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アルメニア系アメリカ人演奏家の道のり スーレン・バロニアン [北アメリカ]

Souren Baronian  THE MIDDLE EASTERN SOUL OF CARLEE RECORDS.jpg

サックス/クラリネット奏者のスーレン・バロニアンは、
ニュー・ヨーク育ちのアルメニア移民二世。
スーレンが70年に立ち上げたという、カルリー・レコーズから出たリーダー作3作を、
まるごと2枚のディスクに収めたリイシューCDが出て、初めてこの人を知りました。

エキゾ趣味なジャケット・デザインに、安直なベリー・ダンスものかと思ったら、大間違い。
抒情性溢れるアルメニアの伝統メロディを生かしたサウンドがたっぷりと味わえ、
すっかり気に入ってしまいました。
CDにはスーレン・バロニアンの来歴が詳細に紹介されていて、
アルメニア移民二世の音楽家が歩んできた道のりをたどることができます。

30年2月25日、ニュー・ヨークに暮らす
アルメニア移民の両親のもとに生まれたスーレンは、
アルメニア移民が集うグリーク・タウンで、
アルメニア、ギリシャ、トルコ、アラブ出身の音楽家たちに刺激され、
16歳でサックスとクラリネットを習い始めました。
同時に、いとこに連れられ、52番街のジャズ・クラブへこっそり入っては、
レスター・ヤングやチャーリー・パーカーを聴き、
ジャズに情熱を燃やす少年時代を送ります。

戦後まもないグリーク・タウンには、わずか2ブロックに
ベリー・ダンサーのいるクラブが8つも9つもあり、活況を極めていたようです。
なかには違法な性的サービスをする店もあり、
スーレン曰く「ファンキーな場所だった」この街で、
アルメニアやトルコ、アラブの音楽を学んだのですね。

18歳の時、同じアルメニア系のウード奏者チャールズ・チック・ガニミアンに誘われ、
スーレンのクラリネットとパーカッションの3人でザ・ノー・アイクスを結成し、
アルメニア移民のダンス・パーティや結婚式、ピクニックで演奏しました。
アメリカ初のアルメニア人バンドだったというザ・ノー・アイクスは、
50年に2曲をレコーディングし、グリーク・タウンのアルメニア人・ギリシャ人・
トルコ人の店で彼らのSPが売られたそうです。

スーレンはザ・ノー・アイクスのほかに、ジャズ・ミュージシャンを集めて
ジャズ・クラブでも活動し、51年に朝鮮戦争で徴兵されると、
軍で一緒になったナット・アダレイとキャノンボール・アダレイとも演奏したそうです。
除隊後アメリカへ帰国してからは、本格的な音楽活動を再開するために、
レニー・トリスターノとウォーン・マーシュに師事してジャズを、
トルコ古典音楽の名クラリネット奏者サフェット・ギュンデールに師事して、
トルコ音楽を学びました。

59年にアトコから、中東音楽とジャズのミクスチャー企画を持ちかけられ、
ガニミアン&ヒズ・オリエンタル・ミュージック名義で
“COME WITH ME TO THE CASBAH” を出し、
シングル・カットされた ‘Daddy Lolo’ がラジオで人気を呼び、ポップ・ヒットとなります。

ガニミアン&ヒズ・オリエンタル・ミュージックのアルバムはこの1作で終わりますが、
その後スーレンは、ベリー・ダンスのレコードや、オリエンタル・ムードを加味した
ジャズ・アルバムの企画(フィル・ウッズの67年作 “GREEK COOKING” や
トニー・スコットの68年ヴァーヴ盤 “TONY SCOTT”)など、
多方面からお呼びがかかり、数多くの録音に名前を残します。

John Berberian & The Middle Eastern Ensemble.jpg

なかでも話題を呼んだのが、中東音楽とクールなサイケデリック・ジャズをミックスした
“MIDDLE EASTERN ROCK”(69)でした。
ジョー・ベックのギターをフィーチャーし、ファズ・アウトしたサイケなサウンドは、
当時のジャズ・ロックの流行に乗じて企画されたもののようです。
しかし、スーレンはこのサイケ・サウンドが気にくわなかったようで、
それがのちに自身のレーベルを立ち上げて、
より伝統的なサウンドを追及することに繋がったんですね。

“MIDDLE EASTERN ROCK” もCD化されたばかりなので、買ってみたところ、
なるほどスーレンが納得できなかったのも、わかるような気がしました。
ジャズを演奏するつもりだったのが、中東風のサイケ・ロックを演じさせられて、
怒り心頭になったのでしょう。リズム・センスが完全にロック・ビートで、
ロック的な熱狂を演じるジョン・ベルベリアンのウードのプレイも、伝統を逸脱していて、
ロックへすり寄る姿勢が、スーレンはイヤだったんじゃないかな。

本作は、サイケ好きのロック・ファンから、カルト的人気を呼ぶアルバムだそうですが、
ロックが未成熟だった時代ならではの、
異文化を取り込むときの傲慢さが見え隠れする作品ですね。
中東文化になんの興味もないロック・ファン相手には、どんな名手の演奏も、
エキゾ趣味をくすぐるスパイスにしかならなかったのは、当時の宿命のようなもの。

半世紀を経て、平均的なアメリカ人でさえ異文化理解が進んだ今となっては、
隔世の感を感じ取れる作品といえるかもしれません。
21世紀の今、半世紀を経て再評価するのはけっこうだけど、
過去の作品に新たな文脈を見つけるのなら、
異文化に接する態度に、見直しが求められていることへの自覚が必要でしょうね。

この作品への反発から、スーレンはジョン・バーベリアンと別れ、
より伝統的なサウンドをめざして、相棒の歌手ボブ・タシュジャンとともに、
カルリー・レコーズを設立。スーレンの息子のカールと
ボブ・タシュジャンの息子リーの名前をくっつけて、レーベル名にしました。

カルリー・レコーズのもとで、“MIDDLE EASTERN SOUL”
“THE EXCITING MUSIC OF THE NOR-iKES”
“HYE INSPIRATIN” の3作を制作、
それが今回コンプリートで復刻されました。

3作とも、レパートリーの多くはアルメニア由来の曲で、
エキゾ趣味を排した抒情性豊かな演唱に、
スーレンのアルメニア人音楽家の志が映されています。
特に印象に残るのが、“MIDDLE EASTERN SOUL” のオープニング曲
‘Siro Yerk’ にフィーチャーされた女性歌手。
偶然リハーサルに来ていた16歳の少女で、
スーレンは彼女の歌声に魅了されてすぐさま起用したそうで、
みずみずしい情感を聞かせています。

Souren Baronian "THE MIDDLE EASTERN SOUL OF CARLEE RECORDS" Modern Harmonic MHCD253
John Berberian & The Middle Eastern Ensemble "MIDDLE EASTERN ROCK" Verve Forecast/Modern Harmonic

MHCD248 (1969)
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