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マラベンタの王様 ファニー・プフーモ [南部アフリカ]

Fany Mpfumo.jpg

モザンビークでマラベンタが大きく発展した50年代に人気を博した伝説の歌手、
ファニー・プフーモの超・超・超貴重なリイシュー作です!

うわー、やっと手に入れましたよ、苦節15年!
99年にモザンビークで出たCDなんですけど、
モザンビーク盤を入手するスベなんて皆目見当つかず、
さんざん手を尽くしたんですけど結局ダメで、
完全に諦めモードとなっていた1枚なのでした。いや~、長かったなあ。

ファニー・プフーモは、28年10月18日、ロウレンソ・マルケス(現在のマプト)の
もっとも古いタウンシップ、マファララの貧しい家庭に生まれた歌手。
石油缶で作った手製のギターを、7歳の時から弾き始めたというエピソードは、
同年輩のライヴァル、ディロン・ジンジの少年時代とまったく同じで、
マラベンタの音楽家たちは、みんな貧しい若者たちだったんですね。

プフーモは47年、18歳の時に
故郷のロウレンソ・マルケスを離れ、南アへ出稼ぎに出ます。
当時は、多くのモザンビーク人が職を求めて、南アの鉱山へ向かったんですね。
そこでプフーモは歌手活動を始め、モザンビーク人労働者の人気者となります。
やがてミリアム・マケバやスポークス・マシヤネなどとも活動するようになり、
HMVやトルバドールへ録音を残す人気歌手となったのでした。

当時モザンビーク国内には録音設備がなく、
プフーモのように南アへ出稼ぎに行っていたミュージシャンが、
レコーディングのチャンスに恵まれることによって、
マラベンタの録音が残されたんですね。
30年代末に南部モザンビークでギター・ミュージックとして誕生したマラベンタは、
ロウレンソ・マルケスの都市化が進展した50年代に、
ダンス・ミュージックとして流行しますが、
それには、南アで吹き込まれたレコードがもととなったのでした。

Fany Pfumo.jpg

プフーモがモザンビークに帰国するのは、独立2年前の73年、45歳になってからのこと。
ぼくがファニー・プフーモの名前を覚えるきっかけとなったのが、帰国後のレコードで、
ポルトガル・ギター(ギターラ)を弾いているジャケットが、強烈な印象を残しました。
ポルトガル・ギターといえばファドというイメージが強く、
アフリカ人が持っている姿など見たことがなかったからです。

マラベンタがポルトガル植民者のポルトガル民謡の影響を受けていることは、
資料で読んだことがありましたが、ポルトガル・ギターまで
使われているとは知りませんでした。
これで、ぐっとファニー・プフーモに興味を抱いたのですが、
じっさいに本人の歌を聞けるまで、ずいぶんと時間がかかってしまいましたねえ。

プフーモは87年11月に亡くなりますが、
99年にモザンビークでリリースされた本作は、
晩年にあたる80年代録音のリイシューのようです。
クレジットがないので、推測ではありますが、
サウンドの感じから、70年代ではなさそう。
聴く前は、南ア録音のSP音源も入っているのかなと期待したんですが、
さすがにそれはありませんでした。

南部アフリカらしい典型的なギター・バンド・サウンドで、
これぞマラベンタといった曲が、たっぷり18曲。堪能させていただきましたよ。
ウナりをあげるベースなど、サウンドはンバクァンガによく似ていますけれど、
ンバクァンガほどサウンドが硬質ではなく、
ファットでアーシーなサウンドがマラベンタの持ち味。
ンバクァンガを田舎ぽくしたという印象は、
南アとモザンビークの土地柄そのままを表しているんじゃないでしょうか。

プフーモのスモーキーなヴォーカルも力があって、
ざらっとした歌声には味がありますねえ。
きりりと引き締まったリズム・セクションによく映えて、う~ん、いい歌手だなあ。
ポルトガル・ギターをフィーチャーした“A Vasati Va Namuhla” も聴くことができますよ。
「マラベンタの王様」の名にふさわしいファニー・プフーモの代表作にして、
マラベンタの名盤です。

Fany Mpfumo "NYOXANINI" Vidisco 17.80.1117
[LP] Fany Mpfumo "O REI FANY PFUMO" Ngoma LP0142
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