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蘇った19世紀末の南ア合唱団 [南部アフリカ]

Philip Miller & Thuthuka Sibisi  THE AFRICAN CHOIR 1891 RE-IMAGINED.jpg

5年前に、こんな面白いCDが出ていたんですねえ。
南アの作曲家フィリップ・ミラーとトゥトゥカ・シビシが、
19世紀末の南ア合唱団の演奏を再現したプロジェクト。

本作はサウンド・インスタレーションとして企画され、
イングランド芸術評議会の後援を受けた学芸員調査を経て、
16年にロンドンで初公開されています。
その後ケープ・タウンでレコーディングされた本CDが17年に制作され、
ケープ・タウンを皮切りに、ジョハネスバーグの博物館やギャラリーを巡回しました。

展覧会で展示された肖像写真は、125年以上にわたって未公開だったもので、
ヴィクトリア朝の大英帝国におけるアフリカ人シッターを捉えた写真コレクションとして、
もっとも包括的な作品群だったそうです。
展覧会では15枚の大型ポートレートが展示され、
ミラーとシビシが新たに作編曲した本CDの5曲が、
会場のサラウンド・システムでループ再生されました。

さて、その合唱団はというと、
1891年から1893年にかけてイギリスとアメリカを巡業した、
南アフリカ共和国の若い男女14名と子供2名からなるグループで、
表向きはケープ・コーストに技術専門学校を建設し、
拡大する黒人労働力を支援するための資金調達が目的だったとのこと。
ウォルター・レティとジョン・バルマーがキンバリーでリクルートしたメンバーは、
いずれも教養のある敬虔なキリスト教徒で、
なかにはグラスゴー宣教師協会が東ケープ州に設立した
宣教師学校のラブデール・カレッジを卒業した者も何人かいたそう。

イギリスへ渡った彼らは、
クリスタル・パレスでイギリスの貴族や政治家のために合唱を披露し、
ワイト島のオズボーン・ハウスでは、ヴィクトリア女王のために演奏し、
大喝采を浴びたそうです。
彼らのステージのレパートリーは、英語で歌われるキリスト教の賛美歌と、
大衆的なオペラのアリアやコーラス、そしてアフリカの伝統的な賛美歌で
構成されていました。アフリカの伝統的な衣装と、
ヴィクトリア朝の衣装それぞれをまとって登場したそうです。

The African Choir 3.jpg
The African Choir 1.jpgThe African Choir 2.jpg

アフリカの伝統衣装を身にまとった写真がジャケットに飾られていますが、
これは、当時の新聞に使われた写真がノー・トリミングで載せられたものです。
それがわかったのは、“BLACK EUROPE” 所収の図鑑にあったからなのでした。
図鑑第1巻の1ページ目には、彼らの写真が飾られているばかりでなく、
当該の新聞記事やコンサート・プログラムの表紙も載っていました。
彼らの録音が残されず、聴くことがかなわないのは残念なんですが。
(図版は、BLACK EUROPE by Jeffrey Green, Rainer E. Lotz and Howard Rye 
Bear Family Productions Ltd., 2013 より引用)

Black Europe.jpg

“BLACK EUROPE” は、
13年にベア・ファミリーが500部限定で制作した44枚組CDセットで、
1880年代から1920年代後半にかけてヨーロッパで活躍した、
世界各国の黒人政治家、パフォーマー、
俳優、エンターテイナーたちを詳細に表わした画像と
ドキュメントを収録した図鑑2巻を含む、前代未聞のコンピレーションでした。
本CDではジ・アフリカン・クワイアと表記されていますが、
“BLACK EUROPE” から引用した図版を見ると、ザ・サウス・アフリカン・クワイア、
ジ・アフリカン・ネイティヴ・クワイアなどの表記がみられます。

さて、本CDの内容ですけれど、1891年の夏にロンドンで行われた、
オリジナルのコンサート・プログラムに基づいて、ミラーとシビシが曲を作り直したもので、
厳密に当時のままではないとはいえ、当時の音楽性はしっかりと伝わってきます。
録音には、プロの合唱団のメンバーやオペラ歌手が14人集められました。
当時のレパートリーには、女王の前でも披露しただけあって、
‘God Save The Queen’ といった曲もありますが、
意外だったのは、南アの民俗色を強調したパフォーマンスもあったことです。

‘Footstomp’ がそれで、足踏みダンスのリズム曲はのちのンブーベでも聞かれる、
ズールーの合唱音楽には欠かせないパフォーマンスですね。
南ア・ポピュラー音楽史上初の重要作曲家で、
ミッション系合唱団を率いたルーベン・カルーザの30年代録音より、
南ア黒人色を明確に打ち出していることに、ちょっと驚きました。

合唱団のメンバーだったシャーロット・マクセケ(旧姓マニエ)とポール・シニウェは、
のちに南アフリカの社会活動家として活躍したといいます。
シャーロット・マニエは、1901年に27歳で
オハイオのウィルバーフォース大学も卒業していて、
この合唱団に参加してアメリカへ渡ったことが、大きな飛躍へと繋がったんでしょうね。

Philip Miller & Thuthuka Sibisi "THE AFRICAN CHOIR 1891 RE-IMAGINED" Autograph ABP/Tshisa Boys no number (2017)
v.a. "BLACK EUROPE: The Sounds And Images Of Black People In Europe Pre-1927" Bear Family BCD16095
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