お悔やみ ケレティギ・ジャバテ [西アフリカ]
マリ、ポピュラー音楽界の伝説的なマエストロ、ケレティギ・ジャバテが、
11月30日バマコで亡くなられました。享年81。
ジャバテという名門グリオの姓名からもわかるとおり、ケレティギはバラフォン弾きとして育ち、
のちにギタリストとして西アフリカ・ポピュラー音楽の黎明期を支えた、最重要の音楽家です。
ケレティギのキャリアは、マリの隣国ギネアが58年に独立し、
ギネアで最初に創立された国立オーケストラ、
オルケストレ・デュ・ラ・ガルドゥ・レピュブリケンヌの初代メンバーとなった時に始まります。
その後マリが60年に独立すると、ケレティギはギネアでのオーケストラ経験を見込まれ、
マリ政府にリクルートされて帰国します。独立後のマリ政府は、ギネアの政策をまねて
政府主導のポピュラー音楽育成を図り、ケレティギは国立オーケストラAとBの設立に携わり、
国立オーケストラAのリーダーとなりました。
当時のレコードがドイツのムジカフォン=ベーレンライターに残されていて、
左利きでギターを構えた若き日のケレティギの勇姿が飾られています。
その後、サリフ・ケイタとカンテ・マンフィーラが在籍したアンバサドゥールに移ってからは、
バラフォン奏者として活躍しました。
アンバサドゥール時代にアメリカ・ツアーをした折には、
ワシントンでライオネル・ハンプトンとも共演したのだとか。
バラフォン・プレイヤーとしてのケレティギで忘れられないのは、
イギリスBBCが89年に放映したアフリカ音楽ドキュメンタリー“UNDER AFRICAN SKIES” です。
日本でもNHKが放映して、ぼくは録画して残してあるんですけれど、
5回シリーズの第1回めのマリ編で、まっさきに登場したのがケレティギ・ジャバテでした。
2台のバラフォンを並べて高速で演奏する姿が、カッコよかったんですよねえ。
その後、ケレティギは孫世代にあたるアビブ・コイテ、トゥマニ・ジャバテら若手とともに演奏し、
99年にはアビブ・コイテのバンドの一員として来日もしました。
マリ音楽界の重鎮が、若いアビブのバックを務めるなんてと思ったりもしましたが
多くの後進ミュージシャンを育ててきたケレティギにとっては、
なんのこだわりもなかったんでしょうね。
そんな音楽家のエゴをまったく感じさせないケレティギらしいといえば、
04年になってようやく初のソロ・アルバムを出したところもまたしかり。
これほどの大物にしては、度外れて遅すぎなリリースでしたけど、
多くの若いミュージシャンたちとともにリラックスして演奏するケレティギは、
初ソロ作の気負いなど微塵もなく、職人に徹したプレイがどこまでも爽やかでした。
[LP] L’Orchestre National «A» De La République Du Mali "L’ORCHESTRE NATIONAL «A» DE LA RÉPUBLIQUE DU MALI" Bärenreiter-Musicaphon BM30L2605 (1970)
Kélétigui Diabaté "SANDIYA" Contre-Jour CJ012 (2004)
2012-12-05 00:00
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