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ナベサダに曲をパクられたタンザニアのロック・バンド サンバースト [東アフリカ]

Sunburst AVE AFRICA.jpg

相も変わらずアフロ・ロックやアフロ・ソウルの駄盤が、リイシューされてますねえ。
最近ではオーストリアのPMGが、
ナイジェリアの70年代ものをせっせとストレートCD化していて、
こんなもん、誰が聴くんだろと呆れてしまいます。
アフロ・ラテン、アフロ・ジャズ、アフロ・ロック、アフロ・ソウル、アフロ・レゲエなど、
クロスオーヴァーしたアフリカン・ポップスはいろいろあれど、
DJ/レア・グルーヴ界隈が掘ってるシロモノは、物珍しさだけのクズ盤ばかり。

そんななかで、これは面白いと耳が反応したのが、タンザニアのサンバーストです。
いわゆるB級ものですけれど、このバンドにはB級なりの良さがあります。
73~76年というごく短い期間しか活動しなかったバンドで、
シングル、LPの全録音をコンプリートに収めたばかりでなく、
ラジオ・タンザニアに残した未発表録音を発掘した編集盤となっています。
さすがはストラット、いい仕事していますねえ。

楽曲クレジットばっちり、バンドのバイオグラフィもしっかりと載せた解説は充実していて、
こうじゃなきゃ、リイシューする意味はないですよ。
ジャケットをコピーしただけのCDリイシューをしているDJ/辺境マニア向けレーベルは、
ストラットの足元にも及びませんね。少しは見習いなさいよ、ほんとに。

67年のアルーシャ宣言によって社会主義(ウジャマー)路線をとったタンザニアは、
自国の伝統文化に根差した音楽を奨励し、ロックやソウルなどの西洋音楽を排除したことから、
サンバーストのようなアフロ・ロックのバンドは、アンダーグラウンドな存在でした。
76年のゆいいつのLPも、ザンビアでザンロックをやっていたリッキ・イリロンガと出会い、
ケニヤのアフロ・ソウル・バンド、マタタとの合同ツアーを経て、
ルサカで録音したザンビア盤だったんですね。

解説を読んでいて、あらら、と驚かされたのが、
渡辺貞夫がサンバーストの曲を盗用していたという指摘。
75年モントルー・ジャズ・フェスティバルに渡辺貞夫が出演した際のライヴ
『SWISS AIR』に収録された“Pagamoyo”(“Bagamoyo”の誤記)は、
サンバーストのシングル曲“Enzi Za Utumwani” と同曲だとのこと。
フェイド・アウトで完奏せず、ファンの間で惜しまれていた曲ですけれど、
あの曲がまさか盗用だったとは、知りませんでしたねえ。

サンバーストのザンビア人歌手ジェームズ・ンプンゴの作曲者名はどこにもなく、
改題されて「Traditional」とクレジットされているのだから、これは言い逃れできないでしょう。
この曲はのちに、81年作『ORANGE EXPRESS』でも“Bagamoyo/Zanzibar” として再演され、
このアルバムはビルボードのジャズ・チャートでベスト・セラーに上ったにもかかわらず、
サンバーストは一銭も得ていないと、ライナーノーツで厳しく指摘しています。

70年代の初め、ナベサダは何度も東アフリカを訪問していたから、
その時にケニヤRCAから出ていたサンバーストのシングル盤を入手したんだろうなあ。
大のアフリカ好きだったナベサダは、アフリカをモチーフにした曲を多く書いていましたけれど、
盗用曲があったとは、ちょっと見損なっちゃたなあ。
それにしても、よく調べたもんです。
ヘヴィー・リスナーのDJだからこその発見といえますねえ。

丹念な調査も音楽を愛するからこそ。
音楽と音楽家に対する共感とリスペクトの精神がにじみ出た、リイシュー力作です。

Sunburst "AVE AFRICA" Strut STRUT128CD
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アマリア・ロドリゲス・レコード図鑑 [南ヨーロッパ]

Amalia No Mundo CD Book.jpg

どーーーーーーん!

LPよりわずかに小さいサイズのハードカヴァー・ブック。
全320ページ、オール・カラー、総重量2.6キログラム!!!
もはやこうなると、CDブックなんて呼べるシロモノじゃございません。
百科事典ですな、こりゃ。付属の2CDなんて、オマケみたいなもん。
アマリア・ロドリゲスのデビュー録音からラスト・レコーディングまでの
全レコードを掲載したディスコグラフィー豪華本。ずしりとしたヴォリュームに圧倒されます。

SP盤やオリジナルLPをただ並べるばかりでなく、コンピレーションやEP盤も網羅し、
アメリカ、フランス、イタリア、メキシコ、アルゼンチン、チリ、ベネズエラ、南アフリカ、日本など
ポルトガル国外で出された海外盤LPをふんだんに集め、
世界各国でリリースされたアマリアのレコードを集大成したコレクションとなっています。

さらに、ヴァージョン違いのジャケットも、色の濃淡やフォントの違いをわかりやすく並べ、
レコード・コレクターの心をくすぐる配慮が、すみずみまで行き届いた編集になっています。
クロノロジカルにレコードを並べ、膨大なデータも整理して、索引を付けてくれたのもありがたい。
美しくレイアウトされたデザインは、写真集をめくるのと同じ愉しみがありますね。

もちろん値は張りますよ。
でもねぇ、アマリア・ロドリゲス・ファンを自認する人なら、
この内容で、買うのに何をためらうことがありましょう。
なんの逡巡もせず、ソッコー、いただきましたよ。

アルゼンチンのアマリア・ロドリゲス研究者、ラミロ・ギナスーによる大労作で、
ポルトガルのトラジソンによるリリース。
2CDには、50年代初期録音が収録されています。
20世紀大衆音楽を代表する大歌手のレコードを集大成した、圧巻のレコード図鑑です。

[CD Book] Ramiro Guiñazú "AMÁLIA NO MUNDO : Sinais De Uma Vida Nos Sulcos Do Vinil" Tradisom (2014)
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真夏のマルチニークのベレ [カリブ海]

CONCEPT BÈLÈ  SANBLÉ.jpg

真夏の季節にうってつけのパーカッション・ミュージックが届きました。
マルチニークのベレでありまっす。
ここ最近は、フレンチ・カリブのパーカッション・ミュージックというと、
グアドループのグウォ・カをよく耳にしていましたけれど、
マルチニークのベレのアルバムが出るのは、ひさしぶりな気がします。
奴隷時代に起源をもつパーカッション・ミュージックで、
現代もなおナマナマしさを失わないのは、レユニオンのマロヤと双璧でしょう。

この2枚組、歌い手と打楽器奏者総勢20名近くを集めた、企画アルバムなんですね。
歌い手がかわるがわるリードを取り、コーラスとコール・アンド・レスポンスするんですが、
老若男女さまざまな歌い手たちが、いずれもコクのあるノドを聞かせてくれて、
変化に富むばかりでなく、なんとも味わい深いんです。

伴奏は、樽型の太鼓ベレ(タンブーまたはジューバ)とチ・ブワ(2本のスティック)が基本。
数曲で、シャシャ(シェイカー)やコン・ランビ(ほら貝)も加わります。
ちなみに、チ・ブワのことを、架台に載せた竹だと勘違いしている人がいますけど、
竹はバンブー=フラペと呼ばれ、叩く方の短い棒の名前がチ・ブワなんですね。
チ・ブワはベレの基本のリズムを生み出し、
叩くのは必ずしも架台に載せた竹ばかりでなく、本作のジャケットでもおわかりのとおり、
横置きしたベレのボディを叩いたりします。

各曲には、ベレ、ベリヤ、カレンダ、ダミエ、グラン・ベレ、ベネズエル、クードメン、
ティング=バングなどの形式名が書き添えられていて、
リズムやダンスの型に、数多くのヴァリエーションがあることがよくわかります。
ダミエは格闘技、カレンダは戦いの音楽であるように、激しいダンスを伴うものが多く、
ワークソングのように短いフレーズの反復を延々と繰り返す内向きのダンスではなく、
外にエネルギーが向かう、跳躍を伴う瞬発力のあるダンスです。

CD2枚組全編、打楽器と唄とコーラスのみという、シンプル極まりないものですけれど、
パーカッション・ミュージック・ファンにはたまらない逸品。
ぎらぎらとした真夏の陽を浴びて、弾けるリズムの快感に酔いしれます。

V.A. "CONCEPT BÈLÈ : SANBLÉ" Konvwa Moun Bele 6971.2 (2016)
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宮古島の古謡 與那城美和 [日本]

20160722_輿那城美和.jpg

宮古の唄を堪能してきました。
コンサートではなく、少人数のファンの集いといった
インティメイトな雰囲気で宮古民謡を楽しめたのは、
国吉源次さんを五反田にある20000114_国吉源次.jpg
沖縄料理居酒屋の結まーるで聴いた、00年1月以来ですね。

宮古民謡を知ったのも、国吉源次さんがきっかけで、
平岡正明の『クロスオーバー音楽塾』を読み、
沖縄に電話をしまくってレコードを送ってもらった
78年の冬のことでした(遠い目)。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-08-31

宮古民謡は、本島の民謡とはだいぶ趣が違って、
ひとことでいえば、朴訥。
華やかさを感じさせる本島や八重山の唄に比べれば、
ぐっと素朴な佇まいながら、
その底に宿る、揺るぎない強靭さを感じ取れるようになると、
こたえられなくなるんだな。

與那城さんのストレートな発声や、コブシを多用しない節回しはすがすがしく、
CDを聴いていた時から大好きだったんですが、
生で聴いた與那城さんの歌声は、高い調子でも低い調子でも声の音圧が変わらず、
いい歌い手だなあと、あらためて感じ入ってしまいました。

最近では、久保田麻琴さんのフィールド録音や映画「スケッチ・オブ・ミャーク」などで、
広く知られるようになった宮古の古謡ですけれど、
この夜もとりわけ印象的だったのは、無伴奏で歌った古謡「白鳥ぬアーグ」。
マイクなしで聴く與那城さんの発声に、身体の細胞を揺り動かされる思いがしましたよ。

輿那城美和@渋谷Li-Po.jpg

輿那城美和 「宮古島を唄う」 輿那城美和 MFGT01 (2013)
国吉源次 「宮古民謡特集」 丸福 F25-3
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フェラ・クティのお祖父さんの賛美歌 ジョサイア・ジェシー・ランサム=クティ [西アフリカ]

Black Europe  Bear Family.jpg
Black Europe Disc 37 Josiah Ransome-Kuti.jpgBlack Europe Disc 38 Josiah Ransome-Kuti.jpgBlack Europe Disc 39 Josiah Ransome-Kuti.jpg

ひさしぶりにピーター・バラカンさんのラジオ番組
NHK-FMウィークエンドサンシャインから、お呼びがかかりました。
いつもの1時間40分番組ではなく、夏の特番で3時間40分という拡大版でのゲスト出演です。
夏の特番への出演は、5年前に原田尊志さんと一緒に呼ばれた「カリブ海クルーズ」以来ですねえ。

ピーターさん、以前からフェラ・クティをじっくりと取り上げて特集したかったとのことで、
その相手役にとご指名されたんでした。
え~? でも、フェラ・クティを特集するのなら、
生前のフェラを取材した日本人ジャーナリストが何人もいるのに、
ワタクシでいいんですか?と最初ためらったんですが、是非ということだったのでお引き受けしました。

そんじゃあというわけで、フェラの生涯ときっちりと向き合い、
ファミリー・ヒストリーに始まり、幼少期から亡くなるまでの軌跡を追いながら、
アフロビートの音楽性を浮き彫りにした、番組構成案を立てさせてもらいましたよ。
たたき台のつもりで、選曲を含めた構成を作って提示したところ、
ピーターさんも番組ディレクターも、これで行きましょうと、そのまんま即決。
冒頭1曲目のフェラ・クティとの出会いのきっかけの曲のみ、ピーターさんに選曲してもらい、
あとは全部ぼくの選曲となってしまいました。

思えば、5年前にカリブ海音楽を特集したいという企画案をピーターさんからもらった時も、
アメリカのマイアミからバハマに出発して、カリブ海をぐるっと一周して、
南米・中米に停泊しつつ、最後はニュー・オーリンズに帰ってくるクルーズのアイディアを出したら、
それがそのまま番組構成になったんだよなあ。
選曲も、原田さんにキューバとプエルト・リコをお任せしたほかは、
全部やらせてもらっちゃったんだっけ。
ゲストに呼ばれて、ただトークするだけではなくて、
番組の構成や選曲をさせてもらえるのは、やりがいもあって、嬉しく楽しい限りです。
気心の知れたピーターさんの番組だからこそできることで、ピーターさんに感謝であります。

今回リスナーのみなさんにも、聴きものを用意しようと、
ランサム=クティ家の紹介ということで、
フェラのお祖父さんのキャノン・ジョサイア・ジェシー・ランサム=クティ牧師の2曲を選曲しました。
これは13年にドイツのベア・ファミリーが出した、500部限定44枚組ボックス“BLACK EUROPE” で
初CD化されたもの。あのボックスを買った人はそうそういないと思うので、
ジョサイア・ジェシー牧師の賛美歌を聴くのは初めてという方が、多いんじゃないでしょうか。

ヨルバ・キリスト教会の草分けとして伝説的な人物となったジョサイア・ジェシー牧師は、
67歳の時イギリスに招かれ、22年6月にロンドンで自作のヨルバ語の賛美歌43曲を録音します。
録音はイギリス、グラモフォン社のゾノフォン・レーベルから出され、21枚のSPが発売されました。
ゾノフォンには全世界向けの3000番台シリーズと
南アフリカ向けの4000番台シリーズがあったんですが、
ジョサイア・ジェシー牧師は3000番台シリーズで出た、シリーズ初のアフリカ人歌手だったのでした。

選曲のため、あらためてボックスに収録された
ジョサイア・ジェシー牧師の41曲をじっくり聴き直しましたが、
ピアノ伴奏の賛美歌という形式ではあるものの、低音で朗々とよく響く歌声は魅力的で、
メロディにヨルバらしさがはっきりと感じ取れるところも、とても興味深いものです。

放送は30日土曜日、朝の7時20分から11時までです。ぜひお聞きください。

Rev. J.J. Ransome-Kuti "BLACK EUROPE VOL.37-39" Bear Family BCD16095-37,-38,-39
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狂気が生み出した美 エリス・レジーナ [ブラジル]

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エアコンの効いた車内で聴く、ドライヴ・ミュージックの定盤。
車を運転しなくなってから、かれこれ10年以上、
すっかりごぶさたどころか、まったく聴かないままとなっていることに気づきました。
エリス・レジーナぎらいのぼくが、なぜかこれだけは愛聴した晩年作。
エリスのアルバムと意識せず、
ブラジリアン・フュージョンとして聴いていたというのが、その理由なんですけれどね。

なんてったって、アルバム冒頭と6曲目(当時はLP両面のそれぞれ1曲目)がスゴイ。
回転数間違っちゃったのかと思うほど、尋常ならざるハイ・スピードで
ベースとドラムス、ホーン・セクションがせかせかと疾走する、超高速サンバ。
セーザル・カマルゴ・マリアーノが弾くエレトリック・ピアノの響きが、
都会の高層ビルや高速道路を映し出し、土の匂いなどまったくしない、
アスファルトで埋め尽くされた、アーバン・テイストのサンバをかたどります。

当時最先端だったスタイリッシュなサウンドにノックアウトされ、
苦手なエリス・レジーナの声もあまり気にならず、
むしろギスギスとしたか細く神経質な歌声が、
クールなサウンドと奇妙にマッチしていました。
しかし、それはどこか狂気めいた危うさを感じさせるもので、
それが何を意味するのか、当時はわかりませんでした。

ちょうどこの頃エリス・レジーナは来日し、まったく期待せずに観に行ったんですけれど、
いやぁ~、ヒドいもんでしたよ。
力みまくった歌いぶりは、まさにプリテンシャスの塊って感じで、うんざりしました。
この時は、ライヴ・アンダー・ザ・スカイ79のブラジル・ナイトという、
今でいう音楽フェスだったんですけど、
エルメート・パスコアールのステージでは、客が悪乗りして最悪でした。
野外の音楽フェスって、ロクな思い出がないんですよね。
音楽を聴きに来るんじゃなくて、騒ぎに来るだけのバカな客が多すぎます。
不愉快な思いをしたくないので、野外フェスはすっかり敬遠するようになってしまいました。
フジロックもいまだ未体験です。

このわずか2年半後、エリスは突然他界するわけですが、
死因がコカイン中毒に加え、アルコール中毒のせいだったと伝わってきて、
あのアルバムに感じられた狂気の理由が、ようやくわかりました。
痩せた声で、不安定なヴィブラートを付けて歌うボレーロなど、
気持ち悪さの極致でしたけれど、そんなエリスの情緒不安定な歌いぶりは、
病気がもたらしたものと考えれば、至極納得がいくというものです。
思えばライヴでの熱唱もまるで楽しそうでなく、
どこか癇癪をおこしているようにみえたのも、そういうことだったんでしょう。

こんこんと湧き出る生命力を体現したサンバから肉体感を奪い、
エレクトリックでマシナリーなビートに変貌させたジャジーなサウンドは、
深い闇を抱えた病的なヴォーカルと結合して、
妖しいほどにメロウな味わいを生み出しました。
狂気が生み出した美を湛える、奇跡的な作品といえます。

[LP] Elis Regina "ESSA MULHAR" WEA BR36.113 (1979)
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2代目サンバ/MPBコンポーザー ガブリエル・ヴェルシアーニ [ブラジル]

Gabriel Versiani  AINDA SAMBO.jpg

クラウジオ・ジョルジといえば、今年のはじめにアウグスト・マルチンスとの共作で、
サンバ・ファンの頬を緩ませる快作をリリースしたばかりですけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-02-22
クラウジオの息子さんが、サンバ/MPBの良心的レーベル、
フィーナ・フロールからアルバムをリリースしたのには、驚かされました。

その息子の名は、ガブリエル・ヴェルシアーニ。
デビュー作かと思いきや、すでにこれが2作目とのこと。
ギタリスト、コンポーザーとして、すでにキャリアを積んでいる人だそうで、
本作でも父親ゆずりのソングライティングの才能が光っています。

本作のプロデュースを務めたのは、父親のクラウジオ・ジョルジ。
サンバの名シェフとも称されたクラウジオ・ジョルジは、
カルトーラとの共作曲もあるほど、長いキャリアを持つコンポーザーで、
ギタリストとしてもマルチーニョ・ダ・ヴィラをはじめ、
小野リサやサンディーとの共演歴もあるなど、数多くの歌手の伴奏を務めてきた人です。
サンバとMPBを併せ持った同じ資質の息子をプロデュースするのは、最適任でしょう。

そして本作の目玉は、ブラスバンドのオルケストラ・クリオーラを起用したこと。
サックス奏者ウンベルト・アラウージョが中心となり、
リオで結成されたオルケルトラ・クリオーラは、カリブ音楽ふうのグルーヴを
古いサンバに持ち込んだユニークな楽団で、本作に爽やかなサウンドをもたらしています。

サンバでホーンズといえば、ダンサブルなガフィエイラのサウンドが連想されますけれど、
そんな熱を感じさせない、もっとクールな雰囲気のあるウンベルト・アラウージョのアレンジは、
ボサ・ノーヴァやジャズを感じさせ、シャレたガブリエルの楽曲と見事にマッチしています。
アタマからシッポまで生演奏で占められたMPB、
親しみやすいポップさが嬉しいアルバムです。
これでガブリエルの歌に、表情がつくようになれば、言うことなしだな。

Gabriel Versiani "AINDA SAMBO" Fina Flor FF063 (2016)
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ノーヴァ・MPB フィオチ [ブラジル]

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セウ・ジョルジやロジェーを思わす、ストリート育ちの色気溢れるそのヴォーカル。
柔らかなギターのバチーダに導かれて歌い出すフィオチの歌い口に、背中ぞわぞわっ。
セウ・ジョルジほどやさぐれてはいないとはいえ、
どことなく影のある苦み走った声に、こりゃ、たまら~ん。

たった6曲入りのEP扱いというミニ・アルバムながら、
デジパックのジャケットには、コード付きの歌詞も載せた、
32ページにおよぶ分厚いソングブックが封入され、
デビュー作にかけた意気込みが伝わってきますよ。

「ノーヴァ・ムジカ・ポプラール・ブラジレイロ」とジャケットの片隅に謳われていますが、
サンバをベースにソウルやレゲエを取り入れた音楽性は、ことさら新しい要素はなく、
むしろ70年代MPBに回帰したポップ・アルバムといえます。
今の若手には、オールド・スクールな70年代MPBの方が、新しく感じられるんでしょうか。

フィオチことエヴァンドロ・フィオチは、
B-ヒップ・ホップの新進ラッパーとして注目を集めるエミシーダと兄弟。
クリオーロとの共演などで存在感を増すエミシーダを、
フィオチはレーベル運営などミュージック・ビジネス面から支える裏方役でしたが、
今度は自身も歌手デビューしたというわけですね。

サンパウロのミュージック・シーンに通じていることから、起用したミュージシャンも豪華で、
ロドリゴ・カンポスに日系ブラジル人ドラマーのクルミンはじめ、
サンパウロのユニークなミクスチャー・グループとして注目を浴びる
メタ・メタの女性ヴォーカリスト、ジュサール・マルサルと、
サックス奏者のチアゴ・フランサ(本作ではフルートをプレイ)が参加しているのが注目されます。
ロドリゴ・カンポスと共作したサンバ・ソウルでは、ロドリゴがカヴァキーニョを弾いていますよ。

6曲すべて趣向を変えたカラフルなサウンドで充実した内容のEP、
はやくもフル・アルバムへの期待が高まります。
デビューEPはすごく良かったのに、フル・アルバムが出たら、あれ?
なんてMPB作品もままあるので、そうならないことを期待しましょう。

Fióti "GENTE BONITA" Laboratório Fantasma PD0017 (2016)
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アラビック・ジャジー・ポップ リーム・タルハミ [中東・マグレブ]

Reem Talhami.jpg

パレスチナ人歌手のアルバム? これは珍しいですね。
リーム・タルハミは、90年代半ばにワシェムというパレスチナ人グループで
歌手を務めていたという人だそうで、これがソロ・デビュー作のようです。

ウード、ヴァイオリン、カーヌーンといった弦楽器に、
ベース、ドラムス、ダルブッカ、リクのリズム・セクションが付くだけという
シンプルな編成には、ちょっと意表を突かれました。

アラブのポップスといえば、ゴージャスなプロダクションの
シャバービーのような歌謡に耳慣れているせいか、
このシンプルなサウンドは、新鮮でした。

トルコの新作古典歌謡にも通じる味わいのサウンドともいえますが、
こちらは古典ではなく、まぎれもなくポップだという手触りを残すのは、
曲のモダンなセンスゆえでしょうね。
アラビック・ジャジー・ポップとでもいいましょうか。

リームは、エルサレムのルービン音楽舞踏アカデミーで声楽を学んだというだけあって
発声が美しく、こぶし回しも実に巧み。演劇的ともいえるその唱法は個性的で、
アルバムを聴き進めるうちに、ぐいぐい惹きつけられました。

そして驚いたのは、全曲の作曲とアレンジを、
レバノン人DJサイード・ムラッドが務めていたこと。
テクノ/ハウス系DJとばかり思っていたサイード・ムラッドが、
こんなシンプルなプロダクションで、アダルトな味わいを醸し出す曲を作るとは、
予想だにしませんでしたねえ。
そして作詞は、パレスチナの詩人で児童文学の作家としても有名なハレド・ジュマが、
このアルバムのために書き下ろしています。

物語を語るように歌うリームの繊細な歌いぶりと、
デリケートな弦楽アンサンブルの演奏は、まさしく詩的な美しさに満ち溢れています。
アルバム・リリースのお披露目コンサートは、ガザで行われたのだそうで、
その場所を選んだリームの思いは、パレスチナの人々の魂に強く響いたことでしょうね。

Reem Talhami "YIHMILNI ELLEIL" no label no number (2013)
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ニックネームは左利き サラミ・バログン [西アフリカ]

Salami Balogun ADLP1005.jpg   Salami Balogun OLPS0271.jpg

ユスフ・オラトゥンジに比べて、ほかのサカラのミュージシャンは、
ロクにCD化されていないといったボヤキを、以前ここに書いた記憶があります。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-08-16
サラミ・バログンのCDは、
『ポップ・アフリカ800』に載せた1枚しか持っていなかったんですが、
今回まとまって5作が入ってきました。

サラミ・バログンは、13年にレゴスで生まれたサカラのミュージシャンです。
30年代にサカラを初めて録音したアビブ・オルワのグループに、
サカラ(平面太鼓のトーキングドラム)のプレイヤーとして雇われ、
左利きでサカラを叩く姿が評判となってレフティ(左利き)のニックネームが付き、
当時はレフティ・バログンを名乗っていました。

アビブ・オルワのグループには、のちにサカラの大物となるユスフ・オラトゥンジをはじめ、
ババ・ムカリア、バメケ、イドウ、ノシル・アイェケなどの
トップ・プレイヤーたちが揃っていました。
ユスフ・オラトゥンジはバログンより4歳年上で、バログンはグループの最年少でした。

64年にアビブ・オルワが食中毒で死去すると、
ユスフ・オラトゥンジやババ・ムカリアたちは
自分のグループを立ち上げ、グループを離れていきます。
バログンは、残った古参メンバーとともにグループを引き継ぎ、
打楽器のサカラから弦楽器のモロに持ち替え、
サラミ・バログンを名乗ってサカラを歌い始めます。
ユスフ・オラトゥンジが破竹の勢いで成功を収めるのを横目にみながら、
レゴスを中心にじわじわと人気を広げ、
やがてユスフのライヴァルとみなされるまでになりました。

今回手に入ったCDは、アデトゥンジとババラジェという二つのレーベルですが、
原盤はすべてオモ=アジェ・サウンド・スタジオです。
オモ=アジェの権利は、現在ババラジェが所有していますけれど、
オモ=アジェ・サウンド・スタジオのオーナー、S・アデトゥンジが、
個人レーベルとしてCD化しているようですね。

もっとも録音が古そうなのが、アデトゥンジの271番で、短い曲が12曲収録。
モロを弾いている曲とゴジェを弾いている曲が、半々ずつ収録されています。
声が若々しいので、60年代録音と思われます。
EP(もしくはSP)で出ていたものを、
LP時代に再編集して出したものかもしれません。
針音のノイズが残念なんですけど、ぼくにとっては、これが今回最大の収穫でした。

Salami Balogun ADLO1003.jpg   Salami Balogun Plays Sakara Volume 3.jpg

そして、アデトゥンジの1003番は、バログンの初LPと思われる10インチ盤の第1集。
LP時代になると、片面ノンストップ形式になります。
この第1集ではモロは弾いておらず、ゴジェだけを演奏しています。
オモ=アジェの10インチ盤は、少なくとも第8集まで出ていたようで、
ぼくはモロを抱えているジャケット写真の第3集を持っています。

Salami Balogun Sakara Music.jpgSalami Balogun OLPS03.jpgSalami Balogun OLPS04.jpg

ババラジェ盤の3作の原盤は、12インチ盤と思われますが、
3番の1曲目(LPのA面)で、演奏の中ごろまでモロを弾いていて、
終盤でゴジェに持ち替えているのが聴きものです。
モロを弾いているのは初期だけだと思ってたんですけど、そうでもなかったんですね。

Salami Balogun "OLOYE EKO HEAD OF STATE" Babalaje Music ADLP1005A1
Salami Balogun and His Sakara Group "ITAN ANOBI" Adetunji OLPS0271
Lefty Salami Balogun and His Sakara Group "VOL.1 : ALHAJI ISHOLA AJOSE" Adetunji ADLP1003
[10インチ] Salami Balogun (Lefty) and His Group "PLAYS SAKARA VOLUME 3" Omo-Aje Sound Studio/Parlophone PNL1023
Salami Balogun "SAKARA MUSIC" Babalaje Music no number
Salami Balogun and His Sakara Group "LEFTY DOUBLE ALBUM 1" Babalaje Music OLPS03
Salami Balogun and His Sakara Group "LEFTY DOUBLE ALBUM 2" Babalaje Music OLPS04
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イジェサランドのアダモ アデダラ・アルンラ [西アフリカ]

Chief Adedara Arilhunra Loja Oba MILIKI DANFO.jpg

いやぁ、これはカンゲキ。アダモがCD化される日がやってこようとは。
日本全国のヨルバ・ミュージック・ファンの皆さま、お待たせしました。
アダモのアデダラ・アルンラがCD化されましたよ。

フツーのアフリカ音楽ファンにとっては、「誰だよ、それ」でしょうけど、
ディープなナイジェリア好きなら、アダモと聞いたら、ぴくんと反応するものがあるはず。
というのも、アダモのレコードはなかなか手に入りづらかったからで、
ぼくも90年にナイジェリア現地で入手した2枚しか持っていません。

アダモというのは、ヨルバ人のサブ・グループ、イジェサ人の伝統音楽です。
ヨルバランドの東端にあたるナイジェリア南西部オシュン州のイレシャには、
イジェサの王宮が置かれ、いまもオワ・オボクンと呼ばれる
最高指導者(俗に「王様」)による自治が行われています。
毎年オワ・オボクンの宮殿で行われるイウデ・イジェサのお祭りでは、
アダモが演奏されているそうです。

また、アダモは、数あるトーキング・ドラムの名前のひとつでもあることを、
以前ダダクアダについて書いた記事の中で触れました。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-05-17
トーキング・ドラムの名称が音楽の名前にもなっているように、
トーキング・ドラムはアダモの中心的役割を果たしています。

リズム・キープ役のトーキング・ドラムをバックに、
リード・トーキング・ドラムが自在に打ち込んでくる雄弁なプレイは、
アパラと同じスリルを感じさせるもので、
アダモもドゥンドゥン・ミュージックを出自としているのでしょう。

バウンスするトーキング・ドラムに、金属製の小物打楽器やシェケレなどの
各種打楽器が絡むアンサンブルは、ヨルバ・ミュージックの真骨頂ですね。
さらに、アデダラの枯れた節回しの味わい深さといったら、もうたまりません。
中盤からじわじわと熱気を増していくところは、ぼくが持っているLPと同内容。
70年代末か80年代初めの録音と思われます。

ちなみにこのCD、なぜかアルンラでなくアリフンラと書かれているのですが、
おそらくこれは誤記と思われますので、念のため。

High Chief Adedara Arihunra Loja Oba "MILIKI DANFO" Oluwatobi no number
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良質ブラジリアン・フュージョン ルイス・ド・モンチ [ブラジル]

Luis Do Monte  FRACTAL.jpg

エルメート・パスコアールが在籍した伝説のブラジリアン・ジャズ・コンボ、
クアルテート・ノーヴォのギタリスト、エラルド・ド・モンチの息子がデビュー。
ルイス・ド・モンチも父親譲りのギタリストで、デビュー作の本作は、
お父さんのエラルドをはじめ、御大エルメートと奥さんのアリーニ・モレーノもゲスト参加。
メンバーには、エルメートのバンドで長年ドラマーだったネネほか、エルメート人脈がずらり。

エルメート一派じゃ、ぼくの守備範疇外だなと、なんの期待もせず試聴したところ、
ポップなメロディに、スムースなフュージョン・サウンドが飛び出したのには、ビックリ。
このサウンドのテクスチャーは、ジャズじゃなくて、フュージョンのセンスだよねえ。
ルイスのフレージングは、オーソドックスなジャズ・ギターのスタイルで、
トリッキーなお父さんのギター・プレイとは、まるで趣向が異なります。

イノセントなエルメートの音楽性からの影響も、ほとんど感じられません。
ということで、ぼくのようなアンチ・エルメート・ファンには、たいへん好ましい人でありますが、
エルメート・ファンからは、軟弱フュージョンとか悪口言われちゃいそう。

レパートリーは自作曲を中心に、お父さんの曲や、
ピシンギーニャやジャコー・ド・バンドリンの定番ショーロなどを演奏しています。
多重録音されたギターとドラムスで聞かせるピシンギーニャの“Lamento” や、
ギター3台で演奏したジャコーの“Noites Cariocas” は、
ジャズ・ショーロといた趣が聴きものとなっています。
ルイスは、エレクトリック、アクースティック(ナイロン・スティール両方)、カヴァキーニョのほか、
フレットレス・ベースやトランペットを多重録音で演奏しています。

正統派といえるジャズ・ギターの腕前ばかりでなく、
多重録音で生み出すサウンドの豊かなアイディアは、
プロデューサーとしての才能を強く感じさせる人ですね。

Luis Do Monte "FRACTAL" Biscoito Fino BF419-2 (2016)
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無調ジャズ スティーヴ・コールマン [北アメリカ]

Steve Coleman  INVISIBLE PATHS - FIRST SCATTERING.jpg

たま~にですけれど、無機的な音楽を聴きたくなることがあります。
幾何学的というか、アブストラクトな音列で満たされた演奏を欲するんですね。
あ、現代音楽の話じゃないですよ。ジャズの話です、はい。

それにはきわめて実用的な理由があって、書き物をする時、
情動を呼び覚まされるメロディだと、うっとうしいんですね。
それでも、なんらかの音は鳴らしていたいという時、
調性を感じさせる音程を避けた音の羅列が心地良く、仕事のジャマにもならないんです。
環境音楽じゃダメなの?と訊かれそうですけれど、
アンビエントなんかでも案外耳に引っかかるものがあって、
心地よい音が心地よくないんですよ。

そういう時の定盤になっているのが、スティーヴ・コールマンの07年ツァッディーク盤。
全16曲71分、すべて無伴奏アルト・サックス・ソロという、
コールマンのキャリアの中でも、もっとも異色といえるアルバムです。
変拍子ファンクのM-BASE路線のアルバムと違って、
話題すらのぼったことがないのは、いささか冷遇されすぎな感がありますけれど、
ぼくはコールマンの代表作と信じて疑っておりません。

サックスの無伴奏ソロというと、咆哮したり、もったいぶって吹いたりする
フリー・ジャズを連想しがちですけれど、
そんなギミックとは無縁の、律儀といえるほど丁寧な吹奏をしていて、
コールマン独自のサックスの語法で、淡々と演奏しているところがいいんです。

この「淡々と」というところがキモで、熱くブロウしまくるとか、
切れ味鋭くリズムにのるといった演奏でないからこそ、耳奪われる場面がなく、
気持ちよく聞き流せるんですね。
フリー・ジャズのように、音楽との対峙を人に求めるような演奏じゃなくて、
純音楽的というか、余計な精神性をまとわない演奏が、
ぼくにはとても好ましく聴けるのでした。

それにしても71分の長さで、一瞬たりとも耳なじむメロディが現れない無調ぶりは、
スゴイとしか言いようがないですね。
これもまた無調音楽、否、無調ジャズといえるんでしょうか。

Steve Coleman "INVISIBLE PATHS : FIRST SCATTERING" Tzadik TZ7621 (2007)
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ボルガタンガのハウリン・ウルフ ボラ・ナフォ [西アフリカ]

Bola Nafo  VOL.8  ZUO WAM TE YIRE ME.jpg

オウサム・テープス・フロム・アフリカがディスク化して世界に知られるようになった、
ガーナ北東部ボルガタンガのコロゴ弾き、ボラ。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-05-03
コロゴという音楽は、のちにキング・アイソバの登場によって、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-07-12
大きな注目を浴びましたけれど、そのボラのガーナ盤新作を入手しました。

“VOL.8” と表紙にあるので、
オウサム・テープス・フロム・アフリカがディスク化したアルバムの次作にあたるようです。
“VOL.7” にはボラとしか書かれていませんでしたが、
こちらではボラ・ナフォを名乗っています。
タンクトップにジーンズという普段着姿は、
ガーナのそこいらにいるお兄ちゃんといった感じで、
山下清や石川浩司を思わせますね。

シンセ、ベース、ドラムマシンをバックに、
コロゴを弾き語るスタイルに変化はありませんが、
新たな機材を買い替えたのか、レコーディング環境が良くなったのか、
チープさは一掃され、見違えるサウンド・クオリティとなりました。
前作は、チープなシンセ音が不協和音を奏でるという面白味もありましたけれど、
やはり本作ぐらいのクオリティがなければ、
一部のマニアが喜ぶだけで終わっちゃうもんね。

ボラ・ナフォがキング・アイソバに触発されたことは、
オウサム・テープス・フロム・アフリカ盤の解説にも触れられていましたけれど
(二人はいとこ同士という不確かな情報もあり)、
ボラ・ナフォが師と仰いだのが、
フラフラ人の伝統音楽コロゴをモダン化したガイ・ワンでした。
そのガイ・ワンことアバアネ・アカガーゴの名が本作の献辞に挙げられています。
ドイツのポエッツ・オヴ・リズム一派とコラボした7インチなどで、
一部に知られるだけのガイ・ワンですが、
そろそろ真打ち登場のソロ・アルバムを期待したいですね。

ところで、話は戻って、このボラ・ナフォの第8集、
どなるような奔放なヴォーカル・スタイルは、今回も圧巻です。
シンプルな反復を繰り返す曲を、濁りのある声を振り絞るように
パワフルに歌い切っていて、いや~、すんごい。圧倒されます。

粗っぽいようでいて、じっくり聴き込むと味わいのある節まわしをしていて、
聴けば聴くほどに、惹きつけられてしまいますね。
反復フレーズをひたすら繰り返す音楽は、
ミニマルなトランス・ミュージックといえるでしょうが、
そこに宗教的な呪術性は感じられず、
むしろ人懐こいユーモアを感じさせるのがコロゴですね。
この音楽の出自は、ミンストレルにあるんじゃないのかなあ。

ミンストレルなら、単調な曲であることも、ヴォーカルの面白味もナットクできます。
キング・アイソバをリリースしたオランダのレーベルからリリースされた、
アイソバのフォロワー、プリンス・ブジュのデビュー作“WE ARE IN THE WAR” が
存外に退屈だったのも、ヴォーカルに面白味がなく、歌が平凡だったからですね。
コロゴという音楽じたいはシンプル極まりないものなので、
アイソバやボラのようなアクの強さが、歌に必要といえるのかもしれません。

Bola Nafo "VOL.8 : ZUO WAM TE YIRE ME" Africa Audiovisual no number
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フレンチ・クレオールのルーツ探訪 レイラ・マキャーラ [北アメリカ]

Leyla McCalla  A DAY FOR THE HUNTER, A DAY FOR THE PREY.jpg

デビュー作がラングストン・ヒューズの詩に曲をつけた作品なら、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-04-23
2作目は、民族音楽学者ゲージ・アヴェリルの本の書名を
アルバム・タイトルにするという、相変わらず学究肌のレイラ・マキャーラ
(「マッカーラ」とか書かれてますけど、ピーター・バラカンさん、違いますよねえ)。

97年にシカゴ大学出版から出されたその本は、
ハイチの現代史とポピュラー音楽を概説した内容だとのこと。
本のタイトルは、ハイチの古いことわざ
“Yon jou pou chasè a, Yon jou pou prwa a” から取られています。

この本にインスパイアされて制作された新作、ということなんですが、
レイラの生硬な歌いぶりは変わっておらず、歌手としては好みになりにくいタイプ。
それでも手が伸びたのは、レイラのハイチをルーツとする
フレンチ・クレオール音楽に惹かれるからです。
ハイチ音楽ファンには、ほぉ、と嬉しくなるレパートリーが並んでいるんですね、これが。

まず、よく知られているハイチ民謡では、“Fey-O” が選ばれています。
90年代のミジック・ラシーンのムーヴメントで、
アリステッド支持派によるアンセムとして再評価された曲ですけれど、
一般には、サイモンとガーファンクルの『明日に架ける橋』のリマスターCDに収録された
エキストラ・トラック“Feuilles-O” で知られているといった方が通りがいいかな。くやしいけど。

農耕の精霊アザカに捧げたヴードゥーの宗教歌“Minis Azaka” は、
多くのハイチ人音楽家によってポピュラー化された曲です。
イッサ・エル・サイエの録音も残っていて、“LA BELLE EPOQUE VOLUME 2” で聴けます。

“Peze Café” も古いハイチ民謡で、クレオールで歌われる賛美歌になっています。
最近では、クンバンチャから登場したラクー・ミジクのアルバムの中でも歌われていましたね。
そちらでは、クレオール綴りの“Peze Kafe” と書かれていました。

ミジック・ラシーンのアーティストたちの精神的支柱となったハイチのシンガー・ソングライター、
マノ・シャルルマーニュの代表曲“Manman” も取り上げられていますよ。

こうしたハイチのクレオール・ミュージックに混じって、
フレンチ・クレオールで歌われるケイジャンの“Les Plats Sont Tous Mis sur la Table” や、
バンジョーとクラリネットがクレズマーの響きを醸し出す“Far from Your Web” が
とても魅力的に響きます。

これほど芳醇に文化が交叉したクレオール・ミュージックでありながら、
まったく土の匂いもしなければ、野趣な味わいもないのは、新世代ルーツ・ミュージックの特徴。
蒸留された純度の高さを示すものと、ここは好意的に解釈しましょう。

Leyla McCalla "A DAY FOR THE HUNTER, A DAY FOR THE PREY" Jazz Village JV570116 (2016)
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みずみずしさを失わないアイリッシュ・ミュージック レアルタ [ブリテン諸島]

Réalta.jpg

うわ、すごいバンドになったな。
12年のデビュー作では、イーリアン・パイプスの二人に女性ギタリストのトリオだったけれど、
ベースとバウロンを加えた5人組になって、スケールが一段デカくなりましたよ。
北アイルランドの首都ベルファストで活動するバンド、レアルタのセカンド作です。
これ、往年のボシー・バンドと比較したくなるほどの快作じゃないですか。

アルタンのマレード・ニ・ウィニーがデビュー作を絶賛していて、
それで聴いてみた覚えがあるんですけれど、正直それほどとは感じなかったんですよね。
でも、今作は、マレードが「若々しくエネルギッシュ」と称賛したとおりのサウンド。
疾走するイーリアン・パイプスとホイッスル、5人がリズムの塊となったパッションは、
若々しい今だからこそと思わせる、華やぎそのものです。

アレンジもすごく冴えてますよね。各楽器の配置をくっくりと浮き立たせながら、
アンサンブルとソロを組み合わせていく妙は、
頭でヒネり出して譜面に書くようなものではなく、ヘッド・アレンジの良さでしょう。
そんな自然発生的なプレイの闊達さが、演奏のすみずみまで行きわたっています。
一方、メンバーが歌うソングのアマチュアぽい歌いぶりにも、好感が持てますねえ。

演奏から零れ落ちんばかりのみずみずしさ。
今生まれ落ちたかのように歌われる、18世紀のラヴ・ソング。
アイルランドの伝統音楽は、いつもこんなふうに若者たちが、
伝統が古びて苔生す前にゴシゴシと洗い流し、
フレッシュに更新させていくところに魅力を覚えます。

Réalta "CLEAR SKIES" no label ADC002 (2016)
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