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怒りの時代を伴走してくれた大楽団 渋さ知らズ [日本]

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渋さ知らズ  BE COOL.jpg   渋さ知らズ  渋祭.jpg
渋さ知らズ  渋龍.jpg   渋さ知らズ  渋旗.jpg

そういや渋さ知らズだって、ちっとも聴いてないなあ。
なんでなんだろう。一時期は毎日浴びるように聴いてたのにねえ。
渋さ知らズは、それまでの日本のアングラ系ジャズにありがちだった
「暗さ」がなくて、そこに惹かれたんですよね。

デビュー作の『渋さ道』(93)だけ、なぜか持ってないんですが、
2作目の『DETTARAMEN』(93)から『渋旗』(02)までは、ずっと聴いていました。
不破大輔が渋さ知らズを始動させる前に、川下直弘(サックス、ヴァイオリン)と
大沼志朗(ドラムス)と活動していたパワー・トリオ、
フェダインにノック・アウトを食らったのも大きかったかな。

Fedayien  FEDAYIEN Ⅱ.jpg

フリー・ジャズど真ん中のフェダインとは違って、
渋さ知らズはメンバーが持つ雑多な音楽が紛れ込んでいて、
ロックからチンドンまでなんでもありの自由さに加え、
なんといっても編成がデカいから、音圧勝負では無双でしたよね。

あの当時は、仕事のプレッシャーがハンパなくてねえ。
身の丈に合わない大きな仕事の連続で、
キモチで負けたら先がないといった日々に、自分を奮い立たせるのに必死でした。
30代半ばから40代半ばの10年間を渋さ知らズが伴走してくれて、
そりゃあずいぶん勇気づけられたものです。

ダンドリストとして渋さ知らズを差配する不破大輔は、
駅伝の青山学院大学の原監督や、サッカー日本代表森保監督、
WBC日本代表の栗山監督に匹敵する、
新しいリーダーのロール・モデルを先取りしていたと思うなあ。

04年の「渋星」が、なんだかすっきり整理されてしまったのにガッカリして、
それから熱が冷めていったんですけど、その後メジャーに移籍して
歌謡曲カヴァーしたりして、ますます疎遠になっちゃいました。

あらためて90年代のアルバムを聴き直してみたら、
やっぱりこの時代の渋さのエネルギー量は圧倒的でしたね。
単純なメロディを、これでもかというくらい繰り返すしつこさと
音塊をぶつけ合って音圧を出すことに血道を上げるバカバカしさを、
どこまで本気で面白がれるかに、渋さの生命線がありました。

いつのまにか渋さ知らズを聴かなくなってしまったのは、
仕事のプレッシャーの質が変わって、
単純な熱量だけでは足りなくなったからなのかもしれないな。
それでも30~40代の働き盛りのリーマンには、
渋さは何にも代えがたい存在だったんですよ。
ひさしぶりに手持ちの渋さ全作とフェダインを聴いたら、
あの当時の仕事やらなんやらの思い出が次々蘇ってきました。

あの頃は、年がら年中仕事で怒っていた気がするけれど、
若かったんだろうねえ。なんでもすぐにムキになってたもんなあ。
あの時一生ぶん怒っちゃったからか、いまや怒ることなんてまったくなくなっちゃった。
渋さ知らズは、怒りが必要だった時代のBGMだったのかも。

渋さ知らズ 「DETTARAMEN」 ナツメグ NC2066 (1993)
渋さ知らズ 「SOMETHING DIFFERENCE」 地底 B1F (1994)
渋さ知らズ 「BE COOL」 地底 B3F (1995)
渋さ知らズ 「渋祭」 地底 B9F (1997)
渋さ知らズ 「渋龍」 地底 B14F (1999)
渋さ知らズ 「渋旗」 地底 B21F (2002)
Fedayien 「FEDAYIEN Ⅱ」 ナツメグ NC2052 (1992)
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