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人生最期に残した珠玉のショーロ・アルバム カシンビーニョ [ブラジル]

K-Ximbinho  SAUDADES DE UM CLARINETE.jpg

ひさしぶりに、ラエルシオ・ジ・フレイタスのエルドラード盤を聴き返したら、
すごく良くって、ここのところ毎日のように聴いています。
考えてみると、この頃のエルドラードって、ほんとにいい仕事をしていたなあ。
70年代の伝統サンバ復興に大きな役割を果たしたマルクス・ペレイラで
ディレクターを務めた、アルイージオ・ファルコーンの仕事ですね。

80年前後のエルドラードで、なんといっても忘れられないのが、
優れたサンバ作家でありながら、世間一般には知られていなかった
サンビスタのアルバムを制作していたことです。
ギリェルミ・ジ・ブリート、ネルソン・サルジェント、ジェラルド・フィルミは、
エルドラードから初めてのソロ・アルバムを出した人たちですね。
初ではなかったけれど、モナルコの “TERREIRO” やエルトン・メデイロスも、
エルドラードに名作を残しています。

ギリェルミ・ジ・ブリートやネルソン・サルジェントは、
のちにたくさんのソロ作を出しましたけれど、最初にエルドラードが手がけなかったら、
二人がこれほど多くの作品を残すことはできなかったはずです。

サンバだけじゃなく、ショーロについても、同じでした。
重要な音楽家でありながら、そのキャリアにふさわしい録音に恵まれていない人に、
アルイージオ・ファルコーンはきちんと目を向け、アルバム作りをしていましたね。
ラエルシオ・ジ・フレイタスがまさにその一人でしたけれど、
もう一人、サックス/クラリネット奏者のカシンビーニョがいました。

カシンビーニョの本名はセバスチャン・ジ・バロス。
ノルデスチ出身(リオ・グランデ・ド・ノルチ州のタイプ生まれ)で、
幼い頃から町の楽団でクラリネットを演奏し、徴兵されて軍のバンドに入隊し
サックスに持ち替えます。除隊後、38年にパライーバで有数の楽団の
オルケストラ・タバラジャに所属し、42年にリオへ移住。
リオでは、フォン=フォンやナポレオン・タヴァレスの楽団などを渡り歩いた後、
オルケストラ・タバラジャがリオに進出してきたのを機に、再びメンバーに戻ります。

50年代に入ると、さまざまな楽団でダンスホールやラジオMECの交響楽団で演奏し、
60年代はテレビ・グローボのオーケストラにも所属していました。
そんな伴奏者としての音楽家人生であった一方、多くのショーロ名曲も書き、
多くのショロンがカシンビーニャの曲を演奏しています。
ぼくもそうしたレコードから、カシンビーニョという、
風変わりな作者の名前を知ったのですけれど、
ソロ・アルバムはなかなか見つかりませんでした。

それもそのはず、カシンビーニョのショーロ・アルバムなんて、ないんですね。
自身名義のレコードはいくつかあるものの、
当時流行していた曲のインスト演奏といったものばかりでした。
58年にポリドールから出した、
カルトーラ曲集なんて珍品があったりするんですけれども。

K. Ximbinho RÍTMOS E MELODIAS.jpg

ぼくは56年に出たオデオンの10インチを持っていますけれど、
フォン=フォンのショーロ名曲 ‘Murmurando’ やサンバの ‘Jura’ があるものの、
アメリカ映画主題歌の ‘Unchained Melody’ や ‘Love Me Or Leave Me’、
さらには ‘Rock Around The Clock’ なんて曲までやっています。

当時の器楽奏者でショーロ・アルバムを作るなんていうのは、ごくごく例外で、
ヴァルジール・アゼヴェートやジャコー・ド・バンドリンが、
その少数の例外だったんでしょう。
そんなカシンビーニョに光を当てて、
きちんとしたショーロ・アルバムを作ったのがエルドラードでした。

最晩年の録音で、LPが出た81年にはすでにカシンビーニャは故人となっていましたが、
カシンビーニャが作った不朽のショーロ・レパートリーを集めて、
最高の伴奏陣で演奏をしています(‘Sonhando’ が選曲から漏れたのは残念無念)。
カシンビーニャ自身もサックスとクラリネットを演奏し、
クラリネットはソロもとっています。
ギターのラファエル・ラベーロ、カヴァキーニョのネコ、パンデイロのジョルジーニョと、
名手たちを揃え、コンジュントからガフィエイラ・スタイルのビッグ・バンド演奏まで、
さまざまな編成で、カシンビーニョ自作のショーロを演奏しています。

だいぶ昔に、パウロ・モウラのおくやみ記事でカシンビーニョに触れましたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2010-07-17
このレコードのライナーには、
カシンビーニョが80年6月26日に亡くなるふた月前の4月に行われた、
パウロ・モウラとの対談が載っているほか、
解説もパウロ・モウラが書いています。
人生のぎりぎり最期に、自作のショーロ名曲を集大成したアルバムを残せたのは、
カシンビーニャにとっても、ショーロ・ファンにとっても、まさに幸運な出来事でした。

K-Ximbinho "SAUDADES DE UM CLARINETE" Eldorado 278156 (1981)
[10inch] K. Ximbinho E Seu Conjunto "RÍTMOS E MELODIAS" Odeon MODB3039 (1956)
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