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カフェ・オ・レのエレクトロ・ノクターン ワッサ・サント・ネブリューズ [西・中央ヨーロッパ]

Wassa Sainte Nébuleuse  NOIRE TO PEAU.jpg

コレはいったい、どういう出自の音楽なんでしょう???

西アフリカのさまざまな音楽を参照しているんだけど、
歌う主の声はアフリカンではなく、白人なのは明々白々。
ヨーロッパ白人がアフロ・ポップをやると、
どうしても音楽がファッションになりがちなんだけど、
この音楽には個人的な切実さがあって、演奏も借り物らしからぬこなれ感がある。

メランコリックでダウナーなトリップ・ホップのようなフィールと
アフリカのグルーヴが同居する魔訶不思議な音楽。
ワッサ・サント・ネブリューズとは、いったい何者?
デジパックのパネルに長い献辞があるものの、
ミュージシャンのクレジットがなくて、皆目正体がわかりません。

調べてみると、ワッサ・サント・ネブリューズは、
ジャケットに映る女性歌手ナニ・ヴィタールのプロジェクトなのですね。
ナニ・ヴィタールは、ブルターニュのモルビアン湾に浮かぶ
小島ゆいいつの混血家族に生まれ育ったのだそうです。
トーゴ出身の祖父と母の話を聞きながら、西アフリカへの情熱を育む一方、
自分が「カフェ・オ・レ」であることを周囲から教わり、
みずからのアイデンティティを探す旅に出たといいます。

マンディンゴの伝統的なレパートリーと、
アフロ・コンテンポラリーな表現を探求するダンサーとして8年間活動した後、
ナント出身のエレクトロ・ワールド・グループと1年半を過ごし、
その後自身の作曲に取り組むようになったとのこと。
ナニが憧れるウム・サンガレやロキア・トラオレと同じバンバラ語で歌詞を書き、
その歌を表現すべく、15年にワッサ・サント・ネブリューズを結成したのですね。

ミュージシャンたちはすべてフランス人のようで、
コラを弾いているのがゆいいつのアフリカ人音楽家で、
トゥマニ・ジャバテの甥っ子のアダマ・ケイタですね。
ワッサ・サント・ネブリューズをアフロ・フュージョンと称するテキストもみかけますが、
深い内省とデリカシーに富んだこの音楽に、
そんなチープなラベリングをするのは不適切だな。

そもそもフュージョン寄りのサウンドではなく、
ドラムスはかなりロック的だし、ギターはマンデ・スタイルであったり、
トゥアレグのイシュマール・スタイルであったりと、曲によって弾き分けています。
ノクターンをイメージする詩的な音楽は、ヨーロッパの知性を強く感じさせながら、
そのインスピレーションをアフリカに求めているのが、とても新しく聞こえます。

Wassa Sainte Nébuleuse "NOIRE TO PEAU" no label no number (2024)
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初期ラム・プルーンのグルーヴ ピムチャイ、プアンパカ、ジャムナパ・ペットパラーンチャイ [東南アジア]

Phimchai, Puangpaga, Jeamnapa Phetphalancai  3 PALANG SAO, SAO ISAN ARLAI.jpg

ピムチャイ・ペットパラーンチャイが三姉妹で歌っていた時代の音源集。
いや~、ため息が出ました。
あらためてピムチャイって、スゴイ歌手だったんだなあと再認識させられましたよ。
ピンとしたハイ・トーンの発声でメリスマを炸裂させるノドの強さといったら!
その強靭な歌い回しにノック・アウトをくらいました。

Phimchai Phetphalancai  KAO NORK NAR.jpg   Phimchai Phetphalancai  SAR ITAH PIKART.jpg

ピムチャイ・ペットパラーンチャイは、
クルーンタイが編集したCD2枚を聴いていましたけれど、
こちらはサックスやキーボード入りのポップ化したモーラムで、
録音時期に幅があるものの、いずれも80年代に入ってからの録音でした。

しかし今回手に入れたのは、それよりももっと以前の70年代とおぼしき録音で、
ケーンとピン、そしてリズム・セクションがミニマルなグルーヴを生み出す
ラム・プルーン18曲を、た~っぷり味わえます。

西洋楽器が増えてルークトゥン化する以前の、
ラム・プルーン時代のシンプルなサウンドは、ぼくの大好物。
伴奏がシンプルなだけに、モーラム歌いの実力がものをいうので、
コブシ回しの技巧に酔いしれるには、またとないスタイルだからです。

ピムチャイはのちにダオ・バートンとデュエットして大ブレイクしますけれど、
70年代後半から80年代にかけてヒットしたという、
モーラム三姉妹ペットパラーンチャイ時代の録音は初めて聴きました。
ジャケット中央に映るのがピムチャイで、プアンパカ、ジャムナパの二姉妹とは
顔立ちがぜんぜん違いますね。ピムチャイが母親似で、あとの二姉妹が父親似かな。

3姉妹がかわるがわる歌っていて、どの曲を誰が歌っているのかわからないんですが、
声が明るく、いちばんハリのある声がピムチャイじゃないかな。
プアンパカ、ジャムナパ両名も声の強さは天下一品で、
コブシ回しが粗っぽくて、ピムチャイよりワイルドですね。
うねりまくるベースがグルーヴを巻き起こすラム・プルーンが、
イサーン庶民に圧倒支持されたのも、ナットクの逸品です。

Phimchai, Puangpaga, Jeamnapa Phetphalancai "3 PALANG SAO, SAO ISAN ARLAI" Lepso Studio LPSCD42A30
Phimchai Phetphalancai "KAO NORK NAR" Krung Thai 100KTD-P047
Phimchai Phetphalancai "SAR ITAH PIKART" Krung Thai 100KTD-P048
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テクノ/ハウス/トランス・ライ マリク・アドゥアン [中東・マグレブ]

Malik Adouane  AFTER RAÏ PARTY.jpg

マリクのコンピレーション? なんとまあ酔狂な。
日本でマリクを知ってる人がいたら、よほどのライ・マニアだけだろうなあ。
90年代からゼロ年代にかけて、ライにテクノやトランスを取り入れ、
フランスのアンダーグラウンドなクラブ・シーンを沸かせたライ・シンガーです。
登場した時はいかにも一発屋ぽいキャラと思ったけど、
けっこう息長く人気のあった人でしたね。

とはいえ、ハレドやシェブ・マミが世界的ヒットを出して、
華々しい活躍をしていたのに比べれば、
マリクの人気はもっとローカルな局所的なものにすぎませんでした。
ライの歴史からしても、いわば仇花的な存在だったので、
その彼に今スポットを当てるとは、なかなかに面白い現象です。
のちにライがR&Bと融合して流行したラインビーを予見した存在といえるのかも。

Malik  EXTRAVAGANCE RAÏ.jpg   Malik  DAÏMEN.jpg
Malik  SHAFT.jpg   Malik  DERWISH.jpg

当時聴いていたCDはすべてマリク名義だったので、
今回のコンピレーションが出るまで、
アドゥアンという名前も聞いたことがありませんでした。
マリクがノートルダム大聖堂で知られるフランス北部の都市ランスで、
アルジェリア人の父親とイタロ・ケルト系の母親のもとに生まれたという経歴も、
今回のライナーで初めて知りました。

アラブ古典音楽、ライ、北米のディスコ音楽などを
分け隔てなく聴いて育ったマリクにとって、
ジェイムズ・ブラウンの ‘Sex Machine’ のライ・ヴァージョン ‘Raï Machine’ も、
アイザック・ヘイズの ‘Shaft’ のアラビックなカヴァーも、
ネラったというより、ごく自然な試みだったのでしょう。

そんなマリク・アドゥアンの全盛期を知るにふさわしいコンピレーション。
10曲収録のLPより、17曲入りCDまたは配信で聴くのがオススメです。

Malik Adouane "AFTER RAÏ PARTY, 1992-2008" Elmir MIR09CD
Malik "EXTRAVAGANCE RAÏ" Mélodie 08091-2 (1998)
Malik "DAÏMEN" Culture Press CP5006 (1999)
(CD Single) Malik "SHAFT" Mercury 562190-2 (1999)
Malik "DERWISH" M10 322062 (2002)
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早逝したンバラ・シンガー ンドンゴ・ロ [西アフリカ]

Ndongo Lo  TARKHISS.jpg   N’dongo Lo  ADUNA.jpg

アラブ/マグレブ専門とばかり思っていたフランスのリイシュー・レーベルM.L.P.が、
ここ最近アフリカ音楽のカタログに手を伸ばしていますね。
そのラインナップがちょっと変わっていて、名盤などには目もくれず、
当時あまり売れたと思えないような作品ばかりライセンスで出しています。
セネガルのンドロゴ・ロもそんな一枚。
おそらく日本で知る人もいないだろうから、せっかくなので書いておきましょう。

ンドロゴ・ロ(1975-2005)は、わずか30歳で早逝したンバラ・シンガー。
若き日のユッスーを思わせる素晴らしいノドを持っていた歌手なんですけれど、
わずか3作しか残すことができませんでした。
デビュー作の01年作はカセットのみでCD化されず、ぼくは聴いていませんが、
03年の2作目と05年の遺作となった3作目を聴いていました。

今回M.L.P.がリイシューしたのがこの3作目で、
カセットは04年の12月に出ましたが、
CDは翌年ンドロゴ・ロが1月に亡くなった後に出たため、
表紙に Hommage と記されています。

貧しかったンドロゴ・ロは音楽ビジネスに入るチャンスを得られず、苦労したそうです。
ある日シュペール・ジャモノのシンガー、パペ・ンジャイ・ゲウェルのステージのよじ登り、
マイクを獲って歌ったことがきっかけで、プロ入りのチャンスをつかんだとのこと。
01年にデビュー・カセットを出すと、またたくまに評判を呼び、
ガンビアをツアーし、ヨーロッパでコンサートを行うなど成功を収めました。

3作目の “ADUNA” 制作時には、すでに重病を患っていて、
人生や友人、宗教指導者への感謝を歌ったのだそうです。
はちきれるような歌いぶりは、病気を抱えていたとはとても思えないんですけれども。
ンドロゴ・ロはムリッド教団に入信し、
2代目ハリファ、ファルー・ムバケ(1888-1968)の信者となっていました。

ひさしぶりにンドロゴ・ロの2作を聴き返しましたけれど、
う~ん、やっぱり力のあるいいシンガーでしたねえ。
バックも、タマの名手サンバ・ンドク・ムバイをはじめ、ンバラの実力者がずらり。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-06-17
タマとサバールのキレがバツグンです。

貧しい家庭に生まれ、不幸な境遇から這い上がって成功したンドンゴ・ロは、
ダカール郊外の貧しい町ピキンの人々に絶大な人気だったそうです。
ンドンゴ・ロが亡くなったという知らせに、ピキンの人々は信じようとせず、
群衆がストリートを埋め尽くしたといいます。
そしてムリッド教団の聖地トゥーバでの葬儀には、20万人が参列したのでした。

Ndongo Lo "TARKHISS" Africa Productions 03073-2 (2003)
N’dongo Lo & Le Groupe Jamm "ADUNA" Africa Productions 05103-2 (2005)
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エレクトロニカ・ジャズのサウンド・デザイン オーティス・サンショー [西・中央ヨーロッパ]

Otis Sandsjö  Y-OTIS TRE.jpg

首を長くして待っていたオーティス・サンショーの新作!
オーティス・サンショーはベルリンを拠点に活動する、
スウェーデン人テナー・サックス奏者。
アルト・クラリネット、フルート、バリトン・サックス、
ドラムス、ローズ、シンセサイザーもプレイし、実験的なジャズを演奏しています。

本作は、コマ・サクソ率いるベーシスト、ペッター・エルドと
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2023-12-16
キーボード奏者ダン・ニコルズの3人による “Y-OTIS” プロジェクトの3作目。

Otis Sandsjö  Y-OTIS.jpg   Otis Sandsjö  Y-OTIS 2.jpg

18年の初作では、
アブストラクトなアクースティックなジャズのフォーマットがベースにあって、
そこにエレクトロやサンプリングを付け加えていくという作りになっていて、
実験的な試みがまだ手探り状態でしたけれど、
20年の第2作になると、プリ・プロダクションの段階から
曲のイメージを膨らませて完成形に仕上げているようで、
コンポジションと即興の自由度が増したのを感じます。

おそらく断片的なサウンド・メモを膨らませて、
曲に仕上げていくような作曲をしているんじゃないかと思うんですが、
ラフ・スケッチとなるアイディアがさまざまに繋げられていて、
それによってリズムの構造も多彩になっている面白さがあります。
今作では、トロンボーンやパートごとに複数人のドラマーを起用するほか、
アディショナル・サウンド・デザインとクレジットされたゲストも参加しています。

実験的なのにエクスペリメンタルな感じはしなくて、
柔らかに浮遊するようなドリーミーな空気感がすごくいい。
ムーンチャイルドとかキーファーあたりにも通じるムードといえばいいかな。
サンショーはこの音楽をリキッド・ジャズと呼んでいますが、
さまざまなジャンルが溶解して液体になったという意味なんでしょうか。
ヒップ・ホップを通過した世代のエレクトロニカ・ジャズのサウンド・テクスチャが、
たまらなく魅力的です。

Otis Sandsjö "Y-OTIS TRE" We Jazz WJCD63 (2024)
Otis Sandsjö "Y-OTIS" We Jazz WJCD08 (2018)
Otis Sandsjö "Y-OTIS 2" We Jazz WJCD26 (2020)
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4から19へ ダニ&デボラ・グルジェル [ブラジル]

Dani Gurgel & Debora Gurgel  DDG19 BIG BAND.jpg

日本で大人気のDDG4こと、ダニ&デボラ・グルジェル・クァルテート。
たしか去年も来ていたんじゃなかったっけ。
10年代にサン・パウロで大きなムーヴメントとなった、
ノーヴォス・コンポジトーレスの一翼を担うアーティストでありますね。
彼らの出世作 “UM” はもちろん聴いていたとはいえ、
ここで取り上げないままだったなあ。

庶民的な親しみ溢れるショーロがもともと好きなせいで、
大衆性に欠ける芸術音楽志向のノーヴォス・コンポジトーレスには、
耳は傾けども心はノレずみたいな気持ちで当初いたんですが、
その後のブラジル新世代ジャズにどんどん引き込まれていったせいか、
今回の新作、なんの抵抗感もなく楽しむことができました。

DDG4からDDG19と、
なんとクァルテートから19人編成のビッグ・バンドになったんですねえ。
これまでのレパートリーをビッグ・バンド・アレンジにして、
新たな衣替えで聞かせているんですけれど、
おっ!と思ったのは、クァルテートの時よりポップになっていたこと。

変拍子やブレイクのはさみ方など、リズム面はチャレンジングだけれど、
サックス・セクションとブラス・セクションが対峙して動くアレンジは、
トラディショナルなビッグ・バンドのスタイルで親しみやすく聴きやすいもの。
即興演奏は短いながら、しっかり聴きどころを生み出していますよ。
ダニのスキャット・ヴォーカルもチャーミングで、
華やかなビッグ・バンドのサウンドによく映えます。

ミシャエル・ピポキーニャがゲスト参加した曲では、
超絶技巧のベースを思いっきり披露しているのも嬉しい。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2023-09-11
ビッグ・バンドならではのゴージャスな楽しさを満喫できる一枚です。

Dani Gurgel & Debora Gurgel "DDG19 BIG BAND" Da Pá Virada DDG19 (2023)
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円熟したサハラウィ アシサ・ブライム [西アフリカ]

Aziza Brahim  MAWJA.jpg

グリッタービートに籍を置いて4作目を数える
西サハラのシンガー・ソングライター、アシサ・ブライムの新作は、
円熟を感じさせる充実作となりました。

16年作の “ABBAR EL HAMADA” は胸に沁みて、
ずいぶん繰り返し聴きましたけれど、アルバムを重ねるごとに、
少しずつ寂寥感が和らいできたのを感じます。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-04-20
ティンドゥフの難民キャンプで生まれ育ち、幼い頃から苦労を重ねてきたアシサが、
さまざまな哀しみを乗り越え、未来の希望を信じて逞しく生きるさまが、
素直に歌に映されています。

スペインに渡ってバルセロナを拠点にともに活動してきた音楽家たちとの演奏も、
長年の信頼に支えられた安定感をみせていて、
派手さのない堅実なバックアップぶりが好感持てます。
ゲストも毎回アシサの音楽性に合う人だけを慎重に選んでいて、
宣伝効果のためだけに有名どころを迎える愚を犯さないところは、
グリッタービートというレーベルの良心でしょう。

サハラウィの伝統音楽をベースとしたアシサの自作曲に、
スパニッシュ・ギター、ベース、ドラムス、各種パーカッションが寄り添う編成は
いつもどおりですが、今作はアラブ音楽のマカームを使った ‘Haiyu ya zuwar’
‘Fuadi’ が強く印象に残りました。

以前アシサにメール・インタヴューした時に、
「ウム・クルスームに影響を受けた」と答えていたのを意外に感じましたけれど、
これまでアシサの曲からアラブ音楽の影響をうかがわせることがなかったので、
これは新しい挑戦なのかもしれません。

また、アシサは同じインタヴューで、影響された外国の歌手やグループとして、
ビッグ・ママ・ソーントン、マディ・ウォーターズ、ジミ・ヘンドリックス、
ピンク・フロイド、ビリー・ホリデイ、クイーン、クラッシュ、マヌ・チャオ、カマロン
といった名前を挙げていました。

じっさいデビュー作では、かなりフォーク・ロック的な演奏も聞かせていましたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2012-07-30
今作ではナマナマしいロックとブルージーな感覚が欲しいと、
‘Metal, Madera’ で別のドラマーを起用し、ストレ-トなブルース・ロックをやっています。
なんでもこの曲を録音するのに、ドラマーにアシサが好きなクラッシュの曲を聞かせて
叩いてもらったそうで、その曲って、なんだったのかな。ちょっと興味がわきますね。

19年の前作 “SAHARI” ではレゲエにアレンジした曲があって、
その安易というか凡庸なアイディアにがっかりした面もあったので、
今作の新しい音楽的な冒険は、大いに歓迎したいですね。

サハラウィの偉大な詩人だったアシサの祖母ルジャドラ・ミント・マブロックに捧げた
‘Ljaima Likbira’ など、サハラウィの望郷の思いが溢れたアルバムです。

Aziza Brahim "MAWJA" Glitterbeat GBCD150 (2024)
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リクリエイトされる50年代 デレディア [東南アジア]

Deredia  BIANGLALA.jpg

いやー、楽しい。この洒脱さ、たまりませんね。
洋楽を受容した50年代のインドネシアのポップスを、
今に蘇らせる5人組のデレディア。

レス・ポール&メリー・フォードに影響を受けたと自称するとおり、
レトロ狙いのバンドではあるんですけれど、
50年代の音楽を参照しつつ、サウンド・センスはまぎれもなく
21世紀仕様になっているところが、いいんです。

スノッブ臭なんて皆無。サブカル・マニア的なイヤミもなくって、
素直に自分たちの好きな音楽を追求しているさまがすがすがしい。
前作 “BUNGA&MILES” は、
1枚目がインドネシア語で歌った50年代インドネシアのポップ路線、
2枚目が英語で歌ったロカビリーでしたけれど、
新作は1枚目の路線を推し進めたもの。

全7曲20分38秒の本作は物語となっていて、
50年代のインドネシアを舞台に、ラティという主人公が
思春期から結婚するまでの道のりを、家族や友人とのエピソードや、
オランダとの独立戦争に従軍していた
元外国兵とのラヴ・ストーリーを交えながら描いているそうです。
歌手のルイーズ・モニク・シタンガンが作詞をしていて、
ルイーズの家族の実話からインスピレーションを得たとのこと。

フォックストロット調の明るく、解放的な気分いっぱいのオープニングから、
独立戦争が終結して、インドネシアに真の独立が達成された時代を
ホウフツさせるメロディーが続きます。
粋なスウィング・ジャズに優雅なワルツなど、
コロニアル時代に吸収した洋楽センスが次々と再現されていきます。

サウンドが現代的になっているのはミックスの感覚が新しいからで、
それがデレディアの演奏をフレッシュに響かせていますね。
シニカルにならず、てらいのない素直さが伝わってくる演奏がいい。
ルイーズの歌がとても魅力的で、
はっちゃけた痛快な歌いぶりを聞かせるかと思えば、
カラッとしたべたつかない情感を表すスローと、多彩な表情をみせています。

ジャケットがスリーヴ・ケース仕様の凝った作りで、
歌詞カードのミニ・ブックレットもめちゃくちゃカワイイ。
アートワークのデザイン・センスや色使いもとてもよくって、
フィジカルの愉しみを満喫させてくれます。

Deredia "BIANGLALA" Demajors no number (2023)
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知られざるペリーコ・リピアオ [カリブ海]

Fulanito  EL HOMBRE MAS FAMOSO DE LA TIERRA.jpg   Trio Reynoso.jpg

もう四半世紀前も昔の話ですけれど、
ペリーコ・リピアオという音楽が話題に上ったことがありました。
メレンゲとハウスを合体させたメレンハウスをひっさげて登場した、
ニュー・ヨークのドミニカ系アメリカ人グループ、
フラニートのデビュー作がきっかけだったんですが、
アコーディオンをフィーチャーしたオールド・スクールなメレンゲと、
最新ハウスとの組み合わせが、実にユニークでした。

そのアコーディオンをフィーチャーしたメレンゲが、
ペリーコ・リピアオという音楽だというんですね。
フラニートを結成したプロデューサーのウィンストン・デ・ラ・ローサの父親、
アルセニオ・デ・ラ・ローサがペリーコ・リピアオの名アコーディオン奏者で、
父親を引っ張り出してきたというのです。
アコーデイオンの生演奏とハウスを融合させた
フラニートのデビュー作は大ヒットとなり、グラミー賞にもノミネートされました。

ペリーコ・リピアオにがぜん興味がわいて、その後レコードを探してみたんですが、
ラジオが普及した50年代に人気を博したという
トリオ・レイノーソくらいしか見つかりませんでした。
トリオ・レイノーソが演奏するのは、小編成で演奏される素朴なメレンゲといったもの。
当時のバチャータ・ブームのなかで「ペリーコ・リピアオは古いバチャータ」という
紹介のされ方もしていたのですが、よく実態がつかめないまま、
その後忘却の彼方となっていました。

MERENGUE TÍPICO, NUEVA GENERACIÓN!.jpg

今回ボンゴ・ジョーがコンパイルしたアンソロジーが、まさにその通称ペリーコ・リピアオ、
正式にはメレンゲ・ティピコと呼ばれる音楽だということを知りました。
ライナーノーツの解説が充実していて、勉強になるのですけれど、
メレンゲ・ティピコは、1875年頃、ドミニカ共和国北部の港
プエルト・プラタ港に持ち込まれたドイツ製アコーディオンを契機として、
北東部丘陵地帯の下層民が生み出した音楽だったそうです。

独裁者トルヒーヨの30年代にメレンゲが大きく発展し、
都会のダンスホールでは上流階層がオーケストラ編成のメレンゲを楽しんだ一方、
ペリーコ・リピアオ(メレンゲ・ティピコ)は、アコーディオン、タンボーラ、ギロの3人が
ストリートで小銭を稼ぐスタイルを変えず、
下層芸能というポジションにとどまり続けていました。
トリオ・レイノーソが例外的にラジオで人気を博した程度で、当時のレコード会社は
ペリーコ・リピアオに関心を示さず、そのために録音もほとんど残されなかったんですね。

その風向きが変わったのが60年代から70年代で、
ドミンゴ・ガルシア・エンリケス、通称タティコが登場して、
ペリーコ・リピアオのリヴァイヴァル・ブームが巻き起こります。
さまざまなミュージシャンたちがタティコに続き、独立系のレコード会社やプロデューサーが
シングル盤を量産するようになったとのこと。
とはいえ、マイナー・レーベルがリリースするシングル盤で、
LPが出ることもほとんどなく、いつしか歴史の彼方へと消えていったんですね。

今回ボンゴ・ジョーが出した音源も、
ミュージシャンが保有していたシングル盤を提供してもらったり、
なかにはプライヴェート・プレスのものもあるということで、
商業録音が少なく、現存するシングル盤じたいが貴重であることがうかがわれます。

聴いてみれば、野趣に富んだメレンゲ・ティピコがたっぷり味わうことができ、
アンヘル・ビローリアやルイス・カラーフたちのメレンゲが、
いかに洗練された都会的な音楽かということがわかります。

ただしこのコンピレ、収録時間わずか32分8秒、
10曲収録という少なさは、リイシュー仕事としてはいかがなもんでしょうね。
もしコレクションがこれしかないというのなら、ちょっとお粗末だし、
すぐに第2集が続くのなら、小出し商売のそしりは免れんぞ。

v.a. "MERENGUE TÍPICO, NUEVA GENERACIÓN! - MERENGUE BRAVO FROM THE 60’S AND 70’S" Bongo Joe BJR098
Fulanito "EL HOMBRE MAS FAMOSO DE LA TIERRA" Cutting CD2304 (1997)
Trio Reynoso "EL ORIGINAL TRIO REYNOSO EN SU EPOCA DE ORO" LB LB0020
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大西洋を横断するクレオール・ジャズ アコダ [インド洋]

Akoda  NOUT’ SOUK.jpg

クレオール・ジャズ・トリオ、アコダの2作目。
2年前に出ていたのに、気付きませんでした。
レユニオン出身のジャズ・ピアニスト、ヴァレリー・シャン・テフ率いる
アコダの19年のデビュー作は、ちょっと物足りなくてパスしましたが、
第2作はいいじゃないですか。

ベースのバンジャマン・ペリエとパーカッションのフランク・ルメレジは
前作と同じで、今作は曲によりさまざまなゲストを迎えています。
レユニオンのジャズ・ハーモニカ奏者オリヴィエ・ケル・ウリオのほか、
グアドループのグウォ・カのパーカッショニスト兼シンガーのエマニュエル・レヴェイエと、
グアドループのカドリーユを代表する大ヴェテラン、ニタ・アルフォンソを迎えていて、
とりわけ老齢のニタ・アルフォンソを招いているのには、驚きましたね。
カドリーユを指揮する号令(かけ声)がラップのようにも聞こえるのは、
クレオール・ジャズのサウンドゆえでしょう。

ヴァレリーの輪郭のくっきりとしたピアノ・サウンドがとても明快。
粒立ちの良い打音がリズムを押し出して、マロヤ、ビギン、グウォ・カを横断する、
いわば大西洋を渡るクレオール・リズムの饗宴を繰り広げています。
さまざまなリズムの実験場といったオリジナル曲を揃えたのも、今作の魅力。
リズム・チェンジでもう少し大胆な場面展開につながるアレンジが欲しかったけれど、
そこらへんは今後の課題かな。

また今回は、ヴァレリーの歌もふんだんにフィーチャーして、
ピアノとユニゾンでスキャットを繰り広げているんですけれど、
ミックスを抑え目にしているのが、もったいない。
もっと大胆にやれば、タニア・マリアにも迫れそうなのに。

アルバム・ラストは、ゆいいつのカヴァーで、マルチニークの名作曲家
レオーナ・ガブリエルが31年に作曲した ‘La Grev Baré Mwen’。
かつてカリも取り上げたビギン名曲を面白いアレンジで聞かせています。

ちなみに、ヴァレリーは歌手としての活動もしていて、
グアドループ出身のピアニスト、フロ・ヴァンスノとのコラボによるプロジェクト、
テール・ラバのデビュー作が3月22日リリース予定とのこと。こちらも楽しみです。

Akoda "NOUT’ SOUK" Aztec Musique CM2795 (2022)
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ダウンテンポのサウンドスケープで 憶蓮(林憶蓮) [東アジア]

憶蓮  「0」.jpg

林憶蓮(サンディ・ラム)の新作。
うわー、ずいぶんとご無沙汰してました。
ディック・リーとコラボした91年の『夢了、瘋了、倦了』『野花』を最後に、
ぜんぜん聞いていなかったなあ。

ひさしぶりに巡り合ったCDのスリップケースには、
「林」がなく「憶蓮」とだけ書かれていて、改名したのかと思いきや、
歌詞カードのクレジットはすべて林憶蓮とあり、どーなってんの?
そういえば、87年に『憶蓮』というCDを出してたことがあったけど。

そこらへんの事情はわかりませんが、
今回香港から届いたCDは、18年にデジタル・リリースされた作品。
翌19年に台湾のみで限定LPリリースされ、
昨年末になり5周年を記念して香港で限定CD化され、
今年に入って平裝版(通常版)として再リリースされたものとのこと。
平裝版には限定版にないシークレット・トラック ‘Angels’
(3曲目「纖維」の英語ヴァージョン)が最後に収録されています。

個人的には30年以上ぶりに聴くサンディ・ラムですが、
ひそやかな歌い口は変わらず。しゃべるような語り口は、この人の個性ですね。
年月を経て円熟を示すのではなく、昔と変わらぬみずみずしさを表出するのは、
守りでなく攻め続けてきたアーティストの証のように思えますね。

そんなことを思ったのは、アルバムのサウンドが意外にもダウンテンポだったから。
なるほどサンディの静謐で幽玄な音楽世界に、
ダウンテンポのサウンドスケープは、ぴたりハマリますね。
アンビエントやエレクトロのデリケイトな扱いは抑制が利いていて、
声高に主張することはありません。

エレクトロすぎず、ミニマルすぎず、実験的すぎず、
過剰にアーティスティックとならぬよう、ロック調の曲で通俗さを残しつつ、
ドリーミーに表現されるサウンド。
サンディのため息まじりの声とファルセットに恍惚とさせられます。
この歌声が50代半ばって、スゴくないですか。

憶蓮 「0」 Universal 650211-5 (2019)
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オールド・タイム・ソウル制作の舞台裏 ダン・ペン/ボビー・ピューリファイ [北アメリカ]

Dan Penn  THE INSIDE TRACK OF BOBBY PURIFY.jpg   Bobby Purify  Better To Have It.jpg

昨年のレコード・ストア・デイで限定発売されていたというレコードがCD化。
レコード・ストア・デイはぼくの関心外なので、
こんなレコードが出ていたとはちっとも知りませんでしたが、
こりゃあ、ダン・ペン・ファンにはたまらない贈り物ですね。

ダン・ペンが曲提供してプロデュースした、
サザン・ソウル・シンガー、ボビー・ピューリファイの05年復帰作
“BETTER TO HAVE IT” のダン・ペンのデモ音源10曲と、
ボビー・ピューリファイによる同じ完パケを並べた企画作。
ダン・ペンのデモ音源の素晴らしさは、
60年代のフェイム・レコーディングですでに証明済みですよね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2012-12-09
ダン・ペン名義で出るのもナットクの企画です。

ボビー・ピューリファイの復帰作は、スプーナー・オールダム、カーソン・ウィットセット、
レジー・ヤング、ジミー・ジョンソン、デイヴィッド・フッド、ウェイン・ジャクソンという
そうそうたるメンバーを揃えて、ナッシュヴィルでレコーディングされたものでした。

このアルバムを制作したのは、ダン・ペンがソロモン・バークの02年の復帰作
“DON'T GIVE UP ON ME” のタイトル曲を書いて、
大きな手ごたえを得たのがきっかけとなったそうです。
グラミー賞を獲得する高い評価を得て自信を深めたダンは、
次なるホンモノのソウル・シンガーに自分の作品を歌ってもらいたいと、
曲作りとともに候補のシンガーを探し始めたのだそうです。

そうして巡り合ったのが、60~70年代のサザン・ソウル黄金期に活躍するも、
過小評価に甘んじていたボビー・ピューリファイ(本名ベン・ムーア)だったんですね。
R&B歌手ボビー・ピューリファイとゴスペル歌手ベン・ムーアの双方で活動するも、
緑内障のために94年から視力を失い始め、その4年後には失明して
絶望の淵に立たされ、当時サーキットから離れていたといいます。
その後レイ・チャールズに励まされ、再起を考えたところにダンと巡り合ったのでした。

ボビー・ピューリファイとダンとは、不思議な因縁がありました。
かつてのソウル・デュオ、ジェイムズ&ボビー・ピューリファイの66年のヒット曲
‘I'm Your Puppet’ は、ご存じダン・ペンとスプーナー・オールダムの作。
これを歌った初代ボビー・ピューリファイ(本名ロバート・リー・ディッキー)が
71年に健康上の理由で音楽活動を引退して、後任のボビー・ピューリファイを
ベン・ムーアが引き受け、第二期ジェイムズ&ボビー・ピューリファイで活動したのです。
この新生ジェイムズ&ボビー・ピューリファイでも ‘I'm Your Puppet’ を再録音し、
76年にイギリスで全英12位となるヒットとなったのですね。

ボビー・ピューリファイの慈愛に満ちた温かな歌声に、
サザン・ソウルのスピリットが詰まった名作でしたけれど、
カーソン・ウィットセットとバッキー・リンゼイを伴奏に歌うダンのデモ音源に、
あらためて名作曲家だなあと感じ入ります。

Dan Penn "THE INSIDE TRACK OF BOBBY PURIFY" The Last Music Co. LMCD231
Bobby Purify "BETTER TO HAVE IT" Proper PRPACD001 (2005)
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タイムレスなR&B グレン・ジョーンズ [北アメリカ]

Glenn Jones  IT’S TIME.jpg

ひさしぶりに棚から引っ張り出して、聴き惚れちゃった。
これは、やっぱり傑作だわ。四半世紀経っても変わらぬみずみずしさ。
タイムレスな作品だということの証明ですね。

グレン・ジョーンズ。58年フロリダ生まれ。
4歳から教会で歌うゴスペル育ちで、8歳で初レコーディング。
14歳でゴスペル・グループ、ザ・モジュレーションズを結成して全米ツアーし、
80年になってソウルに転向、83年にソロ・デビューした「歌えるシンガー」です。

奇しくもぼくと同い年で、これはグレンが40歳の時の作品。
RCA~ジャイヴ~アトランティックと渡り歩いた彼のキャリアからすると、
メジャーではなかなか決定打を出せず、
マイナー落ちしてからの作品ということになるんだけど、これが彼の最高傑作。

歌のうまさ、実力は超一流なのに、
メジャー時代のアルバムはいまひとつアピールするところが弱くて、
代表作がなかなか作れない人でした。
80年代当時、こういう「歌えるシンガー」はグレン・ジョーンズばかりでなく、
フレディー・ジャクソンも同じポジションにいた人でしょう。

98年になって、インディからひっそりと出されたこのアルバムは、
気迫のあるジャケットのポーズからして、名作の予感がありました。
しかも、このタイトル。期待にたがわぬ出来で、
ついにグレン・ジョーンズがやった!と嬉しさひとしおでした。
楽曲とプロダクションが見事にかみ合って、
ついにこの人の実力に見合った作品が完成したんですね。

さらにこのアルバムに輝きを増したのが、ボーナス・トラックとして収録された、
ニュー・ヨークKISS-FMのオン・エア・ライブ。
過去のヒット曲5曲を再演しているんですが、これがもう素晴らしい出来。
これ聴いて、もう過去作持ってなくてもいいやと、全部処分しちゃったんだよな。

90年代ならではのアンプラグド・ライヴが、
80年代のオリジナルのプロダクションを完全に凌いでいるんですよ。
楽曲の魅力があらためて引き出されているばかりか、
グレンの歌いっぷりもまっことソウルフルで、感激しました。

バックもすごくいいんだ。ポール・ジャクソン・ジュニアのアクースティック・ギターが、
これぞ歌伴のお手本といった職人芸のプレイで、ウナらされます。
スタジオのDJ二人(なんとアシュフォード&シンプソン!)の感極まったMCや、
リスナーの声もヴィヴィッドで、数多くのボーナス・トラックが蛇足に終わるなか、
こんな贅沢なボーナス・トラックは後にも先にもないですよ。

プロデュースはロス・ヴァネリ。かのジノ・ヴァレリの弟で、
アース・ウィンド&ファイア、デニス・ウィリアムズ、ジェフリー・オズボーンなど、
数多くのアーティストを仕事をしてきた作編曲家兼プロデューサーです。
グレンは4年後にピークへレーベル移籍してアルバムを出しましたが、
プロデューサー陣をがらりと変えた “FEELS GOOD” は、本作の出来に及ばず。
本作の成功は、ロス・ヴァネリの力が大きかったんじゃないかな。

Glenn Jones "IT’S TIME" SAR SAR1001-2 (1998)
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アブストラクトにしてエレガント ディヴル [西・中央ヨーロッパ]

divr  IS THIS WATER.jpg

衝撃のピアノ・トリオが登場!
1曲目のイントロではや、ぎゅっと耳をつかまれちゃいましたよ。
無機的な音魂を叩くピアノ、いびつにずれたリズムを叩くドラムス、
チェンバロのようなトレモロを響かせる内部奏法。

なに、このカッコよさ!
スイスのトリオのデビュー作で、ぼくが注目するフィンランドのウィ・ジャズからの新作。
このレーベルの作品って、ぼくのツボに見事ハマるなあ。
グループ名はディヴルと読めばいいのかな。
一聴で金縛りにあっちゃって、CDが届くのを首を長くして待っていました。

抽象的なコンポジションを、
フリー/アンビエント/ミニマルな手さばきで演奏するジャズ。
まったくエレクトロを使用しないアクースティックの編成なのに、
電子音楽のようにも聞こえる不思議さ。

モチーフの断片から即興的に発展したような曲が多くて、
ミニマルなフレーズの連なりにいっさい甘さのないところが、いい。
物憂げなコードも抒情を呼びよせないので、音楽がキリッと引き締まります。
ピアノがギザギザとした弧を描いて、エネルギッシュにかけあがっていく
レディオヘッドのカヴァー ‘All I Need’ など、もうドキドキが止まりません。

実験的なアンビエント・ジャズのキーボード奏者ダン・ニコルズが、
ミックスとポスト・プロダクションをしていて、
このポスト・プロダクションがかなり利いていますね。
ピアノをガムランのような音に加工したりしていますよ。
アブストラクトにしてエレガントな仕上がりは鮮やかです。

まもなくウィ・ジャズから届くオーティス・サンショーの新作も、
ダン・ニコルズ、ペッター・エルドとの3人による作品なので、
こりゃあ、めちゃめちゃ楽しみだなあ。

divr "IS THIS WATER" We Jazz WJCD60 (2024)
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無頼人生のぶっきらぼー節 ソティリア・ベール [東ヨーロッパ]

Sotiria Bellou  LAIKA PROASTIA.jpg

世界一ぶっきらぼーな歌を歌う人。
ソティリア・ベールを初めて聴いた時は、
音楽の審美的価値観をひっくり返される思いがしました。
情感もへったくれもないその歌いぶりに、
世の中にはこういう歌の美学もあるのかと、衝撃でしたよ。

ソティリア・ベールは、40年に無一文でアテネに出てきて、
さまざまな仕事をしながら糊口をしのぐ一方、レジスタンス活動にも身を投じ、
44年12月のアテネの戦いに参加して負傷したという烈士。
47年に酒場で歌っているところをヴァシリス・ツィツァーニスに見い出されて、
戦後レンベーティカを代表する歌手となった人です。

生まれはエーゲ海西部、エヴィア島の都市ハルキダですが、
アテネに出てきた理由が凄まじい。
十代で望まぬ結婚を親に強いられ、
夫から頻繁に殴られる日々が続いたというのです。
ある日身を守るために、夫の顔面にワイン瓶を投げつけて逮捕され、
3年の実刑判決を受けて6か月服役したのだそうです。
服役後に実家から縁を切られて故郷を出たというのだから、壮絶です。
レジスタンス活動中にも逮捕され、
悪名高いマーリン通り拘置所に投獄されて拷問を受けたといいます。

こうしたエピソードの数々は、
ソティリア・ベールの強烈な歌いぶりへの納得感を補完するものでしょう。
50年代半ばにレンベーティカがその歴史を終えるのと同時に、
ソティリアも活動を止めてしまうのですが、
60年代に入って活動再開した時に、声がすっかり変わって男のような低い声となり、
ただでさえディープな歌うたいだったのが、さらに凄みを増していました。

そんなソティリアの凄みを実感できるのが、80年の本作。
当時若手気鋭の作曲家イリアス・アンドリオプロスと、
このアルバムで作詞家としてのスタートを切ったミハリス・ブルブリスの
コンビで制作された作品です。

ジャケットの黄昏れた絵がなんとも雰囲気があって、大好きな作品なんですが、
このアルバムがCDブックのデラックス・エディションでリリースされていたことを知り、
買い直したのでした。09年に出た限定版ですけれど、まだ今でも売っていますね。
80年の作品なので、ライカの意匠であるものの、
レンベーテイカのムードを濃厚に残した歌を聞かせる名作です。
美しく清楚な女性コーラスがフィーチャーされる曲では、
ソティリアのヴォーカルとのあまりの落差に、笑っちゃうくらいですよ。

ソティリア・ベールは晩年アル中になったうえ博打に溺れて経済的に困窮し、
97年に亡くなった時に無一文だったのも、博打が原因だったといいます。
ソティリアの人生は、まさしく波乱万丈。
48年には極右の狂信者集団がライヴ会場に乱入して、
ソティリアを共産主義者と罵りながら殴打する事件も起きています。
晩年にレズビアンを公言したのも、当時のギリシャ社会では考えらないことでした。
破天荒な人生を送った人ならではの、ぶっきらぼー節です。

[CD Book] Sotiria Bellou "LAIKA PROASTIA" Lyra 3401176915 (1980)
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南イタリア、チレントの丘から イーラム・サルサーノ [南ヨーロッパ]

Hiram Salsano  BUCOLICA.jpg

緑豊かな丘の上で、ダンス・ポーズをキメた女性。
曲の最後なのか、両手を高く上げ、
左手にタンバリン(タンブーリ・ア・コルニーチェ)を掲げています。
後ろのすみっこに小さく写っているのは犬かと思ったら、
歌詞カードを見ると、どうやら羊のよう。

南イタリア、カンパーニャ州チレントから登場したイーラム・サルサーノは、
故郷の山岳地帯に伝わる伝統音楽を今に継承する人。
チレント地方は同じ南イタリアでも、ピッツィカやタランテッラが盛んな
サレント半島とは反対側の南西部にあり、ピッツィカやタランテッラ以外に、
さまざまな土地のリズムがあることを、このデビュー作が教えてくれます。

全曲伝承歌で、イーラム自身がアレンジしているんですけれど、
みずからのヴォイスをループさせてドローンにしたり、
ヴォイスを使ってさまざまなビート・メイキングしているところが聴きどころ。
現代のテクノロジーを駆使して、伝統音楽を現代の音楽として
受け継ごうとする彼女の意志を感じます。

1曲目の ‘Otreviva’ では、口笛による鳥のさえずりに始まり、
イーラムのヴォイスをループさせたドローンのうえでイーラムが歌い、
タンバリンが三連リズムを刻み、アコーディオンがリズム楽器として重奏して、
厚みのあるピッツィカのグルーヴを生み出しています。

演奏はタンバリンを叩くイーラムと、
アコーディオン兼マランツァーノ(口琴)奏者の二人が中心となり、
曲によって、サンポーニャ(バグパイプ)、チャルメラ、キタラ・バッテンテ
(複弦5コースの古楽器)を操る奏者とウード奏者とドラマーが加わります。
2拍3連のダンス曲もあれば、ゆったりとした3拍子あり、
ドラムスが入ってレゲエ的なアクセントを強調する曲もあって、
多彩なリズムが聴き手を飽きさせません。

ハリのあるイーラムの歌いぶりに飾り気がなく、土臭さのあるところが花丸もの。
アイヌのウコウクやリムセを思わせる歌もあり、
口琴まで伴奏に加わると、ますますアイヌ音楽みたいに聞こえて、
とても楽しいです。

Hiram Salsano "BUCOLICA" no label HS001/23 (2023)
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ニューカッスルのルオ人ニャティティ奏者 ラパサ・ニャトラパサ・オティエノ [東アフリカ]

Rapasa Nyatrapasa Otieno  JOPANGO.jpg

ケニヤ西部ヴィクトリア湖畔シアヤ生まれのラパサ・ニャトラパサ・オティエノは、
ルオの伝統楽器ニャティティを弾きながら、ルオの民話をモチーフにした
自作曲を弾き語るシンガー・ソングライター。
現在は北部イングランド、ニューカッスル・アポン・タインを拠点に活動しています。

ラパサの21年の前作 “KWEChE” を聴いた時、
ルオ独特の前のめりに突っ込んでくるビート感がなくて、平坦なリズムに終始しているのに、
昔のアユブ・オガダを思い出し、ガッカリしました。
アフリカの伝統音楽家で、欧米に渡って白人客だけを相手にするようになると、
音楽の姿勢が歪んでくる人がいるので、この人もその部類かなと。

いまではアユブ・オガダを知っている人もほとんどいないでしょうが、
昔リアル・ワールドからCDを出し、来日したこともあるニャティティ奏者。
この人の場合、キャリアの始めから西洋人を意識した音楽をやっていた人だから、
ぼくは、伝統音楽を装ったインチキな音楽家と見なしていました。
オガダを気に入ったピーター・ガブリエルの審美眼って、お粗末だなあと。

話が脱線しちゃいましたが、
そんなわけでラパサの新作もまったく期待していなかったんですけど、
これが存外の出来で、見直しましたよ。

ひとことでいえば、ポップになっているんですよ。
前作ではニャティティの弾き語りをベースに、
曲によってベース、ギターなどがごく控えめにサポートするだけだったのが、
今作は男女コーラスも配して、ウルレーションも炸裂する
華やかなサウンドになっています。

ベンガのビート感はまだ弱いとはいえ、なるほどベンガだと思わせる曲もあって、
サウンドメイクをポップにしながら、
ソングライティングはベンガのルーツを掘り下げたことがうかがわれます。
反復フレーズを強調した曲が増えたこともそのひとつで、
しつこく繰り返す反復フレーズによってダンスを誘い、トランスへと招きます。

なんでも本作の制作にあたってラパサは、
ベンガのパイオニアたちの音楽を研究したそうで、その成果が表れたんでしょう、
クレジットをみると、ルオの一弦フィドルのオルトゥほか、
数多くのパーカッションや笛などのルオの伝統楽器が使われています。
ラパサが8弦楽器オボカノを弾く ‘Adhiambo’ も聴きもの。
オボカノはルオに隣接して暮らすグジイ人の伝統楽器で、
クリーンな音色のニャティティと違って、強烈なバズ音を出します。

ひとことイチャモンをつけたいのは、2曲目の ‘Unite’ だな。
タイトルからもわかるとおりの空疎なメッセージ・ソング。
アフリカのミュージシャンが唱える Unite くらい、現実味のないものはなく、
ぼくはこのワードを発するアフリカ人音楽家の薄っぺらさが、ガマンならんのですよ。
この曲がなかったらよかったのに。

Rapasa Nyatrapasa Otieno "JOPANGO" no label no number (2023)
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いまのフジを支えるのは誰 ティリ・アラム・レザー [西アフリカ]

Alhaji Tiri Alamu Leather  VALUABLE.jpg

「人を見かけで判断しちゃいけない」の典型だった、
童顔でも歌えるフジ・シンガー、ティリ・アラム・レザーの新作。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-04-19

本名のティリ・アボンラガデ・アラムに沿って、
ステージ・ネームの「レザー」の間にアラムを加えたようです。
表ジャケットにはティリ・アラムとだけしか書かれていませんが、
裏の作編曲クレジットには、ティリ・アラム・レザーとあります。

昨年9月にリリースされた本作には、
短尺の2曲と長尺の2曲が収められ、どの曲もいがらっぽい声に、
ドスの利いたこぶし回しが咆哮する、漆黒の純正フジを聞かせてくれます。
4曲ともリズムもテンポもおんなじで、アレンジになんの工夫がなくても、
飽きさせず一気に聞かせてしまう力量は、主役の歌ぢからでしょう。

アフロビーツ時代となった21世紀、
フジやジュジュといったヨルバ・ミュージックが
すっかり後退してしまった感は拭えませんが、
いまもフジを支えている人たちって、どういった層なんでしょうね。
いつの頃からか、フジの曲名から「アルハジ」を冠した高名そうな人の名が消え、
いわゆる誉め歌のたぐいのレパートリーがなくなっています。
フジの支持層が変わりつつあるんじゃないですかね。

フジに限らずジュジュなどのヨルバ・ミュージックは、
首長、政治家、実業家といったパトロンたちの御前演奏で誉め歌を歌って、
なりわいとしてきた歴史がありますけれど、
そうした側面が薄れてきているんじゃないでしょうか。

Youtube や TikTok にあがっているティリ・アラム・レザーのライヴを観ると、
Tシャツに短パンみたいな普段着姿でライヴをやっている映像が多く、
たまにバンド・メンバーともども伝統衣装を着ているシーンも観れますが、
圧倒的にカジュアルな演奏風景の方が多い印象なんですよね。
観客がダッシュする場面がぜんぜん出てこないのも、変化を感じます。

パフォーマンス会場も、仮説テントの下でやっているようなライヴばかりで、
金持ちたちが集まっているパーティに出向いているような映像は、
ほとんどお目にかかりません。
バリスターやコリントンがぶいぶい言わせてた時代には、
プールのある邸宅やシャンデリアが光る室内などを背景にしたヴィデオが
よく登場しましたけれど、ご本人やファン・クラブのインスタグラムでも、
そういう成金志向はまったく見受けられません。

「アフロビーツなんてシャレのめした音楽は、
オイラたちとはカンケーねえよ」というような貧しい庶民たちが、
いまのフジ・シーンを支えるようになったんでしょうか。

Alhaji Tiri Alamu Leather "VALUABLE" Okiki no number (2023)
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ニュー・ボトル・オールド・ワイン ニュー・マサダ・カルテット [北アメリカ]

John Zorn  NEW MASADA QUARTET VOL.2.jpg

ジョン・ゾーンくらい、ジャズというジャンルを飛び越えて
多角的な音楽性を発揮する音楽家もいないですよね。
ジョンが日本で活動していた80年代には、ライヴに通ったこともあるんだけど、
CDとなると自分でも意外なほど持っていないんだよなあ。
特にコブラなんて、CDで聴いたって面白くないから、ライヴを観に行ってたんだし。
コブラは聴くものじゃなくて、観るもんだって。もっと言えば、参加するものか。

大友良英がMCを務めるNHK-FMの「ジャズ・トゥナイト」で昨年11月、
ジョン・ゾーン特集をやるというので、
自分の知らないレコードがいっぱい聴けるかと期待したら、
意外にもよく知ってるレコードばかりかかったのでした。
ジョンのレコードは大量で、ごく一部をつまみ食いしてるにすぎないんだけど、
大友と趣味が一致してるのかも。

聞いたことがなかったのは、のっけにかかったニュー・マサダ・カルテット。
これがいきなりカッコイイ!
かつてのマサダから、トランペットをギターに変えて新たに始動した
ニュー・マサダ・カルテットは、第1作を聴いてガッカリしてただけに、
2作目となる新作のカッコよさは意外でした。

ニュー・マサダ・カルテットの第1作にがっくりきたのは、
クレズマーとオーネット・コールマンというコンセプトがすっかり消えていた点。
これじゃマサダじゃないじゃんねえ。
これに落胆して2作目をスルーしちゃったんだけど、マサダという看板を外して聴けば、
ジュリアン・ラージとジョン・ゾーンという組み合わせは刺激的で、スリル満点。

2管だったマサダから1管となり、ジョンと音域の違うギターが参加することで
ハーモニーが豊かとなって、バックの厚みが増しましたね。
それが如実に表れているのが、マサダおなじみのナンバー、
‘Idalah-Abal’ や ‘Abidan’。
‘Idalah-Abal’ は94年のマサダ第1作目 “ALEF”、
‘Abidan’ は95年のマサダ第3作目 “GIMEL” 初出の曲で、
その後に何度も演奏されていますけれど、
ジュリアン・ラージの存在感が大きくて、サウンドに広がりが出ました。

ジョン・ゾーンの雄叫びの鋭さは衰えていなし、瞬発力も切れ味もある。
ソロが短くなったのは、初期のマサダに戻ったかなという印象があって、
全体には落ち着いた印象かな。もちろん暴れてるところは暴れてるんだけど。
ドラマーがジョーイ・バロンからケニー・ウールセンに交代して、
しなやかなノリとなり、疾走一辺倒となる場面はなくなりました。

やはりジュリアン・ラージを起用したジョンの慧眼が、さすがですね。
マサダでヘブライ旋法をハーモロディックにやって、
調性から離れようとしていたのが、ギターが和声へと還元して、
マサダをまた別次元に連れて行こうとしているじゃないですか。
マサダのブランド名を引き継ぐも、中身は別物というチャレンジングな姿勢に、
まだまだ円熟などと言わせない、ジョンの気概を感じます。

最後に蛇足のボヤキ。
ラジオを聴き終えてソッコー注文したものの、郵便事故でアメリカから届かず、
もう一度送り直してもらって、届くまで二か月半もかかってしまいました。
ラジオで盛り上がった気分もすっかり鮮度が落ちてしまって、ガックリでした。

John Zorn "NEW MASADA QUARTET VOL.2" Tzadik TZ8396 (2023)
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ライヴはジャズ・ファンク100% マーカス・ミラー [北アメリカ]

Marcus Miller  LIVE.jpg   Marcus Miller  TALES.jpg

マーカス・ミラーはスタジオ録音よりライヴの方がいい。
それを実感したのが、四半世紀以上前に買ったブートレグでした。
渋谷HMVの試聴機でぶっとんで買ったのをよく覚えています。

当時のマーカス・ミラーの新作 “TALES”(95) が力作なことは
十分理解しつつも、作品としてあまりにもきっちりとプロデュースされすぎていて、
キモチが入り込めなかったんですよね。
ちょうどその直後に出たブートレグ・ライヴに、
そうそう、こういうのが聴きたかったんだよと、快哉を叫んだのでした。

“TALES” は、レスター・ヤング、ビリー・ホリデイ、チャーリー・パーカー、
デューク・エリントン、マイルズ・デイヴィスの生声をサンプリングして、
マーカス・ミラーのブルース/ジャズ観を示してみせた力作。
作品としての完成度の高さは、ルーサー・ヴァンドロスや
デイヴィッド・サンボーンの作品をプロデュースしてきた
マーカスの手腕が十分発揮されたものでした。

思えばマーカスは、再復帰後のマイルズ・デイヴィスにフックアップされただけでなく、
マイルズのアルバムをプロデュースするまでになった人ですからね。
プロデューサーとして磨きがかかった時代でもあったといえますが、
作品主義に傾いたプロデュース・ワークは、スポンティニアスな
ジャズ/フュージョンの魅力を損なっていたことも否めませんでした。

Marcus Miller  OSAKA, JAPAN 1996.jpg

ブートレグ・ライヴは、88年アメリカとだけクレジットされていましたが、
同メンバーによるさらに強力なライヴ盤が出たんですね
(例のいかがわしいキプロス盤レーベルですが)。
“TALES” のリリースに合わせて96年に来日した時のライヴで、
ブルーノート大阪でのステージが丸ごと、2枚のディスクに収められています。

96年の来日ツアーが充実していたことは、
東京・大阪・福岡のブルーノートでのライヴに、
モントルーとカリフォルニアのライブを加えて編集された
“LIVE & MORE” が97年に出されたとおり。
大阪でのライヴは “LIVE & MORE” に3曲収録されましたが、
当夜の全曲を楽しめるこの2枚組はまたとないものです。

メンバーは件のブートレグと同じ、ケニー・ギャレット(as)、マイケル・スチュワート(tp)、
プージー・ベル(ds)、バーナード・ライト(key)に、
モーリス・プレジャー(key)がデイヴ・デローンと交代して
ハイラム・ブロック(g)とレイラ・ハサウェイ(vo)が加わった強力な布陣。

ハイライトはやはり、レイラ・ハサウェイのヴォーカルをフィーチャーした
‘People Make The World Go Round’ ですね。
“LIVE & MORE” では9分に短縮されていましたが、
こちらではノー・カット14分半に及ぶ大熱演を堪能することができます。
ジャム・セッション風なパフォーマンスを冗長に思う人があるかもだけど、
ライヴらしいこういうラフさが、ぼくは好き。
スタイリスティックスが歌ったこの曲、
なぜかジャズ・ミュージシャンがよく取り上げますが、
レゲトンにアレンジしてみせたのは秀逸でした。

そしてケニー・ギャレットがぶち切れた咆哮を繰り返す、
ラストの ‘Come Together’ がスゴイ。
大団円のエンディングのあと、マーカスがバス・クラリネットに持ち替え、
ケニーのアルト・サックスとマイケルのトランペットの3人で
ディキシーランド・ジャズをやらかして、二度目のエンディングへ。
この演出には、会場も大盛り上がり。
いや~、いいライヴだったぁと、上気した顔で会場を出る
観客たちの様子が目に浮かぶアルバムです。

Marcus Miller "LIVE" no label MK42536
Marcus Miller "TALES" PRA 60501-2 (1995)
Marcus Miller "OSAKA, JAPAN 1996" Hi Hat HH2CD3249
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たまにはハード・バップも フレディー・ハバード [北アメリカ]

Freddie Hubbard  READY FOR FREDDIE.jpg

別に昔を懐かしんでいるわけじゃないんだけど、
アート・ファーマー、ヒノテルと続いて、トランペット繋がりで
フレディー・ハバードにまで手を伸ばしたら、これまたハマっちゃいました。
これはめちゃくちゃ久しぶり。いったい何十年ぶりだ?
ハード・バップなんて、まったく聴かなくなっちゃってたからねえ。

フレディ・ハバードの61年録音ブルー・ノート盤。
ハバード23歳の時の録音です。
う~ん、ハバードの若い時って、やっぱ格別だなあ。
ハバードのアルバムでは、このブルー・ノート盤が一番好きかも。

まず曲がいいんだよね。つまんないブルース・ナンバーがないし。
昔のブルー・ノート盤でイヤだったのが、
スタジオでパパッと即興で作ったふうの
やっつけなブルース・ナンバーが入ってたりすること。

なんでもアルフレッド・ライオンが、
1曲はブルースを録音するように指示していたらしんだけど、
ジャズ・ミュージシャンならブルース曲なんてすぐ作れちゃうから、
こんなリクエストしちゃあ、ダメだよなあ。
事前にちゃんと作曲したブルースと、
その場でテキトーに作ったブルースとじゃあ、仕上がりは別物になるよねえ。

「ブルース入れろ」じゃなくて、「ビバップ入れろ」と
ぼくがプロデューサーなら指示するところだけど、
本作にはハバード作曲のゴキゲンなビバップ・ナンバーが入っているんです。
チャーリー・パーカーにオマージュを捧げたと思われる曲名の ‘Birdlike’。

まさしくパーカーのビパップをなぞらえたテーマがカッコいい。
ハバードのスピード感とタイム感の素晴らしさが、いかんなく発揮されています。
フレージングにはアイデイアがほとばしり、
ひらめきのあるプレイにもホレボレするばかりですよ。

一方、バラードの ‘Weaver Of Dreams’ では、
23歳とは思えぬ成熟した貫禄のあるプレイを聞かせていて、
その深みのある美しいトーンにも、ウナらされます。
そういえば 、ラストの ‘Crisis’ を Us3 がサンプリングした
トラックがあったよなあ。 ‘Just Another Brother’ だっけ。

本作は、マッコイ・タイナー、アート・テイラー、エルヴィン・ジョーンズという
当時のマッコイのレギュラー・トリオに、ウェイン・ショーターのテナーと
バーナード・マッキーニーのユーフォニウムとの3管編成。

エルヴィンのどっしりとした安定感たっぷりなバックビートと、
シンバル・レガートで絶妙に表情をつけていくところも、
昔さんざん味わったとはいえ、何十年ぶりに聴いても、やっぱ快感ですね。

Freddie Hubbard "READY FOR FREDDIE" Blue Note CDP7243-8-32094-22 (1962)
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日本のクロスオーヴァーの立役者 渡辺貞夫、日野皓正 [日本]

渡辺貞夫 I’M OLD FASHIONED.jpg   渡辺貞夫 My Dear Life.jpg

ジャズのヴェテランがクロスオーヴァーを手がけるようになったのは77年と、
前回書きましたけれど、その象徴的なミュージシャンがナベサダ(渡辺貞夫)でした。

76年に、ハンク・ジョーンズ、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズと
『アイム・オールド・ファッション』というタイトルどおり、ビバップにまでさかのぼった
伝統回顧作を出して、その翌77年に出したのが、デイヴ・グルーシン、リー・リトナー、
チャック・レイニー、ハーヴィー・メイソンとのクロスオーヴァー作
『マイ・ディア・ライフ』だったんですよ。この振れ幅は大きかったよねえ。

76年といえば、前回も書いたリー・リトナーやアール・クルーのデビュー作や、
クルセイダーズの “THOSE SOUTHERN KNIGHTS” に夢中になっていた年。
あ、ジョージ・ベンソンの “BREEZIN'” も76年だっけか。
そういう下地のあった翌77年に、日本でもクロスオーヴァーが大爆発したわけで、
ナベサダがその旗振り役でした。

日野皓正 May Dance.jpg   日野皓正 City Connection.jpg

それには少し出遅れというか、時差があったのが日野皓正で、
77年にクロスオーヴァーではなく、最高にトガったジャズ作品『メイ・ダンス』を出して、
79年にバリバリのクロスオーヴァー作『シティ・コネクション』を出したんでした。
この二作の振れ幅の大きさは、ナベサダの二作と双璧。

『メイ・ダンス』は、トニー・ウィリアムズとロン・カーターという重鎮に、
新人ギタリストのジョン・スコフィールドを加えたカルテットで、
いまでもぼくはヒノテルの最高作はコレだと思っています。

それに対し、79年に出した『シティ・コネクション』は、
冬のサントリーホワイトCMにタイトル曲が起用されて、大ヒットしたんですよね。
クロスオーヴァーが日本で流行したのは、CMタイアップの影響が大きくて、
同じ年の夏にナベサダの「カリフォルニア・シャワー」が
資生堂ブラバスのCMで大ヒットしたのに味をしめたんでしょう。

いまとなってはナベサダの『カリフォルニア・シャワー』を聴き返すことはないですけど、
ヒノテルの『シティ・コネクション』は、冬の定番といってもいいくらい、
今も聴き続けています。ぜんぜん古くならないんですよね。
本作の魅力はヒノテルのトランペットではなく、アルバムが持つムード、
そのサウンドをクリエイトしたレオン・ペーダーヴィスのアレンジにありました。

オープニングから、流麗なストリングスが誘う
ラグジュアリーな都会の夜を演出するサウンドに酔えるんですよ。
ナナ・ヴァスコンセロスがヴォイスでクイーカの音色を模すパフォーマンスをして、
これがいい効果音となった映像的なサウンドで、サウンドトラックかのような仕上がりです。
レゲエのレの字もないこの曲名が「ヒノズ・レゲエ」なのは、失笑ものなんですが。
またヴォーカル曲をフィーチャーしているのも、このアルバムの良いところ。
ジャズがネオ・ソウルと接近しているいまこそ、再評価できるんじゃないかな。

あとこのアルバムで最高の聴きどころが、アンソニー・ジャクソンのベース。
アンソニーでしかあり得ない、シンコペーション使いや裏拍を使ったリズムのノリ、
経過音やテンション・ノートの独特な使い方がたっぷり聞けて、ゾクゾクします。
タイトル曲「シティ・コネクション」のベース・ワークなんて、
アンソニーの代表的名演だと思うぞ。

中古レコード店の100円コーナーの常連だったシティ・ポップが、
いまや壁に飾られるようになったのと同じく、
見下され続けてきたクロスオーヴァー/フュージョンも、返り咲く日がくるか?

渡辺貞夫 with The Great Jazz Trio 「I’M OLD FASHIONED」 イーストウィンド UCCJ4008 (1976)
渡辺貞夫 「MY DEAR LIFE」 フライング・ディスク VICJ61366 (1977)
日野晧正 「MAY DANCE」 フライング・ディスク VICJ77051 (1977)
日野晧正 「CITY CONNECTION」 フライング・ディスク VDP5010 (1979)
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ヴェテランがクロスオーヴァーを始めた77年 アート・ファーマー [北アメリカ]

Art Farmer  CRAWL SPACE.jpg

ふと思い出して聴き返したらハマってしまい、ここ最近ヘヴィロテになってる
アート・ファーマーの77年CTI盤 “CRAWL SPACE”。

アート・ファーマーがフリューゲルホーンに専念して、
バラードのお手本のような優美にして極上なアルバム2作を、
イースト・ウィンドから出した直後だっただけに、
本作のがらりと変わったクロスオーヴァー・サウンドには、驚かされました。

Art Farmer  YESTERDAY'S THOUGHTS.jpg

日本が制作したイースト・ウィンドの2作、
特に76年に出た『イエスタデイズ・ソウツ』には、シビれましたねえ。
これぞジャズにおけるバラード表現の最高峰。
トランペットからフリューゲルホーンに持ち替えた時期のアートの作品で、
この楽器の代表作にも数えられると思います。

その続編として翌77年に出た『おもいでの夏』からまもなく
輸入盤店に並んだのが、 “CRAWL SPACE” でした。
あれはたしか大学1年の夏休みだったよなあ。
ぼくのなかで『おもいでの夏』の印象が薄いのは、
直後に聴いた “CRAWL SPACE” の衝撃がデカすぎたからでしょう。

ジャズのヴェテランもクロスオーヴァーを手がけるようになったのが、
ちょうどこの77年が境で、アート・ファーマーはその先駆けでした。
メンバーは、デイヴ・グルーシン(key)、エリック・ゲイル(g)、スティ-ヴ・ガッド(ds)、
ウィル・リー、ジョージ・ムラーツ(b)、ジェレミー・スタイグ(f)という最高のメンバー。
ジョージ・ムラーツは1曲のみの参加で、コントラバスを弾いてます。

クレジットにはありませんが、
このレコーディングの采配をふるったのはデイヴ・グルーシンで間違いないでしょう。
ちょうどこの前年にグルーシンの後押しで、
リー・リトナーやアール・クルーが相次いでデビュー作を出しましたが、
それらの作品とこのアルバムがだいぶ違った趣なのは、レーベルがCTIだからです。

他のCTI作品同様、ニュー・ジャージーのイングルウッド・クリフスにあった
ヴァン・ゲルダー・スタジオでレコーディングされていて、
エンジニアはもちろんルディ・ヴァン・ゲルダー。
グルーシン相棒のエンジニア、
フィル・シェアーやラリー・ローゼンの音作りとはまったく違って、
奥行きのあるレコーディング・ブースの鳴りが、
まさにヴァン・ゲルダー・サウンドになっているんです。

一番それを印象付けられるのが、ウィル・リーのベースで、
これほどファットなベース・サウンドは、当時ウィルが参加していた
ブレッカー・ブラザーズ・バンドでも聞けませんでした。
山下達郎の「Windy Lady」のワイルドなミックスと双璧かな。

ぼくが愛するレコードは、たいてい世間では相手にされていないので、
本作もジャズ名盤ガイドなんかには、決して載らない作品。
CDも日本盤はあるけど、本国アメリカでは出てないし。
ぼくにとってカッコいいアート・ファーマーといったら、ぜったいコレなんだけどね。

[LP] Art Farmer "CRAWL SPACE" CTI CTI7073 (1977)
Art Farmer 「YESTERDAY'S THOUGHTS」 イーストウィンド UCCJ4017 (1976)
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リズムの合間を縫う色香漂うこぶし アスマ・レムナワル [中東・マグレブ]

Asma Lmnawar  SABIYET.jpg   Asma Lmnawar  AWSAT EL NOUJOUM.jpg

昔のばかりじゃなく、近作のシャバービーも聴きたくなって、
いろいろチェックしてみたら、極上の聴き逃し案件を見つけました。
モロッコのアスマ・レムナワルが17年と19年に出した2作です。

アスマ・レムナワルといえば、10年作のハリージとグナーワのミクスチャーに
仰天させられた人ですけれど、それ以降のアルバムに気付かずじまい。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2012-04-19

う~ん、こんなステキなアルバムを出していたとは。
もうこの時期は、アラブ方面がすでにCD生産を縮小していた頃なので、
メジャーのロターナですら入手困難となっていました。
時機を逸したいまになって入手できたのは、ラッキーだったなあ。
ただアスマもこの19年作を最後に、アルバムを出していませんね。
チュニジアのアマニ同様、シングルは出ているようなんですが。

17年作は楽曲が粒揃いですよ。
ジャラル・エル・ハムダウィやラシッド・ムハンマド・アリがアレンジした曲は、
パーカッシヴなノリを巧みに織り込んでいるところが聴きどころ。
泣きのバラードでもビートが立っていて、
リズムの合間を縫う色香漂うこぶし使いに、ウナらされます。
さすが「ヴォイス・オヴ・グルーヴ」の異名を持つアスマならではですね。

クウェートのマシャリ・アル=ヤティム、スハイブ・アル=アワディが
ルンバ・フラメンカにアレンジした曲も楽しいし、本作にはなんと1曲、
リシャール・ボナがゲスト参加してアスマとデュエットしている曲もあります。

19年作は、ハリージを前面に押し出したアルバム。
サウジ・アラビアやクウェートの作曲家の作品を多く取り上げていて、
アレンジには、新たにバーレーンのヒシャム・アル=サクラン、
エジプトのハイェム・ラーファット、ハレド・エズが参加しています。
ストリングスのアレンジには、エジプトのアレンジャーが多く起用されていますね。

どんがつっか、どんがつっかと、ギクシャクしたハリージのリズムにも、
柔らかなこぶし使いがあでやかに舞って、その歌唱力に感じ入るばかり。
晴れ晴れとした歌いぶりに胸がすきます
歌い口がより柔らかになったようで、ほんと、いいシンガーだよなあ。
スウィンギーなミュージカル調の曲などもあって、粋なムードが楽しめます。

17年作とはまた趣を変えて、2作とも甲乙つけがたい、
秀逸なシャバービー・アルバムに仕上がっています。

Asma Lmnawar "SABIYET" Rotana CDROT1978 (2017)
Asma Lmnawar "AWSAT EL NOUJOUM" Rotana CDROT2027 (2019)
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ロマンスィーが持ち味 カティア・ハーブ [中東・マグレブ]

Katia Harb QAD EL-HOB.jpg

アマニ・スウィッシを皮切りに、
昔さんざん楽しんだシャバービーをまたぞろ聴き返しています。

エジプトのアンガームが03年に出した名作 “OMRY MAAK” が象徴的でしたけれど、
2000年代に入って、若者向けのアラブ歌謡のサウンドががらっと変わりましたね。
それまで「アル・ジール」と呼ばれていた若者向けのアラブ・ポップスのジャンル名が
現地でほとんど使われなくなり、シャバービーと呼ばれるようになったことは、
日本では10年遅れくらいで知られるようになりました。

ジャンルの呼び名が変わった情報は、当時まだつかめませんでしたが、
プロダクションの質がぐんと上がり、多彩なサウンドを聞かせるようになったことは、
アラブ諸国から届くCDで十分実感できましたね。
ヴィデオ・クリップが進歩し、衛星放送局開設による
音楽ヴァラエティ番組がアラブ諸国で増えたことによって、
セクシー・アイドルが次々と登場するようになったのも、この頃だったなあ。

レバノンにその傾向が顕著で、
アラブ版スパイス・ガールズと呼ばれたフォー・キャッツを筆頭に、
歌唱力などまるでないお粗末な歌手も乱立することになりました。
そうしたセクシーだけが売りの歌手はやがて淘汰されていきましたけれど、
ヴィジュアルと歌唱力を兼ね備えたアイドルも登場するようになったのです。
その象徴がナンシー・アジュラムでしたね。

個人的には、アップテンポ中心のノリの良いアイドルにあまり興味がもてなかったので、
情感たっぷりにバラードを歌うシンガーをもっぱらひいきにしていました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-08-27
アンガームをはじめ前回記事のアマニ・スウィッシなど、
こうしたシンガーを「せつな系」とぼくは勝手に称していましたけれど、
現地ではこうした歌手たちが歌う曲のスタイルを、ロマンスィーと呼んでいたそうです。
ジャンル名ではないそうですが、なるほどその特徴を良く表していますね。

そんなロマンスィーな曲をたっぷり味わえるのが、
レバノンのカティア・ハーブの04年作です。
EMIミュージック・アラビアが出したこのアルバムは、
それまでカティア・ハーブが所属していたレバノンのレコード会社
ミュージック・ボックスのプロダクションとは段違いでした。

メジャーが出すとこうも違うかという、ゴージャスなプロダクションで、
冒頭のしとやかなバラードに胸がきゅんきゅん高鳴ります。
アンガームやアマニほどの歌唱力はないにせよ、
すがるような歌いっぷりに、ゾクゾクすることうけあいですよ。
ウチコミ強めのダンス・トラックでも、アダルト・オリエンテッドなムードが嬉しい。
ジャジーなトラックのクオリティは、今聴いてもぜんぜんオッケーですね。
エンハンスト仕様でヴィデオ・クリップが入っているのも、この当時らしいCDです。

Katia Harb "QAD EL-HOB" Capitol/EMI 07243-597381-0-9 (2004)
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せつな系シャバービーの大名作 アマニ・スウィッシ [中東・マグレブ]

Amani Souissi  WAIN.jpg

寒さ厳しい冬に聴くシャバービーの定番。
チュニジアのアマニ・スウィッシの07年デビュー作です。
ほかの記事でちらっと触れたことはあるものの、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-08-27
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2014-02-04
そういえばきちんと取り上げたことがなかったんだっけ。

ハイ・トーンを綿毛のような柔らかさで細やかにコブシを回す技巧。
吐息をもらすかのような息づかいで歌うその歌い口。
つぶやくように歌いながら、絶妙なブレス・コントロールに圧倒されました。
スタッカートの利いた活舌の良さが、バツグンのリズム感を示しています。

はじめてこのアルバムを聴いた時は、ビックリしましたよ。
ぼくの大好きなエジプトの歌手アンガームにもよく似た声質で、
その歌唱力の高さも、アンガームに迫るものがありました。
こんな人がチュニジアにいるのか!ってね。

シャバービーの本場といえば、やはりエジプトやレバノンで、
チュニジアはメインストリームではないので、
アマニも05年にレバノンのテレビ局LBCで放送された
スター・アカデミーに出演して、チャンスをつかんだ人でした。
その後、レバノンの詩人ハリール・ジブラーンに捧げられた戯曲に出演し、
その演劇の音楽はウサマ・ラハバーニが担当していたそうです。

そうしたキャリアを経て、07年にロターナからデビューしたわけですが、
これほど歌える人なのに、その後10年に2作目を出したのみで、
その後アルバムは出ていません。
シングルは最近も出しているようなんですが、
アラブ歌謡のシーンは競争がキビしいなあ。

飛行場の搭乗アナウンスをコラージュしたオープニングのタイトル曲から、
失意のヒロインが旅立つシーンが眼前に立ち上るかのようで、
アマニが歌うドラマに引き込まれます。
ちなみに、サブスクは曲順が変わってしまっているので、ご注意のほど。

全曲失恋ソングかと思うようなせつない曲が満載で、
アマニの歌いぶりがそれに見事にハマった名作。
これほど楽曲が粒揃いのシャバービーはなかなかありませんよ。
シャバービー傑作10選に確実に入るアルバムです。

Amani Souissi "WAIN" Rotana CDROT1315 (2007)
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この人もトゥモローズ・ウォリアーズ出身 ジュリー・デクスター [ブリテン諸島]

Julie Dexter  PEACE OF MIND.jpg   Julie Dexter  DEXTERITY.jpg

ピンクパンサレスから、フェルナンダ・ポルトそしてDJパチーフィと
ブラジルのドラムンベースに飛び火したんですが、
UKブラックで前にもこんな人がいた記憶があるんだけど、誰だっけなあと、
ずーっと気になっていて、やっと思い出しました。
ジュリー・デクスターです。
ジャマイカ人両親のもとにバーミンガムで生まれ育った、
UKブラックのシンガー・ソングライター。

99年にアメリカへ渡ってアトランタに移住し、
自身のレーベル、ケッチ・ア・ヴァイヴを立ち上げてデビューした人です。
2000年に出たジュリーのデビューEPの1曲目 ‘Ketch A Vibe’ を聴いて、
ノック・アウトを食らったんだよなあ。ドラムンベースを下敷きにしたトラックが、
なるほどUKブラックだからなのねとナットクしたものでした。

ジュリーのスウィートな歌い口とチャーミングな表情にマイってしまって、
その後02年に出たフル・アルバムの“DEXTERITY” ともども、当時ヘヴィロテしました。
‘Ketch A Vibe’ は “DEXTERITY” にも再収録された
ジュリーのシグニチャー・ソングだったので、
ドラムンベースのイメージがことさら強く記憶に残ったのでした。

ところが久しぶりに棚から取り出して、ライナーを眺めてみたら、あれっ?
‘Ketch A Vibe’ は、ドラムスにホワイリーキャットという名前がクレジットされてますよ。
これウチコミじゃなくて、生演奏だったのか!
そうか、出だしのドラミングを聴けば、ウチコミじゃないのは歴然だよな。
ドラムンベースを生演奏にトレースしたトラックだったのかあ。

あらためてライナーのクレジットをじっくりチェックしてみれば、
ウチコミを使ったトラックもあるものの、ほぼ生演奏主体じゃないですか。
当時ジュリー・デクスターは、オーガニックなテイストのネオ・ソウル・シンガーという
受け止めでしたけれど、この本格的なジャジーなセンスはひょっとしてと、
バイオを調べてみたら、びっくり。

なんと、トゥモローズ・ウォリアーズに通っていた人だったんですね。
ジャズ・ウォリアーズのメンバーのサックス奏者ジェイソン・ヤードに誘われて、
キャムデン・タウンのジャズ・カフェのサンデー・セッションで歌っていたとのこと。
そこでベーシストのゲイリー・クロスビーと知り合い、ゲイリーが91年に設立した
トゥモローズ・ウォリアーズに通う初期のメンバーだったそうです。
コートニー・パインにフックアップされて、
バンドのヴォーカリストとして世界ツアーにも参加していたとは、ビックリ。

そうかあ、ジュリーはR&Bじゃなくて、ジャズの人だったのね。
トゥモローズ・ウォリアーズのワークショップ・プロジェクトから生まれた、
ジェイソン・ヤード率いるJ.ライフにヴォーカリストとして参加して成功を収め、
J.ライフは98年のヤング・ジャズ・アンサンブル・オヴ・ザ・イヤーでペリエ賞を受賞し、
ジュリーはヤング・ジャズ・ヴォーカリスト・オヴ・ザ・イヤーで
ペリエ賞を受賞したそうです。

あらためて “DEXTERITY” のクレジットをチェックしてみれば、
全曲生演奏じゃないですか。
EPでは数曲プログラミングのトラックもありましたけれど、
フル・アルバムはすべて人力だったとは、うわぁ、ぜんぜん意識していなかったなあ。
フィラデルフィアのR&B/ヒップ・ホップ・ドラマー、
リル・ジョン・ロバーツも起用されているじゃないですか。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2014-08-03
R&Bとジャズを横断するミュージシャンたちが、
ジュリーをバックアップしていたんですね。
ジェイソン・ヤードも名前を連ねていますよ。

当時オーガニックなネオ・ソウルという側面からしか評されていませんでしたけれど、
トゥモローズ・ウォリアーズ出身のシンガー・ソングライターとわかれば、
グッと聞こえ方が変わってきますね。

Julie Dexter "PEACE OF MIND" Blackbyrd 506125-2 (2000)
Julie Dexter "DEXTERITY" Ketch A Vibe KAV002 (2002)
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オトナ同士の会話 シコ・ピニェイロ & ロメロ・ルバンボ [ブラジル]

Chico Pinheiro & Romero Lubambo  TWO BROTHERS.jpg

シコ・ピニェイロとロメロ・ルバンボのお二人。
ブラジルからアメリカへ居を移したジャズ・ギタリスト同士ということで、
デュオをするのも必然だったのでは。

55年リオ生まれのルバンボが渡米したのは、85年のこと。
75年サン・パウロ生まれのシコ・ピニェイロが
ニュー・ヨークに移り住んだのは18年のことなので、まだ5年。
二人は12年前にサン・パウロですでに出会っていたそうです。

ジャジーなMPBのシンガー・ソングライターとしてデビューした
シコ・ピニェイロですけれど、ご本人の歌はシロウトの域を出ず。
奥方のルシアーナ・アルヴィスがすごく魅力的な歌い手なので、
歌はルシアーナに全部任せちゃえばいいのにと思っていたんですが、
ジャズ・ギタリストの才能はインターナショナル・レヴェルの人なので、
今回のようなインスト作品なら、もろ手を挙げて歓迎です。

Chico Pinheiro & Anthony Wilson  NOVA.jpg

前にもシコ・ピニェイロは、ギタリストとのデュオ作品を出しましたよね。
ロス・アンジェルスのジャズ・ギタリスト、アンソニー・ウィルソンとの共演でした。
あれはいいアルバムだったなあ。
ファビオ・トーレス(p)、パウロ・パウレッリ(b)、エドゥ・リベイロ(ds)を軸に、
曲によってホーン・セクションもたっぷり入れ、
イヴァン・リンスやドリ・カイーミがゲストで歌う曲もありました。
リラックスした演奏のなかにも、二人のテクニカルなソロが
競い合うように披露されていて、スリリングな要素も満点でした。

今回のロメロ・ルバンボとのデュオは、二人のみの演奏。
二人ともアクースティックとエレクトリックを使い分けて、
まさにギターによる会話を楽しんでいるといった趣です。

レパートリーは二人のお気に入り曲を取り上げたそうで、
そこにプロデューサーが助言して、ジャヴァン、シコ・ブアルキ、ジョビン、
ミシェル・ルグラン、ビル・エヴァンス、レノン=マッカートニー、
スティーヴィー・ワンダー、ビリー・アイリッシュ、スティングが選曲されています。

二人とも抑制の利いたバランスのいいプレイをしつつ、
要所で淀みなく16分音符が流れる長い流麗なソロを繰り出していて、
その熟達したインタープレイにはタメ息が漏れるばかりです。
二人とも大声を出すことなく、相手の話をよく聴いてから応答していて、
会話を楽しむ様子が手に取れるように聞き取れる演奏ぶりですね。

相手がどんな気持ちで聴いているのかも解さず、
とうとうと演説して自己満足に陥りがちな昭和世代からすると、
シコ・ピニェイロのオトナな態度に感心してしまうのでした。
自分より若い世代って、オトナなんだよなあ。前期高齢者のガキっぷりを恥じ入ります。

Chico Pinheiro & Romero Lubambo "TWO BROTHERS" Sunnyside SSC1697 (2023)
Chico Pinheiro & Anthony Wilson "NOVA" Buriti BR001 (2007)
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褐色のカナリア ジョニー・アダムス [北アメリカ]

Johnny Adams  HEART & SOUL.jpg

ジョニー・アダムスのスリーS・インターナショナル盤は、生涯のソウル愛聴盤。
ソウル聴き始めの高校生の時に出会った、かけがえのないレコードです。
あまりにもこのレコードが好きすぎて、
80年代にラウンダーから出た諸作は、どれもなじめなかったなあ。

ジョニー・アダムスがスリーS盤で聞かせた豊潤な歌の味わいは、
ニュー・オーリンズという土地が生み出した天性を、いかんなく発揮していましたね。
とりわけカントリー・バラードの ‘Release Me’ ‘Reconsider Me’ の2曲を、
サザン・フィールたっぷりのゴスペル感覚で新たな命を吹き込ませたのは、
ジョニー・アダムス最高の仕事でした。

Johnny Adams  RECONSIDER ME.jpg

ジャケットがまたカッコよくて、独身の頃部屋に長く飾っていたものです。
CD時代になって、チャーリー・R&Bが87年に全曲CD化しましたが、
他のスリーS音源を含む22曲入りで、曲順がレコードと違うのになじめなくて困りました。
その後だいぶ経ってから、iTunes でレコードと同じ曲順にしたあと
他の曲を並べるプレイリストを作って、それ以来ずっとこれで聴いていました。

Johnny Adams  ABSOLUTELY THE BEST.jpg   Johnny Adams  RELEASE ME THE SSS AND PACEMAKER SIDES.jpg

スリーS時代の録音をまとめた編集盤は、その後もいろいろ出て、
このプレイリストに入っていない曲をそのあとに追加していました。
02年にフュオル・2000が出した編集盤以来買う、
イギリスのプレイバックから出た今度の編集盤には、
スリーSの前に契約していたペースメーカーのシングルが入っているんですね。

褐色のカナリアと呼ばれたジョニー・アダムスの艶やかな歌声、
半世紀近く聴き続けるほどに、その魅力はますます輝きを増しています。

[LP] Johnny Adams "HEART & SOUL" SSS International SSS#5 (1970)
Johnny Adams "RELEASE ME" Charly R&B CDCHARLY89
Johnny Adams "ABSOLUTELY THE BEST" Fuel 2000 302-061-245-2
Johnny Adams "RELEASE ME: THE SSS AND PACEMAKER SIDES 1966-1973" Playback PBCD016
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17年ぶりの再発 ファデラ [中東・マグレブ]

Fadela  MAHLALI NOUM.jpg   Fadela  TOUT SIMPLEMENT RAÏ.jpg

MLPの傘下で新発足した中東・マグレブ音楽のリイシュー専門レーベル、
エルミールから、ポップ・ライのファデラの06年録音作が出ましたね。

ファデラ(当時はシェバ・ファデラ)といえば、
ポップ・ライの帝王シェブ・ハレドに先んじて、
わずか17歳にしてポップ・ライの初ヒット曲を飛ばした人。
これが79年のことで、80年代半ばにはシェブ・サハラウイと結婚して歌ったデュエット曲
‘N'sel Fik’ がライ初の国際的なヒット曲になって、その名を轟かせました。
その勢いでアイランドと契約してアルバムを出したのだから、当時の人気はスゴかった。

それからだいぶ年月が流れた06年、
R&Bと結びついたラインビーがシーンを賑わせていた頃に、
ファデラがひょっこり出したアルバムが “TOUT SIMPLEMENT RAÏ” でした。
ダンス・ミュージックへとシフトしつつあったライを、
もとの歌謡ジャンルに揺り戻すかのような快作で、
当時まったく話題になりませんでしたが、ぼくはけっこう愛聴しました。

その時と同じ録音作だというので、曲目をチェックしてみると、
‘Dabazte Omri’ の1曲を除いてダブリはないので、
これは未発表録音かと喜び勇んで買ってみたら、なんと全曲同じ。
ただの再発盤ということが判明して、ガックリ。
なんだ、それ。9曲の曲名がすべてまるで違うって、どういうこと?

まぁ、自分的にはかなりガックリきたんですが、
ポップ・ライのオーセンティックなサウンドが聞ける傑作には違いないので、
これを機会に書いておこうと思った次第であります。
当時はぜんぜん話題にならなかったしね。
アズテック盤のサエないジャケットとは段違いだし、
曲順がまったく違っているけれど、レゲエ・アレンジの曲から始まるアズテック盤より、
木笛ガスバで始まるエルミール盤の曲の並びの方が断然いいですよ。

ポップ・ライがオートチューン使いになる時代以前の録音で、
オールド・スクールなライながら、ラテン風味に仕上げたトラックもあるなど、
多彩なポップ・ライ・サウンドと脂ののったファデラの歌声が楽しめる快作です。

Fadela "MAHLALI NOUM" Elmir MIR06CD (2006)
Fadela "TOUT SIMPLEMENT RAÏ" Aztec CM2076 (2006)
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