SSブログ

「力を合わせる」ということ 篠田昌已 [日本]

篠田昌已 COMPOSTELA.jpg   Compostela  1の知らせ.jpg
篠田昌已 東京チンドン  VOL.1.jpg   Compostela  歩く人.jpg
篠田昌已 西村卓也 DUO.jpg

『我方他方 サックス吹き・篠田昌已読本』
(大熊ワタル編、共和国、2022)を読み終えました。
篠田と活動を共にした多くの人びとが、篠田の思い出を語っているのを読みながら、
あらためてぼくにとっても、篠田昌已は、すごく大きな存在だったと痛感しました。

篠田昌已の音楽に引き付けられたのは、『コンポステラ』が最初です。
90年の年の暮れ、3か月にわたるアフリカ3か国単身出張から帰国して、
日本を不在にしていた間に出たCDを、数十枚まとめ買いしたんですが、
そのなかで『コンポステラ』と『1の知らせ』の2枚は、衝撃でした。

この時に初めて篠田の名前を知ったんですが、
実はそれ以前から、ぼくは篠田の演奏を聴いていたことがわかりました。
いちばん最初は、天注組のライヴで、痩身のメンバーの中に一人、
ぷくぷくとしたムーミンみたいなサックス吹きがいて、それが篠田だったんですね。
そのあと観たじゃがたらのライヴでも、篠田が参加していたようです。

そのどちらも、篠田自身のプレイの記憶はないんですが、
コンポステラで再会した篠田は、ジャズという領域をとうに飛び越えていました。
即興演奏家であることをやめ、音楽家に変わっていたのですね。
言うまでもなく、彼を変えたのはチンドンとの出会いだったわけですけれど、
リリース告知から発売が遅れて、まだかまだかと待ち焦がれた
『東京チンドン VOL.1』は、さらにぼくにとって衝撃でした。

その衝撃は、実は中身の音楽ではなく、
ブックレットに載せられた、篠田のインタヴューの発言なのでした。
少し長くなりますが、引用させてください。

* * * * * * * *

 演奏していて自分が自然になればなるほど、アドリブなんかとりたくなくなってしまう。でも何故飽きないかというと、いつも違う町、違う所、違う時間にいるからなの。町と日差しと人、もうすべてが違って、10分間同じ曲を吹いていても、陽の光だとか目の前を通りすぎるミニスカートだとか、あるいはもっと深いところのこととか、一瞬一瞬で気持ちがどんどん移り変わっていくことに気づいたんだ。
 「力を合わせる」ということって、そういった周囲のことをそのまま受け入れることかもしれない。例えば、雨が降るといやじゃない。いやだからって雨が降っていることを排除した気持ちでとらえると、とたんに力が合わせられなくなる。同様に自分が良くないと思っていることが起きたときにそれを排除してとらえるか、反対に良いものも良くないものもがすべて合わさってひとつと考えるかの違いなんだ。これまで僕は何時も力強くて揺るぎないものを求めてきたんだけど、それは「力を合わせる」ことと同義なのかもしれないね。

『東京チンドン VOL.1』ブックレット p.43-44より

* * * * * * * *

何事かをつかみ取った人の実感のこもった言葉に、ぼくは圧倒されてしまいました。
と同時に、この人は、ぼくがとても到達できそうにない境地に、
すでに立っているという、嫉妬の気持ちが入り混じっていたことも、
白状しなくてはなりません。
これを読んだとき、ぼくと誕生日が17日しか違わない同い年の篠田を、
仰ぎ見るような気持ちにさせられ、打ちのめされたのです。

篠田が言った「力を合わせる」ことを、ぼくもなんとしても学びとりたいと思いました。
管理職になりたての自席に、この言葉を長く掲げていたことを思い出します。
篠田の音楽に夢中になっていたのは、ちょうど初めての子供が生まれ、
夜泣きなどという生やさしいものじゃない、真夜中の大絶叫に夫婦翻弄されていた頃でした。
そのときは、まさしく妻と「力を合わせ」ていたわけですけれど、
その後、職場でも、仲間とともに達成感のある仕事をいくつもやり遂げ、
「力を合わせる」ことを体得したと過信するようになっていきました。

いつの日か、職場の自席から「力を合わせる」を記した紙片はなくなり、
ぼくもすっかりその言葉を忘れていました。
久しぶりに、篠田のインタヴューを読み返して、ぼくは絶句してしまいました。
ぼくは篠田の言葉の断片をスローガンのように切り取って、
もっとも大事な、「力を合わせる」ために「そのまま受け入れる」ことの方を、
いつしか見失っていたからです。

妻や子供との関係、そして職場でも、「力を合わせる」ことができたかのように
錯覚した成功体験の数々は、ぼくに慢心を招きました。
妻の遠慮や我慢、子供の言葉にならない思いをくみ取ることなく、
仕事で実績を上げ、いい気になっていたことを自覚できるまで、
あまりにも時間がかかりすぎました。

わずか34歳で天に上った篠田がつかみ取った真理を、
ぼくは彼が生きた年月の倍ほどの時間を弄してもなお、
その足元にさえ近づくことができていませんでした。
子供のころから死と隣り合わせで生きてきた篠田だったからこそ、あの若さで、
良いも悪いも受け入れて「力を合わせる」排除しない思想を、つかみ取ったんでしょう。
そう考えるのもまた、心の狭い人間の負け惜しみでしょうね。
イヤんなるくらい、人間できてないなあ、オレ。

篠田を知ってから、わずか2年足らずで亡くなってしまい、
篠田の音楽を咀嚼するには、あまりにも時間が足りませんでした。
そんな思いがあったからなのか、彼の音楽は折に触れ、聴き続けてきました。
一番よく聴いているのは、やっぱり『1の知らせ』かな。
妻も『1の知らせ』が好きで、iTunesへの取り込みを真っ先にリクエストされたっけ。
篠田の死後、少し間を置いて、コンポステラのライヴ録音『歩く人』や、
西村卓也との『DUO』が出たことも、
ずっと篠田を聴き続けることにつながったようです。

篠田昌已 「COMPOSTELA」パフ・アップ puf1 (1990)
Compostela 「1の知らせ」 パフ・アップ puf4 (1990)
篠田昌已 「東京チンドン VOL.1」パフ・アップ puf7 (1992)
Compostela 「歩く人」 オフノート ON4 (1995)
篠田昌已 西村卓也 「DUO」オフノート ON11 (1996)
コメント(2) 

コメント 2

土木作業員

容易ならざる文章。
何度も読み返してしまいました。

先週末の追悼イベントで我方他方を手に入れ、ちょうど読みおえたところでした。

こちらの記事は、篠田昌已の音楽のより深いところに近づく縁に、今後も読み返すことと思います。
by 土木作業員 (2023-03-05 15:59) 

bunboni

コメント、ありがとうございます。
本を読み終えて、いろいろな思いが交叉したせいか、ガラにもなくシリアスになっちゃったかな。たまには、いいですよね。

珍しくこの記事には大勢の方が読みに来てくれたようなので、篠田昌已の音楽が聴き続けられるきっかけになってくれたら、嬉しいです。
by bunboni (2023-03-05 16:16) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。