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ストイシズムとナルシシズム フレッド・ハーシュ [北アメリカ]

Fred Hersch  SILENT, LISTENING.jpg

ずいぶんと長い間、ソロ・ピアノというフォーマットを遠ざけてきたのは、
キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』アレルギーのせいだったのか。
フレッド・ハーシュの新作のソロ・ピアノを聴いて、ふとそう思い至りました。

ぼくがジャズを聴き始めた70年代、『ザ・ケルン・コンサート』くらい、
絶賛・酷評が分かれる問題作はなかったと記憶していますけれど、
ナルシシズムを爆発させるわがまま放題の即興は、ガマンならなかったなあ。
キースって、ゼッタイ嫌な野郎だろうと思ってたもんねえ。

ジャズのピアノ・ソロってのはさ、ダラー・ブランドとかセシル・テイラーとか、
ピアノという楽器の特性であるヨーロッパ成分を破壊する
黒人ミュージシャンがやってこそ、聴く価値があんだよ、
な~んてイキまいてた十代の自分でありました。

80年代以降、ジャズの熱心なリスナーでなくなったことから、
そんな記憶も薄れてしまいましたけれど、
たまに手を伸ばすジャズ・アルバムでも、ソロ・ピアノはなかったなあ。
それが変わったのが、フレッド・ハーシュというピアニストの存在を知ってからです。
きっかけとなったのが、17年の “(OPEN BOOK)” でした。

Fred Hersch  (OPEN BOOK).jpg

ハーシュのピアノの美しさは、すごく独創的。
よく抒情派と表現されますけれど、いわゆるリリカルな甘やかさはなく、
かといって耽美という世界からも遠くて、深く自己の内面と語り合う
内省から美が生み出されているように思えます。

そんなハーシュのピアノの特徴といったら、ストイシズムでしょうね。
まさに自己陶酔型のキース・ジャレットとは対極。
だからハーシュのピアノに惹かれたんだな。
今回の新作も、具象と抽象を行き交う音の流れが
川の流水を眺めるようで、自然の摂理を模写しているかのような
音楽を聞かせます。

そしてピアノの音響の美しさは、筆舌に尽くしがたいもの。
よくぞECMが録音したというか、これほどECMが似合う人もいないだろうに、
これが初録音というのが不思議なほどです。

Fred Hersch "SILENT, LISTENING" ECM ECM2799 (2024)
Fred Hersch "(OPEN BOOK)" Palmetto PM2168 (2017)
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マラベンタの名シンガー ワジンボ [南部アフリカ]

Wazimbo  MAKWÊRU.jpg

二十年以上前にその存在を知ったレアCDを発見しました。
モザンビークのマラベンタを代表するシンガー、
ワジンボことウンベルト・カルロス・ベンフィカのモザンビーク現地盤CDです。

ワジンボは48年11月11日、ガザ県チブトで生まれ、
その後ロウレンソ・マルケス(現在のマプト)に引っ越して、
有名なタウンシップ、マファララで育ったという人。
マファララは、「マラベンタの王様」の異名をとったファニー・プフーモを
生んだことで知られる地区です。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-03-26

64年にシルヴァースターズという地元のグループに参加して歌い始め、
72年にプロ歌手として初の契約を結び、2年間アンゴラへ渡っています。
74年に帰国してからは国営ラジオ局のビッグ・バンドで活動し、
79年にモザンビークのトップ・ミュージシャンたちを集めた
オルケストラ・マラベンタ・スター・ジ・モザンビークのリード・シンガーとなって、
人気を博します。

Orchestra Marrabenta Star De Moçambique  INDEPENDANCE.jpg

ぼくがワジンボを知ったのも、
オルケストラ・マラベンタ・スター・ジ・モザンビークがきっかけでした。
彼らの世界デビュー盤 “INDEPENDANCE” は、
ドイツのピラーニャがラジオ・モザンビークとの共同プロデュースで
89年に発表されました。

このアルバムはぼくだけでなく、世界中のリスナーにとって
モザンビークの同時代ポップスを初体験するものだったはず。
モザンビークの伝統リズムのティンバやフェナ、マジカ、シンゴンベラを
取り入れたソウルフルなマラベンタは、ジンバブウェとも南アとも異なる独自性があり、
ダイナミックなホーン・セクションを含むバンド・サウンドに即魅了されました。

Orchestra Marrabenta Star De Moçambique  MARRABENTA PIQUENIQUE.jpg   Wazimbo & Orchestra Marrabenta Star De Moçambique  NWAHULWANA.jpg

この7年後に2作目となる “MARRABENTA PIQUENIQUE” が
出たのですが、このときすでにバンドが解散していたことは、
01年になってこの2作から編集したアルバムのライナーで初めて知りました。
89年と96年に出た2作には、録音年月のクレジットがなく、
2作とも88年ジンバブウェのハラレでレコーディングされたセッションだったことが、
編集盤のライナーで明かされています。ちなみにこの編集盤では、
ワジンボ&オルケストラ・マラベンタ・スター・ジ・モザンビークとなっていました。

そしてこのライナーに、オルケストラ解散後の
ワジンボの地元制作盤 “MAKWÊRU” が推薦盤として紹介されていたんですね。
これを読んで聴いてみたいと思いつつも、モザンビーク盤CDなど入手する手立てもなく、
忘却のかなただったんですが、偶然入手して昔の記憶が蘇りました。

聴いてみて意外だったのが、ことのほかポップだったこと。
オルケストラ時代のホーン・セクション入りのアーシーなマラベンタと違って、
アコーディオンや女性コーラスを配して、小気味良いバンド・サウンドを聞かせ、
都会的なセンスを加味したプロダクションとなっています。

ホーン・セクションはシンセ代用となっているものの、
サックス・ソロは聴きごたえがあるし、めちゃくちゃ流麗なギター・ソロも出てきます。
いったい誰?とクレジットをチェックしたら、南アで活躍するモザンビーク人
スムース・ジャズ・ギタリストのジミー・ドゥルドゥルとあり、ナットク。
本作は南アのジョハネスバーグでレコーディングしたんですね。

ワジンボの雑味のある声には味わいがあって、
渋みもあるソウルフルな歌声に、いいシンガーだなあと感じ入ってしまいます。
曲ごとさまざまなリズムを使い、変化に富んでいるのも本作の良さで
もっとこの人のアルバムを聴きたくなりますねえ。
マラベンタを代表するシンガーでありながら、ソロ作はこの1枚しかないんでしょうか。

Wazimbo "MAKWÊRU" Produções Conga EDM001 (1997)
Orchestra Marrabenta Star De Moçambique "INDEPENDANCE" Piranha PIR15-2 (1989)
Orchestra Marrabenta Star De Moçambique "MARRABENTA PIQUENIQUE" Piranha CDPIR1043 (1996)
Wazimbo & Orchestra Marrabenta Star De Moçambique "NWAHULWANA" Piranha CDPIR1572 (2001)
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UKソウルの現在地 ブルー・ラブ・ビーツ [ブリテン諸島]

Blue Lab Beats  BLUE ECLIPSE.jpg

ロンドン新世代のエレクトロ・フュージョンのサウンドに
夢中となったブルー・ラブ・ビーツの2年ぶりとなる新作。

デビュー作の記事を書いた後に知ったんですが、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-03-30
ブルー・ラブ・ビーツの二人って、一世風靡したアシッド・ジャズのバンド、
ディーインフルエンスの子息なんだってね。
うわー、そりゃあ、シャレオツなのも当然つーか、筋金入りじゃん。

おみそれしましたという感じなんですが、
新作はエレクトロ・フュージョン・タッチのインストゥルメンタル・パートよりも、
大勢のゲストを迎えたシンガーやラッパーの魅力がぐっと表に出ていて、
UKソウルの現在地というニュアンスが濃厚になりましたね。

ゲストのなかでは、前作に続くコージ・ラディカルのほか、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-05-21
ムーンチャイルドのアンバー・ナヴランが参加が目を引きます。
男性/女性、シンガー/ラッパーという多彩なフィーチャリングが、
アルバムに膨らみをもたらしていますね。

ちょっと驚いたのが、コンゴリーズ・ルンバ・テイストの曲( ‘Guava’ )があって、
ルンバ独特のキラッキラなギターを Mr DM が弾いているもんだから、
こういう引き出しもあるのかと感心したんですが、
ライナーをチェックしたら、なんとサンバ・マパンガラの作。
【参考】 https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2023-05-24

この曲のバンドキャンプのページを見たら、
「私たちはサンバ・マパンガラの音楽がもたらす
ハイライフなエネルギーが大好きです」と書かれていて、
コンゴリーズ・ルンバとハイライフの区別が付いてないのには、トホホ。
でも、こうしたヴァリエイションを広げているところも、今作の魅力ですね。

Blue Lab Beats "BLUE ECLIPSE" Blue Adventure/Blue Note 00602458943184 (2024)
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ハードコア・パンク×フリー・ジャズ ザ・メステティックス&ジェイムズ・ブランドン・ルイス [北アメリカ]

The Messthetics and James Brandon Lewis.jpg

レッド・リリー・クインテットのアヴァンギャルド・フォーク・ジャズが
記憶に新しいジェイムズ・ブランドン・ルイス。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-07-03
ザ・メステティックスという聞いたことのないバンドとの共同名義作のサンプルを聴いて、
ブッたまげました。なんじゃ、この凄まじいギターは!

さっそくCDショップに駆け込み、ジャズのコーナーを探しても見つからず、
店員さんに聞いたらロック・コーナーへ案内されました。
えぇ? レーベルがインパルス!なのに??
ザ・メステティックスというのは、ハードコア・パンク・バンドのフガジの
リズム・セクションの二人がギタリストを加えて結成した、
スリー・ピースのインストゥルメンタル・バンドだとのこと。

フガジはワシントンDCの伝説的なパンク・バンドだそうで、
ハードコア・パンクじゃ、ワタクシが知るはずもないですが、
ギタリストのアンソニー・ピロッグは、エクスペリメンタルのシーンで注目の人で、
インプロの鬼としても知られるから、フリー・ジャズと親和性が高いのも当然。

ジェイムズ・ブランドン・ルイスとの共演もこれが初めてではなくて、
ドラマーのウィリアム・フッカーが率いる
フリー・ジャズ・セッションで出会って意気投合し、
ブランドンのグループで一緒に活動していたんだそうです。

いやぁ、それにしても痛快じゃないですか。
ゴツゴツとした音塊をぶつけ合うブランドンのサックスとアンソニーのギター。
重量感たっぷりの雄大な音像を生み出しています。
そしてドラムスとベースは、パンク出身というのが意外なほどのしなやかさで、
クッションの利いたリズム・セクションがバンド・サウンドのスケール感を増幅しています。

音楽の熱量に圧倒されるばかりでなくて、
陰影のあるスローな楽曲には奥行きや深みもあり、
クールな聴後感を残すところも、この作品の素晴らしさでしょう。

The Messthetics and James Brandon Lewis "THE MESSTHETICS AND JAMES BRANDON LEWIS" Impulse! 00602458945911 (2024)
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チタリンのエキス滴るソウル ウィリー・クレイトン [北アメリカ]

Willie Clayton  SHOW TIME.jpg

前作で力のこもったソウル&ブルースを聞かせてくれたウィリー・クレイトン。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-12-07
やっぱ生演奏はいいよなぁと感じ入っただけに、
昨年末に出た、いかにもチタリン・サーキット仕様の
チープなジャケット・デザインの新作は、
スルーさせていただいていたんであります。

申し訳ございませんでしたっ! 私が悪うございました。
これほど説得力のあるアルバムになっているとは。
さっそく買わせていただいたんですが、
届いたCDはチャチなペイパー・スリーヴというのが悲しいところ。
ま、そこが、インディ・ソウルという世界なんですけれども。

オープニングの ‘Boot Scoot Dance’ のグルーヴから、いきなりアガりっぱなし。
ウチコミならではのグルーヴに、ナマナマしいウィリーのヴォーカルがカブされば、
もう昇天必至。
現役感たっぷりのウィリーの歌声に、ただただ圧倒されるほかありません。
ファルセットも楽勝で出るしねえ。
この歌ぢから、当代随一ですよ。

♪オ~、オゥ、オ~ゥ♪ というメリスマに込められる狂おしさに、
身もだえてしましますよ。歌詞なんていらない、
まさしく「この熱い魂を伝えたいんや」の世界であります。

楽曲も粒揃いで、全10曲中9曲がウィリーの自作で、
1曲がウィリーとジャーマイン・レイフォードとの共作なんだから、
ソングライターとしても脂がのっているよねえ。
コテコテのチタリン~サザン・ソウルの味をたっぷり堪能できる一枚。
ごちそうさまでした。

Willie Clayton "SHOW TIME MR.C" Endzone no number (2023)
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オーガニックでエモーショナル ファーダ・フレディ [西アフリカ]

Faada Freddy  GOLDEN CAGES.jpg

アフリカン・ポップの新時代を切り開いた画期的な作品
“GOSPEL JOURNEY” から8年。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-04-02
セネガルの才人、ファーダ・フレディの新作が届きました。

歌とコーラス、ビート・ボックス、ボディ・パーカッション、
手拍子や口笛を駆使したサウンド・メイキングは前作同様。
ひとつひとつの要素に驚くべきテクニックを駆使しながら、
オーケストラに匹敵するサウンドを構築したアプローチは、
ヒップ・ホップで鍛えられたスキルに、
ドゥーワップにゴスペル・クワイアのアイディアを盛り込んだもの。

これまでに誰もなしえなかったアプローチで、
唯一無二の音楽を生み出した才能は、
もっと高く評価されて当然だったのに、
ジャーナリズムの注目はいま一つだったのが、悔しかったなー。

さて、『黄金の檻』とタイトルされた新作は、
非人間化していく現代社会や画一化する思考へ警鐘を鳴らしています。
こうした問題意識は、人間性の喪失をテーマとした
3年前のダーラ・J・ファミリーのアルバム “YAAMATELE” と通底しています。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-04-19
オーガニックでエモーショナルな肉声にファーダがこだわるのは、
こうしたテーマゆえなのですね。

現代に生きるすべての人に共通するテーマで、音楽も国籍を問わないもの。
今度こそ注目を浴びてほしいんだけど、国内盤が出る気配はないしなあ。
ジョン・バティステと同列で騒がれなきゃいけない人ですよ!

Faada Freddy "GOLDEN CAGES" Think Zik! TZ-A026 (2023)

【訂正】国内盤出ていたようです。めでたし。
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リーブルヴィル発バマコ経由リヨンから世界へ パメラ・バジョゴ [中部アフリカ]

Pamela Badjogo  YIÊH.jpg

レ・アマゾーヌ・ダフリークの初代メンバーだったパメラ・バジョゴ。
フランス、リヨンで活動するガボン人シンガー・ソングライターで、
16年にデビュー作、21年に2作目を出しましたが、
今年3作目となる新作が出ました。

Pamela Badjogo  MES COULEURS.jpg   Pamela Badjogo  KABA.jpg

デビュー作を聴いたときは、
カルメン・ソウザと似たタイプのジャズ・ヴォーカリストなのかなと思いましたが
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2013-10-09
2作目ではがらっとアフロビーツ色濃いサウンドに変わり、
パメラの歌もジャズ唱法をすっかりひそめてしまったので、
ポップスに方向性をシフトしたのは明らかですね。

新作も2作目の方向性を引き継いでいて、
両作のサウンドの仕掛け人は、ガーナ、ファンキー・ハイライフの大ヴェテラン、
パット・トーマス復帰後の2作をプロデュースした、クワメ・イェボア。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-06-21
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-12-07

クワメ・イェボアは、ギター・バンド・ハイライフの名バンド、
カカイク・ナンバー2・バンド(K.K's No.2)のリーダー、
A・K・イェボアの息子という二世ミュージシャン。
パット・トーマスのバンド、クワシブ・エリア・バンドで
バンド・マスターを務めるマルチ奏者です。

パメラの2作目でもクワメが鍵盤、ギター、ベース、ドラムスと、
ほぼ全楽器を担っていましたが、
新作では多くのミュージシャンを起用して生演奏を増やしたことで、
アフロビーツ色が後退し、よりコンテポラリーなアフロ・ポップ作となりました。

リヨンで活動するマリ人ベーシスト、エリゼー・サンガレが、
ベースだけでなく作曲でもパメラとコラボしていて、
クワメとともに今作のサウンドづくりをリードする役割を果たしたんじゃないかな。
パット・トーマスが客演した曲では、ハイライフのメロディーと
アマピアノのサウンドをミックスさせるという面白い試みが聞けます。

パメラは82年ガボンの首都リーブルヴィルに生まれ、
03年に微生物学を学ぶためにマリへ移住し、大学院を卒業してから、
バック・シンガーとして音楽活動を開始したという経歴の持ち主。
マリ人ミュージシャンとの縁が深いのは、マリでの体験が大きいのでしょう。

ジャズ・ヴォーカリストとしての資質を前面に打ち出したデビュー作で、
ジャズ系フランス人ミュージシャンとともに、
マリ人ヴェテラン・ジャズ・ミュージシャンのシェイク・ティジャーン・セックや、
セク奏者のズマナ・テレタ、セグー出身のバンバラ人歌手のババニ・コネなど、
マリのミュージシャンが多く参加していたのも、こうしたキャリアゆえ。

パメラの母語であるアカニギ語(パメラはンドゥム人)や、
ンゼビ語などのガボンのバントゥー系諸語に、フランス語、英語を駆使して歌う
パメラの歌は、アフリカ女性のエンパワーメントを多く取り上げているとのこと。
洗練されたサウンドにのるパメラのキリッとした歌いぶりから、
インテリジェンスが伝わってくるのと同時に、
しなやかな女性らしさがにじみ出てくるところに、とても惹かれます。

Pamela Badjogo "YIÊH" Raphia RAP004CD (2024)
Pamela Badjogo "MES COULEURS" no label no number (2016)
Pamela Badjogo "KABA" Raphia no number (2021)
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ルンバ・コンゴレーズ黄金時代のコンゴ・ファンク [中部アフリカ]

Congo Funk!.jpg

アナログ・アフリカの新作は、コンゴのファンクにスポットを当てたコンピレーション。
ルンバ・コンゴレーズ黄金時代を迎えていた、
コンゴ川両岸に位置するキンシャサとブラザヴィルという二つのコンゴの首都で、
ファンクがいかに咀嚼されていたかを示そうという企画、なのかな?

選曲は69年から82年までの独立系レーベルのシングル盤から取られていて、
デジパックのジャケットには、魅力的なシングル盤スリーヴがずらりと並んでいます。
さぁ、どんなコンゴ・ファンクが楽しめるのかと思いきや、
う~ん、企画意図をハズした選曲が目立つなあ。

タブー・レイ、ベラ・ベラ、セリ・ビジュー、ザイコ・ランガ=ランガの 4曲は、
まごうごとなきルンバ・コンゴレーズで、ぜんぜんファンクなんかじゃない。
タブー・レイ(ロシュロー)なら、
ジェイムズ・ブラウンを意識した曲がいくらでもあるっていうのに、
なぜこれを選んだのか?って感じで、ガックリ。
このアルバム、2000曲から14曲に絞り込んだというけど、
2000曲のセレクションじたいがダメだったんじゃないの?

そういう不満が残るコンピレではありますが、
趣旨にバッチリ沿ったファンクも、もちろん聞けます。
一番の聴きものが、レ・バントゥ・ド・ラ・カピタールの ‘Ngantsie Soul’。
これは最高のアフロ・ジャズ・ファンクですね。
8分30秒に及ぶタフなダンス・トラックで、
リズム・ギターのファンキーなカッティングがグルーヴを巻き起こし、
ホーン・セクションが重厚なサウンドを生み出し、
トランペット、サックス、トロンボーンのソロが熱演を繰り広げます。
さすがはブラザヴィルのトップ・バンド、演奏力の高さは随一といえます。

対抗馬となるキンシャサ代表、OK・ジャズの2曲もスゴイ。
69年という時期の早さに、フランコの先見性がうかがえるとともに、
優雅なルンバ・コンゴレーズを完成させたOK・ジャズが、
いち早く流行を取り入れた柔軟性にも感心させられます。

OK・ジャズがファンクを取り入れたのはごく短い期間で、
新境地を開拓しようと試行錯誤していたフランコが、
ファンクに熱心なメンバーの意見を取り入れたという面もあったようですね。
今回のコンピレで、ロロことローラ・ジャンギ・カミーユが、
その一人だったことを知りました。

御大フランコ自身もこの時期、ファンク調の曲を作曲し、
ジェイムズ・ブラウンばりのシャウトなどもしてはいたものの、
「ジェイムズ・ブラウンのダンスはまるでサルみたいで下品だ」と
公言していたフランコなので、ロシュローほど熱は入らなかったようですね。

意外な聴きものだったのが、アベティの弟のギタリスト、アブンバ・マシキニ。
MBTズ名義の ‘M.B.T.'s Sound’ では、ワー・ワー・ワトソンばりの
ミュートした単弦リフを聞かせ、アベティ&レ・ルドゥタブル名義の
‘Musique Tshiluba’ ではファズを利かせたロック・ギターを弾いています。
全盛期にはジミ・ヘンドリックスと比較されるほどだったというから、
いかに才能豊かなギタリストだったかがわかります。

優美なルンバ・コンレーズを生み出した土壌ゆえ、
ファンクと呼ぶにはまったりしたリズムが、コンゴらしいところでしょうか。
一過性のブームに過ぎなかったコンゴのファンクですが、
振り返ってみれば、なかなかに面白い録音が残されていて、
企画に沿った選曲が徹底されていたら良かったんですが、そこが悔まれます。

Orchestre O.K. Jazz, Les Bantous De La Capitale, M.B.T’s, Orchestre National Du Congo and others
"CONGO FUNK!: SOUND MADNESS FROM THE SHORES OF THE MIGHTY CONGO RIVER 1969-1982" Analog Africa AACD098
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リビアのレゲエのパイオニア イブラヒム・ヘスナウィ [中東・マグレブ]

Ibrahim Hesnawi  THE FATHER OF LIBYAN REGGAE.jpg

リビアにポピュラー音楽なんてあるのかしらん?
リビア人シンガーとかグループって聞いたことがないし、
急進的なアラブ民族主義を掲げたカダフィが69年から君臨して、
欧米諸国と敵対していた国だから、音楽産業もなさそうだしなあ。

Afmed Fakroun.jpg

長年そう思っていたので、アフマド・ファクルーンを知った時はドギモを抜かれました。
ぼくが聴いたのは83年のアルバムですけれど、中身はデュラン・デュランを思わす、
ニュー・ロマンティックなアラビック・シンセ・ポップ/ディスコ。
革命国家リビアでこんな音楽やって、無事でいられるのかといぶかしんだんですけど、
ハイ・スクール時代をイギリスで過ごして、ヨーロッパで活動を始め、
リビアに戻ってアラブ世界で成功を収めたという経歴の持ち主だから、
リビアのポップスというのとは違うんでしょうね。
アラブ世界でスターダムにのぼり、またすぐまたヨーロッパに戻った人だし。

そんなわけでやはりリビアといえば、
ティナリウェンを生んだトゥアレグ難民の国というイメージでしょうか。
難民キャンプで革命指導を受けたトゥアレグの若者を中心に
結成されたティナリウェンですけれど、
トゥアレグの若き戦士たちのサウンドトラックとなったという
ティナリウェンのカセットは、リビアで作られていたわけではありません。

やはりリビアにはポップスは存在しないのかと思っていましたが、
リビアのレゲエのパイオニアだというイブラヒム・ヘスナウィの編集盤が
ハビービ・ファンクから出たので、これは注目しないわけにはおれません。
ライナーを読むと、54年にリビアの首都トリポリで生まれたイブラヒム・ヘスナウィは、
ロックやブルースに感化されてギターを弾いていたものの、
75年に電器店で働いていた友人からボブ・マーリーを聞かされてレゲエののめりこみ、
のちにリビアン・レゲエの代表的なシンガーとなったとあります。

80年に出したデビュー作はイタリアでレコーディングされ、
70~80年代はリビアのミュージシャンの多くが
イタリアでレコーディングをしたのだそうです。
先にハビービ・ファンクがリイシューしたリビアのグループ、
ザ・フリー・ミュージックもイタリアでレコーディングしていました。

イブラヒム・ヘスナウィは、80年のデビュー作と87年にハンガリーで録音した以外、
すべてリビアのローカル・スタジオでレコーディングし、
15作を超すカセットを発表したようです。

カダフィ時代、政治と音楽との関係は複雑だったようで、
85年にトリポリの広場で行われた音楽録音物と楽器の公開焼却がその象徴でした。
支援を受ける音楽家もある一方で、革命思想の政治目的と一致しない
ミュージシャンは投獄され、先に挙げたザ・フリー・ミュージックのバンド・リーダー、
ナジブ・アルフーシュは刑務所に送られ、カダフィを賞賛するアルバムに参加した後、
釈放されたといいます。

そうした情勢下でイブラヒム・ヘスナウィは、
カダフィの統治時代には何の障害にも直面しなかったそうで、
レゲエの汎アフリカ主義や自由や解放のメッセージが権力側に好ましいものと映り、
むしろ政府の支援も受けていたというのだから、わからないものです。
そういえば、ティナリウェンのメンバーは、リビアのキャンプで革命教育として
ボブ・ディラン、ジョン・レノン、ボブ・マーリーを聴かされていたというのだから、
単純に欧米の音楽が禁止されるというのではなく、
反体制、反植民地主義の音楽は受け入れられていたんですね。

イブラヒムが歌うのは、数曲を除きアラビア語リビア方言。
ルーツ・レゲエとダンスホールのスタイルを咀嚼したサウンドはこなれていて、
ギター・ソロなども堂に入っていて、感心しました。
リビアにレゲエが根付いたのは、レゲエがリビアの民俗音楽のジムザメットと
リズムが似ていたことや結婚式での聖歌の行進など、
レゲエと親和性の高い要素がいくつもあったことが、ライナーノーツで指摘されています。

Ibrahim Hesnawi "THE FATHER OF LIBYAN REGGAE" Habibi Funk HABIBI024
Ahmed Fakroun "MOTS D'AMOUR" Presch Media GmbH PMG005CD (1983)
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新時代のソマリランド・ロック サハラ・ハルガン [東アフリカ]

Sahra Halgan  HIDDO DHAWR.jpg

ソマリランド出身のサハラ・ハルガンの3作目。
ソマリ音楽の片鱗も感じられなかったデビュー作から一転、
前2作目のローファイなロック・サウンドへの変貌ぶりには驚かされましたが、
新作ではさらにギアを上げたようです。

エチオ・グルーヴやデザート・ブルースに共通する、
ブルージーでディープなロック感覚をソマリ歌謡に持ち込んだ試みは、
ここに完成を見たといえる傑作になりましたね。

前作にはキーボードにオリエンタル・モンド・サウンドの鬼才
グラーム・ムシュニクが参加していましたが、今作はレジス・モンテに交代。
91年にハルガンがフランスへ亡命して以来、
リヨンでともに音楽活動をしてきた仲間の二人、
ドラムスのエメリック・クロールとギターのマエル・サロートは不動です。

エメリック・クロールは、マリの伝統音楽をアップデートするグループ、
ベカオ・カンテットのドラマー。
そしてマエル・サロートは、スイス、ジュネーブのポスト・ロック・バンド、
オルケストル・トゥ・プイサン・マルセル・デュシャンのギタリストです。

ハルガンとエメリック、マエルの3人で制作したデビュー作では、
エメリックとマエルがソマリ音楽を理解していなかったため、
無国籍音楽のような仕上がりになってしまいましたが、
その後ハルガンが、二人にソマリの伝統リズムを仕込んだのでしょう。
前作では、ハルガンのウルレーション(ソマリ語では「マシュハッド」と呼ぶそう)が
効果を上げていたように、ソマリの伝統音楽の要素を前面に押し出し、
ソマリの大衆歌謡カラーミをアップデートしたサウンドも聞かれるようになっていました。

新作はその路線をさらに推し進めて、ソマリのグルーヴをベースに、
多彩なリズムや曲調でサウンドを彩り、そこにギターのダーティなトーンや
ロック・スタイルでパーカッション的なプレイを聞かせるドラムスが、
これまでにないソマリ新時代のワイルドな音楽を生み出しています。

ハラガンの痙攣するヴォーカルが、ヘヴィーなギターにヴィンテージ・サウンドのオルガンと
シンバルの乱打が交錯するオープニングから強烈です。
タイトル曲の ‘Hiddo Dhawr’ なんて、ソマリの民謡ロックそのもの。
なかでも聴きものは、ハルガンがラップする ‘Lamahuran’。
高らかにマニフェストを宣言するかのような ‘Hooyalay’ なんて、
「戦闘員」とアダナされたハルガンの真骨頂じゃないですか。

Sahra Halgan "HIDDO DHAWR" Danaya Music DNA001CD (2024)
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デビュー作から半世紀 オーリアンズ [北アメリカ]

Orleans.jpg

おぉ、オーリアンズのファーストが、
ゲートフォールドのオリジナル仕様で紙ジャケCD化されましたか!
韓国のビッグ・ピンクのお仕事、嬉しいですねえ。

このレコードを買ったのは高校1年の時。
当時夢中だったリトル・フィートに通じるバンドとして、受け止めていました。
リトル・フィート以上にギター・バンドとしての性格が前面に出ていて、
ジョン・ホールとラリー・ホッペンのツイン・ギターの軽快な絡みが呼びものでした。
40年ぶりくらいに聴いたけれど、このみずみずしさ、変わらないねえ。
2台のストラトキャスターが生み出すカリッとしたサウンドがたまりません。

ソウルやファンクの影響を強く受けていて、
ニュー・オーリンズ・ファンクの要素がうかがえるところにも惹かれたんだな。
まるでスライ&ザ・ファミリー・ストーンみたいな曲(‘Tongue-Tied’)もあったし。
マッスル・ショールズ・スタジオの
バリー・ベケットとロジャー・ホーキンスがプロデュースしたからか、
スワンプぽいニュアンスがあるところも、本作の魅力でした。

メンバー4人全員が歌えるところもこのバンドの強みで、
のちに ‘Dance With Me’ で名を上げるキャッチーなハーモニー・コーラスも、
このデビュー作から発揮されていましたね。
ドゥービーぽくなってしまった ‘Dance With Me’ 以降のオーリアンズより、
ぼくはこのデビュー作当時のバンド・サウンドが好きなんですけれども。

ジョン・ホールはのちにスティールドラム・ギターと称して、
ギターでスティールドラムの音色を出すテクニックを生み出しますが、
このデビュー作では本物のスティールドラムを叩いているところも聴きどころ。
‘If’ でそれが聞けるんですけれど、リズム・アレンジがレゲエで、
ロック・ミュージシャンがレゲエを取り上げた例としては早い方でしたよね。
‘It All Comes Back Again’ でもカリビアンなムードが聴き取れて、
当時のタジ・マハールのカリブ志向とも共振するのを感じたなあ。

R&Bニュアンスたっぷりのグルーヴと
ツイン・ギターのリズム・プロダクション、
スウィートなハーモニー・コーラスとキャッチーなソングライティング、
これほどの魅力が詰まったデビュー作がセールス失敗に終わったというのは、
ABCというレコード会社がいかにボンクラだったかの証明ですね。

Orleans "ORLEANS" Big Pink 867 (1973)
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ブラジルの正統派ジャズ・ヴォーカリスト アドリアーナ・ジェンナリ [ブラジル]

Adriana Gennari  SOBRE A COR DAS HARMONIAS.jpg

サン・パウロで活躍するシンガーだというアドリアーナ・ジェンナリ。
初めてその名を知りましたけれど、
いやぁ、実力派のジャズ・ヴォーカリストじゃないですか。
「ジャジーMPB」というお店のコピーに誘われて買ったんですけれど、
MPBじゃなくて、正統派のジャズ・ヴォーカリストですね、この人は。

これまでに6枚のCDを出しているといいますが、知るチャンスがなかったなあ。
すでに25年を数えるキャリアがあり、
いくつもの合唱団で歌唱指導や指揮をしてきたそうで、
ヴォーカル・コーチの経験が豊富というのもナットクできる歌唱力ですね。

エラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンといった
名ジャズ・ヴォーカリストたちから学んだのが聴き取れるアドリアーナの歌は、
音程がとてもしっかりしているのが美点で、
特にスキャットで聞かせる音程の正確さに、実力のほどがうかがえます。
語尾につくヴィブラートの過不足ない表現も、すごくいいですねえ。

Pó De Café Quarteto  AMÉRIKA.jpg

伴奏を務めるのは、
サックス、トランペットの2管を擁するセクステットのポー・ジ・カフェ。
サン・パウロの敏腕ミュージシャンが集い、08年に結成されたグループで、
トランペットにぼくが買っているルビーニョ・アントゥネスが参加しています。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-09-13

ポー・ジ・カフェのメンバーによるオリジナル曲を歌い、
ピアニストのムリロ・バルボーザがアレンジし、
プロデュースと音楽監督はアドリアーナ自身が行っています。
ラストの英語曲はアドリアーナとロベルト・メネスカルとの共作で、
メネスカルもギターで参加しています。
この曲で聞かせるバラード表現も見事なものです。

ブラジルのジャズ・ヴォーカリストで、これほど本格派の人はマレですよ。

Adriana Gennari "SOBRE A COR DAS HARMONIAS" no label no number (2023)
Pó De Café Quarteto "AMÉRIKA" no label no number (2015)
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ガール・グループを経てソロ・デビュー ジェルシー・ペガード [南部アフリカ]

Gersy Pegado  MAMANGOLA.jpg

ウォントリストから捕獲できた一枚。
アンゴラの旧作で、ジェルシー・ベガードのソロ・デビュー作。14年のアルバムです。

ジェルシー・ペガードは、ガール・グループのアス・ジンガス(・ド・マクルソ)で
パトリーシア・ファリアとともにグループの看板を張っていたリード・シンガー。
パトリーシア・ファリアについては、前に記事を書いたことがありましたね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-01-16

As Gingas  XIYAMI.jpg

ジェルシー・ペガードは、アス・ジンガスの96年の第1作から
05年のラスト第5作まで全作に参加していますが、
とりわけ99年の名作 “XIYAMI” での歌いぶりが好きでした。
満を持してのソロー・デビュー作、アス・ジンガスでたっぷりキャリアを積んだだけあって、
すでにポップ・スターの風格溢れる一枚に仕上がっています。

弾けるビートが爽快なオープニングのルンバ・コンゴレーズから快調そのもの。
コラやホーンズをフィーチャーし、90年代のエレクトリック・マンデ・ポップを
アップグレイドしたサウンドを聞かせる曲や、
アコーディオンをフィーチャーしたセンバあり、
ポルトガル・ギターをフィーチャーしたネオ・ファド調の曲まであるカラフルな内容。

ウチコミに頼らない人力演奏をメインとしているからなのか、
意外にもキゾンバがなく、アンゴラらしい哀愁たっぷりのスローなど、
よく練れたクレオール・ポップ・アルバムとなっています。
ラスト・トラックがアッパーなカズクータというのも、アンゴラ音楽ファンには嬉しい。

ちなみに今回初めて知ったんですが、
ジェルシー・ペガードの母親であるローザ・ロックが、
アス・ジンガスの生みの親だったんですね。
音楽教師で作曲家のローザ・ロックは、83年にアンゴラ国営ラジオ局の
子供向け番組のためにアス・ジンガスを結成し、
メンバーにローザ・ロックの娘たちも加わりました
ジェルシーは、3歳でアス・ジンガスのメンバーになったのだそうです。

ローザ・ロックはアス・ジンガスの作曲・プロデュースを行い、
アンゴラ音楽史に残る国民的な人気ガール・グループに育て上げました。
ローザ・ロックは、のちに文化芸術国民賞を受賞しています。

As Gingas Do Maculusso  COLECTÂNEA 30 ANOS.jpg

13年にグループ結成30周年を記念して、
96年から05年までの全アルバム5枚と、
グループ最初期の84年にアンゴラ国営ラジオ局で録音された
未発表録音の1枚を加えた、6枚組の完全版CDが出ています。

ジェルシー・ペガードは、アンゴラ・カトリック大学で法学の学位を取得し、
文化観光省の文化・クリエイティブ産業事務局で働き、
著作権と関連する権利の保護の仕事をしています。
12年からは児童書の執筆を始めて児童文学の世界にも足を踏み入れ、
初の著書はアス・ジンガスでの30年間をたどったものだそうです。

Gersy Pegado "MAMANGOLA" Aviluppa Kuimbila no numer (2014)
As Gingas "XIYAMI" Aviluppa Kuimbila AVK003 (1999)
As Gingas Do Maculusso "COLECTÂNEA 30 ANOS" Aviluppa Kuimbila no number
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アマピアノでクール・ブリージン タイラ [南部アフリカ]

Tyla.jpg

So cuuuuuuuuuuute !!!
な~んてカワイイんでしょうか♡♡♡
南アフリカから世界を席巻するポップ・スターの登場です。

タイラことタイラ・ラウラ・シーサルは、02年ジョハネスバーグ生まれ。
いよいよゼロ年代のシンガーの時代になったんですねえ。
アマピアノが21世紀のアフリカン・ポップ最前線にジャンプして
産み落とした大スターといえるのかな。

でも、この音楽が南ア発であることを、強調する必要はなさそう。
エリカ・ド・カシエールにアイスランドのナショナリティを必要としないように、
アマピアノの要素をことさら取り上げて、
タイラを無理にアフリカ音楽の文脈に落とし込むことに意味はない、
そんな感を強くするグローバル・ポップです。

昨年シングル ‘Water’ がリリースしされるやいなや、
イギリス、アメリカほか16か国でトップ10入りし、
南アフリカの曲として55年ぶりとなるビルボード・ホット100にランク・イン。
今年2月にはグラミー賞の
最優秀アフリカン・ミュージック・パフォーマンス賞を受賞し、
グラミー賞を受賞した史上最年少のアフリカ人アーティストとなりました。
いきなり世界的なポップ・スターのステージに昇りつめたタイラは、
ゼロ年代にシアラやリアーナがデビューした時を思わせます。

‘Water’ のミュージック・ヴィデオで目が♡♡♡となって、
フル・アルバムを待ち望んでいたけれど、
フィジカルもちゃんとリリースしてくれて、う・れ・し。
キュートな歌い口、甘いフロウ、風に舞うその歌声にもうメロメロ。
アマピアノ独特のログ・ドラムのシンセ・ベースがゴンゴン鳴る
クール・ブリージンなサウンド・スケープに、夢ごこちです。

Tyla "TYLA" Fax/Epic 19658876922 (2024)
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ギュイヤンヌ・フランセーズの新しいミューズ サイナ・マノット [南アメリカ]

Saïna Manotte  KI MOUN MO SA.jpg   Saïna Manotte  DIBOUT.jpg

サイナ・マノットというステキなクレオール・ポップのシンガーを知りました。
20年にデビュー作を出し、22年にセカンドを出しているんですが、
日本に入ってきたことがなく、お目にかかったことはありませんでした。

今年は寒さが厳しくなったあたりから、
アラブのシャバービーの女性歌手まつりが続いていたんですけれど、
サイナ・マノットはそれと似たテイストの人で、
フランス領ギアナのクレオール・ポップとしては珍しく、
哀感を強調するせつな系の歌い口のシンガーです。

サイナ・マノットは、92年フランス領ギアナの首都カイエンヌの生まれ。
17年に結婚したマキシム・マノットともに作曲・プロデュースしたデビュー作で、
ギュイヤンヌ・フランセーズの新しいミューズとして大きな注目を浴びました。
ラ・シガールで開かれたマラヴォワのコンサートのオープニング・アクトを務めたほか、
デデ・サン=プリのオープニング・アクトも務めたのだとか。

そのデビュー作では、サイナ・マノットがピアノ、シンセを弾き、
サイナの夫のマキシム・マノットがギター、ベース、アレンジを担い、
あともう一人のパーカッションの3人でサウンドを作っています。
あと曲によって、別のギタリストのサポートが付くだけですね。

22年のセカンドでも、サイナ以外の別の人が鍵盤をサポートしているものの、
少ない人数で制作している点は変わらず。
ヌケのあるサウンドが風通しよく、ヴァラエティ豊かな楽曲を
さまざまに料理していて、3人という少人数の制作とは思えないほど。
2作に共通するのは、楽曲の良さですねえ。

サイナのチャーミングな歌声が哀愁たっぷりの楽曲と絶妙にマッチして、
フレンチ・カリブのズークより、アンゴラのキゾンバに親和性を感じさせるこの2作、
日本で知られないままではもったいない。
輸入業者さん、ぜひ仕入れてください。

Saïna Manotte "KI MOUN MO SA" Aztec Musique CM2659 (2020)
Saïna Manotte "DIBOUT" Aztec Musique CM2805 (2022)
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