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『ポップ・アフリカ800』不掲載の傑作 ジャン・ボスコ・ムウェンダ [東アフリカ]

Mwenda Jean Bosco.jpg

「レコード・コレクターズ」今月号の2022年の収穫に、
ベルリン民族学博物館が97年に出した、
アフリカン・ギターの偉人、ジャン・ボスコ・ムウェンダのCDを取り上げました。
「収穫」とするには、少々役不足というか、
アフリカ音楽研究家にとっては、たいして珍しくもないCDなんですけど、
ザンゲの報告のつもりで、挙げさせてもらいました。

というのも、ジャン・ボスコ・ムウェンダは、拙著『ポップ・アフリカ700/800』で
重要ミュージシャンとして扱い、1ページを使って紹介した人。
ムウェンダ晩年の88年、南ア・ツアーの折にケープ・タウンでスタジオ録音された
“MWENDA WA BAYEKE” がパッとしなかったので、
82年のベルリン録音の本CDも、見過ごしたままにしていたんですが、
こんな秀作だったなんて、不覚も不覚。

88年録音のドイツ盤は、90年にムウェンダが交通事故で亡くなったあとの94年に出て、
アメリカのラウンダーからも出て広く知れ渡ったアルバムですけれど、
97年に出た82年録音のベルリン民族学博物館盤は、
研究者向けのせいか、あまり流通しませんでした。
このCDについて書かれた記事にも、これまでお目にかかったことがないので、
『ポップ・アフリカ700/800』にセレクトできなかったザンゲの思いも含め、
ご紹介しておこうと思います。

ジャン・ボスコ・ムウェンダ(1930-1990)は、
旧ベルギー領コンゴ南部カタンガ出身のギタリスト。
52年にジャドトヴィルという街でギターの弾き語りをしているところを、
音楽学者ヒュー・トレーシーに見出され、
この時に録音された8曲(インスト演奏含む9トラック)は、
アフリカ音楽史に残る歴史的録音となりました。
この時に録音されたムウェンダの代表曲「マサンガ」は、
ヴォーカル・ヴァージョンとインスト演奏の2ヴァージョンがあります。

50年代にベルギー領コンゴ南部と北ローデシアのコッパーベルト鉱山地帯で発展した
ギター・ミュージックは、レオポルドヴィルやブラザヴィルでウェンドたちが発展させた、
ルンバ・スタイルのギター・ミュージックとは別種のもので、
民族音楽学者ゲルハルト・クービックがカタンガ・スタイルと呼んだギターのパイオニアが、
ジャン・ボスコ・ムウェンダでした。

カタンガ・スタイルのギターの起源はよくわかっておらず、カタンガ・スタイルに限らず、
アフリカのギター・ミュージックの起源が不明なのは、民族音楽学者が
「ヨーロッパ化」「文化変容」した音楽として、フィールド・リサーチの対象から
意図的に排除してきたせいだと、クービックは本CDの解説で強く非難しています。

起源はわからずとも、50年代にコッパーベルト鉱区で発展したのには、
近隣諸国からの出稼ぎ労働者の流入によって、民族文化の垣根を超えた
移住労働者たちが新たな文化を生み出したことが根っこにありました。

さらに、ラジオ、レコードなどのマス・メディアが、この新しいギター・ミュージックを
大きく発展させます。そのサンプルが、ムウェンダが59年にナイロビへ招かれ、
頭痛薬アスプロの宣伝をラジオで行ったことですね。
ムウェンダは半年間ナイロビに滞在する間、販売促進担当として働き、
連日ラジオで流された頭痛薬のCMソング ‘Aspro Ni Dawa Ya Kweli’ は、
東アフリカ一帯に広く知れ渡ることになりました。
この曲は、ルオ人のベンガ・ビートの誕生にも、大きく寄与しました。

そんなカタンガ・スタイルのギターの流行も、60年代半ばに終わりを迎えます。
カタンガの分離独立運動の激化によってコンゴが内戦へと突入したことから、
カタンガへの締め付けが厳しくなり、65年にモブツが権力を掌握したのちは、
さらに弾圧が強まりました。
一方、コンゴ西部のギター・ミュージックがエレクトリック化して、
ルンバ・コンゴレーズとして大流行したことにより、アクースティックの
カタンガ・ギター・スタイルは、時代遅れとなってしまったのです。

しかし、当時すでに成功者となっていたジャン・ボスコ・ムウェンダは、
国営鉱山会社ジェカミネスに籍を置きながら、複数の私企業を所有する事業家となり、
ザンビア国境の町モカンボにホテルを建設し、ダンス・バンドをプロモートするなど、
70年代にはすでにかなりの富を蓄えていたようです。
西側社会では、69年のニューポート・フォーク・フェスティヴァル出演以降、
消息不明となっていましたが、
74年にウイーン大学アフリカ研究所のヴァルター・シチョ教授が、
79年にイギリス人ギタリストのジョン・ロウが、ムウェンダと接触しています。

その後、民族音楽学者ゲルハルト・クービックは、
ムウェンダと1年間手紙をやり取りした末、ムウェンダをヨーロッパへ招き、
82年5月から7月までベルギー、ドイツ、オーストリアをツアーしました。
本作は、6月30日にベルリン民族学博物館で行われたコンサートを収録したもので、
一部同日に民族音楽学部で行われたインタヴュー中に演奏された3曲を含んでいます。

そこで披露されたギターの腕前は、ヒュー・トレーシーが録音した時代とまったく変わらず
見事なもので、なかでもストラミングまで聞かせた ‘Ni Furaha’ には驚かされました。
ヴォーカルも味わいがあり、のちの88年スタジオ録音で、声に潤いがなくなり、
枯れた歌声を聞かせていたのとは、まるで別人です。
88年録音では、ギター・プレイからもスピード感が失われていたし、
ああ、これを『ポップ・アフリカ700/800』に掲載できなかったのは、痛恨であります。

ちなみに、120ページに及ぶブックレットには、ゲルハルト・クービックによる解説が
ドイツ語・英語で掲載。キングワナ語、スワヒリ語、キエケ語の歌詞テキストも、
原語、ドイツ語訳、英語訳の順で掲載されています。

Mwenda Jean Bosco "SHABA / ZAÏRE" Museum Collection Berlin CD21
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