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ロマンスィーが持ち味 カティア・ハーブ [中東・マグレブ]

Katia Harb QAD EL-HOB.jpg

アマニ・スウィッシを皮切りに、
昔さんざん楽しんだシャバービーをまたぞろ聴き返しています。

エジプトのアンガームが03年に出した名作 “OMRY MAAK” が象徴的でしたけれど、
2000年代に入って、若者向けのアラブ歌謡のサウンドががらっと変わりましたね。
それまで「アル・ジール」と呼ばれていた若者向けのアラブ・ポップスのジャンル名が
現地でほとんど使われなくなり、シャバービーと呼ばれるようになったことは、
日本では10年遅れくらいで知られるようになりました。

ジャンルの呼び名が変わった情報は、当時まだつかめませんでしたが、
プロダクションの質がぐんと上がり、多彩なサウンドを聞かせるようになったことは、
アラブ諸国から届くCDで十分実感できましたね。
ヴィデオ・クリップが進歩し、衛星放送局開設による
音楽ヴァラエティ番組がアラブ諸国で増えたことによって、
セクシー・アイドルが次々と登場するようになったのも、この頃だったなあ。

レバノンにその傾向が顕著で、
アラブ版スパイス・ガールズと呼ばれたフォー・キャッツを筆頭に、
歌唱力などまるでないお粗末な歌手も乱立することになりました。
そうしたセクシーだけが売りの歌手はやがて淘汰されていきましたけれど、
ヴィジュアルと歌唱力を兼ね備えたアイドルも登場するようになったのです。
その象徴がナンシー・アジュラムでしたね。

個人的には、アップテンポ中心のノリの良いアイドルにあまり興味がもてなかったので、
情感たっぷりにバラードを歌うシンガーをもっぱらひいきにしていました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-08-27
アンガームをはじめ前回記事のアマニ・スウィッシなど、
こうしたシンガーを「せつな系」とぼくは勝手に称していましたけれど、
現地ではこうした歌手たちが歌う曲のスタイルを、ロマンスィーと呼んでいたそうです。
ジャンル名ではないそうですが、なるほどその特徴を良く表していますね。

そんなロマンスィーな曲をたっぷり味わえるのが、
レバノンのカティア・ハーブの04年作です。
EMIミュージック・アラビアが出したこのアルバムは、
それまでカティア・ハーブが所属していたレバノンのレコード会社
ミュージック・ボックスのプロダクションとは段違いでした。

メジャーが出すとこうも違うかという、ゴージャスなプロダクションで、
冒頭のしとやかなバラードに胸がきゅんきゅん高鳴ります。
アンガームやアマニほどの歌唱力はないにせよ、
すがるような歌いっぷりに、ゾクゾクすることうけあいですよ。
ウチコミ強めのダンス・トラックでも、アダルト・オリエンテッドなムードが嬉しい。
ジャジーなトラックのクオリティは、今聴いてもぜんぜんオッケーですね。
エンハンスト仕様でヴィデオ・クリップが入っているのも、この当時らしいCDです。

Katia Harb "QAD EL-HOB" Capitol/EMI 07243-597381-0-9 (2004)
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せつな系シャバービーの大名作 アマニ・スウィッシ [中東・マグレブ]

Amani Souissi  WAIN.jpg

寒さ厳しい冬に聴くシャバービーの定番。
チュニジアのアマニ・スウィッシの07年デビュー作です。
ほかの記事でちらっと触れたことはあるものの、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-08-27
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2014-02-04
そういえばきちんと取り上げたことがなかったんだっけ。

ハイ・トーンを綿毛のような柔らかさで細やかにコブシを回す技巧。
吐息をもらすかのような息づかいで歌うその歌い口。
つぶやくように歌いながら、絶妙なブレス・コントロールに圧倒されました。
スタッカートの利いた活舌の良さが、バツグンのリズム感を示しています。

はじめてこのアルバムを聴いた時は、ビックリしましたよ。
ぼくの大好きなエジプトの歌手アンガームにもよく似た声質で、
その歌唱力の高さも、アンガームに迫るものがありました。
こんな人がチュニジアにいるのか!ってね。

シャバービーの本場といえば、やはりエジプトやレバノンで、
チュニジアはメインストリームではないので、
アマニも05年にレバノンのテレビ局LBCで放送された
スター・アカデミーに出演して、チャンスをつかんだ人でした。
その後、レバノンの詩人ハリール・ジブラーンに捧げられた戯曲に出演し、
その演劇の音楽はウサマ・ラハバーニが担当していたそうです。

そうしたキャリアを経て、07年にロターナからデビューしたわけですが、
これほど歌える人なのに、その後10年に2作目を出したのみで、
その後アルバムは出ていません。
シングルは最近も出しているようなんですが、
アラブ歌謡のシーンは競争がキビしいなあ。

飛行場の搭乗アナウンスをコラージュしたオープニングのタイトル曲から、
失意のヒロインが旅立つシーンが眼前に立ち上るかのようで、
アマニが歌うドラマに引き込まれます。
ちなみに、サブスクは曲順が変わってしまっているので、ご注意のほど。

全曲失恋ソングかと思うようなせつない曲が満載で、
アマニの歌いぶりがそれに見事にハマった名作。
これほど楽曲が粒揃いのシャバービーはなかなかありませんよ。
シャバービー傑作10選に確実に入るアルバムです。

Amani Souissi "WAIN" Rotana CDROT1315 (2007)
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この人もトゥモローズ・ウォリアーズ出身 ジュリー・デクスター [ブリテン諸島]

Julie Dexter  PEACE OF MIND.jpg   Julie Dexter  DEXTERITY.jpg

ピンクパンサレスから、フェルナンダ・ポルトそしてDJパチーフィと
ブラジルのドラムンベースに飛び火したんですが、
UKブラックで前にもこんな人がいた記憶があるんだけど、誰だっけなあと、
ずーっと気になっていて、やっと思い出しました。
ジュリー・デクスターです。
ジャマイカ人両親のもとにバーミンガムで生まれ育った、
UKブラックのシンガー・ソングライター。

99年にアメリカへ渡ってアトランタに移住し、
自身のレーベル、ケッチ・ア・ヴァイヴを立ち上げてデビューした人です。
2000年に出たジュリーのデビューEPの1曲目 ‘Ketch A Vibe’ を聴いて、
ノック・アウトを食らったんだよなあ。ドラムンベースを下敷きにしたトラックが、
なるほどUKブラックだからなのねとナットクしたものでした。

ジュリーのスウィートな歌い口とチャーミングな表情にマイってしまって、
その後02年に出たフル・アルバムの“DEXTERITY” ともども、当時ヘヴィロテしました。
‘Ketch A Vibe’ は “DEXTERITY” にも再収録された
ジュリーのシグニチャー・ソングだったので、
ドラムンベースのイメージがことさら強く記憶に残ったのでした。

ところが久しぶりに棚から取り出して、ライナーを眺めてみたら、あれっ?
‘Ketch A Vibe’ は、ドラムスにホワイリーキャットという名前がクレジットされてますよ。
これウチコミじゃなくて、生演奏だったのか!
そうか、出だしのドラミングを聴けば、ウチコミじゃないのは歴然だよな。
ドラムンベースを生演奏にトレースしたトラックだったのかあ。

あらためてライナーのクレジットをじっくりチェックしてみれば、
ウチコミを使ったトラックもあるものの、ほぼ生演奏主体じゃないですか。
当時ジュリー・デクスターは、オーガニックなテイストのネオ・ソウル・シンガーという
受け止めでしたけれど、この本格的なジャジーなセンスはひょっとしてと、
バイオを調べてみたら、びっくり。

なんと、トゥモローズ・ウォリアーズに通っていた人だったんですね。
ジャズ・ウォリアーズのメンバーのサックス奏者ジェイソン・ヤードに誘われて、
キャムデン・タウンのジャズ・カフェのサンデー・セッションで歌っていたとのこと。
そこでベーシストのゲイリー・クロスビーと知り合い、ゲイリーが91年に設立した
トゥモローズ・ウォリアーズに通う初期のメンバーだったそうです。
コートニー・パインにフックアップされて、
バンドのヴォーカリストとして世界ツアーにも参加していたとは、ビックリ。

そうかあ、ジュリーはR&Bじゃなくて、ジャズの人だったのね。
トゥモローズ・ウォリアーズのワークショップ・プロジェクトから生まれた、
ジェイソン・ヤード率いるJ.ライフにヴォーカリストとして参加して成功を収め、
J.ライフは98年のヤング・ジャズ・アンサンブル・オヴ・ザ・イヤーでペリエ賞を受賞し、
ジュリーはヤング・ジャズ・ヴォーカリスト・オヴ・ザ・イヤーで
ペリエ賞を受賞したそうです。

あらためて “DEXTERITY” のクレジットをチェックしてみれば、
全曲生演奏じゃないですか。
EPでは数曲プログラミングのトラックもありましたけれど、
フル・アルバムはすべて人力だったとは、うわぁ、ぜんぜん意識していなかったなあ。
フィラデルフィアのR&B/ヒップ・ホップ・ドラマー、
リル・ジョン・ロバーツも起用されているじゃないですか。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2014-08-03
R&Bとジャズを横断するミュージシャンたちが、
ジュリーをバックアップしていたんですね。
ジェイソン・ヤードも名前を連ねていますよ。

当時オーガニックなネオ・ソウルという側面からしか評されていませんでしたけれど、
トゥモローズ・ウォリアーズ出身のシンガー・ソングライターとわかれば、
グッと聞こえ方が変わってきますね。

Julie Dexter "PEACE OF MIND" Blackbyrd 506125-2 (2000)
Julie Dexter "DEXTERITY" Ketch A Vibe KAV002 (2002)
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オトナ同士の会話 シコ・ピニェイロ & ロメロ・ルバンボ [ブラジル]

Chico Pinheiro & Romero Lubambo  TWO BROTHERS.jpg

シコ・ピニェイロとロメロ・ルバンボのお二人。
ブラジルからアメリカへ居を移したジャズ・ギタリスト同士ということで、
デュオをするのも必然だったのでは。

55年リオ生まれのルバンボが渡米したのは、85年のこと。
75年サン・パウロ生まれのシコ・ピニェイロが
ニュー・ヨークに移り住んだのは18年のことなので、まだ5年。
二人は12年前にサン・パウロですでに出会っていたそうです。

ジャジーなMPBのシンガー・ソングライターとしてデビューした
シコ・ピニェイロですけれど、ご本人の歌はシロウトの域を出ず。
奥方のルシアーナ・アルヴィスがすごく魅力的な歌い手なので、
歌はルシアーナに全部任せちゃえばいいのにと思っていたんですが、
ジャズ・ギタリストの才能はインターナショナル・レヴェルの人なので、
今回のようなインスト作品なら、もろ手を挙げて歓迎です。

Chico Pinheiro & Anthony Wilson  NOVA.jpg

前にもシコ・ピニェイロは、ギタリストとのデュオ作品を出しましたよね。
ロス・アンジェルスのジャズ・ギタリスト、アンソニー・ウィルソンとの共演でした。
あれはいいアルバムだったなあ。
ファビオ・トーレス(p)、パウロ・パウレッリ(b)、エドゥ・リベイロ(ds)を軸に、
曲によってホーン・セクションもたっぷり入れ、
イヴァン・リンスやドリ・カイーミがゲストで歌う曲もありました。
リラックスした演奏のなかにも、二人のテクニカルなソロが
競い合うように披露されていて、スリリングな要素も満点でした。

今回のロメロ・ルバンボとのデュオは、二人のみの演奏。
二人ともアクースティックとエレクトリックを使い分けて、
まさにギターによる会話を楽しんでいるといった趣です。

レパートリーは二人のお気に入り曲を取り上げたそうで、
そこにプロデューサーが助言して、ジャヴァン、シコ・ブアルキ、ジョビン、
ミシェル・ルグラン、ビル・エヴァンス、レノン=マッカートニー、
スティーヴィー・ワンダー、ビリー・アイリッシュ、スティングが選曲されています。

二人とも抑制の利いたバランスのいいプレイをしつつ、
要所で淀みなく16分音符が流れる長い流麗なソロを繰り出していて、
その熟達したインタープレイにはタメ息が漏れるばかりです。
二人とも大声を出すことなく、相手の話をよく聴いてから応答していて、
会話を楽しむ様子が手に取れるように聞き取れる演奏ぶりですね。

相手がどんな気持ちで聴いているのかも解さず、
とうとうと演説して自己満足に陥りがちな昭和世代からすると、
シコ・ピニェイロのオトナな態度に感心してしまうのでした。
自分より若い世代って、オトナなんだよなあ。前期高齢者のガキっぷりを恥じ入ります。

Chico Pinheiro & Romero Lubambo "TWO BROTHERS" Sunnyside SSC1697 (2023)
Chico Pinheiro & Anthony Wilson "NOVA" Buriti BR001 (2007)
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褐色のカナリア ジョニー・アダムス [北アメリカ]

Johnny Adams  HEART & SOUL.jpg

ジョニー・アダムスのスリーS・インターナショナル盤は、生涯のソウル愛聴盤。
ソウル聴き始めの高校生の時に出会った、かけがえのないレコードです。
あまりにもこのレコードが好きすぎて、
80年代にラウンダーから出た諸作は、どれもなじめなかったなあ。

ジョニー・アダムスがスリーS盤で聞かせた豊潤な歌の味わいは、
ニュー・オーリンズという土地が生み出した天性を、いかんなく発揮していましたね。
とりわけカントリー・バラードの ‘Release Me’ ‘Reconsider Me’ の2曲を、
サザン・フィールたっぷりのゴスペル感覚で新たな命を吹き込ませたのは、
ジョニー・アダムス最高の仕事でした。

Johnny Adams  RECONSIDER ME.jpg

ジャケットがまたカッコよくて、独身の頃部屋に長く飾っていたものです。
CD時代になって、チャーリー・R&Bが87年に全曲CD化しましたが、
他のスリーS音源を含む22曲入りで、曲順がレコードと違うのになじめなくて困りました。
その後だいぶ経ってから、iTunes でレコードと同じ曲順にしたあと
他の曲を並べるプレイリストを作って、それ以来ずっとこれで聴いていました。

Johnny Adams  ABSOLUTELY THE BEST.jpg   Johnny Adams  RELEASE ME THE SSS AND PACEMAKER SIDES.jpg

スリーS時代の録音をまとめた編集盤は、その後もいろいろ出て、
このプレイリストに入っていない曲をそのあとに追加していました。
02年にフュオル・2000が出した編集盤以来買う、
イギリスのプレイバックから出た今度の編集盤には、
スリーSの前に契約していたペースメーカーのシングルが入っているんですね。

褐色のカナリアと呼ばれたジョニー・アダムスの艶やかな歌声、
半世紀近く聴き続けるほどに、その魅力はますます輝きを増しています。

[LP] Johnny Adams "HEART & SOUL" SSS International SSS#5 (1970)
Johnny Adams "RELEASE ME" Charly R&B CDCHARLY89
Johnny Adams "ABSOLUTELY THE BEST" Fuel 2000 302-061-245-2
Johnny Adams "RELEASE ME: THE SSS AND PACEMAKER SIDES 1966-1973" Playback PBCD016
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17年ぶりの再発 ファデラ [中東・マグレブ]

Fadela  MAHLALI NOUM.jpg   Fadela  TOUT SIMPLEMENT RAÏ.jpg

MLPの傘下で新発足した中東・マグレブ音楽のリイシュー専門レーベル、
エルミールから、ポップ・ライのファデラの06年録音作が出ましたね。

ファデラ(当時はシェバ・ファデラ)といえば、
ポップ・ライの帝王シェブ・ハレドに先んじて、
わずか17歳にしてポップ・ライの初ヒット曲を飛ばした人。
これが79年のことで、80年代半ばにはシェブ・サハラウイと結婚して歌ったデュエット曲
‘N'sel Fik’ がライ初の国際的なヒット曲になって、その名を轟かせました。
その勢いでアイランドと契約してアルバムを出したのだから、当時の人気はスゴかった。

それからだいぶ年月が流れた06年、
R&Bと結びついたラインビーがシーンを賑わせていた頃に、
ファデラがひょっこり出したアルバムが “TOUT SIMPLEMENT RAÏ” でした。
ダンス・ミュージックへとシフトしつつあったライを、
もとの歌謡ジャンルに揺り戻すかのような快作で、
当時まったく話題になりませんでしたが、ぼくはけっこう愛聴しました。

その時と同じ録音作だというので、曲目をチェックしてみると、
‘Dabazte Omri’ の1曲を除いてダブリはないので、
これは未発表録音かと喜び勇んで買ってみたら、なんと全曲同じ。
ただの再発盤ということが判明して、ガックリ。
なんだ、それ。9曲の曲名がすべてまるで違うって、どういうこと?

まぁ、自分的にはかなりガックリきたんですが、
ポップ・ライのオーセンティックなサウンドが聞ける傑作には違いないので、
これを機会に書いておこうと思った次第であります。
当時はぜんぜん話題にならなかったしね。
アズテック盤のサエないジャケットとは段違いだし、
曲順がまったく違っているけれど、レゲエ・アレンジの曲から始まるアズテック盤より、
木笛ガスバで始まるエルミール盤の曲の並びの方が断然いいですよ。

ポップ・ライがオートチューン使いになる時代以前の録音で、
オールド・スクールなライながら、ラテン風味に仕上げたトラックもあるなど、
多彩なポップ・ライ・サウンドと脂ののったファデラの歌声が楽しめる快作です。

Fadela "MAHLALI NOUM" Elmir MIR06CD (2006)
Fadela "TOUT SIMPLEMENT RAÏ" Aztec CM2076 (2006)
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厳寒期はドラムンベース オムニ・トリオ [ブリテン諸島]

Omni Trio  EVEN ANGELS CAST SHADOWS.jpg

ドラムンベースって、冬の寒さが厳しくなる頃になると、
棚から取り出してくるんですけれど、その筆頭作がオムニ・トリオの01年作。
今回は歌ものじゃなくて、ドラムンベースど真ん中の作品です。
高速に疾走する硬質なジャングル・ビートとピアノの耽美な響きが、
頬にあたる凍てつく空気の中を歩くのに、すごいフィットするんですよね。

オムニ・トリオはトリオでもなんでもなく、
ジャングリストのロブ・ヘイのソロ・プロジェクト。
ドラムンベースのレーベル、ムーヴィング・シャドウの看板アーティストでした。
当時ドラムンベースやハウスは、作品単位で聴いていたので、
一人のアーティストをずっとチェックするようなことはしてなかったんですが、
ドラムンベースのオムニ・トリオと
ハウスのラリー・ハード(ミスター・フィンガーズ)だけは、
例外的にフォローしていた人たちでしたね。

オムニ・トリオも、95年のムーヴィング・シャドウ初作からずっと聴いていました。
初期は無機質な冷たさがあったものの、
だんだんと温もりのあるメロディアスで幻想的なサウンドスケープを描くようになって、
コズミックでフューチャリスティックな世界を完成させたのが、この01年作でした。
うん、やっぱりこれがオムニ・トリオの最高傑作じゃないかな。

当時オムニ・トリオや、LTJブケム、4ヒーローといったドラムンベースは、
アートコアと呼ばれていましたけれど、いまでもこのジャンル名は通用するのかしらん。
アンビエント・ドラムンベースというか、メロディアスなのが特徴でした。

本作のきらきらとしたピアノの響きや荘厳なストリングスに、
高速ビートのループが絡んで生み出されるスペイシーでヒプノティックなムードは、
クラブよりリスニング・ルーム向けであったことも、ぼくが惹かれた要因だったと思います。

Omni Trio "EVEN ANGELS CAST SHADOWS" Moving Shadow ASHADOW26CD (2001)
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ドラムンベースからクラブ・ジャズへ <BPM> [ブラジル]

BPM  VOL.1.jpg   BPM  URBAN BOSSA VOL.2.jpg

フェルナンダ・ポルトのデビュー作を出したトラーマは、
98年に発足したレーベルで、2000年代のブラジルの音楽シーンをリードしました。
オット、マックス・ジ・カストロ、ジャイール・オリヴェイラなどの
クラブ・ミュージック世代のMPBを送り出す一方、
フェルナンダ・ポルトをリミックスしたDJパチーフィなどによるドラムンベースは、
ドラムンベース専門のサブ・レーベル、サンバロコが出していました。

DJ Patife  COOL STEPS.jpg   DJ Marky  AUDIO ARCHITECTURE 2.jpg
Patife and Mad Zoo  TRAMA D&B SESSIONS.jpg   DJ Markey & XRS  IN ROTATION.jpg

サンバロコから出たDJパチーフィやDJマーキーや
親元のトラーマが出した『ドラムンベース・セッション』、異例のヒットを呼んだ
‘LK’ を収録したDJマーキーとXRSのコンビの初アルバムなどいろいろ聴き返して、
あらためてあの時代のブラジル産ドラムンベースの良さを再確認した次第。

その魅力の底流にあるのは、やっぱりメロディの力だよなあ。
ショーロからサンバの伝統を持つブラジル音楽は、歌ものの強さが違うよねえ。
そんな歌ものの強みを発揮したユニットで忘れられないのが、
ベーシストのジェイサン・ヴァルニと
ギタリストのアンドレ・ブルジョイスが組んだ<BPM>です。

<BPM>の1作目のバック・インレイに、
「MPBにジャングル、トリップ・ホップ、ダブ、アシッド・ジャズ、ハウス、ディスコ、
エレクトロニカを融合したアーバン・ブラジリアン・サウンド」と書かれていますが、
ずばりそのとおりのサウンドが展開されています。

1作目ではアンドレア・マルキー、シモーニ・モレーノ、エドモン・コスタ、
2作目ではパウラ・リマ、マックス・デ・カストロなど大勢のシンガーをフィーチャー。
ナナ・ヴァスコンセロスのビリンバウ、
マルコス・スザーノのパンデイロなどの生の打楽器に、
管楽器のゲストも多数参加して、エレクトロと生演奏を絶妙にブレンドした
ハイブリッドなサウンドを展開しています。

1作目では、バーデン・パウエル、ドリヴァル・カイーミ、カエターノ・ヴェローゾの曲を
取り上げているので、いっそう歌もののニュアンスが強く感じられます。
2作目は2枚組で、「夜」と題されたディスク1は、<BPM>自身のほか、
DJドローレス、ボサクカノヴァ、DJマーキーなどによるリミックス集。
アコーディオンとピファノをフィーチャーした
ノルデスチ・エレクトロなトラックがあったりと、
ここでも生演奏をいかしたエレクトロニック・ミュージックを聞かせていて、
「夜明け」と題されたディスク2ともども、
ジャジーなセンスに富んだメロディアスなトラック揃い。

ドラムンベースにとどまらない、
さまざまなビート・フォームをクロスオーヴァーさせた<BPM>は、
ブラジルにおけるクラブ・ジャズの申し子だったのかもしれません。

<BPM> "VOL.1 NEXT BRAZILIAN VIBE EXPERIENCE" Urban Jungle/MCD World Music MCD109 (2000)
<BPM> "URBAN BOSSA VOL.2" Urban Jungle/MCD World Music MCD110 (2001)
DJ Patife "COOL STEPS - DRUM’N’BASS GROOVES" Sambaloco/Trama T300/523-2 (2001)
DJ Marky "AUDIO ARCHITECTURE: 2" Sambaloco/Trama T004/554-2 (2001)
Patife and Mad Zoo "TRAMA D&B SESSIONS" Trama T006/829-2 (2003)
DJ Markey & XRS "IN ROTATION" Innerground INN003CD (2004)
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ブラジリアン・ドラムンベース再び フェルナンダ・ポルト [ブラジル]

Fernanda Porto  FERNANDA PORTO.jpg

ピンクパンサレスからY2Kリヴァイヴァルを知ったという、
あいかわらず流行にウトい当方ですが、
当時を思い出すと、ドラムンベースと女性シンガーの組み合わせで
一番印象的に残っているのは、フェルナンド・ポルトかなあ。

ドラムンベースの歌もので、ブラジル人歌手がまっさきに思い浮かぶってのは、
いかにもクラブ・ミュージック門外漢ぽいですが、
そもそもドラムンベースでヴォーカリストがフィーチャーされることはそうそうなくて、
あってもアルバムに数曲あるかどうかだったよねえ。

ブラジルのドラムンベースが、ことのほか歌ものと親和性があったような記憶があるのは、
サン・パウロのDJ、DJパチーフィがリミックスした ‘Sambassim’ がきっかけ。
DJパチーフィがロンドンのジャングル/ドラムンベースのレーベル、
Vレコーディングズに売り込んでヒットさせた曲でしたけれど、
ぼくにとっても、この曲がブラジリアン・ドラムンベース開眼の1曲でした。

THE BRASIL EP.jpg

Vレコーディングズはロニ・サイズやDJクラストなど、
ドラムンベースの重要DJのリリースで知られたロンドンのレーベル。
フェルナンド・ポルトやマックス・ジ・カストロの曲を
DJパチーフィ、DJマーキー、XRSランドがリミックスした “THE BRASIL EP” は、
ドラムンベース・シーンに新たな風をもたらしました。

細分化されたドラムンベースの特徴的なビートが、
軽やかなサンバを演出した ‘Sambassim’ は、
フェルナンダ・ポルトのジョイスの歌い口を思わすヴォーカルがめちゃチャーミングで、
ひと聴きぼれしました。

当時はまだフェルナンダ・ポルトのアルバム・デビュー前で、
‘Sambassim’ のオリジナル・ヴァージョンが収録されたデビュー作は、
ヒット翌年の02年になって出ました。
ひさしぶりに棚から取り出して聴いてみたんですが、
今聴いても新鮮というか、ネオ・ソウルと融合したニュアンスで
リヴァイヴァルしている現在の方が、むしろツボじゃないですか。

当時はサンベースとかドラムンボサとか呼ばれていた、
このあたりのサウンド、少し聴き返してみようかな。

Fernanda Porto "FERNANDA PORTO" Trama T004/590-2 (2002)
DJ Patife, XRS Land, DJ Marky "THE BRASIL EP" V Recordings/Trama T002/555-2 (2001)
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UKブラック新世代のベッドルーム・ポップ ピンクパンサレス [ブリテン諸島]

PinkPantheress  HEAVEN KNOWS.jpg

うわー、めっちゃキュートな歌声。
新世代UKブラックの登場ですか。
なんの予備知識もなく、そのスウィートな歌い口にヤラれて買いましたが、
Y2Kリヴァイヴァルのムーヴメントで注目を集めるようになった人なんだとか。

Y2Kリヴァイヴァルってなんじゃ?と思ったら、
ドラムンベース、UKガラージ、2ステップといった90年代から00年代前半あたりの
クラブ・ミュージックが、数年前から再注目されるようになっているんですってね。
どうりで、最近やたらとドラムンベースを耳にすることが多くなったわけだ。
流行の30年周期って、ホントに当たってるんだなあ。
このテの音楽はぼくも当時よく聴いてたから、
ピンクパンサレスに反応したのも、不思議じゃないわけか。

とまあ、ジジイの回顧なんですが、
ベッドルーム・ミュージック仕様のドラムンベースのオープニングから、もう大好物。
ピンクパンサレスことヴィクトリア・ビヴァリー・ウォーカーは、
22歳のUKブラックのソングライターにしてプロデューサー。
プログラミングもみずからてがけていて、プロデューサーの才はズバ抜けていますよ。

それぞれ異なる表情を持つ2分程度の短い曲が13曲も並んでいるんですが、
アルバムを通して浮遊感のあるサウンドスケープが一貫しています。
そのドリーミーなアンビエンスにウットリしますよ。
ケレラをゲストに迎えた曲など、ティンバランドを下敷きにしたトラックも多く、
たしかにY2Kリヴァイヴァルを感じさせるものの、
ネオ・ソウルのデリカシーを備えたところに、21世紀の現在地を感じます。

PinkPantheress "HEAVEN KNOWS" Warner 5054197766053 (2023)
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南ア人としての自叙伝 ジョナサン・バトラー [南部アフリカ]

Jonathan Butler  UBUNTU.jpg

ひと月前に南アのウブントゥについて少し触れたばかりですけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2023-12-10
南ア出身のジョナサン・バトラーの新作のタイトルが、なんと「ウブントゥ」。

ジョナサン・バトラーといえば、グラミー賞にもノミネートされた ‘Lies’ でしょう。
あの大ヒット曲が入った87年作 “JONATHAN BUTLER” は
いまでも時折聴き返しますが、どんなに年数が経っても古びませんね。
13年に来日した際にご本人と話をするチャンスがあって、
こんな古いアルバムにサインを頼むのは悪いかなと思ったんですが、
ジョナサン・バトラーはこれ1枚しか持っていないのでした(ゴメン)。

Jonathan Butler.jpg

13歳の初シングルがバート・バカラック作の ‘Please Stay’ で、
その後スムース・ジャズ系シンガー/ギタリストという売り出しで、
若くしてイギリスに進出して成功した人だけに、
正直バトラーに南アの音楽家というイメージはまったくありません。
コンテンポラリー・ポップスの音楽家としか捉えていなかったので、
この新作タイトルは意外でした。

考えてみれば、バトラーはケープ・タウン生まれなんですよね。
これまでのイメージを一新するルーツ回帰作を作ったのかと思いきや、
そんなことはまったくなくて、これまで通り、いつものバトラーなのでした。
プロデューサーがマーカス・ミラーだもんねえ。
ミラーはベース・ソロばかりでなく、ピアノ、ギター、サックス、ドラムスと
さまざまな楽器を演奏して、サウンドメイクをしています。

オープニングは、スティーヴィー・ワンダーの ‘Superwoman’ をカヴァー。
終盤にリズムがレゲトンへスウィッチして、スティーヴィーがゲストで
ハーモニカを吹く趣向は、なかなかにスウィートなアレンジ。
バトラーの声はさすがに年輪を重ねて太くなったとはいえ、
歌い回しが昔とぜんぜん変わっていなくて、まさにバトラー節ですね。

バトラーが弾くナイロン弦ギターによるインスト曲も、
87年作と変わらぬ作風ですけれど、
8曲目の ‘Coming Home’ の主メロに、ほのかな南ア色があります。
ここが今作でゆいいつ南アらしさを感じられたところかな。
歌詞には自叙伝が記されているようですけれど、
サウンドはあくまでも王道ポップス。バトラーらしい作品で、ぼくは好きです。

Jonathan Butler "UBUNTU" Mack Avenue ART7080 (2023)
Jonathan Butler "JONATHAN BUTLER" Jive 1032-2J (1987)
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蘇るセネガリーズ・ポップ黄金期のサウンド ジェウフ・ジェウル・ド・ティエス [西アフリカ]

Dieuf-Dieul De Thiès  Buda.jpg

ビックリ二乗。

ひとつめのビックリは、
わずか79年から82年までしか活動しなかったセネガルのバンドが
33年ぶりに再結成して出した新作だということ。

ジェウフ・ジェウル・ド・ティエスは、活動期には1枚のレコードも出さず、
2013年にテレンガ・ビートが未発表だったマスター・テープを掘り起こすまで、
幻のバンドだったんですよ。なんせ、2002年にオランダのダカール・サウンドが出した
ティエスのバンドのコンピレーション “MEANWHILE IN THIES” で、
かろうじて2曲が聴けるだけのバンドでしたからねえ。

MEANWHILE IN THIÈS….jpg

で、ふたつめのビックリは、これが新作?と戸惑ってしまうほど、
80年前後のサウンドが真空パックそのままに飛び出てきたこと。
ファズやフランジャーを利かせたエレクトリック・ギターも懐かしく、
サウンドのすみずみまでヴィンテージ感が充満しています。
それもそのはず、真空管マイクや旧式ミキサーといった昔の機材を
160キロ以上もフランスから運び込んでレコーディングしたというのだから、
80年当時のアナログ感が再現できるはずです。

Dieuf-Dieul de Thies  Aw Sa Yone Vol.1.jpg   Dieuf-Dieul de Thies  Aw Sa Yone Vol.2.jpg

オリジナル・メンバーで残っているのは、リーダーでギタリストのパープ・セックと
リード・ヴォーカルのバシル・サル二人だけですけれど、テレンガ・ビートの2枚に
収録されていた往年のレパートリーをほぼ昔のままのアレンジで再演し、
今回のレコーディングのために用意された新曲2曲もやっています。
ホーンズを含むメンバー全員によるライヴ・レコーディングだったようで、
そのダイナミズムに富んだグルーヴは最高ですね。

本作のレコーディングは19年に行われましたが、
それに先立つ17年にオランダで開催されたアフリカ・フェスティヴァル・ヘルトメに
出演した時のライヴ2曲が最後に収録されています(CDのみ。LPは未収録)。
これがまたスケール感のある演奏で、ライヴ・バンドとしての実力の高さにウナりました。

この2曲を含む4曲を収録したライヴ盤が、
オランダのヴェリー・オープン・ジャズから18年に出ていたらしく、
残り2曲もぜひ聴いてみたいなあ。
ちなみにこのライヴ盤、前年のフェスティヴァルに出演した
ケニヤのレ・マンゲレパのライヴとのカップリングとなっているようです。
そういえば、マンゲレパもこの頃に復帰作を出したっけ。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-12-01

Dieuf-Dieul De Thiès "DIEUF-DIEUL DE THIÈS" Buda 860390 (2023)
Royal Band, Dieuf Dieul "MEANWHILE IN THIÈS… :DAKAR SOUND VOLUME 9" Dakar Sound DKS020
Dieuf-Dieul De Thiès "AW SA YONE VOL.1" Terenga Beat TBCD017
Dieuf-Dieul De Thiès "AW SA YONE VOL.2" Terenga Beat TBCD020

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心が整う音楽 カントゥルム・ドンマン [東南アジア]

Kantrum Dongman  NORTHERN KHMER SPIRIT MUSIC IN THAILAND.jpg

ヨガを終えた後にも似た、心と呼吸が整うアルバム。
その音楽は、タイ東北部スリン県、スリサケット県、ブリーラム県、
ウボンラーチャターニー県に暮らすクメール人が伝えてきた儀礼音楽のカントゥルム。

クメール人の国カンボジアで、
クメール・ルージュの弾圧によって滅ぼされたカントゥルムのもっとも古いスタイルが、
タイでわずか140万人の少数民族のクメール人によって継承されてきたんですね。
タイのクメール人は、6世紀のチェンラ王国にさかのぼる
初期のクメール国家を築いた人々の末裔といわれています。

カントゥルムといえば、80年代半ばにカントゥルム・ロックで旋風を巻き起こした
タイのダーキーがまっさきに思い浮かびますけれど、ダーキーがやっていたのは、
カントゥルムをエレクトリック化して、ぐっと現代化したカントゥルム・プラユック。
それに対してここで聞かれるのは、
もっとも古く伝統的なカントゥルム・ボランと呼ばれるもので、
祖先の霊を招き、生者を癒し、祝福するために演奏される音楽で、
アニミズムの色彩の強い儀礼音楽です。

カントゥルム・ドンマンは、スリン県ドンマン村出身の老若7人のグループ。
ダブル・リードの笛、胡弓が奏でるメロディーに合わせて、
歌い手がコブシをたっぷりと利かせながら歌い、
その合間を縫うように、ゆったりとおおらかなリズムで太鼓が打たれます。
場を清めるような清廉さのある音楽で、ゆるやかなリズムは、
聴き手の緊張を解きほぐし、心を落ち着かせる効能があります。

はじまりの2曲は、ワイ・クルと呼ばれる儀式の始まりに演奏される曲だそうで、
3曲目から大小のシンバルが加わり、テンポも少し早められて
華やいだ雰囲気が醸し出され、リズムにも変化が表われてきます。
歌い手を囃すかけ声がかけられて、踊りのための曲のようです。

リズムがまるっこくて、これほど柔らかなグルーヴというのも、
めったに味わえるもんじゃないですね。
曲ごとにヴァリエーションのあるリズムが聞き取れ、
こうした音楽にありがちな単調さはまったくありません。

そしてこのCD、録音がすごく良いんです。
太鼓の低音がよく録れていて、腹にズンとくる響きと、
空を舞う歌と胡弓のレイヤーは臨場感たっぷりで、
目の前で演奏されているかのよう。
正月三が日、すっかりわが家のBGMとなって楽しませてもらいました。
心が整うカントゥルム、これは愛聴盤になりそうです。

Kantrum Dongman "NORTHERN KHMER SPIRIT MUSIC IN THAILAND" Animist ANIMIST010 (2022)
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日本一美しいソプラノ・サックス 山口真文 [日本]

山口真文 VIENTO.jpg

山口真文のソプラノ・サックスは、日本一。
そう確信して半世紀近くが経ちますけど、
いまだその確信を揺るがすプレイヤーは現れないから、その見立ては確定済み。

山口真文のソプラノのどこがいいって、音色ですよ。
音色の美しさが天下一品なんです。
サウンドもヴォリュームがあって、堅牢な響きは理想的。
山口のソプラノの硬質なリリシズムが発揮された演奏では、
ケニー・カークランドのエレピとトニー・ウィリアムズのしなやかなドラムスを
後ろ盾にした81年の『MABUMI』収録の「Thalia」や「Illusion」、
96年の『REGALO』収録の「Empty Mirror」「Miros」が忘れられません。

山口真文  MABUMI.jpg   山口真文  REGALO.jpg

山口のソプラノがアグレッシヴな熱演を残したのは、ジャズよりもフュージョンで、
81年の『マダガスカル・レディー』での名演について以前も書きましたけれど、
「Madagascar Lady」「Get Away」の2曲のソロは圧巻です。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-06-01
ソプラノ・サックスをあれだけ激しく吹いて、音程がまったく揺らがないのは、
アンブシュアがいかにしっかりしているかってことですよね。

その大・大・大好きな山口のソプラノ・サックスを全曲で聴けるという、
涙ちょちょぎれる新作が出ました。
全曲ソプラノ・サックスのみで演奏したアルバムは、
山口のソロ10作目にして初じゃないですか。

プロデューサーの平野暁臣がライナー・ノーツに、
「彼のソプラノは日本ジャズ界で一二を争う表現力を備えています」と書いていて、
「一二を争う」じゃない、「一」だろと心の中で突っ込んだのですが、
「なんといっても真文さんの音色が美しい」と書いていて、
よくぞこのアルバムを企画してくれたと思いましたねえ。

ワン・ホーン・カルテットで、全曲山口のオリジナル。
ストレート・アヘッドなジャズで、『MABUMI』収録の「Thalia」、
『REGALO』収録の「Empty Mirror」「True Face」を再演しています。
山口らしい研ぎ澄まされた一音一音に、ただただ感服するばかりですよ。
直情型なプレイと制御の利いた冷徹なコントロールのバランスが、
山口のジャズの真骨頂でしょう。

今作では本田珠也の勇猛果敢なドラミングが聴きもの。
片倉真由子という人のピアノは初めて聴きましたが、
マッコイ・タイナーばりのどっしりとした揺るぎないプレイに感じ入りました。
真摯に音楽を追い求めてきたヴェテランならではの、
ビターで奥深い表現を味わえる傑作です。

山口真文 「VIENTO」 Days Of Delight DOD040 (2023)
山口真文 「MABUMI」 トリオ POCS9314 (1981)
山口真文 「REGALO」 イースト・ワークス・エンタテインメント MAB001 (1997)
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クロアチアのルーツ・ポップ ズリンカ・ポサヴェツ [東ヨーロッパ]

Zrinka Posavec  PJESME O LJUBAVI I TIJELU.jpg

なんの予備知識もなく買った、クロアチアの女性歌手のアルバム。
整った美しい発声とケレンのない歌いぶりに吸い寄せられました。
ピアノ、ギター、コントラバス、パーカッションの4人による
アクースティック・サウンドをバックに歌っています。
1曲をのぞいて、すべて主役のズリンカ・ポサヴェツの作曲で、
シンガー・ソングライター・アルバムのようですね。

どんな人なのかと調べてみたら、幼い頃から学んだ伝統音楽と
芸術アカデミーの教育機関で学んだクラシック声楽を組み合わせて、
14年からソロ活動を始めた人とのこと。
クロアチア全土の伝統音楽を採集し録音する活動も行い、
現在はザグレブの芸術学校で声楽教育者として歌唱指導をしているそうです。

21年に出した本作は、そんなズリンカのキャリアを生かして、
クラシックの唱法にクロアチアの民俗音楽や
オリエントな音楽要素を溶け込ませたサウンドが楽しめます。
余談ながら4曲目の ‘Kos’ なんて、
ダン・ヒックスの ‘I Scare Myself’ を思わせる。
やさぐれたオリエンタル風味のメロディで、ゾクゾクしちゃいましたよ。

洗練されたアレンジを聞かせる小人数による伴奏は、
1曲目を除いてジャズ的な語法を使わずにいながら、
きわめて現代的なフォーク・ジャズのアトモスフィアがあって、
民俗音楽を取り込んだ21世紀のワールド・ミュージック的表現にも思えます。

オーセンティックな伝統音楽からは遠く、
クラシック声楽の折り目正しさはあるものの、
エゴのない歌いぶりは、好感度大。
現代の女性シンガー・ソングライターにありがちな意識高い系の歌い口でないのも、
ぼくとしては安心して聴いていられるところなのでした。

Zrinka Posavec "PJESME O LJUBAVI I TIJELU" Croatia CD6115051 (2021)
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清々しいガザル ナイヤラ・ヌール [南アジア]

Nayyara Noor  NAYYARA SINGS FAIZ.jpg

あけましておめでとうございます。
2024年の年初めは、ナイヤラ・ヌールのガザルにしようと思っています。

暮れにエル・スール・レコーズへ寄ったさい、
原田さんがナイヤラ・ヌールの “NAYYARA SINGS FAIZ” の
インド盤LPを手に入れたということで聞かせてもらったんですが、
やっぱり、いいなあと二人で相好を崩したばかりなんですよ。

ナイヤラ・ヌールのこの名作は、
07年にインドで出たリマスターCDで聴いていましたが、
もう何十年も棚の肥やしとなったまま。
ガザルばかりじゃなく、インドやパキスタンといった南インドの音楽と
すっかり疎遠になっていたのに気付いて、
それじゃ新年にゆっくり聴き直そうと、愉しみにしていたわけです。

50年インド生まれのナイヤラ・ヌールは、
家族とともにパキスタンへ移り、プレイバック・シンガーとして活躍した人。
今回調べて初めて気づきましたけれど、
おととし22年8月20日に亡くなられたんですね。
ナイヤラ・ムールの名声は、プレイバック・シンガーとしてよりも、
現代ウルドゥー語の詩人が書いたガザルを数多く歌ったことで高まり、
清々しい歌声で聞かせたロマンティックな恋愛詩が絶賛されました。

ナイヤラの代表作は、
パキスタンの詩人で社会活動家のファイズ・アハマド・ファイズの詩に、
アルシャド・マフムードとシャーヒド・トゥージーが曲をつけた76年のアルバム。
のちにインドでリマスターCDが出たように、
パキスタン・インド両国で高い評価を得た、ガザル名盤中の名盤です。

シタール、タブラ、ハーモニウムなどの軽古典の楽器編成に、
ピアノ、ギター、ヴィブラフォンを加え、
のちのポップ・ガザルの原型ともいうべきサウンドにのせて、
ナイヤラの柔らかな発声が優美な世界へといざなってくれます。

気負いのない力の抜けた歌いぶりに、
アジア歌謡における歌唱の美学が詰まっていて、
おだやかで静かな正月を迎えるのに、うってつけのアルバムでしょう。

Nayyara Noor "NAYYARA SINGS FAIZ" EMI/Virgin 50999-500041-2-6 (1976)
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