幻の名盤」ですよ。

浜村が63年に結婚して一時引退する前に残したLPレコードは、
61年に出した10インチの『夜のラテン』1作しかなかったんですが
(先のCD『カリプソ娘』に全曲収録)、これはムード歌謡色が強いもので、
ダイアモンド盤のほうが、はるかに彼女の個性をよく引き出しています。

タイトル曲の‘Waray Waray’(「タフ・ガイ」の意)は、
フィリピンの人気歌手シルヴィア・ラ・トーレのヒット曲。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-08-14
アーサ・キットもカヴァーした曲で、フィリピンのヴィサヤ諸島のヴィサヤ語で
歌われています。
ほかにもタガログ語で歌う‘Dahil Sa Yo’、スペイン語で歌う‘Flamenco’、
英語で歌う‘Mack The Knife’、日本語で歌う‘Sayonara’と、
国際色豊かな内容となっていて、「カリプソ娘」で売り出した浜村らしく
‘Day-O’、‘Jamaica Farewell’ もちゃんと歌っています。

男性コーラスは、日本からかけつけた
コーラス・グループのブライト・リズム・ボーイズ。
伴奏は、セザール・ヴェラスコ&ヒズ・ソサエティ・オーケストラとあるんですが、
この人たちがよくわからない。その名前からフィリピン人オーケストラかと思うんですが、
ぜんぜん情報がなくて、素性不明です。

そもそも、なぜ浜村が香港ダイアモンドにレコーディングしたのかもわからず、
このレコードがいつ出たのかも、よくわかりません。
CDの発行年表記では「1960年」とありますが、ジャケット裏に
「マニラのアラネタ・コロシアムでセンセーションを起こした」と
浜村を紹介しているあたり、そのコンサートが行われた
1961年以降であることは疑いようがありません。

レコード番号から類推すると、1002番の浜村美智子は1000番のコン・リン、
1001番のモン・ファンに次ぐレコードで、1000番・1001番はどちらも1960年。
そのあとの1004番のパン・ワン・チン『與世界名曲』が
1961年(発売は60年12月31日)なので、1002番の浜村美智子は
順番からすると1960年と考えられますけれど、
さきほどのジャケット裏の記載から考えて、レコード番号が先に決められ、
発売順が後になったケースと考えるのが自然で、やはり1961年でしょうか。
このあたりの件を含めて、このレコードのこと、
誰か浜村にインタヴューして聞き出してくれぬものか。

ともあれ、幻の名盤の奇跡の復活、
人知れずこんなひっそりとCD化されていたなんて、感無量であります。

Michiko Hamamura "WARAY WARAY" Diamond/Universal 0811568 (1961?)
浜村美智子 「カリプソ娘」 ビクター VICL61210
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「力を合わせる」ということ 篠田昌已 [日本]

篠田昌已 COMPOSTELA.jpg   Compostela  1の知らせ.jpg
篠田昌已 東京チンドン  VOL.1.jpg   Compostela  歩く人.jpg
篠田昌已 西村卓也 DUO.jpg

『我方他方 サックス吹き・篠田昌已読本』
(大熊ワタル編、共和国、2022)を読み終えました。
篠田と活動を共にした多くの人びとが、篠田の思い出を語っているのを読みながら、
あらためてぼくにとっても、篠田昌已は、すごく大きな存在だったと痛感しました。

篠田昌已の音楽に引き付けられたのは、『コンポステラ』が最初です。
90年の年の暮れ、3か月にわたるアフリカ3か国単身出張から帰国して、
日本を不在にしていた間に出たCDを、数十枚まとめ買いしたんですが、
そのなかで『コンポステラ』と『1の知らせ』の2枚は、衝撃でした。

この時に初めて篠田の名前を知ったんですが、
実はそれ以前から、ぼくは篠田の演奏を聴いていたことがわかりました。
いちばん最初は、天注組のライヴで、痩身のメンバーの中に一人、
ぷくぷくとしたムーミンみたいなサックス吹きがいて、それが篠田だったんですね。
そのあと観たじゃがたらのライヴでも、篠田が参加していたようです。

そのどちらも、篠田自身のプレイの記憶はないんですが、
コンポステラで再会した篠田は、ジャズという領域をとうに飛び越えていました。
即興演奏家であることをやめ、音楽家に変わっていたのですね。
言うまでもなく、彼を変えたのはチンドンとの出会いだったわけですけれど、
リリース告知から発売が遅れて、まだかまだかと待ち焦がれた
『東京チンドン VOL.1』は、さらにぼくにとって衝撃でした。

その衝撃は、実は中身の音楽ではなく、
ブックレットに載せられた、篠田のインタヴューの発言なのでした。
少し長くなりますが、引用させてください。

* * * * * * * *

 演奏していて自分が自然になればなるほど、アドリブなんかとりたくなくなってしまう。でも何故飽きないかというと、いつも違う町、違う所、違う時間にいるからなの。町と日差しと人、もうすべてが違って、10分間同じ曲を吹いていても、陽の光だとか目の前を通りすぎるミニスカートだとか、あるいはもっと深いところのこととか、一瞬一瞬で気持ちがどんどん移り変わっていくことに気づいたんだ。
 「力を合わせる」ということって、そういった周囲のことをそのまま受け入れることかもしれない。例えば、雨が降るといやじゃない。いやだからって雨が降っていることを排除した気持ちでとらえると、とたんに力が合わせられなくなる。同様に自分が良くないと思っていることが起きたときにそれを排除してとらえるか、反対に良いものも良くないものもがすべて合わさってひとつと考えるかの違いなんだ。これまで僕は何時も力強くて揺るぎないものを求めてきたんだけど、それは「力を合わせる」ことと同義なのかもしれないね。

『東京チンドン VOL.1』ブックレット p.43-44より

* * * * * * * *

何事かをつかみ取った人の実感のこもった言葉に、ぼくは圧倒されてしまいました。
と同時に、この人は、ぼくがとても到達できそうにない境地に、
すでに立っているという、嫉妬の気持ちが入り混じっていたことも、
白状しなくてはなりません。
これを読んだとき、ぼくと誕生日が17日しか違わない同い年の篠田を、
仰ぎ見るような気持ちにさせられ、打ちのめされたのです。

篠田が言った「力を合わせる」ことを、ぼくもなんとしても学びとりたいと思いました。
管理職になりたての自席に、この言葉を長く掲げていたことを思い出します。
篠田の音楽に夢中になっていたのは、ちょうど初めての子供が生まれ、
夜泣きなどという生やさしいものじゃない、真夜中の大絶叫に夫婦翻弄されていた頃でした。
そのときは、まさしく妻と「力を合わせ」ていたわけですけれど、
その後、職場でも、仲間とともに達成感のある仕事をいくつもやり遂げ、
「力を合わせる」ことを体得したと過信するようになっていきました。

いつの日か、職場の自席から「力を合わせる」を記した紙片はなくなり、
ぼくもすっかりその言葉を忘れていました。
久しぶりに、篠田のインタヴューを読み返して、ぼくは絶句してしまいました。
ぼくは篠田の言葉の断片をスローガンのように切り取って、
もっとも大事な、「力を合わせる」ために「そのまま受け入れる」ことの方を、
いつしか見失っていたからです。

妻や子供との関係、そして職場でも、「力を合わせる」ことができたかのように
錯覚した成功体験の数々は、ぼくに慢心を招きました。
妻の遠慮や我慢、子供の言葉にならない思いをくみ取ることなく、
仕事で実績を上げ、いい気になっていたことを自覚できるまで、
あまりにも時間がかかりすぎました。

わずか34歳で天に上った篠田がつかみ取った真理を、
ぼくは彼が生きた年月の倍ほどの時間を弄してもなお、
その足元にさえ近づくことができていませんでした。
子供のころから死と隣り合わせで生きてきた篠田だったからこそ、あの若さで、
良いも悪いも受け入れて「力を合わせる」排除しない思想を、つかみ取ったんでしょう。
そう考えるのもまた、心の狭い人間の負け惜しみでしょうね。
イヤんなるくらい、人間できてないなあ、オレ。

篠田を知ってから、わずか2年足らずで亡くなってしまい、
篠田の音楽を咀嚼するには、あまりにも時間が足りませんでした。
そんな思いがあったからなのか、彼の音楽は折に触れ、聴き続けてきました。
一番よく聴いているのは、やっぱり『1の知らせ』かな。
妻も『1の知らせ』が好きで、iTunesへの取り込みを真っ先にリクエストされたっけ。
篠田の死後、少し間を置いて、コンポステラのライヴ録音『歩く人』や、
西村卓也との『DUO』が出たことも、
ずっと篠田を聴き続けることにつながったようです。

篠田昌已 「COMPOSTELA」パフ・アップ puf1 (1990)
Compostela 「1の知らせ」 パフ・アップ puf4 (1990)
篠田昌已 「東京チンドン VOL.1」パフ・アップ puf7 (1992)
Compostela 「歩く人」 オフノート ON4 (1995)
篠田昌已 西村卓也 「DUO」オフノート ON11 (1996)
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新次元の才能 和久井沙良 [日本]

和久井沙良  TIME WON’T STOP.jpg

なんすか、このカッコよさ!
爆走するドラミングにのせて、
吉田沙良をフィーチャーしたオープニングの「tietie」に続いて、
さらに強力な「Calming Influence」で辛抱たまらず、イス蹴って踊り出しましたよ。

Pecori というラッパーは初めて知ったけど、フロウがやべえ!
ドラムスが叩き込んでくるタイトなビートと絡み合って、腰を直撃。
これ聞いて、踊らないヤツなんていないだろ、64のジジイを踊らせるんだからさ。
うわー、これ、10分くらいのヴァージョンに延ばしたDJミックス、作ってくんないかなあ。

ブレイクでピアノがリズムを崩すところや、ヴォーカルを乗せてくるところ、
サックスがフリーキーに吹きまくるところ、などなど、
トラック・メイキングの巧みなことといったら、もう圧倒されるばかり。
スリリングでキャッチーな場面を次々と展開していって、
リスナーの耳を引き付け、一瞬たりとも離さない。

前半の3曲で、この人のトラック・メイカーとしての才能に感服したんですけど、
後半は和久井の本領発揮で、
クラシックとジャスを修得したピアニストとしての力量を示します。
和久井沙良は東京藝術大学出身で、小田朋美や石若駿、角銅真実の後輩。
藝大在籍時にMALTAにフックアップされ、
サポート・ミュージシャンとして活躍してきたのだそう。

新世代ジャズも、クラシックの技術もある。
ヒップ・ホップやネオ・ソウル、ビート・ミュージックも咀嚼している。
短い尺でツカミのある楽曲を作れるから、CM音楽の需要もありそうだし、
華麗なストリングスを配したアレンジを聞くと、オーケストレーションの可能性も感じる。
和久井の将来には、期待の二文字しか見当たりませんね。
クラックラックス以来の衝撃です。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-11-05
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-01-12

和久井沙良 「TIME WON’T STOP」 アポロサウンズ APLS2211 (2022)
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ジャズを超えた地平を目指す才能 松丸契 [日本]

松丸契  THE MOON, ITS RECOLLECTIONS ABSTRACTED.jpg

スゴイ!
デビュー作で、その才能に舌を巻いた松丸契でしたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-01-18
驚愕のデビュー作から、さらに表現力を深めた2作目を出しましたよ。
その成熟のスピードには、目を見張ります。

メンバーは第1作と同じ、石若駿(ds)、金澤英明(b)、石井彰(p) のBOYSの3人に、
石橋英子(electronics, syn, fl, vo)が参加。石橋は1曲、歌も歌っています。
今作の大きな変化は、エレクトロニクスの導入ですね。
石橋だけでなく、松丸もエレクトロニクスを担当していて、
松丸の表現世界が、これによってグッと広がった感じ。

松丸の楽曲は、曲ごとにカラーが違い、それぞれに表現しようとする世界観があって、
それぞれに応じた制作意図で作っていることが伝わってきます。
CDオビに、「即興と作曲の対比と融合」「具体化と抽象化」というコンセプトが
書かれていましたけれど、前者は楽曲の構成に、後者は演奏に示されていると
ぼくは聴き取りました。

松丸が目指している世界は、もはやジャズなどというジャンルを超越していて、
電子音楽やアンビエントなど、さらにジャンルとして認識されていない音楽まで
内包した世界を目指しているように思えます。というのも、前作と違って、
かなりポスト・プロダクションを作り込んで制作されたことが聴きとれるからです。
どの曲にも明確なヴィジョンがあって、演奏に偶発性を感じさせないというか、
松丸が事前に設計した音楽を、メンバーとともに構築しているという印象。

クレジットを見て気になったのが、
7曲目に松丸によるフィールド・レコーディングと書かれているんだけれど、
7曲目を聴いても、どこにその音があるのか、さっぱりわからなかったこと。
フィールド・レコーディングされたのが音楽なのか、自然音なのか、
人工音なのかももわからない。本作に松丸が込めた企みは、
ぼくにはまだまだ解明できていないという感触が残ります。

それを理解するには、次作の登場までかかるかもしれないなあ。
でも次作が出たら、またこちらの想像を超えた世界を生み出していそう。
そんな底知れぬ可能性を感じさせる才能の持ち主です。

松丸契 「THE MOON, ITS RECOLLECTIONS ABSTRACTED」 Somethin’ Cool R2000191SO (2022)
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充実していた日本の70年代ジャズ 日野元彦 [日本]

日野元彦カルテット+2 FLYING CLOUDS.jpg   日野元彦カルテット+1 流氷+2.jpg

うわぁ、これ、『流氷』の続編じゃないですか。
76年2月7日根室市民会館で録られた、トコさんこと日野元彦のライヴ盤『流氷』。
高校3年の時にリアルタイムで聴いた、日本の70年代ジャズを代表する名盤です。
近年の和ジャズ・ブームのおかげか、LP未収録の2曲を追加して、
当日の演奏順でCD化された時は、嬉しかったなあ。
で、今度は『流氷』の3か月後、5月27日に東京のヤマハホールで録音された
未発表音源が出るっていうんだから、こりゃあ聴かないわけにはいかないよねえ。

東京のライヴは、根室と同じ、トコ、山口真文、清水靖晃、渡辺香津美、井野信義に、
パーカッションの今村祐司を加えたセクステット。
どちらのライヴも、「流氷」が1曲目に演奏されていますけれど、
東京のライヴは、根室のより8分も長い。トコが弾くミュージック・ソウに始まり、
井野の弓弾きによるベース・ソロが7分半ほどあり、
山口と清水の2テナーによるテーマが始まるまでの前奏が長くなっています。

やっぱスゴいのは、香津美のギター。
ソロの組み立てが、すさまじくイマジネイティヴで、オリジナリティに富んでいます。
根室の時とぜんぜん違うリックを繰り出してて、
アイディアがいくらでも溢れ出ていたんだなあ。
香津美がトコを挑発するようなギター・ソロを繰り広げると、
トコが激しくシンバルを乱打するドラミングで迎え撃ち、
もう完全に二人の対決試合。聴いてるうちに金縛りにあって、心臓バックバクです。

この時、まだ香津美は、22歳なんだよなあ。
いや、むしろその若さゆえ、プレイがトガりまくっているわけだけど。
なんせ香津美とトコさんのコンビは、香津美17歳のデビュー作『INFINITE』(71)から
始まっているんだもんねえ。十分、相手の手の内を知ったインタープレイなんだよね。

あと、根室のライヴでびっくりしたのが、わずか20歳だった清水靖晃のテナー。
山口真文との2サックスで、ぜんぜん山口に負けていないどころか、
凌駕するプレイに、ドギモを抜かれました。
東京のライヴでは、のちのマイケル・ブレッカー・スタイルを
予感させるシーツ・オヴ・サウンドを聞かせています。

ぼくは『流氷』で初めて清水靖晃の名前を知りましたが、
この2年後にフュージョンのデビュー作を出し、マライヤで活躍することになるんだから、
当時の日本のジャズ・ミュージシャンの進化のスピードは、ほんと日進月歩だった。
香津美だってこの3年後は、YMOのサポート・メンバーだもんね。
当時の日本のジャズが、いかにイキオイがあったかってことなんだけど、
これをリアルタイムで体験できたのは、恵まれていたなあ。

トコさんのドラミングも、大好きなんですよ。
うっるせえなあ、と笑っちゃうくらい派手にトップ・シンバルを叩きまくるんだけど、
アンサンブルのバランスの取り方が絶妙なんだよね。
あと、明るいんだ、トコさんのドラミングは。陽性でカラッとしていて、爽快。

東京のライヴでは、香津美のオリジナル「オリーヴス・ステップ」での
ドラムス・ソロが最高です。この曲、翌年にベター・デイズから出た
香津美のソロ作のアルバム・タイトル曲だけれど、
ソロ作ではフュージョンだったのが、こちらでは完全モード・ジャズのスタイルで
演奏されていて、ジャズ・ギタリスト時代を知らない香津美ファンに聞かせたい。

日野元彦カルテット+2 「FLYING CLOUDS」 Days Of Delight DOD030
日野元彦カルテット+1 「流氷+2」 スリー・ブラインド・マイス CMRS0045  (1976)
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一匹狼の民謡無頼派 中西レモン [日本]

中西レモン  ひなのいえづと.jpg

民謡クルセイダーズや俚謡山脈に続く、民謡の新解釈派でしょうか。
中西レモンは、初代桜川唯丸流の江州音頭を学び、
関東に広めようと活動している人とのこと。
若い頃から東北の民謡や越後の瞽女唄に興味を持ち、
各地を訪ねて人と出会い、フィールドワークしながら歌ってきたんだそうです。

家元という制度に与しなかった、一匹狼の無頼派たる心意気が、
中西の歌いぶりからビンビンと伝わってくるようじゃないですか。
こぶし回しに、しっかりとした鍛錬を感じさせる一方で、
技巧に溺れない歌への情熱が、野趣な味わいとなって
しっかり溢れ出ているところが、頼もしいですよ。

そしてそんな中西をバックアップする、伴奏のアレンジのたくらみが、またスゴイ。
昭和歌謡な「ホーハイ節」、インドのタブラとイランのダフが伴奏する「斎太郎節」、
キューバのトローバに変貌する「とらじょさま」など、どんだけ引き出し持ってんだと驚嘆。
シンガー・ソングライターのあがさという人がアレンジをしているんですけれど、
レゲエやアフロビート、はたまたクンビアといった、ワールド・ミュージック的音楽要素を、
いっさい援用していないところが、この人、わかってるというか、知識の深みを感じます。

ブルースやジャズのスケールやテンション・ノートといった、
日本民謡にない和声の使用を慎重に避けているようで、そこにもめちゃ好感が持てます。
日本民謡に限った話じゃないですけど、伝統音楽の現代化にあたって、
ジャズぽくアレンジするのとかって、凡庸なアイディアで、ダサイじゃないですか。
おそらくこのあがさという人は、そのあたりをちゃんと意識してアレンジしていますね。

アイディアは豊かだけれど、奇をてらっていない。
日本民謡の演奏に、アジア、アラブ、アフリカの楽器を使っても、
その響きが浮くことなく、しっくりと溶け合っている。
あがさのプロデュースの手腕、見事なもんです。

そしてジャケットのカヴァー・アートを描いたのは、中西レモン本人だそう。
え~! 画家としての才能もスゴイじゃないですか。
大学で絵画表現を専攻したそうで、パフォーマンス・アートや舞踏にも関心をもち
04年から14年までショーケース形式の舞台企画を運営していたというのだから、
多才ですねえ。

中西レモン 「ひなのいえづと」 ドヤサ! DYS005 (2022)
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ネット世代のシティ・ポップ ぷにぷに電機 [日本]

ぷにぷに電機.jpg

YouTube で「君はQueen」を観て、惹き込まれました。
ネット世代のシティ・ポップといえばいいんでしょうか。
クセのあるディクションで歌う、女性シンガー・ソングライターなんですけれど、
それが気取った感じに響いてこない。こういうタイプって、スカしたイヤミな感じに
聞こえることがほとんどなのに、それがまったくないのは得難い個性です。

ヴォーカルにすごい訴求力があって、YouTube を流し聴きしている耳をグイッとつかまえ、
PC画面に振り向かせて、最後まで視聴させるパワーがあります。
がぜん興味が沸いて、「ずるくない?」というMVも観てみたら、
以前から注目していた kan Sano とのコラボで、これまたエモい仕上がり。

やるせない雰囲気で、流し歌いしているような風情を装いながら、
その歌には意志の強さをうかがわせる芯があり、コシの強さが魅力です。
ストレイトなジャズ・ヴォーカルを歌っても、イケるんじゃないのと思ったら、
じっさい出自はジャズなんだそう。あぁ、やっぱり。

ぷにぷに電機というお名前は、あいみょんとかものんくるとか、
21世紀日本らしい脱力ぶりですけれど、研ぎ澄まされたセンスに、
上質なサウンド・プロダクションで、申し分ないデビュー作じゃないですか。

サウンド・メイキングしている人たちは、若手の俊英揃いとのこと。
まったく疎いために、 kan Sano 以外はどなたも存じ上げませんが、
Mikeneko Homeless、PARKGOLF、80KIDZ、Shin Sakiura といった人たちが、
デリカシーに富んだサウンドを施しています。
ゆいいつの難は、「Deeper」のYohji Igarashi のハウス・ビート。
音色の選択が凡庸すぎて、デリカシーに富んだ音像が、これじゃぶち壊し。

今後、エレクトロなラップトップ・ミュージックに向かうのか、
生演奏に寄せてくのか、まだまだわからない未知な才能ですけれど、
新世代ジャズ・ミュージシャンとのコラボを聴いてみたい気がします。

ぷにぷに電機 「創業」 Tsubame Production/PARK PNDN010 (2022)
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ウクレレの可能性 RIO [日本]

RIO.jpg

ウクレレの可能性って、まだまだあるんだなあ。
そんなことを痛感させられた、2000年代生まれの俊英の登場です。
00年代にジェイク・シマブクロの登場で、
<おもちゃ>のようなウクレレが、これほどカッコいい楽器だったのかという!
という驚きが世間で沸きあがりましたけれど、
RIOはさらに新たなウクレレの可能性を拡げる革命児ですよ。

今年ハタチというRIO、日本生まれの日本人ですけれど、
小学生の時にハワイに暮らしてウクレレと出会って弾き始め、
中学生になって日本に帰国した後も、海外に呼ばれて演奏するいう早熟な天才です。
ぼくがRIOに感じ入ったのは、彼の音楽性で、
いわゆるバカテクといった超絶技巧ではありません。

ウクレレの名手といえば、古くはロイ・スメック、
そして近年のジェイク・シマブクロに至るまで、
トリッキーなプレイなど、曲芸のような派手なパフォーマンスに目を奪われがち。
でも、RIOくんのウクレレの才能は、そこじゃないんだな。
高度なテクニックを持ちながらも、それが前面には出ず、
まず先に音色の美しさに耳を引き付けられるんですよ。
ウクレレの才能は、クラシック・ギター同様、
利き手のタッチに如実に表われることを、このアルバムを聴くと、強く実感します。

超絶技巧の持ち主にありがちな、バリバリと硬い音色になることなく、
甘いトーンを保っていることが、驚異的。
速弾きでこの柔らかなトーンを維持するタッチは、天才の証しです。
キレのあるカッティングも、ウクレレという楽器の特性が最大限に生かされていて、
カヴァキーニョやギターとの違いが、くっきり表われていますね。

本作はオリジナル曲のほか、
‘My Favorite Songs’ ‘This Nearly Was Mine’ のスタンダード・ナンバーに、
ルイス・ゴンザーガの‘Asa Branca’ と
エルメート・パスコアールの‘O Povo’ をメドレーにしています。
17歳の時、イタリアのウクレレ・フェスティヴァルに参加したさいに、
ブラジルのミュージシャンから教えてもらったというんだから、
2000年代生まれらしいインターナショナルな交流ぶりですねえ。
そんなキャリアの積み重ねによって、
ハワイ音楽を起点としながら、ジャズ、ファンク、ブラジル音楽など
多様な音楽を消化してきた軌跡がにじみ出ています。

プロデュースは、クラックラックスでも活躍する、ジャズ・ギタリストの井上銘。
RIOが15歳でデビュー作を出した当時から、井上銘は憧れの人だったとのこと。
井上とソロを応酬する場面でも、RIOは臆せずに渡り合っていて、
なおかつ、アンサンブルのなかで前に出たり、引いたりのバランスが絶妙で、
20歳とは思えぬ成熟したプレイに舌を巻きます。

ウクレレの可能性を拡げるタッチの天才、RIOの今後が楽しみです。

RIO 「RIO」 Twin Music TMCJ1002 (2021)
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晩夏の幻影 南佳孝 [日本]

南佳孝 SOUTH OF THE BORDER.jpg

立秋を過ぎ、残暑の気配を感じられる頃になると、
毎年聴き始める、南佳孝の『SOUTH OF THE BORDER』。
40年以上も変わることのない、生涯の晩夏の定盤であります。
今年も、仕事帰りのウォーキングで汗を流しながら、聴いているのでありました。

このレコードが出たのは、大学2年の後期が始まった、たしか9月のこと。
先行シングルの「日付変更線/プールサイド」を聴いて、
アルバムを心待ちにしてたんでした。
7月21日に発売されたそのシングルは、
レコーディングを終えた後に買いに行ったから、
いまだにその日付をちゃんと記憶してますよ。
レコーディングってなんのこと?と思われるでしょうが、
まあ、そこは軽く受け流してくださいな。

前作の『忘れられた夏』では、まだ未完成だった南佳孝の世界観を、
当時気鋭の若手アレンジャーだった坂本龍一という才能を得て、
一気に拡張することに成功したアルバムでした。
『摩天楼のヒロイン』のノスタルジック路線とはまた意匠を変え、
南独自の虚構の歌世界を完成させた最高傑作です。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2014-11-19

ぼくは、いまでも本作が、日本のポップスの金字塔であると確信しています。
生涯再生回数だって、ダントツのアルバムであることは間違いないし。
来生えつこ、三浦徳子、松任谷由実たちがペンをふるった
短編小説のような歌詞は、日本ではない、どこか仮想の国を舞台としていて、
まるで外国映画を観ているような映像が立ち上ってきます。
そのスクリーンに繰り広げられるロマンティシズムとダンディズムは、
日本のポップスとは思えぬ洋楽的洒脱さに溢れていたのでした。

のちに、「モンロー・ウォーク」(79)や
「スローなブギにしてくれ」(81)というヒット曲によって、
南の音楽は大衆化し、シティ・ポップの旗手扱いされますけれど、
そうしたヒット曲にありがちな俗受けする野暮ったさは、
『SOUTH OF THE BORDER』にはみじんもありませんでした。
池田満寿夫のリトグラフをジャケットに選んだのも、この名盤にふさわしく、
どこまでも上質で、気品とも呼べる風格が、このアルバムには備わっています。

細野晴臣のスティール・ドラム、佐藤博のラテン・ピアノ、南自身が弾くカリンバが、
幻想の熱帯を演出し、サンバやボサ・ノーヴァ、ボレーロを援用して、
仮想のトロピカル・ミュージックを組み立てた坂本龍一のアレンジは、
細野晴臣の『泰安洋行』のサウンド・プロダクションをホウフツさせます。
どれだけスコアを書いたのか、若き日の坂本の凄まじい熱気が伝わってくるかのようです。

40年以上聴き続けていても、いまだに感服してしまうのが、
アルバム・ラストの「終末(おわり)のサンバ」のコーダ部で、
坂本が施した弦楽オーケストラの編曲。
このオーケストレーションは、坂本龍一のベスト・ワークの一つじゃないですかね。

メロディ・メイカーとして、南が群を抜く才能であることは言うまでもないですけれど、
クルーナー・ヴォイスも、ちょっとフラットする音程にめちゃくちゃ色気があって、
誰にもマネのできない個性ですよね。

生涯聴き続けても、けっして色褪せることなく、
聴くたびにその世界に没入して官能を呼び覚ます、永遠の名作です。

南佳孝 「SOUTH OF THE BORDER」 GT MHC7 30006 (1978)
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イチベレの日本人ファミリー・オーケストラ イチベレ・ズヴァルギ [日本]

Itiberê Zwarg  ORQUESTA FAMÍLIA DO JAPÃO.jpg

イチベレ・ズヴァルギの18年作“INTUITIVO” は、
エルメート・パスコアールの未完成な音楽を高度に統合して、
ブラジル音楽史上、類を見ない器楽奏作品に仕上げた大傑作でした。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-09-11
あのアルバムに驚嘆してまもなく、イチベレがたびたび来日して、
日本人音楽家向けにワークショップを開いていることを知りました。

エルメート・マジックならぬ、イチベレ・マジックの秘密を知りたくて、
ぼくもワークショップに参加しようと思ったんですが、気付いた時すでに遅しで、
予約が一杯で参加できなかったのは、残念でした。
これらのワークショップを通じて、日本人音楽家とイチベレとの交流が深まり、
イチベレの日本人オーケストラが結成され、
イチベレ・ズヴァルギ&オルケストラ・ファミリア・ド・ジャポンとして
19年に掛川のフェスティヴァルでお披露目されたんですね。

その時のライヴがディスク化されたんですが、
いやあ、スゴイですね、これ。
あ~、掛川まで観に行くべきだったなあ。
演奏は日本人だしなあ、なんて思って行くのをやめてしまった、愚かな自分。
全12曲、イチベレが書き下ろした新曲を、
イチベレほか総勢25人の日本人ミュージシャンとともに演奏しているんですが、
演奏しているのが日本人だということを忘れてしまうような、
見事なエルメート・ミュージックを展開しているのだから、オドロキです。

これだけの人数をリハーサルするだけでも、どんなに大変だったかと思うんですが、
イチベレと日本人ミュージシャンの情熱が実った、素晴らしいライヴ盤です。
なんでもイチベレはスコアを書かず、口伝でメロディやハーモニーを示して、
その場のメンバーとともにアレンジを組み立てていくというやり方をするのだそうです。
それを聞いて、あの複雑なコンポジションで、
ダイナミックな生命力あふれる演奏を可能とする秘密が理解できた気がしました。

カリスマティックな指揮者の上意下達の統率で、譜面と首っ引きで演奏したら、
あんなスポンテイニアスな演奏ができるわけがありません。
メンバーの自発性を引き出し、ぴりっとした緊張感を演奏のすみずみまでに
行き渡らせることができるのも、そういうアンサンブルの組み立てにあったんですね。

昨年、イチベレの娘のマリアナ・ズヴァルギが、
セクステット編成でアルバムを出したんですけれど、
正直かなり物足りなかったんですよね。
イチベレも参加してエルメート・ミュージックを展開しているわけなんですけれど、
演奏の密度がまるで違うんですよ。

それだけに、今回の日本人オーケストラの充実したパフォーマンスは、
ぼくの想像のはるか上を行っていました。
音楽を生み出す喜びに溢れた演奏、素晴らしいの一語に尽きます。

Itiberê Zwarg "ORQUESTRA FAMÍLIA DO JAPÃO" Scubidu Music TORTO015 (2021)
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返シドメ 一噌幸弘 [日本]

返シドメ.jpg   一噌幸弘  東京ダルマガエル.jpg

一噌流笛方という能楽師の世界にとどまらず、
ジャズ、ロック、クラシックの音楽家たちと果敢に交流して、
今年でCDデビュー30周年を迎えた一噌幸弘。

思い起こせば、91年のデビュー作『東京ダルマガエル』は、衝撃でした。
山下洋輔、坂田明、渡辺香津美というゲストを向こうに回して、
丁々発止のインプロヴィゼーションを繰り広げる
即興演奏家としての実力は、ただならぬものがありました。

能管や篠笛に、これほどの表現力があるのかと、目を見開かされたアルバムで、
ぼくはこの1枚で一噌さんのファンになりました。
このアルバムは、その後ジャケットを変えて再発もされましたね。
一噌さんのプレイは、その後ライヴで何度も生体験してきましたけれど、
一番忘れられない記憶が、一噌さん本来の土俵である能舞台で聴いた演奏です。

妻が能の稽古を始めて、もう十年以上になるので、
妻の先生の能舞台を観る機会がちょくちょくあるんですけれど、
ある時、いつもと違う笛方の演奏に、聴き惚れたことがありました。
音色がもうバツグンに良くって、笛の豊かな響きを鼓舞するような
スピード感たっぷりの吹きっぷりに、圧倒されてしまったんでした。

いや~、今日の1部の笛の人、べらぼうに上手かったなあと思いながら、
終演後に番組(プログラム)をめくってみたら、「一噌幸弘」とあるじゃないですか!
えぇ~、あれ、一噌さんだったの!? うわぁ、どおりでねぇ、と、ようやくナットク。
吹き手によってあれほどの差があるものかと、その時あらためて実感したものです。

その一噌さんの新ユニット、返シドメのデビュー作が届きました。
吉田達也のドラムスとナスノミツルのベースのトリオ編成だったのが、
大友良英のギターが加わり4人編成となった返シドメ。満を持してのレコーディングですね。
プログレッシヴ・ロック的な変拍子を多用した楽曲がほとんどとはいえ、
抒情的なメロディが多く、存外に聴きやすいものとなっています。
能管メタルという触れ込みも、まさにですね。

大友のギターがもっとノイズを撒き散らしているかと思いきや、
バンド・アンサンブルのバランスを意識しながら、
慎重にサウンドへ色付けしているのが印象的です。
一噌さんは能管、篠笛のほか、
ヨーロッパ由来のリコーダーや角笛も吹いていますね。

リコーダーや角笛は音にブレがなく、ノイズ成分も少なくて、
表情豊かな邦楽器に比べれば、その音色はずいぶんと淡白です。
ところが一噌は、能管や篠笛の技巧を借りて、音を揺らしたり、切断したりと、
あらん限りのプレイを繰り広げていて、
リコーダーをこんな風に鳴らせるのかと、感嘆せずにはいられません。

吉田・ナスノ・大友が生み出すヘヴィな音圧にのせて、
さまざまな技巧を駆使し、笛の限界を突破せんとする一噌の演奏は、
まさに鬼気迫るものがあります。
それでいて聴後感のクールさが独特で、これこそが一噌の音楽世界でしょう。

返シドメ 「返シドメ」 Arcàngelo ARC1174 (2021)
一噌幸弘 「東京ダルマガエル」 ライジン KICP101  (1991)
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アメリカで名を馳せた沖縄育ちの豆スター 沢村みつ子 [日本]

沢村みつ子  沢村みつ子 スーパー・ベスト.jpg

江利チエミや雪村いづみに続く、
日本のポップス・シンガーの草分け的存在だったという、沢村みつ子。
恥ずかしながら、全盛期のコロムビア時代の録音を集大成した本2枚組が出るまで、
まったく知りませんでした。いやぁ、こんな人がいたんですねぇ、ビックリです。

11歳でコロムビア・レコードからデビューした時は、
同じくコロムビア専属の美空ひばりに続く豆スターと呼ばれ、脚光を浴びたといいます。
新たな天才少女歌手という評判も、けっして誇張でなかったことは、
54年から56年までのSP時代の録音をまとめたディスク1を聴けば、まるっとわかりますよ。

録音データと突き合わせると、11歳から14歳ということになるんですが、
その歌唱力は、とんでもない高さですね。
少女時代の美空ひばりが、
大人顔負けの表現力と、リズムのノリに天才ぶりを発揮していたのに対し、
沢村みつ子は、音程の確かさ、ディクションの良さなど、
音感にバツグンの能力を発揮していたことがよくわかります。

先輩の雪村いづみや江利チエミが歌った「ウシュカ・ダラ」は、その白眉。
1番をトルコ語の原詞で歌っているんですが、
チエミが歌った「ウスクダラ」のカタカナ発音とは大違いの堂の入った歌唱で、
美空ひばりが歌った英語・日本語交じりの「上海」に匹敵するスゴさです。

沢村は42年12月に大阪に生まれたあと、すぐに沖縄へ引っ越し、
48年の夏から母とともに、米軍キャンプの専属歌手となって将校クラブで歌い、
53年に日本コロムビア沖縄代表となったという経歴の持ち主。
幼い頃に英語をおぼえ、外国語の発音を習得する耳の良さがあったんでしょうね。

53年の8月には東京へ進出して日劇へ初出演し、
翌年54年の6月には渡米してMGMと契約、
ミュージカル『ラスヴェガスで逢いましょう』でフランキー・レインと共演し、
「ジュディ・ガーランド・ショー」にも出演するという、まさに破竹の勢いでした。

「沙漠の踊り子」「ジェシー・ジェームス」「パパはマンボがお好き」といった、
国際色豊かな当時の洋楽ヒット曲のカヴァーも楽しいんですけれど
(なんと「スコキアン」も歌っています!)、
ぼくが惹かれたのは、55年録音の「あの子南の島娘」「なはの踊り子」の2曲。
沖縄代表で東京に進出した沢村にとって、故郷に錦を飾った曲といえるご当地ソングで、
そのオリエンタルなメロディは、細野晴臣の『泰安洋行』ファンならシビレもの。

誰の作曲かと思いきや、なんと2曲とも服部良一。
うわー、さすがだねえ。このキャッチーなメロは、たしかに服部良一です。
ほかにも服部良一が作った曲は、これまで未発表だったという「テキサスのバンジョ弾き」
「ネェ、ネェ、ネェ」「東京ハイティーン」の3曲が収録されていて、
これまた聴きものとなっています。

デビュー当初の沢村の姿は、映画でも観ることができるのだとか。
日劇ダンシングチームの谷さゆりとのダブル主演で抜擢された
『ジャズ・スタア誕生』(東宝 監督:西村元男)は、54年1月21日に公開され、
沢村はクライマックスで主題歌の「星空を仰いで」を堂々と歌っているとのこと。
この映画には、南里文雄とホット・ペッパーズ、多忠修とビクター・オールスターズ、
ジョージ川口とビッグ・フォア、東京キューバン・ボーイズのほか、
日劇のトップシンガーだった柳澤真一やフランキー堺まで登場するという、
当時のジャズ・ブームを反映した豪華絢爛なもの。

54年1月公開といえば、雪村いづみが主演した『娘十六ジャズ祭り』(新東宝)と
同じ月じゃないですか。『娘十六ジャズ祭り』はDVDで持っていますけど、
『ジャズ・スタア誕生』はいまだDVDにはなっておらず、いや~、観てみたいですねえ。

沢村みつ子 「沢村みつ子 スーパー・ベスト」 日本コロムビア FJSP415
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自由にはばたけ 松丸契 [日本]

松丸契  NOTHING UNSPOKEN YNDER THE SUN.jpg

石若駿が昨年結成した新グループ、SMTKのアルバムを聴いて、
強烈に耳残りしたのがサックスのプレイでした。
石若がフック・アップした、松丸契という新人だと教えられ、
スゴイ人が出てきたなとは思っていましたけれど、
初リーダー作を聴いて、こりゃとんでもない逸材だと衝撃を受けました。

いきなり冒頭からマルチフォニックをかまして、リスナーを驚かせるんですけれど、
こういう若々しい気負いが、めちゃ好感持てるじゃなですか。
空気読んでばかりの大人しい若者がやたらと目についたひと昔と違って、
ここ数年、気骨を感じさせる若者がすごく増えてきたように思えて、
おとうさんは嬉しいよ。子世代に追い越される喜びは、
子育てを終えた親世代だからこそ持てる心持ちでありますね。

フリーに寄せるインプロもやれば、音響的なアプローチも聞かせる一方で、
美しく作曲されたメロディを色彩感のあるトーンで紡ぎもする。
いわゆる○○派だとか××系に属することを良しとしないというか、
どこにも属さない自由なポジションを獲得している強さが、
旧世代にないヴァーサタイルな新世代の開かれた魅力ですね。

バックは、松丸を見出した石若駿が07年以来活動してきたレギュラー・グループのBOYS。
ベースの金澤英明にピアノの石井彰の二人は、
日野皓正を長年支えてきたヴェテラン・プレイヤーで、
新旧世代の4人が組み合わさったことで、互いに触発し合う空間が生まれ、
刺激的なアイディアが散りばめられています。

いまや長老といった風格さえある金澤は、安定感あるプレイばかりでなく、
スピリチュアルなオリジナル曲を提供しているところも聴きどころ。
その曲「暮色の宴」は、ダウンロード・アルバム未収録で、
CDのみの収録ですけれど、こういうタイプの曲があることが、
アルバムに奥行きを生み出していますね。

コンテンポラリー、フリー、アヴァン、どこにも属さず、
いまのまま自由にはばたいて、才能をどんどん広げていってほしい、
期待の若手です。

松丸契 「NOTHING UNSPOKEN UNDER THE SUN」 Somethin’ Cool R2000191SO (2020)
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ニッポンを押し出した和製ポップス 米津玄師 [日本]

米津玄師 Stray Sheep.jpg

米津玄師の『STRAY SHEEP』を、2020年のベスト・アルバムに選んでおきながら、
記事にしていなかったんだっけ?
あれれ、これはウカツだったなあ。
去年は、藤井風の無頼な歌いっぷりの生々しさにヤラれていたところに、
続いて、やるせない感情をさまざまな物語にのせてぶつけてくる、
米津の歌いぶりに、もう完全にノック・アウト。

普段歌詞などまったく頓着しないのに、
この二人の歌詞には、刺さること、刺さること。
人間の弱さや、男のだらしなさを露にした、
無頼漢のストーリーテラーぶりに、ココロ射抜かれました。

米津の場合は、その音楽性の豊かさにも圧倒されましたよ。
ぼくがロックやポップス全般に疎いからなのかもしれないけれど、
下敷きにしている音楽や、参照している音楽が、ぜんぜんわからないんだもの。
個々の楽曲の完成度とともに、そのオリジナルな表現力にうならされます。

曲作りも凝っていて、ヨナ抜き音階を意図的に使ったパートでは、
歌詞に古語のような古めかしい言葉遣いを選び、
日本情緒を押し出しているところに、感心させられました。
かつて小泉文夫が歌謡曲や和製ポップスのなかにも、
ヨナ抜き音階が使われていることを指摘しましたけれど、
米津は、そうした無意識下の日本人のテイストに訴えかけるのでなく、
「日本」をあえてわかるように強調しているんですね。

ヨナ抜き音階を使ったパートで、三味線や笛をフィーチャーしてみたり、
米津自身もこぶしを回しながら歌ったりしていて、
日本音楽の特徴を際立たせることによって、
和製ポップスに「ニッポン」を落とし込む新しい表現を生み出しています。

このほか、石若駿を起用した曲では、ジャズの快楽もたっぷり味わえるなど、
その底知れぬ音楽性の豊かさと、ソングライターの才能、
そしてずば抜けた表現力を持つ歌唱と、三拍子揃った大傑作です。

米津玄師 「STRAY SHEEP」 ソニー SECL2598 (2020)
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真摯な音楽家 藤井郷子 [日本]

藤井郷子/田村夏樹  PENTAS.jpg

真摯。

藤井郷子くらい、この言葉がふさわしいジャズ演奏家はいないんじゃないでしょうか。
その昔は、ビリー・ハーパーにも、同様の真摯さを感じたものですけれど、
ビリー・ハーパーの場合は、スタイルを変えない、求道者のイメージが強くありました。
藤井郷子の場合、ソロ、デュオ、トリオ、カルテット、オーケストラと、
フォーマットもさまざまなら、作品ごとに振れ幅の大きな演奏を聞かせるので、
求道とは違う、もっとしなやかな真摯さをおぼえます。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2010-04-30

藤井のジャズには、クリシェがない。
そこにぼくはとても信頼を置いているんですね。
どんなフォーマットであろうと、自分の求める音を真剣に追いかけていて、
毎回心新たに音楽に向きあっているから、クリシェなど現れようもない。

自分の音を探求することに、どこまでも貪欲で、妥協を許せないところは、
言い換えれてみれば、融通が利かず、
大概の人が諦めてしまうところにも挫けず続ける、
「しつこさ」のようなものを感じます。
ぼくも、しつこさにかけては人後に落ちないので、親しみを覚えるんですよね。

彼女は、手癖を禁忌としているんじゃないのかな。
さもなくば、凝りに凝りまくった構成を持つ曲を書いて、
手癖など現れるべくもないようにしているのではとさえ思ってしまいます。
フリー・ジャズといいながら、
あらかじめ用意した型で演奏をする音楽家が少なくないなかで、
藤井はホンモノのインプロヴァイザーといえる即興を聞かせてくれる人です。

がっちりとした建造物のような曲も書けば、
自由に即興する完全フリー・インプロのような演奏もするので、
題材を変えることで、音楽へのアティチュードの鮮度を保っているようにも思えますね。

そんな信頼の音楽家、藤井郷子と田村夏樹とのデュオ新作がスゴイ。
この二人でなければできない境地を仰ぎ見るかのようで、
聴き終えて、しばし身体の芯がジーンとしびれる感動を覚えました。
これまでこの夫婦デュオを何度となく聴いてきましたけれど、
これほどまでに集中力を高めた演奏は、初めて聴いた気がします。

メロディがあってないような曲のなかで、二人が互いの音に反応しながら、
自分のボキャブラリーで音列を紡いでいくのですけれど、
生み出されるサウンドの透明感がすごくって、その美しさに陶然とします。
二人のエネルギーがぶつかりあって、硬質な感触を残すものの、
心拍も血圧も上がらない落ち着きを保っている、そんなところもシビれます。

奔流を生み出す藤井のピアノを、
ひょうひょうとした田村のトランペットがユーモアでくるんでみたり、
そのやりとりは、昨日今日結ばれた二人にはできない、
長年連れ添って、酸いも甘いも知り尽くした夫婦ならではの通じ合いを聴くようで、
う~ん、人生はフリー・ジャズだなあと感じ入ってしまいますね。

藤井郷子/田村夏樹 “PENTAS” Not Two MW999-2 (2020)
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平成生まれのポップ体質と作品主義 ヨルシカ [日本]

ヨルシカ 盗作.jpg

藤井風と一緒に買ったこちらも、試聴していてブッとんだアルバム。
平成生まれ世代が、日本の音楽を更新していることを、
まざまざと実感させてくれる作品でした。

ヨルシカというのは、n-buna(ナブナ)という作編曲家と、
suis(スイ)という女性ヴォーカリストによる男女ユニット。
当人たちは「バンド」を称しているんだそうですけど、
二人でバンドというのはピンときませんね。ユニットじゃいけないのかな。
水曜日のカンパネラみたいなプロジェクトですね。

このアルバムは、音楽の盗作をする男というテーマの物語となっていて、
初回盤にはこの物語の「小説」が付いているんだそう。
文学はぼくの興味とするところではないので、小説なしの通常盤を買いましたが、
ぼくには彼らの音楽性だけで、十分ヨルシカに惹かれました。

冒頭ベートーヴェンの「月光」がさらっと顔を出して、
そこからいきなりキザイア・ジョーンズばりの、
アクースティック・ギターをスラップでかき鳴らすファンク・チューンが
飛び出すという展開で、もう完全に引き込まれました。
複数のギターをオーヴァー・ダブして、
立体的なギター・サウンドをかたどったプロダクションがカッコイイですねえ。

平成生まれの音楽家にシンパシーが持てるのは、音楽を幅広く聴いていること。
自分の夢中になったジャンルの音楽を深掘りもしているから、
血肉化した音楽から参照して、自分の音楽をクリエイトする筋力が
しっかりと備わっています。

楽曲の作りも巧みで、メロディを大きく動かして盛り上がりを作るのがうまい。
題材がダークで作品主義な曲が並んでいながら、頭でっかちな印象を与えないのは、
高揚感に満ちたメロディゆえですね。

無差別殺人をしでかす犯罪者心理の自己不全感を描いた「思想犯」など、
歌詞の説明的なコトバがやたらと耳に刺さってくるのがウットウしいんだけど、
suis の切れた歌いっぷりに、音楽的快楽が得られます。

冒頭の「月光」といい、サティの「ジムノペディ」が引用されるインスト・チューンを
途中に挟むのも粋な構成で、どんなリファレンスをしようが気負いがないから、
スノッブ臭が漂わないところも、いいよなあ。
平成生まれらしいポップ体質が溢れ出ていて、お爺世代にはまぶしいよ。

ヨルシカ 「盗作」 ユニバーサル UPCH2209 (2020)
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無頼な天才シンガー・ソングライター登場 藤井風 [日本]

藤井風  HELP EVER HURT NEVER.jpg

とてつもない天才が、また出てきましたよ!
YouTube で注目され、いま話題沸騰中の新人シンガー・ソングライター、藤井風。
この声にヤラれない人なんているのか?と口走りたくなるほど魅力的なシンガーで、
ぼくは一聴、金縛りにあい、即、カヴァー集付き2枚組の初回限定盤を買いました。

なんといっても、藤井の声の色彩感がスゴい。
田島貴男や久保田利伸といった、さまざまな先達の声が思い浮かぶだけでなく、
誰でもない藤井自身の声を、いく通りも持っているんですね。
豊かな声色を、さまざまなタイプの楽曲に対応して繰り出してくるところは、
まるで球種の多彩なピッチャーを見るかのようです。

そしてその歌いっぷりが、また圧巻なんだな。
ソウルフルな歌声に、リズムのノリがバツグンで、キレッキレ。
R&B系のシンガーにありがちな、スカしたところがまったくなくて、実に自然体。
アフリカン・アメリカンな歌唱表現が、見事に咀嚼されていて、舌を巻きます。
おそるべし、90年代生まれ。

さらに、そこに無頼な雰囲気が漂ってくるところが、またカッコいい。
カッコつけのポーズなどではなく、この人の地金から、無頼の色気が匂い立ちます。
22歳にして、このムードが出てくるのって、ただもんじゃないよな。
それには、この人が書く歌詞の影響もありますね。
一人称は「わし」で、二人称は「あんた」。ほかにも「〇〇じゃった」など、
方言で歌う歌詞は日常感がたっぷりで、一片の気取りもない率直さがすがすがしい。

歌詞に一番マイったのは、「死ぬのがいいわ」。
「三度の飯よりあんたがいいのよ/あんたとこのままおサラバするよか/死ぬのがいいわ」
こねくるようなメロディに、コトバをぶっこんでくるビート感は圧巻です。
こんなラヴ・ソングありかよと、最初聴いた時にノック・アウトを食らい、
その生々しい愛情表現に、ドキドキしてしまいました。
めったに歌詞に頓着しないぼくですけれど、これにはヤラれましたねえ。

さらにさらに驚くべきは、ソングライティングの才能。
全曲ヒット性のあるマテリアル揃いで、
どの曲にもフックの利いたメロディが出てくるクオリティの高さには、もう脱帽です。

なにより感心したのが、天性としかいいようがない、藤井が持つコード感。
ここでこのハーモニーを使うかという、
意外性のあるコード使いが、メチャクチャ上手いんです。
特異なコード・センスで抜群の才能を発揮した人に、
ロッド・テンパートンがいましたけれど、
グルーヴィでメロウなポップ・ソングを書く才能では、
藤井はロッドと肩を並べるんじゃないですかね。

デビュー作にして、はや名盤誕生の風格あるジャケットも最高の、今年のベスト作です。

藤井風 「HELP EVER HURT NEVER」 ユニバーサル UMCK7064/5 (2020)
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日本のジャズの明るい未来 渡辺翔太 [日本]

渡辺翔太 FOLKY TALKIE.jpg

ん? これって、グレッチェン・パーラト?
店で流れていたスキャットが気になって、CDを見に行ったら、
なんと日本人のピアニストの作品で、びっくり。
歌っていたのはグレッチェンではなく、ものんくるのヴォーカリスト、吉田沙良。

うわー、スゴイな。
ブラインドで聴いてると、もはや演奏者が日本人かどうか、ぜんぜん判別できませんね。
ピアノをバックから猛烈にプッシュしながら、
飛翔するようなドラミングを聞かせるのは、石若駿。
重量感がありながら、軽やかなこのグルーヴ、さすがだわー。

平成生まれのジャズ・プレイヤーたちが、時代を更新していくのを実感させてくれる作品、
と言いかけたら、主役の渡辺翔太は88年生まれだそうで、ギリで昭和最後の年。
ベースの若井俊也も同じ88年生まれなんだね。
いずれにせよ、30歳前後の世代が、
日本のジャズ・シーンを変えているのは、まぎれもない事実。

渡辺翔太は、全世界で進行する新世代ジャズに並走する
日本人若手ピアニストの一人といっていいんでしょうね。
ここ十年くらい、日本人ジャズ・ピアニストは女性の独壇場でしたけれど、
ようやくその潮目が変わってきたのかな。

高速で流麗に弾きまくる場面も多いものの、
音色はマイルドで、繊細さをあわせもった渡辺のピアノはリリカルです。
ごんごん弾くハンマー・スタイルはいまや女性ピアニストの方が多いくらいで、
もはやピアノのプレイ・スタイルも、ジェンダーレスだな。

吉田沙良をフィーチャーしたトラックは、
グレッチェンを思わす器楽的なヴォイスをフィーチャーした「回想」に、
まんまシティ・ポップな「君を抱きよせて眠る時」もあり、
新世代らしくジャズとポップの垣根が見事に溶解していますよ。

若井がメロディカを吹いたり、石若がグロッケンを弾くなど、
楽曲のアレンジも、ジャズとポップを行き来する柔軟さがいいなあ。
まばゆい若さに、明るい日本のジャズの未来が見えます。

渡辺翔太 「FOLKY TALKIE」 リボーンウッド RBW0012 (2019)
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