SSブログ
前の30件 | -

サイケデリックなアゼルバイジャニ・ギターラ ルスタム・グリエフ

Rüstəm Quliyev.jpg

うひゃひゃひゃ、こりゃ強烈!
耳をつんざくエレキ・サウンドに、脳しんとうを起こしそう。
これは「世界ふしぎ発見」な1枚ですね。
アゼルバイジャンの改造ギター、ギターラのパイオニアであるルスタム・グリエフが
99年から04年に残した録音を、ボンゴ・ジョーがコンパイル。
う~ん、よく見つけたなあ。

改造エレクトリック・ギターを使って、
アゼルバイジャンの旋法ムガームに沿った伝統音楽ばかりでなく、
アフガニスタンやイランのポップスに、
ボリウッドのディスコ・チューンまで演奏するという痛快なインストものです。

アゼルバイジャンの音楽シーンには、旧ソ連時代の60年代から
チェコスロバキア製のエレクトリック・ギターが持ち込まれていて、
タールやサズの演奏者たちが、ギターのチューニングや弦高を変えたり、
フレットを増やすなどの改造をするようになっていたそうです。
やがてアゼルバイジャンの国内メーカーが、その改造ギターを量産するようになり、
ギターラとして広く使用されるようになったんですね。

モーリタニアや西サハラのギタリストたちが、
ムーア音楽の旋法ブハールを弾くために、
フレットを改造しているのと同じ試みなわけですけれど、
演奏者個々の創意工夫という域を超え、メーカー量産というところがスゴイですね。
モーリタニアのティディニートやアゼルバイジャンのタールに限った話でなく、
世界各地の伝統楽器が、エレクトック・ギターに置き換えられるようになった
エレクトリック・ギター革命物語の、これもまたひとつのエピソードでしょう。

Grisha Sarkissian  GARMON DANCES.jpg   Azad Abilov  GARMON.jpg

で、このルスタム・グリエフなんですが、
キッチュなボリウッド・ディスコの‘Tancor Disko’ とか、確かに面白いけれども、
やっぱり聴きものは、アゼルバイジャンの伝統曲。
脳天を直撃するハイ・ピッチのサイケデリックなラインは激烈で、
楽器こそ違えど、アルメニアのアコーディオン、
ガルモンを初めて聴いた時のショックを思い出します。

サイケデリックなサウンドに惑わされぬよう、旋律を追って聴いてみれば、
古典音楽に代表されるアゼルバイジャン歌謡のメリスマ表現を、
ギターが忠実になぞっていることがよくわかるじゃないですか。
ガルモンを思わせるのも、南北コーカサスが共有するこぶしの楽器表現だからでしょう。

高音で見得を切るようなキレのある短いフレーズのあとに、
一転、低音でうねうねとしたフレーズを延々と弾いたり、
また高音にジャンプしたりと、歌唱を忠実に引き写したギターも妙味なら、
3拍子や2拍3連の前のめりに疾走するリズムも聴きものです。

ルスタムが05年に肺がんで亡くなってしまった後、
このサウンドを引き継ぎ、発展させるような動きはないんでしょうかね。
興味のわくところです。

Rüstəm Quliyev "AZERBAIJANI GITARA" Bongo Joe BJR053
Grisha Sarkissian "GARMON DANCES" Parseghian PRCD11-30 (1992)
Azad Abilov "GARMON" Çinar Müzik 2002.34.Ü.SK-P1244/02-02 (2002)
コメント(0) 

真摯な音楽家 藤井郷子

藤井郷子/田村夏樹  PENTAS.jpg

真摯。

藤井郷子くらい、この言葉がふさわしいジャズ演奏家はいないんじゃないでしょうか。
その昔は、ビリー・ハーパーにも、同様の真摯さを感じたものですけれど、
ビリー・ハーパーの場合は、スタイルを変えない、求道者のイメージが強くありました。
藤井郷子の場合、ソロ、デュオ、トリオ、カルテット、オーケストラと、
フォーマットもさまざまなら、作品ごとに振れ幅の大きな演奏を聞かせるので、
求道とは違う、もっとしなやかな真摯さをおぼえます。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2010-04-30

藤井のジャズには、クリシェがない。
そこにぼくはとても信頼を置いているんですね。
どんなフォーマットであろうと、自分の求める音を真剣に追いかけていて、
毎回心新たに音楽に向きあっているから、クリシェなど現れようもない。

自分の音を探求することに、どこまでも貪欲で、妥協を許せないところは、
言い換えれてみれば、融通が利かず、
大概の人が諦めてしまうところにも挫けず続ける、
「しつこさ」のようなものを感じます。
ぼくも、しつこさにかけては人後に落ちないので、親しみを覚えるんですよね。

彼女は、手癖を禁忌としているんじゃないのかな。
さもなくば、凝りに凝りまくった構成を持つ曲を書いて、
手癖など現れるべくもないようにしているのではとさえ思ってしまいます。
フリー・ジャズといいながら、
あらかじめ用意した型で演奏をする音楽家が少なくないなかで、
藤井はホンモノのインプロヴァイザーといえる即興を聞かせてくれる人です。

がっちりとした建造物のような曲も書けば、
自由に即興する完全フリー・インプロのような演奏もするので、
題材を変えることで、音楽へのアティチュードの鮮度を保っているようにも思えますね。

そんな信頼の音楽家、藤井郷子と田村夏樹とのデュオ新作がスゴイ。
この二人でなければできない境地を仰ぎ見るかのようで、
聴き終えて、しばし身体の芯がジーンとしびれる感動を覚えました。
これまでこの夫婦デュオを何度となく聴いてきましたけれど、
これほどまでに集中力を高めた演奏は、初めて聴いた気がします。

メロディがあってないような曲のなかで、二人が互いの音に反応しながら、
自分のボキャブラリーで音列を紡いでいくのですけれど、
生み出されるサウンドの透明感がすごくって、その美しさに陶然とします。
二人のエネルギーがぶつかりあって、硬質な感触を残すものの、
心拍も血圧も上がらない落ち着きを保っている、そんなところもシビれます。

奔流を生み出す藤井のピアノを、
ひょうひょうとした田村のトランペットがユーモアでくるんでみたり、
そのやりとりは、昨日今日結ばれた二人にはできない、
長年連れ添って、酸いも甘いも知り尽くした夫婦ならではの通じ合いを聴くようで、
う~ん、人生はフリー・ジャズだなあと感じ入ってしまいますね。

藤井郷子/田村夏樹 “PENTAS” Not Two MW999-2 (2020)
コメント(0) 

知的な伴奏とマランドロな歌声 マルシオ・ジュリアーノ

Marcio Juliano.jpg

面白いサンバ作品が登場しましたね。
リオやサン・パウロのサンバではなく、南部クリチーバ産という珍しいもので、
主役のマルシオ・ジュリアーノは、歌手だけでなく、
舞台俳優のほか監督も務める、演劇界においてキャリアのある人とのこと。

クリチーバというので、クラロン(バス・クラリネット)奏者の
セルジオ・アルバッシを思い浮かべたところ、
なんとそのセルジオ・アルバッシがプロデュースした作品なのでした。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-08-26

セルジオ・アルバッシのクラロンとクラリネットを中心とする
7弦ギター、バンドリン、カヴァキーニョなどによるサンバ/ショーロの伴奏で、
セルジオ・アルバッシが音楽監督を務める、
クリチーバ吹奏楽オーケストラがゲスト参加した曲も1曲あります。
ラウル・ジ・ソウザのトロンボーンや女性コーラスをフィーチャーしたり、
クイーカだけをバックに歌ったりと、曲ごとにユニークな音楽的試みがされています。

たとえば、ウィルソン・バプティスタの古典サンバ‘Pedreiro Waldemar’ では、
長さの異なる塩ビ・パイプを両手に持った4人が、机の上にパイプの末端を落として
音階を出し(ヴィブラフォンの共鳴管で音を出すみたいな)、
それにレコレコとクラロンが加わってアンサンブルを作っているんですけれど、
これがなんとも不思議なサウンド。

編曲技法は現代音楽のようでもありながら、曲のユーモラスな側面を引き出し、
すごく面白い仕上がりとなっています。どこからこんなアイディアを思いついたんだろ。
ルピシニオ・ロドリゲスの‘Judiaria’ に、フェイクなアラブふうのイントロと
インタールードをアダプトしたアレンジも、実にウィットが利いています。

本作は、サンバ黄金時代の29年から45年に作曲にされた
古典サンバにこだわった選曲で、ピシンギーニャ、ノエール・ローザ、アリ・バローゾ、
ルピシニオ・ロドリゲス、ドリヴァル・カイーミなどのサンバ名曲を歌っています。
原曲のメロディを生かしながら、さまざまなアイディアを施したアレンジが鮮やかで、
クラシックやジャズの技法を巧みに取り入れながらも、
実験的なサウンドになっているわけではなく、伝統サンバの枠は崩していません。

高度に知的なアレンジを施しても、鼻持ちならないインテリ臭さがまとわないのは、
マルシオ・ジュリアーノのマランドロ気質をうかがわせる歌いっぷりのおかげですね。
街角のサンバを体現する庶民性たっぷりな歌声が、音楽の色彩を決定づけていて、
知的な伴奏とマランドロな歌声が、古典サンバに新たな味わいを醸し出しています。

Marcio Juliano "OUTRO SAMBA" Marcio Juliano Da Silva MJS171 (2020)
コメント(0) 

ミャンマーに生き残る清純な歌声 ピューティー

Phyu Thi  BADAMYAR YATU TAY SU (2).jpg   Phyu Thi and Yar Zar Win Tint  SHWE SA PAL YONE.jpg

マンダレー・テインゾーの新作に驚いていたら、
ピューティーの新作も入荷していて、やれ嬉しや。
昨年ピューティーの別のアルバムを入手していたんですけれど、
記事にしなかったので、今回あわせて書いておきましょう。

ピューティーは38年生まれ。
なんと大御所のマーマーエーより年長の人なんですが、
歌手になったのは遅く、80年からプロとして歌うようになったのですね。
歌手となる以前は何をしていたのかなど、経歴の詳細は不明です。
プロ歌手となった後も不可解なのは、ライヴ・パフォーマンスの経験がなく、
歌手生活33年目の13年になって、初のソロ・コンサートを国立劇場で開いたということ。
レコーディングのみの歌手活動だったんでしょうかね。

Phyu Thi  MOE TA SAINT SAINT.jpg

そんな情報皆無の人なんですが、
ぼくがピューティーに惹かれたのは、
15年以上前に手に入れた“MOE TA SAINT SAINT” がきっかけでした。
ジャケット写真は、70を超えていそうな高齢に見えるものの、
その歌声に老いは微塵も感じさせません。
それどころか、「清純」と呼びたい天使のような歌声で、
正直、本当にこのジャケ写の老女が歌っているのかと、びっくりしてしまったのでした。

歌い出しのひそやかな発声や、
伏し目がちな女性をイメージさせる控えめな歌いぶりに加え、
触れなば落ちん風情を漂わせる色香もあって、すっかりマイっていまったのでした。
柔らかな節回しに、まろやかなこぶし使いも絶品です。

サウン(竪琴)のみの伴奏から、曲が進むにつれ、サイン・ワインやヴァイオリン、
サンダヤー(ミャンマー式ピアノ)、フネー(チャルエラ)など、
徐々に楽器の数が増えていき、
スライド・ギター(バマー・ギター)が登場する曲もあれば、
バンド演奏とスイッチするミャンマータンズィン形式の曲もあり、
終盤になると欧米ポップス調のパートが増えていきます。
曲により録音にバラツキがあるので、ひょっとすると編集盤なのかもしれませんが、
この一枚で、ピューティーの名が脳裏に刻み込まれたのでした。

Phyu Thi  MILE PAUNG KA TAY MHA LAN PYA KYEL THOE.jpg

その後、既発カセットのジャケットをコラージュしたアルバム
“MILE PAUNG KA TAY MHA LAN PYA KYEL THOE” を見つけましたけれど、
こちらは全曲西洋ポップス調で、あまりに凡庸すぎる伴奏がツライところ。

そして、ひさしぶりに昨年手に入れたのが、
冒頭写真左の“BADAMYAR YATU TAY SU (2)”。
ジャケットの左上隅に眼鏡をかけた老人が映っていますが、これが誰なのか、
ジャケットの「2」とは続編を表すものなのか、などなど、
情報が無くてわからないことばかりですが、
内容はサイン・ワイン楽団を伴奏にした伝統歌謡集です。

サンダヤーやシンセも加わって、銅鑼も派手に打ち鳴らされて、サウンドは華やかです。
西洋風バンド演奏とスイッチするミャンマータンズィン形式の曲もあり、
ヤーザーウィンティンとトニーティッルインの男性歌手二人と
それぞれデュエットする曲があるほか、二人がそれぞれソロで歌う曲もあります。
トニーティッルインがソロで歌ったラスト・トラックは、ポップ曲ですね。
ピューティーの歌声は、“MOE TA SAINT SAINT” の頃となんらかわらず、
清楚な少女のよう。
自己主張が強く、解放された女性像が肥大化する風潮では、
この奥ゆかしい歌声は、21世紀の今日び、
まだ絶滅せずに生き残ってたのか!という驚きさえありますよ。

そして新作は、ヤーザーウィンティンとの共同名義で、ジャケットにも二人が写っています。
ピューティーが5曲、ヤーザーウィンティンが4曲、
デュエットが2曲(うち1曲の男性歌手は不明)となっています。
ヤーザーウィンティンが歌う曲で、バンジョーが使われているのに、耳を引かれました。

ピューティーの声が少し太くなったかな?という印象がありますけれど、
ふんわりとした清純な歌声は不変。
今年82歳となる声とは、とても思えませんね。エイジレスです。
ヤーザーウィンティンの柔らかく、心根の優しそうな歌声も、
仏教国ならではと思わずにはおれない清らかさですね。

Phyu Thi "BADAMYAR YATU TAY SU (2)” Yada Nah Myain no number
Phyu Thi and Yar Zar Win Tint "SHWE SA PAL YONE” Rai no number
Phyu Thi "MOE TA SAINT SAINT” May no number
Phyu Thi "MILE PAUNG KA TAY MHA LAN PYA KYEL THOE” Oasis PT99CD01
コメント(0) 

ミャンマーの名舞踏家が歌う伝統歌謡 マンダレー・テインゾー

Mandalay Thein Zaw  AUNG E AUNG E.jpg   Mandalay Thein Zaw  MYAT SU MOON.jpg

マンダレー・テインゾーの新作!
いやぁ、これにはびっくり。
リーダー作の少ない人だけに、これは貴重ですよ。
歌手よりも伝統舞踏家として有名な方であります。

マンダレー・テインゾーを知ったのは、だいぶ昔のこと。
ニニウィンシュウェやソーサーダトンとデュエットをしている
ヴェテランふうの伝統歌謡歌手に、この人誰?と意識するようになったんでした。
それからリーダー作を探し始めたんですが、
数枚のソロ・アルバムが出ていることは判明したものの、なかなか実物が見つからず、
20年くらい前にようやく手に入れた1枚を持っているだけです。

そんな人なので、まさか新作と出会えるとは思ってもみませんでしたよ。
こういうヴェテランのアルバムが出るあたりも、
ミャンマーの伝統歌謡が見直されているのを感じさせますねえ。

さて、新作はトール・サイズのブックレット仕様で、
全曲歌詞付き、大衆芸能ザッポエの役者メイクをばっちりときめ、
舞台袖から舞台をみつめる姿や、メイクを落とした素顔の写真も多数載せた、
美麗なパッケージとなっています。

気付いたのが、新作のレーベルが、昔手に入れたCDと同じA.Z.L.Aなんですね。
このCD以外で見たことがないレーベルなので、
ひょっとすると.マンダレー・テインゾーが所属する劇団となにか関係があるのかな。
内容の方も以前のCDと同様。サイン・ワインほかの伝統楽器にサンダヤー(ピアノ)が
加わる編成で、一部の曲にシンセサイザーが加わります。

冒頭から、おごそかなムードで始まりますけれど、仏教歌謡なのでしょうか。
どの曲もおおらかな曲調で、ゆったりと大きくうねるようなリズムで聞かせます。
最後の12分を超す曲は、子供たちのコーラスも交えて、荘厳なムードを醸し出しています。
とはいえ、抹香臭さもなければ、いかめしさもないのがミャンマー歌謡のいいところで、
抜けるような青空を思わす、開放的なすがすがしさに溢れた伝統歌謡です。

Mandalay Thein Zaw "AUNG EI AYE EI" A.Z.L.A./M United Enertainment no number (2020)
Mandalay Thein Zaw "MYAT SU MOON" A.Z.L.A. no number
コメント(0) 

ヘイシャン・プリースティスが歌うブルース・ロック ムーンライト・ベンジャミン

Moonlight Benjamin  SIMIDO.jpg

あれれ、新作もちゃんとフィジカルが出てたんですね。
前作をバンドキャンプで購入した時、新作はダウンロード販売のみだったので、
てっきりCDは出ていないとばかり思っていました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-10-20

前作のヴードゥー・ロック路線をさらに磨き上げたこの新作、
ムーンライト・ベンジャミンの吹っ切れた歌いっぷりがスゴイ。
アンジェリク・キジョを思わす強靭なヴォーカルが、耳に突き刺さります。
声は強くても、歌い回しはキジョのような固さがなく、柔軟なところがいいですね。
フランスのジャーナリズムは、ムーンライトに、
「ハイチのパティ・スミス」という形容を与えています。
ちなみにムーンライト・ベンジャミンという名は、ステージ・ネームではなく、
生後まもなく預けられた孤児院の牧師に名付けられたものだそうです。

前作からバンド・メンバーが交代して、
ベースとパーカッションのハイチ人二人が抜けたんですね。
パーカッションが不在になったかわりに、ギタリストが一人増えて、
全員フランス白人のフォー・ピース・バンドとなりました。
サウンドはまるっきり70年代の、シンプルなブルース・ロックで、
ローファイにしたりすることもなく、サウンドはクリーン。

悲惨な生活を送る庶民の窮乏に見て見ぬふりをする、
ハイチの支配階級を糾弾した1曲目の‘Nap Chape’をシングル・カットしたように、
ムーンライトは、困窮するハイチの人々に向けて歌っています。
ハイチの人々の助けとなるために、天使や精霊に呼びかけ、
ラスト・トラックの‘Kafou’ で、ブードゥー神のなかでもっとも重要なロアの
パパ・レグバの化身を歌うところにも、ムーンライトの思いの強さが伝わってきます。

前作では、フランス語で歌った曲も一部ありましたが、
今回はすべてクレオール語で通していて、
ヴードゥー・プリースティスの気迫のこもったブルース・ロックに胸が熱くなりました。

Moonlight Benjamin "SIMIDO" Ma Case Prod MACASE026 (2019)
コメント(1) 

スーダンのエレキ・バンド シャーハビル・アフメド

Sharhabil Ahmed  THE KING OF SUDANESE JAZZ.jpg

ハビービ・ファンク、快挙です!
スーダン歌謡をエレキ化した伝説の大物シャーハビル・アフメドを、
ついに復刻してくれましたよ。

いや~、長かったあ。
名前を知るばかりで、じっさいどんな音楽だったのかを聴くこともできず、
悶々としていた人の一人でしたからねえ。
シャーハビル・アフメドに限らず、60年代以前のスーダン歌謡は、
資料でその名は知っても、聴く手立てがまったくなく、謎のままでした。

35年、宗教的信心の深い家庭に生まれたシャーハビル・アフメドは、
預言者ムハンマドを称えるスーフィーのチャントに由来する音楽マデイや、
30~40年代のスーダンで流行した世俗歌謡ハギーバに囲まれて育ちました。
ハギーバは、リク(アラブのタンバリン)を持った歌手が、コーラスの手拍子とともに
コール・アンド・レスポンスする音楽で、結婚式やパーティーなどの社交の場には
なくてはならないものでした。
観客の手拍子も加わって、歌手が即興で歌いながら場を高揚していくハギーバは、
かなりトランシーな音楽だったようです。

50年代に入ると、ムハンマド・ワルディや
サイード・ハリファなど新しい世代の歌手たちが、
ハギーバにマンボの影響を受けたエジプト歌謡を取り入れるほか、
スーダン各地のリズムや地方の民謡なども取り入れ、ハギーバを近代化していきます。
当時幼かったシャーハビルも、当時の大スター、
アブドゥル・カリム・カルーマに感化され、ウードを覚えたといいます。

やがて、ロックンロールの波がスーダンにも届くようになると、
ギターに興味を覚えたシャーハビルは、イギリス人からギターを買い取り、
南スーダンの学生から弾き方を教わって、ギターを習得しました。

こうしてロックンロールに影響された独自のダンス・ミュージックを演奏しはじめた
シャーハビルは、60年に国立劇場で自身のバンドの初のお披露目をし、
やがてコンクールで「スーダンのジャズ王」の称号を勝ち取るのでした。
もちろん、ここでいう「ジャズ」とは、コンゴのOKジャズや
ギネアのベンベヤ・ジャズと同義で、北米黒人音楽を指すものではなく、
欧米のポピュラー音楽の影響を表す用語ですね。

ウードやヴァイオリンが伴奏するアラブ色の強かったスーダン歌謡のハギーバを、
ギター、ベース、ドラムス、管楽器などの西洋楽器で演奏したシャーハビルは、
まさにスーダン歌謡の変革者でした。
エレクトリック・ギターをスーダンで初めて使ったのもシャーハビルで、
ロックンロールやファンクの要素に、
コンゴ音楽ほか東アフリカ音楽のハーモニーを取り入れて、
スーダン音楽を近代化した立役者となりました。

今回ハビービ・ファンクが、シャーハビル本人に直接交渉して復刻が実現した本作、
音源についての詳しい記載がないのですが、サックス入りのギター・バンドで、
ジャケットに写る5人による演奏と思われ、シャーハビルと奥さんのザケヤ二人が
ギターを弾いているようです。おそらく60年代末頃の録音でしょう。
音源に関するこういう基礎情報が欠けているのって、
リイシュー・レーベルの姿勢として、いかがなもんですかね。

シャーハビル自身が所有していた4枚のレコードから復元した7曲は、
冒頭の2曲‘Argos Farfish’ ‘Malak Ya Saly’ こそ、
痛快なスーダニーズ・ロックンロールですけれど、
残り4曲は、スーダンらしいペンタトニックのメロディが全面展開する、
エレキ・バンドによるモダン・ハギーバといえ、これが「ジャズ」と称されたわけですね。
この濃厚なスーダニーズ・マンボ・サウンドこそ、スーダン歌謡の真骨頂といえます。

Sharhabil Ahmed "THE KING OF SUDANESE JAZZ" Habibi Funk HABIBI013
コメント(3) 

ラッパーからアフロビート・バンドへ バントゥー

Bantu  EVERYBODY GET AGENDA.jpg

ナイジェリア人の父とドイツ人の母のもと、
71年にロンドンで生まれたアデ・バントゥーことアデゴケ・オドゥコヤ。
バントゥーの名を知ったのは、フジ・シンガーのアデワレ・アユバをフィーチャリングした
05年のアルバム“FUJI SATISFACTION” でした。
ドイツのピラーニャから出たこのアルバムは、
ひさしぶりにフジがインターナショナルなシーンに登場した作品で、
おおっと注目したんですが、アフロビートやレゲエを取り入れたアレンジが凡庸で、
がっかりしたものです。

アユバが強靭なフジのこぶしを利かせているものの、
主役のラッパー、バントゥーとの絡みがチグハグで、まるっきりイケてないんだよなあ。
フジとヒップ・ホップの融合については、当時ワシウ・アインデ・バリスターの試みから、
打楽器と肉声をガチンコ勝負させる可能性に期待を持っていただけに、
このアルバムのサウンド・プロダクションには落胆させられました。
ソッコー売っぱらっちゃったので、画像は載せられませんが、当時日本盤も出ました。

というわけで、ナイジェリア系ドイツ人ラッパーとして記憶したバントゥーでしたが、
その後、13人編成のナイジェリア人メンバーによる
本格的アフロビート・バンドを率いるとは、意外でしたね。
10年作の“NO MAN STANDS ALONE” ではファタイ・ローリング・ダラーと共演したり
(今気づいたけど、ガーナのワンラヴ・ザ・クボローも、ゲストに迎えていたんだね)、
17年の前作“AGBEROS INTERNATIONAL” では、
トニー・アレンが1曲ゲスト参加していました。

そして、先月出たばかりの新作、これが過去作をはるかに上回る快作なんですよ!
これまでバンド・アンサンブルが洗練されすぎていて、アフロビートの強度や
ストリート感に欠けるのが気になっていたんですけれど、今作では洗練を上回る
エネルギーが満ち溢れていて、がぜん説得力を増しています。
レゴスに暮らす庶民の現実を照射したポリティカルなメッセージが、
エネルギーの源泉になっていますね。

バントゥーというバンド名を、アデ・バントゥーの名前ではなく、
Brotherhood Alliance Navigating Towards Unity の
頭文字とした心意気にも、グッとくるじゃないですか。
歌詞もピジンのほかヨルバ語でも歌っていて、
地元リスナーに向けたリアリティが伝わってきます。
アフロビート・バンドには珍しいトーキング・ドラマーも、大活躍していますよ。

ジャジー・ヒップ・ホップとアフロビートを結合した‘Water Cemetery’ も、
一歩間違えばスカした感じに仕上がりそうなところを、
踏みとどまっているところが、いいじゃないですか。
ハード・ボイルドなアフロビートのトラックの合間に置かれた
ヨルバのプロヴァーヴ(諺)をチャントする‘Jagun Jagun’ にもウナらされました。
そして、アルバムのハイライトは、
ラスト・トラックのシェウン・クティがゲスト参加した‘Yeye Theory’ ですね。
生前のフェラ・クティのモノローグが、最後にフィーチャーされています。

ジャケットを開くと、トタン屋根の貧しい住居が並ぶ地区を
上空から写した白黒写真となっていて、これはアパパ地区かな。
対照的に、全曲歌詞が掲載されたライナー中央には、
超高層ビルが乱立するヴィクトリア島のビジネス街の写真が載っていて、
レゴスの貧富の格差を象徴的に示しています。

ゴツゴツとしたアフロビートのアグレッシヴなサウンドと、
R&Bセンスのメロウなコーラスとジャジーに仕上げたサウンドとのバランスもよく、
アフロビート・ファン必聴のアルバムですよ。

Bantu "EVERYBODY GET AGENDA" Soledad Production no number (2020)
コメント(2) 

アンゴラ・ポップ職人の快作 イェイェ

YeYe  IMBAMBA.jpg

しつこいとお思いでしょうが、アンゴラ四連投、これで最後です。

イェイェことオズヴァルド・シルヴァ・ジョゼ・ダ・フォンセカは、
73年生まれのキゾンバ・シンガー。ソロ・シンガーとなる前、
モザンビークで11年間音楽プロデューサーとして働き、
帰国後にプロデューサー業の経験を生かして、
アンゴラの音楽シーンへ貢献したいと、歌手へ転身したそう。

実はその昔、この人の96年作“TERRA DE SEMBA” を買って、
がっかりした記憶があったんです。
タイトルにセンバとあったので、おっ、とばかりに買ってみたんですが、
中身はセンバのセの字もないキゾンバ。
キゾンバが悪いというわけじゃないんですが、プロダクションがショボくって。

だもんで、その後のアルバムに手を伸ばすのを避けてたんですが、
う~ん、これはいいじゃないですか。
さすがに時を経た11年の制作は、プロダクションが目覚ましく向上しています。
しかも、この当時のセンバ回帰のトレンドを取り入れて、
アルバム前半は、すべてセンバで押していますよ。

オープニングは、マラヴォワふうビギンをミックスしたようなセンバ。
艶やかなヴァイオリンの響きがエレガントです。
そして2曲目以降、アコーディンをフィーチャーしたセンバ尽くしで、
ホーン・セクションなどもフィーチャーし、
打ち込みを使わない生演奏のリズム・セクションで、申し分のないサウンド。

ゲストがまた豪華で、大ヴェテランのボンガに始まり、
マティアス・ダマジオ、ユリ・ダ・クーニャなど、多数が参加しています。
「アンゴラ・モザンビーク」「マラベンタ」なんていう曲もあり、
リズムはセンバながら、マラベンタの影響をうかがわせるメロディが聞けます。

そして、中盤からするっとキゾンバに移る構成もうまいですね。
なかにはズークのニュアンスが濃いトラックもあり、
ラスト・トラックの‘Tonito’ は、完全にズークそのもの。
センバ~キゾンバ~ズークを横断する、アンゴラ・ポップ職人の手腕が光る一枚です。

YeYe "IMBAMBA" LS Produções no number (2011)
コメント(0) 

アンゴラ内戦時代のヴェテラン・シンガーの死を悼んで ゼカックス

Zecax  AVÓ SARA.jpg

アンゴラ音楽連投第三弾は、ヴェテラン・シンガーの追悼作。

56年ルアンダ、バイロ・マルサルに生まれた
ゼカックスことジョゼ・アントニオ・ジャノタは、
長く内戦下にあったアンゴラ音楽の停滞時代に、
アンゴラ国内で歌手活動を続けたシンガーです。

キサンゲーラ、オス・メレンゲス、ディアマンテス・ネグロス、
ジョーヴェンス・ド・プレンダ、オス・キエゾスなどのバンドを渡り歩き、
30年を超すキャリアの末に初のソロ・アルバム制作に取り掛かるも、
持病の悪化により、完成を待つことなく12年12月に亡くなりました。
平和な時代に歌手活動ができていれば、何枚もソロ・アルバムを出していただろうに、
この時代を過ごしたアンゴラ国内の多くの音楽家同様、不遇な歌手でした。

本作は、そんなゼカックスの最初にして最後のレコーディング11曲を収めたディスクと、
もう1枚‘Memórias’ のサブ・タイトルで、
往年のヒット曲14曲を収めた2枚組となっています。
‘Memórias’ の14曲は、80年代録音が中心のようですけれど、
発表年やバンド名などのクレジットが一切ないのは、遺憾です。
追悼作なのだから、故人の功績を称えるためにも、きちんと載せるべきでした。

音を聞く限り、クロノロジカルに並べてあるようで、
初期のレパートリーにメレンゲが多いのは、オス・メレンゲス時代の録音でしょうか。
いずれの曲もホーン・セクションをフィーチャーしていて、聴きごたえがあります。
初期録音のホーン・セクションは、チューニングが甘かったりするんですけれど、
後年の録音ではビシッときまっていますね。
ジョーヴェンス・ド・プレンダ時代のヒット曲‘Makota Mami’ ‘Fim De Semana’や
オス・キエゾス時代のヒット曲‘Maximbombo’ なども収録されています。

そして新録のソロ・アルバム‘Avó Sara’ は、DJマニャのアレンジによる
新時代センバのサウンドに溢れた作品となっています。
新曲に交じって往年のヒット曲‘Fim De Semana’ も再演していて、
曲によりラテンやズークのアレンジが施され、
エレガントなキゾンバやボレーロもあり、カラフルなサウンドが楽しめます。

終盤のハイライトは、アンゴラ伝統音楽のパーカッション・グループ、
キトゥシがバックを務めた、2010年のカーニバル優勝曲‘Mulher Angolana’。
フィリープ・ムケンガ作のカーニバル・ソングで、
カズクータ(ルアンダのカーニバル・ダンス)が十八番の
ゼカックスにうってつけの選曲です。

そしてラスト・トラックは、オープニング・ナンバー‘Panxita’ のハウス・ミックスで、
クラブ世代の若者にもアピールしようという、ヴェテランの意気を感じますねえ。
生前に出せなかったのは、実に残念ですが、
ゼカックスのキャリアを総括した見事なアルバムです。

Zecax "AVÓ SARA" Xikote Produções no number (2013)
コメント(1) 

ウルトラ・モダンにしたチアンダを世界へ ガブリエル・チエマ

Gabriel Tchiema  AZWLULA.jpg   Gabriel Tchiema  MUNGOLE.jpg

もう一人見つけたアンゴラの才能。
ガブリエル・チエマは、センバやキゾンバではなく、
チョクウェ人の音楽チアンダをベースにするシンガー・ソングライターです。

コンゴ民主共和国と国境を接する、アンゴラ内陸部のルンダ・スル州のダラで
66年に生まれ、18歳でFAPLA(アンゴラ解放人民軍)に入隊してからギターを覚え、
音楽を志したという経歴の持ち主。
兵役期間中に音楽祭で受賞するなどの功績が認められてプロのミュージシャンとなり、
90年の除隊後にソロ活動を開始し、98年に初アルバムを出します。
05年には、愛知万博(愛・地球博)で来日したそうです。

今回入手したのは、2作目の08年作と3作目の13年作。
まず2作目の“AZWLULA” を聴いて驚いたのは、その洗練された音楽性。
ジャズ系ミュージシャンを起用したスムースな演奏とメロウなサウンドは、
広くポップス・ファンにアピールする力があり、
これを世界に向けて売り出さないで、どうするよ、ホントに。

アレンジは、ルアンダ出身のピアニスト、ニノ・ジャズが全曲担当。
フィリープ・ムケンガとの仕事などでも知られる、
MPA(アンゴラのポップス)の若手プロデューサーとして活躍する人ですね。
チョクウェの伝統音楽であるチアンダの影を見つけるのが難しいほど、
ソフィスティケイトされた音楽に塗り替わっているものの、
南部アフリカらしいメロディには、ガブリエルのルーツがしっかりと刻印されています。

美しいボレーロの‘Salsa Pa Bó’ で、カーボ・ヴェルデ系シンガー・ソングライターの
ボーイ・ジェー・メンデスとデュエットしているほか、アフリカン・ネオ・ソウルと呼びたい
‘N´gunay’ の仕上がりにはトロけました。

3作目の“MUNGOLE” は、前作の路線を推し進めて、
さらにコンテンポラリー度をあげた作品となっています。
このアルバムでは、ニノ・ジャズのほか3人のアレンジャーを起用して、
ガブリエルのメロディ・メイカーとしての才能をうまく引き出していますね。
コンテンポラリーにしても、無国籍なサウンドになっていないことは、
ルンバの‘Itela’ が証明していますよ。

アフリカン・ポップスを意識せずとも聞くことのできるクオリティの高さは、
インターナショナルなマーケットで勝負すべき作品だよなあ。
アンゴラのミュージック・シーンのマーケティング力の弱さが残念でなりません。
ウルトラ・モダンにしたガブリエルのチアンダを、世界に向けて届けてほしいなあ。
リシャール・ボナのファンには、聞き逃さないでほしい人です。

Gabriel Tchiema "AZWLULA" Kriativa KR010 (2008)
Gabriel Tchiema "MUNGOLE" Nguimbi Produções GTCD03 (2013)
コメント(0) 

ゴールデン・エイジのセンバをアップデイトして レガリーゼ

Legalize  MULUNDO.jpg

独立を目前に控えた植民地時代末期のアンゴラ音楽を受け継ぐ歌手を発見しました。
その人の名は、「合法化」という風変わりなステージ・ネームを持つ
レガリーゼこと、アントニオ・ドス・サントス・ネト。
アンゴラ独立宣言の2か月前、
75年9月7日、ルアンダのランゲル地区に生まれたレガリーゼは、
75年に暗殺されたソフィア・ローザに、77年のクーデター未遂事件によって粛清された
3人のセンバ歌手、ウルバーノ・デ・カストロ、ダヴィッド・ゼー、アルトゥール・ヌネスに
強く感化され、当時のセンバの作風を現代に継承しています。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-04-16

幼いころから、ウルバーノ・デ・カストロやダヴィッド・ゼーなどのセンバを
週末のパーティで歌う、近所でも評判の歌の上手い少年で、
9歳の時、アンゴラにやってきたブラジルのサンバ歌手
マルチーニョ・ダ・ヴィラが、テレビ出演した番組を見て触発され、
自分でも曲を書くようになったといいます。

新天地を求めて91年にポルトガルに渡りますが、夢と現実のギャップは大きく、
レンガ職人の助手からレストランの皿洗いなど、さまざまな仕事を転々とした末、
00年にセンバレガエというレゲエ・バンドに拾われ、プロの歌手としてスタートします。
当時のポルトガルでは、ラスタ・ムーヴメントの「ファンカンバレガエ」がブームで、
センバレガエもそうしたバンドのひとつ。
のちにトロピカル・ルーツとバンド名を変えています。
アントニオ自身もボブ・マーリーが大好きになったそうですが、
ウルバーノ・デ・カストロの曲を歌うことも忘れてはおらず、
彼はそれを「レガエ・ネグロ」と称していました。

レガリーゼというステージ・ネームは、当時、不法移民を合法化するためのデモが
盛んに行われていて、友人たちから付けられたアダ名を気に入り、
そう名乗るようになったといいます。
03年に初のソロ・アルバムを出して、04年に帰国。
11年に出したキンブンド語で「山」を意味するタイトルのセカンド・アルバムが本作です。
なお、CDには2010年のクレジットがありますが、
じっさいのリリースは2011年だとのこと。

のっけから、あけっぴろげなレガリーゼの歌いっぷりに、胸アツ。
苦み走った声は、今日びの若手では出せない味ですねえ。
なるほど、ゴールデン・エイジのセンバを継ごうという熱い思いが、
そのヴォーカルからほとばしるのを実感させられます。

また、サウンドが嬉しいじゃないですか。全編生音重視のプロダクション。
アコーディオンの音色にディカンザが刻むリズム、
コンガのポ・ポ・ポ・ポ・ポと時折入れるアクセントは、まっこと正調センバの証し。
チャーミングな女性コーラスをフィーチャーしたり、
ズークの影響を感じさせるリズム・ギターのカッティングなど、
現代的にアップデイトされたセンバを、手を変え品を変え、楽しませてくれます。

10年前にこんな傑作が出ているのに、誰もレヴューしなければ、
ジャーナリズムも完全スルーのアンゴラのミュージック・シーン。
なんでこれほどのお宝の山をほっとくのか、気が知れないね、まったく。

Legalize "MULUNDO" LS Produções BMP033 (2010)
コメント(0) 

クラブ・ミュージックからトラップへ タッシャ・レイス

Tássia Reis  PRÓSPERA.jpg

うわぁ、スタイリッシュですねえ。
ブラジルで話題となっている、
フィメール・ラッパー、タッシャ・レイスの3作目となる新作。
聴き始めたら、もうワクワクが止まりません!

14年にデビューEP、16年にセカンドを出しているそうで、
今作で初めてタッシャを聴きましたが、キュートなラッパーじゃないですか。
ソフトな声質を生かしたスムースなフロウ使いは、
この夏ゾッコンとなったジェネイ・アイコとも親和性を感じさせ、グッときちゃいました。
ラップばかりでなく、ヒップ・ホップR&Bシンガーとしても魅力的な人です。
ローリン・ヒルやエリカ・バドゥに影響を受けたというのもナットクですね。

そして、なんといっても聴きものなのが、プロダクションです。
すぐに連想されるのが、2000年代に一大ブームを巻き起こしたトラーマ。
マックス・ジ・カストロ、ウィルソン・シモニーニャ、DJパチーフィあたりが
人気沸騰だった時代を、思い出させるじゃないですか。
ハウスやドラムンベースなどのクラブ・ミュージックをベースにした新世代MPBを
クリエイトしていたトラーマが、現代に更新されて蘇ったのを感じさせます。

更新されたのは、クラブ・ミュージックからトラップへと変化したビート・センスでしょう。
‘Dollar Euro’ のビートメイキングが、それを象徴していますね。
テンポの遅いドラッギーなビートに、重厚なベース・ラインが絡むトラックの上で、
タッシャが高いスキルを示すラップを聞かせるトラックですけれど、
バックでゆったりと鳴る金属的な響きが、まるでガムランのようで、
トーパティ・エスノミッションのメンバーに聞かせたくなりますねえ。

トラーマのアーティストたちがクラブ・ミュージックをベースにしていたように、
タッシャの世代がトラップをベースとするのは、
進化し続けるヒップ・ホップの流行を反映した、当然の帰結。
その一方、タイトル・トラックの‘Próspera’ では、
レイ・チャールズのような60年代ソウルから、
プリンスやディアンジェロまでが、シームレスに繋がっているのを感じさせ、圧巻です。

さらに、ジャズのセンスがあるのも、タッシャの強みですね。
デビュー・シングルは‘Rapjazz’ というタイトルだったそうですけれど、
ジャジー・ヒップ・ホップの‘Try’ のスキャットを組み合わせたフロウなど、実に鮮やか。
‘Ansiejazz’ では、ネオ・ソウルとミックスした、
いかにもイマドキなジャジー・ヒップ・ホップを聞かせます。

そうしたヒップ・ホップ世代にも、サンバが底層にあるのは、やはりブラジル人ゆえ。
クララ・ヌネスやパウリーニョ・ダ・ヴィオラからの影響を言うとおり、
‘Amora’ ではカヴァキーニョやパンデイロのリズムにのせて、
さらりとサンバをやるパートも交えて、サンバ・ソウルを歌います。
歌ごころ溢れるセンスは、トラーマ世代から変わらない、
ブラジル産ヒップ・ホップの良さであり、強みですね。

Tássia Reis "PRÓSPERA" MCK MCKPAC0349 (2019)
コメント(2) 

世界に知られるべきギネア=ビサウの才媛 カリナ・ゴメス

Karyna Gomes.jpg

わぁ、やっと見つかりました。
ギネア=ビサウの新進女性シンガー・ソングライター、カリナ・ゴメスのデビュー作。
エネイダ・マルタの新作でカリナの曲が起用され、その時にちょっと話題にした人です。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-01-10

カリナ・ゴメスはギネア=ビサウ独立2年後の76年、
ギネア=ビサウ人の父とカーボ・ヴェルデ人の母のもと、ビサウに生まれました。
ビサウには大学がなく、大学教育を受けるため、奨学金を得てブラジルへと渡ったんですね。
ブラジルで5年間滞在する間に、サン・パウロの教会でクワイアに参加したことが、
音楽の道に足を踏み入れるきっかけとなったそうです。

大学ではジャーナリズムを学び、学位取得後、07年にギネア=ビサウへ帰国すると、
AP通信の特派員、ラジオ局員、ユニセフの報道官などを経験したとのこと。
その一方、レストランで歌うなど、音楽活動も並行していたようで、
ギネア=ビサウの歴史的な名門バンド、スーパー・ママ・ジョンボの元バンドリーダー、
アドリアーノ・ゴメス・フェレイラに誘われて
スーパー・ママ・ジョンボに加入したのを機に、本格的なプロ活動に転じたようです。

そして、14年にリスボンでレコーディングしたデビュー作が本作。
冒頭、サルサ・タッチのアレンジの‘Baluris Torkiadu’ から、ウナりましたよ。
イナセなアコーディオンをフィーチャーした生演奏主体のプロダクションにのせた、
カリナの柔らかく穏やかな歌いぶりが、もう絶妙。
ウチコミを排したプロダクションはデリケイトの極致で、
この演奏のアーバンな洗練度合いは、リシャール・ボナ級でしょう。

3曲目のグンベーなんて、現代アフロ・ポップ最高のクオリティじゃないですか。
プロデュース、アレンジは、鍵盤奏者のパウロ・ボルジェス。
ギネア=ビサウの才人マネーカス・コスタもギター、ベースで参加しています。
極上のハワイ音楽を聴いているかのような‘Mindjer I Mamê’ や、
コラの美しい音色を生かした‘Mindjer di Balur’ など、珠玉の仕上がりと言いたいですね。
デビュー当初のロキア・トラオレを思わす知性と、
アフリカ新世代のみずみずしさをあわせ持った才能が生み出す、
インティメイトな親しみある音楽の質感に、感じ入りました。

前半はカリナの自作曲が続きますが、中盤から名門バンド、
スーパー・ママ・ジョンボのオリジナル・メンバーのゼー・マネール・フォルテスの曲や、
カリナを見出したアドリアーノ・ゴメス・フェレイラの曲に、
70年代のギネア=ビサウを代表するバンド、コビアナ・ジャズの創立者
ジョゼー・カルロス・シュヴァルツの曲が登場します。
それらの曲のなかには、詩人のエミリオ・リマや、
コビアナ・ジャズのメンバー、エルネスト・ダボーがゲスト参加しています。

終盤の聴きどころは、
ギネア=ビサウの伝統的なマンジュアンダディを歌った‘Nha Cunhada’。
マンジュアンダディはギネア=ビサウの女性たちが伝承してきた音楽で、
女性たちによる伝統的な互助グループを指す名前でもあります。

ギネア=ビサウのポピュラー音楽第一世代から引き継いだ音楽性と
レパートリーを活用しながら、ギネア=ビサウ女性のアイデンティティを発揮しつつ、
現代的な感性を生かした本作、デビュー作にして見事な傑作です。

惜しむらくというより、遺憾千万なのは、
インターナショナルなマーケットにまったく流通していないこと。
ゲット!レコーズのカタログには、
グローバルに知られるべき素晴らしい作品が並んでいるのに、
これが知られずに埋もれているのは、腹立たしい限りです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-01-29
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-01-18

Karyna Gomes "MINDJER" Get!Records GET00002/14 (2014)
コメント(1) 

アナログ・オンリーのCD入手法 ダミリ

Damily Early Years.jpg

ここ最近、アフリカ方面のリイシューは、
アナログのみリリースというカタログが、全世界的に増えていますね。
プラネット・イルンガ(ベルギー)、アフリカ・セヴン(UK/フランス)、
アフロ・7(フィンランド)、ミシシッピ(アメリカ)あたりは、
CD制作などハナから眼中になく、
他のレーベルも、売上が期待できそうなカタログだけCDを出すといった、
腰の引けたリリース状況となっています。
デジタル>アナログ>CDといった図式でしょうか。

もはや絶滅危惧種ともいえる存在のCDファンですけれど、
フィジカルを求める音楽ファンじたいが、
昔でいう骨董や盆栽あたりの道楽と変わらない、趣味人の世界と化した現在なので、
いまだCDにこだわり続ける自分が、いかに偏屈マニアかは、重々自覚しておりますよ。

というわけで、変人上等なワタクシは、アナログ・オンリーのアルバムを、
プロモCDで入手するという奇策に出ているのであります。どうだ、まいったか(笑)。
ちょっと前にはクラムド・ディスクから出た、『キンシャサ 1978』のアナログと
CDの変則2枚組のアナログの方をプロモCDで入手したし、
最近は、ナイジェリア人トランペッター、エトゥク・ウボンのナイト・ドリーマーから出た
“AFRICA TODAY” もプロモCDで入手したもんね。
しかもこのプロモCDには、LP未収録の1曲も追加されているんでした。いーでしょ。

マニア自慢はイヤらしいので、このぐらいにして。
今回入手したのは、スイスのボンゴ・ジョーからアナログ・リリースのみで出た、
ダミリのプロモCD。マダガスカルはツァピキのシンガー/ギタリストですね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-09-03
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2011-06-28
ダミリが世界デビューする以前の95年から02年まで、
地元で出していたカセットから編集したアーカイヴ集です。

プロモCDといっても、ペーパー・スリーヴのジャケットは市販されているものと遜色なく、
ディスクもCD-Rでなくファクトリー製のちゃんとしたものです。
アナログに添付されている8ページのブックレットはありませんけれど、
ボンゴ・ジョーのバンドキャンプのページに、
そのテキストが載っているので、ノー・プロブレムです。
あれ? でも、そういえば、ついこの前ボンゴ・ジョーが正規CDで出した
ペドロ・リマの“MAGUIDALA” は、CD-Rだったよなあ。どゆこと?

さて、ダミリの中身は、整った録音環境で世界向けに制作されたアルバムと違い、
オンボロ設備(たぶん)でレコーディングしたのであろう、地元産ローファイ・ミックス。
これをまたヨーロッパでアナログにして売り出すというのも、
なんだか倒錯シュミのようにも思えるんですけれどねえ。

サブスクで音楽を楽しむ良い子のみなさんは、
コレクター気質をこじらせたメンドくさいオヤジの戯言などは相手にせず、
モノに振り回されないで音楽を聴く、音楽ファンの本懐をまっとうしてください。

Damily "EARLY YEARS: MADAGASCAR CASSETTE ARCHIVES" Bongo Joe BJR049 (2020)
コメント(2) 

パリのアマリア・ロドリゲス

Amalia em Paris  Box.jpg   Amalia Paris Box.jpg

ああ、またも買っちゃいました。
ボックスものはできるだけ買わないようにしているんですけれど、
アマリア・ロドリゲスじゃ、しょうがないよねえ。

と、自分に言い訳して買った、アマリア・ロドリゲス生誕100周年記念の5CDボックス。
ボックスはスキャンするのが難しいため、画像はネットから拾ってきました。すみません。
生誕記念にかこつけて、過去の音源を適当に編集したようなものでないことは、保証付。
さすがアマリアのレコード会社であったヴァレンティン・デ・カルヴァーリョが
手がけただけあって、長年のアマリア・ファンを満足させる内容となっています。

『パリのアマリア』と題されている通り、パリはアマリア・ロドリゲスが
56年に世界に向けてはばたいた、ゆかりの深い地。
そのパリで50~70年代に録音した音源を編集したボックスなんですね。
1枚目はあの名盤『オランピアのアマリア』のストレート・リイシュー。
『パリのアマリア』と題したボックスで、これがなければはじまらないので仕方ないけど、
ファンならさまざまなエディションで、もう何枚も所有しているCDですよね。

で、注目は2枚目以降。
ディスク2は、62年のアルハンブラ、ABC劇場、64年のメゾン・ド・ラ・チミー、
65年のボビーノ劇場のライヴ録音に、57年と64年のにラジオ局で録音した
スタジオ・ライヴを編集したもの。ディスク3は、67年のオランピアでのライヴで、
ディスク4・5は、75年のオランピアでのライヴを収録しています。

パリのライヴ録音といえば、ボビーノ劇場でのライヴ“PARIS 1960” が、
かつて“BOBINO 1960” としてCD化されましたけれど
(2年前にセヴン・ミューズから“LIVE IN PARIS” のタイトルで4度目のCD化)、
今回のボックスには、これは収録されていません。

あらためて、56年のオランピア・ライヴから通して聴いてみると、
ポルトガルを代表する歌手から、世界の大歌手へと飛躍するさまが、
手に取るようにわかります。
気難しいパリの聴衆を前に、緊張感溢れる56年のオランピアのライヴと、
世界が認める大歌手になりおおせた、75年の堂々たる歌いっぷりの違い。
アマリアが円熟していく過程が、じっくりと楽しめる構成になっていますね。

貴重な写真が満載の100ページ弱のブックレットは、
まだパラパラとめくっただけで、ノローニャのボックスの時のように
英訳したりはしてませんが、いずれ時間ができたら、ね(しそうにないな、じぶん)。
それより、ぼくの大好きな曲が並ぶディスク2を、しばらく愛聴することになりそう。

毎度のことですけれど、流通が悪いポルトガル盤、
売り切り御免の商品だろうから、ファンは逡巡などしてるヒマはありません。
さっさと買ってしまいましょう。

Amália Rodrigues "AMÁLIA EM PARIS" Edições Valentim De Carvalho SPA0910-2
コメント(0) 

スコットランド伝統歌の旨味 フィンドレイ・ネイピア&ジリアン・フレイム

Findlay Napier & Gillian Frame with Mike Vass  THE LEDGER.jpg

ジェイムズ・テイラーを思わす
フィンドレイ・ネイピアの柔らかな歌声に惹かれました。
相方を務めるジリアン・フレイムの気品のあるシンギングとの相性も理想的。
テナー・ギター、フィドル、オルゴールを弾く
マルチ奏者のマイク・ヴァスがプロデュースを務め、
ベースとパーカッションが控えめにサポートしたこのアルバムは、
スコットランド伝統歌の旨味をたっぷりとたたえた、極上の内容に仕上がりましたね。

民俗学者ノーマン・ブッチャンが、50年代後半から60年代初めにかけ、
新聞スコッツマン紙にスコットランドの伝統音楽の記事を毎週掲載していたのを、
フィンドレイ・ネイピアのお祖父さんが、切り抜いてスクラップしていたのだそう。
アルバム・タイトルとジャケットに示されているとおり、
そのノートが本作制作の発端となってします。
60曲以上スクラップされていた記事の中から10曲が選ばれ、
ノートに張られた歌詞や楽譜に解説が、ブックレットに転載されています。

民俗学者ノーマン・ブッチャンによるこの新聞記事は、のちにまとめられて、
“101 Scottish Folks Songs - The Wee Red Book” として出版され、
スコットランド伝統歌集の名著となります。
オープニングの‘Bonnie George Campbell’ は、
チャイルド210番として知られる名バラッド。
ニック・ジョーンズやジューン・テイバーの英訳ヴァージョンで聞いていましたけれど、
本来のスコティッシュ・ゲール語で歌われているのを聴くのは、初めてかな。

‘Twa Recruitin' Segeants’ の後半でちらりと出てくる軍用ドラムなど、
音楽面のアイディアがストーリーテラーの歌い手をサポートしていて、
歌詞を解さずに聴いている外国人にも、音楽のイマジネーションを広げてくれますね。
フィンドレイとジリアンの軽やかなハーモニーが、
優美な伝統歌に現代性をもたらした傑作です。

Findlay Napier & Gillian Frame with Mike Vass "THE LEDGER" Cherry Groove CHERRY008 (2020)
コメント(0) 

捕鯨航海を歌う アイリス・ケネディ

Éilís Kennedy  SO ENDS THIS DAY.jpg

アイルランド、西ケリー、ディングル半島出身のフォーク・シンガー、
アイリス・ケネディの4年ぶりの新作。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-04-25
アイリスは、マサチューセッツのニュー・ベッドフォード捕鯨博物館を訪れて、
19世紀の捕鯨航海の航海日誌や手紙を読みこみ、
そこから着想を得て作曲したという5曲が収録されています。

アイリスが01年のデビュー作“TIME TO SAIL” から、
一貫して海に生きる人々の歌を歌ってきたのは、
両親の仕事を継承したものだということを、今回初めて知りました。
船乗りにまつわる唄といってもシー・シャンティではないんですね。
今作では、1800年代の捕鯨の時代にさかのぼり、
漁師たちや陸に残された女房たちの悲喜を歌にしています。

捕鯨船員の歌のほかにも、投獄されたフェニアンの救出劇や北極圏の探検家たちなど、
海の冒険物語を丹念に掘り起こして歌うアイリスの歌声は、
感情を押し殺すようなシンギングで通していて、凛としたすがすがしさに胸を打たれます。
鯨を捕るためにバフィンズ湾へと船出した、フランクリンと勇敢な乗組員の物語
‘Lord Franklin’ をタイトルを変えて歌った‘Franklin's Crew’ は、その白眉でしょう。
ラストの無伴奏で歌った‘Row On, Row On’ の静謐な歌いぶりも、胸にしみます。

本作のプロデューサーに、ジェリー・オバーンを起用したのは大正解でしたね。
多くの歌手の伴奏を務めてきた名ギタリストのジェリー・オバーンですけれど、
6弦・12弦・テナー・ギター、ティプレなど各種弦楽器をオーヴァーダブした
繊細で透明感のあるサウンドは、アイリスの音楽性とベスト・マッチングです。

Éilís Kennedy "SO ENDS THIS DAY" Éilís Kennedy no number (2020)
コメント(0) 

ライヴ・セッションで本領発揮 バンバ・ワスル・グルーヴ

Bamba Wassoulou Groove  DANKÉLÉ.jpg

おぅ! バンバ・ワスル・グルーヴの新作も昨年出てたのか!
ザ・ガリフーナ・コレクティヴといい、なんか最近ワールド関係の流通事情、悪くない?
バイヤーが買い付けないばかりか、情報もちっとも伝わってこなくて、
見逃し案件がほかにもあるんじゃないかと、疑心暗鬼になりますねえ。

バンバ・ワスル・グルーヴは、バンバラ人ギタリストのザニ・ジャバテとともに
シュペール・ジャタ・バンドを結成したパーカッショニストのバンバ・デンベレが、
ザニが11年に亡くなった後、13年に新たに結成したバンド。
15年のデビュー作はここでも取り上げましたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-05-10
その後、18年にバンバが亡くなっていたとは知りませんでした。

リーダーを失うも、バンバ不在となった6人編成で、
ドラマーのマゲット・ジョップがリーダーを引き継ぎ、
ワールド・ツアーを敢行したんですね。
すべてのツアー・スケジュールを終え、最終地のフランスでライヴ・セッションを行い、
レコーディングされたのが本作です。
ボスの貫禄たっぷりな故バンバ・デンベレのポートレイトを、
どーんと飾ったジャケットがいいじゃないですか。

ツアーを消化したことで、鍛え抜かれたバンド・サウンドが弾けまくっています。
デビュー作とは比べ物にならないエネルギー量が放出されていますよ。
デビュー作では、ジャム・バンド的な展開もみせた曲もありましたけれど、
今作は冗長なパートがまったくなく、
きっちりアレンジされたバンド・サウンドを聞かせます。

3台のギター・アンサンブルも見事です。
ソロをとるリード・ギターに、ひたすら単音の反復フレーズを弾くギター、
コード・カッティングするリズム・ギターが当意即妙に反応しあいながら、
その合間に強烈なアクセントを叩きこんでくる、ドラマーのスネア使いも聴きどころ。
前作ではボトムの厚みに欠けるリズム・セクションが少し不満だったんですが、
今作でまったく気にならなくなったのは、スピード感が違うからでしょう。
バンバラらしいペンタトニックの曲によく映える、ウスマン・ジャキテの歌いっぷりも
申し分なく、ライヴ・バンドの本領を発揮した快作に仕上がっています。

ちなみに前作の記事で、グループ名のワスルの由縁を不明と書きましたが、
メンバーがワスルとシカソ地域のガナドゥグー出身ということで、命名されたそうです。

Bamba Wassoulou Groove "DANKÉLÉ" Lusafrica 862012 (2019)
コメント(0) 

スピリチュアルに昇華したR&B ケム

Kem Love Always Win.jpg

はぁ~、もうタメ息しか出ませんね。
絶望を知った人のみが生み出せる深いロマンティシズムに、圧倒されます。
ケムの音楽世界に、「メロウ」なんてチンプな形容詞をあてるのをためらうのは、
深い闇を超えて浄化された魂が、神へ救いを求める精神の昇華を、
仰ぎ見るような気にさせられるからでしょうか。

オープニングの‘Not Before You’ のプロダクションからして、
オーセンティックなR&Bのフォーマットを逸脱しています。
静謐で音数の少ないサウンド・スペースに、スティール・ギターがたゆたう響きを
奏でるのを最初に聴いた時は、背中がゾクリとしました。
意外なアクースティックな弦の響きに身震いしたのは、
カサンドラ・ウィルソンの”BLUE LIGHT 'TIL DAWN” (93) 以来かも。

今回はロン・オーティスがドラムスを叩いていないんですね。
生ドラムスのトラックはなく、すべて打ち込みとなったのは、
バンドによるセッションができない現下の情勢のせいでしょうか。
長年の相棒レックス・ライドアウトの名もなく、今回のパートナーはデレク・アレン。
キース・スウェットとの仕事で知られる人ですけれど、
ここでは完全にケムの世界に合わせ、シンプルなアレンジで、
最小限の音数に絞ったプロダクションを構築しています。
ゆいいつの例外は、ブライアン・カルバートソンの流麗なピアノ・ソロを
フィーチャーした‘Lonely’ かな。

‘Live Out Your Love’ の歌い出しに、
マーヴィン・ゲイの‘I Want You’ を思い起こさずにはおれません。
どんなに求めても愛を得ることのできない絶望を歌ったあの名曲に対して、
この曲では、愛をもう一度信じることに希望を見いだした、ほのかな明るさがあって、
胸がジンとなってしまいました。
この‘Live Out Your Love’ は、トニ・ブラクストンとデュエットしたヴァージョンも
収録されていて、トニが柔らかな表情を見せているのにも、心が温かくなりました。

なんせトニの前作は、血が滲んで目をそむけたくなるような傷口を、
むき出しにしたようなアルバムでしたからね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-04-26
ケムの新作と同時にトニ・ブラクストンの新作も出ましたが、
傷が癒えて、明るさを取り戻したトニの歌声に、ホッとしましたよ。

クワイアをフィーチャーしたタイトル・トラックと、
コンテンポラリー・ゴスペルのエリカ・キャンベルとデュエットしたヴァージョンも、
COVID-19禍のアメリカ社会のいま、まさに求められた祈りの曲といえるのでしょう。
ケムは、スピリチュアルに昇華したR&Bを体現しています。

Kem "LOVE ALWAYS WINS" Motown B003265002 (2020)
コメント(2) 

ラ・ラの生きる伝説 ゴールドマン・ティボドー&ロウテル・プレイボーイズ

Goldman Thibodeaux & The Lawtell Playboys.jpg

ロウテル・プレイボーイズが今も活動している!
うわー、それは知らなかったなあ。
ぼくのなかでは、完全に伝説のグループだったもんで、申し訳ありません。
46年にベベとエラステのキャリエール兄弟によって結成されたロウテル・プレイボーイズ。
ルイジニア深南部で20~30年代に育まれたクレオール音楽ラ・ラを継承するグループです。

初代アコーディオン奏者のエラステが高齢となって引退し、
デルトン・ブラッサードに交代した時代のロウテル・プレイボーイズは、
以前ここでも取り上げたことがあります。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2012-11-21

現在は、デルトン・ブラッサードからゴールドマン・ティボドーに交代して、
活動はずっと続いていたんですねえ。
そのゴールドマン・ティボドーもすでに87歳だそうで、
ラ・ラを演奏する最後の音楽家の一人といえます。
このアルバムは、昨年11月にルイジアナのマレットの教会で開かれた
「ティボドー・ファミリー・リユニオン」で録音されたライヴ録音です。

このライヴには、ティボドー一家に親戚縁者、
ロウテル・プレイボーイズの歴代メンバーやその関係者、
総勢数百名が教会のホールに一堂に集まったのだそうで、
一般公開のコンサートではなく、内輪のイヴェントだったんでしょうか。
以前取り上げたジョーダン・ティボドーもいたのかな?
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-09-01

家族や仲間に囲まれて、お爺ちゃんは元気イッパイ!
フィドルを弾くのは、なんと、ロスト・バイユー・ランブラーズのルイ・ミショーです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-11-27
1曲目が終わるとゴールドマンは、食事の準備ができたので、
各自料理を取りに行くようにと促したりしていて、もうすごくいいムード。
オーセンティックなツー・ステップのあとに、クリフトン・シェニエの‘Lucille’ や、
伝説のケイジャン・フィドラー、ハリー・チョーツの‘Pauvre Hobo’ のほか、
イリ・ルジューンの‘J’étais Au Bal’と、クリフトン・シェニエの
‘Zydeco Sont Pas Salé’ をメドレーでやったりしています。

最後の曲が終わると、MCの女性が観客たちに向かって、
ドローンで記念写真を撮るので、全員外に出るようにとアナウンスしていて、
ジャケット内に教会の庭に全員が集まった記念写真が映っています。
ケイジャン音楽がルイジナアの人々の間にしっかり根付いて、
今も生き続けているのをまさに捉えた、ティボドー一族の写真というわけですね。

なんでもゴールドマン率いるロウテル・プレイボーイズは、
ここ20年近くずっとニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテージ・フェスティバルの常連で、
今年も出演を要請されていたんだそうです。
ところが、COVID-19のパンデミックで中止となってしまい、
ファンたちを勇気づけるためにこのライヴ盤を出すことを決めたとのこと。
そんなことがなければ、ロウテル・プレイボーイズの活動に
気付くこともなかったので、願ってもない贈り物です。

Goldman Thibodeaux & The Lawtell Playboys "LA DANSE À ST. ANN’S" Nouveau Electric NER1011 (2020)
コメント(1) 

マレイ・ポップ最高の歌姫の円熟  シティ・ヌールハリザ

Dato’ Siti Nurhaliza  MANIFESTA SITI 2020.jpg

わお! 今度のシティの新作はいいぞ。
ユニヴァーサル移籍後のスタジオ作では、これ、最高作じゃないかな。
マレイシアのトップ・スターにして貴族に嫁ぎ、
まごうことなきセレブとなったシティ・ヌールハリザ。

スリア時代の最後の頃には、伝統歌謡とポップスの垣根を溶解させて、
マレイ・ポップの最高峰を聞かせてくれたシティでしたけれど、
ユニヴァーサルに移籍してからは、妙にコマーシャルな色気が漂う、
EDMに寄せたサウンドで歌わせたりして、
制作陣はいったいシティをどうするつもりなのかと、いぶかっていました。

3年前の前作から、無理なプロダクションが後退し、
シティの個性を生かす軌道修正がみられるようになりましたけれど、
今作でスリア時代末期のコンセプトへと完全に戻し、
より高みを目指したことがうかがわれます。

ドラマのサウンドトラックに使われたシングル曲や、
娘のために書いたシティのパーソナルな曲に、
マレイ・ポップの名歌手スディルマンの曲など、
さまざまな思いが込められたレパートリー11曲が厳選され、
1曲1曲しっかりと制作されているのが、伝わってくるじゃないですか。
古い伝統歌謡に新たな息吹を与えるとともに、
マレイシア王道のポップスと同居して歌い、
両者を違和感なく現代のポップスとして聞かせてくれます。

プロダクションさえ決まれば、
東アジア最高の歌唱力を誇るシティの歌に、向かう敵なし。
声質の使い分けも、シャープに響かせるかと思えば、
まろやかに大きく膨らませたりと自由自在。
そして、抑制の利いたこぶしを織り交ぜて聞かせるところも、シティの鉄板ですね。

ドラマティックなバラードを、押しつけがましくなく、
これほどストロングに歌えるのは、この人だけでしょう。
セクシーなタンゴという新機軸にも、ちょっとした驚きがありましたけれど、
シティだってもう不惑の年を越えているんですもんねえ。
ムラーユとヒップ・ホップのビートをシームレスにつないで、
ラッパーをフィーチャーした仕事ぶりにも脱帽です。

パッケージのジャケットも、これまでスタジオのフォト・ショットだったのが、
屋外でのショットとなっているところも、
解放感を求めるシティの自由な気分が伝わってくるようです。

Dato’ Siti Nurhaliza "MANIFESTA SITI 2020" Siti Nurhaliza Productions/Universal 0740935 (2020)
コメント(0) 

グアドループのジャジー・伝統ポップ エドモニー・クラテール

Edmony Krater  J’AI TRAVERSÉ LA MER.jpg

グアドループのエドモニー・クラテールの新作が届きました。
前作“AN KA SONJÉ” からドラムス、ピアノが交替し、パーカッションも一人抜けて、
グウォ・カのリズムをリードするのは、カの名手ロジェ・ラスパイユ一人に任されています。
グウォ・カをベースとするクレオール・ジャズという方向性は変わりませんけれど、
鍵盤奏者が交替した影響で、前作とはサウンドがかなり変化しましたね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-07-26

ひとことでいうと、昔懐かしいズーク・サウンドに変貌しました。
80年代後半から90年代前半にかけて活躍したシンセサイザーを使っているようで、
耳馴染みのある音色が懐かしく聞こえます。
レユニオン出身のベーシスト以外、全員グウォ・カをルーツとする
グアドループ出身のミュージシャンのようです。

ズーク全盛の90年前後の時代は、どちらかというとマルチニーク出身のミュージシャンが、
シュヴァル・ブワやマズルカなどの伝統音楽をモダン化する試みが目立っていましたけれど、
ここ最近はグアドループ出身のミュージシャンの活躍が目立つようになってきましたね。

本作では全曲エドモニーが歌っているので、
フレンチ・カリビアン・ジャズのアルバムというより、
クレオール・ポップのアルバムといった仕上がりとなっています。
それでもサウンド・デザインがフュージョン調にならず、
ジャズの手ごたえがあるところが、エドモニーの面目躍如でしょうか。
ボーナス扱いのラスト・トラックのみ、レゲエ。かなりポップです。

Edmony Krater "J’AI TRAVERSÉ LA MER" Heavenly Sweetness HS206CD (2020)
コメント(0) 

ガリフーナの過去を未来につなぐ情熱 ザ・ガリフーナ・コレクティヴ

The Garifuna Collective  ABAN.jpg   The Garifuna Collective  AYÓ.jpg

あれ? 去年新作が出ていたの!
これまでイヴァン・ドゥランが制作したガリフーナ音楽のアルバムは、
日本にも配給されていたのに、このザ・ガリフーナ・コレクティヴの新作は
日本盤が出なかったので、リリースされているのを気付きませんでしたよ。

13年に出た前作は、タイトルの“AYÓ”(ガリフーナ語で「さよなら」の意)が示すとおり、
亡きアンディ・パラシーオにオマージュを捧げた作品でしたね。
アンディのバックを務めていたメンバーたちにとって、
08年にアンディを失ったショックはあまりに大きく、
活動を再開するまで時間がかかりましたが、“AYÓ” はアンディの遺志を継いで
ガリフーナ音楽を一歩前に進めた、素晴らしいアルバムでした。

あれから6年。長いインターヴァルを経て出された新作“ABAN” は、
ガリフーナ語で「ひとつ」を意味するタイトルが付けられています。
ガリフーナの伝統的なリズムとメロディと、
現代的なカリブのサウンドを「ひとつ」にしようという意図なのでしょうか。
今作はダブやレゲトンの影響をうかがわせるところが新味で、
ガリフーナの太鼓やパランダのギターに、
エレクトロなトリートメントをうっすらと行ったり、
遠くで鶏が鳴くフィールドの音などを、聞こえるか聞こえないかのレヴェルで施しています。

印象的なのは、その慎重な手さばきで、エレクトロがガリフーナのサウンドを
覆いすぎることのないよう、神経を配っている様子がよくわかります。
かつてのプンタ・ロックのような、
粗っぽいトロピカル・サウンドのテクスチャーとは対極の、
きわめてデリケイトな処理で、控えめなプロダクションのセンスと同時に、
レゲエやクラーベなどのリズム処理の上手さに、
イヴァン・ドゥランの手腕が光っていますね。

かつて、アウレリオ・マルティネスのアルバムから、
グアヨ・セデーニョのサーフ・ロック・ギターを排除していることに
批判の目を向けたことがありましたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-03-14
グアヨのサーフ・ロックやブルースのスタイルを借りたギターを
効果的に使っているのを聞くと、この控えめなやりすぎない使い方が、
イヴァンのアプローチであることを納得しました。

The Garifuna Women’s Project  UMALALI.jpg

女性たちが伝えてきたガリフーナ民謡を発掘したプロジェクト「ウマラリ」の録音から
サンプリングした3曲もハイライトといえますけれど、
ガリフーナの伝説的英雄を歌ったラスト・トラックが感動的です。

1795年、セント・ビンセント島でイギリス軍に反乱を起こした
ガリフーナの酋長ジョセフ・サトゥエを歌った‘Chatuye’ は、
ガリフーナ・ドラムのプリメロとセグンダがガリフーナのリズムを奏で、
コーラスがイギリス植民地政府に抵抗したガリフーナの英雄の名前を連呼します。
エンディングでは、ホンジュラスの海岸でガリフーナ・ドラムを叩く
アウレリオ・マルティネスとオナン・カスティージョのサンプリングで
フェイド・アウトします。

タイトルの『ひとつ』とは、ガリフーナの過去と未来をつなげようとする、
コレクティヴのメンバーたちの情熱を表しているのでしょう。

The Garifuna Collective "ABAN" Stonetree ST3036 (2019)
The Garifuna Collective "AYÓ" Cumbancha CMB-CD27 (2013)
The Garifuna Women’s Project "UMALALI" Cumbancha CMB-CD6 (2008)
コメント(0) 

ワスルへ還る声 ウム・サンガレ

Oumou Sangaré  ACOUSTIC.jpg

世界的な成功を果たしたマリを代表するシンガー、ウム・サンガレの新作は、
ポンコツだった前作“MOGOYA” のリヴェンジ・アルバム。
なーんて書いたら、ご本人に叱られますかねえ。
17年に出た“MOGOYA” 全曲をアクースティック・スタイルで再録音し、
さらに91年のインターナショナル・デビュー作“MOUSSOLOU” で歌った
‘Diaraby Nene’ と、93年の名作“KO SIRA” で歌った‘Saa Magni’ の2曲を
再演して、追加したのが今作。

前作は、余計な音を重ねすぎているばかりでなく、
リヴァーヴを利かせすぎた女性コーラスなど、音処理にも首をひねるところが
あっちこちにあって、大不満だったんですよねえ。
シンセサイザーやエレクトリック・ギターの音が大きすぎて、
主役のウムのヴォーカルが引っ込んでいるバランスの悪いトラックもあったりして、
エンジニアリングのダメっぷりに、怒り心頭でした。

おそらくウムも、前作の出来に満足してはいなかったんでしょう。
こんなアンプラグド・ヴァージョンを制作するくらいなんだから。
今回はカマレ・ンゴニ、ギター、二人の女性コーラスに、
曲によりオルガンとチェレスタを弾き分ける仏人が加わるだけの
シンプルな完全アクースティック編成で歌っています。

スカしたリミックスを施していた、前作のタイトル・トラック‘Mogoya’ も見違えましたよ。
ギンバ・クヤテの流麗なアクースティック・ギターにのって、
ナチュラルな女性コーラスとともに歌うウムの抑えた歌唱が、
静かな力強さを伝えています。
初期の曲‘Diaraby Nene’ ‘Saa Magni’ を再演したのも、
ウムの原点であるワスルへ回帰しようという意気を感じます。
なにより前作とは比べものにならない、ウムの気合の入った歌いっぷりに、
それがよく表れているじゃないですか。

Oumou Sangaré "ACOUSTIC" No Format! NOF47 (2020)
コメント(0) 

平成生まれのポップ体質と作品主義 ヨルシカ

ヨルシカ 盗作.jpg

藤井風と一緒に買ったこちらも、試聴していてブッとんだアルバム。
平成生まれ世代が、日本の音楽を更新していることを、
まざまざと実感させてくれる作品でした。

ヨルシカというのは、n-buna(ナブナ)という作編曲家と、
suis(スイ)という女性ヴォーカリストによる男女ユニット。
当人たちは「バンド」を称しているんだそうですけど、
二人でバンドというのはピンときませんね。ユニットじゃいけないのかな。
水曜日のカンパネラみたいなプロジェクトですね。

このアルバムは、音楽の盗作をする男というテーマの物語となっていて、
初回盤にはこの物語の「小説」が付いているんだそう。
文学はぼくの興味とするところではないので、小説なしの通常盤を買いましたが、
ぼくには彼らの音楽性だけで、十分ヨルシカに惹かれました。

冒頭ベートーヴェンの「月光」がさらっと顔を出して、
そこからいきなりキザイア・ジョーンズばりの、
アクースティック・ギターをスラップでかき鳴らすファンク・チューンが
飛び出すという展開で、もう完全に引き込まれました。
複数のギターをオーヴァー・ダブして、
立体的なギター・サウンドをかたどったプロダクションがカッコイイですねえ。

平成生まれの音楽家にシンパシーが持てるのは、音楽を幅広く聴いていること。
自分の夢中になったジャンルの音楽を深掘りもしているから、
血肉化した音楽から参照して、自分の音楽をクリエイトする筋力が
しっかりと備わっています。

楽曲の作りも巧みで、メロディを大きく動かして盛り上がりを作るのがうまい。
題材がダークで作品主義な曲が並んでいながら、頭でっかちな印象を与えないのは、
高揚感に満ちたメロディゆえですね。

無差別殺人をしでかす犯罪者心理の自己不全感を描いた「思想犯」など、
歌詞の説明的なコトバがやたらと耳に刺さってくるのがウットウしいんだけど、
suis の切れた歌いっぷりに、音楽的快楽が得られます。

冒頭の「月光」といい、サティの「ジムノペディ」が引用されるインスト・チューンを
途中に挟むのも粋な構成で、どんなリファレンスをしようが気負いがないから、
スノッブ臭が漂わないところも、いいよなあ。
平成生まれらしいポップ体質が溢れ出ていて、お爺世代にはまぶしいよ。

ヨルシカ 「盗作」 ユニバーサル UPCH2209 (2020)
コメント(3) 

無頼な天才シンガー・ソングライター登場 藤井風

藤井風  HELP EVER HURT NEVER.jpg

とてつもない天才が、また出てきましたよ!
YouTube で注目され、いま話題沸騰中の新人シンガー・ソングライター、藤井風。
この声にヤラれない人なんているのか?と口走りたくなるほど魅力的なシンガーで、
ぼくは一聴、金縛りにあい、即、カヴァー集付き2枚組の初回限定盤を買いました。

なんといっても、藤井の声の色彩感がスゴい。
田島貴男や久保田利伸といった、さまざまな先達の声が思い浮かぶだけでなく、
誰でもない藤井自身の声を、いく通りも持っているんですね。
豊かな声色を、さまざまなタイプの楽曲に対応して繰り出してくるところは、
まるで球種の多彩なピッチャーを見るかのようです。

そしてその歌いっぷりが、また圧巻なんだな。
ソウルフルな歌声に、リズムのノリがバツグンで、キレッキレ。
R&B系のシンガーにありがちな、スカしたところがまったくなくて、実に自然体。
アフリカン・アメリカンな歌唱表現が、見事に咀嚼されていて、舌を巻きます。
おそるべし、90年代生まれ。

さらに、そこに無頼な雰囲気が漂ってくるところが、またカッコいい。
カッコつけのポーズなどではなく、この人の地金から、無頼の色気が匂い立ちます。
22歳にして、このムードが出てくるのって、ただもんじゃないよな。
それには、この人が書く歌詞の影響もありますね。
一人称は「わし」で、二人称は「あんた」。ほかにも「〇〇じゃった」など、
方言で歌う歌詞は日常感がたっぷりで、一片の気取りもない率直さがすがすがしい。

歌詞に一番マイったのは、「死ぬのがいいわ」。
「三度の飯よりあんたがいいのよ/あんたとこのままおサラバするよか/死ぬのがいいわ」
こねくるようなメロディに、コトバをぶっこんでくるビート感は圧巻です。
こんなラヴ・ソングありかよと、最初聴いた時にノック・アウトを食らい、
その生々しい愛情表現に、ドキドキしてしまいました。
めったに歌詞に頓着しないぼくですけれど、これにはヤラれましたねえ。

さらにさらに驚くべきは、ソングライティングの才能。
全曲ヒット性のあるマテリアル揃いで、
どの曲にもフックの利いたメロディが出てくるクオリティの高さには、もう脱帽です。

なにより感心したのが、天性としかいいようがない、藤井が持つコード感。
ここでこのハーモニーを使うかという、
意外性のあるコード使いが、メチャクチャ上手いんです。
特異なコード・センスで抜群の才能を発揮した人に、
ロッド・テンパートンがいましたけれど、
グルーヴィでメロウなポップ・ソングを書く才能では、
藤井はロッドと肩を並べるんじゃないですかね。

デビュー作にして、はや名盤誕生の風格あるジャケットも最高の、今年のベスト作です。

藤井風 「HELP EVER HURT NEVER」 ユニバーサル UMCK7064/5 (2020)
コメント(2) 

日本のジャズの明るい未来 渡辺翔太

渡辺翔太 FOLKY TALKIE.jpg

ん? これって、グレッチェン・パーラト?
店で流れていたスキャットが気になって、CDを見に行ったら、
なんと日本人のピアニストの作品で、びっくり。
歌っていたのはグレッチェンではなく、ものんくるのヴォーカリスト、吉田沙良。

うわー、スゴイな。
ブラインドで聴いてると、もはや演奏者が日本人かどうか、ぜんぜん判別できませんね。
ピアノをバックから猛烈にプッシュしながら、
飛翔するようなドラミングを聞かせるのは、石若駿。
重量感がありながら、軽やかなこのグルーヴ、さすがだわー。

平成生まれのジャズ・プレイヤーたちが、時代を更新していくのを実感させてくれる作品、
と言いかけたら、主役の渡辺翔太は88年生まれだそうで、ギリで昭和最後の年。
ベースの若井俊也も同じ88年生まれなんだね。
いずれにせよ、30歳前後の世代が、
日本のジャズ・シーンを変えているのは、まぎれもない事実。

渡辺翔太は、全世界で進行する新世代ジャズに並走する
日本人若手ピアニストの一人といっていいんでしょうね。
ここ十年くらい、日本人ジャズ・ピアニストは女性の独壇場でしたけれど、
ようやくその潮目が変わってきたのかな。

高速で流麗に弾きまくる場面も多いものの、
音色はマイルドで、繊細さをあわせもった渡辺のピアノはリリカルです。
ごんごん弾くハンマー・スタイルはいまや女性ピアニストの方が多いくらいで、
もはやピアノのプレイ・スタイルも、ジェンダーレスだな。

吉田沙良をフィーチャーしたトラックは、
グレッチェンを思わす器楽的なヴォイスをフィーチャーした「回想」に、
まんまシティ・ポップな「君を抱きよせて眠る時」もあり、
新世代らしくジャズとポップの垣根が見事に溶解していますよ。

若井がメロディカを吹いたり、石若がグロッケンを弾くなど、
楽曲のアレンジも、ジャズとポップを行き来する柔軟さがいいなあ。
まばゆい若さに、明るい日本のジャズの未来が見えます。

渡辺翔太 「FOLKY TALKIE」 リボーンウッド RBW0012 (2019)
コメント(0) 

ジャズ・サイドの大友良英 ONJQ

ONJQ HAT AND BEARD  2020.jpg

これ、これ、これ。これが聴きたかったんですよ。
‘Hat&Beard’ と‘Straight Up and Down’ の
大友良英・プレイズ・『アウト・トゥ・ランチ』に、思わず快哉を叫んじゃいました。
ぼくが大友良英のジャズに期待するパフォーマンスが、この2曲で繰り広げられています。

あらかじめ告白しておくと、
エリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』は、ぼくが偏愛するジャズの聖典。
その昔、このアルバムにジャズのひとつの理想郷を見つけてから、
このアルバムをクサすジャズ評論家のテキストは、読む価値無しとみなしています。

ost 大友良英 女人,四十。.jpg   Ground-Zero 革命京劇.jpg

大友良英は、民俗音楽研究の江波戸昭教授の同じゼミ生というよしみもあって、
ノイズ/音響に関心はないものの、気になる音楽家としてずっと意識をしていました。
じっさい、大友が手がけた香港映画のサウンドトラック『女人,四十』(95)や、
グラウンド・ゼロの『革命京劇』(95)は、愛聴していましたからね。

大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ OUT TO LUNCH.jpg

でも、本格的に大友に注目するようになったのは、
ONJQ(大友良英ニュー・ジャズ・クインテット)を結成して、
ドルフィーやオーネット、アイラーなどのジャズをやるようになってから。
クインテットからオーケストラへ発展したONJOが05年に発表した
『アウト・トゥ・ランチ』を丸ごとカヴァーした作品には、心底敬服したものです。

ドルフィーの音楽は唯一無比なあまりに、死後彼の音楽を継承する者は現れず、
コルトレーンやモンクのように楽理研究されることもなく、
メソッド化されないまま、放り出されていました。
そんなドルフィーに大友が真っ正面から向き合い、
ドルフィーの音楽を血肉化して演奏してみせたことは、
同世代の日本人として誇らしかったです。

ただ、正直言ってあの作品を愛聴したかと問われると、
ちょっと答えを言い淀んでしまうんですね。
Sachiko M、中村としはる、宇波拓といった音響派の音楽家たちは、
「エリック・ドルフィーのジャズ」にはジャマとしか思えませんでした。
もちろんこのアルバムは、大友がドルフィー以降のフリー、ノイズ、音響を経た地点から、
『アウト・トゥ・ランチ』をフィードバックしようという試みなのだから、
そこにジャズの影だけを追うことは間違いなことは、重々承知なんですけれど。
「ここのパート、退屈」とか「このインプロ、いらない」と思う場面があったのも、
正直な感想。

反対に、音響派のミュージシャンにとっても、
ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』でなければならない理由はそこにはなく、
単なる素材として演奏しているようにしか聞こえなかったからです。
ジャズ・ミュージシャンには思い入れのある『アウト・トゥ・ランチ』も、
音響派のミュージシャンにとってはただの楽曲にすぎず、熱量がまるで違うみたいな。

で、今回はオーケストラでなく、クインテットに戻り、
メンバーを類家心平(tp)と今込治(tb)に代えて出した新作、
大友のジャズを期待するファンには、最高の仕上がりなんです。
クインテットの初期から演奏してきたオリジナル曲の‘Flutter’ はじめ、
これまでにさまざまなスタイルでカヴァーしてきた
オーネットの‘Lonely Woman’ もやっていて、大友のジャズ観が凝縮されています。
ノイズ、音響、インプロ、フリー・ジャズ、劇伴と多方面に渡る大友の音楽性のなかで、
音響を経たジャズの快楽を求めるファンには、絶好のアルバムですよ。

大友良英ニュー・ジャズ・クインテット 「HAT AND BEARD」 F.M.N. Sound Factory FMC051 (2020)
o.s.t. music by 大友良英 「女人,四十。」 Sound Factory STK003 (1995)
Ground-Zero 「革命京劇 -REVOLUTIONARY PEKINSE OPERA-」 Trigram TR-P909 (1995)
大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ 「OUT TO LUNCH」 ダウトミュージック DMF108 (2005)
コメント(0) 

マラウィ北部のゲットー・ミュージック トンガ・ボーイズ

Tonga Boys  TIRI BWINO.jpg   Tonga Boys  VINDODO.jpg

トンガ・ボーイズも、ピョートル・チチョッキの制作だったのかあ。
今回日本に入荷したジップロック・バッグ入りのCDを見て、
ああ、あのグループかと、すぐにピンときました。

以前、マラウィ帰りの方からいただいたCDで、
同じジップロックのバッグに入ったものがあったんですけど、
棚から取り出してみれば、やっぱり同じトンガ・ボーイズ。
袋の裏を見ると、録音・ミックスにピョートル・チチョッキの名が書かれていました。

トンガ・ボーイズのバンドキャンプのページを見にいったところ、
ぼくがもらったCDは17年に出たもので、現在はダウンロード販売のみになっています。
18年の新作はジップロック・バッグ入りCDで売られていて、
それが日本にも入ってきたんですね。

トンガ・ボーイズは、マラウィ北部の都市ムズズのスラムで活動するグループで、
故郷のンカタ灣からムズズにやってきて、日に1ドルを稼ぐのがやっとの、
経済的にギリギリの生活を送っている若者グループです。
プラスチック製のバケツ、シャベル、砂利を入れた缶、
木の板に針金を張って作ったギターなど、手近なもので作られた楽器を使いながら、
シンプルなコール・アンド・レスポンスの曲を歌います。

スラムにある彼らの自宅でレコーディングされた音楽は、素朴そのもの。
曲はすべて4分の4拍子で、リズムもとりたてて複雑ではありませんが、
ツバが飛んでくるような活気溢れる歌いぶりが、聞かせるんですね。
ヒップ・ホップ世代を思わせるビート感覚に、民俗音楽とは異質の手ごたえを感じます。
グループ名が示すとおり、トンガ人の音楽伝統にスラムの生活感覚が混入した、
都市のフォークロアを照射しているのが、彼らの強みでしょう。
ピョートル・チチョッキがビートを強化した、控えめなエレクトロも効果を上げています。

そして、今回の新作は、基本的に1作目と変わらないものの、
メンバーからもっと音を追加して欲しいという要望が出たようで、
チチョッキが前作よりもエレクトロを大幅に施した曲もあります。
その一方、いっさいオーヴァーダブを避けて、彼らのコール・アンド・レスポンスのみで
仕上げたトラックもあり、チチョッキは彼らの粗野なエネルギーを減じないよう、
細心の注意を払ったことがうかがえます。

トランシーな反復によるプリミティヴな音楽に、
スラムのなまなましいリアリティをドキュメントした2作です。

Tonga Boys "TIRI BWINO" 1000HZ no number (2017)
Tonga Boys "VINDODO" 1000HZ no number (2018)
コメント(0) 
前の30件 | -