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無頼人生のぶっきらぼー節 ソティリア・ベール [東ヨーロッパ]

Sotiria Bellou  LAIKA PROASTIA.jpg

世界一ぶっきらぼーな歌を歌う人。
ソティリア・ベールを初めて聴いた時は、
音楽の審美的価値観をひっくり返される思いがしました。
情感もへったくれもないその歌いぶりに、
世の中にはこういう歌の美学もあるのかと、衝撃でしたよ。

ソティリア・ベールは、40年に無一文でアテネに出てきて、
さまざまな仕事をしながら糊口をしのぐ一方、レジスタンス活動にも身を投じ、
44年12月のアテネの戦いに参加して負傷したという烈士。
47年に酒場で歌っているところをヴァシリス・ツィツァーニスに見い出されて、
戦後レンベーティカを代表する歌手となった人です。

生まれはエーゲ海西部、エヴィア島の都市ハルキダですが、
アテネに出てきた理由が凄まじい。
十代で望まぬ結婚を親に強いられ、
夫から頻繁に殴られる日々が続いたというのです。
ある日身を守るために、夫の顔面にワイン瓶を投げつけて逮捕され、
3年の実刑判決を受けて6か月服役したのだそうです。
服役後に実家から縁を切られて故郷を出たというのだから、壮絶です。
レジスタンス活動中にも逮捕され、
悪名高いマーリン通り拘置所に投獄されて拷問を受けたといいます。

こうしたエピソードの数々は、
ソティリア・ベールの強烈な歌いぶりへの納得感を補完するものでしょう。
50年代半ばにレンベーティカがその歴史を終えるのと同時に、
ソティリアも活動を止めてしまうのですが、
60年代に入って活動再開した時に、声がすっかり変わって男のような低い声となり、
ただでさえディープな歌うたいだったのが、さらに凄みを増していました。

そんなソティリアの凄みを実感できるのが、80年の本作。
当時若手気鋭の作曲家イリアス・アンドリオプロスと、
このアルバムで作詞家としてのスタートを切ったミハリス・ブルブリスの
コンビで制作された作品です。

ジャケットの黄昏れた絵がなんとも雰囲気があって、大好きな作品なんですが、
このアルバムがCDブックのデラックス・エディションでリリースされていたことを知り、
買い直したのでした。09年に出た限定版ですけれど、まだ今でも売っていますね。
80年の作品なので、ライカの意匠であるものの、
レンベーテイカのムードを濃厚に残した歌を聞かせる名作です。
美しく清楚な女性コーラスがフィーチャーされる曲では、
ソティリアのヴォーカルとのあまりの落差に、笑っちゃうくらいですよ。

ソティリア・ベールは晩年アル中になったうえ博打に溺れて経済的に困窮し、
97年に亡くなった時に無一文だったのも、博打が原因だったといいます。
ソティリアの人生は、まさしく波乱万丈。
48年には極右の狂信者集団がライヴ会場に乱入して、
ソティリアを共産主義者と罵りながら殴打する事件も起きています。
晩年にレズビアンを公言したのも、当時のギリシャ社会では考えらないことでした。
破天荒な人生を送った人ならではの、ぶっきらぼー節です。

[CD Book] Sotiria Bellou "LAIKA PROASTIA" Lyra 3401176915 (1980)
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クロアチアのルーツ・ポップ ズリンカ・ポサヴェツ [東ヨーロッパ]

Zrinka Posavec  PJESME O LJUBAVI I TIJELU.jpg

なんの予備知識もなく買った、クロアチアの女性歌手のアルバム。
整った美しい発声とケレンのない歌いぶりに吸い寄せられました。
ピアノ、ギター、コントラバス、パーカッションの4人による
アクースティック・サウンドをバックに歌っています。
1曲をのぞいて、すべて主役のズリンカ・ポサヴェツの作曲で、
シンガー・ソングライター・アルバムのようですね。

どんな人なのかと調べてみたら、幼い頃から学んだ伝統音楽と
芸術アカデミーの教育機関で学んだクラシック声楽を組み合わせて、
14年からソロ活動を始めた人とのこと。
クロアチア全土の伝統音楽を採集し録音する活動も行い、
現在はザグレブの芸術学校で声楽教育者として歌唱指導をしているそうです。

21年に出した本作は、そんなズリンカのキャリアを生かして、
クラシックの唱法にクロアチアの民俗音楽や
オリエントな音楽要素を溶け込ませたサウンドが楽しめます。
余談ながら4曲目の ‘Kos’ なんて、
ダン・ヒックスの ‘I Scare Myself’ を思わせる。
やさぐれたオリエンタル風味のメロディで、ゾクゾクしちゃいましたよ。

洗練されたアレンジを聞かせる小人数による伴奏は、
1曲目を除いてジャズ的な語法を使わずにいながら、
きわめて現代的なフォーク・ジャズのアトモスフィアがあって、
民俗音楽を取り込んだ21世紀のワールド・ミュージック的表現にも思えます。

オーセンティックな伝統音楽からは遠く、
クラシック声楽の折り目正しさはあるものの、
エゴのない歌いぶりは、好感度大。
現代の女性シンガー・ソングライターにありがちな意識高い系の歌い口でないのも、
ぼくとしては安心して聴いていられるところなのでした。

Zrinka Posavec "PJESME O LJUBAVI I TIJELU" Croatia CD6115051 (2021)
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若さハジけるポップ・フォーク テディ・アレクサンドローヴァ [東ヨーロッパ]

Tedi Alexandrova  SARCE MOE.jpg

ひさしぶりにブルガリアからポップ・フォークをまとめ買い。
こんなに円高になると、送料がバカにならないので、
1枚だけなんてもったいなくて、とても買えましぇん。

で、前回のアルベナのほか、アネリア、エマヌエラ、
プレスラーヴァなどの2010年代の旧作を買ってみたんですが、
どれもレーベルがパイネル・ミュージックなので、アレンジャーなど
制作陣が一緒ということもあり、プロダクションはどれも似たりよったり。

EDM/レゲトン系のリズム・トラックをバックに、
ブルガリア独特のメロディにヒップ・ホップ/ロックのセンスを
織り交ぜたヴォーカルを炸裂させます。
間奏で、ズルナやドゥドゥクなどの笛が東欧色をアピールするところに、
チャルガ/ポップ・フォークのアイデンティティがあるんですけれど、
ヴェテラン・シンガー、アネリアの18年作では、こういう演出がぜんぜんなくて、
そうすると単なるEDMと変わらなくて、面白くありません。

昨年大ヴェテランのイヴァナを買った時は、
アダルト・オリエンテッドなコンテンポラリー・センスに感心したんですけれど、
今回買ったアルバムにはそうした志向のアルバムは見当たりませんでした。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-02-19

近作では、テディ・アレクサンドローヴァの20年作が良かったな。
EDM/レゲトン系のビート・メイキングを中心としながらも、
楽曲は東欧の臭みたっぷりで、こぶしを利かせたヴォーカルにはパンチがあり、
胸をすきます。ゲスト・シンガーとの絡み合いも、迫力十分。
リズム・トラックもEDM/レゲトン系一辺倒でなく、
ロック調あり、ファンク調あり、伝統リズムにバルカン・ブラスが登場する曲もあり、
バラエティ豊かなアルバムに仕上がっています。

今回買ったシンガーの中では、一番若い人ですね。
アネリア、エマヌエラ、プレスラーヴァは、いずれも80年代初めの生まれですけれど、
テディ・アレクサンドローヴァは91年生まれ。14年にデビュー作を出し、本作が3作目。
やっぱり二十代だと、ヴォーカルのイキオイが違うよね。

Tedi Alexandrova "SARCE MOE" Payner Music PNR2020111717-1206 (2020)
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ポップ・フォークのリズムの魅力 アルベナ [東ヨーロッパ]

Albena  SDELKA ILI DA.jpg

ブルガリア、チャルガの実力派歌手というアルベナ。
14年も前のアルバムですけれど、いろいろ試聴した近作より、気に入ったので購入。
最近はプロダクションがゴージャスになっているチャルガ(ポップ・フォーク)ですけれど、
ひと昔前のややチープ感ありな、スキマのあるサウンドの方が、ぼくは好きかも。

レゲトンのビートを取り入れたり、ビートメイキングが多彩なのが、本作の魅力。
変拍子を含むバルカンの様々なリズムを駆使しているから、
打ち込みのダンス・ポップのアルバムでも、リズムが単調とか、
一本調子とかには、ぜったいならないんですよね。
いわゆるダンス・ポップに、おおむね冷淡な反応しかできない自分が、
バルカン諸国のポップ・フォークには夢中になれる理由は、
ヴァラエティ豊かなリズムのおかげだな。

クラリネットのほか、ドゥドゥクとおぼしきダブルリードの笛の生音と、
管楽器のフレーズをシンセに置き換えて鳴らす音とのまじり合いも、
チャルガの聴きどころ。カーヌーンやエレクトリック・ブズーキが、
プログラミングの音の狭間で、効果的に使われています。

Albena  SDELKA ILI DA  Liner.jpgそして、アルベナのシャープな
ハイ・トーン・ヴォイスを駆使しながら、
巧みなメリスマを聞かせるキレのある歌唱も、見事。
実力派というふれこみは、ダテじゃありませんね。
スローのバラードでも、キレッキレになる歌唱は、
この人の声質の良さに加えて、
ヴォイス・コントロールの賜物なのだなと、
納得しましたよ。
これほど歌える人なのに、
この08年作しかないというのも、ナゾです。

ちなみに、チャルガの歌手って、みんな美形で、
スタイル抜群。
モデルばりの人ばっかりだけど、
ライナーの見開きに写った
アナベラの全身像を見ると、
背はあまり高くなさそう。
いわゆる小顔でもなく、
なんか親しみのわくプロポーションで、
しげしげと眺めちゃいました。

Albena "SDELKA ILI DA" Diapason APACD436 (2008)
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ギリシャ歌謡の多様性を示すエンテクノ ヴィオレタ・イカリ [東ヨーロッパ]

Violéta Íkari & Nikos Xydis.jpg

ヨーロッパの深い森を舞台にした絵本の実写版(?)みたいな
ジャケットに戸惑いをおぼえたものの、聴いてみたら、これが面白い。
これはライカじゃなくって、エンテクノですね。

エンテクノは、ミキス・セオドラキスやマノス・ハジダキスなどの作曲家によって、
50年代後半から広まったギリシャのオーケストラ音楽で、
ギリシャ各地の民謡のメロディやリズムを取り入れた音楽を指します。
日本では商業化・芸術化したレンベーティカという評価を下されて完全無視され、
その名が使われることがありません。ぼくは、これ、ハジダキスをディスってた、
とうようさんの悪影響のように思えてならないんですけど、違うかな。

ハジダキスがツマンないのは確かだけれど、ギリシャ歌謡のなかで
エンテクノの位置づけは、きちんと評価すべきなんじゃないのかなあ。
ヨルゴス・ダラーラスに代表されるとおり、
バルカン半島を俯瞰した東欧音楽としてのギリシャ歌謡を捉え直す機運から、
エンテクノにスポットを当てた作品が増えているだけにねえ。

エレフセリア・アルヴァニターキなんて、
コンテンポラリー・エンテクノのシンガーと呼んだっていいと思うんですけれど、
日本ではそのジャンル名を使って説明されることはありません。
しかし本作は、多様な民族が往来したギリシャ歌謡のルーツ還りをうかがわせる、
エンテクノらしい作品といえます。

本作は、歌手のヴィオレタ・イカリと共同名義扱いになっている
ニコス・クシーディスという人の曲集で、
ジャケットに写っている髭面のオッサンがニコスのようです。
ベンディールが打ち鳴らされて、バルカン色濃厚なメロディが繰り出され、
ジプシー的なクラリネットやトランペットがひらひらと舞うという、
東欧色の強いサウンドが強調されています。

アクースティックな音づくりになっているんですけれど、
そこにアート・リンゼイみたいなノイズ・ギターが忍び込み、
不穏なムードを作っているんですね。
どうやらこのノイズ・ギターを弾いているのが、ニコスのようです。

そして、主役のヴィオレタ・イカリのぶっきらぼーなヴォーカルがいいんですよ。
これぞ、ギリシャ歌謡の本髄! グローバル・ポップの傾向に背を向けた、
この武骨な歌いっぷりは、ギリシャ歌謡の真骨頂でしょう。

いったいどういう人?と調べてみたら、
エレフセリア・アルヴァニターキと同じイカリア島出身の人でした。
18年にデビュー作“ELA KAI RAGISE TON KOSMO MOU” を出して、
本作が2作目とのこと。
貫禄のある歌いっぷりに、もっとキャリアのある人かと想像していたんですけども。
2年前に出た、ダラーラスのデビュー50周年記念ライヴの
デュエット・アルバムにも客演していました。
こういう歌いっぷりの若手が出てくるところに、
ギリシャの美学が脈々と息づいてるのを感じます。

Violéta Íkari & Nikos Xydis "PORTOKALI" Walnut Entertainment WAL055 (2022)
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深まりゆく秋に ヨルゴス・ダラーラス [東ヨーロッパ]

Gergos Dalaras  I KASETA TOU MELODIA 99.2.jpg

う~ん、こういう伴奏で聴きたかった!
ヨルゴス・ダラーラスがギターとバグラマーで弾き語り、
アコーディオン、ブズーキ/ギター/ウード/バグラマー、カーヌーン、
ベース、パーカッションの5人が脇を固めるというライヴ盤。

これまでダラーラスのライヴ盤というと、
ライカの帝王よろしく豪華オーケストラをバックに、
新人からヴェテランまで多士済々の歌手を集めて歌うといった趣向が多くて、
正直いって食傷していたんです。
大歌手然とした演出って、ダラーラスの音楽にも、人柄にもそぐわない気がするし、
ダラーラスの歌の魅力を引き立てるうえでも、逆効果なんじゃないかなあ。

ここ最近のダラーラスの多作ぶりには、創作意欲あふれる意欲作と、
レコード会社の商魂逞しさが見え隠れする作品がないまぜとなっている感があり、
ファンとしては、注意深く選別させていただかざるを得ませんよね。

というわけで、このライヴ盤は、遠い存在の大スター歌手などではなく、
近所の音楽酒場で歌っているような「オレのヨルゴス・ダラーラス」気分を味わえる、
ファンにはまたとないアルバムです。
ライヴ盤といっても、拍手も歓声も聞こえない無観客ライヴで、配信ライヴだったよう。
パンデミックのおかげ(?)で、それが功を奏したともいえ、
インティメイトな雰囲気のスタジオ・ライヴが楽しめます。

メロディア99.2というFMラジオのスタジオで録音されたもので、
ダラーラスのお気に入り曲とファン投票で選ばれた曲17曲が集められています。
出だしの1曲目が‘Sou Axize Mia Kalyteri Agkalia’ とは意外でした。
ゴラン・ブレゴヴィッチと97年に共作したアルバム
“THESSALONIKI - YIANNENA ME DIO PAPOUTSIA PANINA” の1曲目ですね。
アフター・ビートを強調していたオリジナルより、リズムを柔らかくほぐしていて、
絶妙な味わいです。

アポストロス・カルダラスやグリゴリス・ビシコティス、スタヴロス・クユムジスなど、
ダラーラスが好んだ作家の作品を散りばめ、
いつものさりげなく歌うダラーラス節を満喫できますよ。
歌のはしばしからにじみ出るコクといったら、もうたまりません。
ほんとに憎たらしいくらい、「うまい」歌い手ですよねえ。

ラストの、18年のヨルゴス・カザンティス曲集“EROTAS I TIPOTA” に収められた
‘S’ Agapo Ke Gi’ Afto’ まで全17曲。
深まりゆく秋に、これほどうってつけのアルバムはありません。

Gergos Dalaras "I KASETA TOU MELODIA 99.2" Minos EMI 0602435761220 (2021)
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スミルナの大火からまもなく100年 エストゥディアンティーナ・ネアス・イオニアス&アンドレアス・カツィヤニス [東ヨーロッパ]

Estoudiantina Neas Ionias & Andreas Katsigiannis.jpg

あぁ、思わず、タメ息がもれました。
重厚な映画作品を観終えたあとのような充足感に満たされるアルバムです。
映像が立ち上ってくる器楽奏や、俳優を起用した朗読など、
じっさい映画のサウンドトラックを思わせるプロダクションが、随所で披露されます。

第一次世界大戦から希土戦争の終結までに、
数十万の小アジアのギリシャ人が組織的に虐殺され、
強制追放の末に命を落としました。歴史的な大惨事となったスミルナの大火から、
まもなく100年を迎えるのを受けて企画された本作は、
深い悲哀のこもったメロディが、もうただごとではない切実さで迫ってきて、
アナトリアの人々の心に深く刻まれた、哀しみの歴史を表出させています。

ギリシャ現代詩の気鋭の詩人11人が歌詞を書き下ろし、
アンドレアス・カツィヤニスが、かつてアナトリアで歌われたギリシャの古謡や、
アナトリアの流民の歌を下敷きに作曲し、
アンドレアス・カツィヤニスが結成し音楽監督を務める、
エストゥディアンティーナ・ネアス・イオニアスが演奏するいう、
ギリシャ音楽ファンにとってこれ以上ない布陣による、気合の入った力作です。

エストゥディアンティーナ・ネアス・イオニアスといえば、
12年にヤニス・コツィーラスとコラボしたアルバムが忘れられませんけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2014-06-26
本作もまた、長く愛聴することになりそうだなあ。

こうした硬派な企画に、うってつけといえるゲストが勢ぞろい。
ヨルゴス・ダラーラスを筆頭に、アルキスティス・プロトサルティ、
エレーニ・ツァリゴプール、レオニーダス・バラファス、アスパシア・ストラティグゥ、
ナターサ・テオリドゥ、バビス・ストカス、マリオス・フランゴリスが参加しています。

CDブックはギリシャ語のみなので、まったく読めずにいますけれど、
古い写真の数々は聴き手の想像力をかきたて、音楽の感動を倍加させます。
深く憂いのある旋律に、胸を押しつぶされそうな感情を掻き立てられることに、
知識や教養といったものを軽く飛び越えてしまう、
音楽が持つ底力を再認識させられます。

[CD Book] Estoudiantina Neas Ionias & Andreas Katsigiannis "GI TIS IONIAS" Ogdoo Music Group no number (2020)
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タラヴァの現場から トラボイン・メハイ [東ヨーロッパ]

Traboin Mehaj  KËNGË DASMASH.jpg

前回に続き、コソヴォのタラヴァです。
こちらはメダよりだいぶ若い歌手で、トラボイン・メハイと読むのでしょうか。
ネット検索しても、あまり情報がなく、本作がデビュー作なのかもしれません。

全9曲、どれもメロディがオリエンタル色濃厚で、タラヴァらしさ満点。
う~ん、いいねぇ。リスナーをグイグイとダンスに誘いますよ。
9曲ともすべてメドレーで繋いで、ノン・ストップ形式でラストまで突っ走るのは、
エドナ・ラロシの『ライヴ』と同じスタイルですね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-04-18
本作は、ライヴとタイトルに謳ってはいませんが、
タラヴァお約束のダンス・オリエンテッドなアルバムであります。

曲間をつなぐシンセの即興パートに、すごく惹きつけられるんです。
ズルナやドゥドゥクのような管楽器を模していたり、
チフテリのような弦楽器を模していたりして、
バルカンらしいサウンドを発揮しているんですけれど、シンセの合成音であることは明らか。
それなのに、生楽器のようなナマナマしい響きがあるから、
シンセ代用とはいえ、すごく魅力的に聞こえるんですよ。

この人のライヴを撮ったYouTubeのアマチュア映像で、面白いのを見つけました。
体育館のような会場で、ステージ上はトラボインただ一人。
鍵盤二台を前に、シーケンサーの自動演奏によって、マイク片手に歌っていて、
曲間のつなぎをトラボイン自身が手弾きで演奏しています。

うわー、こういう超簡素なスタイルが、タラヴァの現場なのね。
面白いのは、観客がほとんど女性で、手を繋いでチェーン・ダンスをしているんですよ。
しかも、全員ステージに背を向けて踊っていて、
誰もステージ上のトラボインに、目をくれもしないという(笑)。
要するにタラヴァの現場は、徹底してダンス目的で、
歌手目当てのコンサートなんかじゃないんですね。

シーケンサー主体の人件費抑制のライヴというと、
エチオピアのレストランでもよく見られる光景といえますけれど、
そのサウンドがけっしてチープに感じず楽しめるのが、タラヴァの強みですね。

Traboin Mehaj "KËNGË DASMASH" Eurolindi no number (2019)
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キング・オヴ・タラヴァ メダ [東ヨーロッパ]

Meda  MOS GABO!.jpgMeda  NJO PO NJO.jpgMeda  NA NA.jpg

エドナ・ラロシにテウタ・セリミの二人の女性歌手をきっかけに、
コソヴォにタラヴァというポップスがあることを知りました。
歌手の層が厚く、ミュージック・ヴィデオもかなり作られていて、
つまみ食いしただけでも、面白い人にゴロゴロ当たるんですよ。

タラヴァのCDを売っているアルバニアのお店を見つけたので、
気になった歌手のCDをオーダーしてみたんですが、
わずか1週間足らずで届きました。
アルバニアからの荷は、これが初めてですね。

う~ん、また世界がひとつ開けたみたいで、嬉しいな。
サブスクでちゃちゃっと聴いてしまえば、そりゃ簡単だけど、
こういう手間ヒマかけるのが、楽しいんですよ。
オーダーして届くまでの、心待ちしている時間が、いいんだなあ。
待っている間に、またいろいろ調べられるしね。
こういうプロセスを経てこそ、道楽は深まるんだから、
効率なんて考えちゃダメだよね。
それに、簡単に聴いたものは、簡単に忘れちゃうだけだし。

で、ヴィデオを観ていて、歌の上手さに引き込まれたのが、メダという男性歌手。
79年プリシュティナの音楽一家に生まれ、
00年からプロ歌手として活動を始め、04年にデビュー作を出したメダは、
「タラヴァの王様」とも称されている歌手だそう。
タラヴァを代表するシンガーというわけで、
こちらのアンテナにもすぐ引っかかるわけですね。

在庫のあった10年、18年、20年の3作を買ってみたんですが、
どのアルバムも歌に安定感があり、安心して身を任せられます。
ハリのある声と、ノドを詰めた歌いっぷりに魅力のある人ですね。

10年作は、シンプルな打ち込みのトラックに、ズルナ、クラリネット、
ダルブッカ、ダフなどの生音がよく映え、サウンドがとてもすがすがしいんです。
90年代のアラベスクにも通じるこういうプロダクションは、もろ好みだなあ。

これが18年作になると、鍵盤系のサウンドがぐんとグレード・アップして、
ボトムに厚みが増すかわり、ズルナなどの生音がシンセに置き代わってしまい、
ダルブッカなどのパーカッションも不在になってしまうのは、残念です。
ラッパーをフィーチャーして、ヒップ・ホップ・ビートを強調した曲や、
レゲトンを取り入れた曲もあり、かなりワールド・ミュージックぽいというか、
グローバルなポップ・サウンドにシフトしているのを感じます。
おやと思わせるのは、生音のサズが聞こえるラスト・トラックかな。

これが20年作になると、生音のサズやストリングスなどが使われていて、
生音回帰の傾向がみられます。すべて打ち込みに頼るのではなく、
生演奏とのバランスを考えて制作されているのは、好感が持てますね。
管楽器や弦楽器によるオリエンタルなメロディがタラヴァの魅力なので、
やっぱりこうした楽器のソロやオブリガードは、必須だよなあ。

ウィキペディアのディスコグラフィによると、
今回買った10年作は7作目、18年作は20作目、20年作は39作目。
04年のデビュー作以降、年1作のペースだったのが、
18年から多作となり、18年は9作、19年は7作、20年は13作も出しています。
なかにはベスト盤のようなアルバムも混じっているのかもしれませんけれど、
それにしてもこのハイ・ペースはスゴイですね。

Meda "MOS GABO!" EmraCom/Lyra no number (2010)
Meda "NJO PO NJO" Emra Music/Lyra no number (2018)
Meda "NA NA" Emra Music/Lyra no number (2020)
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コソヴォのタラヴァ テウタ・セリミ [東ヨーロッパ]

Teuta Selimi  LIVE.jpg   Teuta Selimi  LOQKA JEM.jpg

エドナ・ラロシに続き、また一人コソヴォの女性歌手のCDを入手しました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-04-18
テウタ・セリミもエドナと同じプリシュティナ出身のシンガーで、エドナの3つ年上。

『ライヴ』を謳う09年作は、ライヴではなくスタジオ録音。
同じく『ライヴ』を題したエドナのアルバムはノン・ストップ形式で、
ライヴ感を演出していましたけれど、こちらは9曲を収録。
スタジオ録音なのに『ライヴ』を謳うのは、どういう理由なんですかね。
よくわからないんですが、15年作同様、全編アップ・テンポのダンス・ポップです。

テウタ・セリミは20年のキャリアのある歌手で、
ホイットニー・ヒューストン、マライア・キャリー、ローリン・ヒルなどを
聴いて育ち、ボブ・マーリーやUB40などのレゲエを通じてスカやロックステディを学び、
アルバニアのポップ・シーンにジャマイカ音楽を広めた人でもあるそう。
このアルバムにそうしたジャマイカ音楽の影はうかがえませんけれど、
ダンス・ポップのグルーヴ感を吸収したということなのかな。

打ち込みビートのうえに、ダラブッカやダウル(大太鼓)、ダイレ(タンバリン)の
パーカッシヴな音色を響かせて、フォークロアなサウンドを強調しているんですね。
クラリネットにズルナ、ヴァイオリンがソロを取るスペースも与えられていて、
カーヌーンが登場する曲などもあります。

アルバムを通してバルカン的なサウンドが支配的ではあるんですけれど、
ズルナとダウルのコンビネーションは、トルコ音楽の色合いが濃厚だし、
リズムのヴァリエーションも豊かで、
さまざまな出自の音楽がミックスされていることがうかがわれます。
いわゆるポップ・フォークのなかでも、
ブルガリアやセルビア、ルーマニアなどとは少し毛色が違いますね。
むしろトルコのアラベスクの方が近い感じがしますね。

気になって少し調べてみたところ、
この音楽は、タラヴァと呼ばれるものだということがわかりました。
タラヴァは、コソボのロマのコミュニティの音楽をもとに90年代に生み出され、
コソボのアルバニア語圏のコミュニティから発信されて、
アルバニアや北マケドニアで人気が高まったジャンルなのだそう。

さらに調べていくと、タラヴァには魅力的なシンガーが大勢いることがわかり、
片っ端から試聴して気になった人を、アルバニアのショップに現在オーダー中。
面白いアルバムがあったら、またここで報告しますね。

Teuta Selimi "LIVE" EmraCom/Lyra no number (2009)
Teuta Selimi "LOQKA JEM" Lyra no number (2015)
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ザ・ヴォイス・オヴ・レンベーティカ [東ヨーロッパ]

Roza Eskenazy.jpgGiorgos Katsaros.jpgMarika Papagika.jpgAntonis Diamantidis.jpg

ギリシャ歌謡の良盤探しは、原田さんに頼りっきりなんですが、たまには自力発掘を。
12年に出ていた、「ザ・ヴォイス・オヴ・レンベーティカ」という
リイシュー・シリーズを見つけました。
初期レンベーティカの名歌手たちの選集となっています。

シリーズというわりには4タイトルしか出ていないんですが、
縦長のCDブック仕様で、50ページないし64ページのブックレット付という、スグレもの。
ざらりとしたクラフト紙に印刷した、古びた味わいのデザインが
レンベーティカという内容にぴったりで、<手元に置いときたい欲>をかられます。

貴重な写真も満載の解説に、全曲歌詞付き、
作詞作曲者、伴奏者、録音データ、SP原盤番号のクレジットも完備した
資料的価値の高さは、リイシューの仕事として満点の内容でしょう。
ギリシャ語のみとはいえ、今日びテキスト化して
翻訳ソフトにかけりゃいいんだから、問題ありませんね。

ギリシャ盤は値段の高さが難なんですけれど、
このシリーズは廉価版なみの安さが嬉しいところ。
いつもなら、どれを買うかとよく吟味するところ、
えいやっと4タイトル全部買っちゃいました。

ローザ・エスケナージは、いったいこれで何枚目かとも思うんですけれど、
懲りずにまた買ってしまっても正解と思えるのは、音質がめちゃくちゃいいから。
このシリーズ全部にいえることですが、SPの音の再現性がすばらしい。
単にノイズ・リダクション処理だけの問題ではなく、SPのガッツのある音を引き出して、
なまなましいサウンドを蘇らせているんです。

ヨルゴス・カタロースという人は初めて知りましたが、ギター弾き語りという変わり種。
早くにアメリカへ渡り、録音はすべてアメリカで行われています。
まるで、レンベーティカ版ギターを持った渡り鳥ですけれど、
じっさいハリウッドで大成功を収めていた無声映画のダンサーと恋に落ちて、
映画界に人脈を作って名を上げ、その後各地を転々と旅をし、
まさしくギターを持った渡り鳥の生活を送った人だそうです。
レンベーティカがギリシャのブルースと形容されるのとはまた別の意味で、
戦前ブルース的なギター弾き語りのレンベーティカが聴けるわけですけれど、
スミルナ派のような多文化混淆の深い味わいはまるでなく、ドライなところが味気無い。

ギリシャ録音史上、もっとも早く録音を残した歌手のひとりとされるマリカ・パパギカは、
初期レンベーティカらしいヴァイオリン、チェロ、サントゥールという
シンプルな伴奏のほか、シロフォンやブラス・バンドが伴奏につく珍しい曲も聞けます。
1910年にニュー・ヨークへ渡った、イピロス出身のヴァイオリニスト、
アレヒス・ズンバスが伴奏を務めている曲もあり、聴きものです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-07-29

ダルガスのあだ名で知られるアントニス・ディアマンティディスは、
男っぷりのいいパワフルな喉で、情熱的な歌いっぷりが魅力の歌手。
カフェ・アマネー・スタイルの歌もたっぷりと聞けます。
ヴァイオリンの即興に呼応するかけ声が、いなせですねえ。
これぞスミルナ派といった濃厚なレンベーティカを味わえます。

Roza Eskenazy "OI FONES TOU REMPETIKOU 1" Ta Nea no number
Giorgos Katsaros "OI FONES TOU REMPETIKOU 2" Ta Nea no number
Marika Papagika "OI FONES TOU REMPETIKOU 3" Ta Nea no number
Antonis Diamantidis "OI FONES TOU REMPETIKOU 4" Ta Nea no number
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難民の歌 マリサ [東ヨーロッパ]

Marisa  TRAGOUDIA TIS PROSFYGIAS.jpg

エル・スール・レコーズで原田さんとおしゃべりしていて、差し出された1枚。
古色蒼然としたセピア色の写真には、湾岸の街並みと船首が写り、
一枚の女性歌手の写真が添えられています。
古典レンベーティカのリイシュー?と思ったら、「いや、これ新録なんですよ」と言う。

聴かせてもらうと、スミルナ派のレンベーティカやアナトリアの古謡を歌ったアルバムで、
マリサという女性歌手のみずみずしい歌いっぷりに、ひと聴き惚れしました。
古風な節回しは相当なヴェテランであることをうかがわせるものの、
ディープ一辺倒というわけではない、色香のある軽やかなこぶし回しに、
この人ならではの魅力があります。

いやぁ、いいねえ、とウナってしまったんですが、
原田さんは、アルバムはこれ一枚で、どういう人なのか、経歴がまったくわからないと言う。
これほど歌える人なのに、これ一枚しかないなんて不思議すぎるんですが、
ぼくも家に帰って、あれこれ調べてみるも、やはり情報はみつからず。
声を聴く限り、60代くらいのヴェテランに思えるんですけれどねえ。
ジャケットに写る、古めかしい女性の写真は誰なんだろうなあ。

アルバム・タイトルも『難民の歌』なら、1曲目の曲名も「難民」という本作。
1922年のスミルナの大火で、港湾都市スミルナから逃れた難民をテーマにした
アルバムらしいんですけれど、CDライナーには曲目しか記されておらず、
まったく手がかりがありません。

伴奏者などのクレジットも皆無という愛想のなさは、
本当に新録なのかという疑念もよぎり、
80~90年代に出たアルバムの再発というのもありえるかも。
わからないことだらけの謎アルバムだなあ。

ヴァイオリン、ブズーキ、ギター、カーヌーン、ダルブッカ、ベースという編成に、
曲によってウードやバグラマー、クラリネットにアコーディオンが加わる演奏も、
スミルネイカ・ソングの理想的伴奏といえ、
そのアンサンブルの素晴らしさにも耳奪われる、知られざる傑作です。

Marisa "TRAGOUDIA TIS PROSFYGIAS" Legend 2201151252 (2002)
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ウクライナのリラ ミハイロ・ハイ [東ヨーロッパ]

Myhailo Hai.jpg

『ウクライナのリラ』という英文タイトルが書かれているものの、
ジャケットに写る男性が抱えているのは、どう見てもハーディ・ガーディ。
ウクライナでは、この楽器をリラと呼ぶの?
楽器分類からすると、ずいぶんと悩ましい命名をしたもんだなあ。

西ヨーロッパで発達したハーディ・ガーディが東へと伝播して、
ウクライナではリラと呼ばれていたことを、遅まきながら知りました。
リラを演奏していたのは、盲目の辻音楽師リルニクたちで、
リルニクはさだめし、琵琶法師やミンストレルといったところでしょうか。

リラは、バグパイプ同様、ドローンを伴うノイジーな楽器。
当方が好物とするタイプの楽器とはいえ、
ハーディ・ガーディの独奏アルバムは、
学生時代に図書館で借りたレコードぐらいしか知らず、
リラの完全独奏が聞けるとは、貴重ですよねえ。

99年にポーランドで出たCDで、どこからか掘り出されて日本に入ってきたようですが、
ざらっとしたボール紙製の三つ折りパッケージは手作りぽく、温かみがありますね。
パッケージ内側の2面に、ウクライナ語と英語のブックレットがそれぞれ貼り付けてあり、
中央の袋にCDが収められています。

リラを弾くミハイロ・ハイは、
46年ポーランド国境近いウクライナ西部リヴイウ州出身の民族音楽学者とのこと。
学者さんらしからぬ堂々とした歌いっぷりで、
横隔膜を広げた豊かな声量を駆使したダイナミックな表現から、
哀切を表わす細やかさまでみせる、高い歌唱力の持ち主です。

かつてリルニクたちは、リラを演奏しながら、ドゥーマという叙事詩を歌っていたそうです。
ドゥーマはトルバドールが歌ったバラッドと同じで、悲劇的な内容のものが多く、
このCDでは賛美歌やコサックの歌など、さまざまなレパートリーに交じって、
ドゥーマを2曲聴くことができます。そのうち最後に収録されたドゥーマは、
リラではなく、ウクライナの民俗楽器バンドゥーラを伴奏に歌われています。

ウクライナの歴史を少し調べてみたところ、
リルニクやバンドゥーラ弾きの辻音楽師コブツァーリたちは、
1930年代のスターリンの大粛清によって徹底的な弾圧を受け、
組織的に大量殺戮されていたというではありませんか。
ナチスがジプシーを迫害したのと、同じことが起きていたんですね。

コブツァーリには、生粋の盲目の辻音楽師ばかりでなく、
ウクライナ独立戦争(1918-1919)を支援した大衆や知識人が多くいたことから、
反ソビエトの象徴のように扱われ、コブツァーリの音楽文化を根絶やしにするまで
皆殺しにするという、ナチスのホロコーストに匹敵する残虐非道が繰り返されたのでした。
コブツァーリを育ててきた同胞団(ギルド)も30年代半ばには崩壊し、
その音楽は死に絶えます。

ソ連時代は、ソ連化したレパートリーに制限するなど、
厳しい検閲のもとでバンドゥーラの演奏が許されてきましたが、
70年代後半になってキエフ音楽院をはじめとして、
バンドゥーラとその音楽の再興の気運が高まり、楽器製造も盛んとなって、
ウクライナの民俗オペラなどに広く登場するようになったそうです。

どんな残忍な民族浄化によっても、けっして音楽を圧殺することができないことは、
ウクライナばかりでなく、カンボジア音楽も証明していますね。
このCDをきっかけに、いろいろなことを知ることができて、大事な一枚となりました。

Myhailo Hai "UKRAINIAN LIRA" Koka 031CD5 (1999)
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コソヴォのダンス・ポップ エドナ・ラロシ [東ヨーロッパ]

Edona Llalloshi  LIVE.jpg

コソヴォのシンガーを聴くのは、初めてですねえ。
かの地では大スターのようですよ。
ウィキペディアのページがちゃんとあって、
79年コソヴォの首都プリシュティナ生まれ。
アルバニア語で書かれているところは、どうやらアルバニア系のよう。

アルバニアといえば、以前ポニーを取り上げましたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-10-04
偶然にもポニーの旧作と一緒に、エドナ・ラロシの本作を買ったんです。
以前ポニーの記事を、「アルバニアのポップ・フォーク」と題しましたけれど、
両者を聴き比べてみると、コソヴォのエドナ・ラロシの方が、
むしろポップ・フォークらしい音楽性が強く感じられますね。

ハリと潤いのある声が、素晴らしいじゃないですか。
きりっとした歌いぶりがダンス・ビートによく映えます。
こぶし使いも巧みですけれど、抑制が効いていて、
セルビアのシンガーのように姉御肌になることはなく、
憂いのある色気を漂わせて、オトコごころをくすぐります。

観客と一緒に片腕を上げているジャケットの『ライヴ』のタイトルは偽りありで、
内容はライヴにあらず。
全14曲をメドレーにして、最後までノン・ストップで突っ走ります。
打ち込みをベースに、ダラブッカなどのパーカッションがビートを強化し、
曲のつなぎをクラリネット兼サックス奏者が担って、
バルカンのサウンドを強調しています。

プロダクションはシンプルというか、低予算な作りですけれど、
それがまったくマイナスになっていないのは、リズムがよく弾けているから。
リズム・チェンジで巧みに変化をつけたアレンジがよく練られていて、
一瞬たりとも飽きさせずに、40分17秒をグイグイ惹きつけられますよ。

一緒に買ったポニーの15年作は、新作からはだいぶ聴き劣りしたので、
エドナの新作も聴いてみたいなあ。

Edona Llalloshi "LIVE" Eurolindi no number (2012)
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贅沢な生音ライカ イウリア・カラパタキ&フォティス・シオタス [東ヨーロッパ]

Ioulia Karapataki & Fotis Siotas  TA DEUTERA.jpg

謎ジャケですね。
ギリシャ歌謡なんすけど、クラフトワーク?みたいなジャケットに、戸惑うばかり。
じっさい中身を聴いてみなかったら、とても出会うことはなかったろうアルバムです。

女性歌手のイウリア・カラパタキと、
ブズーキ奏者で作曲家のフォティス・シオタスの共同名義作です。
冒頭、13名のストリングス・アンサンブルによる流麗なインスト・ナンバーに始まり、
その麗しいまでに優美なサウンドに、ココロ射抜かれてしまいました。

歌と伴奏を一発録りしたという、いまどき奇特なアルバムで、
ヴァイオリン10人にチェロの3人が、狭いブースに詰め込まれて
レコーディングしている風景が、ライナーで拝むことができます。
う~ん、これがなんであのクラフトワーク・ジャケになるんでしょうね!?

完全アクースティック編成の生音伴奏にのせて歌うイウリアのヴォーカルが、
見事なまでのレンベーティカ・マナーで、ゾクゾクしてしまいます。
喉を良く開いた発声で、力量のある歌声を聞かせながら、
どこかそっけない歌いぶりは、ギリシャ歌謡が持つ粋を、
しっかりと受け継いでいるじゃないですか。

今日びの女性歌手にはみられなくなった「古い声」の持ち主で、
全世界的に蔓延するアイドル声にうんざりしているオジサンは、
ずいきの涙を流しております。
イウリアは、カテリーナ・ツィリドゥのバックをつとめる新世代レンベーティカ・アンサブル、
コンパニアの一員でもあり、レンべーティカ・マナーが堂に入っているのも、むべなるかな。
完全にぼく好みの女性歌手であります。

一方、フォティス・シオタスの方も、多くのライカ・シンガーに曲提供をするほか、
サウンドトラックなども手掛ける気鋭の若手作曲家で、
オーソドックスな作風のなかに、現代性もしっかりと垣間見せる才能のある人です。
本作は、全曲ソドリス・ゴニスが書いた歌詞にフォティスが曲をつけ、
端正な伝統寄りのライカを聞かせています。

ゲストがまた豪勢で、ソクラテス・マラマス、
ディミトラ・ガラーニ、ヤニス・ディオニシウが参加。
なかでも格別なのが、5曲目のジャジーな‘Proseyhi’。
ディミトラ・ガラーニのつぶやくようなヴォーカルが、胸に沁みますねえ。
また、アレンジもピリ辛で、9曲目の‘O Perittos O Anthropos’ の終盤で展開する、
マノリス・パポスのブズーキと、チェロとヴァイオリン・アンサンブルが絡み合う
前衛的なアレンジは、聴きものです。

イウリア・カラパタキ、今後要注目であることは、原田さんに同感であります。

Ioulia Karapataki & Fotis Siotas "TA DEUTERA" Ogdoo Music Group no number (2019)
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いにしえのレンベーティカへの思慕 レラ・パパドプル [東ヨーロッパ]

Lela Papadopoulou  REBETIKA KAI SMYRNEIKA TRAGOUDIA.jpg

エル・スールの原田さんがコツコツと掘り起こしているギリシャもので、
ここのところ愛聴しているのが、レンベーティカ歌手レラ・パパドプルの90年代録音。

33年アテネ生まれのレラ・パパドプルは、
17歳で初めてステージに立ってアコーディオンを演奏し、
マルコス・ヴァンヴァカリスに始まり、ヤニス・パパイオアーヌ、
ヴァシリス・ツィツァーニス、マノリス・ヒオティス、ザンベータス、
グリゴリス・ヴィツィコツィス、パノス・ガヴァラス、
そしてステリオス・カザンツィディスといった歴代の名歌手たちの
伴奏を務めてきたというのだから、スゴイですね。

歌手としてより、アコーディオン奏者として長く活躍してきた人なので、
自身のソロ・アルバムは、晩年の90年代になってから、ようやく出したんですね。
エル・スールで買った“REBETIKA KAI SMYRNEIKA TRAGOUDIA” はそうした1枚で、
若き日の写真が飾られていますけれど、すでに60代後半となってからの録音です。

Lela Papadopoulou  TA MESOGEITIKA.jpg   Lela Papadopoulou  SMYRNA - REBETIKA.jpg

このアルバムが気に入り、ギリシャのお店をチェックしてみたところ、
もう2枚アルバムを見つけたので、早速買ってみました。
“TA MESOGEITIKA” は、アコーディオンを弾いておらず、
ディモーティカを歌った民謡アルバムでしたが、
97年に出た“SMYRNA - REBETIKA” が、レラの初アルバムだったようで、
タイトルどおり、スミルナ派のディープなレンベーティカがずらりと並びます。

“REBETIKA KAI SMYRNEIKA TRAGOUDIA” は、
男性歌手がハーモニーを付ける曲が多く、明るい民謡調の曲も歌っていますが、
“SMYRNA - REBETIKA” は、ブルージーな曲が並び、
9拍子のゼイベキコが多く取り上げられています。

レラは、スミルナからピレウス様式にレンベーティカが変わっていた時代の
音楽家ですけれど、スミルナ派を名乗ってソロ・アルバムを作ったのは、
古いレンベーティカに、強い愛着があったからなんでしょうね。
なんでも、小学生の頃からレンベーティカが好きで、女の子が歌うには、
あまりにふしだらな(?)男性向けの古いレンベーティカを歌っていたそうです。

アコーディオンは、スミルナ派の時代に演奏されたカーヌーンが、
ピレウス派の時代になって置き換わられた楽器ですけれど、
新しい楽器のアコーディオンをトレードマークとしながら、
古いレンベーティカ愛を持ち続けて演奏してきた、
ヴェテラン音楽家の矜持を感じさせる2枚です。

Lela Papadopoulou "REBETIKA KAI SMYRNEIKA TRAGOUDIA" Syban Soun AS657
Lela Papadopoulou "TA MESOGEITIKA" Athinaiki Diskografiki 134
Lela Papadopoulou "SMYRNA - REBETIKA" General Music GM5081 (1997)
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チャルガからバルカン・ポップへ イヴァナ [東ヨーロッパ]

Ivana  SASHTATA I NE SAVSEM.jpg

ブルガリア、チャルガの大スター、イヴァナの新作。
オープニングのジタン調のナンバーに続き、2曲目はロック歌謡、
ほかにもジャズありラテンありクラブ・ミュージックありの
ポップ・ア・ラ・カルトといった仕上がりで、チャルガらしいナンバーは7曲目のみ。
従来のチャルガを大きくはみ出したコンテンポラリーなサウンドは、
アラブのシャバービーに匹敵するプロダクションといえそうです。

イヴァナの歌いっぷりも、従来のバルカン演歌の情の深さを封印し、
クールに聞かせていて、熟女の貫禄あるセクシーさに翻弄されます。
エレクトリックからアクースティックなサウンドにシフトして、
引きのあるアダルト・オリエンテッドな志向を強めた作品といえます。

とはいえ、どこかアカ抜けないローカルな味わいを残すところは、
チャルガ(=ポップ・フォーク)ならではの良さでしょう。
タイのルークトゥンにも通じる下世話な庶民性は、
洗練されたシャバービーやターキッシュ・ポップになじめないファンも
取り込めるんじゃないかな。

思えばここ十年くらい、下層庶民のポップスは世界のどこでも、
絶滅の一途をたどるか、お上品にして一般ウケ狙いで延命するかの
二択になった感が強いですよね。
ダンドゥットしかり、ルークトゥンしかり、ライしかり。
チャルガもその波にあるのは間違いなく、
中・上流の顧客獲得に向けて制作された意図を感じさせる一作です。

Ivana "SASHTATA I NE SAVSEM" Payner Music PNR2019011696-1179 (2019)
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ステラ・ハスキルを歌う カテリーナ・ツィリドゥ [東ヨーロッパ]

Katerina Tsiridou  BOEM.jpg

戦前レンベーティカから戦後ライカ揺籃期の
古いレパートリーを掘り下げて歌う、カテリーナ・ツィリドゥの新作。
前作は、スミルナ派レンベーティカの作曲家パナギオーティス・トゥンダスの曲集という、
ディープこのうえないアルバムでしたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-12-21
4年ぶりの本作は、サロニカ(現テッサロニキ)生まれのユダヤ人女性歌手
ステラ・ハスキル(1918-1954)が歌ったレンベーティカ16曲をカヴァーしたアルバムです。

もう、まいっちゃうなあ。
こちらの好みを見透かされているようでコワいんですけど、
ステラ・ハスキル、大好きな歌手なんですよ。
35年に17歳で初録音してから、グングン急成長した歌手で、
54年にわずか30代半ばで早逝するまで、わずか20年の短い歌手人生を
駆け抜けた名歌手です。
奇しくも同じ54年に35歳の若さで亡くなった、
マリカ・ニーヌとオーヴァーラップするのは、
マリカ・ニーヌの相方、ヴァシリス・ツィツァーニスの曲を歌っていたからでもありますね。

本作は、ステラ・ハスキルが戦後の47年から、
亡くなる54年までに録音した曲から選曲されています。
オープニングは、いかにもスミルナ派らしい9拍子のゼイベキコの‘Prousa’。
男性コーラスを従えて歌う明るい曲調の‘Gialelem’ では、
原曲に忠実なアレンジで歌っていますね。
一方、妖しく揺らめくクラリネットの響きが魅力のステラの代表曲
‘Apopse Sto Diko Sou Mahala’ は、クラリネットをヴィオリンに、
アコーデイオンはカヌーンに置き換えて演奏しています。

今回もニコス・プロトパパスのギターを中心とする、ブズーキ、バグラマー、
アコーディオン、カヌーン、ヴァイオリンのアンサンブルは、鉄壁。申し分ありません。
48年のヴァシリス・ツィツァーニス作の‘Akrogialies Dilina’ のみ、
弦楽オーケストラ伴奏となっているのが、異色の聴きどころです。

前作とはレーベルが変わったものの、カテリーナ・ツィリドゥのCDは
ギリシャ盤には珍しく、アルバム・タイトルほか、ライナーも英語で書かれています。
ギリシャ国内ばかりでなく、国外へのリスナーを意識しているのでしょうか。
そのわりに流通は、相変わらずよろしくないですけれどね。

解せないのは、その英語ライナーに、
「ステラ・ハスキル」の文字がなぜか見当たらないこと。
レンベーティカ・ファンなら、これがステラ・ハスキル集であることは一聴瞭然なのに、
トリビュートの姿勢を明示しないのは、どういう理由なんでしょう。

Katerina Tsiridou "BOEM: 16 REBETIKO SONGS" Reload Music RL9904100 (2020)
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ライカで納涼 フリスティアナ・パヴロウ [東ヨーロッパ]

Hristiana Pavlou  STON TRAGOUDION TIS THALASSES.jpg

ギリシャ歌謡でこの風通しの良さは、得難い味じゃないですかね。
従来の伝統的なライカとなんら変わらないスタイルなのに、すごく軽やかで、
サッパリとした後味に、新時代を感じさせる人じゃないですか。
それなりのキャリアがありそうなルックスの女性歌手なんですが、
過去作やバイオ情報が見つからなくて、どういう人なんだろう。

いろいろ調べてみたら、この人、ギリシャ人じゃなくて、キプロスの人なんですね。
レメソス生まれだそうで、ギリシャ系キプロス人のようです。
キプロス出身というと、ミハリス・ハジヤニスのように
キプロス人ライカ歌手も大勢いるようです。
フリスティアナ・パヴロウもその一人のようですが、詳しいことはよくわからず。

クセのない美声で、こぶし使いも控え目。
けっして重々しくなることのない歌声で、
気品のある滋味な味わいに引き込まれます。
ブズーキを中心とする弦楽アンサンブルに、
アコーディオンやピアノを加えた生音重視のサウンドが爽やかで、
哀歓のこもった楽曲を美しく引き立てています。

真夏にギリシャ歌謡を聴くというのも、
ぼくの場合、あまりないことなんですけれど、
フリスティアナの歌声が運んでくる涼風に、酷暑の熱を冷やしてもらっています。

Hristiana Pavlou "STON TRAGOUDION TIS THALASSES" Metronomos METR100 (2019)
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33年ぶりに蘇った作品と引退劇 ハリス・アレクシウ [東ヨーロッパ]

Haris Alexiou  TA TRAGOUDIA TIS XENITIAS.jpg

ギリシャ歌謡の帝王は、ヨルゴス・ダラーラスが不動の地位を保っていますけれど、
女王ハリス・アレクシウの方は、2000年代を最後にすっかり衰えてしまったことは、
誰もが認めざるを得ないところだったのではないでしょうか。
ぼくも09年の“I AGAPI THA SE VRI OPOU KAI NA’SAI” を最後に、
ハリスの新作を買うのをやめてしまい、
10年代に入ってからは、新作のニュースを聞いても、
試聴すらためらうようになっていました。

4月に出た本作も横目にしたままだったのですけれど、
ある時ふと聴いてみたところ、往年の歌いぶりが蘇っていて、びっくり。
ソッコー、ギリシャにオーダーしましたよ。
ところが、COVID-19の影響で、待てど暮らせどいっこうに届かず。
いつもなら2週間くらいで到着するところなのにねえ。
そうこうしているうちに、このアルバムは、87年にお蔵入りとなっていた
未発表作品だということがわかり、どおりで声がハツラツとしているわけだと納得。

それにしても郵便事情の混乱ぶりは、本当に酷いですね。
アイルランドやドイツのように、日本向け郵便物をいまだに停止している国もあれば、
発送は受付ていても遅配が当たり前で、ひと月で届けばまだいいほう。
未着のまま行方不明になってしまったのが、3件も連続発生するなんて、異常ですね。
ほかにも、再発送分と最初の発送分が同時に届いてみたり、
未着の問い合わせをした途端、こちらの確認もなしにいきなり返金してきたりと、
業者の対応もぞんざいなところが目立つようになりました。

まだ来ない~、とボヤいていると、今度はハリス引退のニュースが。
6月3日、ギリシャ国営放送ERTのラジオ番組で、
「声が私のいうことを聞かなくなったの。やめるべき時が来たのね」と語ったとのこと。
33年ぶりに未発表録音をリリースすることにしたのも、
引退の覚悟をすでに決めていたからだったのかもしれませんね。

87年録音といえば、ハリスがライカ歌手として、もっとも脂ののっていた時期。
選ばれた10曲は、ミキス・テオドラキス、パナヨティス・トゥンダス、
ヴァシリス・ツィツァーニス、ステリオス・カザンジディスといった
レンベーティカ時代の曲の数々。
ハリスは亡命者たちの声なき声を蘇らせるかのように、じっくりと丁寧に歌っていて、
その重みのある歌声からは、人々の情念がどろりと零れ落ちてくるかのようです。
87年という当時でさえ、すでに古典的なレパートリーだった曲の数々に
生々しい息吹を再び与え、圧倒的な歌ぢからで蘇らせた、迫真の曲集です。

Haris Alexiou "TA TRAGOUDIA TIS XENITIAS" Minos 0602507161927
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アラブ色濃厚なディモーティカ マリア・ノミクー [東ヨーロッパ]

Maria Nomikou  TA BARAKIA TOU NISIOU.jpg

いきなり冒頭の曲が、弦オーケストラのイントロに始まり、
ダルブッカがリズムを刻み、ついでヴァイオリンとウードが登場。
え? え? これ、ギリシャのディモーティカの歌手のアルバムじゃなかったの??
まるっきりアラブ歌謡が出てきたので、あわてちゃいました。
こんなディモーティカがあるんですねえ。

アラブ色は、曲が進むにつれだんだん薄れてきて、
デイモーティカらしいメロディが出てきて、ようやくギリシャらしくなるんですが、
これほどアラブぽいディモーティカというのも珍しいんじゃないでしょうか。

マリア・ノミクーという女性歌手、初めて知りましたが、
数多くのアルバムを出している、中堅どころの人のようですね。
ハネる声がなかなかチャーミングで、
さりげないコブシ使いも巧みな、実力を感じさせる歌手です。
ジャケット写真以上に若々しさを感じさせる、透明感のある声もいいですよ。

全編でヴァイオリンを大きくフィーチャーしているのが耳残りします。
黒海民謡ふうの曲でも、クラリネットやケマンチェでなく、
ヴァイオリンが活躍するところが、新鮮に響きますね。
このアルバムは18年に出たようなんですが、
ぼくが入手したCDは、12年に出たライヴ盤“ME LAOUTA KAI VIOLIA” を
カップリングした2枚組となっています。

ライヴの方も、ヴァイオリンを全面的にフィーチャー。
ブズーキの代わりにウードが使われ、ベースとドラムスのリズム・セクションが付きます。
全37曲、メドレーでどんどん繋いで歌うノン・ストップ形式で、これは聞かせますよ。
ミディアム・テンポでじわじわと歌っていたのが、
少しずつテンポを上げていき、ぐんぐん引き込まれてしまいます。
マリアの歌いぶりも丁寧で、ライヴにありがちな粗さをみせることはまったくなく、
安定したヴォーカルを聞かせていて、うならされました。

Maria Nomikou “TA BARAKIA TOU NISIOU” Next 2180 (2018)
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伝統とポップで齟齬をきたす発声と歌い口 カロリーナ・ゴチェヴァ [東ヨーロッパ]

Karolina Gočeva IZVOR.jpg

やっぱりこのオーケストレーションの魅力には、抗しがたいですね。
北マケドニアの元アイドル・シンガー、カロリーナ・ゴチェヴァのルーツ還り第3作。
だいぶ前にルーツ還り第1作のアルバムを取り上げたこともありましたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2010-05-06
一聴、曲もプロダクションも極上なんだけど、
女性歌手でぼくがもっとも苦手とする発声と歌い口にウンザリして、
1回聴いただけで放り出してしまいました。

その後何度か聴いてみたものの、何度トライしてもカロリーナの歌い口が、
前にジャネット・エヴラの記事で書いた、全世界的にはびこる
現代の女性シンガーの歌いぶりそのもので、ぼくには耳ざわりでしょうがないんです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-11-23

それほど苦手な声をガマンしても、売却用の棚に放り込まず、
繰り返し聴きたくなるのは、ニコラ・ミチェフスキーの見事なアレンジなのでした。
もちろんスラヴとロマが混淆した北マケドニアらしい歌謡性をたっぷりとたたえた
抒情味溢れる曲の良さもあってこそで、本作の作編曲は完璧と言えるでしょう。
泣かせる曲満載の、胸に迫るメロディにやられます。

カヴァル、タンブーラ、カーヌーンなどの民俗楽器を効果的に配し、
クラリネットやアコーディオンでバルカンのサウンドを演出しながら、
どこまでも洗練されたアレンジの手さばきに、ポップス職人の腕を感じますねえ。
冒頭1曲目の、ダミャン・ペイチノスキの流麗なギター・ソロに続く、
弦セクションのパッセージなど、圧巻です。

とまあ、サウンドに耳を集中して、
カロリーナの自意識の立つ歌を意識しないように聴いているんですが、
ホンネ言うと、このオケのまま別の歌手に差替えてくれたらと思わずにはおれません。
自意識を消して歌に殉じることのできる、トラッド系の歌手が歌ってくれたらなあ。

ま、もっともこんな融通の利かない耳は、オヤジ特有のものだと思うので、
若い人ならこの歌声は絶賛されるんでしょう。
マリーザ・モンチの歌に癒されるという人が大勢いるくらいですから、ハイ。

Karolina Gočeva "IZVOR" Croatia CD6084050 (2019)
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20代のエスマ・レジェポーヴァ [東ヨーロッパ]

Esma Redžepova ZAŠTO SI ME MAJKO RODILA_ROMANO HORO.jpg

エスマといえば、ジプシー歌謡の女王としてバルカンはおろか、
全世界にその名をとどろかせた大御所。01年には来日もしましたね。
2000年代以降の世界的な活躍によって、ぼくもエスマを知ったクチですけれど、
若い頃の録音というのは、そういえば聴いたことがありませんでした。

本作は、エスマがまだ20代前半という、60年代のシングル盤を編集した2枚組です。
おそらくエスマにとって、もっとも初期の録音と思われますけれど、
後年の豪快なコブシ回しで圧倒させる歌声とは、まるで別人。
チャーミングな歌いぶりにはびっくりです。
うわー、若い時のエスマって、こんな感じだったんですね。

シナを作ったり、泣き声で歌ってみせたりと、
多彩な心象を歌の中に投じて歌うところは、まさしく演歌歌手そのもの。
な~るほど、こうして聴いてみると、ジプシー歌謡って、
美空ひばりや都はるみのような昭和の演歌歌謡と、
ものすごく近いものなんだなということが実感できます。

クラリネット、トランペットの管楽器にアコーディオンが絡みつき、
ダルブッカがパーカッシヴなビートを送るジプシー・サウンドは、
スローの泣き節から、アップ・テンポのダンス・ビートまで自由自在。
雑食性の強い歌謡性と匂い立つような大衆性が魅力の音楽ですね。

それにしても、11歳で地元スコピエの民俗芸能集団の歌手になったというのも、
なるほどとうなずけるバツグンのリズム感が、この初期録音からもよくわかりますね。
ミュート・トランペットが粋な、チャチャチャの‘Makedo’ のチャーミングな表情なんて、
サイコーじゃないですか。あの有名な「ハヴァ・ナギラ」もディスク2に収録されています。
ジャケット写真は、65年に旧ユーゴスラヴィア時代に出たLPから取られたもので、
若い時の目ヂカラのある美人ぶりに、思わず見入ってしまいました。

Esma Redžepova "ZAŠTO SI ME MAJKO RODILA / ROMANO HORO" Jugoton CD0222/2556
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アルバニアのポップ・フォーク ポニー [東ヨーロッパ]

Poni  Identitet.jpg

アルバニアのポップ・フォークというのは、初体験ですね。
当地で人気女性歌手だという、ポニーの最新作です。

ブルガリアのチャルガや、セルビアのターボ・フォークに似たサウンドを基調としながら、
バルカンばかりでなく、トルコやギリシャのポップスからの影響もうかがわせる
多様な音楽性を聴きとることができます。
これがアルバニアのポップスの特徴なのでしょうか。
こんな魅力的なポップスを生み出しているとは、知りませんでしたねえ。

ハネるダンス・ビートは、曲ごとさまざまなシンコペーションによる
ヴァリエーションがあって、飽きさせません。
各曲ともバルカンらしいクラリネットが大活躍していて、
ひらひらとしたリフが宙を舞うと、思わずステップを踏んで踊り出したくなります。

アコーディオンやヴァイオリン、ブズーキを効果的に使って、
フォークロアな音感を散りばめながら、打ち込みによるダンス・ビートと融合させる
プロダクションの洗練具合は、ブルガリアやセルビアを凌いでるんじゃないですかね。

こうした音楽は、どうやらアルバニア南部の民謡をベースとしているらしく、
本作のハイライトは、2つのヴァージョンで聞ける結婚祝いの歌‘Kolazh’ です。
アルバニア南部ペルメト出身のヴェテラン民謡歌手ヴァスケ・ツーリと
デュエットしたヴァージョンと、男性デュオのイリ&バジャルミをフィーチャーした
ヴァージョンが聞けるんですけれど、途中で何度もリズムをスイッチしながら、
人々をダンスの渦に巻き込んでいく祝祭感がたまりません。

ポニーもアルバニア南部の港湾都市ヴロラ出身で、
気風の良さに加え、スローで聞かせる艶っぽさもあって、魅力的なシンガーです。

Poni "IDENTITET" Ekskluzive Supersonic no number (2019)
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タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの先達 タラフル・ディン・クレジャニ [東ヨーロッパ]

Taraful Din Clejani  CLEJANI DE ALTĂDATĂ  1949-1952.jpg

写真家の石田昌隆さんが、00年12月にルーマニアのクレジャニ村を訪れ、
タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの写真を撮った時のことを書かれた
フェイスブックの記事を読んでいて、気になる記述を見つけました。

ベルギーの作曲家ステファーヌ・カロがタラフ・ドゥ・ハイドゥークスを発見したのは、
88年のオコラ盤『クレジャニ村の楽師たち』がきっかけでしたけれど、
それよりもずっと昔に、ルーマニアの国営レコード会社のエレクトレコードが、
クレジャニ村の楽師たちの音楽を録音していたと、石田さんが書かれていたんですね。

その録音は49年と52年に行われたもので、07年になってその音源が
ルーマニアの民族音楽学者マリアン・ルパシュクによって編集され
CDリイシューされたとあり、そのCDタイトルも書かれていました。
こんな記事を読んだら、手に入れるっきゃないじゃないですか。
さっそくルーマニアから取り寄せましたよ。

届いたのは、簡素なペーパー・スリーヴのCD。
音楽学者がコンパイルして国営レーベルから出したものだというから、
てっきり充実した解説付きのCDが届くとばかり想像していたので、これにはがっかり。
というわけで、文字情報は得られませんでしたが、
ハイドゥークスの先人たちの音楽を聴くことができました。

タラフ・ドゥ・ハイドゥークスとまったくかわらない、
祝祭感いっぱいの奔放な演奏ぶりが圧巻です。
生命力あふれる歌いぶりに、なるほどハイドゥークスは
この村の伝統を忠実に継承してきたんだなということが、よくわかります。

Taraf De Haïdouks  HONOURABLE BRIGANDS, MAGIC HORSES AND EVIL EYE.jpg   Taraf De Haïdouks  DUMBALA DUMBA.jpg

じっさい、このCDに収録された歌曲の‘Săbărelu’ は、ハイドゥークスの94年作
“HONOURABLE BRIGANDS, MAGIC HORSES AND EVIL EYE” で聞けるほか、
高速ダンス・チューンの‘Brâu’ も98年作“DUMBALA DUMBA” で聞け、
編成の違いがあるとはいえ、その演奏ぶりに半世紀近い開きを感じさせないのだから、
スゴイです。強烈なスピード感は、昔からずっとそうだったんですねえ。
音質がめちゃくちゃ良いせいで、なおさら古さを感じさせません。

91年のデビュー作でタラフ・ドゥ・ハイドゥークスに圧倒されたぼくには、
その後世界各国で引っ張りだこになるにつれ、
超絶技巧を売り物するケレン味が強くなっていくのに、食傷気味となりました。
いまでもタラフ・ドゥ・ハイドゥークスの90年代のアルバムに一番愛着があるせいか、
このタラフル・ディン・クレジャニの演奏は、ぼくにはとても美味であります。

Taraful Din Clejani "CLEJANI DE ALTĂDATĂ 1949-1952" Intercont Music no number
Taraf De Haïdouks "HONOURABLE BRIGANDS, MAGIC HORSES AND EVIL EYE" CramWorld CRAW13 (1994)
Taraf De Haïdouks "DUMBALA DUMBA" CramWorld CRAW21 (1998)
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21世紀に蘇るレンベーティカ ヴィヴィ・ヴーツェラ [東ヨーロッパ]

Vivi Voutsela KARDIOKLEFTRA.jpg

マリカ・ニーヌを聴いていて、この春カンゲキしたレンベーティカ新作を
取り上げそこねてたのを思い出しました。
これがデビュー作という、女性歌手ヴィヴィ・ヴーツェラのアルバムです。

デビュー作で、戦前スミルナ派のレンベーティカのレパートリーを歌うというのも
スゴい話なんですけれど、こういうアルバムがぽろっと出るところが、
まさしくギリシャ歌謡の奥深さなんでしょうねえ。
デビュー作といっても、それなりにキャリアを積んでいる人らしく、
レンベーティカの古典曲を集めた企画アルバムなどに録音を残していて、
古いレンベーティカへの並々ならぬ情熱がうかがえます。

あれ? この曲、知ってると、熱心なレンベーティカ・ファンなら、
耳馴染みのある曲も多いはずで、曲目をチェックしてみたところ、
2曲目の‘Marikaki’ と8曲目の‘Spasta Fos Mou’ は、
ローザ・エスケナージのよく知られた代表曲。

6曲目の‘Mesa Sto Pasalimani’ と9曲目の‘Spasta Fos Mou’ は
スミルナ派を代表する女性歌手リタ・アバジの歌で知られ、
3曲目のステラーキス・ペルピニアーディスの‘I Foni Tou Argile’ は、
ダラーラスもカヴァーした曲ですね。
タイトル曲の‘Kardiokleftra’ は、歌手以上にヴァイオリン、サントゥーリ、
ギターの演奏家として名高いヨルゴス・カヴーラスの曲で、
7曲目の‘Nisiotopoula’ もヨルゴス・カヴーラスの曲です。

1曲だけ戦後の曲が取り上げられていて、10曲目の‘Sevilianes’ は、
サロニカ生まれのユダヤ人女性歌手ステラ・ハスキルの曲。
47年の曲ということで、この曲のみ伴奏に弦楽オーケストラを加えて、
ゴージャスなサウンドにしています。

伴奏を取り仕切るのは、ヴァイオリンのキリアコス・グヴェンタス。
ロンドンのロイヤル・アカデミーでも学んだ音楽家で、
ライカからいにしえのレンベーティカまで通じるプロフェッサーと称される人とのこと。
古きレンベーティカの伝統的な編成を基礎としながら、
現代の息吹を感じさせるアンサンブルのアレンジが、
ヌケのいいサウンドを生み出しています。

そんなリフレッシュメントされたサウンドに応えるように、
透明感のあるヴィヴィの節回しが、実にさわやかで、
ディープでブルージーな前世紀のレンベーティカの猥雑さとは、別物ですね。
単なるスミルナ派の再現にとどまらないモダンなセンスが、
レンベーティカ消滅後、半世紀の時を経て、新たに蘇らせたのを実感します。
トルコのシャルクやサナートが再興したのとも、シンクロしているような気も。

Kaiti Ntali  TA REMBETICA.jpg

ジェネラル・ミュージックというこのレーベル、
12年にもケイティ・ンタリのレンベーティカ集を出していましたけれど、
レンベーティカ・ファンは注目する必要がありそうですね。

Vivi Voutsela "KARDIOKLEFTRA" General Music GM2392 (2019)
Kaiti Ntali "TA REMBETICA" General Music GM5288 (2012)
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戦後レンベーティカの恋唄 マリカ・ニーヌ [東ヨーロッパ]

Marika Ninou  MIA VRADIA STOU TZIMI TOU XONTROU.jpg

これまた原田さんから、するりと差し出された温故知新盤。
アラブの旧作もそうですけど、ギリシャも古いCDがまだ結構残っているらしく、
CD衰退の現在、CDショップとしては古いカタログに活路を見出すのは、
手堅い選択でありますね。

30年くらい前によく聴いた、レンベーティカの名女性歌手マリカ・ニーヌ。
レンベーティカをギリシャの国民歌謡に引き上げたヴァシリス・ツィツァーニスとのコンビで
有名になった人ですけれど、このCDは見たおぼえがないなあ。
バック・インレイを見るとライヴ録音らしく、ありがたくいただいてまいりましたよ。

55年にアテネの「太っちょジミー」というタヴェルナ(居酒屋)で
アマチュア録音されたものが、77年に発掘されてLP化され、
92年にCDリイシューされたものとのこと。
55年というと、マリカはすでにツィツァーニスとのコンビを解消し、
ソロ歌手として独立していた時期。太っちょジミーは、
ツィツァーニスとのコンビ時代からレギュラー出演していた馴染みのお店です。

ライヴ録音といっても観客の拍手はカットされていて、
録音はあまりよくありませんが、臨場感がすごいんです。
ブズーキ、ヴァイオリンなどの弦楽器に、ピアノ、アコーディオン、
さらに男性コーラスも加わった伴奏のグルーヴィなことといったら。
なまめかしいヴァイオリンや、硬い弦の響きがリズムのエッジを立てるブズーキなど、
戦前とは異なる近代化されたレンベーティカ・サウンドが楽しめます。
そっけなく歌う、マリカの張りのあるヴォーカルも、なまなましいですね。

この2年後には癌がもとで亡くなってしまう、晩年の時期のマリカですけれど、
ここで聞かれる歌声からは、病気の影はまったく感じ取れません。
54年に癌の手術をしていて、その翌年の録音になるわけですけれど、
このギリシャならではの歌声には、35歳の若さで亡くなってしまったのが、
つくづく悔やまれます。レンベーティカからライカ時代に移っても、
存分に活躍できたはずなのに。

レンベーティカというと、ついSP時代のディープなスミルナ派ばかり
聴き返してしまうんですけれど、レンベーティカが消滅する50年代に、
最後の輝きを放ったピレウス派の、
センチメンタルな恋唄の良さが詰まった好盤でした。

Marika Ninou "MIA VRADIA STOU TZIMI TOU XONTROU" D.P.I. Atheneum D.P.I.066
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センシティヴなライカ ヴィキ・カラツォグル [東ヨーロッパ]

Viki Karatzoglou.jpg

3年前に出ていたギリシャ歌謡の新人さんのアルバム。
これがすごく良くって、知られずにいるのはもったいないと思い、ご紹介。
ソフトなライカといえば、いいんでしょうか。
ちょっとジャジーな味もあって、いわゆる武骨さとは無縁の女性歌手です。

抑え目な歌唱で哀感を醸し出すことのできる、そのスムースな味わいに個性があります。
歌いぶりが自然体で、強く歌い過ぎないところがいいですね。
ライカでは、これまでいそうでいなかったタイプじゃないかな。
タンゴを歌っても、ドラマテックに盛り上げないところが、すごく好み。
こういうふうに、さりげなく歌ってくれる人って、なかなかいなかったですよねえ。

81年生まれでデビュー作というのは、だいぶ遅い気がしますが、
長く舞台で歌ってきた人だそうです。
そのキャリアが意外というか、舞台で歌ってきた人って、
もっと大きく歌うタイプが多いと思うんですけれど、
この人の歌いぶりは、まるでシンガー・ソングライターのようです。
デビュー作でこんな手練れの歌唱ができるというのは、
やはりキャリアゆえなのか、才能を感じさせますね。

ペイバー・スリ-ヴで温かみのある凝ったパッケージの品の良さが、
中身の音楽によくお似合いです。

Viki Karatzoglou "TA ONIRA MOU ALITHINA" Feelgood 5210033001195 (2016)
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ミクラ・アシアのアブない快楽 ディミトリ・ニトラリ [東ヨーロッパ]

Dimitra Ntourali  TA ORAIA TIS SMYRNIS.jpg

ギリシャの女性歌手でサントゥーリを演奏する人といえば、
アレッティ・ケティメが一時期話題になりましたけれど、
ディミトリ・ニトラリというこの女性、アレッティ嬢よりはだいぶお年を召しています。
垢抜けないジャケ・デザインが妙に引っかかって買ってみたら、これが大当たりでした。

レンベーティカ色濃い古いスタイルのライカを歌う人で、
戦前スミルナ派の妖しくもいかがわしいムードをぷんぷんと撒き散らしているんですよ。
13年作という近作で、この濃厚な味わいは、ちょっとスゴいですよねえ。
イッパツで魅了されてしまいました。
プロフィールを調べてみたのですが、インターネットには情報がありません。
ご本人のフェイスブックはありましたけれど、バイオグラフィは載っていませんでした。

本作のほかにもう1枚CDが出ているほかは、
ディモーティカのコンピレーションにサントゥーリ奏者として名前を連ねているくらいで、
歌手としてのアルバムはほかになさそうです。
普段はサントゥーリ奏者として活動している人なんでしょうか。

サントゥーリのきらびやかな弦音が引き立つ、
ヴァイオリン、バグラマ、ブズーキなどの弦楽アンサンブルが、
ミクラ・アシアのムードを濃厚に醸し出します。
ダルブッカのパーカッシヴな打音やクラリネットの妖しい響きは、
かつてのイズミールの裏街へといざなわれるようで、
悪の華を垣間見る、アブない快楽に引きずり込まれる思いがします。

Dimitra Ntourali "TA ORAIA TIS SMYRNIS" Athinaiki Diskografii 116 (2013)
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『その男ゾルバ』のラスト・シーン アントニス・マルツァキス [東ヨーロッパ]

Antonis Martsakis  MIKRI MOU LEMONIA MOU.jpg

クレタ島の楽器というと、胡弓に似たリラのメージが強いですけれど、
この人が弾くのはヴァイオリンなんですね。
アントニス・マルツァキスは、クレタ島の中堅の伝統音楽家だそうで、
本作が6作目とのこと。

ウードに似た4コース8弦の弦楽器ラウート2台が歯切れのいいリズムを刻み、
カクシ味として鈍い響きのダウラキ(スネア大の太鼓)がリズムを補う合間を、
アントニスがくるくると旋回するメロディを、ヴァイオリンで奏でます。
この3人がレギュラー・メンバーで、曲によって縦笛、ウッド・ベース、マンドリン、
ギターがゲストで加わります。

きっぱりとした歌いっぷりが晴れ晴れとしていて、気持ちいいですねえ。
虚飾のないその歌いぶりに、伝統音楽家としての矜持を感じさせますよ。
クレタ島の伝統的な頭飾り、サリキをつけたジャケット写真のきりりとした横顔に、
それが表われているじゃないですか。

クリティカと呼ばれるクレタ島の伝統音楽を、
シンプルな編成でカジュアルに聞かせるアルバムは、
これまでもいくつか耳にしてきましたけれど、
本作は演奏の主役がリラではなく、ヴァイオリンのせいか、
サウンドに深みがあって、豊かな味わいをおぼえます。
アラブのタクシームをホウフツとさせるヴァイオリンの即興もスリリングならば、
ゆったりとしたテンポのララバイでは、その奥行きのあるメロディに歴史を感じさせます。

ダンス・チューンのキレもバツグンなんです。
ギリシャの民俗ダンスでもとりわけ激しいといわれる、
クレタの軽快に跳ねるステップ・ダンスが目に浮かぶようです。
そういえば、名画『その男ゾルバ』の舞台は、たしかクレタ島でしたよね。
すべてを失った主人公が、ゾルバにダンスの教えを乞い、
クレタ島のまばゆい陽の下で、二人でダンスするラスト・シーンを思い出しました。

Antonis Martsakis "MIKRI MOU LEMONIA MOU" Aerakis AMA408 (2018)
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