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忘れじの海外通販サイト その5 Antilles Mizik [レコード屋・CDショップ]

Caribop  WEEK-END À SAINTE-ANNE.jpg

Caribop "WEEK-END À SAINTE-ANNE" Marc Vorchin & MBM MBM004CRB1 (2008)

ブログを続けるなかで、守ってきたルールのひとつに、CDの具体的な入手先で、
一般の販売店ではない海外通販サイトは明かさない、というのがあります。

ブログ書き始めの頃の話ですけれど、
大手の輸入CDショップに並び、日本盤も出ているような入手容易なCDですら、
「どこで売っているんですか?」と質問してくる人が多いのには、閉口しました。
そんなもの検索すりゃ、すぐわかるのに、と思うものの、
自分で調べようともしない、ネット民特有の反応に、ヘキエキしたものです。

あまりに安直な質問は、心の中で ggrks とつぶやいて無視してきましたが、
熱意がきちんと伝わってくる方にも、基本的にお応えしてこなかったのは、
海外の通販サイトを紹介することは、端的に言って、
日本の輸入CDショップや輸入業者の商売のジャマとなるからですね。

ぼくが紹介する音楽は、残念ではありますけれど、
日本ではほとんどファンのいないニッチな商品ばかりなので、
記事を読んだ人がみな海外通販サイトから直接購入してしまったら、
ショップが成り立たなくなっちゃうじゃないですか。

LPの時代から、レコード屋さんから多くの事を学んできましたし、
輸入業者あればこそ、数々のレコードを手に入れられたわけです。
それらへの恩返しの気持ちもありますし、これからもショップや輸入業者に
頑張ってもらいたいからこそ、商売のジャマをするなんて、トンデモです。

だもんで、読者の方々に、ぼくが購入している海外の業者やサイトは教えないかわり、
プロのバイヤーさんやCDショップのオーナーさんには、
求められれば惜しみなく情報をお伝えしてきました。
そうしてぼくがここで紹介してきたCDの数々が、
日本のお店に並んできた実例は、みなさんの方がよくご承知でしょう。

そうしたお店が、ぼくのブログ記事をリンクするのも、持ちつ持たれつなんだから、
基本「ご勝手にどうぞ」と放置してきたため、エル・スール・レコーズの
「無断リンク陳謝&感謝!」が、いつのまにか定着してしまっているわけです。

こうした事情を、あらためて書けるようになったのは、哀しいかな、
ぼくが利用してきた海外通販サイトが軒並み閉鎖されてしまったからなんですが、
今回書くフランスのアンティルス・ミジックは、フレンチ・カリブを専門とするお店で、
フランスのワールド系CD卸商が扱っていないCDを、豊富に在庫していたお店でした。
フレンチ・カリブ以外では、フランス語圏アフリカのCDも扱っていて、
コンゴ、コート・ジヴォワール、レユニオンもので、
他の店にないアイテムをたくさん取り扱っていました。

たしか、エル・スールの原田さんにこのお店を紹介したのは、
09年4月号のミュージック・マガジン誌に記事を書いた、
カリボップがきっかけだったと記憶しています。
その記事に、「タニヤ・サン=ヴァルの新作“SOLEIL”もひさしぶりの快作というのに、
いまだ日本未入荷。輸入盤屋さん、あわせて仕入れてください。」なんて書いたもんだから、
エル・スールに問い合わせが殺到したらしく、
それで原田さんに、アンティルス・ミジックを教えたんでした。

マラヴォワのデビュー作がオリジナルのセリニからCD化された際にも、
日本ではまったく知られていないので記事にしましたけれど、
フランスのフレモオ・エ・アソシエがCD化したのが日本盤でも出たので、
エル・スールもこれは仕入れなかったみたいですね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-10-10

最近、エル・スールのサイトを見ていたら、
アンティルス・ミジックから仕入れたとわかるデッド・ストック品が、
立て続けにアップされていて、なんだか懐かしくなって、この記事を書く気になりました。
ギィ・コンケットのデブス盤やら、ネグロ・バンドのANP盤やら、
どれも1点ものだったらしく、速攻売切れになっていましたけれど、
アンティルス・ミジックから輸入したのは、日本ではエル・スール一店だけでしたね。

最後だから、そのエル・スールでも見かけたおぼえのない(=仕入れなかったと思われる)、
アンティルス・ミジックから購入したCDを並べて、この記事を終えましょう。
誰かさんが、「初めて見た!」だの「見たことない!」だのと、騒ぎそうですけど(笑)。


Loulou Boislaville et Le Groupe Folklorique Martiniquais.jpgEmilien Antile  MR SAX.jpgEmilien Antile, Abbel Zenon, Roland Baltazar  SAX EN FURIE.jpg

Loulou Boislaville et Le Groupe Folklorique Martiniquais "LOULOU BOISLAVILLE ET LE GROUPE FOLKLORIQUE MARTINIQUAIS" Sully Cally Production LBSC018
Emilien Antile "MR SAX" Debs CDD1337-2 (1969/1974)
Emilien Antile, Abbel Zenon, Roland Baltazar "SAX EN FURIE" Debs CDD1429-2

Robert Loyson  NOSTALGIE CARAÏBES.jpgAl Lirvat Et Son Orch. Wabap.jpgArc En Ciel  QUADRILLE - BIGUINE - VALSE - MÉRENGUÉ.jpg

Robert Loyson "NOSTALGIE CARAÏBES" Celini 5524.2 (1972)
Al Lirvat Et Son Orch. Wabap "BIGUINES… TOUBONEMENT" Debs 1424-2 (1974)
Arc En Ciel "QUADRILLE - BIGUINE - VALSE - MÉRENGUÉ" Debs CDD1364-2 (1993)

Atou Ka.jpgFa Fan’  LA FÊTE CRÉOLE.jpgRalph Thamar & Dédé St. Prix  MAZURKAMANIA.jpg

Atou Ka "ATOU KA" Debs CDD1419-2 (1997)
Fa Fan’ "LA FÊTE CRÉOLE" J.V. Production BB60 (1997)
Ralph Thamar & Dédé St. Prix "MAZURKAMANIA" Debs 5139-2 (2004)

Roro Kaliko  ROUKOULAJ.jpgEric Maximilien  BIGUIN’ SIWO.jpgNarcisse Boucard  SÉWÉNAD A NAWCIS.jpg

Roro Kaliko "ROUKOULAJ : MUSIQUE DE LA MARTINIQUE" JV Productions 5396-2 (2006)
Eric Maximilien "BIGUIN’ SIWO" Debs HDD26-90-2 (2007)
Narcisse Boucard "SÉWÉNAD A NAWCIS" no label NB0002 (2017)
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忘れじのレコード屋さん その8 【ジョージア】 [レコード屋・CDショップ]

Dollar Brand  African Piano.jpg   Judy Mowatt  BLACK WOMAN.jpg

パイドパイパーハウスの記事でふれた雑誌『宝島』を読み返していて、
76年に開店した吉祥寺のジョージアについても、書いておきたくなりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-01-19
無垢材の内装が、パイドパイパーハウスにも通じる雰囲気のあるお店で、
ここもデート中に立ち寄れそうな場所だったんですけれど、
じっさいに彼女を連れていったことはありません。

というのは、吉祥寺はレコード屋巡りするお店がいっぱいあって、
レコード探しに集中しなきゃなんないから、
彼女を連れていくわけにはいかないんですよ。
だって、レコ掘りに熱中してたら、デートがそっちのけになっちゃうでしょ。
芽瑠璃堂へ行こうものなら、店の外で彼女を待たせることになっちゃうしね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-12-13

というわけで、吉祥寺へはいつも一人で行っていましたけれど、
ジョージアで買っていたレコードは、開店当初はジャズで、
しばらくしてから、第三世界の音楽がメインになりました。
開店当初に買ったレコードで忘れられないのが、
ダラー・ブランドの“AFRICAN PIANO” です。

ドイツのジャロが出した黒いジャケットで有名な名盤中の名盤ですけれど、
ドイツ盤とは正反対の、真っ白なジャケットのデンマーク盤がジョージアにあったんです。
聞いてみると、こちらがオリジナル盤だと教えてもらって、びっくり。
パイドパイパーハウスで雪村いづみを見つけた時みたいに、即買い直しです。
このデンマーク盤のオリジナルの存在は、当時も今も案外知られていなくって、
教えてくれた山崎さんには感謝しかありません。

開店当初、ロック方面は関心外のレコードしか置いてなかったので、
もっぱらジャズやジャズ・ヴォーカルの棚ばかり見ていたんですが、
のちに第三世界の音楽をプッシュするようになってからは、
その方面ばかり見るようになりました。

第三世界の音楽といっても、いまではピンとこないと思いますが、
手っ取り早くいえば、「ワールド・ミュージック」ですね。
非西欧のポピュラー音楽を指すネーミングで、
76~77年頃から使われるようになったタームです。

きっかけは、ハイチのタブー・コンボの名作『ニュー・ヨーク・シティ』でした。
写真家の浅井慎平がフランスで見つけて日本へ紹介したのがきっかけで、
河村要助が絶賛し、ジョージアがフランスのバークレイ盤を輸入したんですね。
当時ハイチの音楽は、すでに高円寺のアミナダブが、
ソノ・ディスク盤で輸入していましたけれど、
タブー・コンボはバークレイ盤だったせいか、アミナダブにはありませんでした。
オリジナルのアメリカ・ミニ盤が入るのは、もっとずっとあとのことです。

このほか、ジョージアで買った<第三世界の音楽>では、
ジャマイカ盤レゲエが多かったかな。ラス・マイケルとか、ジュディ・モワットとか。
ジュジュのエベネザー・オベイを、イギリス・デッカ盤で入れていたのも、ここでした。

サルサは、恵比寿のディスコマニアや池袋のメモリー・レコードで買うのが
もっぱらでしたけれど、ジョージアでも、プエルト・リコ・オール・スターズのセカンド
“LOS PROFESIONALES” や、ボビー・ロドリゲスの“LATIN FROM MANHATTAN” を
買ったのを覚えています。

あと、ジョージアと同じ通りの並びに、レコード・プラントというレコード屋さんがあって、
ジャズと第三世界の音楽を、競い合うように品揃えしていたっけなあ。
どちらもチェックが欠かせなかったお店でしたけれど、
レコード・プラントで買ったレコードに、
これ!と懐かしく記憶しているものが思い当たらないから、
収穫はジョージアの方が、断然多かったように思います。

[LP] Dollar Brand "AFRICAN PIANO" Spectator SL1005 (1970)
[LP] Judy Mowatt "BLACK WOMAN" Ashandan no number (1979)
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忘れじのレコード屋さん その7 【パイドパイパーハウス】  [レコード屋・CDショップ]

雪村いづみ  SUPER GENERATION.jpg   Gabby Pahinui  THE GABBY PAHINUI HAWAIIAN BAND.jpg 

前々回と前回の記事で、思い出したことがあって、
10年ぶりに「忘れじのレコード屋さん」シリーズの復活です。
 
伝説化したパイドパイパーハウスについては、
すでに多くの人が語っていて、私ごときが、なにをいまさらなんですが、
たぶんこの方面の話題なら、誰も語っていないのではという話をひとつ。

ウェスト・コースト・ロックにAOR、オールディーズやニュー・オーリンズ方面に
強かったお店であったことは言わずもがなですけれど、先日話題にした、
雪村いづみの『SUPER GENERATION』のアルファから出た限定盤を
置いていたお店でもあったんですね。

当時、日本コロムビアから出たシングル・ジャケットのレコードで聴いていたので、
見開きジャケットの『SUPER GENERATION』を
パイドパイパーハウスで見つけたときは、???と思ったのでした。
お店の人(あれは岩永正敏さんだったのか)に訊くと、
「それねえ、限定盤なんだよ」と言うじゃありませんか。

日本コロムビアではなく、アルファと書かれたライナーノーツとポスターが付いていて、
レコードのセンター・レーベルは、雪村いづみの横顔写真となっています。
見開きジャケット内は、日本コロムビア盤の裏ジャケットの元デザインで、
裏ジャケットは、表ジャケットの色彩を変えた別ヴァージョンという豪華版。

これは買い替えなきゃと思っていたら、
「サインが入っているのもあるよ」と、奥から在庫を出してくれるじゃありませんか。
喜び勇んで、裏ジャケットに雪村いづみさんのサインが入ったレコードを
いただいてきたのでした。

のちにこの『SUPER GENERATION』は、アルファが原盤制作をして、
日本コロムビアへ提供されたレコードで、
日本コロムビアの通常盤以外に、アルファから限定盤が出ていたことを知りました。
ただ、不思議なのは、このレコードが発売されたのは74年7月で、
パイドパイパーハウスがオープンしたのは、それより1年以上も後の75年11月。
それなのに限定盤を在庫していたのは、のちに店長となった、
当時キャラメル・ママのマネージャーだった長門芳郎さんのコネクションでしょう。

Brute Force Steel Bands Of Antigua.jpg   The Mighty Sparrow Sings True Life Stories.jpg

さて、もうひとつ、パイドパイパーハウスで案外知られていないのは、
民俗音楽のレコードにけっこう力を入れていたことで、
フォークウェイズやクックのレコードは、ここでよく買いました。
あと、レゲエやカリプソも、トロピカル・ミュージックと謳ってプッシュしていましたね。
マイティ・スパロウの“SINGS TRUE LIFE STORIES OF PASSION, PEOPLE, POLITICS”
を買ったのもここ。
それでよく覚えているのが、ライ・クーダーと“CHICKEN SKIN MUSIC” で共演して
話題となった、ハワイのギタリストのギャビー・パヒヌイのレコードです。

ライ・クーダーが共演を申し出たミュージシャンというので、興味シンシンだったんですが、
北中正和さんが「ニューミュージック・マガジン」76年12月号で、
「ギャビー・パヒヌイ・ハワイアン・バンドで2年前にライ・クーダーを
ゲストに迎えたアルバムをハワイで出したことがある(Panini Records PS1007)ので、
興味のある人は新婚旅行でハワイに行く友だちにでも買って来てもらえばいいだろう」
と書かれていたんですね。こんな一文を読んだら、そりゃあ欲しくなりますよね。

とはいえ、当時高校生の自分に、新婚旅行でハワイにいく友だちがいるはずもなく、
どうしたものやらと地団駄を踏んでいたんですが、
パイドパイパーハウスがパニニ盤を、まっ先に入れてくれたのでした。
その後、他の輸入盤店も入れるようになりましたけれど、
日本で最初に入れたのは間違いなく、パイドパイパーハウスです。

そんなふうに、アメリカやヨーロッパの音楽以外にも、目配りしていたお店であったことは、
シティ・ポップ/渋谷系再評価の文脈ばかりで語られがちな
パイドパイパーハウスの、あまり語られていない側面なんじゃないかな。

それが証拠に、その後沸き起こったサンバ・ブームでは、
前回紹介したブラジル盤の『お爺サンバ』のレコードを猛プッシュしたのも、
パイドパイパーハウスでしたからね。
たしか、お店のベスト・セラーにもなったんじゃなかったっけ。

宝島78年12月号.jpgそういえば、パイドパイパーハウスをモデル
にした記事をメインにした雑誌があったことを、
思い出しましたよ。棚を探してみたら、あった、
あった。宝島78年12月号『大研究! 輸入レコード
&ショップス」』。
その記事は「輸入盤専門店「宝島」本日開店!」。
このほか「輸入盤専門店 13 GUIDE」という記事には、
パイドパイパーハウスをはじめ、
このブログでも取り上げた芽瑠璃堂や
ディスコマニアが紹介されています。

なんでこんな古い雑誌をわざわざ
とっておいたかというと、別のページに、
このブログのオーナーが作った自主制作盤の紹介記事が
載っているからなんでした。
しかもそのレコードは、パイドパイパーハウスの
自主制作盤コーナーに置かれて売られていたのです。
同じコーナーには、日本を代表するスラック・キー・ギタリスト、
山内雄喜さん若かりし頃のパイナップル・シュガー・ハワイアン・バンドの
自主制作盤も一緒に並んでいたのでありました。うふふ。

余談が長くなりすぎましたけど、パイドパイパーハウスの向かいの
嶋田洋書も、よく通ったものです。パイドパイパーハウスぽい話題でいえば、
ノーマン・シーフの写真集“HOT SHOTS” をここで買いましたね。
日本版と内容が少し違っていて、ダン・ヒックスの写真が入ってたのが嬉しかったな。
どちらのお店も、高校・大学時代のデート中に立ち寄りしても、
彼女を退屈させないお店でありました。

[LP] 雪村いづみ 「SUPER GENERATION」 アルファ ALFA1001 (1974)
[LP] Gabby Pahinui "THE GABBY PAHINUI HAWAIIAN BAND" Panini PS1007 (1975)
[LP] The Brute Force Steel Band, The Hell’s Gate Steel Band, The Big Shell Steel Band "STEEL BANDS OF ANTIGUA, B.W.I." Cook 1042 (1955)
[LP] The Mighty Sparrow "THE MIGHTY SPARROW SINGS TRUE LIFE STORIES OF PASSION, PEOPLE, POLITICS" Mace MCM10002 (1964)
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忘れじの海外通販サイト その4 Yell Africa [レコード屋・CDショップ]

Musiliu Haruna Ishola  Authentic.jpg   K1 De Ultimate  FLAVOURS.jpg

個人経営の小さな海外通販サイトの場合、
日本向けに送ってくれる店を探し当てるのがひと苦労というのは、
前回のワン・ワールドの回でお話ししましたね。

それとはまた別に、そもそも信頼のおける店を見つけることじたい、
やっかいなのが、ナイジェリア人オーナーのオンライン・ショップでした。
ナイジェリアといえば、419詐欺事件で世界中に悪名がとどろくほど
極悪商売人がゴロゴロいる世界なので、一筋縄じゃいかないんですよ。

海外通販を始めた頃、一番泣かされたのが、ナイジェリア人通販サイトです。
アメリカにナイジェリア人のオンライン・ショップがけっこうあって、
ジュジュ、フジ、アパラのタイトルがずらりと並んだカタログに、
狂喜乱舞してオーダーしてみると、届くのは、粗悪ブートレグなんですね、これが。

どうりで2.99~3.99ドルなんて激安価格なわけだと、
届いたCDRにアタマを抱えるんですが、
注意してみると、この価格帯で売っているお店はほかにもあり、
おそらくそれもブートレグ屋なんでしょうね。
30年前、レゴスやイバダンの貧しい地区でよく見かけたダビング屋
(カセットにダビングして売っているブートレグ屋)が思い浮かびます。

なので、まず、正規版をちゃんと売っているお店を見分けなきゃいけない。
といっても確かな見分け方があるわけではなく、
CD1枚8ドル以上の値段がついていれば、おそらく大丈夫かなという
あやふやな判断で、また新たな店を開拓してオーダーしてみるんですが、
今度はまた、別のトラブルが発生するんですね。

いちおうこのやり方で、正規版を送ってくる店は見つかったものの、
5枚オーダーしたのに、3枚しか送ってこないとか、
オーダーと違うものを送ってくるとか、一部にブートレグがまじっているとか、
まともにオーダーどおりのCDが届いたためしがなく、毎度毎度、怒り心頭。

そのたびにメールで苦情を言うんですけれど、
のらりくらりとかわしたり、不誠実な対応を繰り返す店が多く、
結局ラチがあかなくて、お付き合いをやめた店が何軒あったことか。
Nollywood Movies Onlne、Nigerian Store、Naija Home Movies、
Jjj Niger Movies、まあ、いろいろありましたよ。

ナイジェリア人ってのは、性悪かバカしかいないのかと、
悪態つきながら、粗悪CDRをゴミ箱に放り込み続けた末に、
Yell Africa と出会えたときは、涙がちょちょぎれましたよ。
毎回オーダー通りの商品がちゃんと届くしね。
そんなこと、当たり前じゃないかと言いなさんな。
それがナイジェリア人のお店じゃ、当たり前じゃないんだよー。

何回かオーダーして信頼感がわき、
その後まとめて10点以上オーダーしてみても、
トラブルは一度も起きませんでした。

Yell Africa とは5・6年付き合った後、
オーナーがナイジェリアに帰国するので、店をたたむというメールが届き、
ナイジェリア盤CDを扱っている別のお店を紹介してくれました。
サイトの閉鎖にあたって、こんな丁寧な引継ぎをしてくれたお店は、
後にも先にもここだけ。誠実なナイジェリア人もいるということを
教えてくれた、忘れられない通販サイトです。

Musiliu Haruna Ishola "AUTHENTIC" Corporate Pictures no number
K1 De Ultimate "FLAVOURS" Babalaje/Omega Music 065/066/067 (2005)
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忘れじの海外通販サイト その3 One World [レコード屋・CDショップ]

Dollar Brand African Herbs.jpg   Abafana Baseqhuden  Poo Ke Nna.jpg

アフリカのCDでいちばん入手が難しかったのが、南アフリカ共和国(南ア)盤。
インポーターがいないのか、ワールド・ミュージック・ブーム時代にも、
南ア盤だけは日本にまったく入ってきませんでした。
スターンズに少しだけ南ア盤がありましたけれど、
直接南アから輸入できたらと思い続けていたので、
ワン・ワールドを探し当てた時は嬉しかったなあ。

そうだ、いま思い出したけど、
最初に南アのオンライン・ショップを見つけたのは、
ワン・ワールドじゃなかったんですよね。
ワン・ワールドに行きつくまでには、もう少し道のりが必要でした。
店の名前はもう忘れましたけど、最初に出会ったのはCD専門店ではなく、
アマゾンみたいなショッピング・モールでした。

そのお店で喜び勇んで、CDをいろいろとみつくろい、
いざオーダー手続きする段になったら、送り先に日本がないんですね。
えぇ~、日本には送ってくれないの?
オーダーの最後の最後で、それがわかるのって、けっこうショックでしたねえ。

昔はこういうことがよくあったんですよ。
レジスター登録をしようとすると、住所欄の国に日本がないとかね。
それでサイトの配送の説明を見に行くと、
「ウチは海外発送をしません」とかあったりして。

そんな店にいくつか当たったあと、行きついたのがワン・ワールドだったのです。
まず驚いたのが、カタログの膨大な量。
ぼくが探すのは、当然ながら南アの黒人音楽なわけですけれど、
考えてみれば、南アにはアフリカーンスの音楽もあるわけだもんねえ。
さらに、南アは欧米その他各国の音楽も自国のプレスで発売しているから、
ロック、ジャズなどのカタログも豊富。
ボブ・ディラン・マニアの人に南ア盤を買ってあげたら、すごく喜ばれたもんです。

さらに嬉しいのが、価格の安さ。
南アの物価水準はけっして低くはないんですけど、
円高・ランド安ということも重なって、CD1枚大体400~500円くらい。
さっきのボブ・ディランのような、海外ものがやや高くて、800円くらいでしたね。
送料も割安なので、いつも10枚以上まとめてオーダーしていました。

ただオーダーしたての頃、驚かされたのが、CDの送り方。
小包のような梱包をせず、大きめの封筒にCDをぶちこんで送ってくるだけという、
信じられないほど雑な送り方なんですよ。
十数枚ものCDを輪ゴムをかけるでなく、ただ袋に入れただけなので、
届いた時には、見事なまでにCDケースはすべて破壊しつくされているのでした。
いやあ、初めて届いた時は、笑ったなあ。

ジュウェル・ケースはバッキバキに割れ、トレイはひび割れ。
ここまで壊れていても、ディスクに傷はつかず、
ライナーも無事なのが幸いという感じで、
あまりにアフリカンな仕事に毎度脱力したもんです。
これ見て、けしからん!なんて怒るようじゃ、アフリカと付き合う資格なし。
まあ、一般の方には、とてもオススメできない通販サイトでしたねえ。

そしてサイトを利用し始めて、4・5年経った頃からでしょうか。
発砲スチロール製の緩衝材を入れて送るようになった時には、
おぉ、ついに南アもここまで来たかと、感慨深かったですねえ。

Music Of The Kalahari Bushmen.jpg

ワン・ワールドの自主レーベルがたった1枚だけ出したCDも忘れられません。
ボツワナのブッシュマンの音楽をフィールド録音したもので、
研究者向けの内容とはいえ、82年からカラハリ砂漠で録音を続けていた
ジョン・ブレアリーによる解説もとても充実したCDでした。
CD番号1番で、2番以降のCDは見たことがなく、
ワン・ワールドはおそらくこの1枚しか出さなかったものと思われます。

南アの通販サイトでは、のちにカラハリも利用するようになりましたが、
4年くらい前にワン・ワールドが閉店、カラハリは国内販売のみとなり、
南ア盤の入手ルートを失ってしまい、絶望の日々なんであります。

Dollar Brand "AFRICAN HERBS" As Shams/The Sun CDSRK (WL)786135 (1975)
Abafana Base Qhudeni "POO KE NNA" Gumba Gumba CDGB8 (1979)
(Field Recordings in Botswana) "MUSIC OF THE KALAKARI BUSHMEN: TSISI KA NOOMGA - SONGS FOR HEALING"
One World Music CD1 (1997)
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忘れじの海外通販サイト その2 Delta Records [レコード屋・CDショップ]

Super Jazz Des Jeunes  VACANSES.jpg   Edner Guinard & Son Orchestre.jpg

レコ掘りは足で稼げ、とはよく言われたことですけれど、
海外通販のサイト探しに、そんな体育会系な泥臭い根性は必要なく、
少し気の利くオツムがありゃ、オッケー。
検索スキルがモノをいう世界でありました。

どうやってこういうお店を見つけるんですかと、
よくバイヤーさんに訊かれたりもしましたが、
人には説明しづらい検索ノウハウがいろいろありましてねえ。
単なる検索スキルじゃなくて、キー・パーソンを見つけて、
そこからトレーダーに繋がったりとか、人脈を作るスキルも
いつのまにか身についたような気がします。

長年探した一枚を、実店舗で発見した喜びに比べて、
オンライン・ショップでポチッても味気ない、みたいなことを言う人がいましたけど、
それは、オンライン・ショップ探しの醍醐味を知らないだけの話なんですよね。

苦心惨憺の末、お宝ザクザクのお店を見つけた時のカンゲキといったら、
PCの画面に向かってガッツ・ポーズせずにはおれませんよ。
これまでに何度、ヤッター!と大声を上げたことか。
こんなに見つけにくいサイトを作っておいて、よく商売できるもんだと、
ヘンな感心をしたりしてね。

デルタ・レコーズを見つけた時が、まさにそれだったなあ。
発見した当時、ハイチ音楽は、ミニがかろうじてCD化を進めているくらいで、
他のレーベルはほとんどCD化されていないとばかり思っていたんですよ。

ところが、デルタ・レコーズのサイトには、
ジャズ・デ・ジュン、ヌムール・ジャン=バチスト、ウェベール・シコー、
シュレ・シュレ、スカシャ、ボサ・コンボなどなど、
日本にまったく入ってきていないCDがどっさり載っていて、
いやぁ、わが目を疑いましたね。

片っ端から全部カートに放り込みたい欲望にかられましたけど、
初めて利用するサイトの初回オーダーは、
慎重を期して、5点以内と決めていたので、
はやる動悸を抑えつつ、アイテムを選んでオーダー。
初回オーダーが無事到着したのを確かめると、それを皮切りに、
10点単位で怒涛の如くオーダーをし続けました。

「君が初めて日本からオーダーしてくれたお客さんだよ」とは、
これまでにいくつものオンライン・ショップから言われ続けてきましたけれど、
最初にその言葉をもらったのが、デルタ・レコーズだったんじゃなかったかなあ。
頻繁にオーダーしていると、そのうち相手もこちらの嗜好を理解してくれて、
カタログにないアイテムを教えてくれたり、オマケに送ってくれるようになったりね。

デルタ・レコーズが扱うレーベルは、イボ、マルク、チャンシーが中心で、
ミニ、ローテル、スーパースターは扱っていなかったため、
それらのレーベルのCDは、また別のお店を探し出して買うようになりました。

その後4・5年経つと、カタログの更新が止まってしまい、
すでにカタログのほとんどを買い尽くしていたので、
サイトを見に行くこともなくなってしまいました。
気が付いた時には、すでにお店は閉鎖されたあとでしたね。

5・6年前だったか、ストラットが60~70年代コンパの編集盤を出したときに、
収録曲のオリジナルをすべて知っていたのも、デルタ・レコーズのおかげ。
ハイチ音楽を深掘りするのに、またとないお店でありました。

Super Jazz Des Jeunes "VACANSES" Ibo CD113 (1962)
Edner Guinard & Son Orchestre "LES BELLES MERINGUES D’HAITI" Marc CD400 (1960)
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忘れじの海外通販サイト その1 Stern's Music [レコード屋・CDショップ]

Ede Gidi.jpg

10年ほど前、「忘れじのレコード屋さん」という記事を書いたことがありました。
CDが主流メディアとなり、街からレコード屋がすっかり消えてしまったので、
昔よく通ったレコード屋の思い出を、6回シリーズで語ってみたんですけれども。

あれから10年。時は移ろい、サブスクが全盛となってCDショップが次々と閉店し、
海外の通販サイトも消えゆく時代となりました。
これまでお世話になった海外のオンライン・ショップが撤退や閉鎖を余儀なくされ、
お付き合いは年々減る一方です。

思い返すと、PCを買って初めて利用した海外通販サイトは、
アメリカのCDNOW でしたね。
94年に、ペンシルヴェニアで創業したオンライン・ショップです。
のちにアマゾンに吸収されてしまいましたけれど、
日本の輸入CDショップに入荷しないCDをオーダーするため、使い始めました。

やがて大手のCDショップばかりでなく、
小さな専門店を探り当てては、渡り歩くようになっていくんですが、
その手始めの店が、ロンドンのスターンズでした。
最初にオーダーしたときのインヴォイスを見ると、
日付は01年9月24日となっていますね。もう20年も前なのかあ。

日本に入ってこないナイジェリアのジャズホール盤で、
エディー・ジーの“U-ROO BA VYBE DIALEKTICS” ほか計4枚を買っています。
う~ん、なつかしい。

インターネットをダイヤルアップで接続していた時代で、
♪ピー、ヒョロロ~♪ という接続音を聞きながらページをクリックするという、
今の若い人には、なんのことやらわからないだろう、のんびりした時代でした。
ネットがサクサク動くという概念すらない時代で、亀のようにのろいレスポンスでも、
画面を覗き込んでは、どきどきしながらサイトのカタログをチェックしていたものです。

Mamman Shata  Polydor.jpg   Mamman Shata  Premier Music.jpg

スターンズの実店舗には、ロンドン出張したときにもよく通ったんですが、
その時に買ったナイジェリア、ハウサの名プレイズ・シンガー、
マンマン・シャタのポリドール盤のA面がCD化されて、
オンラインのカタログに載ったときは喜び勇んだっけなあ。
ソッコー、オーダーすると、すぐにカタログのカート欄が
out of print のグレー表示に変わり、首尾よく1点ものをゲットできたのでした。
ナイジェリア音楽でヨルバやイボの音楽に比べて、
ハウサ音楽は入手困難なだけに、LP・CD双方をスターンズから買ったのは、
不思議な巡り合わせで、感慨深かったです。

ロンドンとニュー・ヨークのお店はすでに閉店してしまいましたが、
ウェブ・サイトはまだ生きています。
というものの、もう2年以上もカタログは更新されておらず、
在庫もすべて売切となったまま。これじゃまるで、幽霊サイトだよねえ。
ずいぶんお世話になったお店だけに、なんともさみしい話であります。

Ede Gidi "U-ROO-BA VYBE DIALEKTICS" Jazzhole JAH001D (1997)
[LP] Alhaji Mamman Shata "ALHAJI MAMMAN SHATA" Polydor POLP121 (1985)
Alhaji Dr. Mamman Shata "THE LIVING SONGS OF THE LEGEND (SERIES 1)" Premier Music PMCD019
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在日外国人ショップめぐり その10 【バングラデシュ編 バティクロム・フーズ】 [レコード屋・CDショップ]

Runa Laila  UTHALI PATHALI.JPG   Kanak Chapa  EK SAGAR ROKTER BINIMOY.JPG
Momotaj  BIROHER KANTA.JPG   Abdul Alim  HALUDIA PAKHI.JPG

90年代に通っていた池袋でバングラデシュのお店といえば、パロングでした。
残念ながらCDは売っていなくて、お店にあるのはカセットだけだったんですけれど。
「バングラデシュにはCDはないの?」と訊いてみると、
イギリスから輸入されたバングラ・ビートのCDはあっても、
現地制作のCDはまだないらしく、カセットが主流のようでした。

ゆいいつ1枚だけあったCDが、バングラデシュのヴェテラン女性歌手ルナ・ライラのCDで、
在日バングラデシュ人が日本でプレスして、同胞向けにリリースしていたものでした。
“UTHALI PATHALI” の発売元、FMインターナショナルは、
日本初の在外コミュニティ・レーベルだったのかも。
もっとも、CD番号1番を飾ったこのアルバムを出しただけで、あとが続きませんでしたけれど。

このほかにも在日バングラデシュ人たちは、ルナ・ライラを日本へ招聘し、
95年4月に板橋区立文化会館でコンサートを開いています。
パロングはカセットしかないからと、ある時から通わなくなってしまったために
コンサート情報をキャッチしそこね、あとで地団駄を踏んだものでした。

あれから10年。
バングラデシュ人の店が埼京線板橋駅の近くにあると聞き、訪ねてみました。
バティクロム・フーズというそのお店には、もはやカセットの姿はどこにもなく、CDがてんこ盛り。
レジの後ろのカウンターに雑然と平積みされていて、ミャンマーのお店と同じ感じ。
ミャンマーのお店ではCD1枚600円前後でしたけど、ここは1枚380円と激安です。
(7年も前の話なので、今はどうか知りません)

バティクロム・フーズでは、大ヴェテランとなったルナ・ライラの新作や、
同じくヴェテランのプレイバック・シンガー、サビーナ・ヤスミンほか、
ポップ・ガザルのカナック・チャパ、ポップ・バングラのモモタス、
ベイビー・ナズニンなど、いろいろと買いましたが、
ベンガル民謡の大御所アブドゥル・アリムのCDを見つけたのが収穫でした。

バングラデシュの店員さんは話好きなうえ、流暢な日本語を喋るので、会話もはずみます。
バングラデシュの人は穏やかで、お人よしなタイプの人が多く、
インド人・パキスタン人とはずいぶん違う印象がありますね。
どちらかといえば、ミャンマーやヴェトナムに近い国民性を感じます。

Runa Laila "UTHALI PATHALI" F.M. International FMCD0001
Kanak Chapa "EK SAGAR ROKTER BINIMOY" Sonali Product no number
Momotaj "BIROHER KANTA" Music Zone MZ010
Abdul Alim "HALUDIA PAKHI" Eros no number
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在日外国人ショップめぐり その9 【イラン編 イラン・ショップ】 [レコード屋・CDショップ]

Googoosh  HARF.JPG   Hayedeh  PADESHAHE KHOBAN.JPG
Moin  SOHBET BEKHAIR AZIZAM.JPG   Noosh Afarin  NAZANIN E ASHEGH.JPG

各国大使館主催のフェスティバルが代々木公園で年一回開かれるようになり、
週末の代々木公園は、在日外国人と日本人が一緒に楽しめる場としてすっかり定着しましたね。
「今週はどこ? タイ?」なんて気楽さで日本人も大勢遊びに来て、
草の根の国際文化交流も、この十年でずいぶん根付いた感を覚えます。

「代々木公園と外国人」というと忘れられないのが、日本に出稼ぎに来たイラン人たちが、
日曜日になると代々木公園に何千人もの規模で集まるようになった90年のことです。
イラン人が集まっているという噂を聞きつけ出かけてみると、小さな屋台が出ていたり、
フリー・マーケットのようにお店を広げている人も大勢いて、ちょっとしたバザール気分。
なかにはペルシャン・ポップスのCDを売っているオヤジもいて、
ぼくにとっても見逃せないスポットとなりました。

多くのイラン人たちは、ただ同胞との情報交換や出会いを求めて集まっていただけなのに、
一部の不良イラン人による変造テレホンカードの密売などが大げさに報道され、
世間の目も犯罪の温床のような偏見に満ちたものとなり、次第に社会問題化していきました。
そんな折も折、92年に日本経済のバブルが見事にハジけ、
不法残留のイラン人を狙い打ちにした取り締まりが厳しさを増し、
93年を境に、街からイラン人の姿はあっという間に消えてしまいました。

結局、代々木公園のイラン人バザールも、2年ぐらいしか続かなかったのかなあ。
それまでの日本にはなかった雰囲気がとても気に入っていただけに、すごくがっかりしたものです。
あ~、ペルシャン・ポップスを安く買える場所もなくなっちゃったなあ、なんて思ってたんですが、
しばらくして95年の夏だったか、
渋谷東急イン近くのビルにイラン人のお店ができたという噂を耳にしました。

それだけの情報で見つかるかなあと半信半疑で探しに行ったんですが、
東急インの2軒隣のビルに、「イラン・ショップ」とカタカナで書かれた袖看板をあっさりと発見。
エレベーターで5階まであがってみて、びっくりしたのなんのって!
ものすごい量のCDが置いてあったんですよ。
在日外国人ショップでは破格ともいえるCD在庫量で、普通の在日外国人ショップが、
雑貨のついでにCDも少し置いてあるのと逆で、
ここはCDのついでに雑貨を少し置いてあるといった感じ。

店へ一歩入るなり、コーフンしましたねえ。
だって、グーグーシュなんか、20タイトル近くずらーっと並んでるんですよ!
当時グーグーシュはカルテックス盤がWAVEなどのお店にも入っていましたけれど、
ここにはそれまで聞いたこともないレーベルのCDがずらりと並んでいて、目がクラクラしました。
代々木公園の露店で、日本語もたどたどしいオヤジが売っていたのとは、隔世の感がありましたね。

CDはすべて面出しで並べられ、その奥に在庫が積まれているという陳列方法も美しく、
棚にずらり並んだCDを一望に眺められるのは、壮観でした。
もちろん値段の方は在日外国人ショップ価格で、すべて1枚千円という安さ。
初めて行った時、20枚近くどっさり買ったら、店のスマートな兄貴に驚かれ、
お茶を振舞われながら、ペルシャン・ポップスや古典歌謡の話などをして盛り上がっちゃいました。

ビジネスマン・ライクな店のガイは、一目でかつての出稼ぎ者とは違うとわかるインテリ・タイプ。
聞けば大学卒、日本語も堪能でした。店の正式名はイランジャパントレーディングで、
貿易商のかたわら店舗販売をやっており、相当な野心家に見えました。
ペルシャ古典音楽の歌手の名前がすらすら出てくるような教養人で、
こんなイラン人、後にも先にもこの人しか知りません。
もっといろいろ教えてもらいたかったんですけど、
このお店もその後2・3年しか持たず、ある日突然閉店してしまったのはショックでした。

Googoosh "HARF" Pars Video CD#717/66
Hayedeh “PADESHAHE KHOBAN” Pars Video CD591/39 (1992)
Moin “SOHBET BEKHAIR AZIZAM” Taraneh Enterprises TARCD71 (1992)
Noosh Afarin "NAZANIN E ASHEGH" Taraneh Enterprises CD209
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在日外国人ショップめぐり その8 【ペルー編 キョウダイ】 [レコード屋・CDショップ]

Roberto Pacheco  TECHONOCUMBIA CON ALPA.JPG   Rossy War Y Su Banda Kaliente  VOLUMEN 2.JPG
Ada Y La Nueva Pasion  VETE AL… DIABLO!.JPG   Eva Y Los Pecadores  MI CANTO.JPG

鶴見に住んでいた頃、通勤で使っていた京浜東北線は、
在日外国人ショップへ寄り道するのに、ちょうど都合が良かったんです。
会社帰りに大井町でメコン・センター、鶴見でトゥカーノへというふうにね。
蒲田には、川崎のペルー・レストランで教えてもらったペルー人ご用達のキョウダイがあって、
駅からちょっと遠いのが玉に瑕でしたけど、よく通いました。

キョウダイは、ちょっとしたミニ・スーパー・マーケットといった感じのきれいなお店で、
出稼ぎ人たちのパスポート更新や、航空券取扱い、送金代行業務も行っていたため、
ちゃんとカウンターがあり、事務所フロアもありました。
もっとも送金代行業の方は、日本の法律知識が不足していたことから、
警察に摘発されるなんて事件が起こったりしましたけど、略式起訴ですぐにケリがついています。

でも、この時の新聞に、「ペルー人地下銀行摘発。マネーロンダリングか」などと
センセーショナルな記事が踊ったことが忘れられません。
全国五大紙揃いも揃って在日外国人を犯罪者扱いするような書きぶりで、
外国人蔑視の心理も露骨な偏向記事でした。
その後嫌疑が晴れても、追跡記事を載せることもなく、まさしく書きっぱなしの典型。
こうやってマスコミは、「外国人労働者は危険だ」という空気を作るのかと、怒りを覚えたもんです。

さて、そのキョウダイへ通うようになったのは、テクノクンビアのペルー盤を買うのがお目当て。
以前テクノクンビアとの出会いを記事にしましたけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-08-12
2000年当時、テクノクンビアのCDは、日本のCDショップにはまったく輸入されていませんでした。

昨今のクンビア・ブームで、テクノクンビアにも10年遅れでスポットがあたり、
当時のCDが輸入されたりしていますけれど、正直、旬はもうとっくに過ぎちゃってますね。
一番人気だったルツ・カリーナも新作をちっとも出してないくらいで、
一時期のチープなローカル歌謡ブームで終わったんでしょう。

キョウダイはその後02年に五反田の駅前ビルに移転してぐっと店舗面積も広がり、
ペルーの公的書類の取得から、ペルー人の日本社会での生活相談、
ペルー文部省公認の小中学校通信教育まで事業を拡げました。
キョウダイが移転した大きなビルのすぐ隣の雑居ビルには、
ペルーの食材や雑貨を扱うムンドラティーノという小さな在日ペルー人ショップがあり、
偶然にもテクノクンビアのCDを扱う2つのお店が、五反田で肩を並べていたのでした。

Roberto Pacheco "TECHONOCUMBIA CON ALPA" Producciones Idolos no number
Rossy War Y Su Banda Kaliente "VOLUMEN 2" Mediasat América AD05441 (1998)
Ada Y La Nueva Pasíon "VETE AL… DIABLO!" Iempsa IEM0434-2 (2000)
Eva Y Los Pecadores "MI CANTO" Iempsa IEM0479-2 (2001)
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在日外国人ショップめぐり その7 【ミャンマー編 ウィン・プイン・カイ(WPK)】 [レコード屋・CDショップ]

May Yuat War  MAHURA NYA.JPG   Tin Tin Mya, Mar Mar Aye, Cho Pyone  RADIO MHAR TAN.JPG

池袋の在日外国人ショップを、インド/パキスタン系、中国系と回ってきて、
最後に向かうのが、ミャンマー人のお店、ウィン・プイン・カイ(WPK)でした。
中文書店のちょうど裏側にあたる、JR線路沿いのビルの8階にありました。

この店を締めにしていたのは、アット・ホームな雰囲気があって、
あちこちの店を回って疲れたあとに気の休まる、居心地の良さがあったからです。
ミャンマーの国民性なんでしょうか、ミャンマーの人って、控えめで優しいんですよね。
一時期リトル・ヤンゴンとも呼ばれた中井の川沿いの雑貨店や、
その後中井から高田馬場へ大挙して移ってきたミャンマー人のお店も、
共通してお客さんを温かく迎える雰囲気がありました。

よそ者扱いして無視するでなく、興味本位であれこれ声をかけてくるのでもなく、
こちらの関心がわかると、親身になって応えようとしてくれるのが嬉しいんです。
おしゃべりをしていていても、素朴な人柄が伝わってくるようで、気持ちの良い人が多いですね。
中国人や韓国人が同国人同士で喋ると、声がデカくてうるさくってしょうがないんですけど、
ミャンマー人でどなる人には、ついぞ出会ったことがないですね。

ウィン・プイン・カイは、おじさんと若い女性が切り盛りする小さなお店で、
1階のポストには「桜子」という、バーの名前みたいな表札が貼り付けてありました。
難は、このお店へ行く途中階に組の事務所があって、
エレベーターにその筋のお兄さん方が乗ってくること。
何度か狭いエレベーターでご一緒させていただき、キンチョーしたものです(汗)。

店にはCDとカセットが乱雑に平積みとなっていて、
CDの山だけ崩しては、一枚一枚眺めるんですけど、
まったく整理されてないので、全部見るのはひと苦労。
初めて行った時、「何が欲しいですか?」と尋ねられたので、
「ミャンマータンズィンを探しています」と答えるもまったく通じず、
ニニ・ウィンシュウェみたいなトラディショナルな音楽と説明すると、
「あー、サイン・ワイン!」と合点されました。

ウィン・プイン・カイではニニ・ウィンシュウェもずいぶん買いましたが、
おじさんのオススメで買ってみたメイユッワーが大当たりでした。
メイユッワーの2枚は、ウィン・プイン・カイ以外のお店ではついぞ見かけなかったなあ。
ティンティンミャ、マーマーエー、チョー・ピョウンのヴェテラン3人のCDを見つけたのもここでした。

池袋に通わなくなってからは、ミャンマーのCDはもっぱら新大久保のフジ・ストアや、
高田馬場のゴールデン・イーグル・ストア、スカイ・ホームなどで買うようになりましたが、
ゼロ年代半ば頃から、音楽CDの入荷がぱったりと途絶え、VCDしか入らなくなってしまいました。
音楽だけならネットで聞けるので、VCDしか売れないんですと。
いまやミャンマーのミュージックCDを入手するのは至難です(泣)。

May Yuat War "MAHURA NYA" Yedanar CDYDN94050
Tin Tin Mya, Mar Mar Aye, Cho Pyone "RADIO MHAR TAN" Yedanar CDYDN94001
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在日外国人ショップめぐり その6 【中国編 知音社中国書店】 [レコード屋・CDショップ]

臧天朔  我這十年.JPG   崔健  中国揺滾演唱会.JPG

LP時代は、中国ものといえば發三電機商会の独壇場でしたけれど、
CD時代になってからは、池袋に数あった華僑系のお店へ行くのがメインになりました。
お店は北口に集中していて、華文書店、中文書店、知音社中国書店と回るのが、
お決まりのルートだったかな。途中、白光という食材を扱っているお店に寄って、
ランブータンの缶詰をよく買ったりしたっけ。

發三電機商会のようなレコード専門店ではないので、
どこのお店も雑貨のついでにCDを置いているだけなんですが、
中国系のお店はどこもお客さんが多く、いつ行っても活気がありましたね。
中国人って声が大きくて、客どおしでも喋り声がギャーギャーやかましく、
ケンカでもしてんのかという威勢のよさ。
インド/パキスタン系のお店で、招かれざる客扱いの冷ややかな気分を味わったあとに
中国系のお店へ行くと、その賑やかさはかえって耳が痛いほど。

知音社中国書店の入った細長い雑居ビルは、入口が狭くてわかりづらく、
何度行っても入口に気付かずに通り過ぎてしまい、あれ?どこだっけと、迷ったものでした。
あわてて道を戻って入口を探し当てると、
狭く急な階段をフーフー言いながら昇らなければなりませんでした。
なんせちっちゃなビルだから、エレベーターなんてものはなかったんです。

2階がサラ金の事務所で、3階より上が知音社。
3階は食材を置いていたので、階段はすごい匂いが充満。
夏に行くと頭がクラクラしたものです。
息も絶え絶え5階まで昇ると、そこが中国書店でした。
在庫はヴィデオが中心で、CDは床の段ボール箱の中に放り込んであるような状態。
数もそう大してあったわけじゃないんですけれど、ここのお兄ちゃんがロック好きで、
ほかのお店では見られないような、大陸もののロックが揃っていたんですね。

崔健が好きならと、崔健の盟友である臧天朔の『我這十年』を聞かせてくれ、
ジョー・コッカーばりの臧天朔のヴォーカルに、イッパツでシビれたもんです。
このアルバムでは、崔健が1曲トランペットも吹いていますね。
崔健が92年の年末に北京展覧館劇場で行った、緊迫のコンサート・ライヴを収めた
名盤DVD『中国揺滾演唱会』を買ったのも、ここ中国書店でした。

臧天朔 「我這十年」 上海音像 ISRC CN-E02-95-305-00/A-J6 (1995)
[DVD] 崔健 「中国揺滾演唱会」 新時代 ISRC CN-F21-00-374-00/V.J6
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在日外国人ショップめぐり その5 【中国編 發三電機商会】 [レコード屋・CDショップ]

許冠傑  天才與白痴.JPG   鄧麗君 淡淡幽情.JPG

思えば学生時分から、外国気分を味わえる街歩きが好きだったんですね。
横浜の中華街は家からちょっと遠かったんですけど、
はや高校生の頃には、ガールフレンドとのデートがてら、ちょくちょく遊びに行ってたものです。
今はもうなくなってしまいましたが、中華街の市場通りに入って2・3軒先あたりに、
「中国音曲専門店」の看板がかかった老舗のレコード店、發三電機商会がありました。

見たことも聞いたこともないレコードがずらっと並んでいる、レコード好きにはたまらないお店で、
エキゾチックなジャケットを眺めるだけでも心わくわく、時を忘れます。
小さなお店でしたけれど、香港や台湾のレコードの在庫量は随一で、
ぼくはここでサミュエル・ホイの『天才與白痴』やテレサ・テンの『淡淡幽情』を買いました。
面白かったのは、アラブのレコードも置いてあったことで、
ウム・クルスームやフェイルーズのレコードを買ったこともあります。

ただこのお店の難点は、店のオヤジがちょっと偏屈だったこと。
レコードに値段が表示されておらず、オヤジが客を見定めて値決めするんですけど、
たまに、えらくふっかけてくることがあるんです。

何回か通ううちにだんだんわかってきたんですが、
なじみでない一見の客や観光客なんかには、平気で高い値段を言ったり、
目当てのレコードを見つけたような素振りをすると、まちがいなくふっかけてましたね。
それがわかっていたので、特定のレコードを取り上げて値段を聞くようなことはせず、
この棚にあるレコードはいくら?と聞いて、あとから高いことを言われないよう、
予防線を張りながら買ったものです。

それでも失敗したことがあって、中国ロッカー、崔健の『一無所有』を探しに行った時のこと。
店の棚を探しても見つからないので、オヤジに在庫を尋ねたら、
奥から出してきて、4000円とぬかされてしまいました。
あまりのふっかけように呆れ果て、「そんじゃ、いらない」と店を出たんですが、
在庫を尋ねるなんて最大の禁じ手。大失敗と気付くも、あとの祭りでした。
結局『一無所有』は、その後新宿のヴァージンか六本木のウェイヴで買ったんだっけな。

とはいえ、このオヤジさんに感謝しなきゃいけないのは、
鄧麗君(テレサ・テン)の『淡淡幽情』を薦めてもらったこと。
香港で発売間もない頃だったので、豪華写真集付きのファースト・プレスを買えたのでした。
ずいぶん後になって、とうようさんが『淡淡幽情』を話題にした頃には、
ジャケットの文字が白抜きから黒に変わった、写真集なしの再版盤に変わってましたからね。

それまでテレサをただの歌謡曲歌手ぐらいにしか思っていなかったのを、
いかにスケールの大きな歌手であるかをぼくに教えてくれたのは、
とうようさんではなく、發三電機商会のオヤジさんなのでありました。

[LP] 許冠傑 「天才與白痴」 Polydor 322530-3 (1975)
[LP] 鄧麗君 「淡淡幽情」 Polydor 2427377 (1983)
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在日外国人ショップめぐり その4 【インド/パキスタン編 アルフラ・スーパーマーケット】 [レコード屋・CDショップ]

THIRUDA THIRUDA - PUDHIYA MUGAM.JPG   GENTLEMAN - DUET.JPG
RANGEELA.JPG   Nusrat Fateh Ali Khan  SANGAM.JPG

90年代で在日外国人ショップがまとまってある街といえば、池袋が一番でした。
最近はちっとも行ってないのでわかりませんが、どうでしょうかね?
当時池袋にはなじみのお店が10軒近くありましたから、
いつも休日の一日をたっぷり使って、ぐるっと見て回ったものです。
なかでも多かったのが、中国華僑系のお店と、インド/パキスタン系のハラール・ショップ。
華僑系のお店は北口に集中していましたが、
ハラール・ショップは北口や西口のあちこちに点在していました。

在日外国人のお店は、単に買い物をするだけの場所ではなく、
日本で暮らす同郷人たちにとって大切な情報交換の場でもあるので、
店にたむろしておしゃべりしてる人たちが、常に何人かはいるもの。
そういうところに、日本人がのこのことやってきて、物珍しそうに店内を眺めたり、
CDを熱心に選んだりしていれば、彼らの好奇心をそそるのは当然ですね。
そんなところから、店員さんだけでなく、お客さんたちともおしゃべりをするようになり、
いろいろなことを教えてもらえるのも、こういうお店めぐりの楽しみの一つでした。

ところが、ハラール・ショップではそうはいかないんですね。
まずそういうお店では、一歩店内に入った途端、
「何しにきたんだ」みたいな目でガンをとばされるのが常。
しゃべってた連中もぴたりと会話をやめてしまったりするんだから、ヤな感じです。
こんなところに来る日本人は、私服刑事か入国管理局員かみたいな警戒ぶりで、
その激しい拒絶ムードに、最初は狼狽したものです。
フレンドリーさのかけらもない反応を示すのは、インド/パキスタン系のお店の特徴でした。

何度も通っているうちに、CD目当ての変わリ者の日本人客とわかってくれるんですが、
すると今度は害の無い客として無視されるだけで、話かけても無愛想極まりありません。
というわけで、インド/パキスタン系のお店では楽しい思い出がぜんぜんないんですけれど、
一番CDを多く買ったのが、北口の風俗街を抜けた先のマンションの一室に構えていた、
アルフラ・スーパーマーケットでした。

当時A・R・ラフマーンが話題になり始めた頃で、WAVE、Virgin、HMVといったCDショップにも、
ラフマーンが関わったインド盤のサウンドトラックが入っていました。
でもねー、値段の高い日本の輸入盤ショップで、
当たり外れの大きいサントラを何枚も買う勇気はありませんでした。
アルフラ・スーパーマーケットなら1枚1000円から1500円くらいで買えるし、
試聴もできるので大助かりだったんですよ。

同じインド系のお店でもベンガル人がやっていたトロンゴでは、
A・R・ラフマーンのようなタミール映画ものは扱ってなかったので、
ぼくが持っているA・R・ラフマーンの90年代のサントラは、
ほとんどアルフラ・スーパーマーケットで買ったようなものです。

ほかにも、ヌスラットの珍しいパキスタン盤CDを買ったのもここでしたね。
“FOR SALE IN PAKISTAN ONLY” と書かれていて、
こういう地元盤CDを日本で買えるのが、在日外国人ショップの醍醐味ですよねえ。

ある時行ったら、店のオヤジが床でお祈りをしている真っ最中で、
礼拝の時間じゃ退散するほかないと、そそくさと帰ったこともありました。
お店のCDはほとんどインドのサントラとポップスばっかりだったので、
経営者はインド人とばかり思っていましたが、パキスタン盤CDもあり、
敬虔なムスリムということは、オーナーはパキスタン人だったのかもしれません。

music: A.R. Rahman "THIRUDA THIRUDA / PUDHIYA MUGAM" Magnasound/OMI D6US0705 (1993)
music: A.R. Rahman "GENTLEMAN / DUET" Pyramid CDPYR8255 (1994)
music: A.R. Rahman "RANGEELA" Time Magnetics TFCD018 (1995)
Nusrat Fateh Ali Khan "SANGAM" Sonic Enterprise CD020 (1996)
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在日外国人ショップめぐり その3 【ヴェトナム編 メコン・センター】 [レコード屋・CDショップ]

Nhu Quynh_Chuyen Hoa Sim.JPG   Nhu Quynh_Rung La Thay Chưa.JPG
Như Quynh_Chuyen Tinh Hoa Trang 3.JPG   Ai Van  THUYEN HOA.JPG

前橋に単身赴任していた時、部屋があまりにも殺風景なので、
毎年もらったままほったらかしにしていた、ヴェトナム美女のカレンダーを、壁に飾っていました。
派手な色使いのアオザイ・ファッションのカレンダーは、和室の壁には不似合いというか、
かえって中年オヤジの部屋丸出しとなるようで、我ながら苦笑ものだったんですけどね。

そのヴェトナム美女のカレンダーは、大井町にあった在日ヴェトナム人のお店
メコン・センターが、お客さんへの贈答用に作っていたもの。
メコン・センターは、在日ヴェトナム人社会のリーダーとして長年活躍されてきた
ド・トン・ミンさんが経営するお店で、このお店の存在を知ったのも、
ド・トン・ミンさんが発行していたミニコミ誌「メコン通信」がきっかけでした。

メコン・センターは、大井町の駅前アーケード街沿いのビルの中にあり、
ドアを開けるとニョクマムの匂いがふわーっと香ってきて、
いっぺんでヴェトナムへスリップするような雰囲気を味わえるお店でした。
多くの在日外国人ショップが、裏通りの汚いビルの中にあったのに比べ、
メコン・センターは目抜き通りのきれいなビルにあり、行きやすかったですね。
たいてい女性が店番をしていましたけれど、たまにド・トン・ミンさんがいらっしゃることもあって、
何度かお話をさせていただいたことがあります。

雑貨、食料品、CD、ヴィデオといった品揃えは、どこの在日外国人ショップも同じですけれど、
メコン・センターならではだったのが、ヴェトナム語やヴェトナムの歴史などの
学習参考書や学習帳がたくさん置いてあったこと。
ブラジルやインドのお店でこういったものをお目にかかったことがなく、
子供に祖国の文化を勉強させるヴェトナム人の教育熱心ぶりを実感したものです。

メコン・センターにはカイルオンなど伝統系のCDを目当てに行っていたんですけれど、
当時ド・トン・ミンさんが強力に推してたのが、ポップス系の若手女性歌手ニュ・クインでした。
ニュ・クインのデビュー作を含む初期3作やアイ・ヴァンのアルバムは、
ド・トン・ミンさんに勧められて買ったんでしたね。
でも、その当時のヴェトナムのポップスは、プロダクションが平凡で、
歌は良くても、アルバム1枚聴き通すと退屈してしまうのが常でした。
ニュ・クインはその後まもなく日本デビューもしていて、
演歌歌手の佐々木良とデュエットしたシングル盤(「雨のYOKOHAMA」!)のポスターが、
メコン・センターに貼ってありましたっけ。

今思えば観ておけばよかったなあと悔やまれるのが、
98年12月27日に大井町駅前のきゅりあん小ホールで行われた、
メコン・センター主催のコンサート『春の大音楽祭』。
在日ヴェトナム人バンドのニュー・スカイ・バンドをバックに、
越僑ヴェトナム人歌手5人が歌ったコンサートだったんですけれど、
その5人の中に、なんとニュ・クインとアイ・ヴァンがいたんですよねえ。

以前きゅりあんで観たヴェトナム人コンサートが、ドサ回りの歌謡ショーみたいでゲンナリしてしまい、
ニュ・クインとアイ・ヴァンの二人が出演することは知りつつ、パスしてしまったんでした。
ニュ・クインは当時の「メコン通信」に芸能ニュースを書いたりもしていたので、
ド・ドン・ミンさんとは浅からぬ縁があったんでしょうね。
まさかその十年後にニュ・クインが大スターとなって、
ワールド・ミュージック・ファンの間でも話題になるなんて、当時はまだ思いもよらなかったもんなあ。

その後メコン・センターは青物横丁に移転し、
移転後のお店にはまだ一度も行ったことがないんですが、そのうち一度出かけてみるかな。

Như Quỳnh "NHƯ QUỲNH 1 : CHUYỆN HOA SIM" Asia Entertainment no number (1995)
Như Quỳnh "NHƯ QUỲNH 2 : RỪNG LÁ THAY CHƯA" Asia Entertainment no number (1995)
Như Quỳnh "NHƯ QUỲNH 3 : CHUYỆN TÌNH HOA TRẮNG" Asia Entertainment no number (1996)
Ái Vân "THUYỀN HOA" Thúy Nga TNCD105 (1996)
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在日外国人ショップめぐり その2 【ブラジル編 ブラジリアン・プラザ】 [レコード屋・CDショップ]

Funk'n Lata  Virgin.JPG

96年から98年の二年間、群馬の前橋へ単身赴任していたことがあります。
せっかく群馬にいるのだからと、ブラジル人が大勢働く工場があることで有名な大泉町にも、
ときどき足を伸ばしたりしたものです。

ひっそりと隠れるような場所にお店を開いている鶴見とは大違いで、
大泉町には立派なショッピング・センター「ブラジリアン・プラザ」がありました。
大泉町のブラジル人人口は、鶴見とはケタ違いだったので、
ちょっとしたリトル・ブラジルが出来上がっていたというわけです。

2階建てのブラジリアン・プラザは、2階中央に丸テープルと椅子を並べた広いスペースがあり、
ギターとマイクも用意されていました。仕事帰りに集まって、パゴージでもやってるんですかね?
CDショップもあって、初めて行った時は、グラマラス・スリムな店番のブラジル娘が、
ちょうど届いたばかりというファンキン・ラタのデビュー作を見せてくれました。

発売前から話題を呼んでいたファンキン・ラタだったので、早速買わせてもらいましたけど、
まだ東京のどこのCDショップにも入荷する前のことで、
さすがブラジル人ネットワークは早いなあと、感心したことを覚えています。
そのCDには千葉県船橋市の住所が書かれた南米貿易という会社のシールが貼られていて、
ブラジル人ショップに卸す専門の商社があったようです。

DJショップというそのお店は、
若者向けのブラジリアン・ロックやヒップ・ホップがどっさり置いてありました。
ぼくにはまったく興味のない分野ですけれど、ブレーガ中心のトゥカーノとも違って、
お客さんの年代層によって、品揃えはいろいろなんですね。
この店にもMPBはほんのわずかしかなく、サンバもアルシオーネとパゴージがあるくらいで、
伝統サンバなんてまったくなし。ボサ・ノーヴァはコンピの1枚すらなかったんじゃないかな。

一方、ブラジル大衆歌手の帝王、ロベルト・カルロスがずらっと並んでいたのには、圧倒されました。
日本人はロベルト・カルロスを聴きませんけれど、ブラジル本国での人気は本当にすごいですね。
こういう本国での流行は、こういうお店に来ないとなかなか実感できないものです。
今もこのお店が続いているとしたら、バイリ・ファンキなんかがずらっと並んでるんでしょうか。

Funk'n Lata "FUNK'N LATA" Virgin 841586-2 (1996)
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在日外国人ショップめぐり その1 【ブラジル編 トゥカーノ】 [レコード屋・CDショップ]

Skank  SIDERADO.JPG   Cidade Negra  QUANTO MAIS CURTIDO MELHOR.JPG

日本にいながら、プチ外国旅行気分。
かつてのぼくの街歩きの愉しみは、在日外国人ショップめぐりでした。

「でした」と過去形なのは、ここ十年の不況で、なじみのお店が次々と閉店してしまったからで、
在日外国人ショップでしか買えなかった珍しい現地盤CDも、
いまではネットで簡単に見つかることもあって、最近はすっかり足が遠のいてしまいました。
一番熱心に通っていたのは90年代だから、もうずいぶん昔の話になっちゃったなあ。

こういうお店に出入りするようになった最初のきっかけが、
以前住んでいた地元、横浜は鶴見のブラジル人のお店、トゥカーノです。
鶴見は古くから沖縄出身者や韓国・朝鮮人が暮らしていて、
80年代半ばからはブラジルからの出稼ぎ者も増え、
工場地帯を抱えた独特の国際色豊かな町へ変貌していました。
92年頃だったか、人づてに教わり、初めてトゥカーノに行った時は、そりゃあ驚きましたよ。

駅のすぐそば、1階にピンク・サロンがある雑居ビルで、3階だか4階にあったんですが、
そのビルが階段にも廊下にも電灯がなくて真っ暗という、不気味なところでした。
人気の無いこんな汚いビルに、本当に店があるのかと思いながら、
足下も不確かな暗がりのビルの中をおそるおそる進んでいくと、
一軒だけドアが開き、明かりの洩れているお店があって、そこがトゥカーノでした。

人から教えられない限り、ぜったいたどり着けないような、思い切り怪しい場所。
はじめて行ったのが夜だったこともあって、正直ビビりまくって行ったんですけど、
地元にこんな所があるとは絶句ものでした。その階で開いているのはそこだけで、
ほかの部屋はすべて施錠されていて、全部空室。
なるほどこんなオンボロ・ビルなら、家賃も安そうです。

お店に入ると、そこはまさしくブラジル。客や店員のポルトガル語が飛び交い、
食材や雑貨など、すべてメイド・イン・ブラジル。
在日外国人のお店にはお決まりの、
本国のTV番組を録画したヴィデオ・テープも大量に置いてあります。

CDの品揃えも面白くって、置いてあるのはブレーガやセルタネージャばっか。
MPBのビッグ・ネームが少々あるくらいで、サンバなんて全然無し。
これがブラジル一般大衆の好みというわけで、
日本のCDショップにおけるブラジル音楽の品揃えが、
いかにインテリ向けかわかろうというものです。

というわけで欲しいCDもなく、コーヒーやお菓子ばかり買っていたんですけれど、
その後ポップ・レゲエ・バンドのスカンキやシダージ・ネグラを聞かせてもらって、
好きになったんだっけ。

世紀が変わった頃には、近くのもっとこぎれいなビルに引越して、
外の明かりも入る清潔感のあるお店となりました。
前の店は窓もなくて、なんとも陰気ぽかったですからねえ。

DJ Patife  COOL STEPS - DRUM'N'BASS GROOVES.JPG

移転した新しいお店で思い出すのは、DJパチーフィを聞かせてもらったこと。
クラブ・ミュージック好きの若いブラジル人の兄ちゃんに、「これ最高!」と教えてもらい、
苦手だったドラムンベースを聴き始めるきっかけになったんでした。

Skank "SIDERADO" Chaos 789.143/2-492071 (1998)
Cidade Negra "QUANTO MAIS CURTIDO MELHOR" Epic 789.150/2-492124 (1998)
DJ Patife "COOL STEPS - DRUM'N'BASS GROOVES" Sambaloco/Trama T300/523-2 (2001)
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忘れじのレコード屋さん その6 【メモリーレコード】 [レコード屋・CDショップ]

Virginia Lopez Sings.JPG

学生時代、ラテンのレコードはもっぱら永田さんのお店ディスコマニアで買っていましたが、
もう一軒よく通ったのがメモリーレコードです。
池袋西口の要町通りと立教通りの間、
ちょうど立教大学の通学路にあたる一角にあった小さなお店でした。

ディスコマニアにあんまりツケがたまってしまうと、行きにくくなってしまって、
バイトの給料日がくるまでの合間には、メモリーレコードへ行っていたような気がします。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-10-12

メモリーレコードはラテンだけではなく、映画音楽やイージー・リスニング、ジャズなども置いていて、
50~60年代の古き良き時代のアメリカン・ポップスを広く扱っていました。
このお店が大好きだったのは、なんといっても店主の安藤さんのお人柄でした。
いつもにこにこ微笑んでいる温和な表情と、クマのプーさんみたいな大柄な身体が忘れられません。
レコード屋のオヤジさんというより、どこか老舗の名店の番頭さんみたいな雰囲気の方でした。

専門店にありがちなウンチクをかたむけることもなく、けっして余計なことを言わない代わりに、
ひとたび質問をすると、それは丁寧に教えてくださったものでした。
その話しぶりに教えてやる式な偉そうなところが微塵もなく、
徹底して腰が低く、あきんどの鏡と呼びたい接客ぶりは、本当に気持ちがよかったです。
お茶の水のラテン・コーナーの偏屈オヤジとは、まさに対極でしたね。

当時安藤さんは、ぼくの父くらいの年齢だったと思います。
それでもぼくを子供扱いするようなこともなく、
自分と同年齢のなじみ客相手だろうが、大学生の客だろうが、けっして言葉遣いを変えず、
常に敬語で接するのが、安藤さんという人でした。
客によって接客ぶりを変えないその姿勢は、まさしく商売人の鏡だったと思います。

昔の日記に、安藤さんのことを書いた記憶があり、日記をひっくり返しつつ探してみたら、
94年の3月のある日に、こんなことが書いてありました。

「一万円札と一緒にレコードを渡すと、おやじさんは『ありがとうございます』と頭を下げ、
ていねいな手つきでレコードを袋に入れ、
『七千五百円のお返しでございます』とおつりをぼくに渡す。
その所作の一つ一つの丁寧さにぼくは感動してしまう。
口では『ありがとうございます』と言っても、
頭のてっぺんが見えるほど頭を下げる店員さんが今どれだけいるだろうか。
ピッと無粋な音をたてて、バーコードを読み取るだけの事務的な大型CD店になってからは、
こんなささいなやりとりの喜びもすっかりなくなってしまった。」

その後世紀が変わって、ひさしぶりに池袋西口に出かけた際、立ち寄ってみましたが、
もうお店は閉じられていて、風の便りで安藤さんもお亡くなりになったと聞きました。
安藤さんに教えていただいたレコードで、
ぼくの大切な宝物となっているのが、ビルヒニア・ロペスのシーコ盤。
このボレーロの最高傑作を聴くたび、ぼくは安藤さんを想います。

[LP] Virginia Lopez "SINGS" Seeco SCLP9102 (1956)
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忘れじのレコード屋さん その5 【ティアホアナ】 [レコード屋・CDショップ]

Prime Cuts.jpg    Papa Wemba.JPG

前回、高円寺のアミナダブを話題にしたところ、
t-42さんが「西荻のティアホアナも懐かしい」とつぶやかれました。
ということで、今回の「忘れじのレコード屋さん」はティアホアナです。

オープンしたのは80年頃でしょうか。大学4年の時だったと記憶しています。
最初は西荻ではなく、水道橋にありました。
大学サボっては水道橋で電車を降りてティアホアナへ行き、そのあとは神保町の古書街を巡り、
御茶ノ水のレコード屋や楽器屋さんをひやかして回るのが、お決まりのコースの一つでした。

オープン当初のティアホアナは、雑誌『ザ・ブルース』の愛読者が通うブルース専門のお店で、
吉祥寺の芽瑠璃堂や高円寺のアミナダブと似たタイプのお店でした。
あ、『ザ・ブルース』というのは、現在の『BMR』誌のことです。
内容からすると、『ブルース&ソウル・レコーズ』誌の方が近いかもしれませんが。

水道橋時代のティアホアナで買ったレコードというと、思い出深いのはルイ・ジョーダン。
49年のラジオ放送録音を復刻したスウィング・ハウス盤です。
イギリスのコレクターズ・レーベルが3000枚限定で出したレコードで、
スタジオ録音を遥かに上回るワイルドな演奏と、
ラジオDJの口上がかっこよくって、シビれましたねえ。
ちょうどジャンプやジャイヴに夢中になっていた頃で、いやー、本当によく聴いたなー。

その後一年ぐらい経ってから西荻へ移り、
83年頃からカリブ、アフリカ方面へシフトしてったんじゃなかったですかね。
サニー・アデのブームでナイジェリア盤が大量に買付けされるよりも前に、
ナイジェリアのサニー・アラデ盤などを輸入したのがティアホアナでした。
コアなアフリカン・ポップス・ファンは、
ティアホアナにごく少量入荷するレコードを争って奪い合ったものです。
で、当時の戦利品(?)がパパ・ウェンバのTIPの1番。
マニアならこのレコード番号だけで、おお、とわかるはず。
のちにPヴァインが別のアルバムとカップリングの2枚組でリリースした、ウェンバの最高傑作です。
1度だけ入荷した時にぼくは運良く買うことができたんですけど、その後再入荷しなかったらしく、
買い逃した人からずいぶん恨めしい目でみられましたっけ。

その後80年代の半ば頃には、新星堂やWAVEなど大資本のレコード店が
アフリカン・ポップスの輸入盤を仕入れるようになり、
次第にぼくもティアホアナへ足が向かなくなってしまいました。
ひょっとすると、すでにその頃、テイアホアナは閉店していたのかもしれません。
世の中がバブルへと突き進んでいたあの当時、
ティアホアナは、個人経営のレコード屋さんの最後の砦だったようにも思えます。

[LP] Louis Jordan & The Tympany Five "PRIME CUTS" Swing House SWH1
[LP] Papa Wemba Et L’Orchestre Viva La Musica "LE JEUNE PREMIER" TIP 001
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忘れじのレコード屋さん その4 【アミナダブ】 [レコード屋・CDショップ]

SLP12.JPG   Sory Kandia Kouyate_SLP12.jpg

吉祥寺の芽瑠璃堂とともに中央線沿線のレコード屋さんで忘れられないのが、
高円寺のアミナダブです。
駅の南口を出て、中央線の高架沿いに環八方面に向かって少し歩き、
住宅街に入りかけた場所にあった建物の2階にありました。

妻の実家が高円寺にあり、先日も年始で訪れたさい、
かつてアミナダブがあった脇を通ったので、懐かしさが蘇りました。

もともとはブルースやシンガー・ソングライター系ロックの専門店だったのですが、
77年頃からアフリカやカリブのレコードを輸入するようになり、
いわゆる第三世界の音楽ファンを育てたお店になりました。
まだ「ワールド・ミュージック」はおろか、
「エスニック」なんて形容もなかった頃の話です。

レ・マスタフル・ダイチなどのヘイシャン・ミュージックを
日本で最初に輸入したのもアミナダブなら、
フランコやベンベヤ・ジャズ・ナシオナルなどの
アフリカン・ポップスを最初に輸入したのもアミナダブでした。
ぼくが持っているソノ・ディスク盤LPは、9割方アミナダブで買ったものです。
大学時代のバイト代は、アミナダブとディスコ・マニアで
ほとんど使い果たしたようなものですね。

「ミュージック・マガジン」の頭にまだ「ニュー」が付いていた78年9月号に
中村とうようさんが書かれた、「クンタ・キンテの故郷でいま聞こえる音楽」と
題するアフリカン・ポップスの紹介記事の最後にも、
「ソンガイ、ソナフリーク、シリフォンなどのレコードは
フランス経由で意外と安く入手できる。
高円寺のアミナダブに問い合わせてごらんになるとよい。」とあります。

当時アフリカやカリブの音楽に関する情報がほとんど無いなかで、
どこの国のレコードかすらもよくわからないままに、
ジャケットを睨み、カン頼りで買っていたわけです。
ネット時代の現在では考えられない、
非効率でリスクいっぱいのレコード・ハンティングなわけですけど、
こういうのが一番ワクワクするんですよね。
そうやって手探り状態で、ソリ・カンジャ・クヤテ、
ファンタ・ダンバ、タブー・レイを知り、
結果して、アフリカン・ポップス黄金時代の名盤を集めることができたのでした。

アミナダブが輸入していたのは、主にソノ・ディスクなどのフランス盤でしたけれど、
その後ケニヤから現地直送でレコードを仕入れることに成功し、
マンゲレパやマゼンベなどといった
ザイール(当時)の出稼ぎバンドの存在を知ることができました。
大学卒業間近のことだったから、81年の1月か2月の頃ですね。

う~ん、こうしてみると、日本でアフリカン・ポップス・ファンが生まれたのは、
まちがいなくアミナダブがあったおかげですね。

そんなアミナダブで買ったレコードで一番思い出深いのが、
ソリ・カンジャ・クヤテでしょうか。
当時ゴスペルもかなり聴いていたとはいえ、
ソリの声のケタ外れのパワーには圧倒されました。
はじめて聴いた時のショックがあまりにも鮮烈で、
サリフ・ケイタがソロ・デビューした時など、
門前の小僧ぐらいにしか聞こえなかったものです。
のちに、カラー写真・見開きジャケットのファースト・プレス(写真右)も見つけました。

[LP] Sory Kandia Kouyate "KOUYATE SORY KANDIA" Syliphone SLP12 (1971)
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忘れじのレコード屋さん その3 【芽瑠璃堂】 [レコード屋・CDショップ]

高校生の頃よく通った輸入レコード屋さんに、吉祥寺の芽瑠璃堂があります。
ソウル、ブルースやアメリカのシンガー・ソングライター系ロックを揃えていたお店です。
うなぎの寝床のような細長い店内の、ちっちゃなお店でした。

入口の細いドアをあけると、店内の通路はドア幅しかなく、
二人すれ違うのがやっとの狭さで、奥行きせいぜい5~6メートル。
10人も入ったらもう満員で、そうなったら、外でお客さんが出てくるのを待つしかありませんでした。
両側にレコード棚が並び、一番奥にお店の人が座っているレジがありました。

奥まで入ってしまってからお客さんが来てしまうと、入口寄りの人がいったん外に出ないと、
お店から出られなくなってしまうという、なんとも窮屈なお店なんですけど、
お客さん同士で譲り合ってレコード棚を見るような、同好の士の温かみが伝わるお店でした。
だから芽瑠璃堂へは一人で行くのが決まり。
ガールフレンドなんか連れてったら、外で待たせることになっちゃいますからね。

芽瑠璃堂で強く心に残っているのは、
マニアが欲しがる廃盤もけっして高値を付けずに売っていたことです。
当時貴重盤だったフレディ・キングのキング盤が大量入荷したことがあったんですが、
高めの廃盤価格で売ってもおかしくないのに、
普通のレコードと変わらない値段で売っていたのをよく覚えています。

Freddy King Sings.jpg    Roger Tillison.jpg

また、デッドストックの廃盤をまとまった数で買い付けてきて、
「○月○日開店から発売」なんて告知を出して売ったりもしていました。
するとマニアたちがぞろぞろと集まってきて、
前日の夜から店の前に列を作り、開店を待つわけです。
入荷数はわからないので、列の何番目の人まで買えるのかわからず、
どきどきしながら並んだものですが、一緒に並んだ人たちとレコード談義をしながら、
夜明かししたのが楽しい思い出として残っています。
そうやって徹夜して買ったレコードに、ロジャー・ティルソンのアトコ盤だとか、
グレイト・スペックルド・バードのアンペックス盤があります。
う~ん、ダウンロード時代の若者にとっては、なんのこっちゃの話でしょうか。

Great Speckled Bird.jpg    Oma Irama & Elvy Sukaesih.jpg

80年代に入って芽瑠璃堂は、渋谷や大阪にもお店を開き、
ソウルやブルースばかりでなく、ナイジェリアやリンガラものなどのアフリカや、
カリブ、サルサ、インドネシアなどのアジアものまで扱うお店となっていました。
その頃になると、プレゼント・チケットなるものを配布して、
通常価格にチケットの点数を足して、貴重盤を売るというシステムをとってましたっけ。
ぼくはそのチケットを貯めて、オマ・イラマとエルフィ・スカエシが共演した
インドネシア盤LPを買ったんですけど、嬉しかったですねえ。

レア盤と称して法外な値段で売るお店もあるなかで、
意地でも高値を付けなかった芽瑠璃堂の心意気は、見上げたもんでした。

[LP] Freddy King "FREDDY KING SINGS" King 762 (1961)
[LP] Great Speckled Bird "GREAT SPECKLED BIRD" Ampex A10103 (1969)
[LP] Roger Tillison "ROGER TILLISON'S ALBUM" Atco SD33-355 (1971)
[LP] Oma Irama & Elvy Sukaesih "SATU ANTARA DUA" FM FM504
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忘れじのレコード屋さん その2 【メロディハウス】 [レコード屋・CDショップ]

Jane Harvey.JPG

メロディハウスは、原宿の竹下通りにあった輸入盤屋さんです。
高校1・2年生の頃にガールフレンドを連れ、週末のデートがてらよく通いました。
クリスマスにメロディハウスで彼女とレコードをプレゼント交換したことがあって、
彼女はぼくにキャロル・キングの“TAPESTRY”を、
ぼくは彼女にジョニ・ミッチェルの“BLUE”を贈った思い出があります。
こっぱずかしい話ですが、ぼくも青春小説みたいなことをやってた若い頃があったんです。

で、その当時の竹下通りというと、今みたいにびっしりとお店が連なっていたわけでも、
人でごった返していたわけでもなく、お店は通りにぽつぽつあった程度で、ほかは民家でした。
今の竹下通りからはとても想像つかない、静かで落ち着いた通りだったんですよ。

時は70年代前半、メロディハウスは都内でいち早く
ロックやフォークの輸入盤が入荷するお店として有名で、
新宿レコードとともに、ぼくの行きつけのレコード屋さんでした。
そのメロディハウスで買ったレコードで一番記憶に残っているのが、
ロックでもフォークでもなく、ジャズ・ヴォーカルのレコードなんですね。

ジャズはお店の片隅に、申し訳程度しかなかったのですが、
店長の個人的趣味を反映した、ユニークなセレクトをしていました。
その中にあったのが、女性ジャズ・ヴォーカリスト、ジェーン・ハーヴェイのイギリスRCA盤です。
友だちがメロディハウスの店長にこのレコードを薦められて買ったのがきっかけで、
ぼくの友人たちの間で、一時期評判になったものでした。

背伸びをしたくなる年頃というんですかね。
当時、大人の雰囲気がするジャズ・ヴォーカルが好きになり、
リー・ワイリーの“NIGHT IN MANHATTAN”や、
ジューン・クリスティの“SOMETHING COOL”あたりを聞き始めた頃でした。

あまり知られていないレコードだと思いますが、
メロディハウスとジャズ・ヴォーカルという、妙な取り合わせもあいまって、
ぼくにとっては忘れられないレコードです。

[LP] Jane Harvey "JANE HARVEY" RCA LPL1-5030 (1974)
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忘れじのレコード屋さん その1 【ディスコマニア】 [レコード屋・CDショップ]

Sylvia De Grasse.JPG

ぼくがラテン音楽を聴き始めた1976年当時、
東京都内でラテンのレコードを買えるお店といえば、3軒しかありませんでした。
3軒とも忘れられない思い出がいっぱいありますが、
なかでも一番お世話になったのが、恵比寿のディスコマニアです。

通い始めの頃は中目黒駅裏のマンションにあって、
5年くらい経ってから、恵比寿のマンションに引っ越したんでしたっけ。
どちらもマンションの一室で、靴を脱いでスリッパに履き替えて上がるんです。
レコード屋に行くというより、知り合いの家に遊びに行くみたいな感じでしたね。

店主の永田さんは、上品な山の手のご婦人といった感じの方で、
専門店にありがちな押し付けがましさがまったくなく、
ラテン初心者のぼく相手に、とても親切に接してくれたことが忘れられません。
このお店のお客さんは中高年や老年のマニアばかりだったので、
ぼくのような十代のビギナーの客は珍しかったんだと思います。

当時ラテン音楽覚え始めだったこともあり、どれも欲しいレコードばかりで、
とてもお金が間に合わず、取りおきをお願いするのですが、
「あら、お代は今度でいいわよ。持ってらっしゃい」などと言われて、
ずいぶんツケで買ったのを覚えています。

ぼくもいろんなレコード屋に通いましたが、ツケで買っていたなんて、
後にも先にも、ここディスコマニアだけです。
バイト代が入るたびに、払いに行ったものですが、
「まだいいわよ。今度になさい」なんて言われたりして、
今思うに、どー考えてもちゃんと清算できていない気がするんですよね。(汗)

そんなこんなで、ディスコマニアで買ったものに、
アルセニオ・ロドリゲスの“QUINDEMBO”、セリア・クルースのシーコ盤、
アマリア・ロドリゲスのカフェ・ルーゾ・ライヴのボックスLP、
エリゼッチ・カルドーゾとジャコーの共演ライヴ第1~3集、
マリア・クレウザの“EU DISSE ADEUS”などなど、本当にたくさん買いました。

とりわけよく覚えているのが、
パナマの歌姫シルビア・デ・グラッセのマルベーラ盤を買ったときのこと。
永田さんはぼくがこのレコードを引き抜いたのをすごく喜んで、
「シルビアをご存知なの? 最近はこういう愛くるしい歌手っていなくなりましたものね。
あぁ、愛くるしいなんていっても、お若い方にはおわかりにならないかしら」
と嬉しそうにおっしゃったのが、いまでも脳裏に焼きついています。

シルビアのこのアルバムを聴くたび、あの時の永田さんを思い出すのです。

[LP] Sylvia De Grasse "COSA LINDA" Marvela LP38
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