モザンビーク少数民族チョピ人の木琴ティンビラ マチュメ・ザンゴ [南部アフリカ]
旅するサックス奏者仲野麻紀が日本に連れてきた、
モザンビークのティンビラ(木琴)奏者マチュメ・ザンゴの19年作。
ライヴ会場で手売りするために本人が携えてきたのだそう。
モザンビーク南部の少数民族チョピ人の木琴ティンビラが
世界的に知られるようになったのは、ヒュー・トレイシーが
48年に著した “CHOPI MUSICIANS” がきっかけ。
ヒュー・トレイシーが43年から63年にかけて録音した
ティンビラ演奏の5曲が、いまはSWPの『南部モザンビーク編』で聞けます。
低音から高音まで各音域を受け持つ10台以上のティンビラが、
いっせいに鳴らされる合奏は、まさにド迫力。
バリ島のジェゴグやトリニダード島のスティールバンドにも劣らぬ大音響で、
倍音とサワリ音が嵐のように迫ってくるんですが、
ヒュー・トレーシーの録音は古くて、さすがにそこまでの迫力は感じ取りにくい。
ぼくが最初にブッとんだティンビラ・オーケストラは、
92年にベルリンで録音されたヴェナンシオ・ンバンデのヴェルゴ盤です。
ヴェナンシオ・ンバンデ率いるオーケストラはあと2枚あって、
00年にモザンビークでフィールド録音されたネクソス盤と現地モザンビーク盤があり、
この3枚はティンビラ・オーケストラのスゴさを体感できる名作です。
この3枚のリーダー、ヴェナンシオ・ンバンデ(1933-2015)は、
首長に捧げる組曲ンゴドを演奏する伝統音楽家として、
長きにわたるモザンビーク内戦期間中も定期的に演奏を続けた偉人です。
ンバンデは6歳で叔父からティンビラを習い、
18歳で南アの鉱山労働者として出稼ぎに出て、同じチョピ人鉱山労働者
とともにティンビラを演奏し、56年にオーケストラを編成して作曲を始めました。
95年にモザンビークへ帰国してからはティンビラ学校を設立して、
ヒューの息子アンドリュー・トレーシーの支援を受けながら、
チョピの音楽遺産を後世に残しました。
先に挙げた3作に収録されているンバンデの曲を、
ベース、ドラムス、ギター、キーボードといったバンド演奏で
現代化して聞かせているのが、マチュメ・ザンゴのアルバムです。
ジャケットのサブ・タイトルにあるとおり、ンバンデのトリビュート作で、
ジャケットに写っているのもンバンデなら、ライナーにも
マチュメとンバンデが一緒に写っている写真が載っています。
このアルバムでティンビラは、マチュメともう一人による2台だけで演奏されていますが、
ンバンデのオリジナルに沿ったアレンジになっていますね。
こうしたティンビラの伝統音楽をモダン化した試みでは、
グローヴスタイルが91年に出した
エドゥアルド・ドゥランのアルバムがありましたね。
最後に、ティンビラとは複数形の呼び名で、単数ではンビーラといいます。
ジンバブウェ、ショナ人の親指ピアノ、ンビーラと同じ名称なのです。
Matchume Zango "TATEI WATU: TRIBUTO VENÂNCIO MBANDE" Nzango Studio no number (2019)
Field Recordings by Hugh Tracey "SOUTHERN MOZAMBIQUE 1943 ’49 ’54 ’55 ’57 ‘63" SWP SWP021/HT013
Timbila Ta Venancio Mbande, Mozambique "XYLOPHONE MUSIC FROM THE CHOPI PEOPLE" Wergo/Haus Der Kulturen Der Welt SM1513-2/281513-2 (1994)
Venancio Mbande Orchestra "TIMBILA TA VENANCIO" Nexos World 76016-2 (2001)
Timbila Ta Venâncio "AO VIVO NO TEATRO ÁFRICA" Ekaya Productions EKAYACD01 (2009)
Eduardo Durão & Orquestra Durão "TIMBILA" Globestyle CDORBD065 (1991)
2023-12-28 00:00
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