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94歳で初ソロ作を出したアフロ・コロンビア音楽の名作曲家 マヒン・ディアス [南アメリカ]

Magín Díaz  EL ORISHA DE LA ROSA.jpg

前回記事のアルバムをきっかけに始めたコロンビア盤輸入作戦でしたけれど、
まさかこのCDを入手できるとは思っていませんでした。
既に入手困難で、レアCDになっていると聞いていただけに、
「あるよ」の返事をもらった時は、思わずガッツ・ポーズしちゃったもんねえ。

マヒン・ディアスが誰かも知らず、いい味出してるオヤジが写ったジャケットに、
これ、ゼッタイいいヤツ!とヨダレを垂らしてたんですが、
いやぁ、手に入れてみて、想像をはるかに超えたトンデモ級の大傑作で、
大カンゲキしちゃいました。

Magín Díaz  EL ORISHA DE LA ROSA package.jpg

まずCDが届き、外装フィルムをはがして、装丁の豪華さにビックリ。
観音開きになっている左右には、上下に開くポケットが付いていて、
計4つのポケットには、それぞれCD、ブックレット、
18枚のアートカードを封入した、二つのエンヴェロップが入っています。
ひと昔前のコロンビアではとても考えられないような、
アーティスティックなパッケージに、ドギモを抜かれました。

ボーナス・トラックの2曲を含む全18曲、収録時間78分40秒に及ぶこのアルバム、
四大陸13か国から、100人におよぶミュージシャンとエンジニア、
19人のグラフィック・アーティストが参加して、
4年をかけて制作されたという、壮大なプロジェクト作品。
力作なんて言葉じゃ足りないくらいの、タイヘンなアルバムです。

マヒン・ディアスって、いったいどういう人?とあらためて調べてみると、
アフロ・コロンビア音楽の名曲を数多く生んだ歌手だったんですね。
22年、コロンビア北部ボリバル県マアテス市ガメロ村の生まれ。
貧しい家に生まれ、サトウキビ刈りの父親は歌手でダンサー、
製糖工場でコックをする母親はパレンケの女性が歌う
ブジェレンゲの名歌手だったというのだから、彼もまたパレンケーロなのでしょう。

読み書きを学ぶこともなく、幼い頃から製糖工場で働き、
工場でキューバからやってきた出稼ぎ労働者にキューバの曲や音楽を学び、
父親から歌や作曲、タンボーラを習って、音楽の才能を伸ばしていきました。
そんな少年時代にキューバ人から覚えたのが、
セステート・アバネーロが1927年に発表した ‘Rosa, Qué Linda Eres’ でした。
マヒン少年はこの曲を、ソンからチャルパの形式に変え、
自作の詩を付けて‘Rosa’ と題して歌いました。

のちにマヒンの代表曲となったこの曲が、本作のオープニングにも置かれ、
コロンビアの大スター、カルロス・ビベスとトトー・ラ・モンポシーナを迎えて、
マヒンは力強く歌っています。
オリジナルのアバネーロのヴァージョンにあった、悲痛なエレジーは消え失せ、
マリンブラの伴奏が祝祭の彩りを強調しているのは、
逃亡奴隷が自由を勝ち得たパレンケが、
この曲に新たな息吹を与えたことを示しています。

マヒンは、80年代にロス・ソネーロス・デ・ガメロのメンバーとなるまで、
レコーディングとは無縁に過ごしてきました。
コミュニティの外の世界では無名だった彼が、
作曲家として光があたるようになったのは、90歳を過ぎてからのことです。
12年に初のレコーディングを経験したあと、本作の制作が企画され、
17年に94歳で初アルバムを完成させました。

本作によってコロンビア政府は、アーティストに与える最高の評価である
文化省の「国家生活・労働賞」をマヒンに授与し、
その年のラテン・グラミー賞のベスト・フォーク・アルバムと
ベスト・パッケージ・デザイン・アルバムの二部門にノミネイトされました。
マヒンは、息子のドミンゴ・ディアスとともに、グラミー賞授与式に出席するため
ラス・ヴェガスへ向かい、最優秀フォーク・アルバム賞は逃したものの、
最優秀パッケージ・デザイン・アルバム賞を獲得したのです。

本作に参加した数多くのミュージシャンのなかで、
目立ったところだけ取り上げると、ブジェレンゲの名歌手ペトローナ・マルティネス、
アフロ・コロンビアン・エレクトロのシステマ・ソラール、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2010-08-10
コロンビア版マヌーシュ・スィングのムッシュ・ペリネ、
メキシコはモンテレイのクンビア王、セルソ・ピーニャ、
元OK・ジャズの名ギタリスト、ディジー・マンジェク(18年にバロジと来日!)
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-03-27
DJ/トロピカル・ブレイクビーツ・メイカーのキャプテン・プラネットなど、
新旧世代の多士済々がマヒンを守り立てています。

マヒン自身も、90歳を超す年齢とは思えないパワフルな歌声で、
フィーチャリングされた歌手たちに負けない存在感を示していて、
圧巻の一語に尽きます。声を張り上げて高音を伸ばし続けて歌うさまに、
90年の人生を賭して初アルバムに駆ける鬼気すら感じて、
ゾクゾクしてしまいました。

マヒンはグラミー賞授与のために訪れたラス・ヴェガスで体調を崩して入院し、
病院で受賞を知った後に亡くなりました。
あと2日で、95歳を迎えようという日のことだったそうです
(12/30/1922 - 12/28/2017)。
これほどの素晴らしい大作を、生涯の最後に作り上げて逝くなんて、
これ以上ない音楽人生のフィナーレといえないでしょうか。

Magín Díaz "EL ORISHA DE LA ROSA" Noname/Chaco World Music no number (2017)
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